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映画「道中の点検」の検閲のこと

2019.11.02.19:29



この映画のことは以前にも「神々のたそがれ」「炎628」についての文で、うろ覚え状態で書いたことがあったけど、今回改めて見た。1971年のアレクセイ・ゲルマン監督の最初の長編映画。第二次世界大戦の独ソ戦が舞台で、ドイツ軍の捕虜になり、その後ドイツ軍に加わったものの、再びソ連軍パルチザンに投降する。だけど、パルチザンのメンバーは、一度はドイツに寝返った奴など信じられない、すぐに殺すべきだと言う者もいる。ところがパルチザンのリーダーは彼を試すことにする。

アレクセイ・ゲルマンという監督は上記の「神々のたそがれ」以外でも、拙ブログで何度か紹介した。

再び映画「神々のたそがれ」
映画「フルスタリョフ、車を」

この二作ともに、白黒のワンカットの長い、ストーリーの説明がないわかりづらい映画。どこかボッシュの絵のような禍々しさを感じさせるのも、人々の画面内での動きが独特で、主役の前を多くのエキストラたちが繰り返し横切ったり、変なモノローグのようなブツブツいう声が小さく聞こえたりするせいだろうか。

この「道中の点検」ではそうした特徴がそれほど出てこないけど、それでも冒頭の男の顔を写すところや、雪の中の風景、照準器越しに見えるドイツ軍兵士たちのアップに、ボソボソと言う狙っている男の声とか、何か普通の映画ではないと感じさせるものがある。

それとこの映画はタルコフスキーの映画で出てきたロマン・ブイコフ(「アンドレイ・ルブリョフ」の道化)、アナトリー・ソロニーツィン(「アンドレイ・ルブリョフ」の主役、「ソラリス」のサナトリウス博士、「鏡」の通りすがりの医者、「ストーカー」の作家)、ニコライ・ブルリャーエフ(「僕の村は戦場だった」のイワン、「アンドレイ・ルブリョフ」のラストのエピソードの鐘作りの少年)、それにウラジーミル・ザマンスキー(「ローラーとバイオリン」の作業員)が出ているのも、むちゃくちゃ嬉しかった。

特にブルリャーエフが裏切り者として出てきて、最後のシーンで主人公たちがバレてしまう決定的な役割を演じているのは、「僕の村〜」ではドイツ軍に対する憎しみに燃える少年斥候の役だっただけに楽しい。

この「道中の点検」は冒頭に書いたように71年にできたのに、公開されたのは85年。14年も何があったか? 検閲である。この映画は80年代末に日本で初公開された時に見た。その時は14年も公開禁止になっていて、ゴルバチョフのペレストロイカのおかげで公開が許された映画ということで話題になった。僕も反ソ的な映画を期待して見に行き、見終わって一体どこが反ソ的なんだ? と拍子抜けさせられた。

つまりドイツ軍のために働いたソ連人がいるということが、当時のソ連政権にとっては認められなかったのだ。この映画は検閲を通らなかった時点でフィルムを廃棄するはずだったという。だが、様々な人の善意や偶然によりフィルムは廃棄処分にならずに残された。ということは、ソ連時代には廃棄されてしまったフィルムがたくさんあるということなんだろう。

今から見れば、こんな検閲理由なんて信じられない。悪い冗談だとしか思えない。しかし、旧ソ連はそういう国だったのだろう(ただし、ズビャギンツェフの映画「ラブレス」はその前の「裁かれるは善人のみ」がロシアの政権の逆鱗に触れたせいで、フランスやドイツ、ベルギーから出資してもらったという)。

僕らの住む現在の日本は、当時のソ連のような独裁国家・収容所国家ではない。安倍がやることが独裁的だというのはある程度当たっているとは思うが、少なくとも権力批判をする人間が収容所に入れられることはまだない。そんな国で、政権が気にくわない文化事業が潰されるというのは、ソ連のような上からの検閲ではなく、検閲を支持する一部の国民がいるからだ。

例の愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」、展示を見ることもせずに抗議の電話を嫌がらせのようにかける人々。

ソ連のようなケースなら政権が崩壊すればなんとかなる(もっとも今のロシアも上記のごとし)かもしれないけど、今の日本の状況はもっと深刻かもしれない。


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自転車レースと映画(色々ネタバレ)

2019.10.22.23:44

自転車と映画といっても、パンターニのドキュメンタリーアームストロングの映画のように正面から自転車レースや選手がテーマになっている映画ではありません。本題とは全く無関係に、さりげなく出てきたり、会話に出てくる自転車レースのシーンや話題のことです。そんな映画を4篇ほどご紹介。

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ルイ・マル監督の「鬼火」(1963)
アル中の治療入院からシャバに戻った男が、かつての友人たちが幸せそうなのに嫉妬して、ただ単に彼らに冷や水を浴びせたいだけで、嫌がらせのように拳銃自殺するまでの二日間を描いた映画です 笑) エリック・サティのピアノ曲が、この映画のなんともやりきれない暗い雰囲気を高めます。

この映画、街中でプロの自転車レースがおこなわれているんですね。先導車について集団が走って行くシーンと拡声器での放送が聞こえます。最初に映画館で見たとき、主人公のモーリス・ロネが道を横断しようとして立ち止まると、風のように自転車が二台かすめすぎるシーンがあったと記憶しているんですが、その後TVで2、3回見てるんですが、そのシーンが見当たりませんでした。あれって記憶捏造したのかなぁ。。。それとも版が二つ(以上)ある可能性もあるかなぁ。。。

暗い顔をしたモーリス・ロネの前を全速で風のように過ぎ去る自転車の姿に、何か「刹那」という言葉を連想して、この映画のテーマとも関係するのか、と思ったのですが、どうもそのシーンがその後見つけられずにいます。

「ルシアンの青春」(1974)
この映画では親ナチスの自転車のチャンピオンという登場人物が出てきて、バルタリなんか怖くなかった、むしろベルギー人のシルベール・マースの方が手強かったとかいうシーンがあったことはすでに書いた通り。

監督は「鬼火」と同じルイ・マルで、この監督はおそらく自転車レースが好きだったんですね。1962年のツール・ド・フランスのドキュメンタリー「ツール万歳」なんて短編も撮っています。もう10年前に銀座のエルメスで見たことがあるんですが、まるで記憶に残ってない 笑)

この映画はフランスがナチスに占領されていた時代、たまたまナチス側についてしまった10代?の青年の悲劇で、映画そのものとしてはものすごい映画だったと思います。

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ジャン・ルノアール監督の「大いなる幻影」(1937年)
第二次大戦の始まる2年前に作られ、まさにこの映画に描かれたことが幻影となってしまいました。第一次世界大戦中の話で、捕虜となったフランス人貴族や平民たちとドイツ人貴族の捕虜収容所の所長(エーリヒ・フォン・シュトローハイムという怪優が演じています)の話で、特に仏独の貴族階級の二人の友情が泣かせます。

この映画の最初の方で、主人公の平民労働者のジャン・ギャバンが、ユダヤ人銀行家のマルセル・ダリオと話すシーンで、ツール・ド・フランスが最高だ、ファベール、ラピーズ、ガリグー、トゥルスリエ、みんなものすごいぜ、と、第一次世界大戦前、ツール黎明期、ほとんど神話の世界のような選手たちの名前を列挙するのでした。
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「かくも長き不在」(1961年)
戦争が終わって15年、パリで、廃墟になった教会の前でカフェを経営する女(オーソン・ウェルズの「第三の男」で有名なアリダ・ヴァリ)が街で戦時中ゲシュタポに連れて行かれて行方不明になった夫と思しき浮浪者を見つける。しかしその男は記憶を失っていて、親類を読んで面通ししてもらうけど、近しい親類にも関わらずわからない。むしろ別人ではないかと助言する。茫漠感が残る映画で、同じ年のアラン・レネの「去年マリーエンバートで」みたいな、記憶ってなんなのかという眩暈感を感じさせる映画です。まあ、それよりはずっとメロドラマの色合いが強いですが、最後の夜の街で点在する人影とか、終わり方が謎めいて寄る辺ない感じが、なんとなく「マリーエンバート」を思い出させたのかもしれません。

さて、この映画は最初の方でカフェでみんながラジオに耳を傾け、ネンチーニはどうなってる?と言っているシーンが出てきます。1960年のツール・ド・フランスの優勝者ガストーネ・ネンチーニです。イタリア人。この日はパリ祭という設定なので、1960年のツールの第18ステージということになり、コースはアルプスです。ところがここに、今日のコースはどこだ?と聞く常連客の男性がいて、それに対してツールに関心のない客の女性がトゥルマレでしょ、と答え、それに対して男が、トゥルマレ?じゃあアルプスか?と聞くシーンが続きます。ん? トゥルマレ峠はアルプスではなくピレネーの峠ですねぇ。。。ここはツールにあまり関心のない二人のやりとりが、どちらも違っていて、結果、正解になっているという変なシーンで、知っているフランス人なら笑うシーンなのかなぁ?

それから、よくわからないんだけど、あそこで出てきてネンチーニを気にしている人たちはイタリア系なんでしょうか? それとも、この時ネンチーニが総合トップだったから気にしているのでしょうか? 

