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ズビャギンツェフ監督危篤状態?

2021.09.18.00:42

ほんとかぁ、という無茶苦茶ショッキングなニュースです。ロシアの監督ズビャギンツェフがコロナで重症、現在ドイツのハノーファーの病院で集中治療室にいるようです。現在人工昏睡状態らしいです。

わたしはほとんど市販のdvdって持ってないんですが、この人の全作品は手元にあります。

IMG_4500.jpg

ロシア語は文字すら読めないから全く知りませんでした。ロシア映画のFBで教えてもらったんですが、1980年代前半、タルコフスキーが癌だというニュースを聞いた時のことを思い出したぐらいのショックです。

拙ブログではズビャギンツェフの作品についてはすべて書いています。冗談じゃないなぁ。

映画「ラブレス」
映画「裁かれるは善人のみ」(完全ネタバレ)
ズビャギンツェフの映画(1)「父、帰る」
ズビャギンツェフの映画(2)「ヴェラの祈り」
ズビャギンツェフの映画(3)「エレナの惑い」

どれも異常な緊迫感と映像のこれまた異常な美しさ。そして現代ロシアに対するあからさまな批判精神。現在の映画界で、僕が一番気になる監督です。ただただ回復を祈ります。

2021年9月18日 16:40 追記*****
https://obaldela.ru/porazhenie-legkih-90-sostoyanie-tyazheloe-rossijskij-kinorezhisser-andrej-zvyagintsev-gospitalizirovan-v-germanii/?fbclid=IwAR1kHj5OouwhPWMMkjupX3WQf_kU20wZqOM4HJPy17lU4-LimCmZuxuuBNA

9月14日のニュースです。ロシア語は微塵も分かりませんが、ネット翻訳を頼りにすると肺の90%がダメージを受けているとのこと。コロナには7月に罹患して集中治療を受けて帰宅、リハビリの準備をしていたところで重篤になってドイツのハノーファーの病院に搬送されたようです。状態は予断を許さぬ状態だと。。。


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映画「モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ」

2021.09.11.21:01



吉祥寺のUPLINK でソクーロフ特集2021として昨日から4本を上映するようです。表題のドキュメンタリーを見てきました。

ソクーロフという監督は、拙ブログではなんども取り上げてます。

ソクーロフの映画「ファウスト」覚え書き
ソクーロフの映画「静かなる一頁」(ネタバレ)
ソクーロフの映画「モレク神」
映画「エルミタージュ幻想」覚書き

今回のはタルコフスキーの最後の2作「ノスタルジア」と「サクリファイス」で1部と2部を構成し、映画の映像を引用しながら、その撮影中の姿や、脚本家らとのやりとりの姿も出てくるけど、ソクーロフが撮った室内風景などは、この監督らしい静けさに満ちたドキュメンタリーでした。なんとなくタルコフスキーの「鏡」の中盤にさまざまなドキュメンタリーフィルムが実に寂しげに引用されますが、そんな雰囲気です。

他にも若いタルコフスキーが出演している白黒映画も結構長く引用されてましたが、これはちょっと驚きました。また、タルコフスキーが育った家や、亡命直前に住んでいた家なども出てきました。ただ、もう少し父や母との関係を描いて欲しかったという気もします。

タルコフスキーは1982年にソ連を出国してイタリアで「ノスタルジア」を撮り始め、完成した翌年の84年に亡命宣言をして、スウェーデンで「サクリファイス」を撮って完成直後の86年にパリで癌によって亡くなりました。私はタルコフスキーのソ連時代の映画「鏡」が生涯ベストワンで、このドキュメンタリーでも何度か短い引用がありました。また、「僕の村は戦場だった」の映像ではなく、有名な井戸の夢のシーンの音楽と声だけが出てきたりして、タルコフスキーファンとしては嬉しかったですね。

タルコフスキーについても拙ブログでは過去何度も取り上げてます。まとめの意味でリンクしておきます。

地球が滅びるときに見ていたい映画
映画「惑星ソラリス」を見た
映画「鏡」を見た
映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)
映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)
映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)
タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他
タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」

上映後に日芸の古賀太氏のトークがあり、正味20分ぐらいだったんだけど、ソクーロフと親しく交流した経験を話題にして、もう少し色々話を聞きたかったと思いました。タルコフスキーとソクーロフはほぼ20歳ぐらいの年齢差があり、タルコフスキーはもう少し長生きしていれば、ゴルバチョフのペレストロイカ(開放製作)により亡命宣言をしていてもソ連に帰れたんじゃないか。一方のソクーロフは処女作「孤独の声」(現在「孤独な声」)は上映禁止処分を喰らうけど、ペレストロイカのおかげで、ほぼ10年後には処分撤回になり、その後はロシアに住みながら海外でたくさんの映画を撮れているわけで、この20歳の年齢差はなんとも重いです。


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タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」

2021.07.03.15:00



昨日の夜、渋谷で見てきました。4年ぶりですが、やっぱりすごい映画です。のちのタルコフスキーのような難解さはなく、眠くなるような 笑)ところもありません。タルコフスキー後期の映画と違って、ストーリーに無茶苦茶なおまじないじみたところがないし 苦笑)、馬が全力疾走する躍動感も後期の映画には見られないものでしょう。

名前も同じアンドレイだし、ルブリョフはタルコフスキー自身です。 それを忘れなければさまざまなセリフがかなり強烈な暗示や含みがあるのがわかるでしょう。それについてはすでに書いたのでくりかえしません。

でもそれ以上に映像が美しいです。すでにこの映画の前に撮った「僕の村は戦場だった」でもそうだったけど、のちのタルコフスキーの「アトリビュート」になる火と水はそこここに現れるし、最初から最後まで繰り返し馬が出てくる。馬はこの次の「惑星ソラリス」の中でも、最初のシーンでいわくありげに、なにか意味を考えたくなるような形で出てきます。

今回感じたのはルブリョフのロシアの民衆に対する強い愛情のようなもの。これはソ連から亡命した後に作った「ノスタルジア」のなかでロシアに対する強烈なつながりを表明していたことを考えると、なにか悲しいものがあります。

それと、白痴の娘をやったイルマ・ラオシュという女優がすごいですね。この人この役でフランスの映画祭で賞を取っているんですが、本当にすごい。ロシアでは知的障害者を聖なる愚者(ユロジヴィ)と呼んで大切にしたそうで、彼女もロシア人からもタタールからも大切に扱われていますが、登場した時にルブリョフが壁に叩きつけた泥絵の具の飛沫をみて泣き出すところから(この泥絵具が何色かは白黒なのでわかりませんが、きっと赤だったと思いたいところです)、戦災孤児なのではないかと思えます。このイルマ・ラオシュ、タルコフスキーの最初の奥さんであり、「僕の村は戦場だった」で、主人公イワンの母親として出ています。どうもロシア人らしくない名前だと思って調べたら、ヴォルガ・ドイツ人(ヴォルガ川沿いに200万人ぐらいいるドイツからの移民の子孫)だそうです。

しかしこの映画ももう50年以上昔の映画なんですねぇ。。。


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タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他

2021.06.28.23:32



今日は仕事が夕方からだったので、午前中に「鏡」、午後からは「ローラーとバイオリン」と「僕の村は戦場だった」を見てきました。

以前から書いているように「鏡」は映画館でもう20回ぐらいは見ている、僕の生涯ベストワンの映画です。映像が美しいだけで意味がわからん難解な映画だと思われるかもしれませんが、それぞれのエピソードに前後のつながりがあるような気がしています。それについては以前書きましたので、繰り返しません

ただ、そうは言っても誰?この人? という人はたくさん出てきます。昔から気になっているのは「私」の息子のイグナーツが留守番しているところに突然現れ、突然消える暗い感じの女性。あの女性は最後近く、「私」が病気で伏せっているところでも出てきます。この最後近くでは縫い物をしている老婆も何者かわかりません。

そしてこの女性、映画を跨いで「惑星ソラリス」では主人公クリスの父の家にいます。父親の奥さん(=クリスの義母)かとも思えるんだけど、よくわかりません。ちなみにクリスの母はその後クリスが熱にうなされるシーンで出てきて、全く違う人であることがわかります。

かように謎が解けないままなのも、この映画の魅力をさらに高めているんだろうと思います。

午後に見た「ローラーとバイオリン」は可愛らしい映画ですが、改めてタルコフスキーが普通にソ連の共産主義的な理想を信じていたんだろうと感じさせられました。ローラーの作業員と、芸術家の卵である少年との友情という、労働者とインテリゲンチャの協調という理想が素朴に描かれています。

