パリ〜ニースは初日にして決まっちゃいましたかねぇ。去年もそうだけど、過去最終日に劇的な結末というのが多かったこのレースですが、今年はこれで決まっちゃったという感じ。ログリッチかな。
拙ブログ開始時から、一番応援していたし、一番気にしていた選手がドミニク・ネルツだった。と言っても、この選手の名前を知ってる人がいたら、かなりおかしい 笑) 拙ブログを昔から見ていてくださった方なら、肩入れの仕方が尋常じゃないと呆れていたのかもしれない 苦笑) まあ、詳しくは自転車のサブカテゴリーにネルツがあるので、それで見てほしいけど。。。
19歳でデーゲンコルプを破ってアンダー23のドイツチャンピオンになり、20歳で当時のミルラムでプロデビュー。その後サガンのいたリクイガスに移り、さらにBMCでステージレーサーとしての才能を伸ばして、ついにボーラのエース格でツールにも出場するも、27歳で引退。ステージレーサーとして、まさにこれからというところでした。個人的にはツールのトップ10には間違いなく入れた才能だったんじゃないかと思っていたんだけどねぇ。それになにより顔が日本人好みの美形だったから、表彰台に登ったらきっと日本でも人気が出ると思ってたんだけど。。。
引退がはっきりした時は、ほんとショックだったなぁ。。。なにしろ拙ブログではデビュー直後から追っかけてましたから 笑)
あれからもう5年かな? そのドミニク・ネルツ、どうしているのかなぁ、と思っていたらシェフになってました。
https://www.swr.de/sport/mehr-sport/radsport/ehemals-magersuechtiger-radsportler-dominik-nerz-ist-jetzt-koch-100.html にあった映像を大雑把にご紹介。
*
ネルツ 「何か色々と新しいものを提供することが大切なんだ。何が可能で、何が不可能か、その限界を少しずつ探っていくことが大切なんだよ。その点ではスポーツと似てるかもしれないね。」
プロ自転車選手としても料理人としても大変なことは同じ。
ネルツ 「(厨房に)毎日10時間とか12時間とか立っている時に気がつくんだ。僕がずっとやってきたスポーツをすること。それがもう必要ないんだんってことにね。こんなこと、僕の人生の中ではあり得なかったことだよ。」
ドミニク・ネルツは才能も野心もあったし、結果も残した。プロ選手としてイタリアのトップチームリクイガスと契約し、2012年にツール・ド・フランスの出場という夢を果たす。アシストとしてパリまで完走した後、2015年、キャプテンとしてボーラ・アルゴンに移籍し、ツールでトップ10を目指して、新たな目標とモチベーションを獲得した。そして体重を軽くすればそれだけ良いのだという考えに取り憑かれてしまう。
ネルツ 「良い成績を得るためには、それなりの身体にしなければならない。それが深みにハマって拒食症になってしまった。いつからそうなったかは正確にはわからないけど、最後の2年ぐらいはもうこのままでは持たないってわかったんだ。」
ガリガリに痩せて、力も出ず、度重なる落車もあり、肉体的にも精神的にも終わってしまった。27歳でキャリア終了。彼は偶然、新たな情熱を自分のレストランで見つけることになった。彼の母ウルリケと共同で開いたのである。かつての拒食症のドミニクはこの間に料理が楽しくなったのである。
ネルツ 「厨房では常に何か口にしなければならないよね。お客さまに提供するものは自分でも味わってみなくちゃならないから。こうして、僕は再び普通の食生活ができるようになった。食事をすることがまた楽しめるようになったんだ。」
ネルツ 「お客さまに喜んでもらいたいんだ。厨房までお客様の美味しかったと言う声が届くと、とても満足できる。」
*
このレストラン、Fein 7 Stuonobach という名称で、GoogleMap で探すとボーデン湖畔のオーストリアに入ったところにありますね。郷土料理を洗練させ、少しだけアジア風にアレンジしてるそうです。
映像では言ってませんが、記事によれば、辞めた直後は見るのが辛かった自転車レースのTVも、今では楽しめるようになったそうです。また、サイクリングはするのかという質問に、乗りたくなればマウンテンバイクに乗ってる。本当に気持ちの良いサイクリングだし、もういいやと思ったら30分で切り上げるよ、とのこと。
他にもこんなことも言ってますね。「スピードが必要なのはレストランで調理する時と食事を提供するときだけだ。新しい仕事は大変だけど楽しい。まだ未熟だけどクリエイティブな料理人になりたいよ。コンクールに出るつもりはないし、星がいくつなんてことにもこだわるつもりはない。楽しいから料理をしているのさ。」
まあ、散々レースで結果を求められたから、今は競争はもうたくさんということでしょうか。でも、髪と髭を伸ばしてだいぶワイルドになった感じですが、どこか寂しそうなのは見ている方の思い入れなのかな。
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)
にほんブログ村
スポンサーサイト
いや、忘れようにも忘れられないドミニク・ネルツ。26歳でボーラにエース待遇で移籍して、さあ、これからと思ったら落車の後遺症で引退、ステージレーサーとしてはまさにこれからというところだっただけに、そして何よりプロ入り直後の20歳の時から気にしていた選手だっただけに、拙ブログとして本当にがっかりしたものでした。パソコンでご覧でしたら、カテゴリー欄の自転車のサブカテゴリーでもネルツ関連の記事は100以上がありますので、よろしければ。
そのネルツについて書かれた本がドイツで出版になるようです。まあ、ネルツは別にスポットライトを浴びるようなスター選手ではなかったし、日本人でネルツのことを知っている人は、パリ〜ルーベの第一回の優勝者の名前を言える人と同じぐらいの数ではないでしょうかね 笑) 著者は1990年代からスポーツジャーナリストとして活動していた人だそうです。とりあえずアマゾンで予約注文してみましたが、発売は月末ですね。この件に関してはまた追加情報を出せると良いのですけどね。
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)
にほんブログ村
まあ、普通の人からすれば、引退した選手を追いかけ回している拙ブログはちょっと異常か? これで最後宣言をしたにもかかわらず、まだやります 苦笑)
というわけで、ドイツの全国日刊紙ターゲスツァイトゥング (taz) の2月4日付のネット版に長いネルツのインタビューが乗っていました。はぁ〜〜っ。
しかし、返す返すもこれからってところで残念です。ちと忙しいので、大急ぎで全訳します。文句が来たら削除しますので 笑)
……
自転車プロ選手ネルツが引退を語る。
「僕は穴には落ちない」
ドミニク・ネルツは山岳で非常に強みを発揮し、ツール・ド・フランスでもセンセーションを巻き起こせたかもしれなかった。27歳で彼は引退する。なぜ?
