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映画「おみおくりの作法」と新自由主義

2024.02.23.11:20

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この映画はもう6、7年前に夜中に一人で見てて、画面が暗転した後、顔を覆って泣きました。それについては書いたことがありますのでそちらで。

映画「おみおくりの作法」(ちょっとだけネタバレ)

で、昨日、友人から中古を手に入れたと連絡があったので、借りてきました。やっぱり最後は泣くしかないよね 笑)この映画はその最後だけ強調されてしまったようだけど、でもそこに至るまでの細部も実に上手くできています。据え置きカメラの映像が多く、同じシーンの繰り返しと、その静かな画面がこの映画を傑作にしていると思いますね。

でも、今回見てて、ああ、これはケン・ローチの社会批判に通じる背景があるんだ、と思いました。主人公は公務員だけど、地区の統廃合によってクビになる。また、フォークランド戦争後の復員兵たちのことが出てくる。

日本でも維新なんかがその典型だけど、公務員バッシングで公務員を減らせと言われて、今や非常勤職員の数が増えているそうだけど、結局行政サービスが減らされて、そのツケは住民が支払わされることになる。この映画でも、主人公は効率化のもとで死者の尊厳なんかどうでもいいと言われてしまう。

つまりこの映画はフォークランドも含め、「こっそり」サッチャー的新自由主義的効率優先社会を批判をしているんだね。その「こっそり」ぐあいは、最後の方で主人公が上司のアウディにおしっこをひっかけるのを遠くから写すような感じかな。


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映画「ラブレス」(2回目)

2024.02.18.01:13

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反プーチンの先頭に立っていたアレクセイ・ナヴァリヌイが殺された(と言っていいだろう)。権力者による政敵の殺害。これまでも歴史上何度も出てきたシーンだ。記事を見た瞬間、アメリカ映画のアンタッチャブルでショーン・コネリーが殺された知らせを受けたロバート・デニーロ演じるカポネがニヤッと笑うシーンがプーチンと被った。まあ、日本ではウラジミール、シンゾーと一緒に駆けて、駆けて、駆け抜けよう、とかポエムを言って国葬になった人もいたが。

で、思い出したのが、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「ラブレス」という映画。ズビャギンツェフは21年の夏にコロナに罹患して危篤状態のニュースを聞いて心配していましたが、少し前にどこかの映画祭で審査員だかの一人として登壇したというニュースを見て安心していたところでした。私は今生きている監督の中で一番、それもダントツで一番気になっている監督です。監督作品は5本しかないけど、すべてが桁外れの傑作だと思っています。映像の美と密度と間(ま)の凄さに息が止まりそうになります。でも、謎は謎のままだし、甘さが微塵もなく徹底的で、ユーモアのかけらもなく、見終わっての劇としてのカタルシスなんて微塵もない。ひたすらどうしようもない酷い話ばかりで、風景も寂しく暗く無惨としか言いようのない美しさ 苦笑)こんな映画を作る人とは友達になれないだろうなぁ。

この「ラブレス」についても、公開当時に書いてますが、今回見直してみました。この監督は間違いなく反プーチンなんですよ。それは特に「裁かれるは善人のみ」の中で、川縁でかつてのソ連の指導者たちの写真を自動小銃で撃つシーンではっきりわかります。そこにプーチンは出てこないけど、「新しいやつはもう少し壁にかけておいて熟成させてから撃つ」なんて、あまりに露骨なセリフがありますから。だから、ナヴァリヌイ暗殺のニュースですぐにこの人が思い浮かんだのでした。今、どこにいて、このニュースに何を思っているんでしょう。

「ラブレス」でも途中で反体制派の候補者の選挙資金が盗難にあったというラジオニュースが流れます。これはナヴァリヌイのことでしょう。それに続けて反体制派のボリス・ネムツォフのプーチンを批判する声明が出ます。このネムツォフも2015年にウクライナ介入に反対して暗殺されています。

そして最後はウクライナ東部での内戦とロシアの介入の2014年のテレビニュースが流れます。そのニュースはロシア側から見たウクライナ軍の非道を強調するもの。でも、間違いなくこのどうしようもないぐらい暗いやりきれないシーンでこのニュースが流れてくるのは、ズビャギンツェフ流の皮肉なんだろう。ラストも女はロシアナショナルチーム?のウィンドブレーカーを着こんでルームランナーに乗って走るが、すぐにやめてしまう。

この映画、冒頭とラストが同じ川縁の枯れ木の映像と、無茶苦茶カンに触る音楽で、離婚間近の夫婦が出てくるんだけど、これがもう信じられないぐらい憎み合っている夫婦。他人の前だろうとまるで構わず大喧嘩を始める。そして女の母親というのも、これがもうどうしようもないぐらい娘を憎んでいる。見た感じはかなり裕福な家族なんだけど、特に母親は中毒と言って間違いないぐらいスマホを見続けている。それぞれ愛人がいて、夫婦の間の12歳の少年は完全に邪魔者扱い。僕が男だからだろうけど、父親もひどいけど、母親がひどすぎるよね、と思ったけど、つれあいにこの映画見て感想を、と言う気にはなれないわあ 笑)

というわけでその少年が行方不明になるんだけど、警察もまるでいい加減で、ロシアの社会がかなり壊れているのがわかる。救いは民間のNPO?の救助隊(そんなものがロシアにはあるのね)。ボランティアなのに、親身になって、警察と連携しながら大人数で夜遅くまで捜索を、多分何日間もしてくれる。果たして子供は見つかるのか?

だけど、俳優もすごい。こんな演技できる俳優、日本にいないだろうなぁ。特にあのラスト10分前のシークエンスの母親も父親もものすごい。あれ演技じゃないだろ!

というわけで、ナヴァリヌイ暗殺から変なところへ来てしまったけど、夫婦の間がこんななのに、世界の平和なんて無理だわ、というのが、この映画のテーマなんだな。この夫婦はロシアという国の比喩なんだろうなぁ。そして子供は、文字通りロシア・ウクライナの子供なんでしょう。ラストシーンのルームランナーも「ロシア」が走り出して、でもルームランナーだから前に進まず、すぐにやめてしまう。徒労感。。。そんなふうに思ったのでした。


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サイレント映画「裁かれるジャンヌ」雑感

2024.02.14.12:46

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納戸から出てきた大昔の本の表紙に使われているのを見ても分かるように、映画史に燦然と輝く歴史的映画です。1928年のモノクロサイレント映画。監督はデンマークの・カール・テオ・ドライヤーです。この監督の映画は「吸血鬼」「怒りの日」について書いたことがあります。

この映画はたぶん1980年ごろに京橋にあったフィルムセンターで見たんだけど、ボロボロのフィルムの上映でした 笑)今回はスカパーのザ・シネマで数ヶ月前に録画しておいたのを、あるきっかけで見てみようと思ったのでした。いやぁ、リマスター版は綺麗です。こんな映画だったんだぁ 苦笑)

