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rsn のブーフマンインタビュー

2019.12.06.19:20

radsportnews.de に、今年のツールで地味に4位になったエマヌエル・ブーフマンのインタビューが出ていました。ツールの歴史を大きく見ると、誰も勝てそうにない強豪が現れて勝ち続ける時代があって、その合間に群雄割拠の時代があるという、ある種のパターンが見られます。

例えばルイゾン・ボベとアンクティルの間の56〜60年までは、ワルコウィヤクやシャルル・ガォルやバーモンテス、ネンチーニという一度だけツールに優勝する選手が勝っているし、アンクティルとメルクスの間の65〜68年も一度だけツールに勝つジモンディ、エマール、パンジョン、ヤンセンと日替わり(年替わり)優勝。メルクストイノーの間の75〜77はテヴネが2勝してますが、ファン・インプェが勝っている。イノーからレモンの間も、本来ならレモンの猟銃事故がなければ隙間がなかったんでしょうけど、レモンが復活するまではロッシュ、デルガドがツールでの唯一の勝利を挙げている。

インドゥラインからアームストロング(実際は優勝取り消しになるけど)の間もリース、ウルリヒ、パンターニといるし、インドゥラインからフルームの間の06〜12年は、コンタドールの2勝を除けば、ペレイロ、サストレ、アンディ・シュレク、エヴァンス、ウィギンズとみんな一勝。フルームの3連覇の後、トーマスとベルナルと続いて、まあフルームの復活もあるかもしれないけど、なんとなく印象としては18年以降は群雄割拠の時代ではないか、と思いたいところです。なので、ブーフマンが来年こっそりと地味に優勝して、ツールを是非とも盛り下げてほしいものです 笑)


rsn:ブーフマンさん、ツールではもう少し運が良ければ総合4位より上も可能だったのでは?

ブーフマン:もっと運が良かったら、というのは違います。不運がなかったらもっとやれたということです。その不運もそうたくさんではありません。チームTTでは優勝したユンボ・ヴィスマに47秒の差をつけられました【ユンボのクレイスヴェイクが、最終的にはブーフマンに25秒差で3位】。来年はチームTTがスケジュールに入ってません。運などなくても表彰台の可能性はあります。

r:悪天候により、最後の二つのステージがコース変更になったという不運もあったのでは?

ブ:ええ、最後から二つ目のステージは確かに私むきのコースでした。しかし私がタイムを稼げたか、それとも他の選手が私よりも強かったかは、後になってからでは言うことはできません。でも確かに私むきのステージだったことは間違いありません。

r:あなたには山岳でのアシストが欠けていましたね。でも今度はレンナルト・ケムナが入りました。これはあなたにとって重要なのでは?

ブ:とっても! この前のツールでは本当に山でアシストとして働いてくれたのはグレゴール・ミュールベルガーしかいませんでした。しかしユンボやイネオスのようなチームを見れば、3、4人の山のアシストがいましたから、違いは明らかでした。調子が良くないときや、トラブルがあった時にはアシストはとても重要です。

r:ツールでメンバーの息を合わせるために一緒にトレーニングできるように、ツールの前の段階で、トレーニングのチームが構成されるのですか?

ブ:ええ、グレゴールはいずれにせよそこに加わるでしょう。彼はそれに合わせています。今は私たちは、他に誰が一緒になるかを考えているところです。おそらくはフェリックス【グロースシャルトナー】かレンナルト【ケムナ】になるでしょう。しかしまだ決まったわけではありません。

r:ツールまでのあなたのプログラムは?

ブ:今年と同じです。まずマヨルカ・チャレンジに出て、それからUAEツアー、その後バスク一周、ドゥフィネがきて、ツールになります。

r:あなたをツールで支えてくれるはずのチームも一緒ですね?

ブ:はい、計画では私たちはいくつものレースを一緒に走ります。それによってお互いに調整していくはずです。


というわけで、来年はサガンはジロに出場が決まっていて、ツールも出てくるのかどうかが、ブーフマンのアシストに誰がなるか、とも直結しそうです。サガンのことだから両方出るのかもしれないけど、ひょっとして、今度はブーフマン全面バックアップの体制というのもありかなぁ。。。と思ったりもして 苦笑)


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2019年総括シリーズ、ジーモン・ゲシュケ

2019.12.04.23:59

なんてことでしょう。これをアップしようとしたら、アフガンで中村医師が銃撃されて亡くなったというニュースが飛び込んできました。さっきまでのニュースでは銃撃されたけど命に別状なしだったのに。通販生活などで何度も記事を読んでいました。心からご冥福をお祈りします。


今年からCCCに移籍して、これまでのアシストから自由に動ける立場になったんではないかと思われたんですが、何しろ移籍して最初のレース、ムルシア一周で落車して肘を骨折しましたからね。おかげで1月以上レースに出られず、やっとさあこれからと思ったら3月末のカムバックレース、カタロニア一周でまたまた落車。今度は鎖骨骨折で再び6週間の離脱。惨憺たるものでありました。

「春先については話す必要はないよね。最大の失望だった。僕はとてもよくシーズンの準備をすることができていたんだ。二回の落車の後もずっと、【走る距離が少なかったせいで】自分の調子が、きついレースになればなるほど上がらないっていう問題が解決しなかったね。」

