少し前に立て続けに観た
2本のクララ・シューマン映画のせいで、このところシューマンのCDをずいぶん聴きました。その関連から、この小説にたどり着いたわけ。だからまずロマン派の音楽に興味がなければあまり面白くないでしょう。かなり衒学趣味的なところもあるし、ある意味一昔前の教養主義の臭いもないこともない。でもぼくはとてもたのしい1週間でした。
たのしい1週間、そう、読むのに1週間かかったってことですね。でも、少なくとも最初の250ページはゆっくり読んだほうが楽しい。シューマンのピアノ曲についてのうんちく、何人か現れる演奏家たちのこと、とくにグレン・グールドに対する批判と裏返しのオマージュ(とまで言えるかどうか)。それから演奏という再現芸術と、作曲家の頭の中にある完璧なイデアとしての音楽。そうした理屈やうんちくを楽しみながら読みましょう。読み飛ばすように読んだら、最後のおもしろさは半減します。また、このうんちくが煩わしいと感じるようだったら、この小説は読まないほうがいいでしょう。できれば個々に出てくる曲を実際に聴きながらうんちくを楽しみましょう。少なくとも、中盤でかなり詳しく描かれる幻想曲だけでも。
奥泉光は、「ノヴァーリスの引用」を文芸誌で読んで以来、「石の来歴」と「吾輩は猫である殺人事件」ぐらいしか読んでないけど、どれもどこかこういう眩暈感で終わったような印象があります。特に「ノヴァーリスの引用」は、正直に言うともう内容を覚えていないけど、今回この「シューマンの指」を読みながら、その雰囲気だけをなんとなく思いだしてました。
この後はネタバレ気味(ストーリーとしてのネタはバラしてません)。
最後の100ページはゆっくり読むことがたぶん不可能でしょう。たぶん一気に読むことになると思います。逆転につぐ逆転。そして最後は迷路に落ち込んだかのような眩暈感で読み終わることになります。
むかし映画館で一度だけ観た「去年マリーエンバートで」という映画を思いだしました。何が現実で何が幻なのか、本当のことって何なのか。現在と過去と過去の記憶と。。。そして、この「シューマンの指」を読んだ後では、ぼくがあの映画をホントに見たのかすら怪しくなってくる。。。
それから、比喩のおもしろさにも触れておきたいところです。曲を描写するときの説明にもすてきな比喩がたくさん混じってますが、それ以外のところでの比喩にも面白いものが多かった印象があります。もう一度探すのが面倒なので、ぱらぱらめくって気がついたところだけ。
「恋は実らなかった。実るも何も(。。。)芽が出ぬまま土竜(もぐら)に喰われる草の種であった。」とか、「淵に垣間見える岩魚の背鰭のごとくに一瞬現れた、怒気とも侮蔑ともつかぬ表情」とか、はっとするものが他にもいくつもありました。
最後まで読んで冒頭に戻ると、ああ、なるほど。タバコも名前も、まさになるほどです。しかしそれらもすべて迷宮の中に消えていく。。。結局、シューマンの曲にまつわるうんちくもなにもかも迷宮のなかに消えてしまう。
推理小説仕立て(謎解き)ですが、それ以上にこの最後まで読んだあとの迷宮感が、とても楽しい小説です。「レコ芸」みたいなクラシック音楽雑誌をよく読む人にはお勧め。
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