fc2ブログ
2022 07 << 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>> 2022 09

映画「マルケータ・ラザロヴァー」覚書き

2022.08.10.14:53



1967年のチェコの2時間45分の白黒映画です。13世紀のボヘミアが舞台。当時のこの地域って地主は盗賊みたいなもので、雪の多い寒い気候と狼だらけの森の中、汚い毛皮の服を身にまとい、城というより高台の廃屋みたいなところに住んでいて、王の外国人使節を襲って人質を取ったりして生活しています。

登場人物も入り組んでいて、途中で誰が誰だかわからなくなります。しかし、白黒の画面がとても綺麗です。フライヤーには「『アンドレイ・ルブリョフ』や『七人の侍』などと並び評され」とありますが、まあ、白黒の映像的には確かに方向性は似ているかなぁ。細部にこだわる大道具小道具の類も同じものを感じます。最初の方ではゲルマン監督の「神々のたそがれ」を思い浮かべたりしましたが、あそこまでぐちゃぐちゃではないですが 笑)

サイレント映画のような画面いっぱいの説明文が出てきて、この後のシークエンスが先に説明されるんですが、それでもなかなかストーリーがわかりづらいし、そもそも登場人物の見分けが、特に最初の方ではまるでつきません。もう一度見ればずいぶん違うのでしょう。ただ、もう一度行くかなぁ。。。??

BGMが結構すごくてグレゴリオ聖歌のような短旋律で、ヴォカリーズのようでありながら、明らかに歌詞があるところもあって、映像と明らかに関連していることを歌っているんじゃないかと思ったんですが、字幕がないので、実際はどうなのかわかりません。

中世のこの地域はキリスト教が人々の間に行き届いている時代ではないけど、立派な教会の修道院(これだけが唯一この映画の中で出てくる清潔感がある綺麗な場所です)が丘の上に聳えていたりします。主人公のマルケータもその修道院へ入ることになっていたんですが、隣の地主の盗賊騎士に攫われて暴行されたにも関わらず、互いに恋に落ちてしまうというのがメインのお話。

しかし、裏を読めばこの時代のキリスト教と土着の信仰のせめぎ合いなのかな、なんて思いました。途中に何度も出てきて、ナレーションと語り合う(?)乞食修道士も、キリスト教の教えに基づいて生活を送っているようには見えません。

たとえば、ベルイマンの「第七の封印」や「処女の泉」なんかも、キリスト教と土着の信仰の対立が出てきます。ただ、この二つの映画のベルイマンは、その後のベルイマンからは想像もつかないことですが、明らかにキリスト教信仰に肩入れしていますが。また、タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」にもキリスト教の教えに反する土着の乱行パーティーのようなシーンがあり、それは官憲によって取り締まられていました。

チェコ映画は以前ここでも紹介した「火葬人」(1968年)がものすごい映画で、いまでも時々思い出すような強烈なインパクトがありました。あの映画も今回のものもほぼ同じ時期の映画です。

この時期のチェコ映画はこの映画と同じ67年の映画で、アカデミー外国語作品賞をとったイジー・メンツェル監督の「厳重に監視された列車」という、艶笑譚のようなユーモラスな話が最後の5分で全部ひっくり返るような衝撃的な終わり方をする映画もありました。

他にも65年の「大通りの店」なんて、この時代の共産党政権のもとで、よくこんな話(ナチスに併合された時代にナチスに協力したチェコ人たちと無関心だった主人公)を映画にできたな、と思うような映画もあって、いわゆるチェコ・ヌーヴェルヴァーグの時代だったんですが、68年夏にワルシャワ条約機構軍が「プラハの春」を潰して、チェコ映画の春も終わってしまったのでした。

さて、個人的には好きなタイプの映画ですが、この暑いなか、すでに4回目のワクチンは打ったとはいえ、渋谷の照り返しのひどい中をもう一度見に行くというのは、うーむ、ちょっとなぁ。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト



映画「さよなら、ベルリン」 (ネタバレなし)

2022.07.17.17:09

IMG_5964.jpg


見たのはほぼ1週間近く前。今年初めての映画館でした。お客さんは10人居なかったですねぇ 笑)

1931年ベルリン、大学を出てタバコ販売のコピーライターをしている作家志望の青年ファビアンが、法学士で映画会社で働きながら女優を夢見るコルネリアと恋人になる。映画を一言で言えば恋愛映画だ。ファビアンはとても善良なやつで、でも世渡りが下手だから仕事をクビになる。一方彼女の方はとんとん拍子で女優への道を駆け上がる。

ファビアンには親友がいる。大金持ちの息子で文学博士号を得ようとするラブーデ。二人はこのワイマール共和国末期、ナチス台頭期の怪しげな、爛熟したベルリンの街のキャバレーを夜な夜なうろつく。

拙ブログでも紹介した「バビロン・ベルリン」やライザ・ミネリ主演の映画「キャバレー」の時代だ。街のあちこちにナチのポスターと共産党の落書きがあるけど、映画の中では政治的な混乱はあまり描かれない。最後の方で大学が、徐々にナチのシンパや党員に乗っ取られていくのだろうということが少し暗示されるぐらいだ。

映画はいろんな伏線が貼ってあって、出だしからしてものすごくおしゃれ。現代のベルリンの地下鉄駅を移動撮影で通路を通って階段を上がると、そこは1931年のベルリン。この時代は、よく現代に通じるものがあると言われるし(監督もそれを意識していると言っている)、拙ブログでもなんとなくそういうイメージで書いたことがある。インフレと失業で貧富の差は広がり、社会は不寛容になるとともに閉塞感に満ちている。

こう書くと、たしかに現代に通じると思うけど、キャバレー文化の爛熟のイメージは、今の日本にはないような気がする。若い人たちはあんな自堕落でエロチックで活動的な生活を送っていないように思えるし(僕が知らないだけかもしれないけど)、あんなに活気があるようには思えない。

他にも街路で突然「つまずきの石」がアップになるシーンがある。これは20世紀末から始まったプロジェクトで、ナチスの時代に迫害されて殺された人たちが住んでいた家の前に埋め込まれた金色のプレートで、これも現在に繋がるイメージとして、わざわざアップにしたんだろう。なんとなくここで3年半前に紹介した「未来を乗り換えた男」を思い出していた。

あの映画では逆に現在のフランスで、ファシズム国家ドイツから亡命した難民の男女が、ドイツ軍が攻めてくるという情報に怯えながらメキシコへ亡命しようとする話でしたが、こちらは、街を行く人たちの服装や車は1930年ごろのものだけど、間に挟まれるのは白黒の当時の記録映像で、CGを使って当時の街並みを再現することはしないし、上記のように現在が紛れ込む。

他にも、何度も「泳ぎを習おう」というポスターが写るんだけど、これも最後になって伏線だったことがわかるし、途中友人のラブーデが銃口を覗き込むシーンがあるけど、これもある意味伏線だった。

所々に挟まる、ちょっと皮肉なナレーションがなかなかいい。ベルリンに来た母と別れる時に、ファビアンは20マルクをバッグにそっと入れておく。家に帰ると母が置いて行ったお土産の中に20マルク入っているのを見つける。やれやれという顔をするファビアンの顔に「数学的には差し引きゼロだが、優しさの方程式ではこの数字は残る」とかいうナレーションが被る。ラストは僕は好きなタイプだなぁ 笑) ファビアンが常に肌身離さなかったメモ帳が、ナチスの焚書の映像にかぶり、この後のベルリンがどうなっていくかが暗示されて終わる。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

佐藤忠男氏逝去

2022.03.22.00:01

IMG_5498.jpg


僕の映画の見方って、この人の影響が非常に大きかったと思う。この人の晩年の話は触れない。この人の「映画をどう見るか」で、映画は自惚れ鏡であるという説を読んで、それまで感じていたいろいろな違和感がすっと溶けたような気がした。まだ学生だったと思う。