以上、ここに挙げた映画はどれも映画史に残る傑作に数えられています。日本語版のウィキペディアでも「ルシアン」以外は乗っているし、ヴェネチア国際映画祭(鬼火と幻影)やカンヌ国際映画祭(不在)で賞を取っているし、「ルシアン」はノーベル賞作家が脚本に参加と錚々たる映画です。特に「大いなる幻影」はオールタイムベスト100で繰り返し上位に入ってます。

ただ、どれもフランス映画ですねぇ。イタリア映画でジロを話題にしているシーンが出てくる映画があっても良さそうな気がするけどねぇ。。。思い当たらないなぁ。


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映画「ゴールキーパーの不安」(ネタバレ)

2019.10.12.12:39


原作のペーター・ハントケがノーベル賞ということで、「ベルリン天使の詩」は有名すぎるから、へそ曲がりの私としては、同じくハントケの原作をヴィム・ヴェンダースが映画化(初長編)した「ゴールキーパーの不安」を紹介します 笑)

昔見たときにはどこが面白いねん! さっぱりだわ、と思ったものでしたが、さすがに「サタンタンゴ」を一月ほど前に見たばかり。もうこの程度では怖くないですね 笑)

サッカーのゴールキーパーが試合中に審判を小突いて退場になり、試合中に着替えて帰ってしまいます。映画を観にいき、受付嬢と仲良くなって一夜を過ごすも、翌朝、理由もなく彼女を扼殺。冷静に指紋などを拭き取り、バスに乗って昔の彼女?に会いに行きます。。。何しろ淡々としてて説明がないし、殺人のシーンもアップもなく、え?殺しちゃったの? という感じ。しかもその直後のシーンが主人公が丸まって寝ているシーン。人殺してそのまま寝ちゃったのね?? もう理解不能であります。その後も淡々と日常の生活のワンシーンが積み上げられるだけ。ですから、最後まで劇的なことは起こらず、追い詰められる犯人のサスペンスもないままです。

全く見当違いかもしれないけど、やけに劇的な音楽と日常的なつまんないやりとりを切り取る場面の連続に、ゴダールの「アルファヴィル」の音楽やつなぎ方を思い出したりしました。内容はまるで違いますが。

あと、主人公はやたらと映画を観に行きます。ただし、最初にちらっと映る西部劇?らしき白黒映画のワンカットを除き、彼が映画を観ているシーンはないんですけど。ただ、題名は二つわかります。一つは「レッドライン7000」というハワード・ホークス監督でジェームズ・カーン主演のカーレースアクション映画とドン・シーゲル監督でリチャード・ウィドマーク主演の「刑事マディガン」。

当時のヴェンダースが好きだった映画なんでしょうね。残念ながら私はどちらも観てません。でもジョン・ウェインの西部劇で有名なハワード・ホークスとクリント・イーストウッドの「ダーティー・ハリー」で有名なドン・シーゲルですから、だいたいどんな映画か想像がつきます。そして、このヴェンダースの映画の雰囲気はこうしたアメリカの「面白い」映画の雰囲気はまるでありません 笑)

一箇所やたらと綺麗なオレンジ色と青の夕焼けが出てきますが、ヴェンダースがこの10数年後に作った「パリ・テキサス」を連想しました。


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映画「死刑弁護人」

2019.09.29.19:00


だいぶまえに録画しておいたドキュメンタリー「死刑弁護人」を観ました。麻原彰晃や林真須美、光市の事件などの弁護人として、憎しみを煽るマスコミの非難の矢面に立った安田好弘弁護士の活動に密着したドキュメンタリーです。

森達也の「A3」でも書かれていましたが、安田弁護士はオウム事件の弁護士として検察からうるさがられ、結局無茶苦茶な理由(冤罪というより検察による捏造)で逮捕されて麻原の弁護をすることができませんでしたが、その時のことなども描かれています。

林真須美の和歌山カレー毒物事件なんかも、証拠も自白もないのに、曖昧な目撃証言(しかも側にいたというだけ)だけで死刑判決っていうのは驚きでした。本人は今でも牢屋の中から自分はやってないと言い続けています。

拙ブログでも最初からなんども書いてきたように、僕は死刑制度は理屈から考えても、現実に照らしても、間違っていると確信しています。それについてはすでに何度か書いてきたので、こちらをどうぞ。ただし、「お前の家族が殺されても〜」というコメントは、以下のエントリーでも書いてますが、無意味なので削除します 苦笑)

死刑制度について
光市事件、死刑確定に思うこと
再び本村さんの言葉を考える
しつこく死刑制度について
死刑制度のこと
麻原らの死刑執行について
何度でも死刑について

だけど、びっくりしたのは、このドキュメンタリー、ナレーションを山本太郎が勤めていたことでした。

2012年の製作なので、山本太郎はすでに反原発を主張して、TVなどから干されていた時期ですね。反原発から労働問題貧困問題に関心が繋がっていったと、どこかで言っていますが、きっとこういう仕事をしながら、いろんな勉強を積み上げていったところで、今の彼があるんだろうなと、なんとなく納得しました。

彼が言っていることを実現できっこない理想を振りまくだけとクサす人も多いですが、山本太郎の話を聞けば、実現できないというのは、これまでのデフレ20年間の間に刷り込まれた妄想なんだと思いますね。

死刑制度もそういう長年の間に刷り込まれた妄想の1つだろうと思っています。


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映画「日本鬼子(リーベンクイズ)」

2019.09.18.12:02

IMG_3572.jpg

実はこのドキュメンタリー、先日書いた「サタンタンゴ」と同じイメージフォーラムで1週間前に見たものです。

副題は「日中15年戦争・元皇軍兵士の告白」で、14人の元兵士たち、いろんな階級の兵士たちが、自分たちが中国でしたひどいことを語ります。軍医もいれば士官や一兵卒もいます。しかし、2001年公開なので、ここに出てくる元兵士たちはみんなすでに鬼籍に入っていることでしょう。

この映画をみて、ここで自分がしたとんでもないことを語っている老人達に、憎しみを感じる人はいないと思います。だけど、今では好々爺然とした老人達が語る内容はものすごいものがあります。そして、結局、拙ブログのモットーと完全につながります。つまり、

この世の中には0.01%の悪人と99.99%の普通の人がいるわけではない。普通の人がとんでもないことをするから、人間は恐ろしい。

本当に恐ろしいのは、偉そうなことを書いているこの僕だって、この14人と同じ状況に置かれたら全く同じことをしていただろうということです。

元兵士達が語る内容についてはすでに似たような話をいくつも読んだり、 TV で見たこともあるし、武田泰淳や堀田善衛の小説や、辺見庸の本でも似たような話は出てきます

だからこの映画の見所は個人的には彼らが語る内容ではなく、カメラの前で語っている彼らの姿でした。ほとんど普通の顔で、深刻ぶることもなく淡々と自分が行った残虐行為を語りながら、なんであんなことができたんだろうと訝る姿に圧倒されます。1つだけ上げれば、若い母親を井戸に放り込み、井戸の周りを泣き叫びながら右往左往する幼児も井戸に放り込むと手榴弾を投げ込んだことを、淡々と語る老人のギャップに愕然とさせられます。

何であんなことができたんだろう? その回答の1つは軍隊の中での理不尽で、陰湿極まりない上級者による新兵いじめにあったとされます。キューブリックの「フルメタル・ジャケット」でも同じように徹底的な罵倒と暴力によって新兵達が人間性を失っていきますが、日本の場合はそれにさらに、上官の命令は天皇の命令だということで理不尽度がアップします。さらにそこに差別感を増幅させた、中国人は人間ではない、という感覚が追加される。。。ナチスがユダヤ人やスラブ人を劣等民族扱いしたのと同じです。多分この2つが相まって、さらには相手が抵抗できない農民達であったことから、何でもできる万能感が彼らを無意味な殺人に駆り立てたのでしょう。

彼ら元兵士達は皆一様に、初めて人を殺した時の恐れと慄きを語ります。つまり、彼らは最初から人殺しではなかった。当たり前です。そして、それはきっと忘れられない記憶なのでしょう。だけどその後何十人、何百人も殺すうちに殺すことがなんでもないどころか楽しくなってくる。笑いながら今日は何人殺したかを仲間と自慢し合うことになる。恐ろしい話です。

観ながら、ここで何度も書いたことがあるソ連映画「炎628」や、有名なところでは「戦場のピアニスト」を思い出しました。日本軍がやったこととナチスの特別行動隊(アインザッツグルッペ)というSSのユダヤ人虐殺部隊がやったことは、何の変わりもなかったどころか、日本軍はそこに強姦が加わりもっと酷かったかもしれないわけです。少なくともアインザッツグルッペはユダヤ人をレイプはしていません。数が多すぎてそんな暇がなかったとも言えるのかもしれませんが。。。まあ、こんなことを比べても無意味でしょうね。。。

ただ、見ながら、中国にはアジア版の「炎628」を作る権利はあるな、と思いました。


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映画「サタンタンゴ」(ネタバレ)

