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ホセ・マリア・ヒメネス7周忌

2010.12.09.00:03

12月6日はブエルタで4度山岳王になったホセ・マリア・ヒメネスの7周忌でした。エル・チャバ(腕白小僧とか若造の意味?)の異名のあった端整な顔立ちの山岳スペシャリストは7年前、心臓麻痺によりこの世を去ったのでした。享年33歳。
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© 1998 CYCLISME International N.157
マイヨ・オロのオラーノの後ろがヒメネス(ブエルタ98)

1993年にプロになってから96年まではバネストでインドゥラインのアシストとして走り、スペインチャンピオンになった1997年、今度はオラーノの山岳アシストの立場で、時には登りで遅れがちなオラーノを待ちながらツールで総合8位。

そのあとのブエルタでヒメネスの名前が一気に知られるようになります。オラーノがリタイアした後、第19ステージでクラベーロやエラスにスプリントで勝ってブエルタ初勝利。総合では21位でしたが、初の山岳賞を獲得します。

1998年は再びオラーノのアシストとしてツールにのぞみますが、例のフェスティナ事件により、他のスペインチームとともにレースを放棄してしまいます。しかし続くブエルタではエスカルティンとエラスのケルメのダブルエースのアタックに常に反応し、19ステージで一度だけエラスを取り逃がしましたが、それ以外はことごとく二人のアタックを潰し、エースのオラーノの総合優勝に貢献するとともに自身もステージ4勝、総合3位となったのでした。むろん山岳賞も2位の倍のポイントで圧勝(上の写真がその時のもの)。

ところが、翌年、エースのオラーノは、この時のヒメネスの山岳での走り方に不満を漏らし、オンセへ移籍してしまいます。多くの専門家は、ヒメネスという山岳アシストがいなくなったオラーノはもうグラン・ツールで勝つことはないだろうと予言したのでした。確かにヒメネスは最後のTT前のステージで、それまで総合トップだったオラーノを抜いて首位に立ったので、TTがなければどうなったかわからないのですが、しかしケルメの二人のアタックを潰した功績は大きいものだし、逆に二人と協力して逃げたら、オラーノの優勝は絶対になかったと言われています。

1999年のジロではパンターニとの山岳王同士の戦いに注目が集まります。しかし、実際に二人の一騎打ちになったのは第8ステージのグラン・サッソの頂上ゴールのステージだけ。ヒメネスはパンターニをマークできた唯一の選手でしたが、最後は力負け、23秒差の2位に終わりました。このあとのヒメネスはまったく目立つことがないままジロを総合で一時間以上遅れて終え、一方のパンターニも最終日前日にヘマトクリット値が高すぎて出走禁止となり、両者の戦いは肩すかしに終わったのでした。

しかし、同じ年のブエルタでは復活、総合5位、3度目の山岳賞になります。この年の総合優勝はウルリッヒでした。この年のブエルタはスカパーのスペイン語チャンネルで放映され、当時ウルリッヒのファンだったわたしも毎晩ハラハラしながら見ていました。特に自転車レース最大の勾配といわれたアングリルのステージは、当時のわたしのベストレースのひとつでした。そこで勝ったのがヒメネスです。

スペイン語なのでなにも分からないまま、ずっとトンコフが単独で逃げていて、時々後続とのタイム差がでるのですが、常に一分以上の掲示だったと思います。トンコフの優勝がほぼ決まったなと思った頂上直前で、突然後方の霧の中からヒメネスが現れ、トンコフをかわし、短い下りを下ってゴールイン。放送が終わっても、しばらく、なんだったんだ、という感じで呆然としてましたっけ。

さて、2000年のツール。エースのツュッレのアシストと自身の総合10位以内、それに山岳賞をめざしたヒメネスでしたが、オタカムではアームストロングについて行けず、アームストロングとパンターニの物議を醸したモン・ヴァントゥでは、逃げのグループに入ったものの逃げ切れず、クールシュヴェルでも単独で先頭を逃げていたのに、パンターニにラスト1キロで追い抜かれて、またしても勝てませんでした。そして、この年のブエルタは怪我のために欠場。

2001年も前半はまったく目立てないままでしたが、ブエルタでは再び復活、ステージ3勝と4度目の山岳賞、おまけにポイント賞も獲得します。総合でも、12ステージの山岳TTで優勝し、トップ10どころか首位も伺えるところまでいきますが、15ステージで突然のブレーキ。12分遅れでトップ10からも滑り落ちて終わります。

ヒメネスにとって最大のライバルはエラスでした。エラスとヒメネスでは残した成績はブエルタに総合3勝し、ツールでも優勝候補に挙げられたエラスにたいして、ヒメネスのほうが見劣りしますが、ブエルタに限れば、山岳ではあきらかにエラスよりも強かったと言われています。エラスの総合が良いのはTTの差であるというわけです。体型的にみれば、小柄な、いかにも山岳スペシャリストのエラスにたいしてヒメネスはもっと総合力のあるようなタイプに見えました。ブエルタ最後の区間勝が山岳TTだったことからも、この後、さらに総合力をつけていく可能性もあったのではないか、そんな気がします。事実、何人かの評論家は翌2002年のブエルタ優勝候補としてヒメネスを筆頭にあげていたそうです。

しかし、事態はまったく暗転してしまいました。おそらくドーピングのせいだと噂されているコカイン中毒と、薬物中毒の典型的な副作用とされる鬱、さらにアルコール依存症、これらとの戦いにヒメネスは負けてしまいました。ほぼ同世代のパンターニやフランク・ヴァンデンブラォクも同じような状況で若くして死んでしまいました。これがドーピングをしていた結果だ、自己責任だ、などとは決して言いたくはありませんし、一方でありきたりなまとめ方もしたくありません(ちなみにヒメネスは他の二人とは違って、現役中にドーピングが疑われたことはありませんでしたが)。ドーピングが本来公平な条件で行われるべきスポーツで、あきらかに不公平を作り出す行為だというのは、言うまでもありませんが、彼らの成績をすべて薬のおかげだというのも、短絡的だと思っています。とりあえず、ここは締めなければならないので、ドーピングの問題は簡単に割り切ったり、決着をつけてはいけないと言って、今回のこのエントリーをお終いにします。合掌。

(わたしはかつてツールの山岳王について本を書いたのですが、ヒメネスはツールでは1勝も挙げていませんでしたから、取り上げませんでした。しかし、パンターニに比べて彼の名前が聞かれることはずいぶん少なくなってきたように思っています。ずっと気になっていた選手だったのですが、rsn の記事に触発されて、今回、少しまとめてみました。細かい結果などで、参考にしたのはドイツのサイト Radsport-news.com (rsn)と6カ国語の選手名鑑 Encyclopedieとフランスのサイトmemoire-du-cyclisme.net〈ただし、ここは会員制で、会費を払う必要があります。しかも1年ごとで、ちと面倒〉)


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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