2010年のドイツ映画ですが、例によって見る人を選びます 笑) 23年間を隔てた少女連続殺人事件が描かれるんですが、犯人は最初からわかっていますから、その犯人が警察などにどう追い詰められていくかのサスペンスかと思いきや!
ハリウッド映画だったら犯人の凶悪さを強調して、もっと緊迫感のあるハラハラドキドキ、最後はカタルシス〜となるものにするだろうと思うけどねぇ。主役の二人は23年前と現在と、髪の毛を当時流行りの長髪にしててうまく演じ分けていて違和感なかったです。
そして、ドイツの郊外の風景のきれいなこと!! ハリソン・フォードの「刑事ジョン・ブック」なんかを連想しました。何しろ一面の黄金色の麦畑の滑らかなカーブとその向こうに見える黒々とした森のコントラストが夢の中の風景のようです。
しかし、なんちゅう結末や!! 警察の上官のトンマぶりにイラつかされるし、リアルにいえば、アリバイとかもっと裏どりするんじゃないかと思うんだけどねぇ。。。サスペンスではなく、テーマは友情の物語か?? 君は友人のために死ねるか? いや、冗談半分ですが、どうにも解決のつかないモヤモヤ感が残る映画でした。そういえば
以前紹介したスイス映画の「まともな男」 のラストも同様にモヤモヤ感が無茶苦茶残る映画でしたっけ。こう言うのが好きなドイツ語圏の観客が結構いるってことですかね? アメリカだったら間違っても観客が納得しないだろうなぁ。暴動が起きるかも 笑)
ただ、ラストはある意味ここから新たな物語が始まるとも言えます。続編が作られると言う意味ではなく、見た人に委ねられるんだろうけど。
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1965年の白黒映画だし、題名を知っている人もあまりいないだろうけど、すごく面白かった。
第二次大戦中、横浜からドイツ軍占領地ボルドーまで貴重な生ゴムを運ぶ使命を帯びたドイツ輸送船の艦長がユル・ブリンナー。一方、反戦・反ナチのドイツ人マーロン・ブランドはイギリス情報部に協力して(脅されて)親衛隊将校と偽ってその船に乗り込み、連合軍側へ積荷の生ゴムを渡せるように画策する。ドイツの輸送船は貴重な積荷を敵に渡すぐらいなら自爆する覚悟で、船の12箇所に爆弾を仕掛けている。ブランドはその爆弾を一つづつ解除していく。
船員の中にはドイツに戻れば政治犯として処刑される可能性が高い者もいるし、一方で、一等航海士はバリバリのナチ。さらに途中日本軍の潜水艦が撃沈したアメリカの輸送船の乗員が捕虜として輸送船に引き渡される。そこにはユダヤ人の少女もいる。この映画に出てくる唯一の女だ。そして、日本軍の潜水艦に指導係として乗り込んでいたナチの将校がブランドを怪しみ、ベルリンへ連絡をしてブランドの正体は風前の灯。
というわけで、ユル・ブリンナーとマーロン・ブランドという芸達者であるとともに無茶苦茶存在感のある名優二人が主演で、敵役のナチの航海士も憎々しいし、しかも映画のカメラワークもかなりの凝り方を見せる。
海上をいく輸送船の遠景が近づいていって、甲板上にいるブリンナーの行動を追いかけるワンショットのシーンなんかどうやって撮ったんだろう? ヘリコプターで? でもこの時代、カメラのスタビライザーなんかないだろうけど、画面がほとんど揺れないんだよね。
船にゆっくりと近づいていき、
船の上まで来ると止まって、
甲板上のユル・ブリンナーを捉えると、
ズームアップ
ブリンナーが移動していくのをカメラが追いかける
以上がワンカット。
それから船の中の床が網目状の鉄板なので上の階が透けて見えるようになっていて、迷路みたいでありながら見渡せるようになっている。
マーロン・ブランドが最初の爆弾の起爆装置を解除した後、その爆弾から上に伸びているコードを見上げる。カメラもそのコードを追いかけて上を写すと、上の階の網目状の鉄板の下、つまりそのその階の天井に当たるところにもう一つの爆弾がある。すると下にいたはずのマーロン・ブランドが上の階から現れて腹這いになって爆弾の起爆装置を解除する。それがワンカットで写されるのだけど、画面の外の空間を感じさせ、かなり斬新だと思う。
起爆装置を解除して周りを見廻し、
ふと上を見ると
コードがつながっている。それをカメラはずーっと追いかけて、
上を向くと四番の爆弾が、
あった、と思うや否や、今上を見上げていたブランドが現れ、この後腹這いになって四番の爆弾を解除をしようとする。
監督はドイツのベルンハルト・ヴィッキ。この監督は反戦映画の古典として有名な「橋」という少年兵たちの悲劇を撮った人で、惜しむらくは丁寧すぎるんだよね。「橋」でも前半は少年たちのそれぞれの事情をじっくり描きすぎて、ある意味退屈なところもある。そしてここでもサスペンスにしてはテンポがあまり良くない。でも、それでも俳優も二大スターだし、最後のシーンも良いし、かなり高レベルの映画だと思うけどね。
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ものすごく面白かった!! 3時間の長尺だったけど、終わってしまったらあっという間。映画の中に埋没して我に返るいとまもほとんどないほど。でもそれは説ブログを始めてから僕が関心を持ち始めたものがドンピシャでど真ん中に投げ込まれてきたという印象をもったからかもしれない。
主人公のモデルはゲルハルト・リヒターという画家だ。この人は去年の初めに中野区で行われた「ナチスの障害者虐殺・T4作戦パネル展示」でも出ていて説明されていた
(その時の記事はこちら) 。あのときは、様々な当時の資料や手紙の中で、突然リヒターの話が出てきて、ちょっと唐突な感じがしたんだけど、この映画を見るとリヒターの芸術が個人的なT4作戦のトラウマ克服のためのものだったことがわかる。
映画の作りとして前半はナチス時代の退廃芸術に対する批判と東独時代の社会主義リアリズムの時代で、どちらも芸術は民族のため、あるいは人民のために奉仕するべきものだと言われる。自分を強く押し出したり、権力が望むものと違うことを主張するとダメ出しのレッテルを張られてしまうわけだ。普通に見ていれば誰だって、どっちもおかしいと思うだろう。でも今の日本でも「反日的」なアートを批判するような人もいるわけだからね。
後半は一転して一人の芸術家が自分のスタイルを見つけるまでの話になるが、ここで出てくるヨーゼフ・ボイス(名前は別だけど誰が見てもそれ以外の誰でもない 笑)との話も面白い。要するに前半と後半とは描かれるものが随分違うんだけど、どっちも面白い。
そして全体を通して義父の存在が重要で、ハラハラやイライラの元になるのがとてもうまい。彼の存在が3時間を退屈させない理由の一つかもしれない。
変な映画ばかり書いてる説ブログだけど、これは正統派の、細部まで疎かにせず、ユーモアもあり、テンポもよく、画面も綺麗だし、全体的なレベルのとても高い映画だと思う。いつも拍手コメントをくださる t さんもきっとお好きな映画ですよ。
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今日は2月以来の映画館へ。しかしマスクして見ていると、さすがに1時間もすると顔の下半分がかなりほてってきますね 苦笑)
さてこの映画、いろんな映画を連想しました。例えば
タル・ベーラの「ニーチェの馬」 や
「サタン・タンゴ」 、
ハネケの「白いリボン」 などを連想したのは白黒で非常にきれいな風景が出てきたからでしょうか。ただ、タルやハネケよりテンポはかなり早い。
話はユダヤ人の父母から離れて田舎の老女のもとに疎開させられていた少年が、老女が死に、びっくりして火を出してしまったことから村人に差別迫害され、村を逃れて様々な人と出会っていくというロードムービー 笑) まあ、過酷な地獄めぐりです。そう、「地獄めぐり」という言葉が一番ぴったりするかな。呪術師の婆さん、水車小屋の嫉妬深いDV爺さん、鳥刺しの老人とセックス依存症の女、ドイツ兵、司祭と性的虐待者の信者、少年を犯そうとする娘、ソ連軍狙撃兵、孤児院、そして。。。
時代は戦時中から戦後で、場所はおそらくポーランドだろうと思われます。丘陵地帯と森のきれいな風景の中で、少年は様々な地獄的光景を一人木の上や倒木に腰掛けて遠くにみたり、まさに地獄の中で当事者となり苦しめられたりします。
こう書くと
「炎628」 を思わせます。あの映画もきれいな顔をした少年が地獄を見て、老人のようなシワクチャの顔になる話でしたが、こちらの少年も2年かけて撮影しているそうで、顔が無表情になり、言葉を発しなくなり、老人を襲い、人を殺し、自分の名前すら言えなくなりますが、最後の最後に。。。
まあすごい映画でした。特に原題のもとになっているエピソードの鳥刺がペイントした雀を放つと、雀の群れが一斉に襲いかかり殺してしまうシーンと少年が熱を出した時に呪術師の婆さんが少年を顔だけ出して土に埋めてしまいカラスに襲われるシーンは忘れられないかも。
ただ、それでも文句を言いたい。それぞれのエピソードが結構短く、話が拡散している気がするんですよね。特に最初の方は、え?これだけでこのエピソード終わり?と思ったりしました。そういう意味で、上記の「炎628」や
「サウルの息子」 、
「小さな独裁者」 や
「動くな、死ね、甦れ」 、あるいは上記のハネケやタルの映画に比べて、個人的には衝迫性は弱く感じました。そしてラスト、テロップが上がってくる時の思い入れたっぷりの歌曲は、むしろ感動を薄めるような気がしたんだけど。
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見たいと思ってフライアーをもらってきたんだけど結局見に行けず、いつものようにツタヤでした。でも、うーむ、すごい映画だわ。「パラサイト ・半地下の家族」とか「万引き家族」なんかを連想したけど、それらにあるユーモアは、この映画にはかけらもない(「パラサイト 」なんてギャグ映画だったもんね 笑)
ケン・ローチの映画だからメッセージ性が強いし、ある意味プロパガンダ映画でもある(無論悪い意味じゃないよ)。出てくる夫婦も子供たちも普通の人たちだ。普通に仲の良い家族なのに、唐突なラストの後、彼らは一体どうなってしまうのだろう?