2019.09.14.01:41

サタンタンゴ

今日(9月13日)から東京渋谷のイメージフォーラムで上映が始まりました。お昼の12時半から夜の8時半過ぎまでの長丁場。昔タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」「惑星ソラリス」「鏡」の4本立てという無茶苦茶な 笑)オールナイトを大井町にあった映画館で見たことがありましたが、一作だけでは映画館で見た一番長い映画でした。以前ここにも書いたソ連版「戦争と平和」も昔オールナイトでみましたが、あれだって全4部で7時間弱(いろんな版があるみたいですが)。

とこで、初日でしたが、どうでしょう?4割ぐらいの入りだったかなぁ。明日は監督のタル・ベーラの講演があるのですが、気が付いた時にはすでに予約で満席でした 涙)

しかし、昨日は自転車に7時間以上乗り、今日は映画で7時間以上 笑) 疲れが出て途中で寝ちゃうんじゃないかと不安だったんですが、瞬間的に意識が飛んだ瞬間がなかったとは言いません 笑)が、なんとか持ちました。

お話はどこかでこんな話を見たことがあるな、と思っていたんだけど、途中で、拙ブログでも紹介したことのある韓国アニメの「FAKE 我は神なり」だ!と思いました。無論あちらではカルト宗教がらみの詐欺の話でしたが、こちらはむしろ警察のスパイの詐欺師の話です。

ある貧しい農村が舞台。荒れてて、それぞれ村人同士で不倫しあってたり、村落で集めた金を持ち逃げしようと画策していたり。。。しかも秋の雨季が始まり村は泥だらけ。辺りの風景は平野で単調な道の脇に時々枯れ枝ばかりのような寂しい10本程度の木の生えた林があるだけ。

そんなところへ2年前に死んだと言われていた男が帰ってきて預言者のように弁舌巧みに振舞い、新たな農村コロニーのようなものを作ると称して村人たちの金を巻き上げてしまう。しかしてその実体は警察のスパイで、農民たちのことを警察に報告している。そしてそんな村落の様子を、家の中から双眼鏡で観察しているアル中の医者が逐一ノートに書き取っている。。。そして最後の結末もこのアル中の医者が映画冒頭の説明文を繰り返すことで、映画全体の円環が閉じるような作りになっている。。。

ただ、ストーリーはどうでもいいんだろうなぁ。白黒の映像の美しさが特筆ものだし、人々が移動するシーンを全く省略せず、道を歩く人たちの姿を正面から、あるいは背後から延々と映し続ける(背後から近距離で延々と後頭部と背中を写すのなんか、タル監督の助手をしていたネメシュ・ラースロの「サウルの息子」の原点がここにあるなと思わせます)。例えば、雨の中、ある家の玄関が写っている。それが30秒ぐらい延々と写され、やっと人が登場して玄関から入る。そしてその後また30秒はそのまま雨だけが振り続ける玄関が写し続けられる。30秒と書いた数字はいい加減だけど 苦笑)、だいたいそんな感じ。誰かが道を向こうに向かって歩いていく。その後ろ姿を延々と写し続ける。多分、あれは500メートル以上歩いているんじゃないかなあ。これまた500メートルという数字はいい加減 笑)

また、お話の真ん中に出てくる少女がすごい。知的な障害があるという設定だけど、歩く姿が、どのくらいだろう?正確にはわからないけど印象としては5分ぐらい延々と正面から映し出されるんだけど(タイマー持って行って測りたかったなぁ 笑)、無表情でものすごい存在感。どこかで見たような雰囲気だな、「ニーチェの馬」の娘みたい、タル監督はこういう顔が好きなんだろうな、と思っていたんだけど、帰りにパンフを見たら、なんのことはない、「ニーチェの馬」の娘の17年前の姿だった 笑) 「ニーチェ〜」が2011年、この映画は1994年というわけで、この娘はその後タル監督の「倫敦から来た男」でも出ていて、ぼんやりした顔なんだけどやたらと印象的。

さて、7時間以上の映画、何しろ長〜いワンカットの連続で、しかも顔のアップのまま動かず喋らずじっとしているシーンも多く、そういう緊張感ってのは流石に疲れます。雨の中、トラックの後ろに乗った農民たちの顔を写していくシーンはタルコフスキーの「ストーカー」のトロッコのシーンを思い出しました。このトロッコは有名なシーンで、映画史上最も眠くなると言われています 笑) ただ、この「サタンタンゴ」の方は音楽が鳴り続けていますが。

前半では村人それぞれを中心にした1日の出来事が描かれます。その際、同じシーンが別の視点から再現されます。これがかなり面白いです。前のエピソードで描かれたシーンが別の登場人物が見ている形で繰り返されます。それが全部で3回か4回あります。それぞれのエピソードではデブでアル中の医者のエピソードと、上記の少女のエピソードが面白く、あっという間に時間が過ぎたという印象です。後半は預言者然とした詐欺師が中心のエピソードになります。

しかし、もうこれで映画に関しては怖いものはないですね 笑) 個人的には「ニーチェの馬」の方が好きですが、この映画もきっと今後何度も思い出すことでしょう。

***追記: 9/14、11:40
一部加筆しました。


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ズビャギンツェフの映画(3)「エレナの惑い」

2019.09.08.21:06

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第三作目は「エレナの惑い」。これは話がわかりやすいし、映像的にも他の作品と比べれば、びっくりするようなことはしてない。前作のヴェラの祈りが絵画のような風景(僕が思い出したのは映画の「1984」の中で主人公が何度か思い出す美しい風景があったけど、それを連想した)だったのに対して、これはむしろ室内が圧倒的に多い。冒頭シーンでもそうだけど、室内の光と陰のコントラストが面白い。監督は映画ごとに画面の色調やカメラワークを変えてるんじゃないかなぁ?

主人公のエレナは50代半ばぐらいだろうか? 実業家の夫は70ぐらいだと思われる。それぞれ再婚で、それぞれに前の結婚での息子と娘がいる。夫が十年前に入院した時に看護師だったエレナと結婚し、都会の高級マンションに住んでいる。夫はスポーツジムに通い、バイアグラを飲んで朝からエレナを誘ったりして元気なんだけど、突然心臓麻痺で倒れる。とりあえず一命を取り留めるのだけど、遺書を書くと言い出し、財産は自分の娘に相続させ、エレナには遺族年金で生活できるようにすると言う。

エレナの息子は働く気もないどうしようもないクソ男だけど、そんな男にも家族があって15、6歳?の子供がいる。エレナはその子(=孫)をえらく可愛がっていて、大学へ裏口入学させようと考えている。しかしそのためには金が必要なのである。そこで、エレナはどうしたか。まあ想像できるでしょうけど、今回もネタバレはしません。

エレナが住んでいる都会の高級マンションと、息子家族が暮らす発電所のある町の狭く汚いアパートで、ロシアの格差社会を暗示し、そこに暮らす孫たち少年の生活もなんともやりきれないものがある。

エレナと夫は年齢相応に仲が良さそうに見えるが、唯一ぶつかるのがこの息子たちと、夫の方の娘のことだ。娘の方もこれまたどうしようもないクソ娘なんだけど、父親は彼女を愛していて、遺産を全て残そうとする。

冒頭の早朝の枯れ枝のカラスから始まって、小津安二郎か?っていうような人のいない室内を繰り返し写した後、エレナが目を覚まし、夫を起こして朝食の準備をし、二人向かい合って食事をするまでの10分ぐらいを、ほとんどリアルタイムじゃないか、っていうテンポで写す。このシークエンスはさすがにワンカットではないんだけど、後半、クライマックスのワンカットはすごい。あることを待つエレナの姿から台所であるものを燃やすまでの5分以上のワンカット。カメラの動きも、エレナの反応も、エレナの前で燃える炎のアングルも、そして何よりその難しいシーンを演じきるエレナ役の女優の演技力もものすごい。そういえばズビャギンツェフの映画の俳優たちの演技はみんなものすごいレベルの高さだと思う。

そしてラストは冒頭の枯れ枝のアップ。しかし冒頭と違ってカラスはいない。そして時刻は夕暮れ時だ。このラストも普通の映画ならどんでん返しが待っているはずなんだけどね。こうした終わり方ってロシア的なのかも。少し前に読んだチェーホフの短編に「谷間」と言うのがあったけど、あれもこんな感じだった。勧善懲悪とかつじつま合わせというものを徹底的に拒否している感じだ。

どこかの映画館でズビャギンツェフの特集か連続上映会でもやってくれないかしらん? ただ、陰々滅々だからなぁ。。。 笑)


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ズビャギンツェフの映画(2)「ヴェラの祈り」

2019.09.08.20:56

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亡き父の残した田舎の家に滞在しにきた一家の波乱万丈の数日間の話。そういえば前作の「父、帰る」も1週間の出来事でした。

冒頭、突然疾走する車が出てきて、運転する男は主人公の兄で、腕に撃たれた傷があるシーンから始まる。これも、このシークエンスが終わるまで、いやその後も何の説明もない。だけど、途中での会話から、これまた何となくお話は作れそう。

さて、田舎の家でくつろいでいると、突然妻が主人公の夫に妊娠したけどあなたの子供ではない、と言う。え?? というわけで夫は友人たちや同僚たちを疑い始める。妻の不倫の相手は誰なんだ?? でもそれがハリウッド映画のように過剰に夫に感情移入しない。何だか淡々と展開していく。夫も相手と思しき男のところへ拳銃を持って押し掛けるんだけど、てめえ、ぶっ殺してやる!みたいな激情的なところはなく、雨の中、車を止めてぼんやりしているうちに寝込んでしまったりする。

この作品も後半でびっくりの展開になるが、これもネタバレしないほうがいいんでしょうねぇ。そして、とてもスタイリッシュに始まる最後の20分ぐらいが、謎解きのようになっているんだけど、それでも謎は残る。しかし風景の映像は素晴らしいし、様々な細部のこだわりがすごい。特にあの丘の斜面に立つ教会のコントラストの強い映像はそのままシュールな絵画のようで、いつまでも観ていたいと思うぐらい美しい。そして思わせぶりなシーンも満載だ。子供達がレオナルドの受胎告知のジグソーパズルをやっているシーンなんか、処女懐胎したマリアとその夫ヨゼフに対する主人公夫婦の対称性を表しているんだろうし、水の流れていなかった川に向かって、最後に雨が降って水が流れて注いでいく水路を延々と写すシーンなんかも、話の流れが繋がったことを暗示しているのだろうか? 

完全に謎なのは、途中中盤で電話(固定電話がこの映画の中では重要な小道具)が鳴り主人公が出ると相手は若い娘で、一言も発しないままバッハの「マニフィカト」のレコードをかけてそれに受話器を向けている。この娘は誰? この15秒ほどのカット以外にはこの娘は出てこないので、この映画の話に関係ないのかもしれない。唐突に流れるバッハの「マニフィカト」による暗示かと思うのだけど、よくわからない。「マニフィカト」はマリア賛歌とも呼ばれるもので、受胎したマリアの神に対する感謝の祈りだから、この映画の内容とも関係すると思う。

テーマは「愛」だ。このズビャギンツェフという監督は家族の愛が常にテーマになっているようで、この「ヴェラの祈り」でも、寝る前に子供が読まされる聖書の文句はうわべだけ取り繕ったところで愛がなければ無意味だというようなことを言っていた。夫の態度に対する批判なんだろうと思う。夫は結局妻を愛しながら、自分のことばかり気にしているのである。ただねぇ、これって辛いものあるよね 苦笑)

この映画でも最初と最後は一本の樹木や疾走する車の通過する道。特に後者は逆方向で繰り返される。最後の麦束を集める農婦たちと、彼女たちが歌う歌が、なんとなくこの映画の神話的なイメージを高めているかも。でもよくわからない。


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ズビャギンツェフの映画(1)「父、帰る」

2019.09.08.20:34

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すでに拙ブログでは「ラブレス」「裁かれるは善人のみ」という2つの映画について書いた。アンドレイ・ズビャギンツェフという監督の映画は全部で五作あるので、遡って観てみた。いや、どれも凄いです。何がすごいって、映画としての密度がすごい。全くエンタメにしていない真実度がすごい。暗示的に示される謎めいた作りと見終わってからの余韻がすごい。繰り返し見ても飽きない。いや、むしろ繰り返し見ることで再発見がある。こういう風に、作った作品が全て凄く繰り返し見たくなる監督はなかなかいないだろう。タルコフスキーぐらいかな?

ズビャギンツェフの第一作は「父、帰る」。12年間不在だった父親が突然帰ってくる。妻と母親と男の子兄弟二人は当惑気味であるが、帰った翌日には父親は息子二人に旅に出ようと誘う。14、5歳?の兄の方はそれでも父とうまくやろうとするが、12、3歳の弟の方はことごとく反発する。

父が帰った時に子供達が本物の父かを見比べるために父の写真を探すのは、旧約聖書の画集の中からである。だからだろう、帰ってきた父親はやけに旧約的・家父長的な父親で、無口だが威圧的である。で、反発しながら親子3人でキャンプしながら海?に出てボートで孤島に向かう。この映画は多分ネタバレしない方がいいでしょう。テーマも神話的アーキタイプとして言えるところはあるけど、それを言っちゃったら完全ネタバレだからねぇ。。。何れにしても後半でびっくり仰天の事態になり、最後は。。。しかし、ひょっとしてこれって監督自身の父親に対するイニシエーションだったのかも、と思ったりしました。なんのことかわからない? まあ、騙されたと思って見てください。びっくりするよ 笑)

ともかく映像としての密度がすごい。それから例によって謎がたくさん。しかもそれらの謎は映画の中では種明かしされない。父は誰に電話していたのか? 父が掘り出した箱は何なのか? 父が12年も不在だったのは何故なのか? まあ、なんとなくお話は作れそうな材料が並べられているけど。。。

ズビャギンツェフ、どの映画でも、最初と最後に同じものが出てくるのはかなり意図してやっているんだろう。「裁かれるは善人のみ」では、まるで何か巨大生物の死骸のような沈みかかった廃船。この図はコントラストが強調されていて圧倒的だし、途中に出てくるクジラの骸骨?と相同をなす。そういえば船や水面は、いろんな映画に出てくるけど、常にコントラストが強調されているような気がする。「ラブレス」ではリボン?が引っかかったあの冬枯れの巨木。どれも最初と最後で同じものが映し出される。

この映画では冒頭の水中のボートや物見櫓(灯台?)が最後にも出てくる。特に物見櫓はそれぞれ違うものではあるけれど、冒頭では取り残された少年を母が迎えに来てくれるが、最後の方では父に追われてそこへ逃げるという逆の舞台になる。明確な意図ありだよね。

父の立場になって、自分になつかない子どもとの葛藤と見るか、それとも子どもの立場で強権的な父との葛藤と見るかによって、イメージが変わりますね。僕は最初に見た時には前者で、2度目に見た時には後者の見方でした。

***追記:9/14, 12:59
加筆しました。


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映画「裁かれるは善人のみ」(完全ネタバレ)

2019.08.19.13:43

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以前紹介した「ラブレス」と同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の2014年の映画。こういう映画が大好きだあ 笑)いろんな暗示があちこちにふりまかれていて、話をわかりやすく説明せず、重く暗く、最後もカタルシスなんてかけらも無い。

以下、ネタバレしますが、私は2度目に見たときのほうがよくわかったし、退屈せずに面白く見られたので(むしろ1回目の方が眠くなった 笑)、ネタバレが問題な映画ではないと思います。ロシアや東欧映画にはこういうタイプが多いですね。というか、僕がそういう映画を好んで見てるってことかな 苦笑)

さて、いろんな暗示と書いたけど、むしろ暗示は1つ、政治的なものだ。悪辣な市長の執務室にはプーチンの肖像が掛けられていて、これでもうすでにかなりアブない。主人公らがみんなで河原で小銃や機関銃をぶっぱなすシーンでは、歴代のソ連の指導者たちの写真をマトにしようとする。直接プーチンの名は出てこないが、最近のやつはしばらくは壁にかけて熟成させるなんて言う。

だけど、何よりひたすら悪がはびこり不公平がまかり通る理不尽な現代ロシア社会に対する批判がこの映画が描きたかったものだろう。その意味では黒澤明の「悪いやつほど良く眠る」を思わせる。

権力者は警察も司法も宗教も、そしてマフィア?すら支配下に置き、主人公たちを追い詰めていく。不当な立ち退き命令によって先祖伝来の家を追われそうになっている主人公は旧友の弁護士をモスクワから呼んで対抗しようとするが、市長に対する被害届を提出に行くと拘束され牢屋に入れられてしまう。これはすぐに釈放されるのだが。。。弁護士も市長の過去を調べ上げて資料を揃え、主人公の求める額の金で取引しようとするが、一旦うまくいったように見えながら、逆にボコられ脅されて逃げ帰ってしまう。

原題は「レヴィアタン」 旧約聖書に登場する海の怪物で、この映画の中でも海の中をのたうつクジラが決定的なシーンで出てくるし、海辺にクジラ?の巨大な骸骨が出てくるけど、むしろホッブスが「リヴァイアサン」でこの怪物を国家の比喩(良い意味らしいです)で使ったように、この映画ではおそらく権力のことではないかと思う。それは司祭が主人公に語るヨブ記の中のレヴィアタンを人間が逆らっても無駄な怪物という意味で語っていることからもわかる。

「レヴィアタンを鉤にかけて引き上げ、その舌を縄で捕らえて屈服させることができるか。ヨブは運命を受け入れて140まで生きた」

つまり権力を屈服させることはできない。運命を受け入れば幸せになれるということだ。それを受け入れなかったために主人公は妻を亡くし自らは妻殺しの冤罪(?)で刑務所に入り、先祖から受け継いだ家は最後パワーショベルによって破壊される。

最初に見たときに、一度は市長を追い詰めた弁護士が襲われ、そのまま泣き寝入りのようにモスクワへ帰ってしまうのが何故なのかと思ったのだが、もう一度見直したらすぐ前に市長と司教が会食するシーンがあり、そこで裏から何か手を回したのだと思われる。あるいは娘のことを言われたから家族のことを心配したのだろうか?