taz: ネルツさん、27歳といえば、ステージレーサーとしてはこれからがキャリアの始まりになるはずでした。でもあなたはやめてしまう。なぜですか?
ネルツ: 僕はこの2年、非常に不運で落車と怪我ばかりだった。医者は僕に、プロのキャリアをやめたほうがいいとアドバイスしてくれていた。加えて、肉体的にも、自転車競技での負荷に必要な回復力がなくなっていたということもある。
taz: 落車で頭を打って、頭痛、めまい、方向感覚の乱れを感じていたそうですが、ご自分ではスポーツで障害を負ったと思いますか?
ネルツ: いや。日常では困難を感じていない。でもスポーツをすると、トレーニングで減量するためには何が必要か、何をすべきかがわかるし、競技レベルになると体が単純に言うことを効かなくなるのがわかるんだ。
taz: 今から考えるとターニングポイントは2015年のドゥフィネでの落車でしょうか?あなたは照明のないトンネルで壁に激突してしまいました。
ネルツ: そう、あれがポイントだった。それから3週間後のツールでの落車も。そこから結局回復することができなかった。
taz: 自転車競技はどんどん危険になっているんでしょうか?
ネルツ: 確かに落車が増えていることはある。しかしそれほど爆発的というわけではないよ。落車はいつだってあった。でもここ何年かでメディアがそれに注意を向けるようになった。他方で、プロ自転車競技に対する要求もどんどん増えている。完璧な選手であるためにはシーズンを通じて高いレベルで走り続けなければならない。スター選手だけがレースの選り好みをして、調子をそれに合わせられるんだ。
taz: それに対して、普通の選手やアシストはいつでも強くなければならないわけですね。しかも自分に向いてないレースでも。
ネルツ: そういうことだね。アシストはいつでも同じ課題を課せられる。一方でエースは変わるから、誰かのためにアシストしたら、また別の誰かのためにアシストしなければならない。そうやっていつでも自分のパフォーマンスを全て出さなくちゃならない。
taz: あなたがアシストとして走った時、誰が一番好みのエースでしたか?
ネルツ: ヴィンチェンツォ・ニバリが絶対だね。単純に相性が合った。彼が必要のなものがわかったし、彼は決してあきらめないだろうと信用できた。これはとても印象的だった。だから僕がエースになった時にもそうしようと思った。残念ながら、そうならなかったけど。
taz: グランツールでは、あなたはトップテンに入ることを期待されたけど、【2015年ツールの】リタイアはがっかりしたでしょうね?
ネルツ: 嬉しくはなかったよ、もちろん。全てを立て直すのに随分時間がかかった。しかし、過ぎてしまったことを思い煩うのはやめようと思ったんだ。
taz: レースシーズンが始まっています。あなたはレースを見ますか?
ネルツ: いや。僕は自転車競技からきっぱりと手を切りたいんだ。レースが行われているのに、僕はもうそこにいないのは、辛いことだ。レースの結果を見ることもしていない。
taz: そうすると、あなたのかつてのチームがどうなっているかも見てないわけですね。もしあなたがボーラにいれば、世界チャンピオンのサガンやツールの山岳賞のラファウ・マイカのような、新しく加わった選手たちに対して、まだあなたのチーム内でのポジションがあったと思いますか?
ネルツ: ボーラにいれば新しい役目を見つけられたと思う。サガンやマイカが来れば、僕は一歩下がって再びアシストになったのは間違いない。そういうチームで働けるだけのレベルにはいたと思う。
taz: 新しいドイツのクライマーのエマヌエル・ブフマンは、本当ならあなたのそばで力をつけるべきだったし、今、ボーラで新しい状況にいるわけだけど、どうでしょうか? この先彼に期待してもいいものでしょうか?
ネルツ: エマヌエルには大いに期待してる。彼はとても良い選手だ。クレバーだし、山岳も非常に良い。ここまでは彼は大切に守られてきたけど、彼が走りたいように走ることができるはずだ。調子が良ければどんどん飛ばせばいいし、調子が良くなければそうしなければいい。マイカが入ったことで、彼の要求されるものは変わるだろう。3週間のステージレースのストレスに耐えるために、もっと力をつけなければならないけど、それも期待できる。
taz: あなたはここ何年か、ドイツで一番のクライマーでしたが、今はそれがブフマンになりました。でも彼ぐらいしかクライマーはいません。ドイツ選手がスプリントとTTでは強いけど、山岳では強くなれないのは何が原因でしょう?
ネルツ: ドイツ人ってタイプから言って頑健なんだ。だからプリンターがたくさん出てくる。例えばイタリアみたいに身長が160とか170ぐらいだったら、スプリンターじゃなくてクライマーになるよ。
taz: ドイツの若手のトレーニングとしてスプリンターやTTに向いているやり方というのは関係ないですか?
ネルツ: いや。それはないと思う。まず第一にそれ【体格の差】が基本なのは間違いない。ジョン・デーゲンコルプがクリス・フルームにはなれない。しかし、それはまた必要でもない。だってデーゲンコルプは彼ができることで成果を上げているんだから。なぜ彼が山岳が得意にならなくちゃならないんだい?
taz: 山岳に強い選手たちはここのところ、治療薬の特例を受けているという非難にさらされています。フルームもそうだし、ブラッドリー・ウィギンズも。これについてはどう思いますか?
ネルツ: もうこういうテーマに向き合わなくて良くなって嬉しいよ。このテーマにはもううんざりしているんだ。何かあると、すぐに大騒ぎだもの。しかしそれは悲しいことだ。何よりこの問題で本当に苦しんでいる他の選手たちにとってね。ウィギンズみたいな選手にとてはかなりどうでもいいことなのかもしれない。彼の名声に多少のケチがついたって、きっと大したことはないと思うよ。問題は本当にこの問題で苦しんでいる選手たちだよ【本当に薬が必要な選手たちのことか?】。もし誰かが何かを飲み込んで、それで速くなるとして、それに対して僕にできることなんて何かあるかい?
taz: ここ何年か、以前と変わって、ドーピングが少なくなったからレースも変わったと思いますか?
ネルツ: うん、もちろんそう思う。もしまだ10年前みたいだったら、僕みたいな選手はレースで戦えなかっただろう。このスポーツでは完全に世代交代がうまくいったね。
taz: これからプロになろうかという若い選手たちにアドバイスがありますか?
ネルツ: プロ選手というのは楽しい職業だという印象をきっぱり捨てること。何かを達成するためには、非常にたくさんの不自由、非常にたくさんの苦労と汗が必要だ。プロになる選手はみんなその前にレースで優勝してたんだから、おのずとそうなる。ほんのわずかな選手を除いて、― 例えばペテル・サガンなんかがその例外だ ― みんなプロになったら、最初から始め直すことになる。毎年毎年徐々に力をつけていかなくてはならない。だからアドバイスとしては、身体に気をつけて、余計なアドバイスを聞きすぎないように。自分の本分をわきまえること。それまでだって、そうやってうまくできてきたんだからね。
taz: なんだかむしろ恐ろしい職場環境のようですね。素晴らしい瞬間だってあったのでは?
ネルツ: もちろん、それはたくさんあったよ。世界中で走ることができたし、たいていの場合は、勝っても負けても声援を受けた。スタート地点では僕らは英雄だ。何よりイタリアとフランスがそうだったね。そこでプロのマイヨを切れば、極端なことを言えば、何だってできたんだ。それに素晴らしい自転車にも乗れる。最高の機材が僕のために用意され、それをボコボコにしても、すぐに新しいのが用意されるんだ。アマチュアだったら給与から差っ引かれるのにね。
taz: チヤホヤもてはやされたプロ選手から普通の市民への道は大変ですか?
ネルツ: いや、ちっとも。注目を集めることが生きていくための活力として必要な人もいるけど、僕はそういうタイプじゃないから。もう僕にとってプロ生活は終わったんだ。これから僕がすることで評価されたい。
taz: 今は何をしているんですか?
ネルツ: 自分が何をしたいのか、何に向いているのかを分析中さ。幾つかの扉が開かれている。自転車競技を終えて、穴に落ちるわけにはいかない。自転車競技と何かしら関わることに、いつか戻ってくる可能性はあるけど、それに関しては何もまだ決めていないよ。
……
というわけで、ネルツの紹介も出てますが、20歳でドイツのジュニアチャンピオンと書いてあるんだけど、これ間違いだよ。U23チャンピオン。20歳じゃジュニアじゃないもんね 笑) その他にもブエルタで総合14位になったこと、ピアノを弾く音楽愛好家であることなんかが出ていますが、これから何をするんでしょうね。どこかで読んだ記事では大学入学資格を持っているはずなので、27歳なら、ドイツでは、大学生としては別におかしくないでしょうけど。。。
よろしければ、下の各ボタンを押してくださいませ。
にほんブログ村
往生際悪く、
ネルツの記事を見つけてしまいました 苦笑)
ヴァンゲンというのはドイツ南部の地名です。スイスやオーストリアとの国境になるボーデン湖の北東にある風光明媚な町。そこ出身のスポーツ選手たちの表彰式があったそうで、36人の個人と9チームが表彰されたそうです。その中に引退したドミニク・ネルツも入っていたようです。写真がありますが、写真の塩梅(あんばい)か、ちょっとやつれた?? 無精髭なのか光線の具合か、ネルツだと言われなければわからないですね 笑)
……
彼はヴァンゲンのスポーツマン・オブ・ザ・イヤーに五回もなった。そしてプロ自転車選手としてのキャリアをあまりに早く閉じなければならなくなった。金曜の晩(1月13日)、ヴァンゲンの市立ホールで行われたスポーツマンの表彰式で別れの挨拶を述べた。それはこの晩の最も感動的な瞬間だった。
「調子はどう?」これが司会進行役の最初の質問だったが、これ以上適切な質問はなかっただろう。市立ホールは水を打ったように静かになった。「いろいろあったけど、調子はとても、とても良いよ」とドミニク・ネルツは言って微笑んだ。彼は7年間プロ選手だったが、最後は深刻な健康の問題と戦わなければならなかった。しかも、その原因は誰にも正確なところはわからないのである。去年、27歳になった彼は引退を表明した。「たくさんの落車と怪我のあとで、そろそろ終わりだとは思っていた。医者も引退するようにと言ってくれた。」彼はプロ自転車競技からは完全に身を引くつもりでいる。「自分の体のためだ。」しかし、故郷に戻り、自転車連盟とのつながりは保つつもりでいる。