その後は調子もまあまあになり、5月のツアー・オブ・カリフォルニアではステージ3位もあって調子も上がり、ドイツナショナル選手権ではザクセンリングのきついコースで6位。さらに直後の7回目のツールでは、上位には入れなかったものの、7回目の完走を果たしました。

「病院での長い入院、リハビリ、ローラー台でのトレーニングの後だったからカリフォルニアの成績は僕には特別なものだったよ。ツールでは何日かとても良い日があったけど、結局は以前のように安定してなかったってことだね。」

最も良かったのはその後で、ポーランド一周では山岳賞マイヨを手に入れ、ドイツ・ツールでもドイツ人最上位の総合12位でした。

「ポーランドとドイツ・ツールでは絶好調だったね。あんなに調子が良かったのは記憶にないな。残念ながら上位の成績はあげられなかったけど、こういうことってよくあることだよ。でも今シーズンで最高のことができたと言っていいよね。」

来年度はオリンピックも目標の一つだとのことですが、やっぱりアルデンヌクラシックで目立ちたいようです。

「僕はアルデンヌクラシックとツールのステージでの上位を狙っていきたいね。それと、2018年の個人TTでの好調さをもう一度取り戻したい。【来シーズンは】もっとアシストとしての働きが求められる母もしれないけど、レースをより厳しいものにしたいというのがチームの方針だから、僕の役割は今年と大きく変わることはないだろう。」

ゲシュケもなんだかんだ言っているうちに、すでに33歳。まあ、あと5年はできないでしょうから、この辺りでもう一度大きな優勝を狙いたいところですね。


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2019年総括シリーズ、リック・ツアベル

2019.12.01.21:00

何しろ父親が200勝ぐらいしてる人だから、今年のツール・ド・ヨークシャーでのステージ優勝がプロ入り初優勝だったとはちょっとびっくりですね。しかもいつの間にか25歳になってるし。。。

さて、そんなリック・ツアベル、今シーズンが4月から7月までだったらとても良いシーズンだったと言えるのでしょうけど。。。まず去年の冬場に鎖骨骨折して、2月には落車で脳震盪を起こし、しかもそれがわかったのが2週間後のことで、おかげで4月までレースに出られない状態が続きました。

だけど、ツール・ド・フランドル(ルンデ・ファン・フラーンデレン)は実質的にはトレーニング的なものと考えて出場したので途中リタイアでしたが、パリ〜ルーベではなんとか完走。すると5月のヨークシャー第2ステージで優勝し、6月のGPジッピンゲンでも8位入賞となりました。

さらに3年連続出場のツールではチームタイムトライアルで中心的に働き、5位という予想外の好成績を収めたんだけど二週目に入って発熱からドクターストップがかかってリタイアとなりました。これだけならまだしも、その後ウイルス性の感染症で、これによってメンバー入りしていたツアー・オブ・ブリテンやカナダのワールドツアーレース二つも欠場せざるを得なくなりました。

「レースに出れば調子は良かったし、自分のパフォーマンスにも満足できていたけど、単純にレースに出られたのが少なすぎたよね。4月から7月まで、実質3ヶ月だもん。でもその間だけはとても満足いくものだったよ。

ツールのリタイアはこれまでの僕のキャリアで最も大きな失望だった。ツールではものすごく調子がいいと感じていたし、ある朝突然病気になったって感じだよ。

来年はカチューシャ・アルペツィンはイスラエル・サイクリング・アカデミーになります。まあ、こういう時の通り一遍の発言ですが 笑)

「期待は大きいよ。素晴らしいチームだもん。チームメイトたちと会うのを楽しみにしている。あれこれ驚くこともあるだろうね。健康を維持して1月から10月まで高いレベルで走り続けられることが目標だよ。レースに勝つことは素晴らしいことだ。僕は【ヨークシャーで】それができることがわかったんだ。春先のクラシックレースも得意だからね。」


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マルティン、オリンピックはパス

2019.11.29.17:01

というニュースがrsnに出ていました。オリンピックのTTコースは55キロだけどとてもきついコースなのに対して、世界選は46キロでアップダウンもなだらかなコース。マルティンとしてはオリンピックで上位を目指すよりも世界選で5度目の世界チャンピオンを目指す方が良いと判断したようです。

ドイツは前回の世界選でマルティンがトップテンに入っているので、オリンピックのTTの出場枠は2名。これを誰にするかは個人ロードの出場選手との兼ね合いもあって難しそうです。というのは、オリンピックではTTに出場した二人も個人ロードの4人のメンバーに入れることになるからです。(前回リオではマルティンとゲシュケで、ゲシュケは思った以上の成績で13位に入りました)

オリンピックのコースから考えて、ドイツチームはブーフマンとシャハマンがエースになるでしょう。だけどシャハマンはともかく、ブーフマンがTTというのは如何なものか 笑) 可能性としてはポリットとケムナなんていうのもTTのメンツとしてはいいかもしれないけど、ポリットがオリンピックのコース向きかと言われるとかなり「?」です。