この映画の中で、こいつが悪いんだ、と言える人は誰もいない。この映画のラスボスは世界中を覆う新自由主義という弱肉強食格差拡大自己責任社会だ。こんな社会の中で人が人らしく生きられるだろうか?
僕が中学の頃、社会の時間にイギリスは揺り籠から墓場までという福祉国家だと聞いた。日本もそういう福祉国家を目標にしていたとおもう。もちろん中学生にそれがどういうことなのか理解できなかったけど。
もちろん、これイギリスのことじゃないよね。見ながら、最近日本でウーバーイーツの配達員たちの組合ができた?というニュースを思い出した。ウーバーイーツは副業でやっていることが多いと聞くから、組合を作る余裕もあるのかもしれないけど、この映画の夫にはそんな余裕ないんだろうなぁ。
でも、社会というのは持ちつ持たれつなんだよね。大企業が社員を非正規化したり、残業代を支払わないで長時間労働させたり、外国から安い賃金で働く人たちを受け入れたりすれば、労働者は仕事に追われ、金もなくなり、その大企業が作るものなど買えなくなるだろう。それって企業にとって良いことなのか? 風が吹けば桶屋が。。。あるいは情けは人の為ならず。。。どこかで目を覚まさないと社会は崩壊する。
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全編ワンカット映像というのが売りだというので、
前にここでも紹介したソクーロフ監督の「エルミタージュ幻影」 を連想したけど、比べるようなものではないですね。最初の1時間ぐらいはかなりすごいです。戦場の、特に無人地帯の凄惨な風景はかなりのインパクトがあります。
オットー・ディックスという第一次大戦に従軍し、ナチ時代には退廃芸術の烙印を押された画家が描いた塹壕の絵を思い出しました。今回はDVDで見たんですが、これ映画館の大きな画面で見たら臨場感もすごいだろうなぁと思いましたね。
ただ、途中から、特に戦闘機が突っ込んでくるシーンから、なんか変な違和感を感じ始めました。確かにその後の主人公の一人、ブレイクの顔がどんどん青ざめていくシーンなんか、ワンカットといいながらどこかで切ってメークしたんだろうと思ったんだけど、特典の監督の説明を聞くと、あのシーンは完全にワンカットで撮っていて、青ざめていく顔は完全に演技だそうで、すごいシーンです。
全編ワンカットということで、主人公が走り回り駆け回る距離は実感できます。塹壕の中をかなりの距離歩き回るわけで、ワンカットでなければこの感覚はなかなか味わえないでしょう。ただし、ワンカットだからリアルタイムかというと、ちょっと違います。時間的には午後から翌日の明け方までで、この映画のリアルな時間よりはかなり長いです。おそらくトラックに乗っているシーンと気絶しているシーンで時間稼ぎをしているんでしょう 笑)
それはともかく、壊れた橋を渡って、廃墟と化した市街に入るあたりから、何か違和感が強くなっていきました。まあハラハラするんだけどね。なんかゲームみたいなんですよね。戦争を描いた映画なのに、エンターテインメント性が比較的強く出ていて、その点がどうも引っかかります。いやいや、「ゲーム感覚」で見ればかなり面白い映画です。
だけど。。。
1980年ごろまでは戦争娯楽映画というジャンルがあって、結構面白い映画もたくさんあったんですね。だけど、近年はそういう戦争映画ってもう作らないですよね。作れないと言ったほうがいいかな。この間に戦争の実相というのは娯楽として描いてはいけないものだというのが人々の共通の了解事項になったような気がします。
キューブリックが監督したカーク・ダグラスが主演した「突撃」という映画があって、そこでも塹壕の中を延々と歩くシーンが出てきますが、戦争の理不尽さを真正面から描いたすごい映画でした。確かに「1917」でも市民が大量に虐殺されているのがわかるし(あの川のシーンは
ベルイマンの「恥」 の中の衝撃的なシーンを思い出しました)、野戦病院テントの阿鼻叫喚もあり、戦争の惨たらしさが描かれるんだけど、意地悪な言い方をすると、どこかアリバイ作りしてるな、と思えてしまう。
1930年、トーキーになりたての頃に作られた
「西部戦線異常なし」 の塹壕戦の恐怖感は、僕にとっては一つのトラウマになっています。初めて見たときは本当に怖かった。白黒で画面も荒かったと思うんだけど、本当に怖かったです。同時にものすごく強い反戦メッセージを感じたものでした。
だけどこの映画は? いや、無論反戦メッセージはあちこちに感じられるけど、やっぱりどこか娯楽(=ゲーム感覚)なんだなぁ。そこがどうしても引っかかるんですよねぇ。
それから、ワンカットと言っても、CGでつなぐことはいくらでもできるだろうし、戦場のシーンもCG加工は明らかだし、さらに鮮明なカラー画面というのは、むしろ逆にいかにも作り物めいた感じなんですよねぇ。。。実はCGをほとんど使わなかったラストの塹壕から出ていく突撃シーンも、なんかCGっぽく感じたりしちゃいました 苦笑)
例えば、これは第二次大戦だけど
「炎628」の数々の美しいシーン 。夕闇の中で飛び交う曳航弾は本物だし、燃え上がる教会も本当に燃えているわけで、一方「1917」では燃える教会はCGだそうです。
というわけでCG時代の映画の「不幸」なんてね。かつて「ジュラシック・パーク」で寝てしまった老人の戯言でございます 笑)
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長い題名だし、題名がすでにネタバレしているし 笑)
以前紹介した「アイヒマンを追え」 の監督ラース・クラウメの映画。
映画としては大して面白くないです。ドイツが第二次大戦に敗れ、西側と東側に分断されたが、まだベルリンの壁ができる前の1956年、東ベルリンに住んでいた高校生たちが、ハンガリー動乱のことを知り、教室で黙祷する。これが反国家的行為として大ごとになってしまう。
生徒たちは誰が黙祷の首謀者かを問われ、仲間を守るために抵抗するんだけど、1番の山場はまるで「スパルタカス」みたいでした 笑) また、生徒たちに首謀者をチクれと恫喝する教育委員会の、まるでモンスリーみたいな 笑)嫌なおばさんや教育大臣に、ゲシュタポみたいだと非難すると、ファシストと戦った者をゲシュタポとはなんだ! と怒るシーンがあります。だけど、ファシストと戦ったはずの連中が、この後東ドイツでは国家公安局シュタージとなって、密告を奨励し国民を監視するゲシュタポみたいなことをするわけです。
しかも、こうした強権的な、生徒たちを管理したがる人たちというのは、自分がしていることが正義だと思い込んでいるから始末に悪い。洋の東西を問わず、権力を笠に着て正義ヅラして他人を管理したがるというのは、「悪」の一つだという自覚が大切ですね。
映画は実話に基づいているそうですが、主人公たちだけでなく、あちこちに気を使った演出(例えば駐独ソ連兵士の若者の言う言葉とか、教育大臣のナチにやられた首の傷とか、善良だけど何もできない校長とか)が、なんとなくドイツ映画特有の気配りしすぎの印象もあります。それと、個人的には列車に乗らなかった生徒たちのその後の方が知りたい、とへそ曲がりの私としては思ったりしちゃいます 笑)
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このところNHKのBSで昼過ぎに色々昔の映画を放映してくれてます。で、「猿の惑星」なんかやってて、初めて見たのは中学の時かなぁ、 もちろんTVでした。当時中学生でも、やっぱりラストはびっくりでしたが、ヒッチコックの「鳥」もほぼ同じ頃に見た記憶があり、どっちも通常見ていたハッピーエンドの映画と違っていて、強く心に残ったものでした。
「猿の惑星」はその後30年ぐらい前? 大晦日に全5作を一挙放映したことがありました。今回それ以来、多分30年ぶりですかね 笑) しかし今見るとツッコミどころ満載でした。しょっぱな、宇宙船の中でチャールトン・ヘストンは葉巻をプカプカやってるし、湖に不時着した宇宙船は浸水しちゃうんですからね 笑) なんぼ着水のショックがあっても、そんなはずないだろ!と思わず一人で見ながら言葉が口をついちゃいました 笑) しかも、こんなこともあろうかとばかりに、ゴムボートまで用意されてたりしちゃう 笑)
猿のザイアス博士が事実を知りながら、あくまでもそれを認めず証拠隠滅するところなんか、中世の異端審問を思わせますし、ひょっとしてアメリカの進化論を罵倒するキリスト教原理主義者揶揄か、とか、かなり強引につなげれば、現在の日本も似たようなものかも、とは思わせますが、まあ同じ年に作られた「2001年宇宙の旅」と比べたら。。。笑)
一方で「アラビアのロレンス」。これは言わずと知れた傑作ですが、今回BSで放映されたのは1988年にスピルバーグらが復元した4K完全版。僕は高校時代にリバイバルで、テアトル東京というでっかいスクリーンの映画館で見ましたが、正直に言えば、内容はよく理解できなかっただろうと思うんだけど、それでも砂漠のスペクタクルシーンに圧倒されました。
当時のパンフがありました。奥付は昭和46年とあります。