宗教が弾圧されていたソ連時代のタルコフスキーはロシア正教に対して強い敬慕の思いを繰り返し語っていたけど、ロシア正教が権力となったソ連崩壊後のズビャギンツェフの態度はそれとは真逆。ただ、映像はどこか宗教的な雰囲気があるので、監督が無神論者であるかどうかはわからない。ひょっとしたら廃墟の教会がなんども出てくるが、それがラストの立派な白と金の教会との対象で、本来の信仰が堕落してしまったことを示しているのかもしれない。

映像的にロシア映画に特有の長回しはあまりないけど、決定的なシーンは画面の外で行われるのはブレッソンやロシア系の監督たちに多いやり方。何しろ風景の荒涼感がすごい。プリブレジヌイという町の名前が出てくるので、どこらへんだろうと検索したらいくつか引っかかるんだけど、この映画の舞台とは思えない内陸だったり、ロシアの飛び地のカリーニングラードだったり、どうもよくわからない。ただ、海辺の寂れた町で、家々はどれも廃屋のよう。巨大生物の死骸のようなボロボロの半分沈んだ廃船が最初と最後(だけではないが)に非常に印象的に写されて、この映画の雰囲気を見事に表している。

ただ1つ救いがあるとすれば、最後に残された少年を引き受ける主人公の友人夫婦だろう。でもそれだけだな 苦笑)

「ラブレス」でも少年はどうなったのかわからないままだったが、この映画でも妻の死は自殺だったのか他殺(夫が犯人であるとは思えないので、市長の差し金か?)かは不明のままで、このあたりの作りも好みだわ 笑)

同時に、日本でもレヴィアタンは猛威を振るっているようで、ロシア社会を笑えなくなりつつある。


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映画「新聞記者」覚書き(ネタバレ)

2019.06.29.21:15

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いやぁ、面白かった。エンターテインメントとしてのレベルが高い。色恋もなければアクションもないけど、ハラハラするし涙も出るし悔しさや爽快感や怒り。先入観として、もっと明確な安倍政権批判が出てくるかと思ったけど、それほどでもなかった。

いや、特に前半は最近の政治の劣化をそのまま写し取って、というか、実際にあった出来事を連想させるエピソードが組み込まれていて、よくこれを上映できたな、と思ったが、後半のメインストーリーは見事なエンタメ。面白かったあ。

しかし、10年前、20年前なら、この映画に描かれた社会は「未来世紀ブラジル」とか「1984」とかオーソン・ウェルズの「審判」に通じるようなディストピアSF映画だったんだろうけど、今は現実になってしまったんじゃないだろうか? 

実際『悪の巣窟』(笑)内閣情報調査室の雰囲気はキューブリックの映画に出てきそうな気持ち悪いほどの清潔感。窓を閉め切った薄暗い部屋の中で無数のパソコンのモニターの明るさだけ。顔が影になって判然としない無数のスーツ姿の男女が無言でパソコンを相手にキーボードを叩いている暗い室内の雰囲気は一種カフカ的なおぞましさがある。

主役の女性記者を韓国人の俳優シム・ウンギョンがやったことは、最初はどうしても日本語の発声の癖が気になるんだけど、途中で彼女はアメリカ育ちだという設定がわかると、そのあとはそれほど違和感を感じないし、なによりこの役をやれる日本人女優はいないだろう。たとえば、もう一人の主役の松坂桃李の奥さん役の本田翼がこの役をやったら、と考えたら 笑)、シム・ウンギョンにして大正解だったと思う。

松坂桃李も演技を見たのは初めてだったけど、思っていた以上に良かった。シム・ウンギョンに情報を初めてリークするシーン、後ろについてくる彼女に電話で見張られていないか確認した後、振り返って彼女を見る一瞬の立ち姿の格好良いこと! そして最後のシーン、憔悴しきった顔で口だけが「ごめん」(たぶん?)と動く。

こういう映画は悪役が本当に憎たらしくないとエンタメにならないんだよね。その意味で内閣情報調査室の参事官をやった田中哲司という俳優もすばらしかった。これ以上ないだろうっていうぐらいの悪役ぶり。なにしろ改ざんもみ消しは無論のこと、一般人すら陥れてフェイク情報をばらまくよう指示する。主役の記者を電話で脅し、しかも自分は日本のためにやっているのだという信念をもっている。

最後、新聞はスクープで政権の目論見を暴くけど、悪役はそれほどショックを受けていないようで、最後に彼が言う、日本には形だけの民主主義があれば良いんだと言うセリフは、権力者たちの本音以外のなにものでもないだろうね。

昨日の初日三度目の回、吉祥寺の映画館60数席は満席でした。


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映画「焼肉ドラゴン」(ネタバレ)

2019.06.20.23:33

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うーん、映画としての出来がそんなに良いとは思えませんでした。ギャグもやや滑り気味だし、たとえば韓国映画だったらもっといろんな意味でパワーがあるだろうな、と思ったりしました。でも、それでも、こう言う映画は作られなければならなかったのだと思います。

昭和45年前後、娘3人と男の子がいる在日韓国・朝鮮人一家の話です。父と母はいわゆる在日1世で、感情が高ぶると韓国語が飛び出しますが、2世の娘たちは韓国語が話せなかったりします。

父が戦後なぜ独立なった韓国へ帰れなかったかと言うと、彼は済州島の出身で、戦後この島では大変過酷な弾圧があったことは、キムソクポム(金石範)の「火山島」という長編小説でも有名です。だから彼は帰るに帰れなかったわけです。

最後は一家は住んでいた土地を離れていき、娘たちはいかにもこのころの在日の人たちがたどる3つの典型的な航路へむかっていきます。つまり、長女は北への帰国事業によって北朝鮮へ、韓国人と結婚した次女は韓国へ、そして日本人と結婚した三女は日本に残り、そして、ただ一人の男の子は天国へ。家族はバラバラになります。もう少しポジティブな言い方をするなら、それぞれが自立します。ただ、3人の美人姉妹に、この後どんな運命が待っているのでしょうね。

以前拙ブログで紹介した「伽倻子のために」や「かぞくのくに」、「パッチギ」なんかを連想しました。


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テオ・アンゲロプロス監督の「アレクサンダー大王」

2019.06.09.23:17

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いやはや、半分は苦行だわ 苦笑) だけど、時々、もう本当にハッとするような美しい場面が出てきて、観てよかったと思わされます。特に始まって15分ぐらい? の森の中の円形の空き地が黄金色にスポットライトを当てられたように輝き、そこに白馬がいて、「アレクサンダー大王」がかぶとをかぶり馬に乗るシーン。延々と10分近くワンカットワンシーン。

前から何度か書いているように、ワンカットの長いシーンってどうも心惹かれる。ただ、何しろアップが全くないし、構図のわざとらしさやセリフの少なさ、説明の少なさに、これってなに?と思う。まあ、はっきりいって予習した上で見るべき映画で、ネタバレ? それってなんのことですか? という映画。

テーマはアンゲロプロス監督ですから、例によって19世紀から20世紀にかけてのギリシャの近代史。ある村が一人の教師のもとで原始共産制で営まれ、義賊のアレクサンダー大王と呼ばれる脱走犯が英国貴族たちを人質にしながら、部下を連れてその村へ合流する。そこにイタリアから亡命してきた無政府主義者たちも合流。さらに政府軍がやってくるけど、カリスマ性があるアレクサンダー大王においそれと手は出せないままにらみ合いが続く。

アレクサンダーは英国貴族たちを盾に自分たちの罪を問わないことと、英国資本によるギリシャの地の搾取をやめさせることを求める。

そんな話を例によってアップのない長回しのカットで描いていきます。何しろカットが長く、動きがない。カメラはゆっくりと360度パンして周囲の風景を映し出し、その間、緑のないガレ場のような斜面に黒い衣装の人たちが泰西名画のような配置でポツンポツンと、まさに絵画のように動かずに立っている。

ギリシャらしく神話のようであるとともに、混乱のギリシャ近代史が暗示され、極めて政治的(この言葉はこの映画が作られた1980年ごろには反資本主義的という意味です)であって、それが何か古典芸能のような様式化された動きで描かれていく。

最後は無政府主義も原始共産制も、そしてアレクサンダー大王の持つカリスマ性も国家権力の前に全て敗北するわけだけど、非常に象徴的な映像でそれを見せる。これが英雄に対するオマージュなのか、それとも独裁者の末路と考えるべきなのか。。。

最後のアレクサンダーの名前を継承した子供が大都市へ逃げていくのは、アレクサンダー的なもの(独裁的であったり反資本主義的だったり反権力だったり)の芽がギリシャの地に入っていったということの暗示なのかな。この映画が作られた頃のギリシャは社会主義政権だったから、アンゲロプロスの政権に対するエールなのかな、なんて思ったりした。

アレクサンダー大王をやったのはイタリアのオメロ・アントヌッティという名優。タビアーニ兄弟の監督した「父・パードレ・パドローネ」や「サン・ロレンツォの夜」、スペインのビクトル・エリセ監督の「エル・スール」、同じくスペインのカルロス・サウラ監督の「エル・ドラド」でアギーレ役をやった禿頭の印象的な顔をした人でした。


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映画「主戦場」を見た!

2019.05.18.01:23

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見てきましたよ。正直見たくない顔が次々に出てくるとわかっていたから二の足踏んでたんですけどね 笑) しかし、見てよかった。斎藤美奈子が言うように、彼らはみんな見事に墓穴を掘ってます 苦笑) 顔を見ていると、うろたえているのがわかったりしちゃう(特にケント・ギルバート)。まあ、あれで説得力があると思う人は真性の安倍真理教でしょう。

特に最後に出てくる日本会議の加瀬英明! びっくりするよ。自分で歴史学者と言いながら、他の歴史学者の本など読んだことがないと言っちゃう。学問ってなんだと思っているのだ!と、見ながら怒りで頭が真っ白になりましたね。

偉そうなことを言うつもりはない。でも学問っていうのは先人の業績をもとに、そこに何を付け加えられるか、何を間違いだと指摘できるか、それによってわずかずつ積み上げていくものなんですよ。その手続きを全て吹っ飛ばして、ある種の謀略史観のようなデタラメでこれまで積み上げてきたものをひっくり返すなんていうのは無教養の極みです。

教養とは、例えそれが結果的に先人の業績を否定するものになるとしても、その先人に対するリスペクトが前提にあるものです。それを保守派と言われる秦郁彦の本も含め、他の人の書いたものなど読んでないだと?? ふざけるな! こんなの歴史学者でもなんでもない!! と思いましたね。

この映画を左翼のプロパガンダだと言う人もいることでしょうけど、右翼と左翼と言った瞬間にもう政治的なテーマとして取り込まれてしまっているんだと思います。この映画の中ではそれをしっかり描いていますね。問題は左翼や右翼ではなく、事実はなんなのか、ということです。リベラル側にだって、おそらくありえない極端な例を挙げて(映画の中では8歳の少女まで慰安婦にさせられたなんて言ってるアメリカ人が出てきます)、逆にそこを慰安婦否定派から突かれる甘さを露呈しているわけです。一方で「新潮45」を廃刊に追いやった張本人の杉田水脈も、国会の場でフェイク情報を垂れ流し、それを指摘されるとヘラヘラと言を左右してごまかそうとする。

この映画でも出てくるし、拙ブログでも以前紹介したパク・ユハの「帝国の慰安婦」が僕にとっては、この慰安婦問題の基本ラインなんじゃないかと思うんだけどね。この本は韓国では元慰安婦を愚弄したとして訴えられ、日本では右翼からは無視され、左翼からは非難されているんだけど、この本はいろいろ韓国側にも問題があったにしても、「女性たちに地獄を経験させた責任が大日本帝国にあることは言うまでも」(p.320) ないと主張していて、これが一つの起点になるのではないかと思います。そして、この映画でも、当時の韓国の家父長制と儒教の負の面に付け込んだ日本帝国の責任は絶対に免れるものではない、と言われます。このあたりから始めると言うのが至極妥当なラインではないかと思うんだけどね。

最後の方で出てくる黒幕、つまり日本会議が、日中戦争・太平洋戦争を侵略戦争ではなかった、慰安婦などなかった、残虐行為などなかったと言いたがるのは、再び戦争になったりした時に下々の国民が従順に戦場へ行ってくれなければ困るわけだから、彼らの立場に立てば理解できるでしょう。無論この「理解」は彼らのいうことを納得するという意味ではないのはいうまでもありません(念の為)。また、第二次大戦の沖縄を見ればわかるように、軍隊は国民を守らない、むしろ「国」を守るためなら自国民を殺す、なんて言うことは、彼らとしては絶対に認められないのでしょう。

そして、そうした連中の太鼓持ちをしている連中の言説も、彼らの立場からすれば理解できます。何しろ、金のやり取りがあるらしいからね。櫻井よしこは、映画の中でそのあたりを突かれると、苦笑いしながら、その件については話したくありませんと言っていたけど 笑)

だけど、昨日の「戦争絶滅受け合い法案」でも書いたことだけど、戦争になれば最前線に送られるような一般人が、なぜ彼らの笛太鼓で踊るのだろう? なぜ戦時中の日本が非難されると自分が非難されたかのように怒るのだろう? なぜ日本だけ特別な国だと思いたいのだろう? 

その答えはおそらく差別意識である。それが櫻井やトニー・マラーノや、特に杉田水脈と藤木俊一の発言に、いみじくも滲み出てくる。特に藤木俊一という人は、カメラの前でよくあんな露骨な差別的なことを言うよなぁと、その脇の甘さにびっくりした。そして、彼らの言説に頷くいわゆるネトウヨや安倍真理教の信者たちも、絶対に自らの中にある差別意識の解放に喜びを見出しているのだと思う。

それだけに、後半で出てくる櫻井よしこの後継者と言われながら、その後改悛した日砂惠ケネディの言葉はどれも重く響く。彼女は自らのそれまでの発言を省みて反省するとともに、それによって「自由になれた」というのである。安倍真理教の皆さんも「自由になれた」というこの爽やかな気持ちを味わってみたらどうかね?

(5/18, 9:30 語句を変えました)


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映画「トンマッコルへようこそ」

2019.04.30.14:13

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朝鮮戦争時を舞台にした韓国映画。うーん、見始めてすぐに、ちょっと甘すぎるなぁ、と思ったんだけどね。以下、途中までネタバレしますが、後半はバレないように気をつけます。でも、まあ 笑)

お話は南北朝鮮が戦っていた1950年ごろ。南軍の自殺しようとしていた脱走兵と衛生兵、北軍の壊滅した部隊の生き残り3人が、戦争が起きていることを知らない桃源郷のような村で鉢合わせする。銃撃戦が始まるか、というところだけど、村人が間にいて銃を構えたまま睨み合うだけで両者ともに動けない。そこに知的障害の娘が手榴弾のピンを抜いてしまったから大変。南軍の脱走兵が身を呈して手榴弾に覆いかぶさるが、なんと不発弾。くそっとばかりに不発弾を食糧倉庫に投げるとそこでお約束のように爆発。倉庫の中のトウモロコシがポップコーンになって降り注ぐ。

そういえば、この映画降り注ぐシーンが多い。雨も降れば雪も降り、最後は爆弾まで降り注ぐ。

変な笑いを狙ったようなおかしさがあるんだけど、僕はあまり乗れない。知的障害の娘もいい雰囲気だけど、ちょっとやりすぎじゃないかなぁ、と。何より戦争というものを理解できない牧歌的な村人たちの姿は、まあ司令部の冷酷さと対比のためだとしても、ちょっとなぁ、と少し引いた。まあ、そういう意味ではかなり説明的な親切な映画だと言えるかも。

敵と味方が呉越同舟とばかりに最初はいがみ合いながら、最後は一緒に協力するというのは「ノーマンズランド」というユーゴ映画グルジア映画「みかんの丘」を説ブログでも紹介したことがあった。

どの映画も戦争のバカバカしさを描くとともに、最後は悲劇的に終わる。所々の変なユーモアは「ノーマンズランド」と似ているけど、ノーマンズランドは再び殺しあって終わるので、むしろ一緒に協力して戦うことになる「みかんの丘」の方が結末は似てるか? ただ、「みかんの丘」は雰囲気がずっと深刻だったけど。

最後に雪の積もったところに蝶々が舞う。途中でも蝶々の群れが出てくるし、このトンマッコル村は蝶々に守られているのだ。そしてこの最後のシーンでこの村を守っている蝶々がなんなのかがわかる。この時に舞う蝶々は6匹。あれ?なんで6匹なんだろう? と思ったら最後のシーンでああ、6匹でいいんだ、と思った瞬間に涙が溢れた。


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映画「メトロポリス」と階級社会

2019.04.26.19:09

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1927年に公開されたドイツの映画に「メトロポリス」というのがある。これはフリッツ・ラングというユダヤ系監督の白黒サイレント映画だ。僕は1970年代終わり頃に完全サイレントのフィルム上映で、(どこだったか思い出せないけど)カラカラという映写機の音しか聞こえない狭い映写室で見た。フィルムは痛みがひどいし、ところどころに挟まる文字による解説も読みづらくストーリーもよく分からなかった。

その後1980年代にモローダーという作曲家が派手なロック風の音楽をつけて、うっすらと色もつけて公開して大ヒットした。その後モローダー版もTVで見たけど、これはこれでストーリーが分かりやすかったけど、騒々しくちょっと違和感も感じたものだった。

この映画ではスターウォーズの金色のロボットのモデルとされるロボットが出てきたり、摩天楼の未来都市やマッドサイエンティストが出てきて、いろんな意味でその後の様々なSFに影響を与えた映画とされている。

そして、この映画の舞台は権力者階級と地下で奴隷のように働かされる労働者階級に別れた世界である。この設定も後世のいろんなSFに影響しただろうと思われる。例えばアニメの「未来少年コナン」のインダストリアなんかもそうだ。

映画自体はこの上級指導者階級の若者と労働者階級の娘の恋と階級の和解がテーマになっている。この和解というのが、ヒトラー台頭中の左右が衝突し合う混乱のワイマール共和国時代、これがユダヤ系映画人たちの精一杯の主張だったんだろうけど、今の目から見ると権力者階級と労働者階級の和解なんてかなり安易。

と言いつつ、最後に見たのは何十年も前だ 笑)なんでそんな昔に見た映画を思い出したか、と言えば、無論東京の池袋で起こった元高級官僚の老人の暴走事件のせいだ。ちまたではこの老人が容疑者ではなく「さん」付けでマスコミに載っていることに、「上級国民」であるがゆえに逮捕されないという話が広まっているらしい。実際過去の老人による交通死亡事故はことごとく逮捕されているし、運転手が怪我をしていても同様に即日逮捕されているそうである

ただ、今の時代でなければ、87歳の老人の暴走事故がこんなに騒がれただろうか? いや、無論母娘が亡くなったし、他にも怪我をした人がたくさんいるわけだから、大きなニュースにはなっただろうけど、人々がこんな形で怒っただろうか?