一緒に上映された「僕の村は戦場だった」は頭の中にあった印象ほどの感動を、今回は感じませんでした。ただ、主役のイワンを演じたコーリャ・ブルリャーエフのとんでもない存在感には圧倒させられます。思い出の中で母と一緒に出てくる時の顔は実にきれいな、幸福な少年の顔なのに対して、現在の復讐心に駆られた顔は、別人が演じているのではないか、あるいはひょっとして1年ぐらい時間をおいているのではないかと思えるぐらいの違いがあります。こういうカメラを全く意識していないような演技ができる子役ってなかなかいないんじゃないでしょうか。

ラストでナチス高官たちの自殺した家族たちの写真が写されることによって、この映画がソ連の子供たちの悲劇だけを一方的に描くのではなく、戦争というものがすべての子供たちを苦しめ悲しませるのだという強いメッセージを発信しているのでしょう。

思っていたほどの感動がなかったと書いたけど、やはりあの最初の夢のシーンは何度見ても心が震えますが、そんなこんなを昔書いたことがありました 苦笑

というわけで、今度の金曜日には「アンドレイ・ルブリョフ」を見てきます。


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映画「DAU・ナターシャ」(ネタバレしてます)

2021.03.17.13:17

IMG_4193.jpg

ソ連ロシア映画ってのはとんでもないのが目白押しです。節ブログでも紹介したアレクセイ・ゲルマン監督の「神々のたそがれ」「フルスタリョフ、車を」なんかは、なにか映画の画面に写ってないものも映画の一部であるかのような、メタ映画的なものを感じさせられたし、ヴィターリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、甦れ!」は、逆に映画の中に監督が介入していく逆の意味でのメタ映画的なものがありました。

また、最近見た中では一番衝撃的だったアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「ラブレス」などはもっと映像美追求形で、画面作りに厳格さが感じられて、タルコフスキーの系譜につながるのかもしれませんが、内容的には暗澹たるもの。

というわけで、この映画もなんと言ったらいいか。。。どこまで演技なのかなと思えるところがたくさんありますが、セックスシーンなんか本当にXXXんだろうと思われます。出ている俳優はすべて素人だそうで、ほとんどが映画のために作られたソ連時代を復元した町の中で2年間生活し、当時の衣装を着て、当時の料理を食べ、当時の酒を飲んだそうです。その街の中ではソ連時代の紙幣が使われ、新聞すら当時のものが毎日届けられ、出演者たちもそんな環境の中でお互いの信頼関係を築いて、愛し合い憎み合ったと。しかもその間もカメラは至る所で撮影していたということで、そこまでやらないとカメラの前であんなのあり得ないでしょう。

いや、セックスシーンだけでなく、飲んだり食ったりするシーンも本当にウォッカをがぶ飲みして完全に酩酊、挙げ句の果てに娘がカメラの前で嘔吐します。手持ちカメラでスタビライザーをわざと効かせないのか、細かく揺れるしピントもときどき会ってなかったりして、ドキュメンタリーを連想するかもしれないけど、俳優は決してカメラを見ませんし、特に後半はドキュメンタリー的要素は全くありません。

この映画、前半と後半で雰囲気が一変します。時代は1952年ですから、まだスターリン独裁の時代ですね。以前書いたけど、タルコフスキーの「鏡」の中で印刷所に勤める母親が「誤植」に怯えるシーンがありましたが、実際スターリンの綴りを間違えただけで強制収容所に送られたそうですからね。

主役は40代のウェイトレスで、ソ連の兵器開発のための秘密都市の食堂で、科学者たちを相手に料理を提供し、仕事を終えると20代の同僚と二人で高級酒やキャヴィアをこっそり開けて酒盛りをし、恋バナしたり喧嘩したり、挙句取っ組み合ったりします。そしてある晩、科学者たちを招いたパーティーでソ連に招かれた50代のフランス人科学者と主人公の女がデキちゃいます。

科学者たちの研究とやらも、なんだか怪しげなものなんですが、後半、主役の40代の女がある日突然KGBに呼び出され、外国人と寝たことが反逆罪だと非難され、さらにフランス人科学者がスパイだと言う報告書を書くよう命じられます。このシーンがすごい。暴力は一回だけですが、KGBのおっさんの言葉によるイタブリが尋常じゃない。酒を与えて油断させたと思うと、突然防音室へ連れて行って素っ裸にさせ、屈辱的な脅しをかけ、さらに自分で殴っておきながら、それをいたわるようなやり方で懐柔、ついには女を自分の言う通りの報告書を書かざるをえない状況へ追い詰めていきます。それどころか、いたわられた女はおっさんに好意すら感じているようなコケットリーを見せ始めます。

このあたりも、なんか演技ではないような気がします。そして解放された女は同僚の若いウェイトレスに対してマウントを取ろうとするような命令を発して映画は終わります。他人を自分の思い通りにさせようとすることの「悪」というのは、まあ、誰にでもあるものなんでしょう。ソ連時代はそれを権力を使ってやっていたわけで、そんな社会で生きていた人たちは、さぞかし大変だったことでしょう。

うーん、例によってこの映画を面白いと思う人はどうかしてますね(天に唾する文句ですな 笑) DAUナターシャという題名ですが、ナターシャは主役の女の名前です。監督自身は2年かけて撮影した膨大なフィルムを使って、全部で16本のDAUシリーズを発表すると言っています。監督の意図はソヴィエト時代の再現ということのようですが、次のを見るかどうかは、なんとも。。。苦笑)


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ティレノ〜アドリアティコからタルコフスキーへ

2021.03.12.12:32

いや、自転車レースを見ていて時々全く違うことで「わっ!」となることがあります。昨日のティレノ〜アドリアティコ第二ステージではゴール前15キロのあたりで突然サンガルガーノ修道院が空撮で大きく説明付きで出てきました。屋根がなくなった修道院ですが、この修道院は僕にとってはこれですね。



タルコフスキー監督の「ノスタルジア」のラスト、ロシアとイタリアを強引に融合させた不思議なシーンでした。このポスターだいぶ昔に買ってそのまま丸めておいたのでよれてますが、映画ではこの画面がそのままカメラが引いていって最後はこんな感じになります。

f5e7b52f.png

タルコフスキーについては以前に書いたこともあるけど、「鏡」という映画が僕にとっては生涯ベストの映画です。現時点ではという言葉は不要だな、きっと。そしてそれ以外のタルコフスキーが撮った7本の映画はどれも、「2,30本ある生涯ベスト2」のうちの一本です 笑)

ただ、この「ノスタルジア」以前はタルコフスキーは自分のことだけ考えて映画を作っていたんだろうと思うんだけど、「ノスタルジア」からはテーマが「世界平和」になります。こういう言葉を使うとどうも軽くなっちゃうんですが、「惑星ソラリス」や「鏡」のラストは明らかに自分の人生に対する後悔(ある意味で「ソラリス」は父との葛藤、「鏡」は母とのそれ)を、映画によって解消しようとしていたのに対し、次の「ストーカー」では「世界」に視線が向き始めます。そしてこの「ノスタルジア」では最初の方で「自分だけのための美はもういらない」というセリフがあり、ラストもおまじないじみた形で「世界平和」を祈る願掛けになり、最後の「サクリファイス」も同様に、自分の家を燃やすという犠牲を捧げることによって、起きてしまった核戦争を起きなかったものにします。

タルコフスキーの映画は以前にも書いたけど連続性があります。タルコフスキーについては何度か書いてきたので、よろしければどうぞ。

「地球が滅びるときに見ていたい映画」
映画「惑星ソラリス」を見た
映画「鏡」を見た
映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)
映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)
映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)


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グルジア映画「懺悔」

2020.08.05.14:33

懺悔

今はジョージアって言うんですね。昔「ピロスマニ」っていう画家の映画をソヴィエト映画の全貌シリーズで見たことがありましたが、イメージとしてはスターリンが生まれたところぐらいのイメージしかないですねぇ。

この映画、今から見ればありがちな独裁者批判の映画なんですが、作られたのが84年で、これってソ連で公開されるはずもない映画だったんですね。それがゴルバチョフがソ連のトップになってペレストロイカのお陰で公開されるや、ソ連国内で大評判となり、カンヌで大賞を取るとともにソ連・ロシア最高の映画賞の受賞作品となったのでした。ちなみにこのロシア最高の映画賞はニカと言って、88年にこの映画が取った後、拙ブログでも書いたゲルマン監督の「フルスタリョフ、車を!」「神々のたそがれ」、ズビャギンツェフ監督の「父、帰る」、ソクーロフ監督の「ファウスト」なんかが取ってます。

ある市で元市長の葬式が行われ、みんなが立派な人だったと褒め称え埋葬されたんだけど、翌日になると死体が掘り起こされて自宅の庭に立てかけられている事件が起きる。それが3回続き、ついに犯人の女がつかまって裁判になり、その女の父母らが市長によって粛清された過去が暴かれる、というようなストーリーです。

この市長の造形がすごい。ヒトラーのちょび髭、スターリンの下で粛清の嵐を吹かせたベリア風の鼻眼鏡、ムッソリーニの黒シャツ。で、笑うときの口の形がちょっと漫画のように口角が綺麗に上がって、どこか「薄い」笑いという感じで怖い。ちょっとオドオドしていて、市民のいうことに耳を傾けているようなふりをし、ひょうきんで突然ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」からアリアを歌ったりして人々を油断させながら独裁者になっていきます。途中の演説ではこんなことを言います。

「孔子はこう言った、『暗い部屋で猫を捕まえるのは難しい、猫がそこにいないなら尚更だ」と。我々の使命は困難なものだが決意を持てば『暗い部屋でも猫を捕まえられる、たとえそこに猫がいなくても』」

まあ、見事に部下たちも暴走して「いない猫」を無理やり捕まえます。こうした独裁ぶりを裁判で知った市長の孫は。。。。

と言うわけで、僕としては裁判の終わった後の孫の反応やその父親(つまり市長の息子)の行動に何か食い足りなさを感じたんですが、この映画の魅力はそういうストーリーとかスターリン揶揄とか、そういう面以上に、シーンの面白さ、美しさが素晴らしいです。どこかシュールな、あえて言えばクストリッツァ風のユーモアがあって、ちょっととぼけていて、それなのに怖い。

例えば、ここで出てくる官憲はみんな古代ローマ帝国風の鎧兜とマントを着ていて馬に乗っています。そんなのが狭い街の路地を追いかけてくる。かと思うと最初の方の市長の就任あいさつの場面では、すぐしたの水道管が破裂して、みんなが水を浴びる。そんな中で表情も変えずにタイプを打ち続けるビショビショの秘書。

ソ連ではシベリアへ送られた人たちが木材伐採した切り口に自分の名前と居場所を掘りつけておくことがあったんですね。その材木が運ばれてきて、万が一でも残された家族の目に触れれば、彼がまだ生きていることがわかるわけです。まあ、奇跡みたいなものなんでしょうけど。その材木置き場へ行く母と娘の場面は、アルヴォ・ペルトの音楽が流れ、膨大な量の丸太の前を母と娘がふらふらと歩き回る悲痛な美しいシーンです。

ペルトに限らず、音楽の使い方もいいです。喜びの歌をドイツ語で歌っているシーンにかぶせて、洞窟の中を刑場(このシーンでは、腰まで水に使って判決を聞くんだけど、タルコフスキーの「ノスタルジア」とか「ストーカー」のオマージュでしょうか)へ向かっていきます。あるいは収容所?の所長が女と結婚行進曲を連弾で弾いているシーンの奇抜さ。そして女が突然目隠しをして剣と天秤を掲げるシーン。いわゆる法のもとの正義の女神像になるシーン。市長の息子の夢?のシーンで魚を貪り食う市長が出てきて、その後我に帰った男の手には魚の骨が残されているというような不思議なシーン。

こういう幻想的で奇妙なシーンや、登場人物の突飛な行動が面白い。なんかロシア映画ってこういうのが多いです。本来3部作の最後のものだそうですが、1部と2部も見てみたくなりました。 YouTube に予告編がありましたので、貼っておきます。





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映画「道中の点検」の検閲のこと

2019.11.02.19:29



この映画のことは以前にも「神々のたそがれ」「炎628」についての文で、うろ覚え状態で書いたことがあったけど、今回改めて見た。1971年のアレクセイ・ゲルマン監督の最初の長編映画。第二次世界大戦の独ソ戦が舞台で、ドイツ軍の捕虜になり、その後ドイツ軍に加わったものの、再びソ連軍パルチザンに投降する。だけど、パルチザンのメンバーは、一度はドイツに寝返った奴など信じられない、すぐに殺すべきだと言う者もいる。ところがパルチザンのリーダーは彼を試すことにする。

アレクセイ・ゲルマンという監督は上記の「神々のたそがれ」以外でも、拙ブログで何度か紹介した。

再び映画「神々のたそがれ」
映画「フルスタリョフ、車を」

この二作ともに、白黒のワンカットの長い、ストーリーの説明がないわかりづらい映画。どこかボッシュの絵のような禍々しさを感じさせるのも、人々の画面内での動きが独特で、主役の前を多くのエキストラたちが繰り返し横切ったり、変なモノローグのようなブツブツいう声が小さく聞こえたりするせいだろうか。

この「道中の点検」ではそうした特徴がそれほど出てこないけど、それでも冒頭の男の顔を写すところや、雪の中の風景、照準器越しに見えるドイツ軍兵士たちのアップに、ボソボソと言う狙っている男の声とか、何か普通の映画ではないと感じさせるものがある。

それとこの映画はタルコフスキーの映画で出てきたロマン・ブイコフ(「アンドレイ・ルブリョフ」の道化)、アナトリー・ソロニーツィン(「アンドレイ・ルブリョフ」の主役、「ソラリス」のサナトリウス博士、「鏡」の通りすがりの医者、「ストーカー」の作家)、ニコライ・ブルリャーエフ(「僕の村は戦場だった」のイワン、「アンドレイ・ルブリョフ」のラストのエピソードの鐘作りの少年)、それにウラジーミル・ザマンスキー(「ローラーとバイオリン」の作業員)が出ているのも、むちゃくちゃ嬉しかった。

特にブルリャーエフが裏切り者として出てきて、最後のシーンで主人公たちがバレてしまう決定的な役割を演じているのは、「僕の村〜」ではドイツ軍に対する憎しみに燃える少年斥候の役だっただけに楽しい。

この「道中の点検」は冒頭に書いたように71年にできたのに、公開されたのは85年。14年も何があったか? 検閲である。この映画は80年代末に日本で初公開された時に見た。その時は14年も公開禁止になっていて、ゴルバチョフのペレストロイカのおかげで公開が許された映画ということで話題になった。僕も反ソ的な映画を期待して見に行き、見終わって一体どこが反ソ的なんだ? と拍子抜けさせられた。

つまりドイツ軍のために働いたソ連人がいるということが、当時のソ連政権にとっては認められなかったのだ。この映画は検閲を通らなかった時点でフィルムを廃棄するはずだったという。だが、様々な人の善意や偶然によりフィルムは廃棄処分にならずに残された。ということは、ソ連時代には廃棄されてしまったフィルムがたくさんあるということなんだろう。

今から見れば、こんな検閲理由なんて信じられない。悪い冗談だとしか思えない。しかし、旧ソ連はそういう国だったのだろう(ただし、ズビャギンツェフの映画「ラブレス」はその前の「裁かれるは善人のみ」がロシアの政権の逆鱗に触れたせいで、フランスやドイツ、ベルギーから出資してもらったという)。

僕らの住む現在の日本は、当時のソ連のような独裁国家・収容所国家ではない。安倍がやることが独裁的だというのはある程度当たっているとは思うが、少なくとも権力批判をする人間が収容所に入れられることはまだない。そんな国で、政権が気にくわない文化事業が潰されるというのは、ソ連のような上からの検閲ではなく、検閲を支持する一部の国民がいるからだ。

例の愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」、展示を見ることもせずに抗議の電話を嫌がらせのようにかける人々。

ソ連のようなケースなら政権が崩壊すればなんとかなる(もっとも今のロシアも上記のごとし)かもしれないけど、今の日本の状況はもっと深刻かもしれない。


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ズビャギンツェフの映画(3)「エレナの惑い」

2019.09.08.21:06

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第三作目は「エレナの惑い」。これは話がわかりやすいし、映像的にも他の作品と比べれば、びっくりするようなことはしてない。前作のヴェラの祈りが絵画のような風景(僕が思い出したのは映画の「1984」の中で主人公が何度か思い出す美しい風景があったけど、それを連想した)だったのに対して、これはむしろ室内が圧倒的に多い。冒頭シーンでもそうだけど、室内の光と陰のコントラストが面白い。監督は映画ごとに画面の色調やカメラワークを変えてるんじゃないかなぁ?

主人公のエレナは50代半ばぐらいだろうか? 実業家の夫は70ぐらいだと思われる。それぞれ再婚で、それぞれに前の結婚での息子と娘がいる。夫が十年前に入院した時に看護師だったエレナと結婚し、都会の高級マンションに住んでいる。夫はスポーツジムに通い、バイアグラを飲んで朝からエレナを誘ったりして元気なんだけど、突然心臓麻痺で倒れる。とりあえず一命を取り留めるのだけど、遺書を書くと言い出し、財産は自分の娘に相続させ、エレナには遺族年金で生活できるようにすると言う。

エレナの息子は働く気もないどうしようもないクソ男だけど、そんな男にも家族があって15、6歳?の子供がいる。エレナはその子(=孫)をえらく可愛がっていて、大学へ裏口入学させようと考えている。しかしそのためには金が必要なのである。そこで、エレナはどうしたか。まあ想像できるでしょうけど、今回もネタバレはしません。

エレナが住んでいる都会の高級マンションと、息子家族が暮らす発電所のある町の狭く汚いアパートで、ロシアの格差社会を暗示し、そこに暮らす孫たち少年の生活もなんともやりきれないものがある。

エレナと夫は年齢相応に仲が良さそうに見えるが、唯一ぶつかるのがこの息子たちと、夫の方の娘のことだ。娘の方もこれまたどうしようもないクソ娘なんだけど、父親は彼女を愛していて、遺産を全て残そうとする。

冒頭の早朝の枯れ枝のカラスから始まって、小津安二郎か?っていうような人のいない室内を繰り返し写した後、エレナが目を覚まし、夫を起こして朝食の準備をし、二人向かい合って食事をするまでの10分ぐらいを、ほとんどリアルタイムじゃないか、っていうテンポで写す。このシークエンスはさすがにワンカットではないんだけど、後半、クライマックスのワンカットはすごい。あることを待つエレナの姿から台所であるものを燃やすまでの5分以上のワンカット。カメラの動きも、エレナの反応も、エレナの前で燃える炎のアングルも、そして何よりその難しいシーンを演じきるエレナ役の女優の演技力もものすごい。そういえばズビャギンツェフの映画の俳優たちの演技はみんなものすごいレベルの高さだと思う。

そしてラストは冒頭の枯れ枝のアップ。しかし冒頭と違ってカラスはいない。そして時刻は夕暮れ時だ。このラストも普通の映画ならどんでん返しが待っているはずなんだけどね。こうした終わり方ってロシア的なのかも。少し前に読んだチェーホフの短編に「谷間」と言うのがあったけど、あれもこんな感じだった。勧善懲悪とかつじつま合わせというものを徹底的に拒否している感じだ。

どこかの映画館でズビャギンツェフの特集か連続上映会でもやってくれないかしらん? ただ、陰々滅々だからなぁ。。。 笑)


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ズビャギンツェフの映画(2)「ヴェラの祈り」

2019.09.08.20:56

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亡き父の残した田舎の家に滞在しにきた一家の波乱万丈の数日間の話。そういえば前作の「父、帰る」も1週間の出来事でした。

冒頭、突然疾走する車が出てきて、運転する男は主人公の兄で、腕に撃たれた傷があるシーンから始まる。これも、このシークエンスが終わるまで、いやその後も何の説明もない。だけど、途中での会話から、これまた何となくお話は作れそう。

さて、田舎の家でくつろいでいると、突然妻が主人公の夫に妊娠したけどあなたの子供ではない、と言う。え?? というわけで夫は友人たちや同僚たちを疑い始める。妻の不倫の相手は誰なんだ?? でもそれがハリウッド映画のように過剰に夫に感情移入しない。何だか淡々と展開していく。夫も相手と思しき男のところへ拳銃を持って押し掛けるんだけど、てめえ、ぶっ殺してやる!みたいな激情的なところはなく、雨の中、車を止めてぼんやりしているうちに寝込んでしまったりする。

この作品も後半でびっくりの展開になるが、これもネタバレしないほうがいいんでしょうねぇ。そして、とてもスタイリッシュに始まる最後の20分ぐらいが、謎解きのようになっているんだけど、それでも謎は残る。しかし風景の映像は素晴らしいし、様々な細部のこだわりがすごい。特にあの丘の斜面に立つ教会のコントラストの強い映像はそのままシュールな絵画のようで、いつまでも観ていたいと思うぐらい美しい。そして思わせぶりなシーンも満載だ。子供達がレオナルドの受胎告知のジグソーパズルをやっているシーンなんか、処女懐胎したマリアとその夫ヨゼフに対する主人公夫婦の対称性を表しているんだろうし、水の流れていなかった川に向かって、最後に雨が降って水が流れて注いでいく水路を延々と写すシーンなんかも、話の流れが繋がったことを暗示しているのだろうか? 

完全に謎なのは、途中中盤で電話(固定電話がこの映画の中では重要な小道具)が鳴り主人公が出ると相手は若い娘で、一言も発しないままバッハの「マニフィカト」のレコードをかけてそれに受話器を向けている。この娘は誰? この15秒ほどのカット以外にはこの娘は出てこないので、この映画の話に関係ないのかもしれない。唐突に流れるバッハの「マニフィカト」による暗示かと思うのだけど、よくわからない。「マニフィカト」はマリア賛歌とも呼ばれるもので、受胎したマリアの神に対する感謝の祈りだから、この映画の内容とも関係すると思う。

テーマは「愛」だ。このズビャギンツェフという監督は家族の愛が常にテーマになっているようで、この「ヴェラの祈り」でも、寝る前に子供が読まされる聖書の文句はうわべだけ取り繕ったところで愛がなければ無意味だというようなことを言っていた。夫の態度に対する批判なんだろうと思う。夫は結局妻を愛しながら、自分のことばかり気にしているのである。ただねぇ、これって辛いものあるよね 苦笑)

この映画でも最初と最後は一本の樹木や疾走する車の通過する道。特に後者は逆方向で繰り返される。最後の麦束を集める農婦たちと、彼女たちが歌う歌が、なんとなくこの映画の神話的なイメージを高めているかも。でもよくわからない。


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ズビャギンツェフの映画(1)「父、帰る」

2019.09.08.20:34

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すでに拙ブログでは「ラブレス」「裁かれるは善人のみ」という2つの映画について書いた。アンドレイ・ズビャギンツェフという監督の映画は全部で五作あるので、遡って観てみた。いや、どれも凄いです。何がすごいって、映画としての密度がすごい。全くエンタメにしていない真実度がすごい。暗示的に示される謎めいた作りと見終わってからの余韻がすごい。繰り返し見ても飽きない。いや、むしろ繰り返し見ることで再発見がある。こういう風に、作った作品が全て凄く繰り返し見たくなる監督はなかなかいないだろう。タルコフスキーぐらいかな?

ズビャギンツェフの第一作は「父、帰る」。12年間不在だった父親が突然帰ってくる。妻と母親と男の子兄弟二人は当惑気味であるが、帰った翌日には父親は息子二人に旅に出ようと誘う。14、5歳?の兄の方はそれでも父とうまくやろうとするが、12、3歳の弟の方はことごとく反発する。

父が帰った時に子供達が本物の父かを見比べるために父の写真を探すのは、旧約聖書の画集の中からである。だからだろう、帰ってきた父親はやけに旧約的・家父長的な父親で、無口だが威圧的である。で、反発しながら親子3人でキャンプしながら海?に出てボートで孤島に向かう。この映画は多分ネタバレしない方がいいでしょう。テーマも神話的アーキタイプとして言えるところはあるけど、それを言っちゃったら完全ネタバレだからねぇ。。。何れにしても後半でびっくり仰天の事態になり、最後は。。。しかし、ひょっとしてこれって監督自身の父親に対するイニシエーションだったのかも、と思ったりしました。なんのことかわからない? まあ、騙されたと思って見てください。びっくりするよ 笑)

ともかく映像としての密度がすごい。それから例によって謎がたくさん。しかもそれらの謎は映画の中では種明かしされない。父は誰に電話していたのか? 父が掘り出した箱は何なのか? 父が12年も不在だったのは何故なのか? まあ、なんとなくお話は作れそうな材料が並べられているけど。。。

ズビャギンツェフ、どの映画でも、最初と最後に同じものが出てくるのはかなり意図してやっているんだろう。「裁かれるは善人のみ」では、まるで何か巨大生物の死骸のような沈みかかった廃船。この図はコントラストが強調されていて圧倒的だし、途中に出てくるクジラの骸骨?と相同をなす。そういえば船や水面は、いろんな映画に出てくるけど、常にコントラストが強調されているような気がする。「ラブレス」ではリボン?が引っかかったあの冬枯れの巨木。どれも最初と最後で同じものが映し出される。

この映画では冒頭の水中のボートや物見櫓(灯台?)が最後にも出てくる。特に物見櫓はそれぞれ違うものではあるけれど、冒頭では取り残された少年を母が迎えに来てくれるが、最後の方では父に追われてそこへ逃げるという逆の舞台になる。明確な意図ありだよね。

父の立場になって、自分になつかない子どもとの葛藤と見るか、それとも子どもの立場で強権的な父との葛藤と見るかによって、イメージが変わりますね。僕は最初に見た時には前者で、2度目に見た時には後者の見方でした。

***追記:9/14, 12:59
加筆しました。


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映画「裁かれるは善人のみ」(完全ネタバレ)

2019.08.19.13:43

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以前紹介した「ラブレス」と同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の2014年の映画。こういう映画が大好きだあ 笑)いろんな暗示があちこちにふりまかれていて、話をわかりやすく説明せず、重く暗く、最後もカタルシスなんてかけらも無い。

以下、ネタバレしますが、私は2度目に見たときのほうがよくわかったし、退屈せずに面白く見られたので(むしろ1回目の方が眠くなった 笑)、ネタバレが問題な映画ではないと思います。ロシアや東欧映画にはこういうタイプが多いですね。というか、僕がそういう映画を好んで見てるってことかな 苦笑)

さて、いろんな暗示と書いたけど、むしろ暗示は1つ、政治的なものだ。悪辣な市長の執務室にはプーチンの肖像が掛けられていて、これでもうすでにかなりアブない。主人公らがみんなで河原で小銃や機関銃をぶっぱなすシーンでは、歴代のソ連の指導者たちの写真をマトにしようとする。直接プーチンの名は出てこないが、最近のやつはしばらくは壁にかけて熟成させるなんて言う。

だけど、何よりひたすら悪がはびこり不公平がまかり通る理不尽な現代ロシア社会に対する批判がこの映画が描きたかったものだろう。その意味では黒澤明の「悪いやつほど良く眠る」を思わせる。

権力者は警察も司法も宗教も、そしてマフィア?すら支配下に置き、主人公たちを追い詰めていく。不当な立ち退き命令によって先祖伝来の家を追われそうになっている主人公は旧友の弁護士をモスクワから呼んで対抗しようとするが、市長に対する被害届を提出に行くと拘束され牢屋に入れられてしまう。これはすぐに釈放されるのだが。。。弁護士も市長の過去を調べ上げて資料を揃え、主人公の求める額の金で取引しようとするが、一旦うまくいったように見えながら、逆にボコられ脅されて逃げ帰ってしまう。

原題は「レヴィアタン」 旧約聖書に登場する海の怪物で、この映画の中でも海の中をのたうつクジラが決定的なシーンで出てくるし、海辺にクジラ?の巨大な骸骨が出てくるけど、むしろホッブスが「リヴァイアサン」でこの怪物を国家の比喩(良い意味らしいです)で使ったように、この映画ではおそらく権力のことではないかと思う。それは司祭が主人公に語るヨブ記の中のレヴィアタンを人間が逆らっても無駄な怪物という意味で語っていることからもわかる。

「レヴィアタンを鉤にかけて引き上げ、その舌を縄で捕らえて屈服させることができるか。ヨブは運命を受け入れて140まで生きた」

つまり権力を屈服させることはできない。運命を受け入れば幸せになれるということだ。それを受け入れなかったために主人公は妻を亡くし自らは妻殺しの冤罪(?)で刑務所に入り、先祖から受け継いだ家は最後パワーショベルによって破壊される。

最初に見たときに、一度は市長を追い詰めた弁護士が襲われ、そのまま泣き寝入りのようにモスクワへ帰ってしまうのが何故なのかと思ったのだが、もう一度見直したらすぐ前に市長と司教が会食するシーンがあり、そこで裏から何か手を回したのだと思われる。あるいは娘のことを言われたから家族のことを心配したのだろうか?

宗教が弾圧されていたソ連時代のタルコフスキーはロシア正教に対して強い敬慕の思いを繰り返し語っていたけど、ロシア正教が権力となったソ連崩壊後のズビャギンツェフの態度はそれとは真逆。ただ、映像はどこか宗教的な雰囲気があるので、監督が無神論者であるかどうかはわからない。ひょっとしたら廃墟の教会がなんども出てくるが、それがラストの立派な白と金の教会との対象で、本来の信仰が堕落してしまったことを示しているのかもしれない。

映像的にロシア映画に特有の長回しはあまりないけど、決定的なシーンは画面の外で行われるのはブレッソンやロシア系の監督たちに多いやり方。何しろ風景の荒涼感がすごい。プリブレジヌイという町の名前が出てくるので、どこらへんだろうと検索したらいくつか引っかかるんだけど、この映画の舞台とは思えない内陸だったり、ロシアの飛び地のカリーニングラードだったり、どうもよくわからない。ただ、海辺の寂れた町で、家々はどれも廃屋のよう。巨大生物の死骸のようなボロボロの半分沈んだ廃船が最初と最後(だけではないが)に非常に印象的に写されて、この映画の雰囲気を見事に表している。

ただ1つ救いがあるとすれば、最後に残された少年を引き受ける主人公の友人夫婦だろう。でもそれだけだな 苦笑)

「ラブレス」でも少年はどうなったのかわからないままだったが、この映画でも妻の死は自殺だったのか他殺(夫が犯人であるとは思えないので、市長の差し金か?)かは不明のままで、このあたりの作りも好みだわ 笑)

同時に、日本でもレヴィアタンは猛威を振るっているようで、ロシア社会を笑えなくなりつつある。


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ソヴィエト映画特集(続き)

2019.02.24.22:15

昨日に引き続き新宿から新宿湘南スカイライナーというやつに乗って行ってきました。川崎市市民ミュージアムのソヴィエト映画特集。今日はタルコフスキーの「惑星ソラリス」が午前の部で、午後はロプシャンスキーの「ミュージアム・ヴィジター」という映画でした。昨日今日と4本やった中で唯一見てない映画なので、かなり期待してたんですがね 笑)

「惑星ソラリス」は一昨年渋谷で見たときにブログに書いたので、ここで書くのはやめますが、フィルムでの上映で、コマが飛んだり、音もブツブツ言うし、果ては途中で突然真っ暗になり、まあ、つなぎを失敗したんでしょうけど1分近くスクリーンは真っ暗なままで、こんなことって大昔「ベートーヴェンの生涯」という記録映画を見に行ったとき以来でした 笑)でも、そうは言ってもやっぱりすごい映画です。今回もまた至福の時をすごさせてもらいました。

さて、「ミュージアム〜」の方ですが、フライヤによればほぼこんな感じ。なお、以下ネタバレします。

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さあ、干潮時に現れる<ミュージアム>とはいかなるものか。もう相当の期待を持って見ました。干潮は7日間だけで、<ミュージアム>に行くのには3日間かかり、しかも干潮時の海は砂漠のようで方向感覚が狂って、過去<ミュージアム>へ行った人はほとんどが帰る方向がわからず溺死しているということになっています。干潮時にのみ現れ、しかも人を寄せ付けない<ミュージアム>って??

昨日の「死者からの手紙」以上に凄まじいゴミ山、瓦礫山で、3・11を経験した僕らとしてはあの時のことを思い出させられました。この映画は1989年のものですが。その瓦礫の山が画面いっぱいにある中をつづら折りに道路があってそれを登ったり降りたりして行くシーンもすごいし、何より夜になると炎の赤さで、夜のくせに画面が赤いんですよ。ある意味3・11を予告しているような映像です。主人公は<ミュージアム>に行こうと海辺の宿屋に泊まるが、宿屋の人たちは彼をやめさせようとするわけです。

さて、映画の世界は核戦争? の影響により生まれてくる子供の40%は知的か身体かの障害を持っているという世界で、そうした障害のある人たちはその近くの居留地に押し込められていて、その居留地にある教会で居留地から出られるようにと祈っているんですね。主人公は一旦は<ミュージアム>へ行くのをやめるんですが、障害者たちの居留地でメシアとして崇めたてられて再び<ミュージアム>へ行くことを決意します。というか、この辺りの話がよくわからなかったんですが、多分 笑)そうなんでしょう。でも干潮は終わっていて、怒涛の海と雷雨になっていてとても無理。

ん? あれだけ期待させられた<ミュージアム>は? タルコフスキーの「ストーカー」でも確かに、願いの叶う部屋「ゾーン」を目の前にして、みんながただ座り込むだけでしたが、今回もおあずけかよ!! 怒)

というわけで、見事に肩透かしを食らった気分でありました 笑)


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ソヴィエト映画特集

2019.02.23.22:27

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川崎市市民ミュージアムで先週と今週の土日に4回、ソ連のSF映画を上映しています。今日は午前の部がタルコフスキーの「ストーカー」、午後の部はロプシャンスキーの「死者からの手紙」でした。