いっそTTは捨てて個人ロードのためのメンバーを選んでいくのか、それともTTも狙うのか。。。アブハチ取らずなんていう言葉が思い浮かびます 笑)


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ポリット、イスラエル・サイクリング・アカデミーへ

2019.11.28.09:55

カチューシャ・アルペツィンがイスラエル・サイクリング・アカデミーと合併?することで、すでにリック・ツァーベル始め6人の選手のイスラエル・サイクリング・アカデミーで走ることが決まっていましたが、ニルス・ポリットの情報がこれまで出てませんでした。

しかしどうやらポリットもツァーベルの後を追うことが正式に決まったようです。

「もちろんカチューシャの選手たちみんなにとって難しいものがあったけど、僕は今状況が明確になれたのでラッキーだった。イスラエル・サイクリング・アカデミーの一員になれたのはとても嬉しいし、このチームに加われたのはとても楽しみだ。」

すでに37歳の大ベテラン・グライペルもここに加わっているわけで、ポリットとしてはグライペルにも期待するところがあるようです。

「このチームで僕はたくさん学べる。特にクラシックに関してね。カチューシャではベテラン選手があまりいなかった。今度はグライペルや他の強い選手たちがいるから、春のクラシックでは良い成績を挙げられるだろうね。無論去年も素晴らしい結果だったけど、イスラエル・サイクリング・アカデミーではもっと良い成績を挙げたい。」

去年はパリ〜ルーベで2位、フランドルでは5位でしたからね。もっと良い成績というと優勝しかないやないの! 笑)


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ケムナ、今シーズンの総括

2019.11.25.18:23

というわけで、山本太郎は日本各地を飛び回って街頭で市民と交流。すごいのは市民の質問などにその場で答える知識量の豊富さと、即座に反応する反射神経。ある特定分野に詳しい国会議員はいるだろうけど、これだけ様々な問題に精通し、喋りもうまく説得力のある表現のできる議員は他にいないでしょうね。まあ、これはまた別の機会に書くことにして、恒例のrsnの今シーズンの総括シリーズです。 笑)


まずはケムナが出てきました。拙ブログでもサブカテゴリーに追加したわけで、一昨年の世界選U23で2位になって、個人的に思いっきり期待しているんですがね。去年、今年の前半と体調を崩して、そもそもがレースに出られない状態が続きました。今シーズンはツール・ド・スイスの最難関のゴッタルト峠のステージで9位になり、総合での17位でした。その成績が考慮されて急遽ツールにも出場できたのでした。

ツールでは最終週の山岳ステージで2回のトップテン入りでしたね。

「春はつらかった。でもツール・ド・ロマンディの後からは調子が良くなって、ツール・ド・スイスとツール・ド・フランスに間に合い、どちらでも予期していた以上に良い走りができた。今シーズンには満足しているよ。

ツール・ド・スイスでは9日間常に全開状態だった。でもおかげでツールのための体力がついたんだと思う。調子が絶好調だと思っていたツール直前のドイツナショナル選手権は、自分で期待していたんだけど、リタイアでがっかりした。なのにツールはどんどん調子が良くなったね。もちろん今年のハイライトだったよ。ブリュッセルでの最初の3日間は、他では絶対味わえないような物凄さだった。」

来年度はサンウェブからボーラ・ハンスグローエへ移籍が決まっています。おそらくは3つのグランツールのどれかで山岳のアシストとして参加することになるんでしょうけど、TTが強い(ジュニアの時は世界チャンピオンでした)から26、7歳を目標に、グランツールで優勝争いができるような選手になれると良いなぁ。


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rsn. デーゲンコルプインタビュー

2019.11.22.17:34

というわけで、このところ仕事の後に友川カズキライブへ直行し、しかも打ち上げに参加して午前様で帰宅、寝不足状態で、すっかりこの記事を出しそびれてしまいました。19日付のものです。

来年度から2年契約でロット・スゥダルに移籍が決まっているデーゲンコルプに rsn がインタビューしました。

トレックでは去年のツールで初のステージ優勝を遂げたのに、今年はツールのメンバーになれませんでした。これについてはこのように言ってます。

「ツールに出場できなかったから、別のチームを探したわけではないよ。トレックから移ることを決めた理由は、決してそれではない。」

ただ、この理由については明確には言わなかったようです。で、現時点では、ツールのことよりも、むしろハードなヨークシャーの世界選で最後まで走れたことで再びクラシック狙いに照準を定めているとのこと。

「すでに最初のチームミーティングで大雑把な方向性を話し合った。まずはクラシックだ。僕らはチームをより高いレベルへ持って行きたいんだ。そしてこれまでよりももっと多くの成功を目指したい。」

ロット・スゥダルはティーシ・ベノートがいなくなって代わりにデーゲとジルベールが入ってきたということで、どういう序列にするか、迷うところじゃないかと思うんですがね。他にもスプリンターのカレブ・ユアンがいるし、クラシック狙いのティム・ヴェレンスもいるし。。。

「ジルベールと僕がロット・スゥダルへ移籍することはブエルタの時点ですでにわかっていた。だからレース中に彼とはいろんなことを話す時間があった。そしてお互いにとても分かり合えたと思うよ。春にはもっと多くの選手たちと会うことになるけど、チームの体制を固めるためには冬のうちにすでにやることがあるだろうね。」

ということで、来春、どのレースに出るかはまだ未定とのことです。


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フレーリンガーのインタビュー

2019.11.18.16:28

rsnに記事が載っていました。こんなことを言ってます。

「今辞めるとは思ってなかったよ。肉体的にも精神的にもまだプロのレベルにあると思ってるからね。でも簡単にやめちゃうのは嫌だったから、幾つかのチームにも話をしてみたんだ。」

「僕は100%このスポーツに集中し、余暇には趣味に没頭したいと思ってきたんだ。そしてそのバランスをうまく取れてきたと思っている。プロ自転車レースはハードな仕事だけど、僕はそこから楽しみを失うことはなかった。このスポーツのない新しい生活はほとんど想像もつかないね。」

この後はまずはプロ自転車競技とは距離を置いて、トレーナーのための勉強を始めるそうです。基礎から勉強したいので、大学へ行くかコーチングのセミナーへ行く予定だとのこと。

「まずは子供たちとやりたいんだ。その後、僕がどの方向へ向かうかを決めるつもりなんだよ。プロの自転車レース界へ戻ってくることも原則的に視野に入れてある。だから将来のことは期待しているんだ。」

「僕の才能はそんなに大きくない。アマチュア時代からスプリントがなかったから優勝はほとんどできなかった。でも、自分のキャリアには満足しているし誇りに思っているよ。今はもうこれ以上続けることができないと慌てる必要はないさ。」

フレーリンガーは結局プロでは一勝もあげられませんでした。先日も書いたように、惜しかったのが二つありました。

まずは2008年のジロ・ディ・イタリアの第5ステージ。5人の逃げグループから残り900メートルでロバート・ミラーがメカトラで脱落し、そのタイミングでパーヴェル・ブルットのアタックが決まってしまったのでした。次のYouTubeでは30分45秒~38分ぐらいです。ミラーが怒りに任せて自転車を投げ捨てたのをカメラも追って、おかげでカメラが戻ったらブルットが逃げてました 笑)



もう一つは2009年のツールの第7ステージ。9人の逃げが決まって最後のアンドラ・アルカリスへの登りでも生き残って3位。



これだけ見るとプロで13年やって0勝というのが信じられませんが、何しろこの10年ほどでチームでの役割分担がものすごく厳格になってしまいましたからね。2011年ごろからのフレーリンガーのチーム内での役割は完全にチームの司令塔役と若手選手の指示役になりました。でもスキル・シマノ時代のキッテルやデーゲンコルプの活躍はフレーリンガーの力も大きかったのでしょう。そうでなければ、こんな地味な選手が13年もプロ生活を続けられないでしょうね。

もう少しTTが速ければ、短いステージレースでの上位も狙えたんだろうけどねぇ。。。私としては2010年のジャパンカップ以来、図々しく彼のブログにコメントして強引にメールでブログ紹介のOKを貰ったりしたし、サブカテのフレーリンガーは200以上記事を書いているので、ちょっと寂しいです。

フレーリンガーの話です。「100から0へというわけにはいかないだろう。自転車に乗るのは大好きだからね。11月の単調な日々をトレーニングの計画なしで過ごすのは変だよ。自転車に乗りたいし乗る気は満々だよ。もう今から次のマウンテンバイクでのサイクリングが待ち遠しくてしょうがない。」

いつの日にか、コーチとか監督として、どこかドイツのチームを率いる姿が見られますかね?


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フレーリンガー引退

2019.11.16.14:16

ヨハネス・フレーリンガー、拙ブログではサブカテまで作って、一時期は一生懸命応援していたんですが、とうとう引退です。この数年はアシストおよびキャプテン・ド・ラ・クールス(指示役)で、上位になることも、逃げ集団に乗ることも滅多になくなってしまい、拙ブログとしても忘れてしまったんですが 苦笑)

2009年のジャパンCに来ていて、その時7位に入り、メールでブログを紹介してもいいと許可をもらって、随分長期にわたって更新されるたびに拙ブログで紹介してきました。特に2012年のブエルタは土井選手の出場もあって、土井選手とデーゲンコルプとフレーリンガーとゲシュケと大にぎわいの時期でしたっけhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1060.html

いつの間にか34歳で、

「10代の頃からプロ選手になるのが夢だったし、こんなに長く(13年間)この夢の中で生活できたんだからとても幸せだよ。」

2007年に生まれた町のチーム、ゲロルスタイナーでプロ生活を始め、2009年にミルラムへ移り、2011年からは現在のサンウェブの前身スキル・シマノでした。プロ生活での勝利はなし。最高成績は2008年のジロ第5ステージの2位と、2009年のツールの第7ステージのアンドラ・アルカリスゴールの山岳ステージでの3位。だけど、グランツールには15回出場(特にブエルタは10回出場)ですから、オールラウンダーとして重宝がられたのでしょう。ただ、今シーズンはグランツールにはとうとう出場できませんでした。

