パリ~ニースは、コンタドールにあまり興味がないのでパス。
昨日は、15年ぶりか、もしかしたらそれ以上だと思うが、岩波ホールへ行ってきた。
岩波ホール今となってはちょっと恥ずかしいが、ここでは1990年ぐらいまではずいぶん映画を見た。最後にここで見た映画は韓国映画の「達磨はなぜ東へ行ったのか」だったと思う。それ以外にもここで見た映画は印象的なものが多かった。タルコフスキーという監督を知ったのもここだった。特に、「鏡」という映画についてはそのうち絶対にここに覚え書きを書いておきたいと思っている。顧みるに、結局タルコフスキーが死んだ頃から映画館で映画を見なくなってしまったなぁ。
さて、「海の沈黙」という1946年の映画。フランスがナチス・ドイツに占領され、ある館の二階がドイツ軍に接収される。やってきたドイツ人将校は貴族の音楽家で、フランス語を実に流ちょうにあやつり、館の住人の老人と美しい姪に、夜ごと自らのフランス文化に対する愛情と、ドイツとフランスの幸福な融合について語り続ける。なかでも、「美女と野獣」の話をフランスとドイツの比喩として語るシーンなどは非常に印象的。それに対して老人と姪は言葉を一言も発しない形で抵抗の意志を示すのである。
戦争が終わったばかりで、フランス国内では親ドイツだった人間が報復されていた時代。こんな時代に、こんな善意の敵の造形ができたことに、なにしろ驚いた。以後のこの種の映画でのドイツ人は冷酷無比で、ここに出てくる将校のような品の良さなどかけらも持ち合わせていない野蛮な連中だったのではないだろうか。劇の中盤に非常に印象的に描かれるバッハの平均律を演奏するドイツ人将校の姿など、この時代によく描けたと思う。
最後の姪のショールの絵柄がミケランジェロの天地創造の神とアダムの手。幸せな時代だったら恋人同士にだってなれたかもしれない姪と将校の、伸ばした互いの手は触れあうことはない。
カメラマンについてまで何か言えるほどの知識はないが、有名なアンリ・ドカエの撮影で、ドカエはこの直後に「恐るべき子供たち」(萩尾望都の漫画のほうが原作や映画よりおもしろかったなあ)もメルヴィル監督と撮っている。他にもトリュフォーの「大人はわかってくれない」や、ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、そしてなにより、個人的には高校時代に見て、いまだにもっとも好きな映画の一つの「シベールの日曜日」を撮っているカメラマン。
ただ、海の沈黙という題名だが、それを裏切るのはBGMのうるささ。それから説明的な老人のナレーション。それらを一切取り去った方が、老人と姪の沈黙が強調されたんじゃないのかなぁ。特に室内のシーンは静謐という言葉が似合いそうなのに、そこに劇的なBGMがかぶるのは、ちょっと興ざめの感じがした。
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