なぎら健壱を上品にした感じの池澤夏樹。「氷山の南」を読みました。道具立ては主人公がアイヌの血をひいていたり、その親友はアボリジニだったり、イスラム教徒たちがたくさん出てきたり、アイシストという自然保護哲学集団が出てきたり、それでいて、やっぱりこの人の持ち味である冒険小説的な面もあったり。
なにしろ文章がリズムがよいので読みやすいし、端役の登場人物たちの各国の逸話がおもしろいし、最後のほうで無言の行に入って見る宇宙創生にさかのぼるドリーミングのイメージは、たまたま最近読んだ下の話題になっている本の中に書いてあったこと(ビッグバン後38万年までしかさかのぼれないとか、宇宙は一つではなく平行して無数にあるとか)と重なって興味深かったですね。両方セットで読むとよろしいかと。。。
水不足解消のため氷山を曳航してくるというプロジェクト。こういう科学技術を活用した巨大文明に対して自然に対する畏怖を忘れてはいけないということで、上記のような道具立てが必要だったんでしょう。むろん小説はどちらかに結論をつけようとしていません。ここまで文明が発展してしまった以上、引き返して、大昔のアボリジニのような生活はもうできないですからね。小説のなかで語られるお金についての話も同じことで、単に交換の手段に過ぎなかったお金が、いつのまにか目的そのものになってしまったおかしさ。しかし、ここまできたら、なかなか以前のようにはなれないでしょう。
上記の「宇宙はほんとうにひとつなのか」に書いてあったと思うけど、宇宙全体の平均温度は-270度ぐらいなんだそうです。小説の中にも出てくるけど、宇宙は絶対零度(-273度)から一億度までのなかで、水が液体で存在していられるのは0度から100度までの間のほんのわずかな温度帯なんですよね。さらにぼくらが生きていられる温度帯はもっと狭いわけで、こうした限りなくまれな状態のなかで、ほんと、人間って普段そのありがたみも感じずに、偉そうに生きているわけです。
氷山を運んで水不足を解消しようという善意が、同時にこのプロジェクトの資金を得るために氷山の氷や水を売るという矛盾も含め、なにかを忘れてしまった現代という時代にあって、人は自然に対してどう向かい合うべきかを考えさせるお話でした。
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