今後はトレーナーとして勉強する予定だということです。その後プロ自転車競技の世界に戻れれば、と言ってます。


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レイモン・プリドール頌

2019.11.14.10:08

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我が家にあった当時モノのキーホルダー。プリドールが二つありました。無論オークション 笑)

さらに我が家にあるミロワール誌で一番古い1976年のものから。この年がプリドール最後のツールで、一方、この後一世を風靡するフレディ・マルテンスがツール初出場となったのでした。この歳プリドールは40歳で総合3位になってます。マルテンスの方は総合8位でスプリント賞獲得。

IMG_3786.jpg

しかし主なレースの記録を見ると、プリドール、やっぱり2位とか3位が目立ちますね。世界選手権では74年の2位は昨日も書きましたが、61、64、66年と3回3位になってます。

ツールでは3回の2位と5回の3位。大きなレースで優勝がないのか、と言われれば、そんなことはありません。ブエルタでは64年優勝、パリ〜ニースも2勝しているし、クラシックではミラノ〜サンレモやフレッシュ・ワロンヌも優勝してます。フランスのナショナルチャンピオンにもなってますね。

何しろ人気があった選手で、ある時期のフランスの人気投票で好きなフランス人ナンバーワンに輝いたそうですし、惜しいところで勝てなかったことが、さらにその人気をヒートアップさせていったのでしょう。そして1960年にプロ入りしてから77年の引退まで、一貫してメルシエ・チームで走り続けたことでも有名です。無論メルシエはサブスポンサーが次々変わるので、メルシエXXに名称が変わったり、逆にサブスポンサーになってXXメルシェになったりするんですけど、より良い待遇を求めてチームを変えるのが常識の世界で、こうした一本気なところも、そして何より、愚直で誠実であまりベラベラホラを吹かないところも人気の原因だったのかもしれません。


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プリドール死去

2019.11.13.22:53

と言うわけで、最近は往年の名選手の死や病気ばかりが拙ブログのニュースになっております。

最近ではクロスの世界チャンピオンでロードでも参戦すれば台風の目になっているマチュー・ファン・デル・プールのおじいちゃんとして有名ですが、フランスではある時期、間違いなく一番愛されたフランス人の一人だったはずです。

アンクティルの全盛期、そしてそのあとにはメルクスが登場と、ツールに5勝する二人を前に、とうとうマイヨ・ジョーヌを一度も着ることができず、彼ら最大のライバルたちがいなかった時には落車でリタイア(1968年、73年)したり、ジモンディやエマールにマイヨ・ジョーヌをまんまとかっさらわれたり、運がなかったと言われる選手。15年に渡りツールに出場し、その間8回3位以内に入りながら、とうとう1位はなかった選手。

まあ、本人は自分はブエルタにも勝ってるし、プロで200勝近くあげているんだ、と胸を張っていたようですが。世界選手権でも74年にメルクスに次いで2位。そしてツール100年の時のアンケートで史上最高のツールとされた64年、もうツールのコースになることはないであろう、ル・ピュイ・ド・ドームで、総合優勝するアンクティルと肘をぶつけ合う激しいバトルを見せながら、55秒差でやっぱり2位。ツールの歴史には万年2位とか、不運を絵に描いたような選手が何人もいますが、そんな中でも最も印象的な選手の一人だったと思われます。

前にも何度か書いたことですが、プリドールにとって最大のライバルだったアンクティルが53歳で亡くなる時、プリドールは死の直前(前日と書いてある資料もあります)にアンクティルを見舞いに行くと、アンクティルはこう言ったそうです。

「レイモン、悪いな、また君は僕より後だ」

今、アンクティルに遅れること三十年以上遅れてゴールしたプリドール、先にゴールしたアンクティルは彼を笑顔で迎えてくれた、と願ってやみません。

合掌。


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チポッリーニの心臓手術

2019.11.10.10:56

マリオ・チポッリーニって言っても、今の若い自転車ファンは知らないでしょうねぇ。5時間の手術でステントを入れたということです。

チポッリーニは、知らなかったんだけど、離婚した奥さんからDVで訴えられていたんですね。10月に裁判所で聴聞があって、その後倒れたそうで、手術自体は2週間前に行われていたそうです。やっと状態が安定して公の場にも出てこれるようになったとのこと。

医者は、「想像以上に深刻な状態だった。死んでもおかしくなかった」なんて言ってます。冠動脈の異常で引退後に何度か問題視されていたそうです。

チポッリーニの話。「笑っちゃうぜ、だってアスリートとして健康で強くパーフェクトだったのに、今はそうではないんだ。山でも風に向かってでも、500ワットで走れていたのに、何か正常じゃないって気になっていた。現役時代に酷使しすぎたんだな。遺伝的な問題だとさ。」

チポッリーニというとゴール直前で両手を上げて後ろを振り向くパフォーマンスで有名でしたが、個人的にはあまり好きではありませんでした。というか、むしろ嫌いでしたね。他にも変なマイヨのパフォーマンスもあまり気に入らなかったかなぁ。なので、当時チッポのライバルのジャモリジーヌ・アブドゥヤパロフやエリック・ツァーベルを贔屓にしてました。個人的にチッポというとすぐに思い出すのはこのシーン 笑) 1992年のヘント・ヴェフェルヘム。15分ありますが、見所は最後の5分。



先頭でゴールラインを超えたアブドが表彰式までやってますが、もちろんその後降格で、優勝はチポッリーニです。ただ、このビデオを見直すと、怒ったチポッリーニは途中で踏むのをやめて、危うくヨハン・カピオに差されそうになってますね。

アブドの名誉 笑)のために書いておくと、前年度はアブドゥがチポッリーニを押さえ込むようにして優勝してます。まあ、92年は前年のお返しとばかりにチッポがアブドを押さえ込もうとしてるので、思わず手が出て、ついでにカタパルトしちゃったのかもしれませんね 笑)


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2年ぶりのさいたまクリテ

2019.10.27.23:07

いやあ、行ってきました。午前中はちょっと色々あって、12時過ぎに家を出発。自転車で1時間強。道が分かりづらくて疲れたわ。

まあ、ベルナルのマイヨ・ジョーヌは当たり前として、ログリッチのマイヨ・ロホは、ん? なんでログリッチが赤いマイヨを着てるのかって、びっくりしましたよ。 思わず「満艦飾」という言葉を思い出しましたわ。
ベルナル・ログリッチ

それ以外にもなんでログリッ「チ」ではなく「チェ」?? 一方でクヴィアトコフスキのファーストネームがなんでミカル?? さらにはロメン・バルデ? さらにフグルサング?? なんかよくわからんなぁ。ログリッチだし、ミヒャウ、ロマンだしフルサン(グ)だよ。

というわけで、序盤はロマン・バルデとヨハン・フルサンを含む数人が逃げるという展開で、ラスト3周ぐらいでアラシロ君とフルサンが逃げ、フルサンが遅れて、後ろからプリモシュ・ログリッチとエガン・ベルナルが追いかけて、というイヂワルな言い方をすればお約束通り。まあ、アラシロ君の優勝を狙う走りはマジだったとは思うけどね。
フルサン・アラシロ

というわけで、帰り道はやっぱり道を間違えました 笑)


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クネゴの講演会

2019.10.18.21:29

うーん、JOCがいい加減だからか、とうとう業を煮やしてIOCから提案ですかね。救急車が走り回るオリンピックになったらまずいもんね。しかし北方領土でやったら、って都知事が反発って、どこがアスリートファーストだよ。

というわけで、昨夜は目黒の自転車総合ビルでダミアーノ・クネゴのセミナー「チャンピオンの誕生の秘密、ダミアーノ・クネゴ、リトル・プリンスと呼ばれた男」が開催されました。ミーハーの私としては無論サインゲットと、肩組んで一緒に写真ゲットでありました 笑) FBでは公開しましたが、ここではやめておきます 苦笑)



主にクネゴの経歴が話題で、最初のスポーツはアイスホッケーから始まり、陸上をやって15歳になってから自転車のチームに入ったということで(しかも15歳では遅すぎると多くのチームに入団拒否されたそうです)、かなり遅いスタートでしたが、すでにその3年足らず後にジュニアの世界チャンピオンになっていて、陸上競技で鍛えたおかげだとのことでした。通訳は以前ここでイタリアの自転車競技の話をしてくれたマルコ・ファヴァロさん

IMG_3658.jpg

写真でもわかるように、小柄だけど足が太いので純粋なクライマーではないとか言ってましたね。それと全力スプリントが200メートル持続できるということで、おかげでいくつものレースで、スプリンターではないのに、ゴールスプリントで勝てたと。

IMG_3659.jpg

講演が終わった後、懇親会があり、モトを取ろうとつい酒に意地汚い本性が出てしまいました 笑) ところで、リトル・プリンスというクネゴのあだ名ですが、あるジャーナリストがつけたと言っていましたが、これってサン・テグジュペリの「星の王子さま」のことではないのかなぁ? そして顔立ちが、私としては栗村系だと思ったりしたのですが 笑)


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シャハマンのインタビュー

2019.10.14.23:17

なんだか自分の住んでいるところは思っていたより風もなく、夜中のうちに雨が強く降っただけだったような印象だったのですが、各地ではひどいことになっていたようです。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。

さて、昨夜のパリ〜ツールは残り50キロで単独で追走に入り、みるみるうちに先頭を走っていたディフェンディングチャンピオンのクラウ・アナーセンを追い越して、あとは45キロぐらいをソロで逃げ切ったイェレ・ワライスが優勝でしたが、なんか秋口のプチ・パリ〜ルーベって感じでしたね。

で、今日のテーマはやっと復帰したと思ったら、すぐにシーズンオフになってしまうドイツチャンピオンのマキシミリアン・シャハマンのインタビューです。rsn に載っていました。骨折後復帰まで2ヶ月半かかったんですが、どうもその後ウィルス性の疾患で体調を崩したこともあったようです。

rsn: シャハマンさん、シーズンの終わりにまたレースに参加できるようになるっていうのはどんな気分?