たとえば、イタリアのネオレアリスモ映画。ナチスの支配下でイタリア人はすべてファシズムに抵抗していたかのような自己欺瞞を肯定してしまう映画のありようを、批判的に見る目ってすごいな、と思った。また傑作「自転車泥棒」の解釈に、映画ってこうやって見るんだ!!と目を開かされた思いだった。

「映画子ども論」は、その後古本屋で見つけたものだけど、これはタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」の詳細な解説が載っていて、この本を読んだときはまだ見てなかったと思うんだけど、その後映画を見てから読み直したし、繰り返し読んだ。同じことは「映画をどう見るか」でもタルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」について解説されていて、これも当時はむろん見てなかったけど、その後見てから読み直したし、やっぱり繰り返し読んだ。当時はまだビデオ屋も存在してなかったから、見たことのない映画のことを読んで、想像を膨らませていたし、実際に見た時の気持ちも、今とはずいぶん違っていただろうと思う。

多分この人の本を読んだせいで、ヨーロッパ映画などハリウッド以外の映画に興味を持つようになったんだと思う。「ヨーロッパ映画」は辞書のように使ったし、「映画で世界を愛せるか」では欧米以外の映画についていろいろ教えてもらった。

ただ、これらの本を読んだのは、どれも20世紀の話だ。このところすっかり忘れていたけど、でも僕の映画の見方の原点は佐藤忠雄の映画うぬぼれ鏡論だと思う。そして、その影響は映画だけではない。

合掌


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

TVドラマ「相棒」、初めて見た

2022.01.03.13:11

正月早々、この水谷豊主演の刑事ドラマがあちこちで話題になっていたので、たまたま娘が予約録画していたので見せてもらった。このTVドラマを見るのは初めて。

なるほど、最後は映画「新聞記者」http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3525.htmlみたいに、実際の政治や社会の出来事を暗示させるような台詞があって面白かった。特に最後の水谷豊の大物政治家を一刀両断にする台詞がたいへんな迫力だった。

「彼らはあなた方のように何かあればすぐに病院の特別室に入れるわけではない」なんて台詞は、即座に橋下徹とか石原なんとかを連想させるし、「あなた方にとって低賃金で働く労働者は国民ではなく物というわけですか」なんていうのも、今の政治状況をちょっと冷静に見れば、政府が国民のことなんかまるで考えてないことはコロナ対策やオリパラの強行開催でわかったはずだ。

「12歳の少年が何もかも受け入れて、諦めてこの世は自己責任だという。困ったときに助けを求めることすら恥ずかしいことだと思い込まされている。それが豊かな国、公正な社会と言えるでしょうか」なんて、少し前の自民党の片山某や青山某なんている議員たちがさんざん煽ったことを思い出させる。

そもそもが20世紀には存在しなかった「自己責任」という言葉。この言葉が大嫌いだとは、説ブログでは散々繰り返してきた。http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2860.html

だけど、この言葉って相変わらず大きな力を持っていることは、この前の選挙で、まさにこの言葉を体現しているような政党の「維新」が躍進したことからもはっきりわかる。同時に、この言葉は決して人々の間から自然発生的に出てきて広まった言葉ではなく、まずはイラク人質事件のときの役人や政治家やマスコミから出てきたものだろう。むろんそこには新自由主義とかネオリベと呼ばれる経済優先の、金儲けのためには法律を変えることすらするような権力者たちのやり方が反映されていたんだろう。

「自分達の利益しか考えない愚かな権力者たちがこのような歪んだ社会を作ったんですよ」というセリフも、普段から山本太郎の街宣なんか聞いてて、政治が社会と、そしてひいては個人の生活と直結していることを意識していれば、納得いくセリフだ。脚本は太田愛という人で、この人の「天空の葦」という小説の噂は少し前から聞いていて、読んでみようと思っているところだった。

だけど、確かに水谷豊の最後のシーンはすごいセリフだし、格好も良いし、カタルシスを感じさせはするんだけど、だけどなんかガス抜きみたいになってしまって、現実の政治に対する怒りにまでつながっていくのかなぁ。。。

まあ、もちろんTVドラマ(にかぎらずアートや芸術)にそこまで求めるのはどうなのか、とも思うけどね。それと、ドラマの雰囲気としてどうもあちこちの一瞬のおふざけが過ぎるような気もする。緊張感がどこか足りない気がするんだけど。。。まあ、これは僕の好みの問題かもしれないけどさ。なんか最後の子供の母親の改悛ぶりも、見ていてこそばゆい。お子ちゃま向けのドラマという感じがもろに前面に出ている。まあ、個人的にも、こうしたスカッとして終わりってのがね、あまり好きではないんだよね 苦笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「ユダヤ人の私」

2021.12.06.23:10

IMG_4624.jpg

岩波ホール、平日の午前の部は20人ぐらいでした 笑)

以前書いた「ゲッベルスと私」のシリーズ第二弾。前作はナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書をしていた女性が100歳を過ぎてインタビューに答えたものだったのに対し、今回のはナチスに追われ、アウシュヴィッツを始め4つの収容所で6年かを生き抜いたオーストリア、ウィーンのユダヤ人の男性が、前作の女性と同様100歳を超えてインタビューに答えたもの。

前作とおなじく、カメラは固定で黒い背景を前に老人が語る姿を写し続ける。音楽もナレーションもインタビュアーのセリフもないのも、インタビューの合間に当時の記録映像などが挟まれるのも前作と同じ作りです。

今回はオーストリアの状況がメイン。オーストリアは現在では永世中立国だし、音楽の宮古ウィーンを首都にした小国で、平和国家のイメージがあるかもしれない。だけどナチスによるオーストリアの併合、いわゆるアンシュルスについては村上春樹の小説「騎士団長殺し」にも出てくるけど、これはオーストリアでは99%のオーストリア人(ユダヤ系は除く)が併合に賛成した。これは以前紹介したテレンス・マリックの映画「名もなき生涯」の主人公が村で唯一併合に反対するという設定でした。

オーストリアは戦後はナチスによって侵略されたと称して、自分たちが率先して行ったユダヤ人迫害などの悪事には頰被(ほおかむ)りを決め込んだわけです。しかも、終戦後の最初の大統領となった左翼の政治家すら、収容所から解放されたユダヤ人たちが首都ウィーンに戻ってくることを禁じていて、明らかにナチでなくても、またナチの後も、反ユダヤ主義を完全払拭できてなかったことがわかります。

インタビューでも怒りを込めて語られますが、収容所で8歳から12歳の子供を集めて授業をしていたユダヤ人は戦後ビルの管理人として働いたが、そのビルを所有する大会社の重役には元SSが収まっていたそうです。

洋の東西を問わず、本来戦争責任を問われるべき人間たちが戦後、平和な時代になっても良い地位を占めたわけ。例えば日本ならA級戦犯の岸(安倍の祖父)が首相になり、オーストリアではナチス突撃隊将校で、ユーゴで残虐行為に関与した疑いがあったクルト・ワルトハイムが大統領になったように。

今回の主役男性は長年オーストリアで講演活動を続けてきた人だそうで、前回のゲッベルスの秘書の女性のような、言い淀んだり、沈黙が続いたりという、見ていてハラハラするようなところはなかったですね。その意味では映像として、前作の方が面白かったかなぁ。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」ネタバレだけどなにか?