この映画なにがすごいかっていうと、ほとんどジャンヌダルクの裁判のシーンだけからなっているんですね。しかも異端審問官たちの宗教問答みたいな質問と、それに答えるジャンヌの顔のアップで描かれます。

審問官がジャンヌを魔女に仕立て上げるために、さまざまな罠が仕掛けられた質問をするわけです。ジャンヌが大天使ミカエルからお告げを聞いたと言うが、その姿はどうだったかとか、何を着ていたかとか、それは結局悪魔だったのではないかと、質問していく審問官たちの顔のボッシュの絵のような表情や、唾を飛ばす口元のアップに対して、ジャンヌは普通の顔をした短髪の女性です。それが真正面から撮られ、その表情の変化が実にすごい。言うなれば、疑い、希望、絶望、諦め、恐怖、陶酔、決断、後悔、煩悶とでも言うような感情が、表情につぎつぎに現れます。

たぶん映画の三分の一以上はジャンヌの顔を正面から撮ったアップだったんじゃないでしょうか。しかもその半分以上は涙が頬を伝わります。ジャンヌ・ダルクって甲冑を身に纏って旗と剣を持った美女のイメージで、後のイングリット・バーグマンがやったジャンヌ・ダルクのイメージ、最近だと、僕は見てないけど、リュック・ベッソンのミラ・ジョホヴィッチみたいな勇ましい感じを想像するけど、ここではスッピンの泣きながら震えているフツーの若い女性です。

しかも背景は白い壁の室内なので、見る方の目は顔のアップだけに集中することになります。また、アップ以外のシーンの画面の構図がやたら不安定な斜めの仰角だったりします。そしてラストは、それまで室内でアップばかりだったのに対して、ジャンヌの火刑に怒った群衆の暴動と兵士たちの鎮圧がバタバタとまるで違う映画のように描かれます。このドライヤーという監督、こういうのが好きなんだろうなぁ。「奇跡」という映画でも最後がそれまでの静謐な長いカットばかりだったのに、ラストで短いカットの連続になったような。それをポール・シュレイダー監督が「魂のゆくえ」のラストでなぞったという話を町山智浩が書いていたのをどこかで読んだことがあります。

そしてやたらリアル。ジャンヌの顔にハエが止まって、それを手で払ったりします。ラストの火炙りシーンは、「怒りの日」でもそうでしたが、ひどくショッキングです。

審問が終わって、ジャンヌは髪を切られるんですが、フラッシュバックのようにこれ見たことあるな、と思ったら、終戦直後のフランスでドイツ軍とつながりがあった女たちが頭を剃られるシーンが思い浮かびました。

ジャンヌは審問後に一回恐怖から自分が異端だったことを認めて、死刑が回避されます。しかし、それを一人の修道士の勧めで、すぐに撤回して、結局火刑になるわけです。ここで思い出したのが、「沈黙」やシュレンドルフ監督の「9日目、ヒトラーに捧げる祈り」、あるいはテレンス・マリック監督の「名もなき生涯」のことでした。

自分の信念のために死ぬかという問題ですね。ころんだ「沈黙」に対して、仲間の神父たちが殺されても、あるいはギロチンでおどされても、ジャンヌの場合は火炙りですからもっとこわかったでしょうけど、それでも死を恐れないって、立派なことなのか?? 

ジャンヌの場合は、しかも一度転んで異端を認めた後で、アントナン・アルトーという有名な文人俳優が演じる修道士が、異端を認めたことを撤回しろと迫り、それによってジャンヌは撤回・火刑になるわけで、こうなると、私の感覚では、本来のキリスト教の考えとは逆転して、この修道士こそ「沈黙」の井上様や「名もなき生涯」の弁護士みたいな誘惑者じゃないか!!と思いたくなっちゃいます 苦笑)

つまり、「沈黙」の井上様はロドリゴに絵踏をすれば命が助かると誘惑する。そしてロドリゴは棄教する。一方で「9日目」では親衛隊将校は主人公の神父に、ルクセンブルク大司教とナチスのとり持ちを条件に、収容所の神父たちを解放すると言い、「名もなき生涯」の弁護士はヒトラーへの形だけの忠誠を誓えば死なずに済むと主人公を誘惑する。だけど、どちらの主人公もそれを拒むわけです。で、ジャンヌは一度は異端を認めたのに、修道士がそれを撤回させた。。。形の上では「沈黙」の逆パターンか 笑)


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映画「蜘蛛巣城」

2024.02.07.11:14



昨日の昼間にNHKBSでやってました。いやぁ、画面も音声も聞き取りやすくなっていたけど、それでも三分の一は聞き取れなかったです 笑)この映画も三百人劇場の黒澤明の全貌と並木座で見てますが、2回とも、なにしろセリフが全く聞き取れなかったという記憶があります。特に妖婆(写真)のセリフは一言も聞き取れなかったと記憶してます。今回は三分の二は聞き取れました 笑)ただ、雰囲気がすごいんですよね。上記三百人劇場では、主だったものをほぼ全部見ましたが、そんな中でも個人的にはこの映画をかなり上位にランクづけしたものでした。

でもやっぱりすごいですね。能とか歌舞伎とか古典芸能の雰囲気、様式美を意識していて、霧の風景なんかは水墨画のイメージでしょうか? 思うのは、「乱」もそうだけど、シェークスピアの原作を実にうまく戦国時代の日本に取り込んでます。まあ、こんなこと当時からみんな言われていたことでしょうけど 苦笑)

今回見て、あっ、と思ったのは三船の旗印がムカデだったこと。それに対して千秋のほうはウサギ。あまりに露骨すぎるだろ! 黒澤明って親切すぎるんですよね 笑)「生きる」の伊藤雄之助も、私がメフィストフェーレスになりましょう、なんて説明しちゃってるし。。。苦笑)

黒沢って画面の中で人物をどう動かすかとかの様式美にこだわった人だと思うけど、「赤ひげ」以降はそれがあまりにわざとらしく感じられて、同時にやたらとベタベタのヒューマニズム、センチメンタリズムが鼻について、僕は「乱」以外はほぼどれも苦手です。だけど、この時代はそれがあまり気にならない。昨日見直しても、所作も動きも何度もリハーサルを繰り替えしてるんだろうと思わせましたが、晩年のものにくらべてあざとい感じがしませんでした。まあ、好みですけどね。


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七人の侍

2024.02.04.01:41

いやぁ、見る気はなかったのに、NHKのBSでやってたので、途中30分ぐらい過ぎてからでしたが見てしまいました。見出したらやめられず、もうあちこちで笑いながら泣いてました 笑) 