その後やっぱり30年ぐらい前に貸しビデオ屋で借りて見たのが最後で、これまた30年ぶりぐらいでした。当時ピーター・オトゥールって映画好きの友人らとよく話題にしていたお気に入りの俳優でした。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1561.html 今回見直すと、オマー・シャリフの立ち姿の美しさにびっくりしましたね。この後、アラブ人特有の濃い顔なのに、ロシア人になって「ドクトル・ジバゴ」や、ドイツ人になって「将軍たちの夜」では同じドイツ人役のピーター・オトゥールを追い詰めようとしたり、世界的な俳優になりました。
映画は、ロレンスのオートバイ事故死から、葬儀後のロレンスを知る人たちの言葉がいくつか続いて、ポンと20年の歳月を遡る形で始まります。今回見直してもやっぱりいくつもびっくりするようなシーンがありました。ロレンスがマッチの火を吹き消した瞬間に日が昇る直前の真っ赤な砂漠になったり、無論超有名なオマー・シャリフが現れる井戸のシーンも、砂漠の小山の向こうを行く船の煙突のシーンも、アカバ攻略の俯瞰シーンも、まあ、言い出したら終わらなくなりそう。
ただ、今回ラストのシーンが(僕なりの)新しい発見でしたね。アラブのために一生懸命になり(人もたくさん殺したわけです)、結局イギリスの二枚舌外交のせいでアラブを裏切ることになったロレンスが、失意のうちに帰国が決まり車に乗っているとオートバイが追い抜いていきます。その直後に映画は The End となりますが、あのオートバイが、映画冒頭の20年後のシーンにつながるわけです。
同じようなことはもう一つあります。ラスト近く、同様に失意のままイギリスの軍本部を出て行こうとすると、一人の将校がロレンスに握手を求めます。その時ロレンスが「前に会ったことがありましたっけ?」と尋ねます。将校は否定します。この将校、冒頭の葬儀のシーンでロレンスの悪口をいうジャーナリストの言葉を聞きつけ、抗議しながら、ダマスカスで彼と握手したと胸を張る老紳士ですね。
ということは、あのシーンでのロレンスの台詞はなんなんでしょう?「前にあったことありました?」 ロレンスはここで観客のためにこのセリフを言っているのですね。いわばメタ映画的なセリフなんじゃないか、そんな気がします。上記のオートバイといい、この4時間近い映画はラストで冒頭に戻るという円環を閉じたような形になっているのではないでしょうか?
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今はジョージアって言うんですね。昔「ピロスマニ」っていう画家の映画をソヴィエト映画の全貌シリーズで見たことがありましたが、イメージとしてはスターリンが生まれたところぐらいのイメージしかないですねぇ。
この映画、今から見ればありがちな独裁者批判の映画なんですが、作られたのが84年で、これってソ連で公開されるはずもない映画だったんですね。それがゴルバチョフがソ連のトップになってペレストロイカのお陰で公開されるや、ソ連国内で大評判となり、カンヌで大賞を取るとともにソ連・ロシア最高の映画賞の受賞作品となったのでした。ちなみにこのロシア最高の映画賞はニカと言って、88年にこの映画が取った後、拙ブログでも書いたゲルマン監督の
「フルスタリョフ、車を!」 や
「神々のたそがれ」 、ズビャギンツェフ監督の
「父、帰る」 、ソクーロフ監督の
「ファウスト」 なんかが取ってます。
ある市で元市長の葬式が行われ、みんなが立派な人だったと褒め称え埋葬されたんだけど、翌日になると死体が掘り起こされて自宅の庭に立てかけられている事件が起きる。それが3回続き、ついに犯人の女がつかまって裁判になり、その女の父母らが市長によって粛清された過去が暴かれる、というようなストーリーです。
この市長の造形がすごい。ヒトラーのちょび髭、スターリンの下で粛清の嵐を吹かせたベリア風の鼻眼鏡、ムッソリーニの黒シャツ。で、笑うときの口の形がちょっと漫画のように口角が綺麗に上がって、どこか「薄い」笑いという感じで怖い。ちょっとオドオドしていて、市民のいうことに耳を傾けているようなふりをし、ひょうきんで突然ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」からアリアを歌ったりして人々を油断させながら独裁者になっていきます。途中の演説ではこんなことを言います。
「孔子はこう言った、『暗い部屋で猫を捕まえるのは難しい、猫がそこにいないなら尚更だ」と。我々の使命は困難なものだが決意を持てば『暗い部屋でも猫を捕まえられる、たとえそこに猫がいなくても』」
まあ、見事に部下たちも暴走して「いない猫」を無理やり捕まえます。こうした独裁ぶりを裁判で知った市長の孫は。。。。
と言うわけで、僕としては裁判の終わった後の孫の反応やその父親(つまり市長の息子)の行動に何か食い足りなさを感じたんですが、この映画の魅力はそういうストーリーとかスターリン揶揄とか、そういう面以上に、シーンの面白さ、美しさが素晴らしいです。どこかシュールな、あえて言えばクストリッツァ風のユーモアがあって、ちょっととぼけていて、それなのに怖い。
例えば、ここで出てくる官憲はみんな古代ローマ帝国風の鎧兜とマントを着ていて馬に乗っています。そんなのが狭い街の路地を追いかけてくる。かと思うと最初の方の市長の就任あいさつの場面では、すぐしたの水道管が破裂して、みんなが水を浴びる。そんな中で表情も変えずにタイプを打ち続けるビショビショの秘書。
ソ連ではシベリアへ送られた人たちが木材伐採した切り口に自分の名前と居場所を掘りつけておくことがあったんですね。その材木が運ばれてきて、万が一でも残された家族の目に触れれば、彼がまだ生きていることがわかるわけです。まあ、奇跡みたいなものなんでしょうけど。その材木置き場へ行く母と娘の場面は、アルヴォ・ペルトの音楽が流れ、膨大な量の丸太の前を母と娘がふらふらと歩き回る悲痛な美しいシーンです。
ペルトに限らず、音楽の使い方もいいです。喜びの歌をドイツ語で歌っているシーンにかぶせて、洞窟の中を刑場(このシーンでは、腰まで水に使って判決を聞くんだけど、タルコフスキーの「ノスタルジア」とか「ストーカー」のオマージュでしょうか)へ向かっていきます。あるいは収容所?の所長が女と結婚行進曲を連弾で弾いているシーンの奇抜さ。そして女が突然目隠しをして剣と天秤を掲げるシーン。いわゆる法のもとの正義の女神像になるシーン。市長の息子の夢?のシーンで魚を貪り食う市長が出てきて、その後我に帰った男の手には魚の骨が残されているというような不思議なシーン。
こういう幻想的で奇妙なシーンや、登場人物の突飛な行動が面白い。なんかロシア映画ってこういうのが多いです。本来3部作の最後のものだそうですが、1部と2部も見てみたくなりました。 YouTube に予告編がありましたので、貼っておきます。
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昨日NHKのBSでやっていた映画。1985年のクリント・イーストウッドが監督主演した西部劇です。どこで聞いたか、「シェーン」のオマージュという知識があったので、見てみました。
いや、見ている最中はほぼ笑ってましたね。「シェーン」そのままやないか!って。無論完全に同じはずはなく、うまく設定などを変えてるんだけど。
「シェーン」は多分一番繰り返し見ている映画の一つ (映画館で一番回数繰り返し見ているのは
タルコフスキーの「鏡」 だけど、TVやビデオで一番はこの映画だと思う)なので、あちこちで「シェーン」のあのシーンだとピンとくるものばかり。いや、この映画の冒頭シーンを見た人は、どこが「シェーン」だ、全く違うじゃないかと言うでしょう。もちろん1から10まで同じわけじゃないけど、あちこちで「シェーン」がいっぱいです。比べてみましょう。
「シェーン」では通りすがりのよそ者シェーンが、ジョー一家を脅しにきた牧畜業者ライカーに睨みを聞かせてライカーたちを追っ払う。こちらではもっと派手で、町で袋叩きにあっていた男ハルを、通りすがりのよそ者イーストウッドが助け、相手をボコボコにする。その強さは桁外れ。
助けてくれたお礼に家へ泊まるよう招待するのも同じだし、お礼に切り株を斧で切って掘り起こすシーンは、こちらでは巨岩をハンマーで打ち砕くシーンが対応している。
「シェーン」では牧畜業者と開拓農民の争いだったけど、ここでは金の採掘を細々とする村人と、大規模な(自然破壊的なやり方の)金採掘事業者の争い。シェーンが泊めてもらうジョー一家にあたるのは、ここでは夫婦ではなく、夫に捨てられた母娘と、その女と結婚したいと思っている男ハル。つまり、「シェーン」でのジョーイ少年はここでは少女だ。
村人がこれからどうするかを話し合う場ではシェーンと同様、イーストウッドも部外者で議論には加わらない。粋がった農民のエリッシャ・クックJr がジャック・パランスに撃ち殺されるシーンに対応するシーンもあるし、丸腰だったイーストウッドがガンマンの正装になるシーンもシェーンそのもの!!
