傘を忘れて豪雨の中、新宿駅から100メートルぐらいのところにある映画館まででずぶ濡れになりました 笑)

無声映画の大傑作というか、映画史を語る時に必ず最初の方で出てくる「カリガリ博士」の現代版という触れ込みに惹かれて見てきましたが、なるほど、映像的にはすごいです。背景の街の風景が、上の写真のように大きく歪んでいて、「カリガリ博士」の抽象的な背景を、リアルなウィーンの街にした感じです。ほとんどがブルーバックの合成だということですが。。。
だけど、背景の歪み以上に、画面の傾きが気になりましたね。普通の室内の風景でも、必ず画面が微妙に傾いていて、これだけでも不安感、不安定感が感じられます。それと画面がずっとセピア調のくすんだような暗い色合い。
時代は1920年後半。主人公は第一次世界大戦に出征して、ソ連に抑留後解放されてウィーンに戻ってきた、元敏腕刑事ペーター。この刑事役の俳優がトルコ系らしいんですが、ものすごい存在感のある顔で、むちゃくちゃ良いです。
その元刑事と一緒に復員してきた仲間たちが次々と殺されていく連続猟奇殺人事件が発生します。
オーストリアは現在ではほとんど存在感のない小国ですが 笑)中世以来、ハプスブルク大帝国だったわけで、ナポレオン以降落ちぶれつつあったとはいえ、第一次対戦前は、現在のポーランド南部からチェコスロバキア、ハンガリー、クロアチア、スロヴェニア、ウクライナやルーマニアの一部、イタリア北部等々を領土とする多民族国家として中部ヨーロッパの大国だったわけです。それが第一次大戦で中部ヨーロッパの領土をほぼ失い、皇帝も廃位、カトリックの信仰も揺らぐ状態になってしまった。
そうした大きな変化と不安の時代の雰囲気が、歪んだ建物や傾いた画像、暗い画面でうまく表されていました。どことなく
以前3回にわたって紹介した「バビロン・ベルリン」の雰囲気があります。出てくる女優も同じだし。
映画としてとても面白かったです。主人公を同じにしてシリーズにできるんじゃないかとすら思いました。ただ、二箇所、どうもおかしなところがあります。一つはバウアーの射殺。もう一つは終盤のシュテファン大聖堂でのミサはどうなった?? 特にミサの方は、見終わってどうにも納得いかん。あの箱はどうなったの? 私なんか見落としてる??
というわけで、時代がとても気になる時代で、その意味でも面白かったし、雰囲気がとてもいい感じで、映画を見る楽しみは満喫しましたが、お話が破綻しているような気がするんですよねぇ。。。
***追記(9/15、22:45)
うーん、ひょっとして、シュテファンドームでの「箱」は嘘だったのかなぁ。。。そんな気がしてきました。これ以上書くとネタバレになるのでやめますが、そうだとしても、どうも納得できん!
***追記(9/15、23:15)
今、ネットで予告編を見てて、警視のヴィクトールという主人公の友人が出てくるんだけど、この人が最初に登場するシーンはものすごくいいシーンなんですよ。この人をもっと活躍させればよかったのに、という気がしてきました。前半のエピソードなんかも意味ありげなのになぁ。。。そういうわけで、映画を見る楽しさは90点ぐらいつけていいけど、お話としては60点かなぁ 笑)
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こんな時期なので、ロシア映画を観てきました。2022年の映画です。監督はソクーロフ。拙ブログでは何度も出てきていますが、直近では
「モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ」で、2年ほど前でした。
それ以外にも90分ワンカットの
「エルミタージュ幻影」とか、なんとも綺麗で魅力的な
「ファウスト」もこの監督でした。
さて、今回の映画はヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、チャーチルの4人の独裁者が煉獄をうろついているという映画です。そして彼ら4人の映像はすべて実際の記録映像を抜き出して、いかにも煉獄の風景という感じの廃墟の版画?の前で、天国への門が開くのを待っているという話です。
ただ、話を説明するのは難しい。色々謎だらけです。冒頭、目覚めたスターリンの隣にキリストが横たわっていたりします。なんで? また、彼らは分身がたくさんいて、というか、たとえば普通の軍服を着たヒトラーの周りには背広姿のヒトラーや白い礼式用軍服?姿のヒトラー、革コートのヒトラーなどが一緒に写り込んでいます。4人ともそんな調子。
そしてお互いに他の連中を罵ったり、よくわからないセリフを言い合っていますが、会話していると言うわけではないようです。後半は版画の世界を抜けて霧の中のような森の中のようなところをうろつきます。森の中なのは、ダンテの「神曲」の、我、人生の半ばにして森に迷う、とかいう出だしのセリフをスターリンやムッソリーニが何度か口にするので、そのせいでしょう。彼らの足元には死体がゴロゴロしています。ときどきその死体が動いて、彼らを呪います。
そして黒い雲のような大群衆が波のようにうねり、バルコニーのようなところから彼らは身を乗り出して、群衆に答えますが、群衆が彼らを歓呼の声で迎えているのかどうかはよくわかりません。便座に座るヒトラーや男性用小便器の前に立っているチャーチルとか、以前ここでも紹介した
「モレク神」という「人間」としてのヒトラーを描いた不思議な映画と同じように、独裁者たちもただの人間であるということなんでしょう。そして群衆の波を煽ったと同時に、逆に民衆の波に翻弄されたのが独裁者たちということなのかもしれません。
面白かったか?? いや、ストーリーないですし、現在の技術なら、合成はもっと上手くできそうだし、どこかチープな感じがないでもない。でも、いろんなことを考えさせられます。アジアの独裁者が出てこないのは煉獄っていう概念がないからかな、とか、プーチンのことは意識して作ってるんだろうな、とか。
拙ブログで取り上げるロシアの監督たち、このソクーロフも、
ズビャギンツェフも、そしてすでになくなってしまったけど、
アレクセイ・ゲルマンも、みんな反プーチンだって言うところに、少しだけホッとさせられます。
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いやあ、ネタバレしちゃあ絶対まずいです。と言いながら、ストーリーはネタバレしないようにしますが、これから書くのはある意味ネタバレに近いかなぁ。。。これから観るつもりの人は今回は読まない方がいいかも 笑)
すごい映画でした。三部構成の筋(ストーリー)がすごい。風景がすごい。俳優がすごい。安藤サクラ、永山瑛太、田中優子、そして子役の二人、特に小さい方。子役ってみててちょっとハラハラするんだけど、そういうところがまるでなかったです。
最初の30分ぐらい、ほとんど安藤サクラの一人舞台みたいで、まるで人形みたいな、生気のない永山瑛太と田中優子の首絞めてやりたい! と思ったんですが 笑) みごとにやられましたね。
最初の謎を後半に回収していくストーリーは、カンヌで脚本賞を取ったというのも納得でした。一方で見る前は全く気にしてなかったし、見始めてもすっかり忘れていたんですが、クィア賞も取ったというのは後半になってようやく思い出し、ああ、なるほどと思いました。
でも、僕が小学校ぐらいの時には、クラスの女の子より、むしろ男の子を好きになったけどね。なんて、問題発言か? 笑) たとえば、トーマス・マンの小説なんて、今の時代に読む人なんかほとんどいないんだろうけど、「トニオ・クレーガー」の気持ちは普通に共感できた。そういう人は珍しくなかったと思う。もっとも「ヴェニスに死す」だと、ひく人の方が多いかもしれないけど 笑)
さて、映画の題名だけど、「怪物だーれだ」に惑わされてはいけないと思う。視点を変えればそれぞれにそれぞれの言い分があるわけで、そういう意味では自分の視点だけでしか物事が見えないのに、相手の、あるいはその他の人たちの視点を無視して我を通そうとするのが「怪物」なのかなぁ、と思ったりしました。まあ、ある意味怪物だらけの「今」を明確に批判しているとも言えるでしょう。
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暑い暑い新宿で先ほど観てきました。金曜日の12時半からの上映で、もっとガラガラかと思ったけど、20人ぐらい入ってましたかね。
原作のシュテファン・ツヴァイクの「チェスの話」はものすごく面白い小説です。だからこの映画、途中までは原作にない奥さんやゲシュタポの検事がでてきたり、友人が拷問で殺されたり、また特に隠しておいたチェスの本が見つかったりして、不満でした。
そもそも原作は最初、チェスの王者でありながら言葉すらまともに話せない無教養な男という魅力的な人物が出てきます。それが主人公かと思うと違っていて、チェスのコマに触るのは25年ぶりという男がそのチェスの王者と対等に戦い、その理由を「わたし」が聞くという結構になっています。
ウィーンの弁護士だった彼は、管財人として修道院の財産を管理していたんですが、それを奪おうとするゲシュタポの心理的拷問で、なにもない部屋に一人で閉じ込められて気が狂いそうになります。だけどチェスの本をうまく手に入れて、そこに出ていた150の歴史的な棋譜を丸暗記して、果ては自分を相手に頭の中でチェスをすることで名人級の腕になったわけですが、「チェス中毒」という狂気にも陥ってしまいます。
確かに原作はゲシュタポから逃れる経緯がちょっと都合良すぎるような気がしたし、最後のパニックはこういう終わり方にしてしまうのか、と思ったものでした。
だけど、映画では最後の方になると、この設定を崩して、ええっ?? と思うようなどんでん返し。原作の最後のパニックをこういうふうにしたのは、おおっ、と思いましたね。
最初は、原作が好きな小説だっただけに、あ〜あ、ちょっとやりすぎだろ、と思っていたんですが、見終わって、チェスの王者をあるものの象徴として描くところなんかは、なるほどなぁと思いました。でも、そこまででよかったと思うんだけどなぁ。。。最後の「カリガリ博士」を思わせるオチはどうなんでしょうねぇ 笑)
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午前中の吉祥寺の映画館は、2割と言うところでしょうか。年齢層は、自分も含めて老人ばかりでした 笑)
しかし、一昨日の選挙で、日本の6割以上の人は日本が統一教会に乗っ取られようが、防衛費増強によって生活がキツくなろうが、原発事故で住めなくなろうが構わない、少なくとも今は構わないと思っているってことがわかっちゃいましたからね。
政治のやってきたことをまるで天変地異の避けようがないことのように見ている人が多数派なのかもしれません。そんな中で私が票を入れたれいわの候補者が当選したことは、市議会とはいえ、ほんの少し嬉しかったけど、、、
というわけでこの反アベ映画、安倍のやってきた印象操作と嘘と改ざんとゴリ押し、ヤクザや統一教会とのつながり、マスコミへの脅しの手口がよくわかります。本人がやってる感を醸しだすことこそ大事と言ったアベノミクスも、岸田があっさり失敗を認めちゃう。
しかし、冒頭安倍の献花に長蛇の列を作った人たち、安倍を対韓国で思いっきり持ち上げていた右翼の太ったおじさんらは、統一教会の韓国原理主義的反日傾向と自民党の繋がりを、どう折り合いつけてるんだろう? ホント、謎です。
途中顔を隠した官僚が語る「総理大臣のテロ」とか、マスコミの中にも二重スパイみたいなのがいて、リークするとそれを上司にチクるようなのがいるなんて話も、頭クラクラしました。
まあ、見ていて怒りがまた沸々と湧いてきましたわ。ただ、安倍の父方の祖父は戦時中大政翼賛会にも属さず清貧を貫いた平和主義者だったというのは、ちょっと驚きました。母方の妖怪・岸信介とは雲泥の差なのね。また、父親の晋太郎が下関のコリアンタウンの人たちの力になっていたっていうのも驚き。要するに安倍晋三ってのは妖怪に乗っ取られてしまったわけね。
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と、タイトル見ても誰だかわかる人ってあまりいないですよね。特に同じ日に亡くなったのがサッカーのペレだったり、建築家の磯崎新氏だったりで、それだけで新聞の1面に載るような人たちなので。だけど、僕としてはこの訃報がとても悲しい。
ソ連の作曲家です。映画音楽をメインに作曲して、特にタルコフスキーの中期の3本、「ソラリス」と「鏡」と「ストーカー」の音楽を担当した人でした。今はもうなくなってしまった WAVE というセゾン系のCD屋でこのCDを見つけたのは、たぶん1990年ごろだったと思います。

今日の大晦日は久しぶりにこのCDをかけてみます。 rip.
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この本、タルコフスキーの8本の映画を何度も見ている人じゃないと面白くないでしょう。でも、何度も見ている僕にとっては、ものすごく面白かったぁ!!!
著者はDVDやブルーレイで何度も繰り返し見直しているようで、僕のようにタルコフスキーの映画は映画館で見るという人間にとっては、たとえば「鏡」なんか映画館で20回近く見ていると思うけど手元のDVDは1回か2回見ただけという人間にとっては、これだけたくさん見てたのに、気がついてなかったことがまだまだあったのね、と驚かされました。最後のシーンで子供の頃の家は廃屋になっているというのは、全くそう思っていませんでした。なるほど、ただの材木が置いてあるんだ程度だったけど、あれは家が崩壊した跡ってことなんだね。
他にも特に最後のノスタルジアとサクリファイスについては、ずいぶんいろんなことを教えられたし、納得いくところも多かったです。「サクリファイス」で3人の男から贈り物をされるなんて、おおっ、と感心したし、ユロージヴィ(聖なる愚者)が一つの大きなモチーフだというのも我が意を得たりという気分でしたね。「僕の村は戦場だった」から「サクリファイス」まで、樹木で始まり樹木で終わる弱いつながりは、僕も以前、漱石の一連の小説に喩えたことがあります。
でもそれでも、あえて言わせてもらうと、うーん牽強付会だろ!と思うところもずいぶんありました。特にモチーフを強引に何かのイメージと結びつけてせつめいしちゃうのって、やっぱり映画が浅くなるような気がするんだけどなぁ。タルコフスキーの映画って、たとえば登場人物がやたらと転ぶんだけど、あれは何とかの意味があるのだと説明して、わかりたくなるんだけど、そうしちゃうとなんかつまらなくなってしまうような気がしてしょうがないんだなぁ。
他にも疑問に思うところがいくつもあった。「僕の村は戦場だった」のラスト、ホーリンは戦死したんだろうか? また、最後のところは死んだイワンの「夢」なんだろうか? 映画を作っているタルコフスキーの夢なんじゃないのか? なにより、そうかなぁ、と思ったのは「ソラリス」のラスト。あれってクリスは死んじゃってるの?? また「アンドレイ・ルブリョフ」のラストでユロージヴィの娘がもう一度姿を変えて現れると断言しているんだけど、そうかなぁ、あれは別人だと思うんだけどなぁ。なにかはっきりした根拠があるんだろうか?
でも、っとまたひっくり返すけど、やっぱり、タルコフスキー映画をずっと見てきた者として、ものすごく楽しい読書でした。タルコフスキーの映画8本は、すべて複数階数見ているという人にとって、「所感が同意であっても反発であっても、本書がそのための具」(著者あとがき)となるはずです。そういう人にとってはもう絶対に必読書です。
なるほど!と膝を打ったところも、我が意を得たり!と思ったところも、そして上記のように、え〜〜っ?? というところも全てひっくるめて、著者に大感謝!!
拙ブログでのタルコフスキーについて書いたエントリーをリンクしておきます。
地球が滅びるときに見ていたい映画(「鏡」について)映画「惑星ソラリス」を見た映画「鏡」を見た映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

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昨日のニュースだけど、映画についてもずいぶん書いた拙ブログとしては一言入れておこう。正直、あんまりゴダールの映画を面白いと思った記憶がないんだよねぇ。むろん「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」、他にも「アルファヴィル」とか「男と女のいる舗道」とか「軽蔑」とか、「ゴダールのマリア」とか、「パッション」とか、思いつくままに題名をあげてみたが、うーん、あまりはっきりと覚えているところがない。
特に「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」は複数回見ているけど、どうも見ていて楽しくなかった。トリュフォーはまだ面白かったけど、ゴダールはどうも僕の感性に合わんな、ということだった。要するに画面から抒情性が感じられなくてね。SF映画の「アルファヴィル」も全然ダメだったなぁ。「ゴダールのマリア」なんか2部構成で1部はなんとかいう女流監督が撮って、2部はゴダールが撮ったという触れ込みだったけど、2部より1部の方が面白かった記憶がある。音楽に凝ったり、映像色彩に凝ったりしているのだろうけど、どうも僕には面白さがわからなかったなぁ。
というわけで、一応、映画についてもよく書くブログでもあるので、映画史に残るゴダールの死去を機会に書いておきます。しかし、自殺幇助制度なんてのがあるのね。現時点では日本でこんな制度はできませんように、と言っておきます。
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1967年のチェコの2時間45分の白黒映画です。13世紀のボヘミアが舞台。当時のこの地域って地主は盗賊みたいなもので、雪の多い寒い気候と狼だらけの森の中、汚い毛皮の服を身にまとい、城というより高台の廃屋みたいなところに住んでいて、王の外国人使節を襲って人質を取ったりして生活しています。
登場人物も入り組んでいて、途中で誰が誰だかわからなくなります。しかし、白黒の画面がとても綺麗です。フライヤーには「『アンドレイ・ルブリョフ』や『七人の侍』などと並び評され」とありますが、まあ、白黒の映像的には確かに方向性は似ているかなぁ。細部にこだわる大道具小道具の類も同じものを感じます。最初の方では
ゲルマン監督の「神々のたそがれ」を思い浮かべたりしましたが、あそこまでぐちゃぐちゃではないですが 笑)
サイレント映画のような画面いっぱいの説明文が出てきて、この後のシークエンスが先に説明されるんですが、それでもなかなかストーリーがわかりづらいし、そもそも登場人物の見分けが、特に最初の方ではまるでつきません。もう一度見ればずいぶん違うのでしょう。ただ、もう一度行くかなぁ。。。??
BGMが結構すごくてグレゴリオ聖歌のような短旋律で、ヴォカリーズのようでありながら、明らかに歌詞があるところもあって、映像と明らかに関連していることを歌っているんじゃないかと思ったんですが、字幕がないので、実際はどうなのかわかりません。
中世のこの地域はキリスト教が人々の間に行き届いている時代ではないけど、立派な教会の修道院(これだけが唯一この映画の中で出てくる清潔感がある綺麗な場所です)が丘の上に聳えていたりします。主人公のマルケータもその修道院へ入ることになっていたんですが、隣の地主の盗賊騎士に攫われて暴行されたにも関わらず、互いに恋に落ちてしまうというのがメインのお話。
しかし、裏を読めばこの時代のキリスト教と土着の信仰のせめぎ合いなのかな、なんて思いました。途中に何度も出てきて、ナレーションと語り合う(?)乞食修道士も、キリスト教の教えに基づいて生活を送っているようには見えません。
たとえば、ベルイマンの「第七の封印」や「処女の泉」なんかも、キリスト教と土着の信仰の対立が出てきます。ただ、この二つの映画のベルイマンは、その後のベルイマンからは想像もつかないことですが、明らかにキリスト教信仰に肩入れしていますが。また、
タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」にもキリスト教の教えに反する土着の乱行パーティーのようなシーンがあり、それは官憲によって取り締まられていました。
チェコ映画は
以前ここでも紹介した「火葬人」(1968年)がものすごい映画で、いまでも時々思い出すような強烈なインパクトがありました。あの映画も今回のものもほぼ同じ時期の映画です。
この時期のチェコ映画はこの映画と同じ67年の映画で、アカデミー外国語作品賞をとったイジー・メンツェル監督の「厳重に監視された列車」という、艶笑譚のようなユーモラスな話が最後の5分で全部ひっくり返るような衝撃的な終わり方をする映画もありました。
他にも65年の「大通りの店」なんて、この時代の共産党政権のもとで、よくこんな話(ナチスに併合された時代にナチスに協力したチェコ人たちと無関心だった主人公)を映画にできたな、と思うような映画もあって、いわゆるチェコ・ヌーヴェルヴァーグの時代だったんですが、68年夏にワルシャワ条約機構軍が「プラハの春」を潰して、チェコ映画の春も終わってしまったのでした。
さて、個人的には好きなタイプの映画ですが、この暑いなか、すでに4回目のワクチンは打ったとはいえ、渋谷の照り返しのひどい中をもう一度見に行くというのは、うーむ、ちょっとなぁ。
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見たのはほぼ1週間近く前。今年初めての映画館でした。お客さんは10人居なかったですねぇ 笑)
1931年ベルリン、大学を出てタバコ販売のコピーライターをしている作家志望の青年ファビアンが、法学士で映画会社で働きながら女優を夢見るコルネリアと恋人になる。映画を一言で言えば恋愛映画だ。ファビアンはとても善良なやつで、でも世渡りが下手だから仕事をクビになる。一方彼女の方はとんとん拍子で女優への道を駆け上がる。
ファビアンには親友がいる。大金持ちの息子で文学博士号を得ようとするラブーデ。二人はこのワイマール共和国末期、ナチス台頭期の怪しげな、爛熟したベルリンの街のキャバレーを夜な夜なうろつく。
拙ブログでも紹介した「バビロン・ベルリン」やライザ・ミネリ主演の映画「キャバレー」の時代だ。街のあちこちにナチのポスターと共産党の落書きがあるけど、映画の中では政治的な混乱はあまり描かれない。最後の方で大学が、徐々にナチのシンパや党員に乗っ取られていくのだろうということが少し暗示されるぐらいだ。
映画はいろんな伏線が貼ってあって、出だしからしてものすごくおしゃれ。現代のベルリンの地下鉄駅を移動撮影で通路を通って階段を上がると、そこは1931年のベルリン。この時代は、よく現代に通じるものがあると言われるし(監督もそれを意識していると言っている)、拙ブログでもなんとなくそういうイメージで書いたことがある。インフレと失業で貧富の差は広がり、社会は不寛容になるとともに閉塞感に満ちている。
こう書くと、たしかに現代に通じると思うけど、キャバレー文化の爛熟のイメージは、今の日本にはないような気がする。若い人たちはあんな自堕落でエロチックで活動的な生活を送っていないように思えるし(僕が知らないだけかもしれないけど)、あんなに活気があるようには思えない。
他にも街路で突然「つまずきの石」がアップになるシーンがある。これは20世紀末から始まったプロジェクトで、ナチスの時代に迫害されて殺された人たちが住んでいた家の前に埋め込まれた金色のプレートで、これも現在に繋がるイメージとして、わざわざアップにしたんだろう。なんとなく
ここで3年半前に紹介した「未来を乗り換えた男」を思い出していた。
あの映画では逆に現在のフランスで、ファシズム国家ドイツから亡命した難民の男女が、ドイツ軍が攻めてくるという情報に怯えながらメキシコへ亡命しようとする話でしたが、こちらは、街を行く人たちの服装や車は1930年ごろのものだけど、間に挟まれるのは白黒の当時の記録映像で、CGを使って当時の街並みを再現することはしないし、上記のように現在が紛れ込む。
他にも、何度も「泳ぎを習おう」というポスターが写るんだけど、これも最後になって伏線だったことがわかるし、途中友人のラブーデが銃口を覗き込むシーンがあるけど、これもある意味伏線だった。
所々に挟まる、ちょっと皮肉なナレーションがなかなかいい。ベルリンに来た母と別れる時に、ファビアンは20マルクをバッグにそっと入れておく。家に帰ると母が置いて行ったお土産の中に20マルク入っているのを見つける。やれやれという顔をするファビアンの顔に「数学的には差し引きゼロだが、優しさの方程式ではこの数字は残る」とかいうナレーションが被る。ラストは僕は好きなタイプだなぁ 笑) ファビアンが常に肌身離さなかったメモ帳が、ナチスの焚書の映像にかぶり、この後のベルリンがどうなっていくかが暗示されて終わる。
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僕の映画の見方って、この人の影響が非常に大きかったと思う。この人の晩年の話は触れない。この人の「映画をどう見るか」で、映画は自惚れ鏡であるという説を読んで、それまで感じていたいろいろな違和感がすっと溶けたような気がした。まだ学生だったと思う。
たとえば、イタリアのネオレアリスモ映画。ナチスの支配下でイタリア人はすべてファシズムに抵抗していたかのような自己欺瞞を肯定してしまう映画のありようを、批判的に見る目ってすごいな、と思った。また傑作「自転車泥棒」の解釈に、映画ってこうやって見るんだ!!と目を開かされた思いだった。
「映画子ども論」は、その後古本屋で見つけたものだけど、これはタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」の詳細な解説が載っていて、この本を読んだときはまだ見てなかったと思うんだけど、その後映画を見てから読み直したし、繰り返し読んだ。同じことは「映画をどう見るか」でもタルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」について解説されていて、これも当時はむろん見てなかったけど、その後見てから読み直したし、やっぱり繰り返し読んだ。当時はまだビデオ屋も存在してなかったから、見たことのない映画のことを読んで、想像を膨らませていたし、実際に見た時の気持ちも、今とはずいぶん違っていただろうと思う。
多分この人の本を読んだせいで、ヨーロッパ映画などハリウッド以外の映画に興味を持つようになったんだと思う。「ヨーロッパ映画」は辞書のように使ったし、「映画で世界を愛せるか」では欧米以外の映画についていろいろ教えてもらった。
ただ、これらの本を読んだのは、どれも20世紀の話だ。このところすっかり忘れていたけど、でも僕の映画の見方の原点は佐藤忠雄の映画うぬぼれ鏡論だと思う。そして、その影響は映画だけではない。
合掌
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正月早々、この水谷豊主演の刑事ドラマがあちこちで話題になっていたので、たまたま娘が予約録画していたので見せてもらった。このTVドラマを見るのは初めて。
なるほど、最後は映画「新聞記者」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3525.htmlみたいに、実際の政治や社会の出来事を暗示させるような台詞があって面白かった。特に最後の水谷豊の大物政治家を一刀両断にする台詞がたいへんな迫力だった。
「彼らはあなた方のように何かあればすぐに病院の特別室に入れるわけではない」なんて台詞は、即座に橋下徹とか石原なんとかを連想させるし、「あなた方にとって低賃金で働く労働者は国民ではなく物というわけですか」なんていうのも、今の政治状況をちょっと冷静に見れば、政府が国民のことなんかまるで考えてないことはコロナ対策やオリパラの強行開催でわかったはずだ。
「12歳の少年が何もかも受け入れて、諦めてこの世は自己責任だという。困ったときに助けを求めることすら恥ずかしいことだと思い込まされている。それが豊かな国、公正な社会と言えるでしょうか」なんて、少し前の自民党の片山某や青山某なんている議員たちがさんざん煽ったことを思い出させる。
そもそもが20世紀には存在しなかった「自己責任」という言葉。この言葉が大嫌いだとは、説ブログでは散々繰り返してきた。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-2860.htmlだけど、この言葉って相変わらず大きな力を持っていることは、この前の選挙で、まさにこの言葉を体現しているような政党の「維新」が躍進したことからもはっきりわかる。同時に、この言葉は決して人々の間から自然発生的に出てきて広まった言葉ではなく、まずはイラク人質事件のときの役人や政治家やマスコミから出てきたものだろう。むろんそこには新自由主義とかネオリベと呼ばれる経済優先の、金儲けのためには法律を変えることすらするような権力者たちのやり方が反映されていたんだろう。
