うーん、日本語で検索しても全くヒットしないけど、ユーロップカーの疑惑、どうなるんでしょう。ヴォクレールのチームだしねぇ。あり得ないと思うけどなぁ。
と言うわけで、ぼくの母親は父(つまりぼくの母方の祖父)が亡くなった夜、父が訪ねてくる夢を見たそうだ。「お父さん、身体が悪いのに無理して来て」って言いながら、夢のなかでオイオイ泣いていたんだと。そして明け方電報が届いたんだそうだ。母の作り話とは思えないが、そのまま信じるのもどうなんだろうね。ただ、この手の話はよく聞く。でも、少なくとも、父方の祖父が死んだとき、ぼくにはそんな兆候は全くなかった。父方の祖父は同居していたし、いつも僕をかわいがってくれていたけど、死んだのは僕が大学に入った年の夏で、僕は友人達と旅行中だった。祖父は死ぬときぼくの名前をうわごとのように1,2度口にしたそうだ。でも僕は祖父が死んだ時間には酔っぱらって吐いてた。
連れあいに話したら、それはおじいさん、気を遣って来なかったのよって言うんだけど。。。でも僕にそういう感応力は全くないんだろうね。
ユリ・ゲラーが来日したときのことは覚えている。たぶん高校生か大学生だった。家族でTVを見ていて、やっぱりご多分に漏れず、いろいろやってみたけど、スプーンは曲がらないし、止まっていた時計が動くこともなかった。
前にも書いたように僕の母はクリスチャンで、だから僕は普通の日本人よりはキリスト教になじんでいたし、聖書の話はあちこち断片的ではあっても、普通の日本人よりはよく知っていたと思う。そんな聖書の話のなかで、イエスが、死んでしまってすでに腐臭を放っているラザロという男を蘇らせるという話があった。でも僕は、復活したラザロもその後何年かして、やっぱり死んだんだよね、とさめた思いでいた。
ユリ・ゲラーからまたしばらくして、1990年頃だったのかなぁ?やっぱり超能力ブームみたいなのがあった。でも僕は、そんな超能力って言ったって、なんにも役に立たないじゃないか、そんなに凄い超能力なら、坂本弁護士事件をはじめ、迷宮入りの事件を解決してみろ!って、やっぱりさめた思いで見ていた。
だから、この本も森達也の書いたものでなければ絶対に手にしなかっただろう。すでに何度も書いたように、僕は森達也の大ファンだ。今回はテーマがテーマだし、きっといつものように逡巡しながら結論は出ないだろうと思ったけど、やっぱりこの人の迷う過程が読んでて楽しいんだよね。いろんな話が出てくる。まさに玉石混淆といわれるけど、ホントかぁ? どうしたって、そりゃあありえねえだろう、って話から、こりゃあ嘘だなって話までいろいろ。それにオカルトという言葉で十把一絡げにされちゃうけど、ここにはUFOからエスパー、心霊現象、ダウジング、臨死体験と、ホントは一緒くたにできないんだろうけどね。出てくる人たちも、永田町の陰陽師とかいうかなり怪しげなのからアマチュア天文家にして臨死体験者のSFの古典「夏への扉」みたいなオチの話まで、最新の素粒子論なんかも引き合いに出しながら、でも結局はやっぱりわからないわけ。
少し前に読んだ村山斉の「宇宙は何でできているか」にもあったけど、僕らが存在しているこの宇宙というか空間は、へたすると10次元ぐらいあるかもしれないんだそうだ。僕らには3次元までしか知覚できないわけだけど、残りの7次元(それがどういうものか、想像すらできないけど)にオカルト的な要素を組み込みたくなることは確か。たとえば霊魂は5次元をその住まいにしているとかね 笑) なんとかして自分の世界観や価値観に基づいた形で、あるのかないのかわからないこうした現象を自分自身で納得したくなる、肯定か否定かをきちんと決めたくなるんだけど、例によって森達也はそういう気持ちを突き放す。そう、どっちかに決めるんじゃなくて、「わからない」で良いんだよね。
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