どれも説得力があり、もし仮に、これらの提言が実行できない理由があるのなら、政府なり東電なり学者なりが、きちんとその理由を述べるべきだ。マスコミも、これらの提言をもっと真正面から取り上げていくべきだ。
本来なら、この本を読んで脱原発社会の可能性に思いをはせ、明るい未来を築こうという気持ちになるんだろう。だけど、ぼくはなんだか、ひどく憂鬱になった。これだけ著名な人々が、説得力のある提言を出しているにもかかわらず、日本という社会は果たして本当に変われるのか?日本人が本気で脱原発のために、人任せにせず、自らも意思表示していこうとするのかどうか?
そう思ったときに、なんだか暗澹たる気分になった。
ぼくらは本当に実に見事に騙されていたのだ。あきれるほど見事に、業界に、政治家と官僚に、御用学者に、そしてなによりマスコミに。
ソ連。共産主義の敗北の象徴として扱われるこの国が崩壊したとき、どこの放送局の駐在員だか忘れたが、これでロシアにも約70年ぶりに自由が戻ってきました、と絶叫していた。あぜんとした。この人は70年前のロシアが帝政国家だったということを知らないのだろうか、とあきれかえったものだった。
まあ、それはともかくとして、ソ連がどうしようもない国だったことはまちがいない。しかし、今回のフクシマのことを見るにつけ、聞くにつけ、ソ連崩壊前のチェルノブイリのときのほうが、ソ連の責任ある人々は、まだ現在の日本よりまっとうにソ連国民のことを考えていたのだ。
ここまでひどい国だったとは思っていなかった、こんなにひどい国だったんだ、日本は。こんな国を愛せ、って無理に決まってる。愛国心というのは、今あるこの国を愛することではない。こころから愛せる国、誇りを持てる国にするように努力すること、これが愛国心ではないのか。ぼくは愛国者だ、しかし今の日本という国を愛することはとてもできない。
今の日本で愛国者であることは、きっと非国民になることなんだと、少し過激に思ったりする。
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