「自分達の利益しか考えない愚かな権力者たちがこのような歪んだ社会を作ったんですよ」というセリフも、普段から山本太郎の街宣なんか聞いてて、政治が社会と、そしてひいては個人の生活と直結していることを意識していれば、納得いくセリフだ。脚本は太田愛という人で、この人の「天空の葦」という小説の噂は少し前から聞いていて、読んでみようと思っているところだった。
だけど、確かに水谷豊の最後のシーンはすごいセリフだし、格好も良いし、カタルシスを感じさせはするんだけど、だけどなんかガス抜きみたいになってしまって、現実の政治に対する怒りにまでつながっていくのかなぁ。。。
まあ、もちろんTVドラマ(にかぎらずアートや芸術)にそこまで求めるのはどうなのか、とも思うけどね。それと、ドラマの雰囲気としてどうもあちこちの一瞬のおふざけが過ぎるような気もする。緊張感がどこか足りない気がするんだけど。。。まあ、これは僕の好みの問題かもしれないけどさ。なんか最後の子供の母親の改悛ぶりも、見ていてこそばゆい。お子ちゃま向けのドラマという感じがもろに前面に出ている。まあ、個人的にも、こうしたスカッとして終わりってのがね、あまり好きではないんだよね 苦笑)
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岩波ホール、平日の午前の部は20人ぐらいでした 笑)
以前書いた「ゲッベルスと私」のシリーズ第二弾。前作はナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書をしていた女性が100歳を過ぎてインタビューに答えたものだったのに対し、今回のはナチスに追われ、アウシュヴィッツを始め4つの収容所で6年かを生き抜いたオーストリア、ウィーンのユダヤ人の男性が、前作の女性と同様100歳を超えてインタビューに答えたもの。
前作とおなじく、カメラは固定で黒い背景を前に老人が語る姿を写し続ける。音楽もナレーションもインタビュアーのセリフもないのも、インタビューの合間に当時の記録映像などが挟まれるのも前作と同じ作りです。
今回はオーストリアの状況がメイン。オーストリアは現在では永世中立国だし、音楽の宮古ウィーンを首都にした小国で、平和国家のイメージがあるかもしれない。だけどナチスによるオーストリアの併合、いわゆるアンシュルスについては村上春樹の小説「騎士団長殺し」にも出てくるけど、これはオーストリアでは99%のオーストリア人(ユダヤ系は除く)が併合に賛成した。これは
以前紹介したテレンス・マリックの映画「名もなき生涯」の主人公が村で唯一併合に反対するという設定でした。
オーストリアは戦後はナチスによって侵略されたと称して、自分たちが率先して行ったユダヤ人迫害などの悪事には頰被(ほおかむ)りを決め込んだわけです。しかも、終戦後の最初の大統領となった左翼の政治家すら、収容所から解放されたユダヤ人たちが首都ウィーンに戻ってくることを禁じていて、明らかにナチでなくても、またナチの後も、反ユダヤ主義を完全払拭できてなかったことがわかります。
インタビューでも怒りを込めて語られますが、収容所で8歳から12歳の子供を集めて授業をしていたユダヤ人は戦後ビルの管理人として働いたが、そのビルを所有する大会社の重役には元SSが収まっていたそうです。
洋の東西を問わず、本来戦争責任を問われるべき人間たちが戦後、平和な時代になっても良い地位を占めたわけ。例えば日本ならA級戦犯の岸(安倍の祖父)が首相になり、オーストリアではナチス突撃隊将校で、ユーゴで残虐行為に関与した疑いがあったクルト・ワルトハイムが大統領になったように。
今回の主役男性は長年オーストリアで講演活動を続けてきた人だそうで、前回のゲッベルスの秘書の女性のような、言い淀んだり、沈黙が続いたりという、見ていてハラハラするようなところはなかったですね。その意味では映像として、前作の方が面白かったかなぁ。
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レオナルド・ダ・ヴィンチは高校時代にNHKで「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」というドラマに夢中になりました。このドラマを書籍化したものも手元にあります。これについては以前拙ブログにも書いたことがありました
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1076.html。
2005年に日本円にして13万円で落札されたボロボロの絵画が、2017年には500億円以上になって、絵画オークションで史上最高値で落札されます。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされるキリストの肖像「サルヴァトール・ムンディ」。そこに至るまで、そして落札後現在に至るまでを追ったドキュメンタリーですが、おもしろかったあ。
なにしろ17、8世紀ごろにはイギリス王室に存在(財産目録にある)していたことは確かだけど、その後100年以上どこにあったか不明だった絵で、そもそもこの絵がイギリス王室のものと同一かどうかもわからない。また13万で落札された時は5つに割れていたそうで、その後アメリカの修復家が修復したけど、その修復の仕方もヨーロッパの専門家からは批判されます。そもそもそれ以前にも(仮にこれがレオナルドの真筆だとしても)後世の加筆がかなり激しかったようです。
そんな絵を、美術商やオックスフォード大学の名誉教授、美術館の学芸員、ロシアの新興財閥やサウジの王子などなど、いろんな人がいろんな思惑で、レオナルドの真筆であると思い込む。
そこに本物であるかどうかには興味がないマーケティングの専門家が、みごなイメージ戦略でこの絵の価値を高めた結果、この絵は500億というとんでも無い額にまで高騰する。
一方で、これはダ・ヴィンチの弟子たち(=工房制作。ちなみに弟子や工房によるサルヴァトール・ムンディの絵は2、30枚あるそうです)によるものだと主張する専門家や学芸員も現れ、ルーブルでの展覧会で展示されると噂されていたのに、展示は見送られ、その後、どこにあるのかも不明のまま、現在に至る、というわけです。
一応500億で落札して所有しているのはサウジの、例のジャーナリストの殺害を命じたのではないかと噂されている王子らしいですが。。。(この映画の中ではこの事件についての言及は全くなしなのは、どういう思惑があったんでしょうね?)