志村喬が格好いいのは当たり前だし、宮口精二もものすごい。だけど今回見て、たとえば宮口が、木村功が女と会っていたことを言わなかったことを、木村になぜ?と問われて、「言ってほしいのか?」と言うシーン。いやもうこのシークエンスは、思わず、宮口が言う前に、ひとりTV の前で「言ってほしいのか?」と、一人で笑い泣きしながら呟いてました。

ほかにも燃える水舎小屋の前で赤ん坊を抱きながら、三船が膝をついたところで、「こいつは俺だ!」と、これまた泣き笑いで呟いてました。誰も聞いてないんだけどね 笑)

左卜全なんて、僕がリアルタイムで知ってるのは「ずびずば〜」ってやってたちょっとボケた能面顔のお爺さんという印象だったけど、この映画ではものすごいです。野伏を竹槍で突き殺した時の顎がはずれそうな顔!!もうなんも言えんわ。

後半の戦いのシーンの、殺される側も殺す側も必死の緊張感、緊迫感は西部戦線異常なしの塹壕戦のときのようなリアルさがあるし、雨の中の決戦も、志村喬が弓を射るシーンの美しさなんか、もう涙ダダ漏れです 笑)

ただ、今回はタルコフスキーがこの映画を大好きだと言っていたんですよね。確かに「アンドレイ・ルブリョフ」の「襲撃」のエピソードには、七人の侍の影響が見られるのかなぁ、なんて思い出しながら見ていました。

この映画を初めて見たのは1970年代半ば。大学の学園祭で大講堂でやったのを見ました。その時は画像は粗いし、なにより音声がむちゃくちゃで、半分以上何を言ってるかわからなかったと言う記憶があります。ただ、それでもずいぶん感動しました。

当時黒澤明はTVでの放映を許可せず、見るチャンスはほとんどなかったんですよね。次に見たのはいつだろう、黒沢映画を初めてTVで放映したときか、それとも1983年に東京の巣鴨にあった三百人劇場であった黒澤明の全貌でだったか記憶は判然としません。

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他にも飯田橋の並木座で89年に見てるし、TVでも何度か見てると思うけど、もうどこで見たかとかは、もうわからないですね。(追記。飯田橋じゃないですね、銀座 苦笑)

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しかし、すごいねぇ。黒澤明の映画って、僕は「赤ひげ」からは、センチメンタリズムとべたべたのヒューマニズムに耐えられないんだよね。唯一「乱」だけは傑作だと思うけど、晩年の「まあだだよ」なんて、見てて痛々しくてね。辛いわ。

ただ、初期の映画はどれもすごい。「生きる」も「羅生門」も「どん底」も「蜘蛛の巣城」も「白痴」も「天国と地獄」も「野良犬」も「いきものの記録」も「酔いどれ天使」も「用心棒」も「椿三十郎」も「隠し砦の三悪人」も、うーん、他にもあったと思うけど、どれもすごいと思う。でもやっぱり「七人の侍」がナンバーワンかなぁ。

個人的には2位は「羅生門」、3位は「生きる」、4位は「蜘蛛の巣城」か「どん底」か。。。


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映画「葬送のカーネーション」

2024.01.15.22:50



最初と最後が同じシチュエーションで始まり、終わる。老人とその孫娘が、亡くなった老人の妻を故郷に埋葬するために、棺桶を持って国境を目指すロードムービー。孫娘の両親はどうしたのかとか、老人の妻がどうして亡くなったのかとか、そもそも老人がなぜトルコ語が話せないで、孫娘に通訳させているのかとか、映画の中では全く説明がない。孫娘がスケッチブックに描く絵で、ああ、なるほど、二人はおそらくシリアからの難民なのかとわかる程度。

変な連想だけど、棺桶を運ぶという話に、なぜかアキ・カウリスマキの「レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ」を思い出した。また、故郷へ戻るという設定に「わたしはダフネ」を思い出したり、ラストのシーンにはハネケの「愛・アムール」のラストと同じようなものを感じたりして、少しだけ泣いた 笑)

荒涼としたトルコ南東部の冬の景色のなか、老人と孫娘はほとんど話さない。なにしろ風景が枯れ草の丘陵地帯とか、干上がった池?とか雪だか霜だかがおりた草原とかで、空は灰色だし、老人の顔もかなりの陰気臭さで、孫娘もまるで笑わない硬い表情。彼らを助けてくれる人たちはみんな善意の人たちだけど、トルコの冬ってこんな寒々しいのね。なんとなくギリシャを舞台にしながら雪景色や、やっぱり荒涼とした風景ばかりだったテオ・アンゲロプロスの映画なんかも思い出した。そして、途中で出てくる夢のシーンのすごいインパクト。はい、僕は好きな映画です。たぶん、今週何度も思い出すでしょう。

ただ、最後の方で車の中で流れるラジオの「生に意味はない」とか延々というセリフは余計だと思った。それと、原題は「クローブをひとつまみ」、英語の題名は「クローブとカーネーション」だそうで、日本語の題名はちょっと失敗だとおもうなぁ。

今日の昼過ぎの回、お客さんは10人いたかなぁ 苦笑)


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映画「砂の器」 あれ??

2024.01.12.10:50

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この映画は1980年代かなぁ、映画館で観た。満員に近かったと思う。重厚な音楽に乗せて、日本の四季の中を父と子が遍路姿で放浪する有名なシーンで左右も前後もすすり泣いてて、もちろん僕も 笑) とどめのように加藤嘉が、「おらあ、こんな人しらねぇ」というシーンで決壊した。映画館であんなにボロボロになったのは他に思い出せない 苦笑)

その後も、なにかのTV番組でまだ存命中だった丹波哲郎が、捜査会議で思わず声を詰まらせるシーンについて、あのシーンはもう演技じゃないですよ、と言っていたのも覚えてる。いずれにしても、号泣映画の東の横綱だと思う。ちなみに西横綱はデシーカの「ひまわり」かなぁ?? 綺麗ない画像に綺麗な音楽で悲劇って黄金のマリアージュ 笑)

その後、新作で玉木宏が主演やったやつを見たけど、映画のポイントになるハンセン氏病の設定を別の理由にしたから、殺人の理由がまるで説得力がなくなってた。これは10年以上前に拙ブログで書いてました 笑) 

で、正月にTVでやった野村芳太郎の74年の映画を録画して、昨夜やっと見てみました。ところが、記憶とずいぶん違う。いやあ、実はこの数年、昔見た映画を見直すと、覚えていたシーンが違っていることがよくありました。スティーヴ・マックィーンの「ネバダ・スミス」のラストは、覚えていたのと違っていたし、先日見直したポール・ニューマンの「暴力脱獄」も、途中で足かせを黒人の少年が斧で切ってくれると思っていたのに、そうじゃなかったし。。。

