ゴールのルルドは有名な巡礼の町ですね。大昔の1948年、このルルドでステージ優勝したバルタリ

が表彰台でもらった花束をこのルルドのマリアの洞窟だかどこだか有名な巡礼の場に捧げて、その後20分以上引き離されていたボベ

をアルプスで大逆転するのでした。敬虔なカトリック教徒のバルタリ、登りで彼を天使が押しているのを見た、と言い張る子供たちまで現れたそうです (^◇^;)
というわけで、ニーアマン

の日記です。
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通常7月14日はフランスの国民の祝日で、ツールではいつもアタックだらけの日になる。どのフランス人も(それに非フランス人選手もほとんど)逃げようとして、逃げが決まるまで50キロとか100キロとか、アタックが続くんだ。
木曜日が驚くべき事に、最初のアタックが決まってしまったから、今日は集団はアタックがあるとすぐに追いかけ、どの選手も(オーケー、ぼく以外のどの選手も、と言わなくちゃいけないね)今日はおれがツールの歴史に名を残す日だと思っているみたいだった。ぼくの足はスタート時点で鉛のように重く、50キロは前の選手の後輪だけを見ながら、この苦しみがいつか終わってくれることだけを祈っていた。狭くてぐにゃぐにゃしたピレネーの脇道を50キロ平均で突っ走るなんて、ぼくの得意とする所じゃないからね。
永遠とも思えるほどの時間のあと、やっと今日の逃げグループができたけど、ぼくらとゴールの間にはまだオービスク峠があった。ぼくはそこでまちがいなくグルペットになってゴールまでたどり着くだろうと思っていた。ところが長くて一定の速さのテンポで走っていたら、調子が良くなってきた。で、結局たいしたトラブルもなく、メイン手段でゴールできたんだ。
いま、ぼくらのチームは、逃げグループに入るのは自由だ。でも、スタートから今日みたいな調子だと、正直に言って、ぼくにはとてもそんなことできそうにない。
スタート時に足が調子良いと良いんだけどね。
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オービスクの下り、断崖絶壁でしたね。これまた大昔、1950年代の前半だったと思うけど、マイヨ・ジョーヌをオランダ人で初めて着たヴィム・ファン・エスト

がマイヨ・ジョーヌを着たまま、この断崖で自転車ごと落っこちて数百メートル下へ落ちるところを、途中の岩の出っ張りに引っかかって九死に一生を得たのですね。サポートカーに積んであったタイヤを全部結んでロープにしてすくい上げたそうです。タイヤは全部伸びて使い物にならなくなったとのこと。そのプレートがあると聞きました。
2011,7/16,21:25 追記。
写真がありました。
さあ、今日はプラトー・ド・ベイユの登りゴール。放送もすでに始まりました。ちょっと最初からはつきあえませんが。。。
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