うーん、トリノの聖骸布っていうのがあります。処刑されたキリストを包んだ布で、キリストの顔と体が布に転写されているというもの。まあ、現在の人でこれを本物だと信じる人はいないでしょうけど、キリスト教徒の中には信じる人もたくさんいるわけで、何年かに一回公開されるとものすごい数の人が集まって泣いています。
また、これも
以前拙ブログで書きましたが、例の偽ベートーヴェン事件の時のことを思い出しました。難聴の作曲家という触れ込みで「HIROSHIMA」という曲が、クラシックの曲としては大ヒットしたけど、実は別に作曲家がいたという話で、音楽に付随する「物語」が、僕らの「感動」にどれぐらいの影響力を持っているのか、なんてことを書きました。まあ、この事件もすっかり忘れられてしまいましたが、
森達也の「FAKE」というドキュメンタリーも紹介したことがありましたっけ。
つまり、今回の絵も展示会では涙を流しながら鑑賞している人がたくさんいるわけです。そして上記のマーケティングの専門家はそうした人たちの姿を感動的な映像にして、レオナルドの真筆であるというイメージを盛り上げたわけですが、その感動には、この絵の作者がレオナルドだという知識(先入観)がどれぐらい影響を及ぼしているのでしょう? 逆に、これがレオナルド個人ではなく、彼の弟子や追随者による作品だとしたら、それを知った上でもやっぱり涙を流せるのか? そうすると、芸術作品に感動するっていうのはどういうことなんだろうと思っちゃいます。同時に美術品のオークションや取引のダークサイドも、かなりおぞましいものがあることを教えてもらいました。
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ルーマニアのドキュメンタリーだけど、これがドキュメンタリーらしさがまるでない。出てくる人たちがみんな俳優のようにカメラを全く意識していない。そもそも新聞社の編集会議や大臣の執務室で、カメラが揺れることも音声が途切れることもなく、普段の様子を撮るってのだけでもすごいことだ。
2015年、ルーマニアでライブハウスの火事があり27人が亡くなった。怪我をした人たちは病院に運ばれ、それからしばらくして次々に死んで、結局全部で64人が死亡する。政府も病院も治療はドイツ並みの立派なものだったと言うが、良心的な医師や看護師が内部告発し、製薬会社が消毒薬を10倍に薄めていたことがわかる。さらに病院経営者や政治家が多額の賄賂を受け取っていたこともわかってくる。
何しろすごいよ、火傷で病院に入院している患者の体にウジが湧いてるんだから。その映像とともに顔出しで内部告発した女医さん、その後大丈夫だったんだろうか。
それを調査報道で、保健大臣をはじめ内閣総辞職に追い込んだのがスポーツ新聞社の編集長たちで、前半は彼らの活躍ぶりが中心になる。会見上で鋭い質問を飛ばし、製薬会社社長や病院経営者たちの張り込みをして追求していく。
一方、辞職した大臣の後釜として、正義感あふれる銀行家で慈善家の若い人物が職につき、中盤からは彼が中心になる。それとともに、途中何度か火事で重度の火傷を負い、手の指をほぼ全部失った建築家の女性が、自らの身体のケロイドをさらした写真活動の様子も挟まれる。彼女の大きな写真が大臣室の壁にかけられているのが何度も映る。
新大臣はそれまでの製薬会社と医療と政治の癒着に切り込んでいくのだが、敵対勢力による彼に対するネガティブキャンペーンも行われ。。。そしてルーマニアの総選挙が近づいてくる。。。しかし予想では投票率は低そうだ。。。
まあ、権力は腐敗する、国は必ず嘘をつくというのはどこの国でも同じようだ。同時にこの映画で映し出されているのはコロナ前の時代で、現在のルーマニアも御多分に洩れず極右排外主義・コロナはただの風邪的勢力が勢力拡大しているわけで、おそらく、この映画に描かれた利権と政府の腐敗ぶりはさらにひどくなっているんだろう。どうにもお気の毒である。
まあ、他国のことをお気の毒なんて言ってられるような立場にないのは、日本だって結局利権でがんじがらめの国になっているわけで、それは原発だってそうだけど、今回のコロナ騒動でも中抜き利権のためにアベノマスクをくばったり、GoToトラブルならぬトラベルやったり、無理無理のオリパラやって、患者が激増してもオリパラのせいじゃないと言い張ったわけだからね。利権を全てなくせ、なんてのは無理だけど、利権に目が眩んで国民の命なんか興味がない政治家ってのは、ルーマニアにも日本にもたくさんいるわけだ。
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ほんとかぁ、という無茶苦茶ショッキングなニュースです。ロシアの監督ズビャギンツェフがコロナで重症、現在ドイツのハノーファーの病院で集中治療室にいるようです。現在人工昏睡状態らしいです。
わたしはほとんど市販のdvdって持ってないんですが、この人の全作品は手元にあります。

ロシア語は文字すら読めないから全く知りませんでした。ロシア映画のFBで教えてもらったんですが、1980年代前半、タルコフスキーが癌だというニュースを聞いた時のことを思い出したぐらいのショックです。
拙ブログではズビャギンツェフの作品についてはすべて書いています。冗談じゃないなぁ。
映画「ラブレス」映画「裁かれるは善人のみ」(完全ネタバレ)ズビャギンツェフの映画(1)「父、帰る」ズビャギンツェフの映画(2)「ヴェラの祈り」ズビャギンツェフの映画(3)「エレナの惑い」どれも異常な緊迫感と映像のこれまた異常な美しさ。そして現代ロシアに対するあからさまな批判精神。現在の映画界で、僕が一番気になる監督です。ただただ回復を祈ります。
2021年9月18日 16:40 追記*****
https://obaldela.ru/porazhenie-legkih-90-sostoyanie-tyazheloe-rossijskij-kinorezhisser-andrej-zvyagintsev-gospitalizirovan-v-germanii/?fbclid=IwAR1kHj5OouwhPWMMkjupX3WQf_kU20wZqOM4HJPy17lU4-LimCmZuxuuBNA9月14日のニュースです。ロシア語は微塵も分かりませんが、ネット翻訳を頼りにすると肺の90%がダメージを受けているとのこと。コロナには7月に罹患して集中治療を受けて帰宅、リハビリの準備をしていたところで重篤になってドイツのハノーファーの病院に搬送されたようです。状態は予断を許さぬ状態だと。。。
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見たのは何度目だろう。記憶にある限りでも3回は見てる。なにしろ息苦しいんで、そうそう繰り返し見ようとは思わないんだけどね。2日前にNHKのBSでやってたので思わず録画して見ちゃいました。
最初に見た時はヒトラー周辺とベルリンの一般市民の話がごちゃごちゃしていて、なんか集中度が足りない気がしたんだけど、監督の意図は、ヒトラーと彼を囲む上層部のどうしようもなさと、ベルリンの一般市民の苦しみの対比で、それを繋ぐのがあの禿頭のクリスティアン・ベルケルがやった軍医なんだな(このベルケル、
サイコサスペンス映画の傑作でナチスの暗喩にもなっている「エス」とか、
デンマークの暗殺者の映画「誰がため」のドイツ人将校とか、
ヒトラー暗殺計画の「ワルキューレ」で暗殺をベルリンから指揮する将校とか、強面のわりに良い人の役を演じることが多い気がする 笑)。
で、ゲッベルスとヒトラーがそうした一般市民の苦難について、それぞれ同じようなことを言う。
現場での防衛の指揮をとっていた武装親衛隊のモーンケがゲッベルスに、武器のない市民軍が犬死していると訴えると、ゲッベルスは「彼らが選んだ運命だ。我々は国民に強制していない。彼らが我々に委ねたのだ、自業自得だ」と言い放つ。
また国民を心配する軍需大臣シュペーアに対して、ヒトラーもこう言う、「我が国民が試練に負けても、私は涙など流さない。彼らはそれに値しない。自分で選んだ運命だ。自業自得だ。」
この二つのセリフが映画の一番の主張だと思った。失敗した権力者たちの呆れるほどの無責任さ!
