多くのブロガーが書いているけど、はずかしいなぁ。ちょっと恥ずかしすぎる。こわもての平沼爺が「たちあがれにっぽん」って。なんかどうでも良いんだけどね。この名称を考えたのが例の、スポーツマンはみんな国を背負ってなければ駄目だなんて吠えているレイシスト都知事でしょう?イメージとしては、やっぱり「立つんだ!ジョー!」って奴でしょうね。立ち上がって何をするかって言えば、戦えっていうんでしょうね。だいたいこういう人たちって、自分は先頭に立たずに、安全な一番後ろから戦え!って叫ぶのが常ですからね。
しばらく笑えるなと思っていたら、
反戦な家づくりさんのサイト経由で、
某所で新党の名前は「たれぽん」だというすてきな命名をしている人がいるのを知りました。もうこのブログでこの党に触れることはないだろうけど、もし触れることがあったらこの名称を使うことにしましょう。
社会とか国とか、あまりに漠然として、個人ではつかみ所がないもののことを思うとき、ぼくは八尋光秀さんが書いている次の言葉をよく思い出します。
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社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間を排除する社会は、私たちに必要な社会ではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。/私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。< (句読点を多少変えてあります)
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