森友事件や安倍友のレイプもみ消し事件や原発問題など、忖度(こんな漢字、少し前までは読めなかったよね)やら改ざんやら廃棄が日常的になってしまった時代、マスコミ、特にNHKニュースの露骨なやり方を見る限り、今回もマスコミによる忖度ではないのか、と疑いたくなるのは当然だろう。今はそんな社会なのだ。これを僕は安倍的社会と呼ぶ。戦後最低最悪の社会であることは間違いない。ただし、マスコミの忖度というのはどうだろうか。実際は昨日の東京新聞でも書いていたように、逮捕されない場合は肩書き、肩書きがわからなければ「さん」づけになるというのは理解できる。

しかしそうだとすると、やっぱり警察による忖度が働いているのではないか、と疑うのも当然のことだろう。となると、マスコミとしてはなぜ警察が逮捕しないのかを積極的に追求してもらいたいものではある。警察が逮捕しないから「さん」づけ、ではあまりに警察発表のままであって、マスコミとしての存在意義が危ぶまれるのではないか。オーウェル風に言えば、マスコミが権力の主張をそのまま出すのでは広報だ。


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映画「メッセージ」など(ネタバレ)

2019.04.21.00:00

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CSで新世代SFと銘打って「パッセンジャー」「メッセージ」「ライフ」をやってたのを録画して、三晩続けてみました。「メッセージ」がダントツで雰囲気が良かったけど。。。 苦笑)

お話としては「パッセンジャー」がうまくできていたけど、あの二人、子供は作らなかったんだね。まあ、それはともかく、主役の二人は忘れても、あのバーテンロボットはなかなか忘れられないだろうなぁ。

「ライフ」は「エイリアン」そのもので、苦手な映画。今さっき見終わったところだけど、TVで見たにも関わらず、心臓ばくばくになりました。何れにしてもホラーはダメです。好きな人にはたまらないだろうけど、僕としては映画館で見なくて良かったというところでしょうか。映画館で見てたらまた「エイリアン」の二の舞で、しばらく映画館へ行けなくなったかも 笑) でも、「ゼロ・グラビティ」でもそうだったけど、無重力状態の映像がすごいですね。

昔「2001年宇宙の旅」の無重力状態では鉛筆が一本浮いてるだけでも、どうやって撮ったんだろう? ロケット添乗員の女性が磁石付きの靴?でゆっくりと回転して上下逆になるのや、宇宙船の中をぐるぐると3次元に走るシーンなんかも、それだけで、うわぁすごい! と思ったものでしたが、最近のSFと比べたらさぞかし手間暇かかっただろうに、CGには全くかないませんね。ただ、映画ってのはCGでいくらすごくてもね。かくいう私は「ジュラシック・パーク」途中で寝ましたから 笑)

さて、一番雰囲気が良かった「メッセージ」(昨日見たんだけど、見終わった瞬間にもう一度最初から見直しました 笑)です。1番のテーマとなるのが人類の「時間概念」の大転換。これってどこかで騙された感が抜けない話でねぇ。昔読んだSFに、フィリップ・K・ディックの「逆まわりの世界」というのがあって、時間が逆回転を始めた世界の話だったけど、それだとピストルで誰かを撃ち殺すことは無理だろう!って思ったものだった 苦笑) それはともかく、時間が流れでないというのはわかったようでわからない話だよね。壮大な哲学的雰囲気でなんとなく納得したような気になりそうだけど、よ~く考えてみると、うーん。。。時間が流れではないって感覚、過去も現在も未来も同じ平面にあるってどうなるんだろう? それによって未来がわかるようになるんだろうか? そういえば「インターステラー」なんかも5次元とか言ってたけど、どうも今ひとつ納得いかんのよね 笑)まあ、「インターステラー」はそれ以外にも最後土星のそばに放り出されて、どうして助かるのよ! とまあ、文句つけたいところは色々あったりするけど 笑)

さて、この映画の哲学的な面は、そうしたちょっと騙された感を前提にしている。つまり、未来がわかるとしても、人は将来自分に襲いかかってくる不幸を避けようしないか? この映画で言えば、子供が幼くして死ぬことが分かっていながら、あるいは夫とは離婚することが分かっていながら結婚したり子供を作ったりするのだろうか? 変な連想だけど、見終わって僕が連想したのは出生前診断のことだったけど、これは今の僕にはちょっと軽々に語れない話なので。

ただ、人はみんないつかは死ぬ。そんな自分の死という未来を見ることができたとしても、やっぱり生きるのをやめたりしないだろう。ホモ・サピエンスの歴史は20万年ぐらい、その間、いろんな人が生きて、それぞれの物語を紡いできたわけで、その物語には長いものもあれば、当然短いものもあっただろう(17世紀スウェーデンの墓地の発掘調査から、当時その地域の人たちの平均年齢は17歳だったそうだ!)。この世に生まれるというのはそういう様々な物語に一つその人の物語を追加することなんだと思う。決して誰かのために役立つからとかいう効率的なことを価値観にしてはいけないんだろうと思う。まあ、なんかエセ宗教じみてきたけど 苦笑)

映画のミニマルミュージックというかオスティナートというか、延々と反復する音楽と、カットバック(むしろカットフォワードというべきか)の映像が繰り返される瞑想的な雰囲気は、どこかテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」とかを連想させて、とても良かったし、主人公の女優エイミー・アダムスが僕の好きなタイプだったし 笑)巨大宇宙船の映像もびっくりするものだったけど、あのタコ型エイリアンだけはちょっとなぁ 笑)


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映画「サンセット」(完全ネタバレ)

2019.03.19.23:18

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「サウルの息子」の監督ラースロー・ネメシュによる第二作目。前の「サウル〜」の舞台がアウシュヴィッツだったのに対して、今度は1913年のブダペスト。この時代はオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代です。オーストリアというのは今でこそ日本にニュースなどほとんど入ってこないし、大学生の中にすらカンガルーやコアラのいるオーストラリアと間違える人がいるような小国ですが 笑)、歴史的に見れば陽の沈まない大帝国だった時代もあるんですよね。そんな大帝国も19世紀半ばにはイタリアやプロシアとの戦争で連戦連敗でボロボロ、もともと中部ヨーロッパの大帝国だけに多言語・多民族国家だったから内部から崩壊しそうだったので、泣く泣くハンガリーと妥協してオーストリア皇帝がハンガリー王も兼ねる二重帝国となったわけです。まあ、これは心ある人たちからはクソ帝国(カカーニエン)と呼ばれていたようですが。

そして、そうした欺瞞にあふれたこのクソ帝国、この映画にも出てくる皇太子夫妻がセルビアで爆弾テロで暗殺されて第一次世界大戦が始まり、その敗北によって崩壊するわけです。だから映画の題名「サンセット」はそういう含意があるのは明らかです。

さて、「サウル〜」で圧倒されたのは主人公の後ろに張り付いて離れないカメラでした。シーンのかなり多くがサウルの後頭部の大写しで、その周辺の音響がすごく、周りの状況はピントが合ってなくてボケボケで、でも何しろアウシュヴィッツですから、周囲で何が起きているかは特別な想像力なんかなくても誰でもわかります。

この映画でもほぼ同じやり方が踏襲されていて、主人公の女性の後頭部のアップがかなり頻繁に出てきます。しかもハンディカムで、あまりスタビライザーを効かせてないみたいでやたら揺れます。そしてワンカットの長いこと。また登場人物たちがよく見極めがつかない。あれ? この人さっき出てきた人だよな、と思いつつ、誰だっけと思っているうちにもう話は先へ進んでます。

というわけで、主人公の娘は当時オーストリア・ハンガリー領土だったトリエステ(現在イタリア最東部)からブダペストの帽子屋へ就職しようと出てきた娘ですが、どうやら反政府グループの指導者となっているらしい実の兄を探して怪しげな場所に出入りしたり、兄が殺したと噂される貴族の家を探りにいったり、果てはその帽子屋へやってきたオーストリア皇太子夫妻と絡んだりしますが、結局兄とは何だかわからないまま、会うことができません。そう書くと迷宮的な、めくるめくようなおどろおどろしいカフカ的、ボルヘス的雰囲気を連想するかもしれないんだけど、むしろヴィスコンティ的な絢爛豪華な上流階級の雰囲気満載で、迷宮という言葉とは合わないかなあ。

というわけで何しろ主人公の後頭部ばかりで、画面の視野は狭いし、出てくる人たちが誰が誰だかよくわからなかったりするし、正直一度見ただけだとよくわからない。うん、僕もできればもう一度見たい。まあ、半年後のツ●ヤかな 笑) 

