拙ブログのコメンターの Arturo さんから、なかなか見ることができそうにない写真がいろいろ届きました。今回は Arturo さんが懇意にしているアンクティル家から、当時の様々なトロフィーと当時のマイヨの写真です。Arturo さんに感謝。
ジャック・アンクティル、1960年前後にツールに初めて5勝した選手です。TTスペシャリストで山も山岳スペシャリストとは言えないまでも、強かった選手。インドゥラインがその戦法をまねたと言われたものです。でも、山とTTって、グランツールを勝つための必須条件ですわなぁ。

この写真のパネルはコッピと握手する20ぐらいのアンクティルです。コッピがアルカンシェルですから1954年のものだと思われます【後記、この年号は1953年です。これが判明する経緯は、この記事のコメントと、この次の次のアンクティル、謎のイエロージャージのコメント欄をご覧ください】。アンクティルはこの前年に19歳でプロ入りし、すでにGPナシオンなんかに優勝しているんですね。しかし、当時の写真はまだ白黒ですから、トロフィーを掲げていても、金色なのか銀色なのかがわかりませんでしたが、どうやら金色が多かったようです。でもだいぶくすんでますね。アンクティルほどの選手ですから、記念館があると思いきや、ないんですね。こんなふうに自宅に雑然と並べられています。

アンクティルは卵形の理想的なフォームで、どんなときでもかかとがつま先より下がらないペダリングと言われました。しかし、強かった頃はライバルの万年二位のプリドール(ツールではステージ優勝もあるし、総合2位も何度もあるけど、ついにマイヨ・ジョーヌを一日たりとも着ることがなかった)のほうが圧倒的に人気があり、アンクティルはいわば敵役だったと言われています。
あ、ちなみに、前にも何度か書いたように、昔の選手に関するヴィキペディアは間違いが多いです。このアンクティルについても、子供はいない、と書かれていますが間違い。だって、Arturo さんがアンクティルの息子さんとお友達ですから。
ほかにも、当時のマイヨも、なんか普段着のようにぶら下げられているんですねぇ。

手前から二つ目ぐらいの白いマイヨは肩に虫食い穴が空いてない??当時のウールマイヨはすぐに虫に食われます。わたしも昔のウールマイヨ、穴空いてます。アンクティルは最後はビックだったんですね。しかし、管理の仕方があんまりにテキトーじゃない? 笑)
いろんな逸話のある人で、ツールの休息日にバーベキューパーティーをやって酒をがぶ飲みしたり、65年には600キロを走る(ただし半分はバイクぺーサー)ボルドー~パリに優勝した翌日、医者が止めるのも聞かずGPナシオンに連続出場して、これも優勝したり、ちょっとむちゃくちゃですね。その変人振りはこのDVDにもよく出ています。
引退後の家庭も、なんかちょっと信じられないようなむちゃくちゃぶりなんですが、TV解説者としてはユーモアのセンスもあって、非常に人気があったそうです。フィニョンの時もそうでしたが、アンクティルも癌にかかっていることを公表し、半年後に53歳で亡くなりました。
いろんなおもしろい語録が残っていますが、一番感動的なのは、死の前日、現役時代のライバルのレイモン・プリドールが、アンクティルを見舞いに行ったら、こう言ったそうです。
「わりいな、レイモン、また俺のほうが先にゴールだ」
良ければ、下のボタンを押してみてください。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト