まあ、どこかの60才のおじさんが投書した文章に目くじらたてるものでもない。だけど、なんか放っておくのもいやだ。
今朝の朝日に「原発なくせば幸福になるのか」と題して、「原発事故以来、反原発論者がここぞとばかり原発の危険性を訴えている」と、出だしからしてすでに戦闘態勢オンである。やめてほしいねぇ、人を○○論者とか言って、レッテル貼ってさ。「ここぞとばかり」という文言から、この方の怨念というか、なにか嫌なものが感じられるよ。
まあ、それはともかく、論旨は原発を止めたら節電により生産効率が悪くなり、電気料金は上がり、企業の国際競争力は下がり、化石燃料を使うことで地球温暖化も促進されるうんぬん。
まあ、幸福ってなにかっていうことも人によって違うしね。ただ、これを書いた人がどういう人かは知らないが、その立ち位置は、かの暴言大王が天罰と言ったときと変わらない。自分の足下は大丈夫だと確認した上で、高見から下へ向かって自分の価値観(幸福観)を御指南くださる。どこか遠くの誰かが、それもものすごい数の人々が不幸になったって、自分たちの幸福な生活(とご自分が思っているもの)を守れればいいっていうわけ。ほとんど武器商人の発想だよ。自分から遠くのどこかで戦争をしてくれた方がありがたいっていう発想。
沖縄に米軍基地を押しつけて、沖縄では騒音と事故の不安、それにたちの悪い米兵の犯罪に苦しんでいたって、日米安保をめぐる利権という自分たちの幸福を守れればいいっていう発想。
この投稿氏は「エネルギーの安定供給とコストを考えれば、原発を廃止することは現実的ではない」とおっしゃる。安定供給云々は具体的に反論できるほどの知識はないが、コストは冗談じゃない。こんかいの原発事故でどれだけのコストがかかったというの?これからどれだけのコストがかかると思ってるの?冗談じゃないよ。原発は高くつくの!!
だいたい、電力をドカドカ使って、競争し合って経済力を高めていくっていう高度経済成長期の夢からさめることができない人たちが多すぎるんだよね。今必要なのは、ぼくらが生き方を変えるっていうことじゃないの?
そんなことを言うと、原始時代に戻りたいのか、おまえだってパソコン使って今の電力ドカドカの恩恵を受けているじゃないか、って極端なところまで行っちゃう人がいるけど、まあ、そういう人はどこまでも行っちゃってちょうだい。帰ってこなくていいからね~。
いずれにしても、高度経済成長という夢のような、ある意味幸せな時代を経験してきた老人たちは、そこから逃れられないから、いつまでもそれにすがっているわけ。だけど、若い人たちはそうではない。若い人たちがしっかりと声を上げて行かなくちゃダメなんだよ。選挙にしたって、若者の投票率が老人の半分以下なんて、どうかしてるよね。
若い人たちには、いろんなことを学んで知性というものを身につけて、偏見を持たず、いろんな意味で寛容さを手に入れてほしいよね。言うことがだんだん曖昧な、老人の繰り言めいてきました。
というわけで、拙ブログ恒例、いつもの文言をペーストしておきましょう。
「社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間を排除する社会は、私たちに必要な社会ではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。」(八尋 光秀)
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