で、この「砂の器」もどうやらずいぶんと僕の中で記憶の捏造というやつが行われていたようです。前半がもっと緻密だったような記憶があったんだけど、けっこう、というか、かなりアバウトです。つまり、中央線の窓から捨てられた紙切れか布切れかわからないものをわざわざ探し回るかなぁ。だって女がちぎった紙を電車の窓から飛ばしてたという新聞記事に、普通ピンとこないって。それを探し回ったって見つからないよ。この証拠品の場面はあまりに無理無理。

島田陽子がやった役も、ちょっとバーで接触しただけで怪しいとなるんだけど、それもどうなの? そしてトートツに感動的な捜査会議になるんだけど、ちょっと詰め方がご都合主義のように感じられてねぇ。。。

いや、久しぶりに見たお遍路のシーンから加藤嘉のシーンは、やっぱり泣かされましたが、丹波哲郎が声を詰まらせるシーンって、こんなもんだったっけ? なんか記憶の中では丹波哲郎がしばし黙ってから、声をもっと振り絞っていたと思っていたんだけど、そうでもなかった。

たしかに後半はすごいと思うけど、映画を全体として見ると、うーん、うーん。。。 笑)最初の映画館での体験が、長い年月の間にさまざまに理想化されてきたんでしょうね。というわけで、歳をとることはいろいろ面白いです。


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映画「ヒンターラント」

2023.09.15.22:34

傘を忘れて豪雨の中、新宿駅から100メートルぐらいのところにある映画館まででずぶ濡れになりました 笑)
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無声映画の大傑作というか、映画史を語る時に必ず最初の方で出てくる「カリガリ博士」の現代版という触れ込みに惹かれて見てきましたが、なるほど、映像的にはすごいです。背景の街の風景が、上の写真のように大きく歪んでいて、「カリガリ博士」の抽象的な背景を、リアルなウィーンの街にした感じです。ほとんどがブルーバックの合成だということですが。。。

だけど、背景の歪み以上に、画面の傾きが気になりましたね。普通の室内の風景でも、必ず画面が微妙に傾いていて、これだけでも不安感、不安定感が感じられます。それと画面がずっとセピア調のくすんだような暗い色合い。

時代は1920年後半。主人公は第一次世界大戦に出征して、ソ連に抑留後解放されてウィーンに戻ってきた、元敏腕刑事ペーター。この刑事役の俳優がトルコ系らしいんですが、ものすごい存在感のある顔で、むちゃくちゃ良いです。

その元刑事と一緒に復員してきた仲間たちが次々と殺されていく連続猟奇殺人事件が発生します。

オーストリアは現在ではほとんど存在感のない小国ですが 笑)中世以来、ハプスブルク大帝国だったわけで、ナポレオン以降落ちぶれつつあったとはいえ、第一次対戦前は、現在のポーランド南部からチェコスロバキア、ハンガリー、クロアチア、スロヴェニア、ウクライナやルーマニアの一部、イタリア北部等々を領土とする多民族国家として中部ヨーロッパの大国だったわけです。それが第一次大戦で中部ヨーロッパの領土をほぼ失い、皇帝も廃位、カトリックの信仰も揺らぐ状態になってしまった。

そうした大きな変化と不安の時代の雰囲気が、歪んだ建物や傾いた画像、暗い画面でうまく表されていました。どことなく以前3回にわたって紹介した「バビロン・ベルリン」の雰囲気があります。出てくる女優も同じだし。

映画としてとても面白かったです。主人公を同じにしてシリーズにできるんじゃないかとすら思いました。ただ、二箇所、どうもおかしなところがあります。一つはバウアーの射殺。もう一つは終盤のシュテファン大聖堂でのミサはどうなった?? 特にミサの方は、見終わってどうにも納得いかん。あの箱はどうなったの? 私なんか見落としてる?? 

というわけで、時代がとても気になる時代で、その意味でも面白かったし、雰囲気がとてもいい感じで、映画を見る楽しみは満喫しましたが、お話が破綻しているような気がするんですよねぇ。。。

***追記(9/15、22:45)
うーん、ひょっとして、シュテファンドームでの「箱」は嘘だったのかなぁ。。。そんな気がしてきました。これ以上書くとネタバレになるのでやめますが、そうだとしても、どうも納得できん!

***追記(9/15、23:15)
今、ネットで予告編を見てて、警視のヴィクトールという主人公の友人が出てくるんだけど、この人が最初に登場するシーンはものすごくいいシーンなんですよ。この人をもっと活躍させればよかったのに、という気がしてきました。前半のエピソードなんかも意味ありげなのになぁ。。。そういうわけで、映画を見る楽しさは90点ぐらいつけていいけど、お話としては60点かなぁ 笑)


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映画「独裁者たちのとき」覚書き

2023.08.10.14:24

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こんな時期なので、ロシア映画を観てきました。2022年の映画です。監督はソクーロフ。拙ブログでは何度も出てきていますが、直近では「モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ」で、2年ほど前でした。

それ以外にも90分ワンカットの「エルミタージュ幻影」とか、なんとも綺麗で魅力的な「ファウスト」もこの監督でした。

さて、今回の映画はヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、チャーチルの4人の独裁者が煉獄をうろついているという映画です。そして彼ら4人の映像はすべて実際の記録映像を抜き出して、いかにも煉獄の風景という感じの廃墟の版画?の前で、天国への門が開くのを待っているという話です。

ただ、話を説明するのは難しい。色々謎だらけです。冒頭、目覚めたスターリンの隣にキリストが横たわっていたりします。なんで? また、彼らは分身がたくさんいて、というか、たとえば普通の軍服を着たヒトラーの周りには背広姿のヒトラーや白い礼式用軍服?姿のヒトラー、革コートのヒトラーなどが一緒に写り込んでいます。4人ともそんな調子。

そしてお互いに他の連中を罵ったり、よくわからないセリフを言い合っていますが、会話していると言うわけではないようです。後半は版画の世界を抜けて霧の中のような森の中のようなところをうろつきます。森の中なのは、ダンテの「神曲」の、我、人生の半ばにして森に迷う、とかいう出だしのセリフをスターリンやムッソリーニが何度か口にするので、そのせいでしょう。彼らの足元には死体がゴロゴロしています。ときどきその死体が動いて、彼らを呪います。

そして黒い雲のような大群衆が波のようにうねり、バルコニーのようなところから彼らは身を乗り出して、群衆に答えますが、群衆が彼らを歓呼の声で迎えているのかどうかはよくわかりません。便座に座るヒトラーや男性用小便器の前に立っているチャーチルとか、以前ここでも紹介した「モレク神」という「人間」としてのヒトラーを描いた不思議な映画と同じように、独裁者たちもただの人間であるということなんでしょう。そして群衆の波を煽ったと同時に、逆に民衆の波に翻弄されたのが独裁者たちということなのかもしれません。