まだまだあります。奥さんと旦那(こちらのハルは婚約者)と子供と主人公の四角関係?も同じです。みんなシェーンが好きなんですよね。ここでもみんなイーストウッドが大好き。そして「シェーン」でジョーイ少年が決闘に行く直前、「シェーンなんか嫌いだ!」というシーン、こちらでももちろんあります 笑) ただ、こちらは女の子だからちょっとひねりました 笑)
そして「シェーン」では殺し屋ガンマンのジャック・パランス。この人の凄さは映画の中ではエリシャ・クックJr の粋がった農民を撃ち殺すところだけなんだけど、もうその雰囲気が凶悪極悪残虐そのもの。ニヤッと笑った時の悪党ヅラの凄まじさが、シェーン役のアラン・ラッドの二枚目優男ぶりと対照的でした。なかなかああいう悪役はないだろうなぁ、と思っていたら、この映画ではどんな俳優連れてきても、一人ではパランスに太刀打ちできないと考えたか、悪徳保安官と手下6人という「数」で凶悪ぶりを表現しましたね。
これだけの人数を相手にするとなると、ラストの決闘シーンはどうするんだろうとハラハラドキドキしていたら、意外とあっさり手下どもは次々イーストウッドに殺されていき、ラスボスの悪徳保安官も、もうその時点でイーストウッドの迫力に負けてましたね。ただ、この7人のベージュのロングコート姿のシルエットはとても格好いいです。一列縦列で順番に現れるシーンもいいです。惜しむらくは、この手下の6人がなんか個性がなさすぎかなぁ。
「シェーン」のジャック・パランスの、自信に溢れた「プルーヴ・イット」のセリフに当たるものはなく、ラスボスが死際に「ユー。。。」と二回叫ぶだけ。そうは言っても悪徳保安官をやったジョン・ラッセルという俳優、結構な歳だと思うけど、すごく悪そうな雰囲気は出ていました。
イーストウッドの銃の撃ち方も完全にシェーンを意識していますね。左手で撃鉄を起こして連射するスタイル(名前失念、子供の頃だったら覚えてたのに 笑)は、まんまシェーンでした。
そしてラストの映画史上に残る「シェーンカムバーック!」の名場面も、もう笑うしかないぐらい、そのまんまやってましたね。もう嬉しくて涙流してました 笑)
シェーンと違っていたのはラストで、イーストウッドを影から撃とうとする採掘事業者のボスを撃ち殺すのがハルだったことですね。無論冒頭突然襲われる村のシーンなんかは「シェーン」にはなかったし、悪徳業者の息子も「シェーン」には出てこないですけどね。ただ、「シェーン」で心を入れ替えてシェーンに忠告を与えるベン・ジョンソンに当たるのが、こちらでは大男で、最初の方でイーストウッドに簡単にやっつけられちゃうリチャード・キール。この人は007でも悪役で出てきたし、とても小柄な奥さんと一緒に来日して、その時TV番組で見た記憶があります。
また、「シェーン」ではジョーはシェーンよりも頑強で腕力があり、ライカーの手下たちとの殴り合いにも負けてませんが、こちらのハルはマッチョではなく喧嘩は全くダメです。でも最後に上記のように、「シェーン」のジョーにはやりたくてもできなかったことをします。
さて、「シェーン」ではシェーンは酒場の乱闘シーンではかなりボコボコにされるし、ラストの決闘に向かう直前にはジョーと殴り合いをしてほとんど負けそうになってるし、決闘でも最後に後ろから打たれて血を流します。「シェーン、カムバーック」の声に映るシーンは墓場を行くシーン。シェーンは死んだんだ、いや死んでないと論争を呼んだシーンですが、イーストウッドは、ついに一度も殴られることもないし、ラストも血は流しません。「シェーン」に比べて圧倒的な強さです。全く傷つかない。
ただ、ラストシーンは雪にけぶる険しい山が映されます。題名の「ペイル・ライダー」も、聖書のヨハネ黙示録の4騎士ですね。最初の方で娘が聖書のその部分を読むシーンがあって、それと同時にイーストウッドが現れます。
「そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。」(ヨハネ黙示録6. 8)
最初の方で飼い犬を殺された少女が奇跡を願うシーンがあります。その「奇跡」という言葉にかぶって雪山から蒼白い馬に乗って出てくるイーストウッドは何者でしょう? 途中、悪徳保安官がイーストウッドの容貌を聞きながら、「あいつは死んだはずだ」と言うシーンもあるし、イーストウッドの方でも保安官を知っていて、あいつには因縁があるみたいなことを言うし、イーストウッドの背中にはいくつもの銃で撃たれた傷跡があります。ほとんど背中のど真ん中だし、致命傷のはずです。決闘前夜に母親と会うときにも、山からイーストウッドを呼ぶコダマのような声が聞こえます(ちなみにこのシーン、母親とイーストウッドはどうしたのか、とてもビミョーなシーンで「シェーン」にはなかったシーンですが、「シェーン」の母親の口にできなかった想いに対応するシーンなのでしょうか)。
ラスト、悪徳保安官が「ユー」と言うのも、おそらくお前は死んだはずだ!と言いたかったのでしょう。と言うわけで、月並みですが、イーストウッドは亡霊ですね。すべてが終わって、峨々たる雪山に帰っていったのでしょう。しかし、こうなると悪徳保安官も蘇ってこないかと不安になりますが、純粋無垢な少女の願いがないと無理なのかな?
いや、あまり期待しないで見たんですが、かなり面白かったです。
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市川崑の有名なドキュメンタリー。拙ブログでは何度か書いたことがある。この映画を、多分僕は小学校の時に全校で講堂で見たような記憶がある。東京オリンピック当時僕は小学校3年。千葉の登戸(ノブト)に住んでいて、家は東京湾が見える崖の上にあった。崖の下には湾岸道路が走っていて、そこを聖火ランナーが走るというので、学校で声援しに行った記憶もある。僕は小学校3年の3学期に転向するんだけど、ちょうどその頃から、家の前から見えていた海は埋め立てが始まったんだった。
さて、このドキュメンタリー、その後も何度かTVで見ている。少し前にTVで放映されたのを録画しておいた。で、見て、結構あざとい作り方をしているな、と思った。聖火ランナーを見ようとみんなが背伸びして一生懸命上に伸びようとしている瞬間にカメラは彼らの足元をアップで映す。そのほかにも被写体としてやたらと美人ばかり映る。合間に、海外には通用しないだろうけど、ON(王、長嶋)や皇太子妃の正田美智子がなんの説明もないまま映ったりする。
また、映される競技もかなり偏っている。馬術やホッケーや水球なんかは通り一遍の、一応写しましたからね、という感じで、数秒しか映らない。そしてどこが勝ったかもわからない。その一方で陸上競技や体操、日本が活躍した重量挙げや柔道や体操競技、女子バレーの映る時間は長い。同じバレーでも男子バレーは全くなかった。
でも、やっぱり何度見ても震えるシーンというのはある。例えば砲丸投げの選手たちが砲丸を投げるまでのせわしない動き(多分ルーティンワークなんだろう)、他人の目など全く気にしない集中しきった時の顔、スローモーションで捉えた選手たちの歪んだ顔、こういうのを見ちゃうと、前からなんども言っているように、どんなに素晴らしく演技していても、スポーツ映画ってのが全く見るに値しないものに思えてしまう。
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このところすっかり映画感想文ブログになりつつあります 苦笑)
昨夜見た映画はこれ。うーむ、ドイツ映画には珍しく子供と一緒に見ても安心なハートウォーミング映画っていう奴でしょうか 笑) ただ、本当に子供と見たら子供は退屈するでしょうけど 爆)
一見イケヤかと見紛うような郊外型の巨大スーパーが舞台です。ドイツ東部の、周りには遠くにアウトバーンが見えるだけの何もない場所にあります。ドイツなんて小売店を保護しているような印象があったけど、旧東独側にはこういうのが多いのかなぁ?よく知らない。何れにしても、セリフの中でも説明されているけど、東ドイツ時代には国営の運送施設だったのを、東西統一後にある企業(おそらく西側の大資本)が買収してスーパーにしたらしいです。
映画は8割以上このスーパーの倉庫が舞台で、登場人物もほとんど従業員達だけ。
簡単に内容を要約すれば、前半は新入りの要領の悪そうなタトゥーだらけの主人公が、倉庫では必携のフォークリフトの運転資格を得られるかどうか。そしてその後はその主人公とお菓子担当の年上女性とのほのかな恋。
フラッシュバックのように何度も繰り返される着替えシーン(襟と手首だけがアップになる)で、単調な毎日が暗示され、みんな仕事に励みつつも、仕事中にこっそりトイレで吸うタバコと仕事が終わった後のビールだけが楽しみな様子。表面上何も起きないし、人々の表情も喜怒哀楽をあまり示さないし、ぼんやり見てるとなんだかよくわからない退屈な映画だと思うでしょう。
でも、最後の方で、えっ? というようなことが知らされ、みんなが抱える孤独が浮き彫りにされます。ラストは日常の中にある、どうでもいいような瞬間的な幸福感。そういうことに気がつけば、少しは生きていることに潤いをもたらすことができるんだ、単調な毎日が少し楽しくなるんだということを暗示しつつ、遠い波の音とともに映画は終わります。このラストはうまいです。
主演は去年拙ブログでも紹介した
「ハッピー・エンド」 や
「未来を乗り換えた男」 や
「名もなき生涯」 のフランツ・ロゴフスキ。ポスター写真の横顔を見ればわかるように、顔面ど真ん中にパンチくらった?っていうような、ボクサーみたいな悪党ヅラで、飴玉でも舐めてるような舌足らずな喋り方をします(ドイツのウィキで見ると口唇口蓋裂で生後すぐに手術をした影響で話し方が舌足らずだと書かれています)が、今回の映画では何しろ無口。ほとんど会話が成り立たないようなシャイで表情の変化の乏しい若者をやってます。
その上司で、無口なロゴフスキを何くれとなく面倒をみる初老の上司役は、先日3回にわたって長々と紹介した
「バビロン・ベルリン」 で上級刑事のブルーノ・ヴォルターをやったペーター・クルト。今回も名前がブルーノです 笑) いやあ、いいです。この人いいですよお。うらぶれて東独時代を懐かしみながら、洞察力もあってロゴフスキの過去を言い当てますが、孤独で人知れず悲しみを抱え込んでいるという役。いや、ホント、バビロン・ベルリンでもすごくよかったけど、この映画でもむちゃくちゃ良いです。もっと他の映画もみたいです。
ロゴフスキが恋する年上の女性は「ありがとう、トニ・エルドマン」でウザい父親を持て余すバリバリの仕事のできるエリート娘をやったサンドラ・ヒュラーという人ですが、ちょっと八重歯気味で笑顔がいいですが、おばちゃんです 笑)
孤独で単調な人生、日々を追い続けていけばあっという間に時間は過ぎてしまいます。自分の生活に追われていると人のことを考えるゆとりはありません。でもちょっとこういう映画を見て、どこかで孤独で単調な毎日を送っている人のことを想像し、ちょっとした日々のゆとりを探せたら、ほら、あなたにも波の音が聞こえてきません?
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ポスター写真はあえてドイツ版で 笑)
少し前にBSで放映していたのを、見ないかもしれないなと思いつつ録画しておいた。で、見た。実は高校生の時に父と一緒に見たことは覚えてる。でもまあ内容はほぼ忘れていた。最後に主役二人がタバコを吸うシーンははっきり記憶にあったけど。
あれからずいぶんたくさんの反戦映画を見たから、その経験をもとに見るとかなり甘い。こんな騎士道精神と敵に対する敬意を持った、ゲームのような戦いはあり得なかっただろうと思う。
ドイツ映画の「Uボート」で、緊急潜行の時には潜水艦の乗組員たちは狭い船内を一斉に船首側向かって走るものすごい迫力あるシーンが出てきたが、この映画のUボートは船内も綺麗で広く、結構近くで爆雷が爆発しても大して被害を受けない。水が吹き出たり、オイルが吹き出すシーンもあるけど、「Uボート」のようなボルトが飛んで船内がギシギシいい、今にも圧滅するんじゃないかという恐怖感・緊迫感は薄い。それに「Uボート」では船長はじめみんな長い航海で髭ぼうぼうになったけど、こちらはみなさん毎朝髭剃ってたんですかね。
ただ、後知恵の文句はつけられるけど、この映画の駆逐艦とUボートの戦いは、特に爆雷の投下シーンが本物を使っていることもあって(アメリカ海軍完全協力)、本物の質感があるし迫力もあれば緊迫感もあって格好いいし、時間があっという間に過ぎた。
でも、最後に追われる一方だったUボートが起死回生の一撃で形勢逆転、すると、駆逐艦側は大破を偽装する。それを潜望鏡で見て浮上したUボートが、人道的に、退去のために5分待ってからトドメの魚雷を打ち込むと警告すると、なんと、それに対して配慮に感謝すると答えながら、突然砲撃を始め、さらにUボートに体当たり。
これって、この映画を見たアメリカ人は、勝った(引き分けた、か?)といってもだまし討ちで汚い、こんなの嫌だ!と怒らなかったんだろうか? また、やられたUボート側も、こんなやり方されたら怒りを増幅させたんじゃないかと思ったりする。だって、この砲撃でUボートの乗組員も何人か死んだんだし。
まあ、その後の救命ボートではアメリカ兵たちが一生懸命ドイツ兵たちをボートに引き上げようとし、Uボート艦橋に取り残されて死を覚悟した艦長は、駆逐艦艦長が投げたロープに救われるんだけど。
1957年の映画で、まだ戦争が終わってから12年しか経ってないけど、(西)ドイツも西側の一員としてアメリカとともに共産主義に対抗している時代だからか、ちょっとドイツ側に忖度してるのかなぁ、なんて思ったりもする。無論Uボート船長は反ナチ的な人物として描かれ、「こんな戦争に勝ったとしても残るのは嫌な気持ちだけだ」なんて言うんだけど。
主役のロバート・ミッチャムは大好きな俳優の一人で、「狩人の夜」や「恐怖の岬」でのものすごい悪役と、もっと歳をとってからの「ライアンの娘」の寝取られ夫役や「マリアの恋人」の父親役が特に印象に強く残っている。洋画好きの母からはこの人「スリーピーアイ」って言われてたのよ、と聞かされたっけ。でも、母がロバート・ミッチャムを見るとしたらモンローの「帰らざる河」ぐらいだったんじゃないかなぁ。
一方のクルト・ユルゲンスの方は、もうこれは絶対に「目には目を」の気の毒な 笑)医者の役。何れにしてもこの二人の戦いが終わった最後のやりとりと表情だけでも、見てよかったと思いました。
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テレンス・マリックの映画。多分自分のことを描いているんだろうなぁ。
「トゥー・ザ・ワンダー」について以前書いたけど 、ほぼ同傾向。ペアの作品と言っても良いかもしれません。どっちか片方見ればそれで十分という人もいることでしょう 笑) 両方結構と言う人も多いかも 爆)