シャハマン: 嬉しいよ。いい気分だよ。事故って手の手術をした後、6日後からローラー台に乗り始めたんだ。その後ハードトレーニングをこなせるようになった。だけど再びロードに出られるようになったらすぐ体調を崩してしまったんだ。ウィルス性のものだったんだけど。結局体調が戻るまで3週間かかった。それから随分トレーニングを積んでものすごく頑張ったんだけど、ブエルタの後ではみんな調子がピークになってるからね。復帰は簡単なことじゃあないよね。

r: 世界選はどうやって見てたの? コースはあなたに向いていたし、出てればエースだっただろうけど。

シャ: うん、コースはとっても面白そうだった。レースは家で見ていたよ。どうしようもないからね。残念だとは思わなかったよ。僕としては客観的に見て、みんながどう走るのかを観察していた。

r: 何か勉強になった?

シャ: ああいう極端に長い距離で、しかも特にあれだけひどい天候の場合はいつでも驚くべきことが起きるってことを改めて教えられたよ。

r: 手の調子はどうなの?

シャ: 小指がまだ動きがぎこちない。リハビリがもっと必要だ。走っているとき、まだ手には痛みがある。筋肉が落ちちゃってるから、ブレーキのかけ方をまた練習しなくちゃ。

r: それでは、今回のシーズン末のレースは順位は気にせず、むしろ来シーズンのための土台作りと考えるべきでしょうか?

シャ: うん、今は来年のことを考えているよ。

r: フランスでの落車から学んだことは?

シャ: 結果を求めて走るときにはいつでもリスクをかけることになる。フランスでは残念ながら上手くいかなかった。でもそういうことはよく起きることだ。将来のために学んだのは、落車を避けるためには、今後、いい気になって結果を求める気持ちに少しブレーキをかけるってことかな。


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イル・ロンバルディアはモレマ

2019.10.12.23:46

木の葉がハラハラと舞っていました。残り40キロぐらいから、ボーラはマイカが逃げ、その後ブーフマンが逃げて、後ろでイタリアチャンプのフォルモロが足を休められ、これは良いかも、と思ったんですがね。グラン・ピエモンテでブーフマンは最後まで頑張って4位に入れたんで少し期待していたんですけどねぇ。

しかし残り10キロで50秒ほど離れたモレマにログリッチが追撃アタック。残り7キロで37秒差。1キロで5秒詰められれば35秒を詰めて、ひょっとして追いつくか、と思ったんですが、ありがちだけど、前に追いつかず、後ろに追いつかれたらペースが一気に落ちちゃいました。

ボーラとしては途中までは3人でうまく走れていたような気がしたんだけど、結局モレマが逃げた後、追走のスピードが上がったところで3人とも離れ、最終的には追いついたり離れたりのまま、最終的にはブーフマンが8位に入ったのは、まあ立派といえるだろうけど。。。

結局アタックは一発で決めなくちゃいけませんね。モレマが一発で決めたのに対して、ブーフマンはよくやったけど、残り25キロぐらいでヴェレンスと一緒の逃げは結局捕まってしまいましたからね。あれがチョイ逃げだったとは思わないけど、タイミング的には早すぎだったかなぁ。。。先頭集団のメンツが良かったからね、あの程度の逃げは捕まっちゃいますよね。

とまあ、後から思えば、ということですけどね 苦笑)


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シャハマン、レース復帰

2019.10.06.17:57

少し前にここに、シャハマンのニュースが全く出てこないと書いたんですが、出てきました。ボーラ・ハンスグローエのツィートでシーズン最後のイタリアの4つのレースのメンバーの名前が8人上がっています。このうち4人がナショナルチャンピオンですね。

チェザーレ・ベネデッティ
エマヌエル・ブーフマン
ダヴィデ・フォルモロ⭐︎
パトリック・コンラート⭐︎
ラファウ・マイカ
ゴレゴール・ミュールベルガー ユライ・サガン⭐︎
マキシミリアン・シャハマン⭐︎
(国旗の右の⭐︎がナショナルチャンピオン)

このメンバーで8日のトレ・ヴァッリ・ヴァレジーネ、9日のミラノ〜トリノ、10日のグラン・ピエモンテ、そして12日のイル・ロンバルディアに参加ですが、出場メンバーは各レース7人なので、上記のメンバーのうちフォルモロ、コンラート、サガンは2つから3つのレースに出場となり、他の選手は4レース出場です。残念ながら4人のナショナルチャンピオンが一緒に出るのはないけど、なかなか壮観です。

もちろん一番の目標は最後のモニュメントのイル・ロンバルディアですね。ボーラとしては過去3位になったこともあり、去年も7位になったラファウ・マイカがエースでしょうけど、パトリック・コンラートもこのレースとは相性がいいみたいだし、ツールの山岳で存在感を示したブーフマンもチャンスはあるでしょう。

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ファン・デル・プール、日本に来ない!

