クリテリウムが終わり、果たしてお昼はどうしたのやら。記憶が欠落してます。ひょっとして、お昼休みの後にクリテリウムだったのかも知れません。
それはともかく、最後は招待選手のタイムトライアルでした。優勝したのはひとりファニーバイクで出走したモゼールで、3種目の総合でもモゼールの優勝。ただ、これは多分に最初から決まっていたのではないかなぁ。ひょっとしたらクリテリウムで最後にモゼールが逃げたのも、招待選手間ではすでに決まっていたとか。。。
なにしろ、こんな当時としては夢みたいな企画が通ったのは、少し前にモゼールが自分のブランドの自転車を宣伝するために来日したのがきっかけだったそうですから。そういえば、この少し前にはメルクスなんかもメルクスブランドの自転車宣伝のために来日しています。そうやって当時を振り返ってみると、85年にNHKがツールの放送をしたことで、連中としては、日本は新たな顧客開拓のための重要な国だったのかも知れません。
さて、このTTの写真ですが、これが普段カメラを手にしない者の悲しさ、まっとうに取れたものがほとんどありません。恥を忍んでごく一部のみアップしましょう。
モゼールです。この写真はまあほぼ真ん中に収まっていたのですが...

これがズーテメルク。ヨープーッと叫ぶとこちらを向いてくれました。この写真のように、おおむね左側で半身が切れているものばかりで、このズーテメルクはまだ良い方です。

こんなのになると、なにを撮っているんだかわからんですわ。左端にちょこっと写っているのは市川選手ですね。撮ろうとしていたのはそっちで、真ん中の影ではありませぬ。

これはジャン-リュック・ヴァンデンブラォク。惜しくも過日この世を去ったフランク・ヴァンデンブラォクの叔父さんですね。

ヴァンデンブラォク家はこのジャン-リュックと兄のジャン-ジャックがともにプロ選手になりましたが、戦績はこちらのジャン-リュックのほうが桁違いに残しています。兄のジャン-ジャックはプロ生活でついに勝利を挙げることができませんでした。そして月日がたち、この二人の息子がともにプロ選手になりました。フランクとジャン-デニスですが、この二人では、こんどはフランクが圧倒的。ジャン-デニスのほうが今度は1勝も挙げられずに選手生活を終えています。
しかしフランクは惜しいことをしたよなぁ。たしかにドーピングは大問題だけど、才能の点では叔父のジャン-リュックをしのぐものがあっただろうからねぇ。。。
さて、こちらはロッソーラ。「ロッソーラー」と叫んだら、ごらんの通りのポーズ。はなからやる気ないな、こいつ。

しかしロッソーラもやっぱり左側が切れています。とほほ。
最後におまけ。これは当時カメラ小僧だった若い友人が愛用の一眼レフで撮って、わざわざ焼き増ししてくれたもの。うーん。全然違う。。。

というわけで、すべてが終わり、選手たちは三々五々歩いて引き揚げていきます。手前はモゼールのアシスト役のコルティです。地味な選手ですが、1984年、クリケリオンが世界チャンピオンになったとき二位だったのがこの選手でした。

次回がこのテーマの最終回です。
懐かしのスーパークリテリウム87 最終回へ
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