2002年から2016年までのドミニク・ネルツの経歴と、ツール・ド・フランスや世界選手権、あるいは地元ヴァンゲンのドイツナショナル選手権やクリテリウムといった重要なタイミングでのネルツの言葉が紹介された。市長もネルツにありがとうの言葉をかけた。続く一連の写真のプレゼンテーションでは「Time to say Good-bye」が流れた。ネルツが壇上から姿を消した時には、大歓声と拍手の嵐が巻き起こった。この晩で最も長く続いた。
……
にほんブログ村
rsn の総括シリーズ、ネルツの番でした。ただなぁ。この人以前からそうだったんだけど、情報をほとんど出さないんですよねぇ。ツィッターもフェイスブックもあるんだけど、どちらももう一年以上まるで更新していないし、それ以前もほとんど書き込みがなかったんですね。だから、今回のrsnの記事も、これまでのボーラのHPでの記事や、先日紹介した南ドイツ新聞の記事を元にしているだけで、新しい話は何もありません。
一応、プロ生活最後の一年の総括をすると、春先は良かったんですよね。ツアー・オブ・オマーンで19位になり、そのすぐ後のコルシカ島であったクリテリウム・アンテルナショナルでは7位。ところがそのあとは全く成績を残せませんでした。クリテリウム・ドゥ・ドゥフィネでは途中リタイアし、結局ツールのメンバーに選ばれませんでした。
ブエルタも選ばれず、秋には二日間のステージレース、トスカナ一周と幾つかのワンデーレースに出場したものの、全てリタイア。これまで、確かに上位に入ることはあまりなかったけど、リタイアしたりグルペットになることがあまりなかっただけに、これは何かとんでもなく調子を崩しているか、体調不良なんだろうとは思っていたんですが、引退することになるとはねぇ。。。
rsnには、今後のことはまだ未定だとありますが、体調を元に戻すためには、早くても一年以上はかかるだろうという南ドイツ新聞でのインタビューの文言が出ています。危険がつきものとは言え、返す返すも残念です。拙ブログを始めてすぐに出てきて、これまで100ほどの記事を書いてきましたが、ネルツの記事はこれが最後かもしれません 涙)
彼のこれからの人生に幸あれと祈るばかりです。
にほんブログ村
ページが違うので別記事かと思っていたんですが、読んでみたら前の記事の続きでした。
……
現在では、彼はちょっと動いただけで肉体的な限界に達してしまう。彼は、運動をするときには穏やかにしなければならないと医者からアドバイスされている。彼は色々と新しいことに挑戦しているが、「目下のところはちょっと散歩したぐらいでもう息が切れてしまう」。 では自転車は? 彼はロードレーサーにはもう全く乗らない。何より調子が悪い日には自転車のことなど考えもしない。ちょっと体調がいい時にはマウンテンバイクに乗ることはある。「僕の体は動きたいって叫んでるからね」。でも自転車に乗れるようになったばかりのような走り方だ。全くゆっくりと走っている。
以前の日々のトレーニングはもう全く無関係だ。彼は一番いい時には週に30時間、距離にして600キロ走っていた。ネルツは一般のドイツ人にはほとんど知られていなかったが、国際的なレースシーンではそうではなかった。彼はドイツ最高のオールラウンダーとみなされていたのである。いつの日かツールで頭角をあらわすとしたら、ドイツには彼しかいなかった。まず彼はイタリアのリクイガスで、のちにツールに勝つことになるヴィンチェンツォ・ニバリのアシストだった。しかし彼はアシストで満足するつもりはなく、もっと高いものを目指し、アメリカのBMCチームに移籍し、2013年にはキャプテンとしてブエルタで総合14位になった。
2015年にはラルフ・デンクがドイツのチーム、ボーラにネルツを引き抜いた。「ドミニクは私の希望の星だった」とデンク監督は明言する、彼は頭が良く、とんでもない能力を持っていた、と。デンクは彼をキャプテンにして長いステージレースで活躍したいと思ったのだ。ドイツにはワンデーの優秀な選手はたくさんいる。例えば、スプリンターのマルセル・キッテルやアンドレ・グライペル、クラシックスペシャリストのジョン・デーゲンコルプやTTで4回も世界チャンピオンになっているトニー・マルティンだ。しかしトップクラスのステージレーサーが欠けている。これを補うのがドミニク・ネルツだったはずなのだ。
ネルツはボーデン湖畔、スイスのクロイツリンゲンに住んでいる。もちろん、新生活の中でかつての生活を思い出すことはしばしばある。しかし、彼は後ろを振り返ろうとは思わない。彼はしっかりとした声で、自分は行動力があるという。「僕はこの先が楽しみだよ。いろんなアイデアが頭にあるからね。」
……
うーん、体調が戻ったらカムバックっていうのは考えてないのでしょうかね?
