少し前のコメント欄で話題になった昔の日本のスプリンター、長義和(ちょう・よしかず)。昨夜BSのNHKで日めくりカレンダー昭和55年というのを偶然見ていたら、この長さんが出てました。当時の映像なんかも含めてかなり長くやってましたね。長さん、泣いてましたね。長さんってたしか82年か83年の民放でやっていたツール・ド・フランス特番でも解説者として出ていて、なかなかダンディーな姿を披露していました。
このBS番組でも出てきましたが、1,2ヶ月まえだったか、朝日新聞(?)に現在こだわりのパン屋さんをやっている話が載ってましたよね?? あれ?それともひょっとしてサイスポの記事だったかなぁ?。。。うーん、探したけど見つからない。捨てちゃったかなぁ?ネットで調べると息子さんも同志社で自転車選手らしいです。
当時の「自転車競技マガジン」誌と深田祐介の「さらば麗しきウィンブルドン」で調べてみました。

あまり記録らしいものが残ってないのか、はっきり分からないのですが、晩年のモレロン

には何度か勝ってますね。特に77年のデンマークの国際大会ではモレロンを破って優勝してます。ちなみにモレロンはこの年を最後に引退し、80年にプロとして復帰しますが、世界戦で中野に敗れて3位。そこで本当に引退しました。この選手のすごさはネットで調べればいくらでも出てきますね。
長の一番大きな成績は76年のモントリオール・オリンピックの6位でしょう。私の手持ちの資料では、予選から詳しく分かるのは、これと78年の世界戦だけです。
まずモントリオール・オリンピックについて見てみましょう。一次予選をすんなり勝ち上がった長はベスト8決定でクラソフ

(71,74の世界2位)と対戦し、タイヤ一本という僅差で勝って、ベスト8入りします。しかし準々決勝ではゲシュケ

(この選手は翌年の世界チャンピオンで、モントリオールでは銅メダルでした)に歯が立たず、5位ー8位決定戦に回りました。これが4人一斉スタートの一発勝負。長以外はクラソフ、フレドボリィ

(前回オリンピックTT優勝)、ロッシ

(73,74世界3位、75世界2位)というそうそうたるメンツ。結果は長が予選で勝ったクラソフがトップでゴールし、長が三つどもえを制して2番目にゴール、オリンピックで6位入賞となりました。
78年の世界戦は一次予選でフランク・デピーヌ

に敗れ、敗者復活戦で勝ち上がって二次予選に進出するも、優勝するトカシュ

に破れ、再び敗者復活で勝ち上がって準々決勝で、今度は2位になるラーシュ

に負け。それまでトカシュ、ラーシュともに、長の対戦成績は1勝2敗だったので、勝ってもおかしくなかったのですが。。。準々の敗者復活でも、直前の英国グランプリで軽く一蹴していたポンテ

に負けてしまいます。この年の長は1kmのTTも自己記録にまったく及ばず、調子はあまり良くなかったようです。

© Im Glanz und Schatten des Regenbogens, ISBN 3-00-005315-8
真ん中のヒトラーみたいなのがトカシュ。すごい迫力です。左が2位のラーシュです。
その後、長は特に79年のモスクワ前年にはフランス・グランプリやイギリス・グランプリで3位や4位になっています。モスクワの優勝候補たち、コピロフ

、ヘスリッヒ

、ラーシュとの対戦成績はラーシュには勝てたが、他の二人とは「大接戦を繰り返している」という表現が上記の「さらば麗しきウィンブルドン」には出ています。順当に行けばこの3人を打ち破るのはかなり至難の業だったかも知れません。
長義和はモスクワオリンピックのボイコットで、柔道の山下、マラソンの瀬古、レスリングの高田などとともに、悲劇のアスリートとして有名になったのですが、その前の競輪選手になるかならないかの葛藤なども含めて、その不運な経歴は上の深田本に詳しいです。また、ネット検索してもいろいろ引っかかるでしょう。でもさすがに細かい成績はどこにも出ていません。たとえば、上記の長が3位になったイギリス・グランプリで優勝者は誰だったのか、予選の成績はどうだったのか。。。こういうアマチュア選手の成績ってどこかで一括管理してないのかなぁ??
他にも、世界戦に初出場することになったプロの中野浩一と修禅寺で練習試合した時には、まったく相手にしなかったことも先の本に出ていますね。少なくとも、中野が10連覇を始める前の時点では、「中野も長の敵ではなかった」(深田本)ようです。
さて、こんなことをネットで調べていると、右のリンクにある Memoire-du-cyclisme.net でこんなのに出くわしました。中野対東独勢です。コメントで Arturo さんが言っていたニューサイに載っていたっていう奴がこれですね。
1978年のGPパリです。優勝はルッツ・ヘスリッヒ、2位が上にも出てきたラーシュ、3位に中野となっています。
さらに81年のGPコペンハーゲンでは、今度は中野が優勝していますが、このレースは結果を見ると東独勢はおそらく出てませんね。
たしかに世界選手権ではありませんから、そこへのピーキングがどの程度気合いが入ったものだったかは分かりませんが。
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