大江健三郎、ぼくは初期の作品の遅れてきた愛読者で、大学1,2年ごろにずいぶん夢中になった。だけど、せいぜい「洪水はわが魂におよび」までで、それ以後はほとんど読んでない。一番印象に残っているのはやっぱり「芽むしり仔撃ち」だな。あのラストは衝撃的で、しばらく立ち直れなかった。
というわけで、生・大江健三郎、見ちゃいました。

さらに生レモンちゃんも。といっても、若い人には意味不明ですかね?私の世代は、もうむちゃくちゃな人気でした、落合恵子。

どちらも芥子粒だね 笑)
左翼が反原発だから嫌だというのは論外にしても、これまで原発に反対してきたわけではないのに、ここで突然原発反対と言うのは格好悪いとか、勝ち馬に乗るような態度は取りたくないとか。。。それってよくわかる。ぼくだってがんばろう、ニッポンとかひとつになろうニッポンみたいな言い方には、ムチャ違和感を感じるタイプだから、ぎゃくの意味でその気持ちってよくわかる。
でも、もう少し考えてみると、こうした考え方の裏には、ひょっとして、それを言い訳にして自分が動かない理由を都合良く正当化する気持ちがないだろうか?
人は、自分に火の粉が降りかからない限り、自分にとって都合の良いこと(面倒くさくないこと)を信じたがる。逆に言えば、自分にとって都合の悪いこと(面倒くさいこと)は信じたくない。
原発の問題、放射能の問題も、けっきょく自分に都合の良いほう、つまり大丈夫ですという政府や御用学者の主張のほうが、安心していられるし、面倒くさくない。そっちのほうに安住していたいよね。だけど、これだけ次々に嘘がばれていく状況で、安心して良いのかという不安はぬぐえない。
数日前に書いた嘘をつく役人がいるという話もそうだけど、国ってある程度の嘘はつくだろうとは思っていたけど、ここまで嘘つくとは思ってなかったでしょう?
北朝鮮のラジオはチューニングできないそうだ。政府の国営放送以外聞けないってこと。でも、平壌にすむ比較的恵まれた国民にとっては、それを信じているほうが楽ちんでしょう。餓死するかも知れないっていう不安さえなければ、飼い慣らされたほうが楽ちんなんだよね。
それともう一つは、やっぱり人は忘れやすい。まだ半年しか経っていないし、原発の危機的状況はまだ続いている。だけど、もうすっかり話題の中心ではなくなっている。少なくとも、ぼくは忘れていないし、ぼくは原発にも反対だという意思表示として、6万人のうちの一人になってみた。これが果たしてどの程度の効果があるのかはわからないにしても。
-----追記2011、9/20、2:00
あれで6万かぁ、と思っていたんだけど(警察発表の2万7千はあり得ないな、と笑ったけど)、鈴木耕氏のツィッターによると、明治公園はぎっしり人で埋まると8万だそうだ。あれはぎっしりだったよ。そして公園の外にも無数の人が取り囲んでいた。車道にまではみ出しかねない勢いだった。よって、この記事の表題は「6万人!!」から「6万人??!!」に変更します。
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