「ストーカー」の方は一昨年渋谷で見たときに拙ブログでも書きましたから、今日は「死者からの手紙」をご紹介。この映画、1990年ごろに一度見ているんだけど、その後探してもDVDにもなってないし、情報がとても少ない映画でした。なので久しぶりに見たんだけど、途中いくつかと最後のシーンは覚えていた通りでした。ただ、途中の話はほとんど忘れてましたね 苦笑)

核戦争により世界は滅んでいます。それも発射装置のエラーに気づいた責任者がたまたま飲んでいたコーヒーにむせて7秒間の空白が生じた隙に核ミサイルが発射されてしまったというものです。各地にあるシェルターの中に生き残った人たちが細々と生活してますが、外は放射能がひどく、何重にもロックされたシェルターの扉を次々と開けながら防護服とマスクをした上で地上に出ていかなければなりません。

主人公は初老のノーベル賞受賞者の科学者で、放射能障害で寝たきりの妻とともに博物館の地下シェルターで行方不明の幼い子供に当てて手紙を書いています。そこのシェルターには他にも幾家族かが住んでいるんですが、自殺する者もいれば放射能障害?で死んでいく者もいます。主人公の妻も、せっかく闇市で手に入れた薬が間に合わず死んでしまいます。彼らは近いうちに中央シェルターと呼ばれる大きな(安全な?)シェルターに映るよう言われています。主人公が行方不明の子供を探しに孤児たちが集められているシェルターに行くと、中央シェルターへ移動するのは親のいる健康な子供だけで、孤児たちは移動できないことがわかり、自分のシェルターに連れて帰って、そこで枯れ枝のクリスマスツリーで子供達とクリスマスを祝い(このシーンのクリスマスツリーと蝋燭はとても美しいです)、子供達にここを出て自分たちが生きられる場所を探せと言い残して死にます。

最後は放射能の吹雪の中、子供達がまるでブリューゲルの盲人たちの絵のように一列に繋がってよろよろと歩いて行くシーンで終わります。というわけで、何しろペシミスティック。もうユーモアのかけらもないし、孤児たちは親を亡くしたショックで言葉を発しない。まあ暗澹たる映画です。以前紹介した同様の人類文明が滅んだ後の親子を描いた「ザ・ロード」程度の希望すらない酷さでした。かすかに希望のようなものがあるとすれば、子供達のうちの一番年長の子に、起きたことを逐一記録しろ、いつか誰かがどうして人類が滅びたかを知ることができるために、と言い残すところでしょうか。さらに、もし仮にユーモアがあるとすれば、シェルターの中で上半身裸で生活し始めたおばちゃんでしょうかね。しかし、こういう映画って見る人を選ぶよなぁ。。。

この映画の完成後にチェルノブイリの事故があったようで、ここで描かれている防護服や、シェルターを出入りする時の様子などは、フクシマ後のぼくらの目からすればかなり甘いんですが、廃墟となった地上の様子などはセピア調の白黒の映像で、かなりの迫力でしたね。

終了後に井上徹さんというエイゼンシュテイン・シネクラブの人のソヴィエトのファンタジー映画についての公演があり、そこでロシア人にあるメシアニズムの話をして、これが結構なるほどと思わせるものがありました。要するに非常に宗教的という言い方をしてもいいんでしょうけど、それはタルコフスキーの映画にも見られるし、ドストエフスキー的でもあるし、何よりロシア革命そのものもこの方向で、つまり一種のメシアニズムとして見ることができるというわけです。

さて、明日もこの特集があります。明日は同じくタルコフスキーの「惑星ソラリス」と、これまた同じくロプシャンスキーの「ミュージアム・ヴィジター」です。前者はこれまた一昨年渋谷でやったときにブログに書きましたが、後者は初めて見る映画で、ちょっと楽しみな感じです。今日の人の入りはどちらも100人ぐらいでしたかね? 明日は「ソラリス」があるので、ひょっとすると混むかもしれませんが、270人ぐらい収容できるホールなので、多分大丈夫でしょう。

***
追記。2月24日に文言を追加してます。 


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映画「ラブレス」

2018.04.14.14:05



またまたロシア映画です。監督はアンドレイ・ズビャギンツェフという人。実は僕は全く知りませんでした(ロシア映画好きを公言するものとしては少々恥ずかしいぐらい、有名映画祭で賞を幾つもとっている人らしいです)。人間は他人と密な関係を欲する動物で、密な関係の一番は結婚なんでしょうが、この映画のような修羅場を迎えなければならないとあらかじめ知っていたら、誰も結婚なんぞしないでしょうね。

昔イングマール・ベルイマン監督の古典的名作「野いちご」を初めて見たとき、多分大学に入ったばかりの頃だったと思うんだけど、冒頭を始め何度も出てくる夢のシーンに圧倒されるとともに、もう一つびっくりしたのが、人前で派手に喧嘩をする夫婦の姿だった。いやぁ、西洋人って人前であんな風に夫婦喧嘩をするんだ、と思った。まあ、ベルイマンという人がそういう男女の修羅場を何度もくぐってきた人なんだろうけど 笑)

さて、この映画、ロシア映画らしい画面の構図の美しさが随所で見られるけど、話の激しさはあまりロシア映画っぽくないです。完全に愛情の冷め切った、というより憎み合っている夫婦が主人公です。それぞれ愛人がいて、さっさと離婚してお互いに新たな結婚生活を送りたいと考えていますが、二人の間には12歳になる息子がいます。二人ともに、この息子を引き取るつもりはなく、息子は完全にお荷物扱い。と、その息子が家出して行方不明になります。警察に届けても埒あかず、ボランティアの家出捜索PKO(ロシアにはそんなのが本当にあるそうです)にお願いして探しますが、見つかりません。二人は本当に息子が心配で探しているのか、それとも自分たちの今後の新しい生活のことを考えて、息子を探しているのか。。。そして息子はどうなったのか?

風景が「サイの季節」のようなセピア色の樹木や、水墨画のような木々と霧の風景だったり、いい感じです。そしていかにもロシア映画らしい長回しと、画面上で何かが起こるまでの「待ち」のタイミングが一拍長いのも、ロシア映画らしさを感じさせます。でも、映像以上に内容でしょう。例えば、同じロシア映画でも、大御所のタルコフスキーやアレクセイ・ゲルマン、あるいはアレクサンドル・ソクーロフなんていう監督たちはストーリーの内容の密度にこれほどこだわらなかった(こだわらない)ような気がします。それに対して、この映画では、セックスの描写なども含めて、生活の細部に対する描写のリアリティがものすごくあります。

内容的には重いです。嫌になるぐらい重いし、ラストも同じことの繰り返しになるであろうと思われます。西欧で恋愛というのは12世紀の発明という説があるそうです。子育てのバイブルと言われる「育児の百科」の著者松田道雄には「恋愛なんかやめておけ」という本もあるようです。恋とかいうやつぁ、まあ、ある意味壮大な勘違い、ただの性欲をオブラートに包むためのものに過ぎないなんて、私はそこまでシニックにはなれませんが 笑)

カンにさわる音楽が秀逸。



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映画「エルミタージュ幻想」覚書き

2018.04.07.22:25



やれやれ、ソクーロフという監督はなんちゅう映画を作るんでしょうか! 

