FBでは書いたんだけど、やっぱりここでも書いておく。
山本太郎が酔っ払いのおじさんに絡まれ、「偽善者」と罵られるシーンだ。以下のYouTubeは約20分弱。最後まで見て、ただただ泣いた。そういう人はきっと多いだろう。
最初に聞いた時にはこの酔っ払いのおじさん、山本太郎に絡んでいるネット右翼かと思ったんだけど、もう一度聞いてみると、何か悲痛な叫びのような気がしてくる。どこにぶつけていいのかわからない社会に対する怒りを山本太郎にぶつけているのではないか? きっとこのおじさんも今の社会を変えるべきだと思っている。それを山本太郎も感じたからこそ泣いたのではないのか?
どうしたらいいのかわからないし、その怒りをあまりに大きすぎる権力に向けたところで解消できるはずもない。だから、もっとみじかなものにぶつけてみる。怒りを向けるべき方向が間違っている。だから山本太郎は言ったのだ、「裕福でない人たちが裕福でないもん同士で石投げあってどうする」と。
*
これはちょっと胸を張って言いたいけど、
グレタ・トゥーンベリについては拙ブログでは今年の1月に書いた。かなり早い段階で、この時点で彼女の名前を出した日本語のブログはあまりなかったんじゃないだろうか? だからちょっと自慢である。
そして僕は山本太郎に彼女と同じようなものを感じる。
「クールな本音」と称するグロテスクな悪意剥き出しの社会の中で理想を語ること。グレタの場合、それは多くの西側先進国の若者たちの胸を打ったのに、日本ではそれがまるで届いていない。ネットではむしろ彼女を揶揄する声の方が多いような気さえする。対案も出さずに批判するとか言う。嘘だろ? 16、7の娘に対案を出せ? あなたが考えることだよ。このままでいいはずはない。彼女はそう声をあげたのだ。その声が心に届いたなら、ではどうすればいいかはあなたが考えることだ(彼女のことを揶揄する人たちは、結局その心まで彼女の声は届かなかったということなのだろう)。
同じことが山本太郎にも言える。今日買ったニューズウィーク日本版で、森達也が書いていた言葉だが、現在のグロテスクな社会の中で「胸を張って綺麗事を言う」ことの大切さを、少しみんな考えた方がいい。
カテゴリーの社会に「山本太郎」を追加しました。
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生活保護不正受給が話題になった頃、拙ブログでも繰り返し話題にした。
あんまりにみんな馬鹿改めて、みんなどうかしているよ生活保護問題対策全国会議のブログに基づいて生活保護抑制??意味分からん雨宮処凛「14歳からわかる生活保護」今朝の東京新聞と伊藤恭彦の「さもしい人間」山本太郎と雨宮処凛とも繋がりがあるから当然といえば当然なんだろうけど、僕が書いたことと同じことをここで語ってくれている。しかも拙ブログでは「在特会の女王」と匿名で書いた人物を、ここでは「片山さつき」と実名で批判してくれている 笑) 実にスッキリした 笑)
世間では山本太郎に対するかなり悪質なデマが出回っている。前回山本太郎の本をここで紹介したときに、FBのあるグループでもあの本を紹介したら、山本太郎は極左や北朝鮮の拉致実行犯と関係がある人物がバックについていると言って、山本太郎がベランダで後ろ向きの人物と一緒にタバコを吸って、いかにも悪巧みをしている風情の写真 笑)をわざわざ貼り付けてきた人がいた。よりにもよって拉致実行犯と山本太郎が繋がりがあるって、蓮池さんの立場はどうなるのよ? 苦笑)
これはデマですね、と書いたら写真もあるのにデマとは恐ろしいと。。。もう笑うっきゃないよね。この人はきっとネッシーもUFOも幽霊も写真があるから信じてるんだろうなぁ 笑)
ただ、びっくりしたのはそういうことを書いてくる人が分別ありげな人だったことだ。温厚で声を荒げることもなかった父親の遺品整理などをしていたらパソコンに大量のヘイトや差別的なことを書いたFBやツィッターが出てきた、なんていう話もあるそうだ。僕はこのブログにコメントをしてきたネトウヨ氏もそうだけど、なんとなく30〜40ぐらいの人だとイメージしていたけど、実は案外僕と同世代だったのかなと。。。
人は信じたいものしか信じない。歳をとればますますそうなる。だから安倍を信じると言っている人は山本太郎を信じるようにはならないだろう。
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この本、最初図書館で借りて読み、カンパのつもりで改めて購入することにしました。僕は「本物」を嗅ぎつける鼻は比較的良いと思っている。そんな僕が言うぞ! 笑)
山本太郎、これは本物だ。
この本は雨宮処凛がインタビュアーになったり説明を書いたりして、議員になった山本太郎がどのような法案づくりに関与したか、それによって世の中がどう変わったかを説明してくれる。どこかの講演で、一人で何ができるか?と問われた山本は一人でできることは限られているからみんなの力を貸して欲しいと言っていたが、その一人でもできた、限られたことが、この本ではいくつも挙げられている。
例えば西日本豪雨の際の被災地への小型重機100台、女性活躍推進法の付帯決議へのDV・ストーカー問題追加、生活保護世帯の子どものための制度変更、野宿者支援、入国管理局の外国人支援。。。
これを見てもわかるように、「彼が寄り添ってきたのは、被災者やDV被害女性、生活保護世帯の子ども、野宿者、外国人といった「最も弱い立場に置かれた」人々だ。声を上げられない、あげても掬い上げてもらえない確率が高い人々だ。」(p.62) 自分の票にはなりそうもない人々たちへの支援だ。
そしてこう言う。「僕が目指す社会は、究極は、頑張らなくても生きていける世の中です。(。。。)余裕が欲しい。
何をもって頑張るかは個人差があるので、それを測るのは難しい。でも、頑張れない時に頑張ってもロクなことがないから、ゆっくり休んで、それを国が支えて、そろそろ力が湧いてきたという時に頑張ってもらう方が、ずっと生産性は高いですよ。だって、無理しても壊れるだけだもん。
だから、「いいよ、頑張らなくても」という世の中になればどんだけいいか。今はあまりにも地獄すぎると思うんです(152)
これって拙ブログのモットーに挙げている八尋光秀さんの言葉と完全に一致するだろう。なんども繰り返してきたけど、どうして日本はこんなに弱肉強食みたいな社会になってしまっただろう? みんなが「自己責任」とか言う言葉に乗せられて、生活保護世帯やホームレスを叩くような下劣な国になってしまったんだろう? 小泉の規制緩和とやらで「自助」「共助」ばかりが強調されて「公助」と言う視点が消えてしまった。しかし国ってなんのためにあるんだ? 人のためにあるんじゃないのか?
いいんだ、俺は普通に頑張ってきたから普通に生活できている、頑張れば誰だってなんとかなるんだ、と言う人もたくさんいるんだろう。でなければこんな社会が続くはずはない。でも、そう言う人だって、本当はこの先どうなるかわからないではないか。
さらに、経済のことはよくわからないけど、最近では保守陣営にすら、山本太郎が言っていることは間違っていない、消費税は0%にできるし奨学金チャラも可能であると認める人も出てきたと言う。財政難なんだから消費税は必要とか、これからの少子高齢化の時代に消費税で社会保障をしっかりやってもらわなくちゃ、と言う人は見事に政府が流すデマに乗せられている。詳しくはYouTubeで山本太郎が言っていることを聞いてもらえばわかるけど。
と言うわけで、山本太郎に大きな期待をかけている人は多い。でもこれもずっと昔ここに書いたことだけど、ヒーローを待っていても、世界は変わらないんだよね。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1100.htmlこの本でも山本太郎の友人で災害支援団体の人がこう言っている。
太郎にお願いだけじゃダメじゃない。そうじゃなくて、太郎、一緒にやっていこうぜって人をどう増やしていくか。太郎一人がカリスマになるんじゃ変わらないもん。太郎もそれを望んでないと思うし。(28)
こういうことなんだと思う。そして、政治を変えても社会は良くならないと思っている人たちには、ここまでの政治の失敗が今のこのような殺伐とした社会を作ったのだから、政治を変えることで良い社会にすることも可能だ、と言う山本太郎の言葉を紹介しておく。
おまけ
昨日(10月14日)の東京新聞で、魚住昭というノンフィクションライターが山本太郎のことを一種のポピュリズムだから「ヒュット極右政党に変わってしまうかもしれない危うさがある。ウオッチが必要だと感じる」と言っていたが、トンチンカンも極まれりだ。何か山本太郎に乗ることを軽薄だと思っているリベラル(=反安倍・反自民=サヨク)も多いようだ。その際の決まり文句は「ポピュリズム」だ。
ポピュリズムについては拙ブログでも、薬師院仁志の本を紹介したのでそちらをどうぞ。
薬師院仁志「ポピュリズム」覚書きしかし、こんなユルフン【この言葉の意味、今の人たちわかりますかねぇ 苦笑】な言葉でわかったようなことを言わないでほしいね。この人も普段の発言はリベラルな方だと思うが、どうして山本太郎が極右政党に変わる? 山本太郎の何を見てるんだろう?? ちょっと呆れ返った。
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安倍と寿司友とされる御用評論家は、選挙が終わってすぐにTVで、山本太郎が、消費税5%なら野党共闘に乗ると言ったことを取り上げて、選挙公約は廃止でしょ?これ有権者に対する裏切りじゃないですか? と言っていた。しかし消費税廃止は「政権取ったらすぐやります」という公約だ。野党共闘の手段として5%という具体的な数字を言ったに過ぎない。見ていた時の僕の印象としては、こいつ知ってて言ってるな、というものだった。
また別の番組(サンジャポ)では「医学博士」と称する人が出てきて、消費税廃止なんて財源もないのに、こんなことを言いふらして、と発言していた。以下の動画では14分ごろから。
これなんか、山本太郎の話を全く聞いたことがないか、あるいは知っていてあえてこういう言い方をしたかのどちらかだね。前者ならTVで発言する資格なし、後者ならかなりの悪意ある誘導だ。山本太郎は最初から富裕層への累進課税とか法人税の強化とか具体的に数字をあげて話している。
そして
デイリー新潮の悪意に満ちた誘導記事だ。
「山本太郎が政権をとったら『ヒトラーのようになりかねない』と識者が憂慮する理由」と煽るようなタイトル。で内容を読むと、冒頭に薬師院仁志というポピュリズム研究でも有名な政治学者の名前を出して、いかにもこの薬師院教授がヒトラー云々と言っているかのような書き出し。ところが、薬師院教授はれいわは「維新の扇動的ポピュリズムとは違う」と断言していて、むしろこれは山本太郎を応援するような言葉だ。
そこから強引に「そうかもしれないが」と2013年に山本が発したブログを取り出してきて風評被害を煽ったと言いだす。しかし、山本太郎が言っているのは風評被害という言葉を錦の御旗のように掲げる国と東電が実害の責任を取れと言っているのである。
そのあとの奈良林なにがしという教授先生の言葉が続くのだが、このひと、プルトニウムを「塩とそんな大差ない」と言ったり、「地震が来ても原発が避難所になる」と言ってた人だ。他にもこの人の迷言はいろいろあるので
こちらをどうぞ。
つまり御用学者が山本太郎に対する恨みつらみを語っているだけである。この記事で言われている「識者」とは原発ムラの御用学者に他ならない。書いた人はこれだけでは弱いと思ったのだろう、薬師院教授という有名人の名前を冒頭に出して、あたかも彼もまた山本太郎に反対しているかのような印象操作を行っているのである。
しかし、山本太郎は今回の選挙前に福島で演説をした時に、当時、自らの知識不足能力不足からなんとかしたいという気持ちが空回りしたこと、そしてそれが結果的に福島の人たちを苦しめたこと、それを謝罪している。
多分これからどんどんこういう煽るような記事が出てくるんだろうけど、山本太郎の語っている言葉を聞いてから判断してほしいものである。
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山本太郎をポピュリストと言って否定的に語るリベラル系の人も多い。そこには自分の支持する野党の票がれいわに流れたと考えて不快な人もいるようだ。しかし投票率が5割にならない現状で、彼がそうした無関心層の掘り起こしに貢献する可能性も高いと思うし、これだけバラバラの野党をまとめる中心になる可能性も高いと思う。
そして、なにより僕は山本太郎が語る価値観を全面的に支持する。
僕はもう何度も書いてきたように、自己責任という言葉が大嫌いだ。
前にも書いたけど、この言葉を発して平然としている奴を見ると殺意すら覚える 笑)まあ、これは拙ブログ内で「自己責任」で検索してもらえれば、この言葉を肯定的に書いている文言は1つも見つからないはずだ。
そして山本太郎もこの自己責任という言葉を徹底的に否定する。「その原因が自分の過失にあろうが、何だろうが、困っている人弱っている人に手を差し伸べること、そういうことが一切なくなったらそこは地獄じゃないですか」と言う。
自民党ならこれを「道徳」として語るだろう。山本太郎は「政治」として語る。政治家が道徳とか言い出して、それを国民に押し付けるのはどう考えたっておかしいだろう。政治家そのものが道徳を語れるほど偉いのか! それに対して山本太郎は、政治家として、それは政治がやるべきことだというのである。
拙ブログのエピグラムはブログ開始時から変わっていない(今日、コメントをくださった方はこのエピグラムの八尋さんと同窓だったそうだ。コメントをありがとうございました。)。当時は今から10年前、今ほど格差社会が人々の口に上がっていないかったと思うが、この国の社会の空気に嫌なものを感じて、ブログの冒頭にこのエピグラムを掲げたのだった。
*
社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。(八尋 光秀)
*
これと上記の山本の言葉はほぼ重なる。具体的な政策は正直に言って、現在の日本で本当に実現可能なのかは、僕にはわからないけど、上の姿勢さえ崩れなければ、僕は山本太郎を応援し続けていきたいと思っている。なんか本気で応援できる政治家が出てきたことにワクワクしている。
もう5年前にベストセラーになった小説に、
拙ブログでも紹介した「原発ホワイトアウト」と言う官僚が書いた本があった。あの小説の中では元俳優の反原発議員という明らかに山本太郎を暗示する人物はデモの扇動で逮捕されることになっていた。まあ、今の日本で、そこまでのことはないとは思うが、何があるかわからないからね。太郎さんには是非とも気をつけてもらいたいと思う。
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(先ほど夜7時半の新宿小田急デパート前。歩道橋の上にまで鈴なりの人たちでした。)
選挙前に書いたように、今回僕は比例は山本太郎と書いた。これまで彼の演説は真面目に聴いたことはなかった。天皇に反原発の直訴をしたり、一人で牛歩したり、パフォーマーのような印象だったが、好感は持っていた。
今年になって演説をYouTubeで聞いてびっくりした。同時にアジテーターという言葉が思い浮かんだ。アジテーターというと大抵は悪い意味に使われるんだろうけど、この言葉を思い描きながら、反感は全くなく、むしろ演説の迫力に、これは本物だ!と直感した。

(かなり後ろからスマホの倍率最大で写したのでボケボケです)
今日の話でも(実は2時間もたずに腰が痛くなり退散したんだけど)僕がこのブログで書いてきたことと重なることがずいぶんたくさん言われていた。僕は自己紹介にも書いてるように北欧の社会民主主義に憧れを感じてきた。山本太郎が言うことは完全に社会民主主義的である。障害者問題についてもレベルの高い知見を有し、今日の話で出てきた
生活保護の話も、僕が以前書いたことと重なっていた。また、質問者が辺野古に対する政府のやり方は中国と同じですよ、と言った時、中国と比べることはできないと即答したのも、非常に好感が持てたし、その通りだと思った。
何よりもこのブログのモットーにしている八尋光秀さんの「社会派強いものが強くなるように(中略)、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間のためにこそ社会はあり(中略)そうであるように社会を変えてゆかなければなりません」と言う言葉がそのまま山本太郎の発言に重なるのである。
選挙が終わってTVでも頻繁に取り上げられるようになったようだが、彼の公約に対してきちんと反論しているのを見ない。例えば消費税をやめ、所得税や法人税の累進課税化を強めるというのなどは、もっと明確な反論が出てくるのかと思っていたが、むしろ田崎スシローの消費税廃止を5%って、支持した人に対する裏切りでは?と言うトンチンカンも極まれりの印象操作ぐらいしか出てこないところを見ると、消費税廃止は可能なんだな、とかえって納得させられたりした。
