いや、暑い暑い、って言っていたら突然寒くなりましたね。なんだよ、秋がないじゃん。土曜日は恒例通勤自転車。こういうときは着るものに迷います。今朝は特に寒かったので、とりあえずレーサーパンツで下は我慢して、上をどうするか迷いましたね。
というわけで、久々に登場したのがこれ。

これが懐かしいという人は結構年季が入ってます。これは89年のスーパークリテ2で来日したジャン・マリー・ヴァンペルス

という選手の
パナソニックマイヨですね。どうしてウチにあるのかって??どうしてなんだろう?
第一回目のスーパークリテはこのブログを始めた頃に5回ぐらいに渡って書きましたが、この二度目については、例によってカメラも持って行かなかったし、ほとんど記憶が欠落しています。行ったことは間違いないんだけどねぇ。だれと行ったんだろう?どこで見たんだろう?なんとなくゴール近くで見ていたように思うんですけどねぇ。。。
88年のツールでデルガドと死闘を繰り広げたステファン・ロークス

なんてお気に入りの選手をすぐそばで見たら、TVで見ると華奢なのに、背中の筋肉が盛り上がってすごかったのを記憶してますし、だれかにもらったケリー

のサインもどこかにあるはずなんだけど、もう記憶が白濁状態。ただ、このころになるともうクリップ・ストラップのペダルはケリーだけだったですね、たしか。
たぶん第一回目よりも規制が厳しかったんだと思うんですよね。観客も第一回よりも多かったように記憶しているけど、なんか前世の出来事のよう。第一回ほどのインパクトがなかったということなのかなぁ。たしかメインのクリテリウムレースはエドヴィッヒ・ファン・ホーイドンク

が優勝したんじゃなかったかなぁ。フィニョン

とハンプステン

と三人でスプリントになった??
当時の雑誌がどこかにあるはずなので、いずれ見つけたらここにアップしておきましょう。いかんせん、今、本が置いてある部屋がぐちゃぐちゃなので、どこになにがあるかわかりゃしないんです。たしかハンプステンはここで初めてシマノのブレーキレバーででカチャカチャ変速するやつを使ったんじゃなかったかなぁ。
で、件のマイヨですが、このときは前回のようなオークションは開かれなかったので、たぶんウラから (-。-;) 回ってきたのだろうと思います。いや、悪いことはしてませんよ (^_^;) ホントだってばあ。
このマイヨの持ち主ヴァンペルスはこの89年のパリ~ルーベの優勝者です。当時日本でこの選手の名前を知っていた人なんてほとんどいなかったでしょう。一応胸にサインもあったんですけど、薄くなってしまってもうほとんどわかりませんね。

これと一緒に半袖とレーサーパンツも手に入れたんですが、いくらだったのかはまったく記憶にない。。。ぼくちゃんとお金払ったのかなぁ。。。

こちらはレーサーパンツ、もう腿の裾のゴムが劣化しています。こちらのサインはエリック・ファン・ランケル

という選手。こちらも翌年のLBLで優勝することになる選手ですが、まあ、当時の日本では誰も知りゃしません。


今日は下着の上に長袖のマイヨだけ着ていったんですけど、帰りは暖かになったので、長袖はちょっと厚かったですね。
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