
東京新聞でも、これまで、山本太郎とれいわ新選組について大きく扱うことはほとんどなかった。だから多くの人に、彼が言っていることを知ってほしいと思う。これまでも何度も書いてきたけど、山本太郎は本物だと思う。彼が語る人間観・世界観は拙ブログで最初から言ってきたこととほぼ重なる。
目指す社会像も完全に支持できる。どんなことがあっても国が守ると言ってくれなかったら、国なんて必要ないだろう。自民党がこの国を守ると言っているのとは、言葉だけは似ているが「国が守る」と「国を守る」では方向が真逆である。
そしてこのコロナ以降、自民党の言っているのは嘘じゃなかったんだ、というのがよくわかった。国を守るためには国民は多少犠牲になってもらっても致し方ないというわけである。オリパラの強行なんて、国のメンツのためにはコロナ蔓延も致し方なし! っていうことで、自民党の主張通りである。
国民を守らない国、いざという時に自分のことを守ってくれない国って、そんな国家像を掲げる政党を応援する人間が3割ぐらいいるというのが、僕には全く理解できない。
前にも書いたように、空気なんだよね。自己責任とザマアミロの空気が日本を覆っている。自己責任と言えばそれ以上面倒くさいことを考えずに済む。自己責任と言えば不運な他人を思いやる必要はない。結局、自分のことで手一杯になっているから、人のことなど思いやる余裕がない。その時チクッと感じる心のうちのかすかな「やましさ」、それを取り除いてくれるのが「自己責任」という言葉だ。社会はどんどん劣化していく。同時に人々の心も劣化の一途をたどり、叩けると思えば、ザマアミロの大合唱。
要するに格差を拡大して、人々に自分のことだけを考えさせ、他のことを考えさせるゆとりを与えなければ、「自己責任」と「ざまあみろ」の空気を後ろ盾に支持を取り付ける政党がある。
最近も書いたけど、自民や維新を応援する心情はこういう空気によって醸成されるのだろう。
さて、山本太郎に戻るが、ただ一つ、わからない点がある。山本太郎と言われれば積極財政だ。国債発行によって円をもっと大量に流通させるというわけだが、これが本当に大丈夫なのか、僕にはわからない。山本太郎の街宣は、YouTubeも含めて色々見てきているから、理屈は理解しているけど、今後何年も国債を刷って金を流通させるやり方が本当に可能なのか、そもそもそれによって人々が消費するようになるのか? そもそも同じようなMMTとかいう理論を唱えている専門家も何人もいるけど、有名どころの人たちってちょっとビジウヨ的な人が多いし 苦笑)
税の取り方を変える、これは山本太郎も言っているけど、積極財政が強く前に出過ぎてて、税の取り方を変えるというアピールが少ないような気がする。積極財政と直接税の累進化を強める、この二本立てであることをもっと強調していいんじゃないかなぁ。
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以下の表を見てj欲しい。

東京新聞のサイトから拝借してきたものだけど、山本太郎がよく言うように、消費税がなんのために使われているかがはっきりわかる。
消費税が導入されたのは1989年。当時消費税の税収は全・国税収入の4.6%だった。当時と現在、国税収入額は60.1兆と57.4兆と、たいして変わりはない。
つまり消費税が増えた分、減ったものがあるわけだ。法人税と所得税だ。1990年には所得税の最高税率は70%、法人税は40%だったのが、現在所得税は最高45%(しかもこの最高税率に該当するのは年収1億円ぐらいの人で(それだってすごいお金持ちだが)、もっと稼いでいる人はどんどん税率が下がっていくのだという)、法人税も23.2%。
自民党が消費税5%から8%になるときに「消費税率の引き上げ分は、全額、社会保障の充実と安定化に使われます」という大嘘ぶっこいたことは以前書いた。

冷静になって考えてみればわかる。だって消費税が上がってるのに、社会保障はどんどん悪くなっているんだからね。所得税と法人税を累進課税化して、最高税率ももう少しあげるだけでも、消費税なんか廃止するのは簡単だろう。
僕らは法人税を引き下げ、企業の儲けを増やすため、大金持ちの税金を引き下げるため、消費するたびに1割増しの余分な金を払わされているのだ。
そして今回のコロナ・オリンピック禍ではっきりしたように、政府は僕らのことなど何も考えていない。自分でなんとかしろというのである。
消費税は社会保障になどほとんど使われていない。これだけは国民みんながしっかり意識しておく必要がある。
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政治から距離を置いて、社会のことなど関心を払わず、自分の生活だけに集中するのが自分のスタイルだと、政治なんて碌でもないくだらないもので、あんなものは無視するにかぎると、そう思う気持ちはよくわかる。
だけど君が政治に無関心でも政治は君を忘れない。
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酔っ払いなのか、それとも完全な狙い撃ちなのか知らないけど、
1週間前にはがされた山本太郎とれいわ新選組のポスター、早速新しいのが届いたので張り出しました。以前のものに比べるとさらにショッキングピンクが派手になって、ちょっと恥ずかしい 笑)
以前の写真はこちら
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3653.htmlよければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

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うちの壁に貼っていた山本太郎とれいわ新選組のポスターが何者かによって剥がされました。同時に、うちのそばの家でも、壁に貼っていた共産党のポスターが剥がされたとのことで、ちょっと陰湿なものを感じ交番に被害を届けました。
落とし物の届けみたいな簡単なもので、書類に住所や名前を書けば済むだろうと思っていたら、交番のお巡りさんと捜査課の刑事さんたちが5人ぐらい、わざわざ家までやってきて、写真を撮ったり話をしたり、まあ、こんな大ごとにされちゃうとは思ってなかったので、ちょっとたじろぎました 笑)でも、途中で共産党ポスターを剥がされた家のお爺さんが出てきて一緒に話してくれたので、少し気が楽になったのでした。
酔っ払いの仕業かも知れないけど、かなり強力に接着されたポスターを剥がすってのはちょっと強い悪意を感じたのでね。それとも小池晃と山本太郎のファンが盗んでいったか? 笑)
まあ、速攻で改めてポスターを請求したので、2、3日後にはまた張り出せますが、なんとも気分が悪いです。
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いつもの「本音のコラム」、今日は斎藤美奈子で、入管法もコロナ対策も五輪強行も根は「人命軽視」だといつものように鋭い政権批判を行なっていて、全くその通りだと思うんだけど、今日紹介したいのは「こちら特報部」の「もう消費税減税しかない!」という記事。やっと出てきた。山本太郎の主張を、東京新聞でもようやく取り上げた。
「
消費税問題と言えば、この人。れいわ新選組の山本太郎代表だ。(中略)「たばこ税などのように過剰なものを抑制するために税がある。消費税は消費を冷やしている。コロナが来る前から25年間デフレが続、経済的な緊急事態にあった。その中で、GDPのこの下げ幅は当然の帰結だ」と山本さんは現状を一刀両断にする。
そして山本さんは「消費税を廃止すれば、国が直接現金給付していることと同じ。締め付けられている中小企業に助け舟を出すことにもなる。法人税の累進課税強化や、大企業優遇の施策をやめることで、消費税を廃止した穴埋めは十分できる」と訴える。」
山本太郎の街頭演説をYouTubeで見ている人ならお馴染みの話だが、同時にあれ?っと思うところもある。山本太郎の1番の主張は国債発行、金を刷れ、もっとみんなに配れというものだ。いわゆる積極財政というやつ。
正直にいうと、僕にはよくわからない。国債発行が将来世代のツケになるという「一般常識」も、本当にそうなのか、山本太郎がいうように、国の赤字は民間の黒字だという理屈も、聞いている時はそうだと思うんだけど。。。東京新聞では山本太郎のキモであるこの積極財政の主張がすっぽり抜け落ちている。そしてこの山本の主張に対して反対の意見の野村総合研究所のエコノミストの言葉がこう続く。
「消費税は社会保障費を世代間で広く公正に負担させる重要な役割を担っている。個人消費を高めるためにその減税を使うべきではない。(中略)このままコロナ対策を国債発行でまかなっていくと、将来世代のツケが溜まってしまう。」山本太郎の主張の中に国債発行の言葉は引用されていないのに、ここでそれに反対の意見を言わせても、山本太郎のことを知らない人には話が通じないだろう。
それはともかく、ここで気になるのは消費税のことを「社会保障費を世代間で広く公正に負担させる重要な役割」と位置付けていることだ。これって一般的によく言われていることだ。消費税をなくすというと、これからの高齢化社会で消費税がなくなったら社会保障がどんどん薄くなるのではないか、という意見はよく聞く。だがしかし、
自民党が消費税を5%から8%にするときに、この増額分は全額社会保障の充実に使うとポスターにまで書いていながら、これが大嘘!! 社会保障に使われたのはそのうちの16%に過ぎなかったということは、以前紹介したことがある。
また、89年の導入以来、消費税が上がるのと反比例して法人税がさがっていることは、山本太郎がよく指摘していることだ。つまり、消費税は法人税減額のための穴埋めに使われているというのなら、逆に考えれば、上の山本のいうように法人税の累進化によって消費税を廃止した穴埋めはできるのだろう。この記事ではこう主張する専門家の説も紹介されている。
「社会保障費の財源は減税による経済成長の自然増収や国債増発で対応できる。(中略)日本の負債指数はG7で最も高い。一方で資産指数も最も高い。純負債に換算すると借金大国とは言えない。」どれが正しいのかは、僕にはわからない。でも安倍が2013年の施政方針演説で、法人税の減税によって日本を世界で一番企業が活躍しやすい国にすると言ったのに、日本の国際競争力はどんどん下がっている。この記事で経済ジャーナリストの荻原博子が言うように、法人税を減税することが国際競争力の維持向上につながるという根拠は、幻想だったことは間違いない。これは確かだ。いわゆる「トリクルダウン」と同様の欺瞞だったのだ。
法人税を下げたことによって、消費税が上がった。それにより日本という国の経済力は落ちた。それならもうやることは一つしかないだろう。
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5月2日の山本太郎のお話会。
全部聞くのは体力も時間もいるので、途中34分過ぎぐらいからの話の中からポイントを書き起こしておきます。
*
憲法改正をいま急がなければいけない理由なんてない、順番が違う、やらなけりゃいけないこといっぱいある、考えてみてよ、だってコロナがきてどうなったかって言ったら、仕事減ったりとか収入減ったりとか、いろんな人たちがいる中で、絶望、もう絶望しかないっていうことで命を絶つような人がどんどん増えてってますよ。
今やるべき優先順位第一位ってなんですか?
たくさんやらなきゃならないことあるのに、憲法改正の国民投票法をって、なんの話ですか? 優先順位全く違うよ。
今何やられているかって言ったら、このコロナという混乱の中で数々余計なことまでやられているっていうことです。それをなんて呼ぶかって言ったら火事場泥棒です。汚染水流すことを決めたりとか、デジタル庁みたいなものを審議ほとんどされないまま、短い審議時間の中で何十本という法律を束ねて5つぐらいにして通したりとか。
この先にやろうとしていることは中小企業をどんどん淘汰していく、つぶしていく、それを大企業とかに、体力弱らしていったうえで食わしていくっていうようなM&Aを進めていくっていうようなことまでかんがえられているんですね。だからこの国民投票法の改正っていうものに関しても何を意味しているかと言ったら、このコロナの混乱に乗じた火事場泥棒の一つです。
*
以前ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」について説ブログでも紹介した
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-861.htmlけど、図式通りに惨事便乗型のやり方ってやつだ。火事場泥棒とはよくぞ言ってくれたと思う。
今の政府は国民のことなど考えてない。コロナを好機と捉えて自分たちのやりたいことができる国にしようとしているだけだ。
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私の昔の自転車ホビーレースチームの忘年会、こんな状況なのでやっぱり延期になりました。
「個人の努力に頼るステージは過ぎた」政府分科会の会長が27日金曜日に言ったセリフだ。つまり菅が得意の「自助」というやつ、そのレベルではコロナパンデミックは防げないと言ったわけだ。まあ、やっと言ったということだね。
今九州の各地で山本太郎が街頭宣伝を行っている。もうすでに一月以上西日本の各地を回って街宣活動をしているらしい。YouTube にほとんど全部アップされているので、暇を見て時々見ている。11月23日の熊本駅前ですでにこう言っている。
25分10秒過ぎあたりから。
「最近よくTVで流れていることってどんなことですか? 例えばこのコロナに対しても皆さんのご努力が必要なんだと繰り返されません? マスクをしたり人と距離をとったり、できれば会食するときにもマスクを、みたいな、あなたの努力が必要な時なんだとそういう寝ぼけたことをTVも当たり前のように言いません? 何を言ってるんだ! それぞれできることなんてもうとっくの昔にやってません? 今やるべきことは何かと言ったら、政府が公助として最大限何をできるかってことをさっさと出さなければいけない時期に来ているんですよね。(。。。)これまで春から今の間まで何をしていたのかってことです。今大胆に政府が動かなければならない時に、それに対してあまりに遅すぎる。(。。。)で、この感染を拡大させないためにはあなたの努力が必要だっていう自助の話になっている。あまりにもおかしくないですか、それ? もうみんなできることはやってますよ。ほとんど人はマスクしてるじゃないですか。ほとんどの人たちがそういうような自分自身でできることをやり続けている。ここからは誰がやらなければいけないかと言ったら、当然政治ですよ。」
さらには せやろがい おじさんもこう言っている。
みんなとっくに言ってることだ。政治は国民に「自助」を求めるのではなく、どういう施策で「公助」するか考えろってことだ。
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命の選別を政治が行うと発言した大西つねき発言と彼の除名に関する山本太郎の会見を聞いた。途中でこんなことを言っていた。
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この問題をこの人はそんなことを言う人じゃないよということで片付けないでいただきたい。実際にそう言ってます。それを見つめることが必要。大西さんにも多くのファンの方々がいらっしゃいますけれども、ぜひこの問題と向き合っていただきたい。大西つねきの中にあったものはおそらく山本太郎の中にもあるかもしれない。だからそれを自制しながら、そうしちゃいけないっていうことを考えていかなきゃならない。誰の心の中にもある社会的な問題なんだと、大西つねきさんを入り口に、(この)社会の問題というものにもう一度みんなが向き合うそういう機会にしていただければ、というふうに思います。何よりもこの社会的な問題に対して、私たちれいわ新選組の中にもそれが存在していた。そしてれいわ新選組の中にも存在していたというそのものが、許されないものが、ひょっとしたら、私、山本太郎の中にもあるかもしれない。そういった緊張感の中でしっかりと、弱い立場に置かれた方々の最前に立つと、私たちが立党の時に示した精神をより強固なものにしていく。そのお約束をさせていただきます。(上のYouTube動画の31分から)
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命の選別云々については書くことなどない。いうまでもないことだ。すでにこの世の中は命の選別をしている、末期医療の現場では命の選別をしているなどと言ってる人もいるが、土俵の違う話だ。山本太郎が言っているのは政治の場での話。
上に引用した人間観が、手前味噌で恐縮だけど、拙ブログで書いたことと重なっていると感じた。山本太郎の語る反緊縮・積極税制を中心とした経済政策の提案に対して、僕は正直に言ってわからない。ただ、この人は本物だ、と感じたのはこういう、街頭インタビューなどの時にも話の端々に出てくる彼のこういう人生観、人間観に共鳴するものがあったからだ。
拙ブログのエピグラムにしている漱石の「いざというまぎわに、(普通の人間が)急に悪人に変わるんだから恐ろしい」という言葉は、現代の、あるいは歴史の様々な事象を考えるときの大きな手がかりになると思っている。
また、
映画「否定と肯定」でアウシュヴィッツを見た弁護士が語ったセリフ「恥を感じた。もし自分があのような立場に立たされたら、自分だって同じことをしただろう」が、自分を被害者ではなく、悪をなす可能性のある者として考えるこの見方が大切だというのは常々書いている通り。だからこそ、そうした悪に取り込まれないように、悪と向き合い、常にそれを反省することが大切なんだと思う。これ、きれいごとじゃないと思うよ。
参考
辺見庸「1⭐︎9⭐︎3⭐︎7⭐︎」「ヒトラーの娘たち」覚書き南京事件個人的論争顛末記 笑)堀川恵子の二冊の「永山則夫」本Ch.ブラウニング「普通の人びと」とそこから思うこと映画「日本鬼子(リーベンクイズ)」自らのザマアミロ感を憎むことなんか、適当に検索したら山のように出てくるからこの辺でやめときます。結局私は同じことしか言ってない 笑)
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山本太郎を応援していた人たちの間でも評判悪いですね。彼が都知事選に出馬した理由ってインタビューを聞けば明確で、全く頷けるものだと思うけど。
ただ、これによって宇都宮さんを罵倒する人(多いのが、宇都宮さんの年齢を理由にあれでは小池に勝てないというやつ)や、逆に山本太郎を反小池陣営を裏切る行為といったりする人が、普段リベラルなはずの人たちの間にも出てきたというところが、予想はしていたけど、ちょっと悲しいことではあります。
山本太郎は与党対野党という図式を踏まえたくないんでしょう。もっと言えば敵と味方という二分法を避けようとしているんでしょう。そして今の安倍たちがやっていることは(トランプもそうだけど)まさしくこうした二分法。こういう思考法を突破したいと思っているんでしょうね。彼の念頭にあるのは、困っている人を助けたい、これだけだと思います。
宇都宮さんを支持する人はそうすればいいし、僕のように山本太郎を応援したいと思う人はそうすればいい。それによってあのおばさんが漁夫の利を得るというのなら、それは仕方がない。たとえそうであっても、少なくとも宇都宮さんや山本太郎が得た得票数は、真っ当な政治家ならプレッシャーとなるはずだからです。
まっとうな政治家じゃないのがトップにいるのが日本だから、そんな手ぬるいことを言ってられないのだ、というのも一理あるとは思うけど、あくまで理想を追求していく。その心意気やよし! としましょう。そうは言っても政治というのは勝たなければ実現できないと考えるとしたら、それは安倍的なやり方、数が多ければ、何をやってもいいという発想に毒されているということです。そうじゃないんだという空気を作っていきたいというのも山本太郎の狙いの一つにあるのでしょうね。
というわけで、我が家にも山本太郎を隠すポスターが到着したので、早々に上に貼りました。

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噂は出ていたけど、多分出ないだろうと思っていた。でも出ましたね。宇都宮さんとのバッティングが辛い。結局バラマキと言われようと、今深刻に困窮状態にある人を助けたいという気持ちが勝ったんだろうね。
理想とする社会像は宇都宮さんとほとんど同じだと思う。そういう意味では一本化できるはずなんだけど、結局財政出動という具体的な経済施策面が違うってことなんだろう。ただ、すでに宇都宮さん支持で心が決まっていた人たちも多いだろうから、嫌な想像だけど、同じ価値観・世界観の支持者同士で批判し合うような事にならなければいいけど。
宇都宮さんを応援している人は応援すれば良い。わざわざ山本太郎を貶す必要はない。同じことは山本太郎を応援する人にも言える。僕は宇都宮さんを尊敬しているし、これまでの選挙では宇都宮さんにずっと投票してきた。でも今回は山本太郎を応援する。
しかし、都知事選に立候補したということで、公職選挙法上、18日からは山本太郎の顔写真も名前も出せないらしい。我が家に貼ってあるポスターも大急ぎで山本太郎の顔と名前を隠さなくちゃならない。というわけで今「山本太郎・東京特設サイト」で上に貼るポスターを注文したところです。
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東京新聞の「本音のコラム」、曜日ごとに人が変わって、それがどれも面白く的確で毎朝楽しみにしているんだけど、今朝は元青学学長で弁護士の三木義一がこんなことを書いている。
これまでも三木義一のコラムってダジャレでオチをつけながら、無茶苦茶面白かったけど、前回のコラムはカナダのニューファンドランド州が借金のためにカナダに統合された話とともに、「借金大国の日本が【中国対策として南太平洋の島嶼国を】支援する」というニュースを取り上げて、国の借金が膨らんでいくことを大丈夫なのか、と憂いていた。
その時、三木義一に山本太郎の話してることについてどう考えるか聞きたいな、と思ったものだった。そしたら今回のコラムは明らかに山本太郎の暗示だ。過去、この「本音のコラム」では斎藤美奈子が山本太郎の名前を出していたことがあったけど、いよいよ三木義一も触れてくれた。
山本太郎は、国の借金を増やすことに問題はない、ただ、インフレ率だけは常に見張らなければならないという。そしてそれを補強するものとして過去の財務省の発言や、ケネディとノーベル賞経済学者トービンとの話の例を挙げる。
法人税や所得税の累進性を強化するという話ならわかりやすいけど、このMMT理論に基づいた、新規国債を発行して国の借金を増やしても大丈夫という話は、正直言って経済音痴の僕にはよくわからない。この理論についても良い本が何冊かあるらしいけど、ちょっとなかなか読む気にならない。
確かに消費税が必要だという話は、
前にも書いたように、山本太郎の話を聞くまでは、普通に信じていた。だけど実は消費税が上がるとその上がった分だけ法人税が下がっていたという事実を聞かされ、消費税は廃止しても問題ないと思った。僕らは様々なところで財務省の刷り込みを受けてきたんだろう。
この三木義一のコラムにあるように、明るい政権交代が可能であることを願っている。
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先日、1月23日の島根県松江市での山本太郎のおしゃべり会。相模原事件の犯人についての分析が素晴らしかったので紹介したいと思う。
人生を生産性で考える社会が蔓延した結果、犯人はああいう思想に染まったのだという。この YouTube では2時間21分30秒過ぎぐらいから1分ほど。以下、文字起こししておく。
*
【現在の社会は】あなたが頑張らなかったから、あなたはそんな状態なんでしょ、っていうような、究極の自己責任社会に、もうなっちゃってるじゃないですか。
【相模原事件の犯人も】役に立ってないって思われたくないから、19人の障害者の命を奪ったんじゃないですか? 自分に少しでも価値があるってことを、まわりにわかってもらうために、人の命奪ったんじゃないですか? あの人だってそうですよ、緊縮の考え方。
緊縮の考え方、【犯人は】このままだったら日本の財政破綻するって思ったから、役に立たないものは殺すってことを決めた。それによって自分は感謝されるって思ってたってことですよ。役に立たなきゃ、ってことで。
緊縮っていう経済政策が、人の役に立ってなきゃ生きてはいけない、生きる条件として世の中の役に立つことっていうような生産性で測られたら、究極はそんなところまで行くっていうことですよ。
これ変えたいんですよね。
*
当時から僕はこの事件を安倍的社会の蔓延した結果だと書いてきた。無論安倍が一人でこういう社会にしたわけではない。当たり前だ。だけど、犯人の青年が、実行前に安倍に伝えてくれとしつこく言った理由はこういうことだ。安倍ならわかってくれる、安倍なら自分をほめてくれると思っていたのだ。つまり、安倍晋三は現在の自己責任社会のシンボルなのである。
もちろん、安倍が犯人の青年にGOサインを出すはずはない。しかし、もし仮に安倍以外の別の人間が首相だったと仮定したら、あんなこと(自分が実行する重度障害者安楽死計画に賛同して欲しいと言うこと)を犯人が書いただろうか?
そしてこの事件について安倍がどういう反応を示したか? 犯人を精神障害者と断定して、措置入院について検討せよと命じたのである。犯人の青年も屋根に登ったら梯子を外されたようなものだ。
僕も山本太郎が言うように、こんな社会を変えたい、強くそう思う。
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消費税が必要だというのは、結構刷り込み効果って大きい。僕も山本太郎の話を見聞きするまではしょうがないのかな、ヨーロッパ行けばもっと高いしな、となんとなく思い込んでいた。
デンマークなんかは消費税28%だけど、老後のために貯金する人がいないし、学費は無料だし、それどころか大学生には月々日本円にして10万円ぐらいのお金が配られると聞いたこともある。そういう社会保障のために高い消費税は仕方がないのかな、と。
だけど、これが大ウソだと言うことをわからせてくれたのが山本太郎だった。まずもって、前回5%から8%にあげた時、安倍政権はなんと言ったか? この3%上乗せ分は全額社会保障の充実・安定化に使うと約束したのだ。

だけど、実際は、この3%の全額約8兆円のうち社会保障に使われたのは16%だったそうだ。つまり、国家ぐるみで詐欺を働いたのだ。そもそもその後、社会保障が充実どころか低下させられているのは明らかだろう。老人の医療費だって上がる。最初はある程度の所得がある金持ちの老人だけだが、いずれみんな上がるだろう。
少し前のTVでも10%に上がった時の街の声として、これから先社会保障を充実させていくためには仕方がないのではないか、と話す人が何人か出ていた。つまり、国の借金は国民一人当たり800万円分とか、国が破産すると言って、これからの高齢化社会で消費税増税は仕方がないのではないか、と思い込まされている。さらに、TVやマスコミで、消費税を上げないなら社会保障費を削らなくてはと発言するような政治家や有識者たちがたくさん出てくる。これによって、消費税が何か社会保障のための目的税のような印象が与えられてしまうのだ。
財源はある。山本太郎が言ったことで知られるようになったが、これだってずっと言われていたことだ。税金の法人税と所得税の取り方を変えれば良いだけだ。山本太郎が言っているもう一つの方法、国債を発行するというのは僕にはよく分からないが、少なくとも、税金をあるところから取れ、ないところから取るな!というのは普通に納得できる話だ。
しかし、財源がどうこう言う以前の問題として、消費税が3%でスタートした時からの累計額が260兆以上、それと反比例するように、法人税の税収減は200兆近いという事実を見れば、大企業に金を貯めこませるために金持ちも貧乏人も関係なく消費税という税金を徴収しているというシステムになっているのは明らかである。消費税は社会保障のための目的税ではない。そんな目的のために徴収されているわけではない。
以上、上に書いたことは、ほとんど全部山本太郎の受け売りだ。だから本当はYouTubeにたくさん上がっている映像を見た方がいい。だけど、自分でも納得しておきたいので書いてみました。
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著者は山本太郎を「『脱原発』ばかりいうタレント政治家、国会では「一人牛歩」など派手なパフォーマンスを好む」(p.24)人として良い印象を持っていなかったと言う。この本も「目的は特定の政党への支持を広げることではない。まして、「山本太郎というすばらしい政治家がいる」と喧伝したいのではない」(P.16)と断りつつ、れいわ現象の正体を一言で、「現代社会を覆う『生きづらさ』」であると言い切る。
著者の意図はともかく、見事に山本太郎の応援エールになっていることは間違いない。確かに「れいわ新選組」という名称に対する批判や、「デフレからインフレに切り替わるタイミングを正確に察知できるのか」(p.95)などという批判はある。生活保護を悪だと思わせるような言説を吐いた片山さつきに対するシュプレヒコールをやりすぎだという批判もある。だけど、こんなものは瑣末なことだ。
れいわと山本太郎は、「自己責任」などという言説のデタラメさや、命の上下を生産性で決めるなという、ごく当たり前のことを主張する(後ほど書く哲学者・森岡正博は1970年代の「青い芝の会」という障害者運動にその主張の源流を見ている。
青い芝の会については拙ブログでも書いたことがあるので、リンクしておきます。よろしければどうぞ)。
この当たり前の主張は、21世紀に入り、公然と大声で主張することがはばかられるような社会になってしまった。何を甘いことを言っているんだ、生きることは競争なんだから弱い者が滅ぶのは生物の理(ことわり)だ、自然淘汰だ、とばかりにダーウィニズムが生活のレベルにまで敷衍されてしまった(ダーウィンのために言っておくが、ダーウィンご本人はこんな主張をしてないそうだ)。れいわと山本太郎はこうした価値観・世界観(その延長上に相模原の障害者虐殺事件があるのだと思う)の転換を促している。
山本太郎とれいわの運動は政治運動ではない、もっと根元的な、人間の生き方の転換を目指した革命運動だと考えた方が良い。この本の中で哲学者の森岡正博が言っているように、この運動には表の層と下の層という二層がある(p.158以下参照)。山本太郎がしばしば叫ぶように「政治でしか変えられない」社会の構造・仕組みが表の層だ。「社会正義」の話だ。彼は生きづらい人たちをいかに生きやすくするかを、「具体的な政策」として語る。
*
ところで、山本太郎の主張は共産主義のように全ての人が平等に、などとは主張していない。企業を国有化しろなんて言ってない。企業の自由は認めているし、金持ちと貧乏な人がいるのは仕方がないというのが前提になっている。
環境問題についてだって、僕もそうだったけど、これまでなら経済成長というのは環境問題にとって悪であるというおぼろげな感覚があった。環境を守っていくにあたり人間が一番の悪なのだとか、もうこれ以上経済発展しなくていい、多少の不便があっても僕らは人間という地球上の生物の一つとして身の丈にあった生き方をしていくべきだと、なんとなくそんなふうに考えていた。
ところが、山本太郎はそう言わない。お金をどんどん刷って社会にもっと流通させ景気を良くして、内部留保している大企業にも日本の人々に投資したくなるようにしろ、と言う。(前から書いているように、僕は経済に関しては無知だ【金持ちの家庭ではなかったのに、子供の頃からお金というものを軽蔑していた、いや、軽蔑しようとしていた、いや、軽蔑するのがいいのだと信じていた 笑】から、山本太郎がいうことが正しいのか、本当にできるのかわからない。もちろんこれが正しく、できて欲しいと思っているけど。。。)
*
何れにしても、こうして具体的に政治という仕組みを使って社会を良くしていこうとする運動が表の層だとすれば、上記のように、人生とは何か、僕が、君が、あるいは彼が、彼女が、彼らがこの世に生まれたのはどういうことなのか、これをじっくりと考えてみよう、というのが下の層、山本太郎の運動の「底流」だ。この運動を支える「理念」だ。
人間の生を金勘定と重ねていいのか? 何かを決断する時、それは純粋に「自己決定」という言葉で語れるのか、そしてそのいわゆる「自己決定」の結果生じたものを「自己責任」という言葉で受け入れるべきなのか? そうじゃあないだろ! 「たとえ私がどんな人間であれ、ここにいて構わないし、誰からもそのことによって責められない、という風に全ての人が心底思えるということ」(p.159) これは政治の面で変える話であるとともに、僕らの人生観にも関わってくる。山本太郎の主張の「底流」にはそういう、僕ら誰にでも関わる深い哲学(というとお大げさだが)があると思う。
山本太郎の運動は単なる政治運動ではない。
*
拙ブログで10年近く前、最初にブロ友になった一つ歳下の方が先日急逝されました。FBのリベラルなグループでの、誠実かつ真っ正面からの発言に、いつも敬意を抱いていました。誰かリベラルな政治家を具体的に名前を出したり応援するというのはこの方のスタイルではなかったから、山本太郎について直接語ったコメントはなかったように思いますが、口には出さずとも山本太郎の運動に関心を持っていたことだろうと信じています。この運動の行く末を見られなかったこと、さぞや残念だっただろうと思います。この場で改めて心よりご冥福をお祈りいたします。
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昨夜(12月18日)新宿南口に行ってきました。YouTube の街宣は色々みてきたけど、これまで出てこなかった質問をしてくれた人がいた。死刑制度についてだ。

拙ブログでも死刑制度についてはサブカテゴリーにあるように、何度も書いてきた。山本太郎が主張する優しい社会、誰も排除しない社会では死刑制度はそぐわない。間違いなく彼は死刑制度反対だというだろうと予想していた。ただ、これ質問しづらいな、という気持ちもあった。
今、日本では85%の人が死刑制度に賛成だと言うそうだ。アンケートなんていい加減なものだとは言っても、それでもこれだけの数字が出ると、やはり多くの人が死刑制度に賛成なんだろう。そんな状況で、山本太郎が死刑制度に反対だと言ったとしたら、支持者を増やしたい「れいわ」にとってはあまり良いことではないのかもしれない。そんな気持ち。
だけど、山本太郎は明快に答えた、「私は(死刑制度に)反対です」と。(下のYouTubeでは48分前後から)解答は主に冤罪をもとにしたもので、司法制度の問題点と絡めていたけど、同時に犯人を殺すことで幕引きしてはいけない、という理念的なことにも触れていて、これはとても大切なことだと思う。ただ、そこまで考えず、単に悪いやつは殺せとばかりに感情的になる人が多すぎる。これはおそらく山本太郎を支持している人たちの中にもたくさんいると思う。
個人的にはこの死刑制度反対という言葉をもって、山本太郎の世界観には完全に一本の、絶対にブレない筋が通ったと思う。一言で言えば、「排除しない社会」だ。排除してはダメなんだというのも拙ブログの当初からのモットーの一つだったっけ 笑)
「排除の思想」へその場の熱気は上のYouTubeでもある程度わかるだろうと思うけど、びっくりしたのは質問のある方と振ると同時に30〜50人ぐらいが一斉に手を上げる。これにはびっくりしました。
今回も少額だけど寄付して、車に貼るマグネットと缶バッチ、さらにTシャツまで買ってきました 笑)


通勤自転車で使うウエストバックにつけてみました。

これってどこで着るんだろう 笑)
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一昨日、11月27日の浜松での街宣で、最後に山本太郎に酔っ払いのおじさん?(お兄さん?)が絡んできた(2時間23分30秒ぐらいから)。彼の怒りは方向が完全に間違っていたけど、あの気持ちはよくわかる。今の世の中を変えたい、そう思って前回の選挙に共産党へ入れたが、何も変わらなかった。その怒りが共産党に向かってしまう。共産党なんて何もできないクソだと。こうして思い通りにならない社会に対する怒りが、現状を変えようとしている人たちに対する怒りに転換してしまう。
まさか彼がこの次の選挙で自民党や公明党に入れるとは思わないけど、何やってもしょうがないと棄権する可能性はあるだろう。
山本太郎の街宣では
以前にも似たようなことがあった。今回の酔っ払いのおじさんも全く同じだと思う。言葉が何かとても悲痛なんだよ。酔っ払った勢いで怒りを山本太郎にぶっつけているんだけど、聞いていて、もうどうしようもないぐらい痛々しい。この社会に対する不満から、社会を変えたいと思っても個人の力など無に等しい。投げつけた怒りが弾き返されて、全く逆方向に向かっていく。
*
山本太郎が語る経済政策が正しいのかどうか、僕には無論わからない。ただ、説得力はあるし、間違っていると言えるだけの知識もない。ただ、逆に山本太郎の語る経済政策が間違っていると言っている人の文章を寡聞にして知らない。朝日の論説委員(?)が、消費税をなくしても、その差額分を企業が値上げするから、消費が活性化などしないと言っていたのを聞いたことがある。
ただ、そうだとしても、赤字でも払わなければならない消費税が無くなるのは、中小の企業や個人事業主にとっては助かるんだろうと思うが、僕にはよくはわからない。
それでも、金融所得の所得税優遇をやめることや、大企業に対する優遇をやめること、法人税や個人の所得税の累進性を高めることなどは、普通の日本人なら大抵の人が普通に納得いく政策だと思う。
でも、僕は経済政策よりも、山本太郎が語る社会や国の像(イメージ)に圧倒的に魅了される。あの頭の良さや知識量、反射神経の速さやメンタルの強さ、どれをとっても、超一流だと思う。だけどそれ以上に人々に対する優しさは本物だと思う。
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連れ合いからもOKが出たので、ネット経由でポスターを請求したら届きました。ついに先ほど夜陰に紛れて、我が家のブロック塀に張り出しました 笑)

うちの前の路地は駅への抜け道になっているので目立つこと間違いなし 笑)この路地では自民党と共産党のポスターが一枚ずつある程度ですので、れいわのポスターは初です 笑)というか、そもそも近辺で見たことがないですね 笑)
しかし、政治的なポスターを貼ったなんて、子供の頃から初めてのことですわ。連れ合いも同じことを言ってました 苦笑)
で、山本太郎、昨夜は山形でおしゃべり会があったようで、先ほどネットで見ていました。いつもながら、このやり方ってヒヤヒヤさせられますね。同時に見事な切り返しに驚きます。
今回は会場から韓国の徴用工問題についての質問が出たり、かなりアヤシイ関東大震災の朝鮮人が暴動を起こしたなどと口を滑らすおじさんが出てきたり、なかなかハラハラしましたが、徴用工のことは理路整然と語っていて、これは100%同意です(45分15秒過ぎぐらいから12、3分)。
またアヤシイおじさんに対しては、メールのフォームで送ってくださいと、いなしていました(1時間24分ごろ)が、きっとその「いなし方」に不満のある人もいるかもしれません。でもなぜ山本太郎が正面から答えずに「いなした」かが、今回のおしゃべり会では、最後にわかる(2時間1分50秒ぐらいから)。つまり、この場で喧嘩したくなかったんだろうね。
それ以外にも、今回のお話会では「れいわ」は現在の政治の「組織化」を打ち破りたいと語っている(1時間1分過ぎぐらいから)。
「政治なんだから『組織化』しないとダメだろうという考え方を壊していきたい。トップダウンで受け取る人がそれを言われた通りにやるっていうことを続けていたら、この国は変わりようがないなと思っていて、一人一人が考えて、どう能動的に動くかっていうことを主体的にやっていってもらうという有象無象の集まりが権力は一番怖い」
かなりレベルの高いことが、僕らには求められていると言ってよいでしょう。同時に、山本太郎が民主主義を取り戻そう、どうすれば民主主義を取り戻すことができるのか、それをしっかりと考えていることがよくわかります。
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山本太郎ネタだとどうも手前味噌になってしまって恐縮ですが 苦笑)
僕は過去に憲法改正について何度か書いてきた。ブログ内検索で「憲法改正」を探せば25ほどヒットする(自転車レースのブログなので割合としては多いでしょう 笑)。そんな中でも繰り返してきたのが、憲法改正に関するアンケートのことだ。
2年半前に書いた
「憲法改正賛成が半数??」をリンクしておく。
要するに憲法改正に賛成か反対かを問うならまずそのアンケートの最初の質問は「あなたは憲法を読んだことがありますか?」 次の質問は「あなたは憲法とはなんのためにあるかご存知ですか?」となければ、読んだこともないし、憲法がなんのためにあるのかを知らないのに、賛成か反対かを聞かれたって答えようがないだろう。こういうことを書くと上から目線だとか言われかねないけど(実際そう言われたこともある)、一般の人々が社会に出て忙しく生活に追われている時に、憲法のことなんか考える必要性も余裕もないのは当たり前だ。
今回那覇市での街頭インタビューで彼が語った憲法改正についての意見は、まさにその通りだと思った。
次のYouTube の23分ぐらいから、「憲法改正に賛成か反対か」「今後の時代の変化でその考えが変わる可能性があるか」を問われて、こう答える。25分過ぎから。
自分は一言一句変えないという立場ではないが、人々が政治を監視しコントロールするという民主主義の根底の部分をみんなでやっていこうという状況ならば、憲法改正の議論を始めてもいいだろうが、今は50%以上の人が票を捨てている。そんな状況で憲法改正の議論などできないと一刀両断!
「例えば、沖縄そば屋に入った時にみんなが憲法の話しているぐらいの勢いになってるときだったらいけるかもしれません。(。。。)それぐらいみんなの高まりがあって、もう一度憲法ってなんだったんだろう、ってことを一人一人確認し合えるような世の中になっていれば、わたしは憲法改正の議論を深めていくべきだろうとは思うんです。したほうがいいという人も、そうじゃないって人も活発に議論するっていうことは否定しません。けれども今の状況でやるのはあまりにも危険。」(26分過ぎから)
この後の憲法9条改正の話も自民党が目指すのは真逆の方向で話を続けていく。まさに平和国家日本のための憲法9条改正案だ。
全面的に大賛成。
だけど、これはまずは日米関係や近隣諸国との関係がもっと改善されてからの、ずっと後の話になるだろうね。そもそも、憲法改正なんて一般国民にとって喫緊の問題ではないだろう。急いでいるのは安倍たち自民党の連中と彼らを応援している日本会議や軍事産業で儲けようと思っている大企業だけだよ。
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FBでは書いたんだけど、やっぱりここでも書いておく。
山本太郎が酔っ払いのおじさんに絡まれ、「偽善者」と罵られるシーンだ。以下のYouTubeは約20分弱。最後まで見て、ただただ泣いた。そういう人はきっと多いだろう。
最初に聞いた時にはこの酔っ払いのおじさん、山本太郎に絡んでいるネット右翼かと思ったんだけど、もう一度聞いてみると、何か悲痛な叫びのような気がしてくる。どこにぶつけていいのかわからない社会に対する怒りを山本太郎にぶつけているのではないか? きっとこのおじさんも今の社会を変えるべきだと思っている。それを山本太郎も感じたからこそ泣いたのではないのか?
どうしたらいいのかわからないし、その怒りをあまりに大きすぎる権力に向けたところで解消できるはずもない。だから、もっとみじかなものにぶつけてみる。怒りを向けるべき方向が間違っている。だから山本太郎は言ったのだ、「裕福でない人たちが裕福でないもん同士で石投げあってどうする」と。
*
これはちょっと胸を張って言いたいけど、
グレタ・トゥーンベリについては拙ブログでは今年の1月に書いた。かなり早い段階で、この時点で彼女の名前を出した日本語のブログはあまりなかったんじゃないだろうか? だからちょっと自慢である。
そして僕は山本太郎に彼女と同じようなものを感じる。
「クールな本音」と称するグロテスクな悪意剥き出しの社会の中で理想を語ること。グレタの場合、それは多くの西側先進国の若者たちの胸を打ったのに、日本ではそれがまるで届いていない。ネットではむしろ彼女を揶揄する声の方が多いような気さえする。対案も出さずに批判するとか言う。嘘だろ? 16、7の娘に対案を出せ? あなたが考えることだよ。このままでいいはずはない。彼女はそう声をあげたのだ。その声が心に届いたなら、ではどうすればいいかはあなたが考えることだ(彼女のことを揶揄する人たちは、結局その心まで彼女の声は届かなかったということなのだろう)。
同じことが山本太郎にも言える。今日買ったニューズウィーク日本版で、森達也が書いていた言葉だが、現在のグロテスクな社会の中で「胸を張って綺麗事を言う」ことの大切さを、少しみんな考えた方がいい。
カテゴリーの社会に「山本太郎」を追加しました。
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