ヒトラーはドイツ国民のほとんどが支持したと思われているかもしれないけど、ワイマール共和国時代に行われた選挙ではナチスは全体の3分の1の得票率で、共産党とそれほどの差はなかった。人々がこぞってハイル・ヒトラーとやっている記録映像をよく見るが、あれはプロパガンダだ。
そして、3分の1で政権を取った後、最初は共産党を禁じて議員を逮捕し、その議員数が減った国会で過半数となる数字合わせをし、続いてナチス以外の政党を禁止、全権委任法によってヒトラーは大統領と首相を兼ねる総統になった。
たしかにナチスの熱狂的な支持者たちはヒトラーやゲッベルスに「委ねた」と言えるかもしれないけど、その他の普通の人たちは、なにしろ
反ナチのビラ巻いただけで死刑だから、別の道を選びようもない。自業自得とはとても言えないだろう。
もっとも、ナチスを快く思っていなかった人たちもほとんどすべて沈黙しているだけだったわけで、沈黙は承認と変わらないと言うなら、自業自得と言われても反論できないかもしれないが。。。まあ、何が言いたいかわかりますね? 笑)
その意味でも、最後に実際のヒトラーの秘書トラウドル・ユンゲが出てきて、白バラという反ヒトラー運動で処刑された女子大生ゾフィ・ショル(
これもものすごい映画になっています)の名を挙げて自分の過ちを認めるシーンも、この映画制作者たちが何を主張しているかがわかるでしょう。
映画として、ヒトラーをただのモンスター、悪の権化として描くのではなく、犬を可愛がり、女性や子供に対しては優しく、常に彼のそばに付き添って最後は結婚するエーファ・ブラウンを愛する普通の人として描くのは、まあ当然と言えば当然なんだけどね。作る方としては結構勇気がいっただろうね。少なくとも戦後のドイツはヒトラーという怪物に国民は騙されたのだ、というスタンスが見え隠れしていたから、そういう意味では戦後60年経ってようやく、という気もする。
まあ、拙ブログでは何度も繰り返してきたけど、人間って99.999%の普通の人と0.0001%の悪人がいるわけではないんでね。どんな悪事をした人でも普通の人なんだよ。ただ、そう思うと不安になるからね。悪党は悪党、自分はそうじゃないって切り分けたくなるけど、誰だって同じ条件が整えば同じことをしかねない、という自覚が大切だと思う。まあ、何度も書いたことだけど 笑)
*
さて、この映画、見るたびに残念なのは、
前にも書いたけど、名優ブルーノ・ガンツの顔がヒトラーが残念ながら、見れば見るほど似てないってことだ。突然ヒステリックに怒鳴り出し、その場の感情まかせの、判断力などありゃしない人間性は、きっとヒトラーってこういう人だったんだろうと思わせる迫力があるけどね。でもこの時のガンツは60代半ば、ヒトラーは55で死んでるからねぇ。ちょっと老けすぎだったよね。
ついでに言うと非常に特徴的な顔をしたウルリヒ・マッテス(この人は
「9日目」という映画で神父役でとても良かった)がやったゲッベルスも、足を引きずり体を傾けて歩く格好は、きっと本物もこうだったんだろうと思わせるけど、やっぱり顔はまるで似てない。
ハイノ・フェルヒのシュペーアと
「検事フリッツ・バウアー」でタイトルロールをやったウルリヒ・ネーテンのヒムラーが雰囲気出てたかな。
まあ、ほとんどがコンクリート地下壕ブンカーの中だし、たまに外に出れば戦闘シーンだし、見るのにそれなりの覚悟がいりますが、ネットで登場人物などのおさらいをしてから見れば、見終わってそれなりの思いが強烈に残るだろうと思います。
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吉祥寺のUPLINK でソクーロフ特集2021として昨日から4本を上映するようです。表題のドキュメンタリーを見てきました。
ソクーロフという監督は、拙ブログではなんども取り上げてます。
ソクーロフの映画「ファウスト」覚え書きソクーロフの映画「静かなる一頁」(ネタバレ)ソクーロフの映画「モレク神」映画「エルミタージュ幻想」覚書き今回のはタルコフスキーの最後の2作「ノスタルジア」と「サクリファイス」で1部と2部を構成し、映画の映像を引用しながら、その撮影中の姿や、脚本家らとのやりとりの姿も出てくるけど、ソクーロフが撮った室内風景などは、この監督らしい静けさに満ちたドキュメンタリーでした。なんとなくタルコフスキーの「鏡」の中盤にさまざまなドキュメンタリーフィルムが実に寂しげに引用されますが、そんな雰囲気です。
他にも若いタルコフスキーが出演している白黒映画も結構長く引用されてましたが、これはちょっと驚きました。また、タルコフスキーが育った家や、亡命直前に住んでいた家なども出てきました。ただ、もう少し父や母との関係を描いて欲しかったという気もします。
タルコフスキーは1982年にソ連を出国してイタリアで「ノスタルジア」を撮り始め、完成した翌年の84年に亡命宣言をして、スウェーデンで「サクリファイス」を撮って完成直後の86年にパリで癌によって亡くなりました。私はタルコフスキーのソ連時代の映画「鏡」が生涯ベストワンで、このドキュメンタリーでも何度か短い引用がありました。また、「僕の村は戦場だった」の映像ではなく、有名な井戸の夢のシーンの音楽と声だけが出てきたりして、タルコフスキーファンとしては嬉しかったですね。
タルコフスキーについても拙ブログでは過去何度も取り上げてます。まとめの意味でリンクしておきます。
地球が滅びるときに見ていたい映画映画「惑星ソラリス」を見た映画「鏡」を見た映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」上映後に日芸の古賀太氏のトークがあり、正味20分ぐらいだったんだけど、ソクーロフと親しく交流した経験を話題にして、もう少し色々話を聞きたかったと思いました。タルコフスキーとソクーロフはほぼ20歳ぐらいの年齢差があり、タルコフスキーはもう少し長生きしていれば、ゴルバチョフのペレストロイカ(開放製作)により亡命宣言をしていてもソ連に帰れたんじゃないか。一方のソクーロフは処女作「孤独の声」(現在「孤独な声」)は上映禁止処分を喰らうけど、ペレストロイカのおかげで、ほぼ10年後には処分撤回になり、その後はロシアに住みながら海外でたくさんの映画を撮れているわけで、この20歳の年齢差はなんとも重いです。
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今日は午前10時から午後5時まで、お昼ご飯を挟んで、坂口尚の1980年台の漫画「石の花」を読んでました。第二次世界大戦中のユーゴスラビアを舞台にした漫画なんですが、なにしろ全5巻、1400ページ、主要登場人物だけも20人以上という大長編。史実に沿った非常に濃い内容です。
その後パソコンの前に座ったんだけど、流石に目が全然焦点合いません。いやはや、歳ですねぇ。。。苦笑)