例によってむちゃくちゃ美しい自然のカットがいっぱい。そうした太古から続く自然の前では、個人の様々な確執や諍いなどどうでもいいんだといういつものマリック節。「トゥー・ザ・ワンダー」と同じように10秒以下の短いカットのつなぎ合わせと広角レンズで画面の中の全てがピントが合っている絵画のような美しい映像もマリック映画のお約束です。
主人公は映画の脚本家で、映画の最初の方で、どうやらこれからハリウッドで一発当てる大チャンスを得たようで、華やかなセレブの仲間入りをしています。映画の雰囲気はまるで違いますが何となくフェリーニの「甘い生活」のことを思い出したりしました。フェリーニの方がずっとシニカルで人生をバカにし切ってるような感じかな? それに対してマリックって上にふた文字つけた方がいいような真面目さ。ただ、僕はフェリーニよりこっちの方が好きかもしれません 笑)それから、
佐々木昭一郎のドラマ なんかも思い浮かべたけど、かけてる金が違うから、まあ比較してはいけませんね 笑)
主人公は奥さんがいるんだけど、相手の女性を取っ替え引っ替え情事を重ねる。で、こんな生活が嫌になったか、後半では日本庭園で禅の話を聞いたり、神父の神についての話を聞いたり、人気(ひとけ)ない岩山をさまよったりするけど、きっとそうしたことで心が晴れたわけではないんだろうなぁ。何れにしてもこれらの短いカットが次々と出てきて、最後に主人公が「始めよう」と言うと、これまで何度か出てきた高速道路のトンネルを抜けるシーンが映されてジ・エンド。
映画はいくつかの章に分かれていて、それぞれに、映画の最初の方で出てきたタロットカードの表題がついているけど、何を意味するかは私にはわかりません。
セレブたちの退廃した生活と貧しいものたちや障害のある人たち、あるいは主人公の弟と父の関係(マリックの弟は父に反発して自殺したらしいですが、それは
「ツリー・オブ・ライフ」 でも暗示されていました)などが、何の説明もなくブツ切れで、しかも10秒足らずのカットの連なりで出てきて、そこにやっぱりいつものようにブツブツとモノローグが被さり、アルヴォ・ペルトなどの音楽が控えめに被さります。
主役のクリスチャン・ベールってクリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズでバットマンやった人ですが、バットマンは見てるときは楽しいけど、まあ、正直もう一回見ようとは思いません。一方、こちらは、ああいうワクワクハラハラ感はとても感じられません。いや、むしろ見ている最中は結構な難行苦行です 笑)登場人物たちの葛藤とか感情のせめぎ合いがわかるような映画ではないし、ストーリーを追いかけようとしてもよくわからない。あの突然出てくる泥棒なんて、一体何? なのに、翌日になって(これ昨夜見たんですが)、なんかもう一度見たくなっているんですよね。
マリックの映画ではこの前の「名もなき生涯」がとてつもなくわかりやすい映画だったんだな、と改めて思った次第でした。
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VIDEO ドラマの冒頭で、ソ連でベルリンへ向かう輸送機関車がが襲われ、運転士が入れ替わるとともに旧ロシア帝国の貴族ソロキン家の黄金を積んだ貨物車両が一両付け加えられます。もともとベルリンへ向かうはずだった貨物は「黒い国防軍」がソ連から持ち込もうとしていた毒ガス・ホスゲンで、そこに(それを知らず)トロツキーの活動資金のために黄金の貨車を付け加えたのは反スターリンのトロツキスト組織「赤い砦」だったというのが話を複雑にすることになります。
話の前提として、第一次大戦に敗れたドイツはヴェルサイユ条約の下、軍備を大幅に縮小させられたことがあります。特にドイツ空軍はほぼ全廃されます。これに対して「黒い国防軍」と呼ばれる非合法組織は条約に反して密かに再軍備を目指し、この組織に共鳴した企業家らも援助を惜しまなくなります。このドラマでもニュッセン財閥(実在の企業一族ティッセン家がモデル)の息子が、「黒い国防軍」が密輸しようとした毒ガスを殺虫剤と称して受取人になって援助しようとします。
さらに反スターリン組織「赤い砦」のリーダーは暗黒街のボスが経営するキャバレー「モカ・エフティ」オーナーのアルメニア人と繋がりがあり、アルメニア人たちも黄金の秘密を知ってそれを手に入れようとします。
さらにさらに、ベルリン警視庁も一枚岩の正義の味方というわけではありません。警視総監ツェルギーベルはドイツ共産党の取り締まりに全力を注ぎ、悪名高い「血のメーデー」事件を起こす一方で、行政長官ベンダはリベラルな共和主義者で、おそらく社会民主党支持者だと思われます。彼の1番の目的は非合法組織「黒い国防軍」の取り締まりです。だけど、その警察内には「黒い国防軍」のメンバーやシンパも多数います。
1929年のドイツは景気も交代し始め、失業者も増えていました。このドラマの舞台になる5月1日の警察による無差別発砲事件、血のメーデー事件前後はまさに経済状況が悪くなり、このドラマでも描かれていますが、街には「仕事求む」のプラカードを掲げて立つ人たちがたくさんいました(実際に最悪になるのは10月末の世界恐慌後)。
ドラマは黄金の貨車をめぐって、反スターリン組織「赤い砦」とスターリンのために働くソ連大使館、ベルリンの暗黒街の三つ巴の馬鹿しあいになる一方、同じ貨車の毒ガスがらみで、そこに黒い国防軍も加わり、さらに彼らを手玉にとるような女ソロキナも暗躍。
警察内もバラバラで、ドイツ共産党対策に熱心で、黒い国防軍には手が出せない警視総監ツェルギーベルに対して、行政長官ベンダは黒い国防軍の企みを暴こうとする。こうした太いラインが一本全体を貫く中、前半は主人公のゲレオン・ラートがケルンからベルリンへ来た原因となるフィルムの捜査、後半はワイマール共和国転覆を図る黒い国防軍のテロ計画という事件が絡まって話が進んでいきます。
途中黒い国防軍の将軍と行政長官ベンダがワイマール憲法について言い合うシーンがあって、黒い国防軍はワイマール憲法が国民を危機にさらしているから再軍備が必要なのだと言うのに対し、ベンダが違法な再軍備こそが国民を危険にさらすんだと言い返すと、将軍は国家レベルの話に警官は引っ込んでいろ(=国家レベルの話は軍人に任せろ)と言い放つシーンがあります。憲法問題はいつでもどこでも似たようなものなんだな、と思った次第。
そしてこれを見ている現代人にとっては、この後、黒い国防軍はナチスに取り込まれていき、ナチスは全権委任法によってワイマール憲法を死文化して国民を破滅させたことを知っているわけです。
というわけで、こうした込み入った時代の状況にさらにドイツ共産党やナチス突撃隊も加わり、最後の方ではナチス突撃隊になる左翼の連中なんかも出てきてぐちゃぐちゃです。そして主人公ゲレオン・ラートのPTSDの謎をめぐる驚愕のラスト 笑)
個人的にこの長いドラマで一番「すごい!」と思ったシーンは主人公のゲレオン・ラートとブルーノ・ヴォルターが二つの殺人事件の捜査会議で、殺人課主任のゲナートたちを前に、お互いに牽制し合うシーズン2の4回目にある場面。絶対これが白眉です。お話としてはもっと大きなものを巡って展開するんだけど、ここのシーンは二人の俳優も素晴らしくものすごい緊迫感です。
ラートを演じているフォルカー・ブルッフは拙ブログでも取り上げた「ジェネレーション・ウォー」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1802.html の主役や「ゲーテの恋」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1885.html でゲーテの自殺する友人をやった人で、2枚目なんだけど、ちょっとドラキュラじみた暗さがあって、この時代の刑事役としてはうってつけ。対するヴォルター役のペーター・クルトという俳優はこれで初めて見たけどすごいです。顔立ちは温厚そうな初老の太った男なんだけど、最初に登場した時から何かあるな、と予感させるような雰囲気。実際何かあります 笑)
それに対して、女優陣は正直言ってイマイチです 笑)ヒロイン役のシャルロッテ・リッターをやったリヴ・リサ・フリースには個人的にまるで魅力を感じないです。ドイツって街中には美人がいっぱいいるのに、女優で美人女優って少ないですね 笑)ただ、この人のインタビューなんかをYouTubeなんかで見ると美人なんだけどね。普段の方が美人でスクリーン上でブサク見えるって、いいのか? 笑)
というわけで、ネタバレしないように時代状況や各勢力の関係を紹介したつもりですが、このドラマを見る時の参考になれば幸いです。なお、シーズン1も2もそれぞれ第一話は無料で見られるようですが、シーズン2の第1話だけ見るのはやめましょう 笑)
ドイツではすでに第3シリーズが放映されたそうで、個人的には原作通りヒトラーが政権を取った後まで作って欲しいですが。
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1929年のベルリン。さすがに50分番組16回の長尺だけあっていろんな組織が組んず解れつ入り乱れて、しかも出てくる奴の顔があまり見分けがつかないこともあって、最初の数回は何がどうなっているのかわかりづらい。ネタバレはしないようにして、登場人物たちを整理しましょう。
【ベルリン警視庁】 ゲレオン・ラート :
恐喝の元になったあるフィルムを追ってケルンの殺人課からベルリンの風紀課へやってきた警部。第一次大戦でPTSD障害を負い、モルフィネを服用している。
ブルーノ・ヴォルター :
ベルリン風紀課の上級警部。
アウグスト・ベンダ :