エルミタージュはサンクトペテルブルクにある収蔵美術品数世界最大の美術館。サンクトペテルブルクは西洋かぶれのピヨートル大帝が18世紀初頭に沼地に作った人工都市なので、歴史はたかだか300年の新しい街です。ピヨートル大帝やエカテリーナ女帝、それに最後の皇帝ニコライとその一家、そしてそれらの間に現在のシーンが90分ワンカットで映し出されます。

ヒッチコックの「ロープ」だったか、確か全編ワンカットという映画はありました。また大島渚の「日本の夜と霧」でワンカットが異常に長く、当時の技術ではそんなに長くフィルムが続かないので、登場人物たちが電信柱に隠れたところでつないで、ワンカットのように見せるなんていうアクロバットみたいなことをやってました。

それをこの映画は、エルミタージュ美術館の中で延々と場所を移動し、時間を超えた場面を、ものすごい数の人の中を、豪華にして絢爛たる大舞踏会の中を、カメラがどんどん移動していきながらの文字どおり90分ワンカットです。ヴィキペディアで見ると4回撮影して4回目にやっと成功したとか。

それにしても、カメラが廊下をブレることなく移動したかと思うとそのまま空を飛ぶように移動し、果てはオーケストラの上空から映したりして、どうやって写したんでしょう? ちょっと魔法のような感じです。

ところで、この映画の結構は、カメラがナレーターの目になっていて、どうやら人々にはこのナレーターが見えないらしい。つまり、ナレーターは時空を超えて、様々な時代のワンシーン(全てたわいもないシーンばかりで、劇的なシーンはありません)を見ながらエルミタージュ美術館の中を移動していきます。同時にもう一人時空を超えている存在が、ちょっと吸血鬼的なシルエットの黒服の男です。この男とナレーターがやりとりしながら、カメラ(=ナレーター)は彼を追いながら、このエルミタージュで起きた300年の歴史の一場面を見ていくというのがこの映画の結構です。この黒服の男はナレーターとは違って、その場にいる様々な時代の人には見えていて、彼らと直接会話したり遮られたり踊ったりします。

ただ、ちょっとわかりづらいのはいつものことですね。廊下を進んでいくと、暗い部屋の中で、突然ピヨートル大帝が怒っていたりします。そして部屋を移ると突然現在の人々が絵を見ていて、そこで黒服の男は現実の美術館の館長と話し合い、また部屋を変わるとエカテリーナ女帝が演劇を見ていたり、ニコライの子供達や家族が食事をしていたり、最後は19世紀の帝政ロシアの壮大な大舞踏会のシーンで、その中をカメラが動き回るとともに、黒服の男もみんなと一緒に踊っています。

どうやら台詞から、この黒服の男は古い西洋の代表みたいな感じらしく、西洋に対する複雑なロシアの感情が表れているのかもしれません。まあ、ピヨートル大帝が西欧風の街を作ることを目指したのがサンクトペテルブルクの街ですし、そこに西欧の美術を大量に買い漁って集めたというのも、ある意味で後進国ロシアの西欧コンプレックスの表れですから、このあたりはそれを念頭に置いておいた方がいいのだろうとは思いますが、まあ、あまりよくわかりません 苦笑)

何しろ本物のエルミタージュの建物を使っていますから、ヴィスコンティもかないませんね。登場人物の数も物凄いし、それらの人たちの衣装なども素晴らしいです。とても贅沢な90分という感じですが、こちらの集中力も要求される面もあります。つまり、気を抜くと寝ちゃうってことですね 笑)


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ソクーロフの映画「モレク神」

2018.03.25.00:00

これは面白かったです。1942年春ということは、破竹の勢いだったナチスドイツがスターリングラードで前年末に敗れて、第二次大戦の潮目が変わった時期に、南ドイツのヒトラーの個人山荘ベルヒテスガルテンにヒトラーとゲッベルス夫妻、秘書のボルマン夫妻がお供のSSらを引き連れてやってきます。山荘にはヒトラーの愛人エーファ・ブラウンが住んでいて、これが何ともお茶目で魅力的です。この映画はヒトラーというよりエーファ・ブラウンが主役です。

ヒトラーに囲われて大豪邸の山荘で、多くの料理人や小間使、召使らにかしずかれながらも退屈していて、一人全裸でバレーを踊ったり、体操のつり輪をしたりしていたエーファ・ブラウンが何ともチャーミング。

ヒトラーも料理を運ぶ小間使の女性たちを、自分たちと同じ食卓に座らせたり、気さくなところを見せます。

ところで、登場する有名人たちがヒトラーもゲッベルスもボルマンも本物に非常によく似ています。ソクーロフは「太陽」でイッセー尾形に昭和天皇を演じさせ、イッセー尾形も、おいおい右翼が殴りこみに来るんじゃないの?っていうぐらい天皇になりきってました。口をモゴモゴさせるところなんか、ヲイヲイ、大丈夫かよ、と思いましたね。

特にゲッベルスは、これまで映画で見たゲッベルスの中で一番似てましたね。小柄で甲高い声で足を引きずりながら歩く姿は、少し前に見たジェシー・オウエンスの映画での長身でハンサムなゲッベルスにがっかりさせられていただけに、感心しました。特に横顔の頭の形なんかはゲッベルスそのまま。

ヒトラー役もブルーノ・ガンツの総統閣下や「帰ってきたヒトラー」の役者より似てると思いましたね。ただ、ちょっと背が高すぎるのと、菜食主義者だったヒトラーの腹があんなに出てたとは思えないけど 笑)

山荘ではみんなで食事をしたり、ピクニックに行って踊ったり、ニュース映画やフルトヴェングラーの指揮する第九の映像を見たりと、淡々と、例によって長回しの、時々歪んだ画面が続きます。

まあ、気まぐれな、そして突然怒鳴り出すヒステリックな、いかにもヒトラーらしいところも何度か出てきます。

腫れ物に触るような周りの人間たちのヒトラーに対する怯えたような気遣いに対して、まるで気遣いのないのがエーファ・ブラウンで、彼女にとってヒトラーはただの恋人に過ぎません。最後は風呂場で下着姿のヒトラーが興奮したように、エーファが望むような結婚して子供を作り、普通の家族として生活したいという思いを、自分の使命のためにありえないのだ、と演説口調で怒鳴り出すんですが、エーファはそんなヒトラーのケツを蹴っ飛ばして鬼ごっこを始めます。

テーブルの上で追いかけてくるヒトラーを蹴飛ばし、机を隔てて逃げ回り、床の上を転げまわりながら取っ組み合い。嬌声を上げるエーファの声に、突然白黒の飛行士の映像が挟まります。あれはなんなんだろう? 多分セックスの暗示のはずなんだけど。。。そして電話のベルの音で、ヒトラーが出発することがわかり、大慌てで服を着てエレベーターで降りていくエーファ。この時の暴れっぷりからヒトラーと別れのシーンもなかなか魅力的です。

ヒトラーといえば、絶対悪みたいな存在で、一種狂気に捕らわれたような不気味で残虐な男とされがちですし、そのヒトラーの愛人のエーファについては、ほとんど無視されることが多いような気がします。

つまり、人類の敵ヒトラーの愛人なんてちょっとわけわからんよね。マクベス婦人のような夫に悪事を教唆する悪女ではないし、美人だし、なのに、ヒトラーのやることに口出ししたとは思えないし、ヒトラーの愛人であることを利用して何か私服を肥やしたりしたわけでもないし(そういう人は日本にもいるようですが 笑)。。。

エーファ・ブラウンとヒトラーのこういうところを切り取って見せたというところに、ソクーロフらしさがあるのでしょう。

これまでも拙ブログで書いてきたことだけど、ヒトラーをただの狂人とか怪物とか悪魔として描いてはダメなんだと思うんですよね。無論人類史上稀に見るとんでもないことをした(させた)人であることは間違いないけど。そういう点ではオウムの麻原にも通じる問題があるんだと思います。



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ソクーロフの映画「静かなる一頁」(ネタバレ)

2018.03.22.00:09

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今、東京の渋谷では写真のような特集をやっています。そんな中で表題の映画を見てきました。この後も「モレク神」と「エルミタージュ幻想」はなんとか算段をつけて見に行こうと思っていますが、どうなることか。。。

ソクーロフの映画では、拙ブログでは「ファウスト」について書いたことがありました。その時に感じた画面の歪みやワンシーンの長さ、セピア調の鈍い色のカラー映像、セリフの少なさや、そもそも写っている物が何なのかよく分からないようなシーンとか、汚れたでこぼこの壁面とか、「ファウスト」で不思議に思われたことは、だいたいすでにこの映画でも取り入れられていたようです。もっとも、 でこぼこの壁面はタルコフスキーを始めロシア映画ではよく出てきますが。

冒頭の集合住宅と運河を写す長いシーンから、すでに画面が斜めに歪んでいます。しかもそれがずっと続く感じで、さらに、当初白黒の映画かと思うと、かなり抑え気味のカラー映像のシーンが出てきて、それが画面転換せずにいつの間にか白黒になっていたりします。舞台は集合住宅とその周辺の街中なのでしょうけど、どこかの教会堂か納骨堂みたいな暗い地下のようなところで、樹木が映るシーンもあるから外なのかもしれませんが、空は全く写りません。たぶん映画を通じて、一度も空は映らなかったと思います。地面の方は雨上がりのように濡れていて、ところどころに水溜まりが出来ていたりして、そんなところに金をせびるゴロツキや娼婦たちがたむろしています。そして画面の外からまるで夢うつつのぼんやりしている時のように、遠くで人々の話し声や笑い声が聞こえてきます。

この映画、ドストエフスキーの「罪と罰」を基にしているというのですが、それがわかるのはほぼ終わり近くなって、主人公のラスコーリニコフ(?)と娼婦ソーニャ・マルメラードワ(?)が対決するシーンになってからで、それまではどこが「罪と罰」なのか、まるでわかりません。そもそも今、上で名前の後ろに(?)をつけたのは、映画の中ではこの主役二人の名前はわからないからです。