この漫画、実はNHKのBSで一昨日放映されたエミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」という映画のせいで思い出して、納戸の奥から引っ張り出してきたのでした。間違いなく25年ぶりぐらいで読んだんじゃないかなぁ。
戦争が始まりユーゴスラビアがナチスドイツに蹂躙される、、、と簡単に言えないのがこの国の悲劇です。ユーゴスラビアという国は5つの民族が4つの言語と二つの文字を使い、3つの宗教を信じている国家で、ナチスドイツに占領された時にも、反ナチ色が強かったクロアチアに対し、セルビアではファシスト団体がナチに協力し、多くの人々がナチスを歓迎した(歓迎したふりをした)のでした。
一方国内の反ナチのパルチザングループにも、戦前の国王を担ごうとする王党派組織と、共産主義組織があって、互いに反目し合っています。そこに強制収容所の物資を横流しして、この戦時に私服を肥やそうとする連中や、ナチスの優生思想と社会的ダーウィニズムを信じて疑わないSSのエリート将校も出てきて、さらには裏切り者やスパイや二重スパイも入り乱れるなか、主人公の少年と少女は数奇な運命に翻弄されるわけです。
坂口尚らしいリリカルなシーンが多いし、絵が上手い。登場人物はものすごい数になりますが、人物の描き分けも明確だし、戦車や戦闘機の格好良いこと 苦笑)
クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」の方もだいぶ前に観てます。パンフが出てきました。

こちらは第二次大戦から1990年代の内乱に至るまでのユーゴが舞台で、一人の女を巡って二人の男とドイツ人将校が鍔迫り合い、パルチザンとなった一方の男をもう一方が戦争は終わってないと騙して、地下に潜伏させ、自分はその女と結婚して戦後のユーゴで政府の要職につくが、地下に潜っていた連中が外に出てみると、ユーゴの内戦の真っ只中で。。。
「石の花」で描かれた第二次大戦中のユーゴスラビアの民族的・イデオロギー的対立は20世紀末のユーゴの内戦において再燃するのですね。
主人公たちの生き方が戦中戦後のユーゴ史を暗示するような作りなのは、
ギリシャの監督テオ・アンゲロプロスの映画のようだけど、長回しで静謐なアンゲロプロスとは違って、飲み食いのシーンが多く、騒々しくパワフル。
冒頭からブラスバンドが小走りで変に陽気な音楽を奏で続け、しかもなにかドリフのコントのようなうるさくふざけたシーンの連続。俳優の演技もどこか大袈裟なコミカルさがあるし、取っ組み合いになっても酔っ払いの喧嘩みたいだし、銃をぶっ放してもどこかリアリティがないし、ゲシュタポによる拷問もモンティパイソンみたいです。
ところが、後半に入ると、ドタバタした中での悲痛で美しいシーンがいくつも出てくる。特に逆さ吊りになったキリスト像の周りを燃えながら旋回する電動車椅子のシーンと、それにつづく教会の鐘の引綱で首を括った男の姿と、その前を飛ぶアヒルのシーンはなかなか忘れられない悲痛なシーンだと思う。
最後の井戸から水の中を泳いでいき、おそらく死後の世界でみんなが一堂に会するシーン(
これ前に書いたけど、テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」のラストみたいです)も、どこか騒々しく美しく、そして悲痛。この変なアンバランスさにたじろぐ、そんな映画です。
というわけで、今回は今はもう存在しないユーゴスラビアという国をキーワードに坂口尚の漫画とクストリッツァの映画のご紹介でした。共通項はどっちもヒロインがかわいい。坂口尚の描く少女は、手塚治虫の少女より恥ずかしげで儚げ。クストリッツァの映画ではつねに美(小)女が出てきますが、「アンダーグラウンド」の女優もとんでもなく美人です 笑)
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トルコ映画です。第二次大戦が始まり、イギリスにもナチスドイツにもつかず、のらりくらりと参戦を回避したトルコ。普通に第二次大戦を図式化すればイギリス(連合軍)=善、ナチスドイツ=悪、となるだろうけど、西洋の戦争なんかに巻き込まれたくないトルコにとっては、ここではどっちも悪。
スパイ映画としてはヒヤヒヤ感は薄いかなぁ。ハリウッドのスパイ映画だったら、スパイ活動をもっとハラハラ危機一髪の感じにするんじゃないかと思うんだけど。そうは言っても主人公とヒロインの設定がおもしろく、途中、え?! と思う素晴らしいシークエンスもあった。
ただし、史実に基づいているというけど、お話のポイントになる T4作戦という悪名高い障害者(児)の抹殺計画は、史実では組織的に行われたのは戦争が始まる前までで、その後はこの映画に描かれるような組織的なやり方はしてなかったんだと思う。いや、ドイツ国内では戦前に7万以上が殺害され、中止の命令が出た後も医者や看護師が密かに続行して、最終的には20万ぐらいの人が殺害されているんだけど、この映画にあるように、トルコにいる障害児(国籍はドイツなんだと思うけど)をブルガリアの収容所に送って殺害するというのは、史実ではないだろうと思うんだけど。そして、もちろんヒロインとの関係も思いっきり無茶苦茶盛っているんでしょう 笑)
また、映画の冒頭、第一次大戦末期のトルコでのアルメニア人大虐殺が暗示されるシーンだけど、このジェノサイドは現在のトルコは国として認めてないから、映画人としての勇気が必要だったんじゃないかと思う。またチャーチルがトルコに来てイノニュ大統領と会談するシーンなんかも事実に即しているんでしょう。ここ、結構個人的にはツボったとこでした。戦闘機や大砲を餌に、なんとか連合軍側にトルコをつけたいチャーチルの話を、仲介した通訳は、大統領は耳が遠いのです、とはぐらかす 笑)いいなぁ、ぜひこれは歴史上の事実であってほしいものです。
主役は一見、「シェーン」の悪役ジャック・パランスみたいな悪党ヅラなんだけど、話が進展していくとともにとても魅力的に見えてくるから不思議 笑) 一方のヒロインの方は古風な金髪美女で個人的に好きなタイプ 笑) いや、これ大切なところです。私、男優に目が行きがちで 笑)女優であまり気に入ったと思うことがないんですよね 苦笑)
周りを固める重要な役柄のイギリスとドイツの大使付き副官も、どちらも一癖二癖ありそうな役者を配していて、こういうところにインパクトのある顔の俳優ってのが、映画を一層面白くするんだと思う。
ただ、最後の終わり方は僕の好みじゃないな 笑) それとヒトラー、やっぱり似てません 笑)
(T4 作戦については拙ブログも何度か取り上げたのでリンクしておきます。)
死刑制度について(初めてT4作戦の名前を出したのはもう10年以上前。まだ日本ではほとんど知られてなかったし、関係書もあまりなかったと思う)
NHKハートネット「障害者と戦争」ナチスによる障害者虐殺パネル展示会岡典子「ナチスに抗った障害者」よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

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