にほんブログ村
南ドイツ新聞の記事です。全訳して問題あるかどうかわかりませんが、なんか言われたら削除します。でも、いまひとつはっきりしない記事ではあります。ただ、ネルツの健康状態は頭の強打によるもののようです。
……
ドミニク・ネルツはドイツの自転車競技界でもっとも期待された選手の一人だった。しかし多くの落車で頭を打った結果、今は散歩をすることしかできない。27歳で。
(マテイアス・シュミット記者)
ドミニク・ネルツは語る。しばしば自分が地上10階の開いた窓の出っ張りの上に立っているみたいな気持ちになった。これが彼の過去数カ月の内面の葛藤を表現するために選んだ強烈な比喩だ。彼にはそれがわかっている。しかしこのイメージは彼が感じている状態を最もよく表している。「こんなのっぴきならない状態にあって、誰かに何か納得してもらおうとしても無意味だ」とネルツは言うが、この比喩があまりに突飛なものだということはわかっている。彼は静かにこう付け加える。「僕は自分の人生をお終いにしたくなかったんだ。」
ドミニク・ネルツは数日前からもうプロ自転車選手ではない。彼は辞めなければならなかったのだ。27歳で。決して自由意志で決めたわけではなかった。健康上の問題が彼からその職を奪った。ドイツのチーム、ボーラ・ハンスグローエのキャプテンは最初は何としてでも走り続けるつもりだった。絶対にアンドレアス・クレーデン以来のツール・ド・フランスでトップテンに入るドイツ人になりたかった。クレーデンは2009年に6位になっている。だから、ネルツは医者の忠告を無視して競技を続けることもできたかもしれない。「誰も僕に辞めさせることはできなかっただろう」と彼は穏やかに語る。何ヶ月も彼は自分だけで考え続け、とうとう10階の窓から地上階へ再び降りることを決めた。彼は、自分の肉体が、期待できるようなパフォーマンスを、もう許してくれないことに気がついた。「僕はこの早い引退でまだまだ色々苦しまなければならないだろう」とネルツは考えている。「だって僕の最近の全人生をパアにしちゃったんだから。」
彼のこれまでの人生は自転車一色だった。自転車が彼の行動、思考、1日のサイクルを決めてきた。要するに全てを決めたのが自転車だった。それゆえに、非常に長い間こうした生活に縛られてきた。アルガウ生まれのネルツは、不安もなく、痛みも我慢し、強い野心を持っていた力にあふれたアスリートでも、ボロボロの若者になりうるのだという典型例である。「完全に治るまでは、一年以上かかるだろう」と今、彼は言う。彼の場合、何よりも落車の数が早期の引退につながった。しかし、正確な病状については、彼は語ろうとしない。「それは僕のプライベートなことだ」と言う。推察するに、頭痛、めまい、方向感覚の混乱が日常的に彼を苦しめているようだ。
去年だけでも彼はレースで6、7回落車して頭を打っている。「もうそんなに正確には覚えてないよ」と言っているが。最悪の落車はドゥフィネで起きた。クイーンステージで、彼は照明のないトンネルでノーブレーキで壁に激突したのだ。幸運にも骨折はなく、膝の打撲で、擦過傷はすぐに治ったが、頭に目に見えない損傷を受けた。彼はそれを気にせず、次のステージも走り続けた。続くツール・ド・フランスで、二回落車で頭を打った。そして肋骨にヒビも入った。しかしその後も走り続け、胃腸炎になってついにリタイアした。
この長期にわたる肉体の酷使をネルツは後悔している。「僕はもっと頻繁に自分の内なるシグナルに耳を澄ますべきだった。あの時、絶対にツールには出てはいけなかったんだ」と彼は言う。しかし、プロ自転車選手に落車のような痛みやタイヤ交換はついてまわるものだ。「境界線を引くのは難しい。だって僕らはいつでも最大のパフォーマンスを出したいし、それで自分に常にプレッシャーをかけてきたんだから」そうネルツは言っている。
……
ヘルメットをしていても、やっぱり高速で落車すれば危ないんでしょうね。ただ、1年にせよ2年にせよ、完全に治して復帰というのはありえないのかなぁ? この記事には続編があるようですので、また明日にでも。
にほんブログ村
ボーラのHPにネルツの言葉の全文が載っていました。
……
悲しいことだが、2016年シーズン終了とともに、健康上の理由でキャリアを閉じなければならないだろう。とても辛い一歩だし、プロレース界に別れを告げるのはもちろん簡単なことではないだろう。しかし、集中的な医学検査の結果、他に選択肢はない。最後まで頑張ったし、チームも僕をできる限り支えてくれた。それにとても感謝している。とても素晴らしく、また充実した時間のことを思い出すと、後悔するものはない。この間に多くの経験をし、幸せな瞬間を味わい、友人もできた。今は新しい人生の段階が始まる。そこで僕は、自転車競技でもそうだったように100%の力を尽くしたい。
……
うーん、悔いはないと言いつつ、健康上の理由というのは辛いなぁ。ドイツでは驚きを持って伝えられています。
しかし、運もなかったなぁ。ブエルタで14位になった後の世界戦ではドイツチームのエースに指名されたのに、雨の中落車してリタイア。ボーラでも去年のツールでエース番号をつけながら、初日にハンドルが取れるし、大落車に巻き込まれ(この落車シーンはスカイスポーツのツールの宣伝でも繰り返し使われていましたっけ)、結局胃腸を壊してリタイアでした。
一番の希望は体調を万全にして、また1、2年後にプロ契約して戻ってくることですが、それがダメなら、今後の彼の人生に幸多かれと願うことしかできません。
ああ、しかし、残念だなぁ。拙ブログを始めたのとほぼ同じ頃にプロになって、写真を見たら、やたらと二枚目だし、ずっと気にしていたら、地道に力をつけてきて、ブエルタで20位以内に連続で入って、ついにはツールでエースになり、もう完全に一番応援していた選手だったんですけどねぇ。。。
しばらく立ち直れないなぁ。。。
VIDEO にほんブログ村
拙ブログとしては悲しい、とても悲しいニュースです。昨日まではググっても新しいニュースが全くヒットしなかった Dominik Nerz が、今朝はドイツ語は当たり前にしても、オランダ語、フランス語、イタリア語。。。と次々にヒット。全部引退のニュースです。