行政長官。ユダヤ系。教養ある人格者であり、共和国を守ろうとする民主主義者。国防軍の秘密組織「黒い国防軍」を取り締まろうとする。
ギュンター・ヴェント :
大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクの側近。のちにベンダの後を継ぐ。
カール・ツェルギーベル :
ベルリン警視庁警視総監。実在の人物で悪名高い「血のメーデー」事件の責任者。
シュテファン・イェニケ :
風紀課刑事助手。行政長官ベンダの密命を受けてある捜査をしている。両親が聾唖なので読唇術に長けている。
ラインホルト・グレーフ :
刑事助手で警察のカメラマン。
エルンスト・ゲナート :
殺人課課長の警視。実在の伝説的な警視で、ドイツに捜査の近代化をもたらしたとされる。ワイマール共和国時代の有名な殺人事件(例えば
拙ブログでも書いたフリッツ・ラング監督の「M」 のモデルと言われる
ペーター・キュルテン事件 )を多数捜査した。「仏陀」の愛称で呼ばれる。
ベーム :
殺人課の上級警部。ゲレオンに不信感を抱いている。
シュヴァルツ :
警察の法医学者。
【女性たち】 シャルロッテ(ロッテ)・リッター :
貧民街出の娘。警察でタイピストなどの臨時仕事を受け持つ。ラートらの捜査に協力する。刑事助手になることを夢見ているが、夜は歓楽街で体を売っている。
グレータ・オーヴァーベック :
ロッテの友人で、行政長官ベンダの家の住み込みメイドになる。
スヴェトラーナ(スヴェタ)・ソロキナ(ニコロス) :
キャバレー「モカ・エフティ」の男装の歌手。帝政ロシアの貴族ソロキン家の娘? アルフレート・ニュッセンとカルダコフの愛人。
イリヤ・トレチュコフ :
ナイトクラブの女装の歌手。カルダコフと共演していて、「赤い砦」の情報をラートらに教える。
【トロツキスト組織「赤い砦」】 アレクセイ・カルダコフ :
反スターリンのトロツキストで「赤い砦」のリーダー。本業はヴァイオリニスト。
ボリス・ヴォルコフ :
ソ連からベルリンへ「黄金の列車」を運んできた運転手。
【ベルリンの暗黒街関係者】 エドガー・カサビアン :
「
アルメニア人 」の異名を持つ。本作の重要な舞台となるキャバレー「モカ・エフティ」のオーナーで暗黒街の大物。
聖ヨーゼフ :
神父の身なりをした全身刺青だらけの男。アルメニア人の手下。
アンノ・シュミット :
精神医学者。第一次大戦時のPTSD障害の研究と治療を生業としている。エドガー(アルメニア人)を助けたことがあり、その関連で暗黒街の負傷者などの手当てもしているが実は。。。
クライェフスキ :
大戦でPTSDを負ったチンピラ。ラートとヴォルターの情報源になる。
ヨハン・ケーニヒ :
非合法のポルノ映像を撮っている写真家。ラートが追うフィルムを撮影。
マックス・フックス :
鉄道員。アルメニア人の手下。
デーマン :
薬剤師。ラートのためにモルヒネを調合している。聖ヨーゼフを介してシュミット医師とつながりがある。
【黒い国防軍】 アルフレート・ニュッセン :
ニュッセン財閥の御曹司。「黒い国防軍」の協力者。
陸軍少将ゼーガース :
「黒い国防軍」のメンバー。ワイマール共和国の転覆を狙っている。
陸軍少佐ベック :
「黒い国防軍」のメンバー。
【ソ連大使館】 トローヒン :
ベルリンのソ連大使館の外交官。ソロキン家の黄金を使ってスターリンを打倒しようとするトロツキストグループ「赤い砦」の計画を阻止しようとする。
セレンスキー :
ソ連大使館員。「赤い砦」のメンバーの殺害を命じられる。
ファリン:
同上。
【ドイツ共産党】 フェルカー医師 :
コミュニストの女医。
フリッツ :
コミュニストの青年。グレータ・オーヴァーベックの恋人。
【その他】 エンゲルベルト・ラート :
ゲレオン・ラートの父。ケルン警察のトップで政界に出ようとしている。
ヘルガ・ラート :
ゲレオンの、大戦中に行方不明になった兄アンノ・ラートの妻。
ザムエル・カーテルバッハ :
オーストリアから来た新聞記者。ラートの下宿の同居人。
これ以外にもヒンデンブルク大統領や外相シュトレーゼマンという実在の人物や、下宿の未亡人ベーンケ夫人や、ロッテの家族たちが色々出てきます。ふーっ。これ一回見ただけで全部見分けられたらすごいですわ。ここまでで今日はおしまい 笑)
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去年BS12で一度だけ放映されたドイツのTVシリーズの第1シリーズと第2シリーズ。見事に見逃して、見た友人から話を聞いて悔しい思いをしてたんですが、ツタヤディスカスやアマゾンプライムで視聴可能のようです。原作はフォルカー・クッチャーの1929年から34年までのベルリンを舞台に、ケルンからやってきた警部ゲレオン・ラートが活躍する大河ドラマです。現在日本では最初の3作が翻訳されているけど、全部で8作のシリーズらしいですが、4作目が出る気配がないですねぇ。
私はまさにこのドラマの原作となった1作目「濡れた魚」は一昨年?に読んでいて、ある程度内容を覚えていたんだけど、ドラマは原作をだいぶ膨らませて話を大きくしている感じで、登場人物の設定も随分違っています。何しろ時代が時代、ワイマール憲法下の狂乱のベルリン、黄金の20年代という文化的に爛熟という言葉がぴったりの社会を背景に、ナチスが台頭し、共産党とぶつかり合うものすごい時代ですからね。
昔の映画にライザ・ミネリの「キャバレー」という映画があり、これまた1930年代のナチス台頭期のベルリンを舞台にキャバレー文化が最高度に花開いた時代の踊り子を主役にした映画で、傑作の呼び声高い映画でしたが、時代的にはほぼ同じ頃です。このドラマもその華やかなキャバレー文化を背景にして、当時の風俗がきらびやかに描かれています。
ただ、安易に見ると結構なエログロ描写が多く、ちとやばいです 笑) 昔、多分高校生の頃、淀川長治のラジオ番組で、ドイツ映画というのはエログロをそのまま描くというような話をしていたのを聞いたことがありました。大昔のドイツのサイレント映画の話で、石畳を水が流れていくシーンがあって、カメラが引いていくと向こうに女がしゃがんでるシーンというのがあったそうです。
でも、当時はドイツ映画なんて言われても、日本で見るチャンスはほとんどなかったから、ふーんと思っていたんですが、その後、ヴェンダースの「さすらい」で、冒頭主人公の浜辺の脱糞シーンでひっくり返りそうなぐらいぶったまげたものでした。だって、そのまま写すんだもんね 笑)
その後も、ドイツ映画というと、唐突に脈絡なくセックスシーンがバンっ!と出てきて子供と一緒に見ることできないようなものばかり、という印象でしたが、このドラマも子供と一緒に見るのはやめましょう 笑)
刑事物というと、英国BBCの映画やコロンボなんかが思い浮かぶんだけど、この「バビロン・ベルリン」はフィルムノワール系というか、主人公の警官もかなり危ない感じで、
以前このブログで繰り返し絶賛した「刑事フォイル」 とはまるで違います。内容だけでなく、描写も英国とドイツの違いなのかねぇ、まるで違います。まあ、安心して見てられないですわ 笑)
登場人物は露骨に下ネタを(ギャグではなく)連発し、人前で放屁するし、ゲロやウ◯チまみれになるし、女の子もいる人前で素っ裸になるし、死体は解剖台上で下半身丸出しで横たわるし、土に埋められたウジまみれの死体のアップ(無論作り物でしょうけど)やバラバラ死体の検証写真が映ったり、まあ、正直言って、フォイルの上品さ、軽やかさ、優美さ、様式美に比べたら、下品で下劣で気色悪い露悪的リアリティ。かなわんなぁ 苦笑)
日本の地上波では絶対放送しないだろうなぁ。というわけでこの項、次回は内容について書く予定です。
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昨夜、録画してあったヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」を見ました。昔、多分40年ぐらい前にTVで見たことがあったのですが、今回見ていて、記憶の中で何か別の映画と混同していました。
数学者のポール・ニューマンが東ドイツへ亡命したふりをしてスパイになって、東独の高名な数学者から情報を奪ってくるというわけなんですが、僕の記憶の中ではこの東独の高名な数学者が、主人公と当局の見張り(シュタージ)のもみ合いで、とばっちりを食らって後頭部を打って死んでしまう。そしてシュタージの男が主人公に罪を被せる。「殺したのはお前だ」とシュタージが笑いながら言うシーンが記憶にありました。
そしてその後の有名なバスのシーンになる、と思っていたんですが。。。だから最初から三分の一ぐらいのところで、あれ?違ってる、と気がついたわけで、その後はそればっかり気になってしょうがありませんでした。
今回の「引き裂かれた〜」を昔TVで見たのは間違いありません。ポール・ニューマンが黒板の数式を暗記しようと集中し、それに気づいた老学者が黒板を見えなくするシーンなんか、完全に覚えていましたから。だけど、その後当局の男ともみ合いになるんだと思っていたら、まるでそうではありませんでした。
ただ、勘違いしていた方の映画がどうしても思い出せない。「12人の怒れる男」にジョセフ・スウィーニーという、最初にヘンリー・フォンダの味方になる老人がいましたが、彼のような風貌の老学者が倒れた拍子に机の角で後頭部を打って死んでしまうんだけど、そのシーンは横から頭を打つところがとらえられていたと思うんですよね。主人公はスパイになって共産圏の国に入国し、その学者から何かの情報を奪おうとする。主人公はポール・ニューマンだと思い込んでいたから、ウィキで探したけど、それらしいのはないですね。あの映画なんだったんだろう?
どなたかご存知ないですか? あー、気持ち悪い。
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このところお気に入りのテレンス・マリックの映画です。新型ウィルスがなければ絶対
「名もなき生涯」 をもう一度見に行ったはずなのに。。。
さて、この映画を嫌う人もきっと多いでしょうね。最初に思いついた言葉は「ひとりよがり」でした 笑)コマーシャルフィルムみたいというのもあるかもしれません。でも僕は好きです。映画で描かれているロマンスは個人のことではなく、もっと普遍的なものでしょう。美しい自然の中、悠久の時の流れの中、あるいは全てを統べる神の前で、人間なんていうものは。。。。といういつものマリック節とも言えます。この人の映画ってどれもそうですね 笑)
単純にストーリーらしきものを追えば、フランスで出会ったバツイチ子持ち女と男が愛し合い、モン・サン・ミシェルへ行き、さらに男の故郷のアメリカへ渡るも子供がフランスに帰りたがって一旦別れるけど、子供を元夫に預けた女は再びアメリカに戻る。双方それぞれ浮気したりしながら愛憎の揺れ動く中、女はラスト、アメリカの草原の中で冒頭のモン・サン・ミシェルを思い出す、とそんなストーリーでしょうか。ただし、非常に短いカットや、会話シーンでのジャンピングカットの多用で、ものすごい爽快感というかスピード感があります。カットの短さは尋常ではなく、多分どのカットも長くても10秒ないんじゃないでしょうか。こんな映画、見たことないですね。
逆に長い方なら見慣れてるんですが 笑)
そしてマリックの映画ではいつでもそうですが、風景が美しい。マジックアワーを使ってとても綺麗な映像を次々と繰り出します。アンドリュー・ワイエスの絵のような草原(「天国の日々」でもそうでした)もそうだしカンザスの家並み(
「ツリー・オブ・ライフ」 でもそうでした)も、風の音や、アルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキの音楽とともに、見ていてとても心地よい気持ちにさせてくれます。
ちょっと思い出したのは「コヤニスカッツィ」でした。あれも次々と美しい風景が流れ、フィリップ・グラスの荘厳な、永遠とか神とか宇宙とか、そんなものを感じさせる音楽が特徴的な不思議なドキュメンタリー映画?でしたが、この映画でも美しい風景に女のモノローグがかぶり、説明が少なく会話らしい会話もなく、上に書いたストーリーなんて、本当はどうでもいいんでしょう。
中盤から後半にかけて二人の間にハビエル・バルデスが演じる神父が出てきます。この人、
「ノーカントリー」では天災のようなターミネーターのようなとんでもない殺し屋をやってた んですが、今回は神父です 笑) この神父に主人公の女が懺悔したり、危機的な関係にある男が助言を受けたりしますが、最後の方で、この神父のモノローグがグレツキの音楽にかぶり、刑務所や障害のある人たち、困窮者たちや死者に寄り添うシーンが出てきます。このシーンはグレツキの音楽のせいでしょうか、涙が出ました。思ったのは、あの神父は「ベルリン・天使の詩」の天使と同じなんですね。苦しむ人たちに対する思いは強く、自らも苦しまざるを得ない、できることはただ苦しむ人たちの肩に手を置くことぐらい。だけど、そこに神の偏在とでもいうのでしょうか、ものすごく高貴で美しいものを感じさせます。ストーリーの中ではなんのために出てきたのかよくわからないんですが、あの神父がいることで、この映画がより深いものになったと思います。
最後唐突に終わるとともに延々とバロックの典雅かつ悲壮感ある音楽(これが誰の何という曲なのかが分かりません、どなたかご存知ないですか?)の中をテロップが流れ、最後の最後に突然電車の音が遠くにします。あれは間違いなく、タルコフスキーの「ストーカー」のオマージュでしょう。そもそもがラストのあたり、延々とペルトやグレツキの音楽に合わせた映像は、必然的にタルコフスキーの「鏡」のラスト、延々とバッハのヨハネ受難曲の冒頭が流れ続けるシーンを思い出しました。多分間違いなく、監督はそれを意識していると思います。
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いやはや、WebEXとか、その他のわけわからんアプリケーションでひっちゃかめっちゃかです。ものすごいストレスだわぁ。他のこと何もできないまま数日が無駄に過ぎて行きました 笑)
というわけで、昨夜はCSでちょっと前にやっていた表題の映画を見ました。このボルグ対マッケンローについては以前にここでも書いたことがありましたっけ。リンクしておくのでよろしければどうぞ。
ボルグ対マッケンロー、心に残るスポーツシーン(8) (さっき本箱からこんな雑誌も出てきました。1981年、マッケンローがボルグにウィンブルドンで勝った年のナンバー。番号が35番です)
前にも書いたように、僕はスポーツ映画ってどうもきちんと見られないんですよね。例えば市川崑の「東京オリンピック」とかルルーシュの「白い恋人たち」なんて見ちゃったら、「炎のランナー」の激走シーンなんて見てて恥ずかしくなっちゃう。
なんてこともすでに何回か書きましたね 笑) この映画もテニスの試合のシーンは短いカットとフットワークだけとかで処理して、まあ、うまく「ごまかして」いました。まさにごまかしていたという感じで、あのシーンを手に汗握るなんて言っている映画評がありますが、私はとてもとても 笑)
それから、ボルグはよ〜く似てましたが。マッケンローは今ひとつですね。ただ、フォームはボルグはもっと擦り上げるようなドライブ打法だったし、マッケンローのサーブも何かちょっと肩のあたりが違うような気がしましたね。肩越しに見るんだけど、あんな肩を怒らしてなかったような気がします。ラケットの持ちかたもマッケンローって軟式テニスのグリップの逆みたいな変な持ちかたをしていたと思うんですけど、そこらへんはまるでスルーされてました。
何しろマッケンローの打法って他の選手には真似できないような柔らかさがあって、のちにスウェーデンの卓球選手のワルドナーというのがそういう感じでしたけど、なんていうんだろう、球をラケットで捉えた時の感じが全然力が入ってないみたいで、天才ってこういう奴のことを言うんだな、と思わされたものでした。
私は先のボルグ対マッケンローのエントリーでも書いたように、この試合、リアルタイムで見ていました。もちろんボルグを応援してました。だからあの歴史に残るタイブレークも、そうだったなぁ、と思い出しました。その意味で、この映画を観た甲斐がありましたね。
でも、この映画は美談仕立てで、悪ガキマッケンローが決勝戦ではいつものように暴れまくらずおとなしくしてて、これでマッケンローは紳士に変わったかのような錯覚を起こさせる作りになっていましたが、そんなことありません 笑)この後もマッケンローはずっと罵詈雑言卑語猥語をコート上で叫びまくって、観戦していたダイアナ妃が退席したりしてました。
なんか映画として当たり障りのないような作りだったかなぁ。僕はマッケンローっていわゆるアスペルガー症候群なんじゃないかと思うんですよね。このアスペルガーって最近話題だけど、FBの創始者のザッカーバーグがそうだとか(ザッカーバーグのことを描いた「ソーシャル・ネットワーク」と言う映画があって、その冒頭のところでの女友達とのまるで噛み合わない話なんかは明らかにそれを示してました)、ピアニストのグレン・グールドがそうだったとか、アインシュタインもそうだったとか、色々言われているけど、マッケンローもコートチェンジの時のラインにそって歩く変なこだわりとか、周囲の人間の心がまるでわからないとか、呆れるほどの自己中とか、このアスペルガー症候群という言葉を知った時に最初に思い浮かんだのがこの人でした。
映画ではそういう面はほとんどなく、むしろ逆にボルグの徹底的なこだわりが強調されていましたね。特に最後はマッケンローが空港でボルグ夫妻とあってハグし、ナレーションが、この後二人は本当の親友になったなんていうんだけど、いやぁ、ちょっと美しくし過ぎでしょう 笑)
映画はボルグが主役で、子供の頃の感情をコントロールできないボルグがコーチのレナートの指導のもとに氷のような感情を表さない紳士的なプレイをするようになるまでと、勝ち続ける者の苦悩みたいなものがメインになっていて、正直言ってそれほど面白くなかったですね。どうしてもテニスをしている時のフォームがいかに本物に似てるかが気になって、そして二人だけでなく、当時のテニスプレイヤーたちの姿がどれぐらい本物に似ているかが気になってねぇ 苦笑)
ゲルレイテスは全米でマッケンローが初めて優勝した時の相手でした。負けて荒れてましたね 笑)これもリアルタイムで観てましたね。この映画ではテニスをしているシーンはなかったけど、最初に出てきたシーンから、映画の中では名前は一度も?呼ばれなかったけど、あ、これはゲルレイテスだな、とわかりましたから、これは似てました。まあ金髪の挑発でちょっと頬のこけたような顔だから似せやすいかも。最悪はコナーズ。似てません。マッシュルームカットにすれば似るってもんじゃありません。コナーズはもっと小柄でした。出来るだけ大写しにならないようにしてたけど、マッケンローと口喧嘩するシーンで映った姿はちょっとがっかり 笑)まあ、コナーズクラスの選手の扱いがこんななのも、ちょっと納得いきません。
マッケンローが出てくるまではコナーズがなにしろ悪ガキで、他にもナスターゼなんていうもっと陰気な文句屋がいて、当時のテニス界はやりたい放題言いたい放題で審判に逆らってばかりいる奴らがたくさんいましたっけ 笑) そういう奴らが負ければ気持ちいいんだろうけど、それがまた勝つんだなぁ 笑) イワン・レンドルが出てきて、やっと普通の奴が勝つようになったなと思ったものでした。
いや、今回はテニスの悪童ばかりが思い出されてしょうがない。いや、僕は卓球やってましたから、テニスについてはちょっと思いは複雑なんですが、でも一時期はよく観てました。今は全く観なくなりましたね。21世紀に入ってから、最初から最後まで見たテニスの試合は一つもありません。
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