タイトルは有名なヒトラー暗殺計画の主役、シュタウフェンベルクを描いたアメリカの劇場映画とドイツのTV映画ですが、本エントリーのポイントは後半にあります。映画はあくまでマクラですね 笑)
ワルキューレは1944年、ドイツの軍部を中心に、ヒトラーを暗殺してベルリンを占拠し、戦争をやめるという作戦計画の名称です。シュタウフェンベルクを演じるのはトム・クルーズ(ドイツ国内ではカルト宗教問題で非難ゴウゴウ)とゼバスチャン・コッホ(こちらは最近話題のヨーロッパ映画によく出てきます)。クルーズとコッホでは、やっぱりクルーズのほうが洗練された美男ぶりですし、シュタウフェンベルクの失った左手の指とか右手のCG処理なども、アメリカ版の方がはるかに金をかけてます。2時間の劇場公開映画と1時間半のTV映画じゃあかける金もちがうよね。それ以外にも、アメリカ版のほうが暗殺計画実行からベルリン制圧までを劇的に盛り上げていて、ドイツ版のほうはあっさりしています。まあ、実際には計画はあっさり失敗するわけで、アメリカ映画の盛り上げ方はちょっと誇張があるんだろうなぁ、という気もしますけど。
アフリカ戦線で腕と片目を失うシーンから始まるアメリカ版に対して、ドイツ版はその前の東部戦線で、逃げてきた若いユダヤ人の娘が訴えるドイツ軍の虐殺行為にショックを受け、ヒトラー暗殺を決意するシュタウフェンベルクのおまけ付き。
どっちが面白いかって?そりゃあアメリカ版のほうが面白いし、映画として、登場人物たちの説明にしても、そのほかも、そして、事件後の顛末もすべての面でわかりやすい。逆に言えば、この事件を知らない人たちに対する配慮が行き届いている。それでも、登場人物の複雑さから、多少の予習が必要かも知れないけど。ドイツ版のほうは、この事件がドイツ人なら誰でも知っているっていうことを前提にしているんだろうと思う。
しかしドイツ国内のヒトラー抵抗運動って、有名なのはこのシュタウフェンベルクと「白バラの祈り」のショル兄妹の話だろうけど、どちらも、抵抗運動としてはちょっとお粗末なんですよね。。。ショル兄妹は昼日中にミュンヘン大学にビラをまいてあっさり捕まるし、シュタウフェンベルクはヒトラーの死亡を確認せずにベルリンへ帰っちゃうし。。。
アメリカ版のほうには、シュタウフェンベルクが処刑されたあと、その他の加担者が死刑判決を受ける裁判所のシーンがちょっとだけでてくる。この人民裁判所の裁判官が、ドイツ司法史上、空前絶後の最悪の人物ローラント・フライスラー。ヴィキペディアなどで調べれば出てくるけど、まあ、ものすごいお方で、元共産党員だったんだけど、ナチスに入党してからのご活躍ぶりたるや、裁判所で被告(人民裁判所は反ナチ専門の裁判所)を怒鳴りまくり、罵倒しまくり、反論など許さないむちゃくちゃサディスティックなやり方で何千という死刑判決を連発。
YouTubeにもご本人はほとんど声だけだけど、記録映像が残ってます。だいたい元共産党員で寝返ると、今度は逆に右側へ振り切れちゃう人が多いんだよね。なんとなく転びバテレンを連想させます。
このフライスラー裁判官に対して、アメリカ版ではヴィッツレーベン将軍が、「数ヶ月したら人民に町中を引きずり回されるのはおまえだ」と言ったり、「白バラの祈り」でも、ゾフィ・ショルが「次に裁かれるのはあんただ」と言うシーンがあるけど(どちらも事実)、本当に残念なことに、この人は連合軍の爆撃で死んでしまうんですね。だけど、きっと地獄で閻魔大王に裁かれ、針の山か血の池で鬼たちに引きずり回されていることでしょう(この項、アマゾンの読者レビュでカッタルコフルキーの名前で書いたことと、ちょっとだけ重複しますがあしからず)。
さて、ここからが本論です 笑) この映画を見て思うのは、やっぱり「愛国心」のことだ。当時のドイツ政府に反旗を揚げたシュタウフェンベルクを、愛国者ではなかったと思う人はいないだろう。でもヒトラー一派から見ればテロ行為だ。
いま、ネットでもそうだけど、「愛国」という言葉を安易につかう人が多い。だが、その愛の対象の国ってなんだ?愛国心って言ったとき、イメージする「国」ってなんだ?今の政府のことか?それとも、今回広範囲にわたり放射能に汚染されてしまったこの国の風景のことか?
この「愛国心」という言葉に踊らされて、勇ましいことを言いたがる連中や、逆に為政者たちが強要したがる「愛国心」っていうやつは、どうもこのあたりを考えてないような気がする(もしかしたら、為政者たちは意図的にそこをぼかしているのかもしれない)。愛国心って言えば、そこでもう判断停止、思考停止に陥っている人が多い。
自分がそこに属していることを誇りに思える国、それを愛したいというのならわかる。だけど、いま、日本という国に属していることを誇りに思える人ってどのぐらいいるんだろう? フクシマの嘘だけじゃないよ、自由な競争原理を錦の御旗にして、福祉国家であることを放棄し、自己責任を言いつのる権力者たちにとって都合の良い国家、そうした国家を「愛する」ように国民に求められても、そりゃあ、あんた、無理ってもんでござんすよ。そう思わない? 勇ましく「愛国」を叫ぶネトウヨの方々には、ここらへんのことを是非とも伺いたいところだ。もっとも彼らが言う愛国心は、仮想敵国を憎むための口実みたいなもんなんだろうけどね。
ヒトラー一派から見ればテロリストで非国民だったシュタウフェンベルクはドイツが自分の愛せる国、誇りに思える国になることを願って反旗を翻した「愛国」者だったんだよ。つまり、時によっては「非国民」がもっとも愛国的だったりするわけ。
もっともぼく自身は国なんていうものは、500年先の世界というものを想像したとき、もう存在しないだろうと思っているけど。ただ、これもその頃に人類が死滅していなければという大前提が必要だけど。
Imagine three's no coutries
It's not hard to do 
そうそう、シュタウフェンベルクの忠実な副官役にドイツ版では、なんと、
あの「シベールの日曜日」のハーディー・クリューガーの息子が出てます。父親に似てます。
今回はちとリンクが多いです。
良ければ、下のボタンを押してみてください。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト