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真弓明信 心に残るスポーツシーン(10)

2011.10.28.21:58

これまで野球を見てきた中で、一番好きな選手はと言われると、村山実か真弓明信のどちらかになる。以前書いたように阪急の山田久志も好きだったけど、当時はTVでもラジオでも、東京では阪急戦なんて絶対やらなかった。七〇年代の半ば頃からは佐々木信也のプロ野球ニュースなんかが始まったので、かろうじてそれで山田の試合をチェックしていましたね。だから当時はパリーグの試合や選手にも結構詳しかったです。

これに対して、村山はプロ野球ニュースより前の選手だし、ファンになったときはすでに兼任監督だったと思うし、ファンになってすぐに引退しちゃったから、全盛期は知らない。そういう意味では真弓は、太平洋クラブライオンズだったかクラウンライターライオンズだったからか、トレードで阪神に来て、引退するまで見ていた選手だ。年齢もほとんど僕と同じで、40過ぎまで現役だったと思うけど、引退したときは、僕自身の体力の限界も同時に感じたような気分だった。

当時、ソフトボール大会なんてやると、まじで真弓のフォームを真似してましたね。オープン気味のスタンスで、バットを持つ手を顔の前ぐらいに構える。まあ、そこまでなんですけどね。

ところが、真弓の活躍ぶりってあまり印象に残ってないんですねぇ。例のバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発の年、真弓はたぶん一番バッターで優勝に大貢献した選手だったと思うけど、真弓ならこのゲーム!っていうのが思い浮かばない。

むしろそれよりも思い出すのは、タイガースが弱くなってから起きた乱闘シーンでしょうか。90年代前半、安藤監督の時代だったと思いますが、コーチに柴田と島野(こちらは後に星野仙一のもとで名コーチとなり、先年亡くなりました)というコワモテの二人が加わっていたんですが、この二人が審判の判定を不服として大乱闘騒動になったことがあるんですね。そのとき、真弓はどちらかのコーチにしがみつき、なんとか暴行をやめさせようと必死になっていましたが、コーチのほうは真弓をそのまま引きずりながら審判を追い回して小突き続けていました。

こういう優しさが監督向きではなかったんだろうなぁ。今シーズンの阪神タイガース、戦力的には優勝してもおかしくなかったと思うけど、まあ、あれだけ同じような継投ミスを繰り返し、しかも投手の交代もワンパターンで、さらにヒット数が阪神のほうが多いのに負けた試合が、その逆よりもかなり多い。

「方程式」とかいうのはいつ頃から言われ出したんだろう。長島あたりが言い出したのかなぁ。ただ、素人考えだけど、最後の締めが藤川なのは決めておいて良いだろうけど、その前はへんな方程式とやらで順番を決めたりしないで、調子の良い順に出すべきだったとおもうけどねぇ。調子を見極めるのがコーチの役割だっただろうし、それを差配するのが監督の役目だったと思うんだけどね。

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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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