面白かったか?? いや、ストーリーないですし、現在の技術なら、合成はもっと上手くできそうだし、どこかチープな感じがないでもない。でも、いろんなことを考えさせられます。アジアの独裁者が出てこないのは煉獄っていう概念がないからかな、とか、プーチンのことは意識して作ってるんだろうな、とか。

拙ブログで取り上げるロシアの監督たち、このソクーロフも、ズビャギンツェフも、そしてすでになくなってしまったけど、アレクセイ・ゲルマンも、みんな反プーチンだって言うところに、少しだけホッとさせられます。


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映画「怪物」観てきました

2023.08.01.11:14

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いやあ、ネタバレしちゃあ絶対まずいです。と言いながら、ストーリーはネタバレしないようにしますが、これから書くのはある意味ネタバレに近いかなぁ。。。これから観るつもりの人は今回は読まない方がいいかも 笑)

すごい映画でした。三部構成の筋(ストーリー)がすごい。風景がすごい。俳優がすごい。安藤サクラ、永山瑛太、田中優子、そして子役の二人、特に小さい方。子役ってみててちょっとハラハラするんだけど、そういうところがまるでなかったです。

最初の30分ぐらい、ほとんど安藤サクラの一人舞台みたいで、まるで人形みたいな、生気のない永山瑛太と田中優子の首絞めてやりたい! と思ったんですが 笑) みごとにやられましたね。

最初の謎を後半に回収していくストーリーは、カンヌで脚本賞を取ったというのも納得でした。一方で見る前は全く気にしてなかったし、見始めてもすっかり忘れていたんですが、クィア賞も取ったというのは後半になってようやく思い出し、ああ、なるほどと思いました。

でも、僕が小学校ぐらいの時には、クラスの女の子より、むしろ男の子を好きになったけどね。なんて、問題発言か? 笑) たとえば、トーマス・マンの小説なんて、今の時代に読む人なんかほとんどいないんだろうけど、「トニオ・クレーガー」の気持ちは普通に共感できた。そういう人は珍しくなかったと思う。もっとも「ヴェニスに死す」だと、ひく人の方が多いかもしれないけど 笑)

さて、映画の題名だけど、「怪物だーれだ」に惑わされてはいけないと思う。視点を変えればそれぞれにそれぞれの言い分があるわけで、そういう意味では自分の視点だけでしか物事が見えないのに、相手の、あるいはその他の人たちの視点を無視して我を通そうとするのが「怪物」なのかなぁ、と思ったりしました。まあ、ある意味怪物だらけの「今」を明確に批判しているとも言えるでしょう。


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映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」(ネタバレなし)

2023.07.28.18:21

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暑い暑い新宿で先ほど観てきました。金曜日の12時半からの上映で、もっとガラガラかと思ったけど、20人ぐらい入ってましたかね。

原作のシュテファン・ツヴァイクの「チェスの話」はものすごく面白い小説です。だからこの映画、途中までは原作にない奥さんやゲシュタポの検事がでてきたり、友人が拷問で殺されたり、また特に隠しておいたチェスの本が見つかったりして、不満でした。

そもそも原作は最初、チェスの王者でありながら言葉すらまともに話せない無教養な男という魅力的な人物が出てきます。それが主人公かと思うと違っていて、チェスのコマに触るのは25年ぶりという男がそのチェスの王者と対等に戦い、その理由を「わたし」が聞くという結構になっています。

ウィーンの弁護士だった彼は、管財人として修道院の財産を管理していたんですが、それを奪おうとするゲシュタポの心理的拷問で、なにもない部屋に一人で閉じ込められて気が狂いそうになります。だけどチェスの本をうまく手に入れて、そこに出ていた150の歴史的な棋譜を丸暗記して、果ては自分を相手に頭の中でチェスをすることで名人級の腕になったわけですが、「チェス中毒」という狂気にも陥ってしまいます。

確かに原作はゲシュタポから逃れる経緯がちょっと都合良すぎるような気がしたし、最後のパニックはこういう終わり方にしてしまうのか、と思ったものでした。

だけど、映画では最後の方になると、この設定を崩して、ええっ?? と思うようなどんでん返し。原作の最後のパニックをこういうふうにしたのは、おおっ、と思いましたね。

最初は、原作が好きな小説だっただけに、あ〜あ、ちょっとやりすぎだろ、と思っていたんですが、見終わって、チェスの王者をあるものの象徴として描くところなんかは、なるほどなぁと思いました。でも、そこまででよかったと思うんだけどなぁ。。。最後の「カリガリ博士」を思わせるオチはどうなんでしょうねぇ 笑)


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映画「妖怪の孫」

2023.04.25.14:26



午前中の吉祥寺の映画館は、2割と言うところでしょうか。年齢層は、自分も含めて老人ばかりでした 笑)

しかし、一昨日の選挙で、日本の6割以上の人は日本が統一教会に乗っ取られようが、防衛費増強によって生活がキツくなろうが、原発事故で住めなくなろうが構わない、少なくとも今は構わないと思っているってことがわかっちゃいましたからね。

政治のやってきたことをまるで天変地異の避けようがないことのように見ている人が多数派なのかもしれません。そんな中で私が票を入れたれいわの候補者が当選したことは、市議会とはいえ、ほんの少し嬉しかったけど、、、

というわけでこの反アベ映画、安倍のやってきた印象操作と嘘と改ざんとゴリ押し、ヤクザや統一教会とのつながり、マスコミへの脅しの手口がよくわかります。本人がやってる感を醸しだすことこそ大事と言ったアベノミクスも、岸田があっさり失敗を認めちゃう。

しかし、冒頭安倍の献花に長蛇の列を作った人たち、安倍を対韓国で思いっきり持ち上げていた右翼の太ったおじさんらは、統一教会の韓国原理主義的反日傾向と自民党の繋がりを、どう折り合いつけてるんだろう? ホント、謎です。

途中顔を隠した官僚が語る「総理大臣のテロ」とか、マスコミの中にも二重スパイみたいなのがいて、リークするとそれを上司にチクるようなのがいるなんて話も、頭クラクラしました。

まあ、見ていて怒りがまた沸々と湧いてきましたわ。ただ、安倍の父方の祖父は戦時中大政翼賛会にも属さず清貧を貫いた平和主義者だったというのは、ちょっと驚きました。母方の妖怪・岸信介とは雲泥の差なのね。また、父親の晋太郎が下関のコリアンタウンの人たちの力になっていたっていうのも驚き。要するに安倍晋三ってのは妖怪に乗っ取られてしまったわけね。


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アルテミェフ逝去

2022.12.31.17:09

と、タイトル見ても誰だかわかる人ってあまりいないですよね。特に同じ日に亡くなったのがサッカーのペレだったり、建築家の磯崎新氏だったりで、それだけで新聞の1面に載るような人たちなので。だけど、僕としてはこの訃報がとても悲しい。

ソ連の作曲家です。映画音楽をメインに作曲して、特にタルコフスキーの中期の3本、「ソラリス」と「鏡」と「ストーカー」の音楽を担当した人でした。今はもうなくなってしまった WAVE というセゾン系のCD屋でこのCDを見つけたのは、たぶん1990年ごろだったと思います。

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今日の大晦日は久しぶりにこのCDをかけてみます。 rip.