2021.11.30.18:13



レオナルド・ダ・ヴィンチは高校時代にNHKで「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」というドラマに夢中になりました。このドラマを書籍化したものも手元にあります。これについては以前拙ブログにも書いたことがありましたhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1076.html

2005年に日本円にして13万円で落札されたボロボロの絵画が、2017年には500億円以上になって、絵画オークションで史上最高値で落札されます。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされるキリストの肖像「サルヴァトール・ムンディ」。そこに至るまで、そして落札後現在に至るまでを追ったドキュメンタリーですが、おもしろかったあ。

なにしろ17、8世紀ごろにはイギリス王室に存在(財産目録にある)していたことは確かだけど、その後100年以上どこにあったか不明だった絵で、そもそもこの絵がイギリス王室のものと同一かどうかもわからない。また13万で落札された時は5つに割れていたそうで、その後アメリカの修復家が修復したけど、その修復の仕方もヨーロッパの専門家からは批判されます。そもそもそれ以前にも(仮にこれがレオナルドの真筆だとしても)後世の加筆がかなり激しかったようです。

そんな絵を、美術商やオックスフォード大学の名誉教授、美術館の学芸員、ロシアの新興財閥やサウジの王子などなど、いろんな人がいろんな思惑で、レオナルドの真筆であると思い込む。

そこに本物であるかどうかには興味がないマーケティングの専門家が、みごなイメージ戦略でこの絵の価値を高めた結果、この絵は500億というとんでも無い額にまで高騰する。

一方で、これはダ・ヴィンチの弟子たち(=工房制作。ちなみに弟子や工房によるサルヴァトール・ムンディの絵は2、30枚あるそうです)によるものだと主張する専門家や学芸員も現れ、ルーブルでの展覧会で展示されると噂されていたのに、展示は見送られ、その後、どこにあるのかも不明のまま、現在に至る、というわけです。

一応500億で落札して所有しているのはサウジの、例のジャーナリストの殺害を命じたのではないかと噂されている王子らしいですが。。。(この映画の中ではこの事件についての言及は全くなしなのは、どういう思惑があったんでしょうね?)

うーん、トリノの聖骸布っていうのがあります。処刑されたキリストを包んだ布で、キリストの顔と体が布に転写されているというもの。まあ、現在の人でこれを本物だと信じる人はいないでしょうけど、キリスト教徒の中には信じる人もたくさんいるわけで、何年かに一回公開されるとものすごい数の人が集まって泣いています。

また、これも以前拙ブログで書きましたが、例の偽ベートーヴェン事件の時のことを思い出しました。難聴の作曲家という触れ込みで「HIROSHIMA」という曲が、クラシックの曲としては大ヒットしたけど、実は別に作曲家がいたという話で、音楽に付随する「物語」が、僕らの「感動」にどれぐらいの影響力を持っているのか、なんてことを書きました。

まあ、この事件もすっかり忘れられてしまいましたが、森達也の「FAKE」というドキュメンタリーも紹介したことがありましたっけ。

つまり、今回の絵も展示会では涙を流しながら鑑賞している人がたくさんいるわけです。そして上記のマーケティングの専門家はそうした人たちの姿を感動的な映像にして、レオナルドの真筆であるというイメージを盛り上げたわけですが、その感動には、この絵の作者がレオナルドだという知識(先入観)がどれぐらい影響を及ぼしているのでしょう? 逆に、これがレオナルド個人ではなく、彼の弟子や追随者による作品だとしたら、それを知った上でもやっぱり涙を流せるのか? そうすると、芸術作品に感動するっていうのはどういうことなんだろうと思っちゃいます。同時に美術品のオークションや取引のダークサイドも、かなりおぞましいものがあることを教えてもらいました。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「コレクティブ 国家の嘘」

2021.10.05.00:14

IMG_4520.jpg

ルーマニアのドキュメンタリーだけど、これがドキュメンタリーらしさがまるでない。出てくる人たちがみんな俳優のようにカメラを全く意識していない。そもそも新聞社の編集会議や大臣の執務室で、カメラが揺れることも音声が途切れることもなく、普段の様子を撮るってのだけでもすごいことだ。

2015年、ルーマニアでライブハウスの火事があり27人が亡くなった。怪我をした人たちは病院に運ばれ、それからしばらくして次々に死んで、結局全部で64人が死亡する。政府も病院も治療はドイツ並みの立派なものだったと言うが、良心的な医師や看護師が内部告発し、製薬会社が消毒薬を10倍に薄めていたことがわかる。さらに病院経営者や政治家が多額の賄賂を受け取っていたこともわかってくる。

何しろすごいよ、火傷で病院に入院している患者の体にウジが湧いてるんだから。その映像とともに顔出しで内部告発した女医さん、その後大丈夫だったんだろうか。

それを調査報道で、保健大臣をはじめ内閣総辞職に追い込んだのがスポーツ新聞社の編集長たちで、前半は彼らの活躍ぶりが中心になる。会見上で鋭い質問を飛ばし、製薬会社社長や病院経営者たちの張り込みをして追求していく。

一方、辞職した大臣の後釜として、正義感あふれる銀行家で慈善家の若い人物が職につき、中盤からは彼が中心になる。それとともに、途中何度か火事で重度の火傷を負い、手の指をほぼ全部失った建築家の女性が、自らの身体のケロイドをさらした写真活動の様子も挟まれる。彼女の大きな写真が大臣室の壁にかけられているのが何度も映る。

新大臣はそれまでの製薬会社と医療と政治の癒着に切り込んでいくのだが、敵対勢力による彼に対するネガティブキャンペーンも行われ。。。そしてルーマニアの総選挙が近づいてくる。。。しかし予想では投票率は低そうだ。。。

まあ、権力は腐敗する、国は必ず嘘をつくというのはどこの国でも同じようだ。同時にこの映画で映し出されているのはコロナ前の時代で、現在のルーマニアも御多分に洩れず極右排外主義・コロナはただの風邪的勢力が勢力拡大しているわけで、おそらく、この映画に描かれた利権と政府の腐敗ぶりはさらにひどくなっているんだろう。どうにもお気の毒である。

まあ、他国のことをお気の毒なんて言ってられるような立場にないのは、日本だって結局利権でがんじがらめの国になっているわけで、それは原発だってそうだけど、今回のコロナ騒動でも中抜き利権のためにアベノマスクをくばったり、GoToトラブルならぬトラベルやったり、無理無理のオリパラやって、患者が激増してもオリパラのせいじゃないと言い張ったわけだからね。利権を全てなくせ、なんてのは無理だけど、利権に目が眩んで国民の命なんか興味がない政治家ってのは、ルーマニアにも日本にもたくさんいるわけだ。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ズビャギンツェフ監督危篤状態?

2021.09.18.00:42

ほんとかぁ、という無茶苦茶ショッキングなニュースです。ロシアの監督ズビャギンツェフがコロナで重症、現在ドイツのハノーファーの病院で集中治療室にいるようです。現在人工昏睡状態らしいです。

わたしはほとんど市販のdvdって持ってないんですが、この人の全作品は手元にあります。

IMG_4500.jpg

ロシア語は文字すら読めないから全く知りませんでした。ロシア映画のFBで教えてもらったんですが、1980年代前半、タルコフスキーが癌だというニュースを聞いた時のことを思い出したぐらいのショックです。

拙ブログではズビャギンツェフの作品についてはすべて書いています。冗談じゃないなぁ。

映画「ラブレス」
映画「裁かれるは善人のみ」(完全ネタバレ)
ズビャギンツェフの映画(1)「父、帰る」
ズビャギンツェフの映画(2)「ヴェラの祈り」
ズビャギンツェフの映画(3)「エレナの惑い」

どれも異常な緊迫感と映像のこれまた異常な美しさ。そして現代ロシアに対するあからさまな批判精神。現在の映画界で、僕が一番気になる監督です。ただただ回復を祈ります。

2021年9月18日 16:40 追記*****
https://obaldela.ru/porazhenie-legkih-90-sostoyanie-tyazheloe-rossijskij-kinorezhisser-andrej-zvyagintsev-gospitalizirovan-v-germanii/?fbclid=IwAR1kHj5OouwhPWMMkjupX3WQf_kU20wZqOM4HJPy17lU4-LimCmZuxuuBNA

9月14日のニュースです。ロシア語は微塵も分かりませんが、ネット翻訳を頼りにすると肺の90%がダメージを受けているとのこと。コロナには7月に罹患して集中治療を受けて帰宅、リハビリの準備をしていたところで重篤になってドイツのハノーファーの病院に搬送されたようです。状態は予断を許さぬ状態だと。。。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ヒトラー最後の12日間

