ロードレースがシーズンオフになって、昔の選手の話とか、書きたいことはいろいろあるんだけど、ちょっと今忙しいのと、毎日次々におこるニュースに、どうもそんな余裕がありまへん。今日は裁判員制度始まって以来はじめて死刑が求刑されたというニュース。しかも、裁判長が被告に控訴するように勧めたという。これについて、思いつくままメモしておきましょう。
すでに書いたように、ぼくは死刑制度に反対であるが、裁判員制度にも反対である。反対の理由は簡単である。ぼくはそんなものをやりたくないし、そもそも憲法にだって犯罪の処罰をのぞき、意に反する苦役に服させられないと書かれている。人を裁くなんて言うのは意に反する苦役以外のなにものでもないね。ましてや死刑判決をだすなんて、今回の裁判員の方たちだって、一生わすれることができない辛い記憶になるだろう。
よく聞く説に、この制度によって裁判官の非常識をただし、一般人の常識を判決に反映するとかいうのがあるが(じゃあ、なぜ行政訴訟は裁判員裁判じゃないの?)、二審からは裁判員ぬきでやるのだから、今回の裁判長が控訴するようにと勧めたというのは、へんな話である。この勧めにはいろいろなことが言われているようだが、単純に裁判官が裁判員たちの心理的な負担を軽減しようと計ったのだろうと思っている。
裁判員のなかには辛かったけど、良い経験になったと言っている人もいるようだけど、この制度って裁判員の人生経験のためにやるものじゃないでしょう。また、これによって死刑制度の是非を本当に考えるためのきっかけになると言っている死刑反対派の人もいるが、きっかけだとしたら、今回裁判員となった人たちはとんだ貧乏くじを引いたものだ。それに、やっぱり人間っていざとならなければ本気にはなかなかならないからね。こんな死刑制度なんていう抽象的な事柄を、ひょっとして自分も裁判員になって死刑判決を出すかもなんていう程度の切迫感で、本気に考えなんかしないだろうと思う。
裁判員が、死刑制度があるからといって死刑判決を出したということを、ぼくはヘンな連想だが、戦場で人を殺した兵士と重ね合わせた。むろん乱暴な連想なのは承知の上だ、つっつき処はいくらでもあるだろう。でも、どちらも国家によって人を死なせることになるわけ。どちらも「死刑制度がある」と「殺さなければ殺される」という極限状態におかれているわけだし、それぞれの死に責任を持つべきは国家なんだけど、人間ってそんな単純じゃないから、その個人的な記憶は生涯にわたって、折に触れて思い出され、嫌な気分になることだろう。
まあ、思いつくままのメモなのでどんどん突っ込んでもらって結構です。
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