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忍澤勉「終わりなきタルコフスキー」

2022.10.04.22:51

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この本、タルコフスキーの8本の映画を何度も見ている人じゃないと面白くないでしょう。でも、何度も見ている僕にとっては、ものすごく面白かったぁ!!!

著者はDVDやブルーレイで何度も繰り返し見直しているようで、僕のようにタルコフスキーの映画は映画館で見るという人間にとっては、たとえば「鏡」なんか映画館で20回近く見ていると思うけど手元のDVDは1回か2回見ただけという人間にとっては、これだけたくさん見てたのに、気がついてなかったことがまだまだあったのね、と驚かされました。最後のシーンで子供の頃の家は廃屋になっているというのは、全くそう思っていませんでした。なるほど、ただの材木が置いてあるんだ程度だったけど、あれは家が崩壊した跡ってことなんだね。

他にも特に最後のノスタルジアとサクリファイスについては、ずいぶんいろんなことを教えられたし、納得いくところも多かったです。「サクリファイス」で3人の男から贈り物をされるなんて、おおっ、と感心したし、ユロージヴィ(聖なる愚者)が一つの大きなモチーフだというのも我が意を得たりという気分でしたね。「僕の村は戦場だった」から「サクリファイス」まで、樹木で始まり樹木で終わる弱いつながりは、僕も以前、漱石の一連の小説に喩えたことがあります。

でもそれでも、あえて言わせてもらうと、うーん牽強付会だろ!と思うところもずいぶんありました。特にモチーフを強引に何かのイメージと結びつけてせつめいしちゃうのって、やっぱり映画が浅くなるような気がするんだけどなぁ。タルコフスキーの映画って、たとえば登場人物がやたらと転ぶんだけど、あれは何とかの意味があるのだと説明して、わかりたくなるんだけど、そうしちゃうとなんかつまらなくなってしまうような気がしてしょうがないんだなぁ。

他にも疑問に思うところがいくつもあった。「僕の村は戦場だった」のラスト、ホーリンは戦死したんだろうか? また、最後のところは死んだイワンの「夢」なんだろうか? 映画を作っているタルコフスキーの夢なんじゃないのか? なにより、そうかなぁ、と思ったのは「ソラリス」のラスト。あれってクリスは死んじゃってるの?? また「アンドレイ・ルブリョフ」のラストでユロージヴィの娘がもう一度姿を変えて現れると断言しているんだけど、そうかなぁ、あれは別人だと思うんだけどなぁ。なにかはっきりした根拠があるんだろうか?

でも、っとまたひっくり返すけど、やっぱり、タルコフスキー映画をずっと見てきた者として、ものすごく楽しい読書でした。タルコフスキーの映画8本は、すべて複数階数見ているという人にとって、「所感が同意であっても反発であっても、本書がそのための具」(著者あとがき)となるはずです。そういう人にとってはもう絶対に必読書です。

なるほど!と膝を打ったところも、我が意を得たり!と思ったところも、そして上記のように、え〜〜っ?? というところも全てひっくるめて、著者に大感謝!!


拙ブログでのタルコフスキーについて書いたエントリーをリンクしておきます。
地球が滅びるときに見ていたい映画(「鏡」について)
映画「惑星ソラリス」を見た
映画「鏡」を見た
映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)
映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)
映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)
タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他
タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」


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ゴダール逝去

2022.09.16.21:41

昨日のニュースだけど、映画についてもずいぶん書いた拙ブログとしては一言入れておこう。正直、あんまりゴダールの映画を面白いと思った記憶がないんだよねぇ。むろん「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」、他にも「アルファヴィル」とか「男と女のいる舗道」とか「軽蔑」とか、「ゴダールのマリア」とか、「パッション」とか、思いつくままに題名をあげてみたが、うーん、あまりはっきりと覚えているところがない。

特に「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は複数回見ているけど、どうも見ていて楽しくなかった。トリュフォーはまだ面白かったけど、ゴダールはどうも僕の感性に合わんな、ということだった。要するに画面から抒情性が感じられなくてね。SF映画の「アルファヴィル」も全然ダメだったなぁ。「ゴダールのマリア」なんか2部構成で1部はなんとかいう女流監督が撮って、2部はゴダールが撮ったという触れ込みだったけど、2部より1部の方が面白かった記憶がある。音楽に凝ったり、映像色彩に凝ったりしているのだろうけど、どうも僕には面白さがわからなかったなぁ。

というわけで、一応、映画についてもよく書くブログでもあるので、映画史に残るゴダールの死去を機会に書いておきます。しかし、自殺幇助制度なんてのがあるのね。現時点では日本でこんな制度はできませんように、と言っておきます。


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映画「マルケータ・ラザロヴァー」覚書き

2022.08.10.14:53



1967年のチェコの2時間45分の白黒映画です。13世紀のボヘミアが舞台。当時のこの地域って地主は盗賊みたいなもので、雪の多い寒い気候と狼だらけの森の中、汚い毛皮の服を身にまとい、城というより高台の廃屋みたいなところに住んでいて、王の外国人使節を襲って人質を取ったりして生活しています。

登場人物も入り組んでいて、途中で誰が誰だかわからなくなります。しかし、白黒の画面がとても綺麗です。フライヤーには「『アンドレイ・ルブリョフ』や『七人の侍』などと並び評され」とありますが、まあ、白黒の映像的には確かに方向性は似ているかなぁ。細部にこだわる大道具小道具の類も同じものを感じます。最初の方ではゲルマン監督の「神々のたそがれ」を思い浮かべたりしましたが、あそこまでぐちゃぐちゃではないですが 笑)

サイレント映画のような画面いっぱいの説明文が出てきて、この後のシークエンスが先に説明されるんですが、それでもなかなかストーリーがわかりづらいし、そもそも登場人物の見分けが、特に最初の方ではまるでつきません。もう一度見ればずいぶん違うのでしょう。ただ、もう一度行くかなぁ。。。??