まだ若いし、大活躍はできなかったとしても、いつか大きな勝利を挙げるのではないかと、期待していたのは拙ブログだけではなかったはずですが。。。
世界戦ではドイツ人選手の若手が頑張っている一方で、まだ27歳になったばかりなのに、ネルツ、健康状態が回復せず引退を決意したようです。
このところ、レースにも出ないし、出てもグルペットやリタイアが多く、ボーラとの契約も切れるのに何の情報も出てこないし、タイプとしてやっぱりステージレーサーだから、どこかの小さなチームのエースになるか、それとも山岳のアシストに戻るのかなぁ、と思っていながら、ひょっとしてあっさり、きっぱり、引退しちゃう可能性もあるかも、と不安に思っていたんですが、心配が当たってしまいました。
「僕にとっては非常に辛い一歩だ。プロレース界に別れを告げるのはもちろん簡単なことではないだろう。しかし、集中的な医学検査の結果、他に選択肢はない。」
以上はボーラが伝えたネルツの言葉だそうです。あちこち検索すると、診断結果は公表されていないそうですが、ボーラの監督のラルフ・デンクはこんなことを言っています。
「彼も我々も、何が悪いのかわからないんだ。ある日突然トップクラスの走りをしたと思うと、翌日はジュニアのレベルになってしまう。才能はすごいのに。原因がはっきりするのには、多分まだ何ヶ月もかかるかもしれない。」
これはツール前にも言われていましたから、結局、未だにわからないんでしょう。
うーん、ブフマンなんかが出てきたとはいえ、今でもまだドイツではナンバーワンのステージレーサーだと思うんだけど、健康が結局回復しなかったわけです。
拙ブログでは、ちょうど始めたばかりの時に
ネオプロとして春先のレースで上位に入り 、その後も
フランクフルトで2位になったり 、ブエルタで二年連続トップ20入り、しかもあの
アングリルで6位になったりして 、
ボーラへエース待遇で入ってきた時には大いに期待したんですが 。。。結局、ボーラの二年は怪我と病気に苦しめられちゃいました。
今年のクリテリウム・アンテルナショナルで7位になって 、復活したかと思ったんですが、結局その後も体調が回復しなかったようです。惜しいというか、もったいないなぁ。
一年ほど療養して、再びプロ契約することがないとは言えないと思いたいところです。
にほんブログ村
ノルウェーで普通に走れていたから、もう出場は確実だと思ったんですがねぇ。これでボーラとの契約は今年いっぱいなんでしょうか。
ステージレースのエースとして2年契約、大いに期待したんですが、去年のツールはプロローグでハンドルが折れたり、大落車に巻き込まれたり、挙句に胃腸を壊して途中リタイア、今年は原因不明?の体調不良でツールもブエルタも欠場。
その間に同じタイプのブフマンが伸びてきたし、居場所がなくなっちゃいますねぇ。。。またどこかのチームで下働きに戻るのかなぁ。それともどこかのプロコンチームかなぁ。来年27歳、まだ伸びしろは随分あると思うんだけどねぇ。
にほんブログ村
明日から4つのステージで争われるステージレースですね。平地が2つ、起伏のあるステージが2つという構成のようですが、フィヨルドを間近に通るなかなか綺麗なコースみたいです。去年か一昨年か、誰かが野生のトナカイがいたと書いてました。
で、ボーラの当初のスタートリストには載ってなかったネルツの名前が、今見たら載ってますね。体調は戻ったのでしょうか? ここで出場ということは、どうやらブエルタに間に合ったのかな?
にほんブログ村
ようやく情報が出てきました。やっぱり体調不良みたいです。ユーロスポーツのHPに監督のデンクのインタビューが載っていて、最初の質問がこれでした。
……
ツール・ド・フランスのメンバーが発表されましたが、みんなが予想していた名前がありませんでした。ドミニク・ネルツです。なぜ彼はノミネートされなかったんですか?
……
答えはこんな感じ。
……
もちろん彼には出て欲しかった。ドゥフィネでも調子は上がっていたからね。だけど、その後何日か、また健康上の問題が生じた。残念だけど、その原因がわからないんだ。そして専門医に連れて行った。今週ずっと診察して、でも結果はまだ出ていない。残念だけど、ツールに参戦する状態にはないということだ。彼にとっても非常に残念だけど、うちのチームにとっても悲劇だ。彼も落ち込んでいるけど、スポーツの世界では思い通りにいかないことはよくあることだ。
……
しょうがないよねぇ。。。今年のツールの楽しみがひとつ消えてしまいました。ブエルタまでに回復してほしいものです。
にほんブログ村
やれやれ、こんなことだろうと思ったんですよ。グーグルで Dominik Nerz と打ち込むと候補の中に krank「体調不良」というワードとのセットが一番に出てくるんですよねぇ。。。このセットで検索する人がいるんでしょうね。
ドゥフィネも結局最終日リタイアだしね。きっと体調が悪いんだろうとは思っていたんですが、何しろ情報がいくら探しても出てきません。今年の初めにクリテリウム・アンテルナショナルで7位になって、いよいよ、と思ったらその後全くダメ。体調が悪いんだと信じて、とりあえず、ブエルタへの出場を期待するしかないですね ガッカシ)
というわけで、ボーラ・アルゴン18は来年もボーラがメインスポンサーで、ワールドツアーチーム昇格に向けて資金も予定が立っているようで、年棒400万ユーロ(4億7千万円)のサガンがティンコフ撤退に伴い、何人かのアシスト共々移籍するのではないか、というのは結構有力な情報のようです。
さらに、こっちはどうかなぁ、と思うんだけど、トニー・マルティンも来るのではないかという話まで radsportnews.comはぶち上げてますが、はてさて、こちらはどうかなぁ。。。
にほんブログ村
と言いつつも、何だか暗い世相の中、何だか忙しいし、家は片付かないし、あまり集中して見てなかったんですが。。。
最後はヴァウト・ブールス(ポエルスではありません 笑)がスプリントで勝ちました。スプリントをスローで見ると、一番体が振れずに綺麗に走っていましたね。この選手、名前はよく聞くけど、あまり派手なことがない選手でしたが。。。
それよりも何よりも、追走集団の中にボーラが一人混じっていましたが、ゴールした時の顔を見るとネルツだったんじゃないかなぁ??
