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バルタリ(つづき)

2012.01.29.14:35

昨日、バルタリのことを書いたら、さっそくにコッホさんからコメントをつけてもらったので、図に乗ってカルトネタを続けます。

バルタリというと、こういう晩年の写真のほうがよく出てくるようです。

ハ#12441;ルタリ_convert_20120129134748
©Walter Rottiers, Die großen Radsportstars. 1991

はげ上がった頭と額に刻まれた深いしわ。だいぶ年寄りじみて見えますが、この写真は1948年のツールのもののようで、30代半ばです。

以前にも書いたようにバルタリは1938年と48年、第二次大戦を挟んで10年の間隔を置いてツールに優勝しています。ツール初出場は1937年。それまで36年、37年とジロを連覇していたんですが、ジロの余勢を駆ってツールに初参戦し、アルプスのステージでマイヨ・ジョーヌを獲得して鮮烈のデビューを飾りました。ところが、翌日のステージでアルプスを下る途中、雪解け水の流れる小川へ転落して、風邪を引き、その後こじらせてリタイアしてしまいます。当時のことですからサポート体制もあまりととのっていなかったのかもしれません。雪解け水で濡れたマイヨのまま長い下りを下るのって、考えるだに恐ろしい。。。

いずれにしても、もしこの転落がなければ、史上初のダブルツールは間違いなかったと言われています。ところで、またまた、ヴィキペディアの記事にいちゃもんつけますが、ヴィキには落車して大けがを負ってリタイアしたとなってますが、結果を見れば明らかなんですが、バルタリが落車したのは第8ステージ、リタイアしたのは第12ステージと、落車したステージからだいぶ後です。むろん大けがなどしてません。少し前に書きましたが、オカーニャも崖から転落したことになっているし、妻の不倫に心を痛めて自殺したはずのルネ・ポッティエが妻と心中になっているし、どうもヴィキの昔の自転車選手記事は、いまひとつ信用しきれません。

ほかにも、ヴィキには昨日の記事に書いたバルタリのユダヤ人を助けた話もかなりのスペースで載っていますが、カトリック教会が積極的にユダヤ人をかくまったかどうかは、結構異論があります。当時の教皇ピウス12世は、自転車が好きでバルタリをひいきにしていた人ですが、戦後ナチの残党が南米へ逃げるのに手を貸したという話もあります。カトリック教会からの依頼でバルタリが昨日の記事のような運び屋をやったのかなぁ?ちょっとにわかには信じがたい気持ちもありますが。。。

さて、その鮮烈のデビューの1937年の写真がこちら。
DSCF6712_convert_20120129134833.jpg
©Peter Leissl, Die legendären Anstiege der Tour de France. 2004

これだとイメージがだいぶ違いますね。さわやかだし、なかなか格好良いです。

バルタリって非常に信心深い人で、しかも人当たりもあまり良くなかったみたいで、オジャンドルという人なんかは、「メモワール」という本の中で、確か、気持ちの良い人だったコッピと対照的に、何考えているかわかんない人だった、なんて言っていた記憶がありますが、このにこやかな写真だとイメージもずいぶん変わるような気がしますね。
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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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