BGMが結構すごくてグレゴリオ聖歌のような短旋律で、ヴォカリーズのようでありながら、明らかに歌詞があるところもあって、映像と明らかに関連していることを歌っているんじゃないかと思ったんですが、字幕がないので、実際はどうなのかわかりません。

中世のこの地域はキリスト教が人々の間に行き届いている時代ではないけど、立派な教会の修道院(これだけが唯一この映画の中で出てくる清潔感がある綺麗な場所です)が丘の上に聳えていたりします。主人公のマルケータもその修道院へ入ることになっていたんですが、隣の地主の盗賊騎士に攫われて暴行されたにも関わらず、互いに恋に落ちてしまうというのがメインのお話。

しかし、裏を読めばこの時代のキリスト教と土着の信仰のせめぎ合いなのかな、なんて思いました。途中に何度も出てきて、ナレーションと語り合う(?)乞食修道士も、キリスト教の教えに基づいて生活を送っているようには見えません。

たとえば、ベルイマンの「第七の封印」や「処女の泉」なんかも、キリスト教と土着の信仰の対立が出てきます。ただ、この二つの映画のベルイマンは、その後のベルイマンからは想像もつかないことですが、明らかにキリスト教信仰に肩入れしていますが。また、タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」にもキリスト教の教えに反する土着の乱行パーティーのようなシーンがあり、それは官憲によって取り締まられていました。

チェコ映画は以前ここでも紹介した「火葬人」(1968年)がものすごい映画で、いまでも時々思い出すような強烈なインパクトがありました。あの映画も今回のものもほぼ同じ時期の映画です。

この時期のチェコ映画はこの映画と同じ67年の映画で、アカデミー外国語作品賞をとったイジー・メンツェル監督の「厳重に監視された列車」という、艶笑譚のようなユーモラスな話が最後の5分で全部ひっくり返るような衝撃的な終わり方をする映画もありました。

他にも65年の「大通りの店」なんて、この時代の共産党政権のもとで、よくこんな話(ナチスに併合された時代にナチスに協力したチェコ人たちと無関心だった主人公)を映画にできたな、と思うような映画もあって、いわゆるチェコ・ヌーヴェルヴァーグの時代だったんですが、68年夏にワルシャワ条約機構軍が「プラハの春」を潰して、チェコ映画の春も終わってしまったのでした。

さて、個人的には好きなタイプの映画ですが、この暑いなか、すでに4回目のワクチンは打ったとはいえ、渋谷の照り返しのひどい中をもう一度見に行くというのは、うーむ、ちょっとなぁ。


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映画「さよなら、ベルリン」 (ネタバレなし)

2022.07.17.17:09

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見たのはほぼ1週間近く前。今年初めての映画館でした。お客さんは10人居なかったですねぇ 笑)

1931年ベルリン、大学を出てタバコ販売のコピーライターをしている作家志望の青年ファビアンが、法学士で映画会社で働きながら女優を夢見るコルネリアと恋人になる。映画を一言で言えば恋愛映画だ。ファビアンはとても善良なやつで、でも世渡りが下手だから仕事をクビになる。一方彼女の方はとんとん拍子で女優への道を駆け上がる。

ファビアンには親友がいる。大金持ちの息子で文学博士号を得ようとするラブーデ。二人はこのワイマール共和国末期、ナチス台頭期の怪しげな、爛熟したベルリンの街のキャバレーを夜な夜なうろつく。

拙ブログでも紹介した「バビロン・ベルリン」やライザ・ミネリ主演の映画「キャバレー」の時代だ。街のあちこちにナチのポスターと共産党の落書きがあるけど、映画の中では政治的な混乱はあまり描かれない。最後の方で大学が、徐々にナチのシンパや党員に乗っ取られていくのだろうということが少し暗示されるぐらいだ。

映画はいろんな伏線が貼ってあって、出だしからしてものすごくおしゃれ。現代のベルリンの地下鉄駅を移動撮影で通路を通って階段を上がると、そこは1931年のベルリン。この時代は、よく現代に通じるものがあると言われるし(監督もそれを意識していると言っている)、拙ブログでもなんとなくそういうイメージで書いたことがある。インフレと失業で貧富の差は広がり、社会は不寛容になるとともに閉塞感に満ちている。

こう書くと、たしかに現代に通じると思うけど、キャバレー文化の爛熟のイメージは、今の日本にはないような気がする。若い人たちはあんな自堕落でエロチックで活動的な生活を送っていないように思えるし(僕が知らないだけかもしれないけど)、あんなに活気があるようには思えない。

他にも街路で突然「つまずきの石」がアップになるシーンがある。これは20世紀末から始まったプロジェクトで、ナチスの時代に迫害されて殺された人たちが住んでいた家の前に埋め込まれた金色のプレートで、これも現在に繋がるイメージとして、わざわざアップにしたんだろう。なんとなくここで3年半前に紹介した「未来を乗り換えた男」を思い出していた。

あの映画では逆に現在のフランスで、ファシズム国家ドイツから亡命した難民の男女が、ドイツ軍が攻めてくるという情報に怯えながらメキシコへ亡命しようとする話でしたが、こちらは、街を行く人たちの服装や車は1930年ごろのものだけど、間に挟まれるのは白黒の当時の記録映像で、CGを使って当時の街並みを再現することはしないし、上記のように現在が紛れ込む。

他にも、何度も「泳ぎを習おう」というポスターが写るんだけど、これも最後になって伏線だったことがわかるし、途中友人のラブーデが銃口を覗き込むシーンがあるけど、これもある意味伏線だった。

所々に挟まる、ちょっと皮肉なナレーションがなかなかいい。ベルリンに来た母と別れる時に、ファビアンは20マルクをバッグにそっと入れておく。家に帰ると母が置いて行ったお土産の中に20マルク入っているのを見つける。やれやれという顔をするファビアンの顔に「数学的には差し引きゼロだが、優しさの方程式ではこの数字は残る」とかいうナレーションが被る。ラストは僕は好きなタイプだなぁ 笑) ファビアンが常に肌身離さなかったメモ帳が、ナチスの焚書の映像にかぶり、この後のベルリンがどうなっていくかが暗示されて終わる。


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佐藤忠男氏逝去

2022.03.22.00:01

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僕の映画の見方って、この人の影響が非常に大きかったと思う。この人の晩年の話は触れない。この人の「映画をどう見るか」で、映画は自惚れ鏡であるという説を読んで、それまで感じていたいろいろな違和感がすっと溶けたような気がした。まだ学生だったと思う。

たとえば、イタリアのネオレアリスモ映画。ナチスの支配下でイタリア人はすべてファシズムに抵抗していたかのような自己欺瞞を肯定してしまう映画のありようを、批判的に見る目ってすごいな、と思った。また傑作「自転車泥棒」の解釈に、映画ってこうやって見るんだ!!と目を開かされた思いだった。