2021.09.15.11:35

image_20210915113003d5c.jpeg

見たのは何度目だろう。記憶にある限りでも3回は見てる。なにしろ息苦しいんで、そうそう繰り返し見ようとは思わないんだけどね。2日前にNHKのBSでやってたので思わず録画して見ちゃいました。

最初に見た時はヒトラー周辺とベルリンの一般市民の話がごちゃごちゃしていて、なんか集中度が足りない気がしたんだけど、監督の意図は、ヒトラーと彼を囲む上層部のどうしようもなさと、ベルリンの一般市民の苦しみの対比で、それを繋ぐのがあの禿頭のクリスティアン・ベルケルがやった軍医なんだな(このベルケル、サイコサスペンス映画の傑作でナチスの暗喩にもなっている「エス」とか、デンマークの暗殺者の映画「誰がため」のドイツ人将校とか、ヒトラー暗殺計画の「ワルキューレ」で暗殺をベルリンから指揮する将校とか、強面のわりに良い人の役を演じることが多い気がする 笑)。

で、ゲッベルスとヒトラーがそうした一般市民の苦難について、それぞれ同じようなことを言う。

現場での防衛の指揮をとっていた武装親衛隊のモーンケがゲッベルスに、武器のない市民軍が犬死していると訴えると、ゲッベルスは「彼らが選んだ運命だ。我々は国民に強制していない。彼らが我々に委ねたのだ、自業自得だ」と言い放つ。

また国民を心配する軍需大臣シュペーアに対して、ヒトラーもこう言う、「我が国民が試練に負けても、私は涙など流さない。彼らはそれに値しない。自分で選んだ運命だ。自業自得だ。」

この二つのセリフが映画の一番の主張だと思った。失敗した権力者たちの呆れるほどの無責任さ! 

ヒトラーはドイツ国民のほとんどが支持したと思われているかもしれないけど、ワイマール共和国時代に行われた選挙ではナチスは全体の3分の1の得票率で、共産党とそれほどの差はなかった。人々がこぞってハイル・ヒトラーとやっている記録映像をよく見るが、あれはプロパガンダだ。

そして、3分の1で政権を取った後、最初は共産党を禁じて議員を逮捕し、その議員数が減った国会で過半数となる数字合わせをし、続いてナチス以外の政党を禁止、全権委任法によってヒトラーは大統領と首相を兼ねる総統になった。

たしかにナチスの熱狂的な支持者たちはヒトラーやゲッベルスに「委ねた」と言えるかもしれないけど、その他の普通の人たちは、なにしろ反ナチのビラ巻いただけで死刑だから、別の道を選びようもない。自業自得とはとても言えないだろう。

もっとも、ナチスを快く思っていなかった人たちもほとんどすべて沈黙しているだけだったわけで、沈黙は承認と変わらないと言うなら、自業自得と言われても反論できないかもしれないが。。。まあ、何が言いたいかわかりますね? 笑)

その意味でも、最後に実際のヒトラーの秘書トラウドル・ユンゲが出てきて、白バラという反ヒトラー運動で処刑された女子大生ゾフィ・ショル(これもものすごい映画になっています)の名を挙げて自分の過ちを認めるシーンも、この映画制作者たちが何を主張しているかがわかるでしょう。

映画として、ヒトラーをただのモンスター、悪の権化として描くのではなく、犬を可愛がり、女性や子供に対しては優しく、常に彼のそばに付き添って最後は結婚するエーファ・ブラウンを愛する普通の人として描くのは、まあ当然と言えば当然なんだけどね。作る方としては結構勇気がいっただろうね。少なくとも戦後のドイツはヒトラーという怪物に国民は騙されたのだ、というスタンスが見え隠れしていたから、そういう意味では戦後60年経ってようやく、という気もする。

まあ、拙ブログでは何度も繰り返してきたけど、人間って99.999%の普通の人と0.0001%の悪人がいるわけではないんでね。どんな悪事をした人でも普通の人なんだよ。ただ、そう思うと不安になるからね。悪党は悪党、自分はそうじゃないって切り分けたくなるけど、誰だって同じ条件が整えば同じことをしかねない、という自覚が大切だと思う。まあ、何度も書いたことだけど 笑)


さて、この映画、見るたびに残念なのは、前にも書いたけど、名優ブルーノ・ガンツの顔がヒトラーが残念ながら、見れば見るほど似てないってことだ。突然ヒステリックに怒鳴り出し、その場の感情まかせの、判断力などありゃしない人間性は、きっとヒトラーってこういう人だったんだろうと思わせる迫力があるけどね。でもこの時のガンツは60代半ば、ヒトラーは55で死んでるからねぇ。ちょっと老けすぎだったよね。

ついでに言うと非常に特徴的な顔をしたウルリヒ・マッテス(この人は「9日目」という映画で神父役でとても良かった)がやったゲッベルスも、足を引きずり体を傾けて歩く格好は、きっと本物もこうだったんだろうと思わせるけど、やっぱり顔はまるで似てない。

ハイノ・フェルヒのシュペーアと「検事フリッツ・バウアー」でタイトルロールをやったウルリヒ・ネーテンのヒムラーが雰囲気出てたかな。

まあ、ほとんどがコンクリート地下壕ブンカーの中だし、たまに外に出れば戦闘シーンだし、見るのにそれなりの覚悟がいりますが、ネットで登場人物などのおさらいをしてから見れば、見終わってそれなりの思いが強烈に残るだろうと思います。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ」

2021.09.11.21:01



吉祥寺のUPLINK でソクーロフ特集2021として昨日から4本を上映するようです。表題のドキュメンタリーを見てきました。

ソクーロフという監督は、拙ブログではなんども取り上げてます。

ソクーロフの映画「ファウスト」覚え書き
ソクーロフの映画「静かなる一頁」(ネタバレ)
ソクーロフの映画「モレク神」
映画「エルミタージュ幻想」覚書き

今回のはタルコフスキーの最後の2作「ノスタルジア」と「サクリファイス」で1部と2部を構成し、映画の映像を引用しながら、その撮影中の姿や、脚本家らとのやりとりの姿も出てくるけど、ソクーロフが撮った室内風景などは、この監督らしい静けさに満ちたドキュメンタリーでした。なんとなくタルコフスキーの「鏡」の中盤にさまざまなドキュメンタリーフィルムが実に寂しげに引用されますが、そんな雰囲気です。

他にも若いタルコフスキーが出演している白黒映画も結構長く引用されてましたが、これはちょっと驚きました。また、タルコフスキーが育った家や、亡命直前に住んでいた家なども出てきました。ただ、もう少し父や母との関係を描いて欲しかったという気もします。

タルコフスキーは1982年にソ連を出国してイタリアで「ノスタルジア」を撮り始め、完成した翌年の84年に亡命宣言をして、スウェーデンで「サクリファイス」を撮って完成直後の86年にパリで癌によって亡くなりました。私はタルコフスキーのソ連時代の映画「鏡」が生涯ベストワンで、このドキュメンタリーでも何度か短い引用がありました。また、「僕の村は戦場だった」の映像ではなく、有名な井戸の夢のシーンの音楽と声だけが出てきたりして、タルコフスキーファンとしては嬉しかったですね。

タルコフスキーについても拙ブログでは過去何度も取り上げてます。まとめの意味でリンクしておきます。

地球が滅びるときに見ていたい映画
映画「惑星ソラリス」を見た
映画「鏡」を見た
映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)
映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)
映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)
タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他
タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」

