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古処誠二について

2010.02.18.09:07

読んだ本について、以前はカッタルコフスキーのレビュー名でアマゾンにレビューを書いていたが、それをやめてここに覚え書きのようにしておこうと思う。これもこのブログを始めた理由の一つ。

ということで、まずはこのところ立て続けに読み続けてきた古処誠二の戦争物について覚え書きを書いておく。

まず、まくらである。私の義母は80を越えているが、沖縄の人でひめゆりの生き残りである。また、15年ほど前に他界した義父も沖縄戦で家族全員が行方不明になっている。しかし二人から詳しく戦時中の話を聞いたことはない。

沖縄戦を舞台にした古処の「接近」を読んだときには、ほとほと感心したし、感動したし、さらに「敵影」ではあちこちに現れる箴言風の言い回しをすばらしいと思った。その後、沖縄物から離れて「七月七日」と「分岐点」を読んだが、前二作の沖縄物に比べると文体も設定も筋もかなり粗っぽく、謎解きのために細部を犠牲にしているという印象を持った。なんとなくこちらも熱が冷めたかな、と思いつつ、そのあと、戦争物の最初の作品「ルール」を読んだ。

捕虜の米兵が日本語を理解するという設定や、思わせぶりな描写の多さ、さらに最後に現れる手っ取り早い「悪役」の存在に非常に不満を感じながら、出てくる死者たちをたんなる使い捨ての道具立てにしない誠実さを感じたし、そこがエンターテインメントへ転落しかねない危うさをかろうじてくい止めていると思った。特にナルカミ中尉の魂の最後の独白部分は衝撃を受けたし、しばらく涙が止まらなかった。読み終わり、65年前に実在したであろうたくさんのナルカミ中尉やヒメヤマ軍曹の霊が心安らかに成仏しますようにと、思わず手を合わせた。

たしかに実際に兵士として飢餓に苦しんだ大岡昇平の「野火」などとは比べようがない、そもそも同じ土俵には立てない。当たり前のことだ。

古処作品として最初に読んだのは短編集の「線」だった。ようやく戦争を体験した者や、体験者(親)から戦争の話を聞かされた僕らの世代とは別の、もっと若い世代の作家が、戦争をテーマにこれほど感動的な作品を書ける時代になったのだという気がした。太平洋戦争の時代設定による時代小説という印象を持った。江戸が年表の中の事実の羅列になった時代に、江戸時代を舞台にした時代小説を書くのを思い浮かべた。

そうして先週、沖縄物の三作目「遮断」を読んだ。設定も筋もかなり粗っぽく、途中にはさまる手紙の断片に騙されて、結末までたどり着くと、かなり無理な解決が待ち構えていた。登場人物も、川辺やチヨに、「ルール」の鳴神や姫山のような魅力が感じられない。チヨの狂気は清武に会えたことで回復したのかがよくわからないままだし、むしろ快復の新たな物語がその再会から始まるのではないのかという気がした。

こうしてみてくると、古処誠二の作品はテーマがテーマだけに、エンターテインメント性というか、推理小説じみた面が強く出過ぎているものは、ある意味でおもしろくない。だが、小説というのはある程度どれも推理小説じみた面がなければつまらない。ドストエフスキーだって、ある意味では推理小説仕立てだ。まだ読んでいない「メフェナーボウンのつどう道」がどんなものなのだろう。これについては読んだらまた書きたい。

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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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