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新橋駅前に行ってきました。本当は明日の土曜日の新宿センキョに行きたかったんだけどみごとにバッティング 笑) せめて現場に一回ぐらいはいなくては、と思って5時から6時過ぎまで参加してきました。山本太郎の登場までは時間切れでしたが、大ファンの森達也が見られたので良かったです。

まあ、森達也が言っているのはもうかれこれ20年近く、ずっと同じことなんですが、まだまだ言い続けてもらわないといけないんでしょうね。この後蓮池さんや立川談四楼師匠が壇上に登り、時間はあっという間に過ぎてしまいました。7時までには帰宅したかったので、もう一人、と思ったら木村英子さんの話が障害者問題の話で、ここは泣くとこじゃないと思いながらも、子供のことを思い出して涙が出て困りましたわ。

この後、僕が帰ってから安富さん(
この人の本「東大話法」は以前拙ブログでも紹介したことがあります)や渡辺さんに続いて山本太郎が壇上に登ったようです。
この場にいると本当に革命が起きるんじゃないかと思えるけど、でも帰りの電車の中の人たちを見ていると、きっと期待し過ぎてはいけないんだろうなぁと思いました。でも、この参議院選挙で終わりではない。このままれいわの名前と山本太郎の話が人々の間に浸透していけば、数年後にはひょっとしたら日本は少し変わるんじゃないか、と期待しているわけです。
山本太郎が主張していることは、共産党の言っていることとも重なっているけど、普通の日本人にとってはすんなりと受け入れられることだと思うし、拙ブログで言ってきたこととも重なっていて、ほぼ違和感なく聴けるものです。YouTubeでいくらでも聴けるので、まだ知らない方は是非短いものでもいいから聞いてみてください。
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もう、すでに多くのところで言われているし、拙ブログでもちょっとだけ触れたけど、この前の土曜日、秋葉原でのなんとかいう女性自民党候補者への安倍の応援演説。ヤジに対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ったわけで、それに対する反応があちこちで出ています。
江川昭子さんの記事では、アーノルト・シュヴァルツェネッガーがカリフォルニア州知事に立候補した時に、卵を投げつけられ、それに対してにこやかにベーコンもつけてくれよ、と言った話が載っています。
しかし、僕が何より感動したのは山本太郎のエピソード。反安倍、反原発の威勢の良い発言には好感は持っていたけど、今回のことに関連して教えてもらった彼の発言で、本気で彼のことを応援したいと思いました。それは、2年ほど昔、新宿のアルタ前で街頭記者会見をした時、議員なんかやめろ、というヤジを受けた山本太郎が、動じることなく「ありがとうございます、そんなあなたのことも守りたい」と言ったというのです。
これをパフォーマンスだという人もいるでしょう、いい子ぶるんじゃないという人もいるでしょう。いいでしょう、これは見せかけだけのパフォーマンスだとしましょう。しかし、安倍にはこの程度のパフォーマンスすらできなかったわけです。人間としての格がまるで違うと思います。
憲法15条2項にはこんな文言があります。「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」 ここでいう公務員は議員ももちろん含まれます。だけど、安倍はまちがいなく、自分の支持者という一部のみのことしか考えていないでしょう。そして、奉仕者なんていう意識などまるでないでしょうね。 自分のことを支持してくれる人だけを国民だとみなし、それ以外は「左翼」とかレッテルを貼って、敵とみなす。これは政治家としては致命的だと思います。

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