上映後に日芸の古賀太氏のトークがあり、正味20分ぐらいだったんだけど、ソクーロフと親しく交流した経験を話題にして、もう少し色々話を聞きたかったと思いました。タルコフスキーとソクーロフはほぼ20歳ぐらいの年齢差があり、タルコフスキーはもう少し長生きしていれば、ゴルバチョフのペレストロイカ(開放製作)により亡命宣言をしていてもソ連に帰れたんじゃないか。一方のソクーロフは処女作「孤独の声」(現在「孤独な声」)は上映禁止処分を喰らうけど、ペレストロイカのおかげで、ほぼ10年後には処分撤回になり、その後はロシアに住みながら海外でたくさんの映画を撮れているわけで、この20歳の年齢差はなんとも重いです。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

坂口尚「石の花」と映画「アンダーグラウンド」

2021.08.28.23:54



今日は午前10時から午後5時まで、お昼ご飯を挟んで、坂口尚の1980年台の漫画「石の花」を読んでました。第二次世界大戦中のユーゴスラビアを舞台にした漫画なんですが、なにしろ全5巻、1400ページ、主要登場人物だけも20人以上という大長編。史実に沿った非常に濃い内容です。

その後パソコンの前に座ったんだけど、流石に目が全然焦点合いません。いやはや、歳ですねぇ。。。苦笑)

この漫画、実はNHKのBSで一昨日放映されたエミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」という映画のせいで思い出して、納戸の奥から引っ張り出してきたのでした。間違いなく25年ぶりぐらいで読んだんじゃないかなぁ。

戦争が始まりユーゴスラビアがナチスドイツに蹂躙される、、、と簡単に言えないのがこの国の悲劇です。ユーゴスラビアという国は5つの民族が4つの言語と二つの文字を使い、3つの宗教を信じている国家で、ナチスドイツに占領された時にも、反ナチ色が強かったクロアチアに対し、セルビアではファシスト団体がナチに協力し、多くの人々がナチスを歓迎した(歓迎したふりをした)のでした。

一方国内の反ナチのパルチザングループにも、戦前の国王を担ごうとする王党派組織と、共産主義組織があって、互いに反目し合っています。そこに強制収容所の物資を横流しして、この戦時に私服を肥やそうとする連中や、ナチスの優生思想と社会的ダーウィニズムを信じて疑わないSSのエリート将校も出てきて、さらには裏切り者やスパイや二重スパイも入り乱れるなか、主人公の少年と少女は数奇な運命に翻弄されるわけです。

坂口尚らしいリリカルなシーンが多いし、絵が上手い。登場人物はものすごい数になりますが、人物の描き分けも明確だし、戦車や戦闘機の格好良いこと 苦笑)

クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」の方もだいぶ前に観てます。パンフが出てきました。
IMG_4473.jpg

こちらは第二次大戦から1990年代の内乱に至るまでのユーゴが舞台で、一人の女を巡って二人の男とドイツ人将校が鍔迫り合い、パルチザンとなった一方の男をもう一方が戦争は終わってないと騙して、地下に潜伏させ、自分はその女と結婚して戦後のユーゴで政府の要職につくが、地下に潜っていた連中が外に出てみると、ユーゴの内戦の真っ只中で。。。

「石の花」で描かれた第二次大戦中のユーゴスラビアの民族的・イデオロギー的対立は20世紀末のユーゴの内戦において再燃するのですね。

主人公たちの生き方が戦中戦後のユーゴ史を暗示するような作りなのは、ギリシャの監督テオ・アンゲロプロスの映画のようだけど、長回しで静謐なアンゲロプロスとは違って、飲み食いのシーンが多く、騒々しくパワフル。

冒頭からブラスバンドが小走りで変に陽気な音楽を奏で続け、しかもなにかドリフのコントのようなうるさくふざけたシーンの連続。俳優の演技もどこか大袈裟なコミカルさがあるし、取っ組み合いになっても酔っ払いの喧嘩みたいだし、銃をぶっ放してもどこかリアリティがないし、ゲシュタポによる拷問もモンティパイソンみたいです。

ところが、後半に入ると、ドタバタした中での悲痛で美しいシーンがいくつも出てくる。特に逆さ吊りになったキリスト像の周りを燃えながら旋回する電動車椅子のシーンと、それにつづく教会の鐘の引綱で首を括った男の姿と、その前を飛ぶアヒルのシーンはなかなか忘れられない悲痛なシーンだと思う。

最後の井戸から水の中を泳いでいき、おそらく死後の世界でみんなが一堂に会するシーン(これ前に書いたけど、テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」のラストみたいです)も、どこか騒々しく美しく、そして悲痛。この変なアンバランスさにたじろぐ、そんな映画です。

というわけで、今回は今はもう存在しないユーゴスラビアという国をキーワードに坂口尚の漫画とクストリッツァの映画のご紹介でした。共通項はどっちもヒロインがかわいい。坂口尚の描く少女は、手塚治虫の少女より恥ずかしげで儚げ。クストリッツァの映画ではつねに美(小)女が出てきますが、「アンダーグラウンド」の女優もとんでもなく美人です 笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「わが名はキケロ ナチス最悪のスパイ」

2021.08.23.11:48



トルコ映画です。第二次大戦が始まり、イギリスにもナチスドイツにもつかず、のらりくらりと参戦を回避したトルコ。普通に第二次大戦を図式化すればイギリス(連合軍)=善、ナチスドイツ=悪、となるだろうけど、西洋の戦争なんかに巻き込まれたくないトルコにとっては、ここではどっちも悪。

スパイ映画としてはヒヤヒヤ感は薄いかなぁ。ハリウッドのスパイ映画だったら、スパイ活動をもっとハラハラ危機一髪の感じにするんじゃないかと思うんだけど。そうは言っても主人公とヒロインの設定がおもしろく、途中、え?! と思う素晴らしいシークエンスもあった。

ただし、史実に基づいているというけど、お話のポイントになる T4作戦という悪名高い障害者(児)の抹殺計画は、史実では組織的に行われたのは戦争が始まる前までで、その後はこの映画に描かれるような組織的なやり方はしてなかったんだと思う。いや、ドイツ国内では戦前に7万以上が殺害され、中止の命令が出た後も医者や看護師が密かに続行して、最終的には20万ぐらいの人が殺害されているんだけど、この映画にあるように、トルコにいる障害児(国籍はドイツなんだと思うけど)をブルガリアの収容所に送って殺害するというのは、史実ではないだろうと思うんだけど。そして、もちろんヒロインとの関係も思いっきり無茶苦茶盛っているんでしょう 笑)

また、映画の冒頭、第一次大戦末期のトルコでのアルメニア人大虐殺が暗示されるシーンだけど、このジェノサイドは現在のトルコは国として認めてないから、映画人としての勇気が必要だったんじゃないかと思う。またチャーチルがトルコに来てイノニュ大統領と会談するシーンなんかも事実に即しているんでしょう。ここ、結構個人的にはツボったとこでした。戦闘機や大砲を餌に、なんとか連合軍側にトルコをつけたいチャーチルの話を、仲介した通訳は、大統領は耳が遠いのです、とはぐらかす 笑)いいなぁ、ぜひこれは歴史上の事実であってほしいものです。

主役は一見、「シェーン」の悪役ジャック・パランスみたいな悪党ヅラなんだけど、話が進展していくとともにとても魅力的に見えてくるから不思議 笑) 一方のヒロインの方は古風な金髪美女で個人的に好きなタイプ 笑) いや、これ大切なところです。私、男優に目が行きがちで 笑)女優であまり気に入ったと思うことがないんですよね 苦笑)

周りを固める重要な役柄のイギリスとドイツの大使付き副官も、どちらも一癖二癖ありそうな役者を配していて、こういうところにインパクトのある顔の俳優ってのが、映画を一層面白くするんだと思う。

ただ、最後の終わり方は僕の好みじゃないな 笑) それとヒトラー、やっぱり似てません 笑)

(T4 作戦については拙ブログも何度か取り上げたのでリンクしておきます。)

死刑制度について(初めてT4作戦の名前を出したのはもう10年以上前。まだ日本ではほとんど知られてなかったし、関係書もあまりなかったと思う)
NHKハートネット「障害者と戦争」
ナチスによる障害者虐殺パネル展示会
岡典子「ナチスに抗った障害者」


