今日の朝日の朝刊は天声人語と社説で小沢一郎批判を載せ、さらにオピニオン欄でも松本健一と保阪正康が小沢一郎について書いている。
以前書いたことがあるが、僕は小沢一郎についてなにか語れるほど政治問題が好きなわけではないから、こうした一連の記事に対して何も言えない。ただ、これも前に書いたが、これほど全マスコミがこぞって批判するからには、なにか絶対に裏があるに違いないと思えて仕方がない。アメリカとの関係を変えようとしていて、それに対して政財官がこぞって小沢を抹殺しようとしているのだと言っている人もいる。それが本当のことなのかは全く分からないし、小沢が憲法改正を主張していることも、僕には気に入らない。
ただ、政治と金というが、古来、清廉潔白な政治家ってのはあぶないのよね。フランス革命のギロチン政治の大御所ロベスピエールだって清廉潔白の人と言われていたし、ヒトラーや東条英機だって清廉潔白という意味では間違いなくそうだっただろう。清廉潔白であることが政治家の第一条件だとは言えないだろう。むろん私腹を肥やすために政治家になるっていう奴は論外だが。
上記のオピニオン欄の記事も、保阪氏の書いた田中角栄とのつながりについては、ふうん、そういうつながりでみるものなのかぁ、と思ったが、松本氏の記事の方はあちこちでどうもひっかかる。たとえば、小沢批判として「理念や思想に一貫性がない」ということが書かれている。
この言葉、よく言われるし、ぶれないという言い方は善なるイメージとされているようである。しかし、一貫性があればそれが優れたことなのだろうか?人間は7年で全細胞が生まれ変わるそうである。つまり、今の自分の細胞には7年以上前のものはないんだそうである。そうなると、7年前に言ったり行ったりしたことに、今の自分が責任をとらねばならぬという生物的な根拠があるのだろうか?いや、むろん極論だし、半分冗談だけど。ジキルとハイドみたいに人格乖離っていう病状があるそうだけど、人間なんて多かれ少なかれそういう傾向があるんじゃないだろうか?自分の意見や見解が以前言ったことと違うからといって、それが一律悪いことなのか。。。いや、もちろん半分冗談だけどね。
いずれにしても、一貫性がないとかぶれているという、こういう判断停止を誘う決まり文句には注意しよう。むろん自戒を込めてね。
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