「映画子ども論」は、その後古本屋で見つけたものだけど、これはタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」の詳細な解説が載っていて、この本を読んだときはまだ見てなかったと思うんだけど、その後映画を見てから読み直したし、繰り返し読んだ。同じことは「映画をどう見るか」でもタルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」について解説されていて、これも当時はむろん見てなかったけど、その後見てから読み直したし、やっぱり繰り返し読んだ。当時はまだビデオ屋も存在してなかったから、見たことのない映画のことを読んで、想像を膨らませていたし、実際に見た時の気持ちも、今とはずいぶん違っていただろうと思う。

多分この人の本を読んだせいで、ヨーロッパ映画などハリウッド以外の映画に興味を持つようになったんだと思う。「ヨーロッパ映画」は辞書のように使ったし、「映画で世界を愛せるか」では欧米以外の映画についていろいろ教えてもらった。

ただ、これらの本を読んだのは、どれも20世紀の話だ。このところすっかり忘れていたけど、でも僕の映画の見方の原点は佐藤忠雄の映画うぬぼれ鏡論だと思う。そして、その影響は映画だけではない。

合掌


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TVドラマ「相棒」、初めて見た

2022.01.03.13:11

正月早々、この水谷豊主演の刑事ドラマがあちこちで話題になっていたので、たまたま娘が予約録画していたので見せてもらった。このTVドラマを見るのは初めて。

なるほど、最後は映画「新聞記者」http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3525.htmlみたいに、実際の政治や社会の出来事を暗示させるような台詞があって面白かった。特に最後の水谷豊の大物政治家を一刀両断にする台詞がたいへんな迫力だった。

「彼らはあなた方のように何かあればすぐに病院の特別室に入れるわけではない」なんて台詞は、即座に橋下徹とか石原なんとかを連想させるし、「あなた方にとって低賃金で働く労働者は国民ではなく物というわけですか」なんていうのも、今の政治状況をちょっと冷静に見れば、政府が国民のことなんかまるで考えてないことはコロナ対策やオリパラの強行開催でわかったはずだ。

「12歳の少年が何もかも受け入れて、諦めてこの世は自己責任だという。困ったときに助けを求めることすら恥ずかしいことだと思い込まされている。それが豊かな国、公正な社会と言えるでしょうか」なんて、少し前の自民党の片山某や青山某なんている議員たちがさんざん煽ったことを思い出させる。

そもそもが20世紀には存在しなかった「自己責任」という言葉。この言葉が大嫌いだとは、説ブログでは散々繰り返してきた。http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2860.html

だけど、この言葉って相変わらず大きな力を持っていることは、この前の選挙で、まさにこの言葉を体現しているような政党の「維新」が躍進したことからもはっきりわかる。同時に、この言葉は決して人々の間から自然発生的に出てきて広まった言葉ではなく、まずはイラク人質事件のときの役人や政治家やマスコミから出てきたものだろう。むろんそこには新自由主義とかネオリベと呼ばれる経済優先の、金儲けのためには法律を変えることすらするような権力者たちのやり方が反映されていたんだろう。

「自分達の利益しか考えない愚かな権力者たちがこのような歪んだ社会を作ったんですよ」というセリフも、普段から山本太郎の街宣なんか聞いてて、政治が社会と、そしてひいては個人の生活と直結していることを意識していれば、納得いくセリフだ。脚本は太田愛という人で、この人の「天空の葦」という小説の噂は少し前から聞いていて、読んでみようと思っているところだった。

だけど、確かに水谷豊の最後のシーンはすごいセリフだし、格好も良いし、カタルシスを感じさせはするんだけど、だけどなんかガス抜きみたいになってしまって、現実の政治に対する怒りにまでつながっていくのかなぁ。。。

まあ、もちろんTVドラマ(にかぎらずアートや芸術)にそこまで求めるのはどうなのか、とも思うけどね。それと、ドラマの雰囲気としてどうもあちこちの一瞬のおふざけが過ぎるような気もする。緊張感がどこか足りない気がするんだけど。。。まあ、これは僕の好みの問題かもしれないけどさ。なんか最後の子供の母親の改悛ぶりも、見ていてこそばゆい。お子ちゃま向けのドラマという感じがもろに前面に出ている。まあ、個人的にも、こうしたスカッとして終わりってのがね、あまり好きではないんだよね 苦笑)


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映画「ユダヤ人の私」

2021.12.06.23:10

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岩波ホール、平日の午前の部は20人ぐらいでした 笑)

以前書いた「ゲッベルスと私」のシリーズ第二弾。前作はナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書をしていた女性が100歳を過ぎてインタビューに答えたものだったのに対し、今回のはナチスに追われ、アウシュヴィッツを始め4つの収容所で6年かを生き抜いたオーストリア、ウィーンのユダヤ人の男性が、前作の女性と同様100歳を超えてインタビューに答えたもの。

前作とおなじく、カメラは固定で黒い背景を前に老人が語る姿を写し続ける。音楽もナレーションもインタビュアーのセリフもないのも、インタビューの合間に当時の記録映像などが挟まれるのも前作と同じ作りです。

今回はオーストリアの状況がメイン。オーストリアは現在では永世中立国だし、音楽の宮古ウィーンを首都にした小国で、平和国家のイメージがあるかもしれない。だけどナチスによるオーストリアの併合、いわゆるアンシュルスについては村上春樹の小説「騎士団長殺し」にも出てくるけど、これはオーストリアでは99%のオーストリア人(ユダヤ系は除く)が併合に賛成した。これは以前紹介したテレンス・マリックの映画「名もなき生涯」の主人公が村で唯一併合に反対するという設定でした。

オーストリアは戦後はナチスによって侵略されたと称して、自分たちが率先して行ったユダヤ人迫害などの悪事には頰被(ほおかむ)りを決め込んだわけです。しかも、終戦後の最初の大統領となった左翼の政治家すら、収容所から解放されたユダヤ人たちが首都ウィーンに戻ってくることを禁じていて、明らかにナチでなくても、またナチの後も、反ユダヤ主義を完全払拭できてなかったことがわかります。

インタビューでも怒りを込めて語られますが、収容所で8歳から12歳の子供を集めて授業をしていたユダヤ人は戦後ビルの管理人として働いたが、そのビルを所有する大会社の重役には元SSが収まっていたそうです。

洋の東西を問わず、本来戦争責任を問われるべき人間たちが戦後、平和な時代になっても良い地位を占めたわけ。例えば日本ならA級戦犯の岸(安倍の祖父)が首相になり、オーストリアではナチス突撃隊将校で、ユーゴで残虐行為に関与した疑いがあったクルト・ワルトハイムが大統領になったように。

今回の主役男性は長年オーストリアで講演活動を続けてきた人だそうで、前回のゲッベルスの秘書の女性のような、言い淀んだり、沈黙が続いたりという、見ていてハラハラするようなところはなかったですね。その意味では映像として、前作の方が面白かったかなぁ。


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プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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