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の思い出

2021.07.30.11:51

CS放送でやっていたので懐かしくなって、思わず録画して見ちゃいました。元祖脱力系映画。ニューヨークで暮らすハンガリー系のチンピラ野郎とその気弱な友人。そこにいとこの10代の娘がやってきて、しかし事件は何も起きません 笑) 日々のなかの一片を1、2分ぐらいのワンカットで映し、そうしたシーンを1秒ほどの真っ黒な画面を挟んでつぎつぎ繋いでいくんですが、一つ一つのシーンは別になにも面白くないのに、なんとなく繋がりで見ていくとユーモラスなんですね。特にラストのポカンとした終わり方は秀逸です。

昔のメモによると、この映画は1986年の2月に有楽町にあった映倫の試写室で見たようです。当時親類に試写会の券がもらえる立場の人がいて、その人がよく僕にそれを回してくれたのでした。映倫の試写室っていうのはビルの中のかなり狭い部屋で、たぶん20人ぐらいが定員だったんじゃないでしょうか。

ここ以外にも東方東和の試写室とか、いろんなところでこの種の試写会を見に行きましたが、どこでやってもタバコは吸い放題だし、知り合い同士と思しき人たちが上映中にもときどきこそこそ話していたりしてましたっけ。ラジオの応募でもらえる一般向けの試写会と違って、文字通りロードショー前の映画を評論家なんかに見てもらって、場合によってはコメントなんかをもらうというための試写会だったのだと思います。

これが入場時に配られたレジメ。
IMG_4423.jpg

最初に懐かしくなってと書いたのは、この時となりに座っていた人がやたらと声出して反応していたんです。おっほっほ、こりゃおかしっ、って感じで中盤からはずっと過剰反応だろ!ってぐらいうるさい 笑)まあ、35年前のことで、多少記憶が捏造されている可能性もありますが 苦笑)思い出の中では体を揺すって笑っていたっていう感じです。

当時はまだこんな言葉はなかったけど、「うざい!」って感じで、ちょっと困ったなと思いつつも、映画が終わって明るくなって、なにげに隣を見たら、TVの水曜ロードショーの解説で有名な水野晴郎さんだったのでした。この歳になると、いろいろ図々しくなってますから、同じ状況になれば絶対話しかけたと思うんですが、当時はまだ若くて、「おおっ!」と思っただけで終わってしまいました。あの時の水野さんは50代半ば、TVでは「いやあ、映画ってホントにいいもんですね」の決め台詞で有名でした。2008年に76歳で亡くなっています。合掌。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「わたしはダフネ」(他にもちょっとネタバレ気味)

2021.07.13.18:05


イタリア映画。70代の父母と暮らすダウン症の30代の娘ダフネ。母が突然死んでしまい、母の故郷の村で葬式を上げて街に戻り、それまでの生活を続けていこうとするが、父の落ち込み方は尋常ではない。そこで娘は父に、徒歩で母のお墓参りをしようと提案する。

うーん、ダウンシンドロームの人が重要な役割を担った映画って、ベルギー映画の「8日目」とか、アメリカ映画の「チョコレート・ドーナッツ」とか、あるいは日本でも松田聖子が母親役でやったTVドラマが10年以上前にあった。どれも感動的だったけど、僕はむちゃくちゃ不満も感じた。どうして最後はダウンの主役はみんな死ぬことになってしまうんだろう?? 特に「チョコレート・ドーナッツ」はむちゃくちゃ感動的で、ゲイのカップル、黒人弁護士、障害児と差別されるものたちの抵抗が描かれているのに、最後はみんなが後悔することで終わる。

だからその意味でこの「わたしはダフネ」はずっと好感が持てる。主人公ダフネを取り巻く人たちがみんなダフネに自然に接する。ダフネのスーパーの同僚たち、父と泊まる宿屋の老夫妻、山岳警備兵?の二人組、みんな、ちょっとちょっと、と言いたいぐらいダフネに対して普通の女性に対するように接する。宿屋の夫の方に至ってはダフネの手を取り恭しくキスする。

だから、ダフネの方でも自然に、そしてチャーミングに自己主張する。病院で母の死を知らされ看護婦が鎮静剤を与えようとする。「なんの薬?」「涙を止める薬」「いらないわ、私は泣きたいの!」なんてやりとりに泣かされる。

秋のトスカーナ地方の曇天の自然の中を歩く父とダウンの娘って、きっとやろうと思えばもっと泣かせる映画だってつくれたんだろうけどね。母の死も含め、変に情緒的な煽り方をしない点はうれしい 笑) いわゆる喪失と再生の物語だけど、ラストの「再生」の象徴は、一瞬ポカン、そしてしばらくしてグッとくる。

何度か書いたように、私の次女はダウン症だから、切り替えの速さや、頑固さ、褒められてついニコニコしながら下を向く仕草など、いろんなところでアルアルがあって笑った。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」

2021.07.03.15:00



昨日の夜、渋谷で見てきました。4年ぶりですが、やっぱりすごい映画です。のちのタルコフスキーのような難解さはなく、眠くなるような 笑)ところもありません。タルコフスキー後期の映画と違って、ストーリーに無茶苦茶なおまじないじみたところがないし 苦笑)、馬が全力疾走する躍動感も後期の映画には見られないものでしょう。

名前も同じアンドレイだし、ルブリョフはタルコフスキー自身です。 それを忘れなければさまざまなセリフがかなり強烈な暗示や含みがあるのがわかるでしょう。それについてはすでに書いたのでくりかえしません。

でもそれ以上に映像が美しいです。すでにこの映画の前に撮った「僕の村は戦場だった」でもそうだったけど、のちのタルコフスキーの「アトリビュート」になる火と水はそこここに現れるし、最初から最後まで繰り返し馬が出てくる。馬はこの次の「惑星ソラリス」の中でも、最初のシーンでいわくありげに、なにか意味を考えたくなるような形で出てきます。

今回感じたのはルブリョフのロシアの民衆に対する強い愛情のようなもの。これはソ連から亡命した後に作った「ノスタルジア」のなかでロシアに対する強烈なつながりを表明していたことを考えると、なにか悲しいものがあります。

それと、白痴の娘をやったイルマ・ラオシュという女優がすごいですね。この人この役でフランスの映画祭で賞を取っているんですが、本当にすごい。ロシアでは知的障害者を聖なる愚者(ユロジヴィ)と呼んで大切にしたそうで、彼女もロシア人からもタタールからも大切に扱われていますが、登場した時にルブリョフが壁に叩きつけた泥絵の具の飛沫をみて泣き出すところから(この泥絵具が何色かは白黒なのでわかりませんが、きっと赤だったと思いたいところです)、戦災孤児なのではないかと思えます。このイルマ・ラオシュ、タルコフスキーの最初の奥さんであり、「僕の村は戦場だった」で、主人公イワンの母親として出ています。どうもロシア人らしくない名前だと思って調べたら、ヴォルガ・ドイツ人(ヴォルガ川沿いに200万人ぐらいいるドイツからの移民の子孫)だそうです。

しかしこの映画ももう50年以上昔の映画なんですねぇ。。。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他

2021.06.28.23:32



今日は仕事が夕方からだったので、午前中に「鏡」、午後からは「ローラーとバイオリン」と「僕の村は戦場だった」を見てきました。

以前から書いているように「鏡」は映画館でもう20回ぐらいは見ている、僕の生涯ベストワンの映画です。映像が美しいだけで意味がわからん難解な映画だと思われるかもしれませんが、それぞれのエピソードに前後のつながりがあるような気がしています。それについては以前書きましたので、繰り返しません

ただ、そうは言っても誰?この人? という人はたくさん出てきます。昔から気になっているのは「私」の息子のイグナーツが留守番しているところに突然現れ、突然消える暗い感じの女性。あの女性は最後近く、「私」が病気で伏せっているところでも出てきます。この最後近くでは縫い物をしている老婆も何者かわかりません。

