今回の主人公は日赤の従軍看護婦。途中ドイツが負けたとか沖縄戦が話題になるので、終戦までまだ二ヶ月はあるという時期のビルマが舞台。ラングーンからモールメンまでの退却行が描かれるのだが、実はこの小説を読むのにはずいぶん難渋した。どうもいまひとつ話に入っていけなかった。主人公が女だからだろうか?ビルマ人補助看護婦のマイチャンとの心理的なやり取り、逆説的な情愛に古処誠二らしさがよく出ているとは思う。
逆説的といえば、たとえば、「自分が苦しみたくないために捨てて行けと言う者もいれば、捨てて行けと告げることで相手を苦しめまいとする者もいる」(p.100)というような文章にこの人の特徴があり、このように二つのことを並列的に並べていく言い方をよくする。「敵影」では、そうした一種箴言じみた文言が実におもしろいと思った。今回は、そのやり方も含めて、あちこちに一種の日本人論のような警句じみた文言がはさまれるのだが、それにはちょっと違和感を感じた。その論旨に違和感なのではない。話のつながりの中で、そのようなうがった日本人論が出てくることに違和感を感じたということである。「敵影」での時代設定は戦後の収容所でのことで、戦時を振り返りながら、そうした言葉が違和感なく伝わってくるのだが、ここではまだ逃亡中で、そうした規定的な言い方が小賢しいものに感じられた。
そもそも、題名のメフェナーボウンがビルマ語の仮面の意味で、日本人のことを言っているわけだから、古処誠二の狙いが戦争を舞台に、日本人論を暗示したかったのかも知れない。
とりあえず、「ルール」以降の古処誠二の一連の戦争物を読んできて、読んだ順番というのも影響しているのだろうけど、個人的には「接近」「敵影」「ルール」、そして「線」がよかった。どれも、楽しく読めるものではないが、次回作を期待している。
おふざけ予想。次回作の主人公はきっと朝鮮半島出身の「日本兵」。短編集の「線」にも一篇あったが、古処がどう処理するか見てみたい気がする。
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