そうしてついに最後には暴動が起こります。主人公の娘の後頭部に張り付いて離れなかったカメラがここでお役御免とでもいうかのように離れていきますが、暴動の闇の中、立ち去っていく娘の後ろ姿はピントが完璧に外れてぼけぼけ。

そして突然画面が変わって、第一次大戦の塹壕の中になります。雨がザーザー降っている中、カメラが誰かの目になって、左右に疲れ切った兵士たちが寄りかかっている中をどんどん進んでいき、正面に従軍看護婦となった主人公の娘が、ここで初めて(?)カメラを正面から見つめ、ちょっとだけ微笑んで、映画は終わります。

だけど、これ何なんだろう? カメラの目は、本編の中でついに会えなかった兄なんでしょうか? それ以上に最後の娘の笑顔は、前作の「サウル〜」のラストを思わせるし、その時と同じくラスト暗転してからもずっと雨の音が聞こえるのも「サウル〜」と全く同じです。

正直にいって、「サウル〜」のような圧倒的な迫力と衝撃はありませんでした。個人的にも期待していたほどではなかったかなぁ。。。でも監督がこのスタイルをどのぐらい貫き続けるのか、ちょっと興味はあります。

音響効果が、周囲の会話や物音を拾ってそのまま流すようなやり方で、臨場感がものすごくある点は前作の「サウル〜」と同じです。音楽はシューベルトの「死と乙女」が繰り返し流れ、ああ、そういえば同じ時代の画家エゴン・シーレを描いた映画の副題が死と乙女だったっけと連想がつながりましたが、あちらは同じオーストリア・ハンガリー二重帝国でもウィーンで、この時代のウィーンを舞台にした映画な多いし、シーレやクリムトだけでなくフロイトやマーラーもウィーンで、それに対してブダペストを舞台にした映画ってあまり思い浮かびませんね。


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映画「狂気の行方」

2019.03.16.10:49

狂気の行方

ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画です。総指揮はデヴィット・リンチだそうだけど、映画界きっての変な監督二人がタッグを組んで、とんでもない変な映画ができたかというと、それほどでもないような気がします。いや、変だよ、変、それは間違いない。だけど期待していたほどではないです 苦笑)

しかし、写真を借りてきたアマゾンのカスタマーレビューは散々ですね。レビューした人の半数は星ひとつ 笑) ただ、レビューしている人たちは一様にデヴィット・リンチらしさがない、あのリンチの世界はないという論調なんですが、僕としてはリンチよりもヘルツォークの方がずっと好きなので(というか、デヴィット・リンチはあまり見たことがない)、この映画は一見してヘルツォーク節(ぶし)満載という感じでした。

ヘルツォークの過去の映画をたくさん思い出させられました。何しろこの監督は「取り憑かれた人間」というのが好きみたいだしね。キンスキーがやった映画なんかみんな何か取り憑かれてたよね。「アギーレ、神の怒り」が典型だろうけど、「フィッツカラルド」も吸血鬼になった「ノスフェラトゥ」も「ヴォイツェク」も「コブラ・ヴェルデ」も、どれもみんな何か狂気を孕んだ執念のようなものを感じさせる主人公ばかりです。

そもそもキンスキーと自分の関係を綴ったドキュメンタリー「キンスキー、最愛の敵」なんかを見ると、監督自身が「取り憑かれてる」狂人じゃないか、と言いたくなるところもありますからね。他のドキュメンタリーでもそうですが、ヘルツォークのナレーションは淡々としていて、思わせぶりだったり見得を切るようなことをしないんですが、「キンスキー」ではその落ち着いた声で、キンスキーを殺す計画を立てたとか言ってしまうので返って怖かったりします。

ドキュメンタリーといえば、登場人物同士の室内でのやり取りのシーンがドキュメンタリー風。さらに濁流やペルーの岩山が「アギーレ」をすぐに連想させる。それから、突然登場人物たちがカメラの方を見て、ストップモーションのように動きを止めるシーンがあるんですが、これもかつて「アギーレ」で、ジャングルの中でみんなが一斉に、まるで記念撮影でもするかのようにカメラの方を向いて止まるシーンがあって、それを思い出しました。

そしてやっぱり出てきました、今回も。 動物(生物)ですよ、動物(生物)。

「アギーレ」ではリスザルの大群、「ノスフェラトゥ」では広場を埋め尽くすハツカネズミ、「神に選ばれし無敵の男」では真っ赤なカニの大群、「シュトロツェックの奇妙な旅」ではニワトリが永遠に踊るんじゃないかっていう変なシーンがあったし、ニワトリといえば「小人の饗宴」でも印象的な小道具でした。それがここではダチョウの大群とフラミンゴでした。そう言えば、拙ブログで以前紹介した「バッド・ルーテナント」も自動車事故の現場に唐突にワニが仰向けに転がってピクピクしてたし、イグアナが出てきたかと思うと、最後は水槽の中にサメの大群でしたっけ。

お話は、殺人事件発生! と呼び出しをくらった刑事ウィレム・デュフォー(この人も変な俳優だよねぇ。キンスキーの迫力には負けるけど)がパトカーで現場に直行すると、母親を殺した青年が人質をとって立てこもっている。そこに犯人の婚約者の娘、犯人が所属していた劇団の演出家ウド・キアー(この人も昔は美男俳優だったようだけど、なんか目が狂気を帯びた感じの見てる人を不安にさせるような顔立ちです)、隣人の母と娘がそれぞれ事情を刑事に話し、それぞれの話がカットバックで描かれます。干渉しすぎの母親の元で、犯人が徐々に人格を崩壊させて狂っていくのがわかるような構成になっていて、最後に人質を解放しろと言われて解放した人質は。。。笑)

いやあ、なんともなぁ。。。ヘルツォークの映画が好きだというのでしたらおすすめですが、そうでなければサスペンスらしいものもないしハラハラドキドキさせられるわけでもないし、単調なつまらない映画かもしれません。


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映画「金子文子と朴烈(パク・ヨル)」

2019.03.08.22:17



いやぁ、前半はドイツ人がナチスの暴虐を描いた映画、例えば「戦場のピアニスト」を見た時に感じるであろうと思えるような居心地の悪さ、もちろん怒りでも悲しみでもなく、恥という言葉ではちょっと強すぎるような妙な気持ちにさせられました。

金子とパクは関東大震災の朝鮮人大虐殺事件の時に逮捕され、皇太子に爆弾を投げようとしたというでっち上げによって裁判にかけられることになるのですが、このあたりの経緯が飽きさせません。テーマが植民地時代に日本の権力に歯向かった朝鮮人と日本人のアナーキストということで、鬼みたいな日本の官憲が出てくるんだろうと思ってある程度の覚悟はしていたんですが肩透かしでした。

上記の「戦場のピアニスト」で言えば、後半に主人公のスピルマンを救うドイツ人将校ホーゼンフェルトが出てきます。きっとドイツ人観客も彼の出現にホッとしただろうなぁ、と想像するのですが、この映画でも人道的、良心的で仁徳のある検事(ホーゼンフェルト1号、ただし本物の検事はホーゼンフェルトとは違って、こんな良心的ではなかったらしいですが)と、人権派の布施弁護士(ホーゼンフェルト2号、こちらは本物も、没後ですが韓国から勲章もらってます)が出てきてホッとします。政府の要人たちも首相の山本権兵衛を始め、ほとんど差別意識などなさそうな良識的な人たちとして描かれています。

ただ、一人、すべての悪の権化みたいなのが内務大臣の水野錬太郎。こいつが震災時に朝鮮人が暴動を起こそうとしているというデマを流し、金子とパクを強引に大逆事件で死刑にしようとし、最後まで悪を一身に背負っていきますが、まあ、史実はきっとこんな単純ではなかったでしょうね。

何れにしても、ちょっとやりすぎじゃないかと思えるほど日本人に好意的です。裁判官は明らかに二人に同情的だし、留置所の係官も最初は抵抗するパクをボコったり文子を言葉でいたぶったりするんだけど、徐々に二人のやりとりや文子の書いた文書を読んで同情的になっていきます。この強面の留置所係官はちょっといい役です。

また内閣の面々も何かどこか変なドタバタ感がありながら、水野錬太郎以外は良心的な人物のように描かれていますし、あれだけ法廷で天皇制批判をしたのに、最後は天皇からの恩赦によって終身刑に減刑されて、二人とも地団駄を踏むわけですが、そこなんかも日本人としては、やっぱり少しホッとしたりしちゃうわけです。

それはともかく、何よりやっぱり金子文子がむちゃくちゃチャーミング。この人のことは(無論パク・ヨルのことも)全く知らなかったけど、こんなすごい人がいたのね。早速図書館で「何がわたしをこうさせたか」を予約してみました 笑)

ところで、映画館の右に座ったおばさんは中盤でコックリコックリ始まって、左に座ってるおばさんは途中の文子が裁判で話をする感動的なシーンから後はずっと鼻をすすりっぱなし。時々嗚咽が聞こえてきたりして、いやぁ、俺ってとんでもないところに座っちまったなぁ、と思ったのでした 笑)


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プロフィール

アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、クラシック音楽(特にバッハ)、友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎても困るが)。少し前から草食動物と化そうと「努力」しています。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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