そしてこの女性、映画を跨いで「惑星ソラリス」では主人公クリスの父の家にいます。父親の奥さん(=クリスの義母)かとも思えるんだけど、よくわかりません。ちなみにクリスの母はその後クリスが熱にうなされるシーンで出てきて、全く違う人であることがわかります。

かように謎が解けないままなのも、この映画の魅力をさらに高めているんだろうと思います。

午後に見た「ローラーとバイオリン」は可愛らしい映画ですが、改めてタルコフスキーが普通にソ連の共産主義的な理想を信じていたんだろうと感じさせられました。ローラーの作業員と、芸術家の卵である少年との友情という、労働者とインテリゲンチャの協調という理想が素朴に描かれています。

一緒に上映された「僕の村は戦場だった」は頭の中にあった印象ほどの感動を、今回は感じませんでした。ただ、主役のイワンを演じたコーリャ・ブルリャーエフのとんでもない存在感には圧倒させられます。思い出の中で母と一緒に出てくる時の顔は実にきれいな、幸福な少年の顔なのに対して、現在の復讐心に駆られた顔は、別人が演じているのではないか、あるいはひょっとして1年ぐらい時間をおいているのではないかと思えるぐらいの違いがあります。こういうカメラを全く意識していないような演技ができる子役ってなかなかいないんじゃないでしょうか。

ラストでナチス高官たちの自殺した家族たちの写真が写されることによって、この映画がソ連の子供たちの悲劇だけを一方的に描くのではなく、戦争というものがすべての子供たちを苦しめ悲しませるのだという強いメッセージを発信しているのでしょう。

思っていたほどの感動がなかったと書いたけど、やはりあの最初の夢のシーンは何度見ても心が震えますが、そんなこんなを昔書いたことがありました 苦笑

というわけで、今度の金曜日には「アンドレイ・ルブリョフ」を見てきます。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」

2021.06.17.23:09



明日までというので強引に 笑)渋谷のユーロスペースで見てきました。

東西ドイツ統一後、旧東ドイツでの国家保安局、いわゆるシュタージという組織のやってきたことにより、東ドイツの人々は疑心暗鬼に囚われました。さまざまなTVドキュメンタリーなどでも知られているように、このシュタージという組織は、東ドイツで反体制的な人間をスパイし、一般の人々にも密告を奨励したということで、ドイツはナチスの時代のゲシュタポと東ドイツのシュタージと二つの悪名高い公安組織を生み出した国とみなされています。

というわけで、今日渋谷のユーロスペースで見てきた「グンダーマン」という映画、1970年台から東ドイツで活躍したシンガー・ソングライターのゲルハルト・グンダーマンという人を描いたものでした。むろん、僕はこの人のことを知りませんでしたが、生まれたのが僕より1年前で、20世紀末に40代前半で死んでいます。 Gundermann で YouTube で検索すれば、当時の歌がたくさんヒットします。

この人、おそらくミュージシャンとしてプロ活動ができたはずなのに、炭鉱の掘削機のドライバーとしての仕事をし続けたんですね。つまりプロレタリアートであることをやめなかったわけ。筋金入りの共産主義者だった。だからこそ、なんでしょうけど、シュタージのスパイとして自分の周囲の人間の動向を当局に伝えていたのでした。

先日の「ハイゼ家 百年」でもシュタージのことは出てきたけど、なにかかなり恐ろしい組織で、人の弱みに漬け込んでスパイにして密告させていたという印象があったけど、この映画を見るとそうしたイメージとはちょっと違います。この主人公グンダーマンの場合は、共産主義の理想を信じていて、国家に協力することがその理想を実現するために役に立つのだと信じていたのでした。グンダーマンは党のお偉方に対して労働者の立場から耳の痛いことを言うし、自らの理想を国家の現実に対して合わせようとはしません。「国家」に、あるいは「現実」に妥協しないわけ。だからドイツ統一後に、シュタージに協力したことも、単純に自己否定できないのでしょう。

これって単純に善悪を言える問題ではないですね。ナチスの時代のアイヒマンの「凡庸な悪」やオウム事件を連想しますが、信じたことが嘘だった時、その信じたと言うことの純粋さを自分で否定できるのかな、と思ったりします。

映画はドイツ統一後のシュタージのスパイだったことを友人たちに告白しなければならないシーンから始まり、1970年台から80年代と統一以後とが行ったり来たりして、最初の方ではとてもわかりづらかったです。途中で眼鏡で時代を見分けられることがわかって、すこし話がわかってきましたが 笑)特に奥さんになる女性が最初は髭面の男のパートナーで、あれ?この人誰?状態になりました 笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

映画「時の翼にのって」(ネタバレ気味)

2021.06.06.11:57



ヴィム・ヴェンダース監督の1993年の映画。1987年の「ベルリン・天使の詩」(ベル天)の続編ということで、公開当時から見たかったんだけど、なんかタイミングが合わないまま見ることあたわず、気がついたら中古ヴィデオでも1万近い値段がついてて、ツタヤにもなかった。少し前にCS放送でやってたのを録画しておいて、やっと見ることができた。

前作のベル天が1987年というベルリンの壁崩壊の2年前の映画で、最後にソルヴェイグ・ドマルタンがカメラ目線で私たちはみんな決断しなければいけないの、みたいなことを延々と言う(説教する 笑)シーンがあったけど、ベルリンの壁が崩壊した後から見れば、東西ドイツ統一へ向けたとても強いメッセージだったんだと思える。
image_202106061147209cb.jpeg

僕はこの映画、主人公のブルーノ・ガンツや相棒のオットー・ザンダーがベルリンの街を徘徊して人々の心の声を聞き取っていくところがむちゃくちゃ好きだ。特に、前にも書いたけど、道路上で交通事故で瀕死のおっさんが、ああすれば良かった、こうすればよかったと後悔しているところへやってきた天使のガンツが頭をゴッツンコすると、そのおっさんの思いが綺麗な詩句の断片のような言葉に変わっていくシーンは、これだけで映画史に残るシーンなんじゃないかと思うぐらい。

今回の「時の翼にのって」はベルリンの壁崩壊から4年、冒頭ゴルバチョフが出てきてびっくりさせられるけど、ベルリンの壁がなくなったのはゴルビーのおかげだとも言えるから、出てくるのは当然か。前回のベル天でガンツの同僚天使だったオットー・ザンダーが主役で、人間になったブルーノ・ガンツはピザ屋になり、空中ブランコ芸人のソルヴェイグ・ドマルタンとの間に子供がいたり、元天使のピーター・フォークが相変わらず本人役で出てきたり、完全な前作の続きになっている。

ベル天で出てなかったのは、天使のナスターシャ・キンスキーと、人間になったザンダーの誘惑者となる堕天使役のウィレム・デフォー。前回、昔のベルリンを知っていたホメーロス役で出てきたクルト・ボワは残念ながらすでに鬼籍に入っていたので、代わりに昔のベルリンを知っていた役どころとして91歳のハインツ・リューマンというサイレント時代からのドイツ映画の伝説が、一見91歳には見えない元気さで出ている。

で、この映画ではウィレム・デフォーが良い。この人いつ出てきても存在感があるし、そもそもが前衛劇団の俳優だったので、なんか雰囲気がアングラ 笑)元天使のくせにザンダーを悪の道へと誘う。ただ、正直に言って後半のストーリーは馬鹿馬鹿しい。面白くない。人間になったザンダーは生きるために武器商人の秘書になるが、歌の歌詞に目を覚まされて密輸された武器を廃棄しようとする。。。

で、この武器商人、どこかで見たことあるような気がしてしょうがなかったんだけど、「荒野の7人」で出てきたホルスト・ブーフホルツだった。

まあ、今回思ったんだけど、ベル天もこの映画も天使の設定がいいんだと思う。実際の人間の危機になんの手出しもできず(もっとも今回のオットー・ザンダーは手出しできちゃうんだけど 笑)、ただ悲しんでいる人の心の声を聞いて、そばにいて頭をごっつんこして美しい言葉を吹き込もうとするだけしかできない。