監督のデンクはコンラートとブフマンが調子がいいので、この二人で勝負だと言っていたんですがね。何しろ直前のジロ・デル・トレンティノでは総合5位と8位になったこの二人に対して、ネルツは全くダメでいいところなしでしたからねぇ。今日のゼッケンだって、珍しくABC順ではなくコンラートに1番をつけさせていたし。。。
まあ、まだ10位までしか結果が出てないのですが、おそらく15位前後に入ったボーラの選手はネルツだと言っておきましょう。こんなことでもないとね。
にほんブログ村
コルシカ島で行われたクリテリウム・アンテルナショナル。初日は前半100キロ足らずのロードレース、後半個人TT、2日目は山頂ゴールの山岳ステージという組み合わせの小ステージレースですが、ボーラとしては大満足だったようです。初日の最初のレースでサム・ベネットがスプリントを制し、TTはスルーして 苦笑)最終日はネルツがステージ7位で、総合で7位になりました。ボーラに移ってから最高の成績でした。ものすごいハイテンポで始まり、スピードが落ちないままのレースで、最後の登りでは選手がどんどん千切れていく生き残りレースになったようです。ラスト2キロでクラドックがアタックした時についていけませんでした。
まずは監督のクリスチャン・ペマーの話です。「今日は非常にハードなステージだった。通常はこういう日は早めに逃げグループができて、集団は最後の上りまではのんびり走るものなんだけど、今日は全く違ったね。スピードが一日中速かった。そんなわけだから、最後の登りが始まった時には、すでに多くの選手が赤信号状態だったね。こういうレースはドミニクに向いてる。彼はレースのスピードが一日中とても速くて、最後はもう誰も激しく動けないような時に強さを発揮するんだ。彼は要するに高速で非常に長い時間走れるけど、スピードがコロコロ変わるのは苦手なんだ。今日みたいなレースだと、ずっとリミットで走り続けてきたから、誰もアタックできなくなっていた。ドミニクは今日は信じられないぐらい強さを見せたね。彼が隠していたものを、やっとこうやって見せてくれて、本当に誇らしいとともに、気が楽になったよ。彼がこの後、怪我や病気にならずに順調に準備をしてくれれば、きっと何かやってくれることは請け合うよ。彼はグランツールの総合でトップテンに入れる選手なんだ。」
このステージは最初の1時間が平均時速50キロを超えたそうで、かなり無茶苦茶なサバイバルレースになったみたいです。結果を見れば、途中リタイアが60人出てます。半数はリタイアでした。その中にはヴェークマンもケムナもヘアクロッツもいますねぇ。。。
でも、そういえば、ネルツが一番目立ったのはブエルタの激坂アングリルで4位になったのでしょうけど、あれも生き残り合戦みたいなレースでした。
何れにしても、去年が病気と怪我で全くいいところなしで、このところ話題にもあまり上りませんでしたが、やっぱりドイツで一番期待されているステージレーサーだと言われるのは、それなりに理由があるわけですね。まあ、そうは言ってもね、総合優勝争いができるようには絶対にならないでしょうけど。でも本当にトップテンに入れるようなら、応援のしがいもあるってもんですけどねぇ。
ドミニク・ネルツの話。「7位というのは僕にとって凄い成績だよ。去年はボロボロだったからね、今後のためにも自信になる。【5つあった山岳の】最初に逃げグループができそうになった時に、そこに加わろうとしたけど、うまくいかなかった。結果的にそれが幸いした。」
というわけで、ネルツ以外にも、ブフマンが13位、フォスが14位と、ボーラとしては良い週末だったと言えますね。
追記:YouTube にありました。埋め込んでおきます。
VIDEO 今年のネルツは青い靴ではなくなりました。4分ほどのところでピエール・ロランの後に千切れていくのがフォス、7分すぎに切れていったドイツチャンピオンマイヨがブフマンですね。6分ほどのところでアタックするジャン・クリストフ・ペローは靴が左は赤、右は青と違う色の靴を履いてます。自分の靴を片方忘れて、誰かに借りたんでしょうか? ネルツは相変わらずフォイクト風のフラフラした走り方です。残り2.3キロでクラドックがアタックした時に切れちゃいましたね。
にほんブログ村
うー、なんとも頻繁に止まるライブ・ストリームでした。ピノが昨日のTTに続き、登りゴールの第3ステージを制して総合も優勝でしたが、最後の小集団の中にドイツチャンピオンマイヨと、その前に黒いボーラと思しきマイヨが見えたので、ブフマンとネルツか、それともコンラートか、と見ていたんですが、先にブフマンが遅れて行き、選手名は出ないし、誰だか全くわからんぞ!とイライラしながら見ていました。ようやく最後にステージ順位が出て、7位にネルツの名前がありました。トップテンは久しぶりです。ただ、昨日のTTは全くダメでした。ボーラの中でも後ろから二番目。何かあったに違いない、と思っていたんですがね。今日の登りゴールでの調子を見ると、やっぱり今年もツールはエースで出てくるのではないかと期待します。
さて、ヘント〜ヴェフェルヘムを見ることにしましょうか。
にほんブログ村
ちょっと古いけど、ズデネック・スティバルが鮮やかな逃げ切りを果たした第二ステージ。ボーラ・アルゴン18はどうも良くないですねぇ。逃げグループにチェザーレ・ベネデッティを送り込み、ゴール前4キロの最後の上りまでは順調にいったようですが、そのあとが全員先頭集団から千切れて第二グループでゴールでした。
まずはコンラートの話です。「足がつってついていけなくなった。最後まで第一集団に入られたらよかったんだけど。でももう100%のリミットいっぱいだった」
ネルツは戦略的なミスを認めてます。「一番の問題は僕ら全員が集団の中でちょっと固まりすぎてて、最後の登りで前に着いて行くにはちょっと後ろの方にいすぎたっていうことだ。登りになってスピードが一気に上がったから前方へ行くことができなくなってしまった。僕らは先頭集団でゴールできると思っていたんだけど、ミスを犯してしまった。ワールド・ツアーレベルではこういうミスは命取りになる。でも僕は調子がいいと感じているから、この後まだ自信を持って走るよ。」
とはいえ、みんなトップと同タイムでゴールできた第3ステージ終了後の総合順位ではパウル・フォス、ドミニク・ネルツ、パトリック・コンラートが三人仲良く並んで1分54秒差で43、44、45位。もう一人のエマヌエル・ブフマンは3分10秒遅れで65位。
明日が山頂ゴールのステージですね。ここでフォスはともかくネルツとコンラートとブフマンになんとか上位に入って欲しいところですが。。。
にほんブログ村
2016年のボーラの目標はツールとブエルタでのワイルドカード獲得だそうですが、2017年の目標はワールド・ツアーチーム。そのためには現在の予算が倍にならないとダメだそうで、現在ドイツのさまざまな企業に第二スポンサーになるように働きかけているそうです。チームマネージャーのラルフ・デンクの言うところでは、ワールド・ツアーチームの予算は平均して一千三百五十万ユーロ(日本円では17億ぐらい)だそうです。基本的にはドイツの自転車産業にスポンサーになってほしいと考えているようです。
ただ、ワールド・ツアーチームになるためには大物選手が必要でしょう。デンクはこんなことを言ってますね。
「ドイツには4人半のトップ選手がいる。デーゲンコルプ、キッテル、マルティン、グライペルの4人とゲシュケだ。シーズンが終わったら【契約が満了する】デーゲンコルプとグライペルに話を持って行く。二人とも来てくれるかは、ちょっと難しいだろうけどね。」
ゲシュケは半人前のトップ選手のようです 笑) それはともかく、現在のボーラの看板選手はドイツチャンピオンでツールの山岳ステージで3位になったブフマンと、去年は病気と怪我で全くいなかったようなネルツの二人ですね。たしかにちょっとインパクトがないなぁ。今年はネルツが頑張ってくれないかと期待しているんですがねえ。。。
にほんブログ村
HP に監督のポイチュケのインタビューが載っていました。話題はシーズンオフの間の選手たちの練習についてです。
-------
選手たちはシーズン終了後、いつ再びトレーニングを開始するのでしょうか?
