斎藤貴男ってったって、ゴルゴ13じゃないよ。
この人のことを毛嫌いしているネトウヨの方々も多いようだけどね。この人の書くものはいつでも楽しく読めるものではない。いつでも読みながら腹が立つ。でも、書いている斎藤貴男はもっと腹を立てているんだろう。書きぶりは冷静なんだけどね。この人の本ではこちらもすごい本です(例によってレビュのカッタルコフスキーは私 笑)
さて、表題の本だけど、この本の各章の中心は3.11以前に書かれたものだが(3.11以後に加筆)、当時だったら、謀略史観的な、うがちすぎのような印象を受けて、完全に納得しない人も多かったことだろう。でも、フクシマ後、ここに書かれていることがものすごい説得力をもつようになっている。
つまり、民意とは政財官学報あげて、権力者や金持ちの都合の良いように情報操作まがいのことをして、洗脳した挙げ句に作り出されたものなのだ、ということがよくわかる。特に第四の権力たるマスコミ(報)の質の低下には目を覆いたくなる。石原慎太郎の二枚舌や森田健作のあまりにひどい馬鹿さ加減も、ここに書かれているとおりだと思う。そしてこの二人ともに、「民意」にもとづいて首長になっているわけである。また、ブログ市長として話題を集めた阿久根市の竹原市長についても、社会の腐敗や矛盾に憤慨する市長の姿勢に共感しつつ、それらを打ち倒そうとする者には絶対に必要不可欠の優しさが欠けている、という評は実に的確。
あとがきの文章をそのまま引用したい。
「こんどこそ私達は、権力への服従が「大人の態度」であり、望ましい姿勢だとされている生活様式からの脱却をめざさなければならない。原発を推進した側の暴走を批判するのは当然だが、彼らの思惑だけでは何一つできるはずがないのも、また真実であるからだ。一億総懺悔という意味ではもちろんない。推進した指導者層には私財の提供を始め、考えられ得るすべての方法で責任を取らせた上での話である。それが伴わなければ、彼らはゼロリスク・ハイリターンのパラダイスを謳歌し続け、未来永劫、同じようなデタラメを繰り返して行くに違いない。」
結局こういうことだ。フクシマのあと、この言葉を読んで、納得しない者はいないだろう。
船が沈没しそうなときに海へ飛び込ませるためになんと言えばいいか。アメリカ人なら「飛び込めばヒーローですよ」、イタリア人なら「飛び込めばモテますよ」、ドイツ人なら「飛び込むのが規則です」、日本人なら「みんな飛び込んでますよ」なんだそうだ。この日本的な同調主義、なんとかしないといけないんだろう。
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