前作のベル天に比べると図書館でのシーンがなくなり、老ホメーロスもおらず、主人公が天使であるシーンが前半3分の1ぐらいで個人的には、やっぱりベル天の方が好きだな、と思ったけど、前作同様白黒画面の美しさと構図の良さ、ときどき出てくるカラーのシーンの色の美しさ(ヴェンダース映画のカラーの美しさはベル天前の「パリ・テキサス」で実証済み)に、後半の武器密輸品をめぐるつまらんストーリーなんかどうでもよくなる。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

「ハイゼ家 百年」

2021.05.18.00:05

IMG_4299.jpg

今日は(ってもう昨日になっちまったか)仕事が夕方からだったので、渋谷はイメージ・フォーラムであるドイツ人一族の歴史を描いた3時間半以上にわたる淡々としたドキュメンタリー映画を観てきました。

100年前の1912年に、14歳の監督の祖父が書いた強烈な反戦詩から始まり、それにつづけて、第一次大戦開始直後に同じ祖父が描いたとても微妙な愛国的な詩が朗読される。

この映画は監督のトーマス・ハイゼの祖父母、父母と三代にわたる一族の家族史を描いたドキュメンタリーである。一家の遺品である手紙や日記を、現代のドイツの旧東ドイツに属す地域のモノクロ画面にのせて(時々遺品の中の写真も映るが)、朗読するだけの映画である。

20世紀のドイツは第一次世界大戦、敗戦後の共産主義革命とその失敗、ハイパーインフレ、ヒトラーの台頭、第二次世界大戦と国土を戦場にした末の敗戦、そして戦後は東西に分けられ、特に東ドイツでは社会主義への理想が潰えていき、独裁体制下で密告社会となり、さらに冷戦の終結とその後の東西格差から排外主義的なネオナチの台頭、と20世紀の歴史の主役だったわけだけど、このドキュメンタリーではそうした歴史の決定的な瞬間はほとんど出てこない。

ベルリンっ子の祖父は共産党員で、ウィーンのユダヤ人の娘と結婚する。祖父は教師、祖母は彫刻家だったが、ナチスが政権を取るとユダヤ人はご存知の通り強制収容所へ送られ、多くが殺される。祖母はユダヤ人だったが夫がドイツ人だったために収容所送りは免れるが、父母や一族郎党はみな収容所へ送られる。この経緯が、収容所へ送られたユダヤ人の名簿を延々と移しながら、祖母の日記と祖母に宛てて書かれた親類の悲痛な手紙で語られていく。ドイツ人の祖父も妻がユダヤ人だったために公職追放される。そのときの不服申請嘆願書の手紙が下書きの形で、書き直した文面もかぶせるようにしながら、朗読される。

父はおそらく二分の一ユダヤ人としてかなり辛い思いをしたと思われるが、強制労働収容所を生き残り、戦後、恋多き女だった母と結婚して監督のトーマス・ハイゼが生まれることになる。しかし父は祖父の影響で共産主義者だったから東ドイツにとどまり、ベルリン大学で教鞭を取ることになる。

東ドイツも社会主義・共産主義の理想をお題目に唱えながら、ただの独裁国家、密告国家になっていき、父は徐々に政権から睨まれ、大学を辞めざるを得なくなるとともに、シュタージ(国家保安省。ナチス時代のゲシュタポみたいなものと考えれば遠くないでしょう)に監視される。

特に父はベルリン大学で哲学教授だったこともあり、旧東ドイツの著名な作家たち(主に反体制的)とも交流があった。そうした有名な作家も、東西ドイツ統一後には、シュタージの協力者だったと言われたけど、実は母も一時シュタージの協力者とならざるを得なかったことも、朗読された手紙からわかる。

そして映画は2014年、父はすでになく、母も介護施設にいる。おそらく今年中に亡くなるだろうと、淡々と監督のナレーションが入る。

最後のシーンを除き、ほとんどが手紙や日記、公的な履歴書の写しなどを、監督自身が読み上げていくという構成で、そこに流れるシーンは主に廃墟となっているかつての東独の廃墟と化した建物や、巨大な風力発電用の風車、鉄道や駅、無数のレールが並ぶ転轍場などで、ときどき語られている人物の写真がはさまる。

いろんな映画を思い出した。特に去年見た「ある画家の数奇な運命」は時代と場所が完全に被るし、また、後半のドイツ統一後の旧東側の人々の心情は「希望の灯り」(これもいい映画でした)を思い出した。

普通のドキュメンタリーなら、この映画に出てくる一族の日記や手紙の朗読に被せて、その時代の記録映像などをながすのだろうけど、それを全くやってない。上にも書いたように、祖母の兄弟が明日は強制収容所に送られるのかもしれないという不安を書いた手紙の朗読では、収容所に送られたユダヤ人たちの名簿が延々と(おそらく20分以上?)映し出される。普通ならアウシュヴィッツとかの、たとえば現在の映像とか、あるいはヒトラーの映像とか、当時のユダヤ人を映す映像とか、そんなものがでてきそうなものだが、まったくない。だから、20世紀のドイツのことを知らなければ、わかりづらいというのは間違いない。だけど、なんとも言えない余韻が残る。特に監督のトーマス・ハイゼは1955年生まれ。ほぼ僕と同じ年齢だし、祖父の生まれたのは1898年だというから、僕の祖父とこれまた同じ(僕の祖父は97年)。ただ父母は僕の父母より少し年上だけど、やはり自分の一族のことを連想せざるを得ない。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

「白夜」

2021.05.07.00:05

白夜

ヴィスコンティの1957年の映画です。晩年のヴィスコンティは自らの出自もあって、なんとなく絢爛豪華な金ピカセットのイメージがありますが、この映画は敗戦後の娼婦やホームレスがいる白黒の風景です。

若い頃マリア・シェルが大好きでした。「居酒屋」はTVですけど、何回も見ました。笑顔も魅力的だけど、泣き顔がとても綺麗で、悲劇向きの女優ですね。

ジャン・マレーはけっこう歳だと思うけど、まあ、格好いいです。撮り方なのかもしれないけど、肩幅が結構広く、大男のように見えます。子供の頃、「トリスタンとイゾルデ」を映画化した「悲恋」という映画がNHKで放映されたことがあって、若い頃のジャン・マレーってまるで美術室にあった石膏像みたいだと思ったものでした。対するマストロヤンニも美男だし、タイプとしてジャン・マレーと同タイプの顔だと思うんだけど、ジャン・マレーに比べるとちょっとコミカルかなぁ 笑)

いずれにしても、この映画、マストロヤンニが可哀想過ぎるけど、原作のドストエフスキーってマゾヒストだからね 笑)

運河と橋が重なる構図の美しさと、最後の雪のシーンが悲劇を盛り上げます。ラストは知っていても魅せられます。

回想シーンへの転換も印象に残りました。マリア・シェルがマストロヤンニと一緒に廃墟の片隅に座って、カメラがパンするとそこにジャン・マレーとマリア・シェルが一緒にいる回想シーンに展開したり(ワンカットではありませんが、ワンカットかと思わされます)、振り向くと同様に回想シーンに入るところなんかもとてもおしゃれです。

戦後すぐのイタリアが舞台で爆撃?にあった廃墟と思しき瓦礫のような建物があちこちにあり、時代を感じさせます。

ストーリーはまあ、あれですね。大抵の人はマリア・シェルの自分勝手さに怒ることでしょう 笑)ラストのマストロヤンニが雪の明け方、とぼとぼと歩いていると犬が彼に絡むんですよね。おみごと!

でもやっぱり、どんなに自分勝手でもマリア・シェルだもんね 笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
 HOME 

プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

カテゴリー

openclose

FC2カウンター

Amazon

月別アーカイブ

検索フォーム