ポイチュケ: ウチのチームは1月終わりから10月半ばまでレースに出場した。こうした集中的なレースシーズンが終わった後は、選手たちは皆3週間の休息を取ることが大切だ。この時期はスイッチオフして、心身ともにリスタートし、来シーズンのエネルギーを蓄えなければならない。この時期は絶対的に重要だ。だから我々はどの選手も長く充分な休息を取らせたい。ウチの選手たちのほとんどは11月の第一週にトレーニングを再開する。非常に多くのレースを走ったり、あるいはシーズン中の疲労が顕著な選手に限り、休息はもう1週間ほど延長することになる。
この11月の時期、トレーニングの種類と目的はどのようなものでしょう?
ポ: 最初の週は集中的な特別トレーニングではなく基礎トレーニングになる。選手たちには穏やかな基礎トレーニングとパワートレーニングで練習を再開させる。2週間したらゆっくりと強度を高めていくことになる。これに加えて持続性を高めるトレーニングになるが、この目標は、シーズン中はおろそかになりがちな背筋と腹筋を鍛えることだ。こうしたトレーニングの第一段階はどの選手も同じで3,4週間続ける。12月になったら、春に絶好調に持って行きたい選手には別のトレーニングを用意する。
シーズンオフは通常の栄養摂取とは別のものを食べてしまいがちですが、体重増加はトレーニングのスタートに影響しますか?
ポ: 選手たちがシーズンオフに体脂肪を増やすのはウエルカムだよ。これも体調回復には必要なことだ。選手たちはシーズン中は体重もリミットまで絞ってとても僅かな体脂肪率で身体を動かすんだ。シーズン前にこれを蓄えることは、この後のトレーニングのためにも大切なんだ。加えて、それによって免疫力も高まる。特にいまの冬のシーズンは感染症にかかりやすいからね。
感染症は別にして、冬場のトレーニングでは、春のシーズンに臨んで、どのようなリスクがあるのでしょう?
ポ: 最も大きな危険は入れ込みすぎだね。だから選手たちはみんなトレーニングの始めは余り集中的なものではなく、穏やかなものから始めなくてはならないんだ。こうした張り切りすぎの傾向は、若く経験の浅い選手や、前のシーズンに不満がある選手によく見られることだ。彼らは次のシーズンにむけて極度にモチベーションを高めてしまって、この時期に頑張りすぎて、シーズンが始まるとそのしっぺ返しを食らうことになる。
通常選手たちは個人契約のトレーナーのもとでトレーニングすることになります。チームの監督としては選手やトレーナーとどのように連絡を取り合うのでしょう?
ポ: トレーニングを始めるにあたり、私たちはまず共通の規則を決めるんだ。そこにはなにより、どの選手もいつからが最初のレースに出場するかを知っていなければならない。シーズン前、11月終わりの最初のチームミーティングで、さらに細かく決める。そこでは選手全員と個別に話し合い、調子をどう整えるか、レースプログラムをどうするかを決めるんだ。このときに現在のトレーニングの状態を話し合い、トレーニング上でもし間違いがあれば、早めに修正することになる。
------
先日の
キッテル移籍の時にもちょっと触れたように 、選手たちは個人トレーナー(マネージャー)を雇っていて、基本的にはチームキャンプ以外はその指示で練習をしているんですね。
さて、15年シーズンには不満しかないでしょう、ネルツ君は入れ込みすぎないと良いんですがね。
にほんブログ村
UCIによって来シーズンのプロコンライセンスが認可されたそうです。ひょっとしてプロツアーチームへの昇格を狙うのかとも思ったんですが、現時点では上がってもなかなかつらいでしょうね。
新加入は拙ブログ期待の 笑)ジルヴィオ・ヘアクロッツ君やカチューシャで勝利を挙げたこともあるスプリンターのリュディガー・ゼーリヒなどで、全部で21人の陣容ということです。
今シーズンはドイツナショナルチャンピオンジャージをネオプロのエマヌエル・ブフマンが獲得し、ツールの山岳ステージでも3位になるというサプライズもありましたが、拙ブログ期待ナンバーワンのドミニク・ネルツはシーズンまえに体調を崩して出遅れ、ツールに間に合ったと思ったらプロローグでハンドルは外れるし、落車に巻き込まれるしで、半分も走らずリタイア、まったくパッとしませんでしたからねぇ。。。
にほんブログ村