2019.10.03.10:37

世界選、残り12キロで潰れて衝撃を与えた 笑)マチュー・ファン・デル・プール。ロードもシクロクロスもマウンテンも、なんでもやるぜ、っていう自転車界の大谷翔平みたいな選手ですが、当初は東京へ来て、週末のマウンテンバイクのオリンピックコースでのテストイベントを走る予定だったようですが、世界選の結果を見て、チームのコレンドン・サーカスが計画を変更しました。残念。とは言っても、今週末は動きが取れないからどうせ見に行けないんだけど 苦笑)

チーム広報は「時差ボケがある日本でのレースでマチューがさらにストレスを溜めるのは避けたい」と言っています。世界選の結果は、肉体的以上に精神的にショックだったのでしょうね。代わりに今日のドイツ再統一の日10月3日に行われるドイツのミュンスターラント・ジロに参加だそうです。

先のチーム広報は「素晴らしいロードシーズンをうまく締めくくるチャンス」と言ってますが、ドイツ人選手たちがみんな狙っているレースですからねぇ。果たしてうまく締めくくれるのでしょうか?


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世界選、ポリットとデーゲの話

2019.10.01.23:04

ドイツ人選手としては、今回の世界選で期待できそうだったのはコース的にはおそらくマキシミリアン・シャハマンだっただろうと思われますが、何しろツールで自爆して大怪我してしまいました。そう考えると、ポリットは良くやったと言えるでしょうね。成績的にはデーゲンコルプが7位争いのスプリントで15位止まり、ポリットは19位でした。

デーゲは胃の調子があまり良くなかったようですが、本人は結果に満足しているようです。「今日はちょっと胃の調子が良くなかったんだ。でも足の調子はいいのはわかっていた。残念ながら上位にはいけなかったけどね。」

一方のポリットは残り35キロでアタックしたけど、それに合わせてカウンターアタックをかけたトレンティンについていけませんでした。ついていけたのはファン・デル・プールだけ(だけどそのファン・デル・プールは残り12、3キロで一気に脱落したのはびっくりでしたが)。結果論かもしれないけど、あそこで付いていけたら優勝争いに加われたんだけどね。ということは、レースのポイントを作ったわけで、レース勘としてはドンピシャだったと言えるわけです 苦笑)

ポリットの話です。「あの周回で決まるとピンと来たんだ。それでアタックしてみた。それに合わせてトレンティンが後ろから来たんだけど、僕はそれに気づくのが遅れてしまった。後ろからカウンターアタックされて、それにファン・デル・プールがくっついていった。僕としてはペストルベルガーとトェンスと一緒だったから追いつけると思ったんだけど、そうはいかなかった。あと100メートルだったと思うけどね。【その後もう一度ソロアタックしたけど届かず、あとはデーゲンコルプのアシストをした】 僕らはやれることは全部した。最終週ではジョンのために走った。だって二人のうち彼のほうがスプリントがあるからね。もちろんトップテンになったらよかったけど、良いレースをしたと思っているよ。僕は攻撃的に走りたいと思っていたんだ。それはやれたと思っている。」

そう言えば、シャハマンはその後どうしているんでしょうねぇ。rsn にはニュースが全然出てこないけど。。。


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ペダーセン、誰?

2019.09.30.17:10

しかし世界選手権は今年は完全に雨に祟られました。当然落車も多くなり、196人中46人しか完走できませんでした。今朝になってYouTubeで見たんですが、道が濡れてる上に狭いから伴走車が詰まっちゃって、伴走車と絡んで落車なんてのもあったようです。ひょっとして、と思っていたエフェネプールもジルベールの落車で一緒に止まって、ジルベールが止めるのと一緒にやめちゃいました。

最後に残った3人から考えれば、スプリンターのトレンティンが優勝だろうと思うところですが、マッツ・ペダーセンがスプリントで強さを見せました。

ペダーセンの話「信じられないよ、今朝スタートした時には全く期待もしてなかったからね。最後は早めにアタックして、ヴァルグレンとフルサンが追いついてきてくれるはずだったんだ。ところがファン・デル・プールとトレンティンが追いついてきて、彼らはついてこなかった。そこで、もう僕は生き残ることだけ、ただそれだけを考え続け、最後は一番良いスプリントができるようにと願っていたんだ。ゴールラインが見えた時には辛さなんか吹っ飛んで、ただ良いスプリントをすることだけ願っていたんだ。6時間半も自転車に乗っていて、みんな限界に来ていたから、このスプリントではなんだってありえると思っていたよ。みんながアルカンシェルマイヨを着たいと思っているんだ。それを僕が着れるなんて信じられないよ。」

印象に残ったのは35キロぐらいのポリットのアタック不発、13キロぐらいで突然ハンガーノックでも起こしたか、マチュー・ファン・デル・プールが一気に遅れたシーン、そして最後のサガンのアタックというところでしょうか 苦笑)

デンマーク人初のロードの世界チャンピオンです。ペダーセンは全く無名というわけではなく、すでに10勝ぐらいしているみたいですが、しかし勝ってから、やっぱりねと言われる選手ではなかったと思います。過去には世界チャンピオンになっただけという選手も結構いますが 笑)、オスカル・フレイレやマウリツィオ・フォンドリエストみたいに、世界チャンプになった時は無名に近かったけど、その後大選手になったというパターンもあります。はてさて?


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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、クラシック音楽(特にバッハ)、友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎても困るが)。少し前から草食動物と化そうと「努力」しています。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとして、こちらにも通知されないまま、ゴミ箱に入れられてしまいます。これは管理ページで迷惑メールをチェックすれば見られるのですが、そんなところは滅多にチェックしないので、承認待ちの印が表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す

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