確かに途中で人々の会話の中に高利貸の女が殺されたというセリフがあるけど、原作ではこの殺害シーンは始まって比較的すぐのシーンのはずなのに、映画ではラスコーリニコフ(?)はいかにもラスコーリニコフらしく思いつめたような暗い表情で街を歩き回っているだけ。

だけど、この二人が対決するシーンだけはそれまでと違って原作をなぞっているようです。つまり、金貸しの老女とその妹を殺してしまったラスコーリニコフは純真な娼婦ソーニャにそれを告白すると、彼女は汚してしまった大地に口づけして神に許しを請い、自首するようにと進めるシーン。

映画のこのシーンは、それまでと画面構成が全く違っていて、ソーニャ(?)とラスコーリニコフ(?)の二人の顔が画面いっぱいに並んで映りながら、長回しで話をするんですが、そのやり取りの緊張感がまたかなりすごいものがあります。そしてこのシーンでも画面の外の水の音(?)、外の運河の流れる音でしょうか?そんな音がかすかに聞こえています。この音の効果は結構印象的です。

さて、原作ではその後ラスコーリニコフはソーニャに言われた通り大地に口づけして罪を告白するけど、人々にはそれは聞こえないのだったと思います。だけど、この映画ではそうなりません。この最後の場面、ちょっと不思議な雌スライオンの巨大な像の下にもぐりこんだラスコーリニコフがとる行動は母胎回帰なんでしょうか? よく分かりませんが、「ファウスト」でもラストは原作とまるで違っていたし、まあ、わからなくてもいいんでしょう 笑)

1時間10分程度の短い映画ですが、タルコフスキー系列の映画といっていいでしょう、眠りを誘うような水の音や、急激な動きがあまり無い画面、ゆっくりと壁面だけをパンする映像など、油断するとあっという間に意識を失いますのでご注意を 笑)



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映画「フルスタリョフ、車を」

2018.03.13.08:13

先日に引き続き、ロシアンカルトシリーズで、ゲルマン監督の「フルスタリョフ、車を」を見てきました。平日の昼間なのに結構人が入っていましたね。驚きでした(もっとも途中で出て行った人もいましたが 笑)。このゲルマン監督のの「神々のたそがれ」は2度見に行ったことは書いたことがありました。

映画「神々のたそがれ」
再び映画「神々のたそがれ」

今回もびっくりさせられましたが、「神々〜」を見ていたので、ああ、よく似てるなと思いました。ワンカットが長く、その中でいろんな人がふざけているような行動を取るんだけど、それを逐一カメラが追わずに放っておく、というような不思議な感覚を味あわせてもらいましたわ。まあ、あえて言えば「フルスタリョフ〜」を見た後に「神々〜」を見るべきだったかな。

ただ、正直に言って、なんだかわからない。本当にわからない。特に始まってからしばらくの間は誰が誰だか、なにがなんだかわからないままです。狭い室内空間で、たくさん人が雑然と出てくるんですが、この人たちなんなの?(見ていくとどうやら家族らしいんですが結局説明らしい説明はないです) そんなところも「神々〜」と似てます。炎の色が白く映るような光度の高いハレーションを起こしそうな白黒画面だったり、音響の臨場感がすごかったり、いろんな無意味なものが雑然と置かれている室内や、騒々しく汚いのも「神々〜」と同じ。

登場人物の名前がドストエフスキーの小説の中の名前と同じ人が何人か出てきます。ソーニャ・マルメラードワは「罪と罰」のヒロインだし、ワルワーラも多分「貧しき人々」のヒロインの名前でしょう。他にもあるのかもしれません。だけどそれが何の意味があるのかがわかりません。

主役は脳外科医で軍の将軍でユダヤ人で、大家族なんだけど愛人がいたりして、その様子が「神々〜」と同じように乱雑で人々が入り混じり、勝手なことをしたり、叩き合ったりしています。随分たくさんの人が叩き合うんですが、それが演技じゃなく本気で叩いてるんじゃないか、と不安になるぐらい激しいです。

その彼が突然の失脚で極寒の収容所に連れて行かれ、囚人仲間にいわゆるカマを掘られたり殴られたり、雪の上を這いつくばったりとひどい目に遭わされますが、これまた突然解放され、瀕死のスターリンを診療して救うよう要請されます。でもスターリンは放屁しながら死にます。当然主人公は始末されるのかと思いきや、突然時間が10年飛んで、彼は電車に乗って飲み食いしているところで電車が遠ざかっていって映画は終わります。

冒頭が夜で車のヘッドライトが近づき、犬が駆け寄ってくるシーンでボイラーマンが殴られKGBに(?)拉致されるシーンで始まり、最後は10年後に出所したこのボイラーマンが電車に乗ると、主人公がいるというふうになっていて、このボイラーマンは全く無関係なんだけど、映画全体のワクみたいな役割を果たしてるようですが。。。

非常に不親切な映画だから、ストーリーを追うとか理解しようとすると腹が立ってくるかもしれません。ネットにある解説を読んでおくことはお勧めしますが、でもそうやって予習しても大して意味ないかも。ただ映像の動きにこちらの気分を同調させるのがいいのかもしれませんね。

いつかもう一度見てみたいと思うけど、なかなか根性入れないともたないなぁ。



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映画「スタフ王の野蛮な狩り」(ネタバレ)

2018.03.10.23:20

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東京では今こんなシリーズを連続上映しています。今日は1979年のソ連製ホラー映画。ただし、ホラーなんていう言葉を使うとかなり誤解を呼びそうです。サスペンスというべきかな。何しろ上品だし、ロシア映画らしい画面の美しさがあります。

1980年ごろから90年頃にかけて、東京の巣鴨にあった三百人劇場というホールで、何度かソビエト映画の全貌というシリーズを上映しました。そこでこの映画を一度見ているんですが、途中の印象的なシーンをいくつか除くと、ほとんど内容は忘れていましたね。

1900年のベラルーシが舞台らしいです。嵐の晩に雨宿りのためにある邸宅に宿を乞うた若き民俗学者の青年。各地に伝わる伝説の収集をしているのですが、その邸宅には若く美しい女主人ナジェージダが、召使たちと住んでいます。そしてその召使が説明するところによると、17世紀、農奴制からの解放を求めた農民たちの反乱軍の頭領スタフ王を殺したのがこの館の先祖の領主で、スタフ王は殺される間際に領主の子孫を末代までもたたり続けてやると呪ったとのこと。

その後この一族には次々に不幸が重なったということで、末裔の娘であるナジェージダも、屋敷内で聞こえる物音などにおびえて暮らしています。スタフ王が三十人の騎馬兵を連れて人びとを狩るという噂もあります。

召使の老婆に魔物が憑くのを防ぐおまじないをしてもらったりするオールヌードのサービスシーンなんかもありますが 笑)ナジェージダの成人の祝いに集まった怪しげな連中と、そうした連中の変死事件が続き、主人公の青年もスタフ王の軍勢を実際に目撃したりします。

途中旅芸人の一座がスタフ王の物語の人形劇をやったりしますが、この人形劇がなかなか秀逸です。

しかし、変死事件の被害者となった召使の日記から、主人公は館内での不審な足音の正体と、スタフ王の正体も暴くことに成功。農民たちと、犯人を追い詰めます。

最後に青年は騒乱罪で逮捕されることになりますが、ナジェージダは、ラスコーリニコフについていくソーニャのように、彼についていくのでした。ちゃんちゃん。

この映画の最後のところで、今日は1901年の元旦だというセリフがあり、20世紀になったことが告げられます。同時に子供達の顔のアップがずっと移り、また、オカルトじみた事件の真相は理性できちんと謎解きできるものであることが暗示されますが、これって19世紀のスタフ王の亡霊のような迷信に踊らされる迷妄の時代が明けて、唯物論的・マルクス主義的・科学的な20世紀の始まりが宣言されているということなんでしょうね。20世紀を担う子供達のアップで終えないと、ソ連ではきっと上映させてもらえなかったのでしょう。

こうしてストーリーを思い出しつつ書いてみて、はたと思い当たりました。「スリーピー・ホロウ」というティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の映画がありました。首なし騎士の亡霊が人々の首を狩るというグロテスクでスプラッターなホラー映画。この映画はロシア版のスリーピー・ホロウの伝説みたいなものなのでしょうね。制作された時代も違うし、映画技術の面でもまるで違うから比べるのもどうかと思いますが、そういえば、こちらはオカルトのまま終わりましたね。



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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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