ソクーロフという監督、ぼくは日本で初めてこの監督の作品が上映されたのを見た。「孤独の声」という映画で、プラトーノフというソ連の20世紀前半の作家の短編小説の映画化だった(これと全く同じ原作をもとにした映画に「マリアの恋人」という映画があった。これも良い映画だった)。精神的な苦しさをゴミ処理場で働く主人公のスローモーションで繰り返しあらわしたり、途中に全く無関係の、池の中に楽園があると信じて潜る男の話が入ってきたり、主人公が必死に走るシーンをむちゃくちゃアップの表情であらわしたり、ヘンなことをたくさんやっている、でもとても抒情的な映画だった。その後も昭和天皇をテーマにした「太陽」なんてヘンテコな映画もあったっけ。
冒頭、たぶん原作の天上で神様とメフィストが賭をするシーンの視覚的な暗示なんだろうけど、中空に鏡が浮かび、そこから鳩のような布きれが風に吹かれて飛んでいき、いかにも作り物のような海辺の都市へ落ちていく。
そして始まるシーンからして人体解剖のまがまがしい、毒々しいグロテスクな、かなり気持ちの悪いシーン。ところが、その一方で町の中央広場の風景などはロマンチックでなんとも魅力的。全体的にもとてもリリカルな感じのところと、えらくグロテスクなところとが交互に出てくるような映画だ。町の中の猥雑な雰囲気に対する町の外の自然の、フリードリヒの絵のようなロマンチックな雰囲気。
悪魔のメフィストフェーレスは、この映画では高利貸しの老人で、これがむちゃくちゃ気持ちが悪い。上のトレーラーではちょっとその気持ち悪さがわからないけど。原作のメフィストのような小賢しげな慇懃無礼な感じはなく、猫背の見るからに嫌な感じの老人。そしてこの老人が最初に出てくるところで、画面がゆがむ。文字通りグニャっていう感じでいびつな画面になる。その後も時々そういう画面になることがあるんだけど、ファウストがグレートヒェンに欲望を感じるときとか、グレートヒェンの母親がメフィストから金を受け取るときにゆがむ。文字通り邪悪とか悪意とか、そんなものが現れたシーンがゆがむんだろうと思うんだけど、かなり頻繁にゆがんだから、ほんとにそれだけなのかは、わからない。
わからないと言えばわからないことだらけの映画だった。ハンナ・シグラという、かつてのドイツ映画のニューウエーブの時代に持てはやされた女優がやった高利貸しの妻(=メフィストの妻)というのも、なんだかよくわからない。ファウストが殺したグレートヒェンの兄の葬儀でファウストが彼女の手に触れるシーンでの、グレートヒェンの表情も、あれは何だったんだろう??嫌悪の表情だと思ったんだけど、その後の展開を見るとどうやら違うみたい。最後のシーンも、死者の国(?)でファウストはメフィストをボコボコにして一人で歩み始めるが、グレートヒェンが天から「どこへ行くの」と言うと、ファウストは「あっちだ、もっと先へ」と言って、画面は引いていって終わりになる。原作の、かつてグレートヒェンと呼ばれた「永遠に女性的なもの」がファウストを天上に引き上げていくなんていうのは、たしかにワグナーの楽劇みたいで男に都合がいい話だから、そんなエンディングにはしないだろうとは思っていたけど、それにしても、なんだかよくわからない。
上のトレーラーでもわかるように、全体的に暗いし、町中のシーンも色彩を抑えた渋いトーンだが、教会のなかはやけに真っ白だったりして、不思議なコントラスト。部屋の中のシーンはタルコフスキーの映画です、といわれても、ああ、そうかも、と思えるような壁の陰影。また、ファウストがグレートヒェンを抱きしめそのまま池の水の中に沈むシーンのやたらリリカルな雰囲気。なんだか訳わからない、嫌悪感と叙情豊かなシーンが混在していて、特に複数の人が絡むシーンの、へんに密着し合うような絡み合うような猥雑な感じが気色悪い。人造人間のホムンクルスもむちゃくちゃ気持ち悪いし、それを作ったのが弟子のワーグナーと言うことになっているんだけど、こいつもなんとも気色悪い奴だった。それからグレートヒェンの家の様子を窓からうかがっているのは、あれは死神か?? これまたむちゃくちゃ気色悪かった。
退屈だったかと言われると、うーん、しかし、じゃあおもしろかったか、と言われると、これもまたうーん。ただ、いろいろ忘れられないシーンもあることは確か。好きか嫌いかで言えば、好きな映画です。
あちこちで原作の中の台詞が唐突に出てきたりするし、ゲーテの「ファウスト」を読んでいたほうが楽しめるでしょうけど。。。
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