(rsn)日本ではほとんど話題にならず、拙ブログのごくごく一部の方からご支持を頂いているこのニュース 笑)、UCI会長のクックソンは第三者機関CIRC(Cycling Independent Reform Commission)の提言を受けて、アンチドーピングの闘いをより効果的なものにするよう早急に改革をするそうです。
「われわれは厳しい決断をすることに怖じ気づいてはいけない」ということで、将来ドーピングコントロールは23時〜6時の間に行うようにするつもりだとのこと。それ以外にもチーム監督及びドクターをより厳しく監視し、さらには内部告発の意志がある人のための匿名ホットラインも整備すると言っています。
CIRCの報告はアームストロングと当時のUCI上層部との癒着の問題だけでなく、現在の状況についてもいろいろ提言を出しているようで、頻繁にアンチ・ドーピング規定違反が生じる自転車界に苦言を呈している、ということです。
たしかにねぇ。つい数日前にもAG2RのモンドリイがEPO陽性でチーム解雇になっていますしね。
しかし、なぜコントロールを夜中にするんでしょうね? どういう意味があるのかなぁ。

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radsport-news.com によると、UCIの現会長ブライアン・クックソンは前々会長で、UCI名誉会長の職にあるヘイン・フェルブリュッヘンに親書を送り、名誉会長職を辞するべきであると言ったようです。クックソンの言うところでは、将来にわたり自転車競技界で一切の役職に就くべきではない、ということですね。以下、rsnの記事によります。
フェルブリュッヘンは目下UCIの名誉会長だけでなく、国際オリンピック委員会IOCの名誉会員でもあるそうです。個人的には非常に残念だけど、金銭授受の証拠は見つからなかったということで、法的な処分はありえないんでしょう。ただ、ドーピング検査で、アームストロングだけを格別に優遇した理由が、自転車競技界のことを考えた上でのことだ、というのは、まあ、ちょっと信じられないですよね。
いずれにしてもCIRC(独立第三者機関)の報告には、アンチ・ドーピング規定に違反するいろんな例があがっているらしいです。ドーピングに陽性になったあとから、実はその薬は治療で必要だったんだ、といって処方証明を提出すれば、それで不問にされたなんていう例も出てますね。むろん、アンチ・ドーピング規定ではそういうことがあれば処方証明は先に出していなければならないはずなんですが。ただ、この例は1997年の世界戦で優勝したローラン・ブロシャールや1999年のアームストロングなど、たくさんあるようです。
他にもアームストロングがカムバックするといって2009年のツール・ダウンアンダーに出場表明したときに、ドーピング検査対象リスト(RTP)に入っていなかったにもかかわらずUCIはそれを認め、しかもそれを発表した同じ日に、アームストロングはツアー・オブ・アイルランドにも出場を表明。しかしこのレース、その時のUCI会長マッケイドの兄弟が共同主催者だったんですね。これってかなり露骨。まあ、安倍みたいなもので、人々を甘く見て、ここまでやっても大丈夫って、どんどん図に乗っていったんでしょう。
2001年のツール・ド・スイスでは検査結果がEPOの「可能性が非常に疑われる」だったのを、わざわざアームストロングにUCIがその結果を教えています。これって、おいおい、気をつけてくれよ、これ以上やるとばれるぞ、って警告しているようなものじゃないの?
さらに火の粉はアルベルト・コンタドールにも飛び火。2010年のクレンブテロールの陽性の時も、わざわざUCIの上層部の人たちがスペインに出向いて、本人に会ってこの情報を伝えています。
このあたりは当時拙ブログでも書きましたっけ。むろんUCIがこれをもみ消そうとした証拠はありませんが、でも言い訳を考えておけ、と言っているようなものです。
またUCIは寄付と称してアームストロングから12万5千ドル(約1500万円)を受け取っています。これがドーピングもみ消しと関係があるという証拠はありませんが、現役選手が連盟にこの額の寄付って、受け取る方も受け取る方だよね。
他にもまだあるようですが、今日はこんなところで 笑)

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うーん、日曜日は部屋を片付けて古い自転車競技マガジンを発掘しようと思っていたんだけど、ネトウヨさんのコメントについ熱くなって対応したせいで、発掘はできませんでした。しかし、せっかくコメントをくれた人を悪く言うのも気が引けるけど、でもねぇ。。。。民主主義ってものについての意識があの程度のレベルの人たちが安倍を積極的に応援しているんだね。ホント、困ったもんだ。
というわけで、UCIによるCIRCの結果報告公表、まあ、当然と言えば当然ですが、当時のUCIのトップがランス・アームストロングに対して優位な取り扱いをしたことを非難しています。
アームストロングはUCIによって「守られ」、「保護されていた」と断定ですね。
「UCIはランス・アームストロングに治外法権を与えていて、怪しいと思われていてもテストすることをせず、公然と保護した。ただし、ドーピング陽性をもみ消すためにアームストロングがUCIに金を払ったという証明書は見つからなかった。」
ということで、今日の自転車競技のドーピングについても、まだ大きな問題を抱えていて、「ドーピングとの闘いに勝利するためにはまだまだ時間がかかる」と言っているようです。
ちなみに当時のUCIのトップのフェルブリュッヘンとマッケイドは、どちらもすでにこうした疑惑を否定しています。

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cyclingnews.com にも出てるようですが、先日書いた第三者機関による最終報告、来週の月曜日9日(ヨーロッパ時間)に公表されるようです。この第三者機関、独立改革委員会CIRCというそうですが、これはクックソンが2013年末に提案したもので、完全にUCIから独立して、独自の操作をする機関で、その筋では有名な検察官や裁判官など、法律関係の3人からなるそうです。
多くの人から聞き取り調査をしていて、アームストロングはもちろんのこと、13年のツールの覇者のクリス・フルームとも、去年の暮れに話し合いの場を設けたそうで、現在の自転車競技の(ドーピングの)状況について、フルームの見解を聞いたようです。この話し合いについてフルームはデイリーメイル紙で話した内容をこんなふうに言っています。
「僕は、このスポーツはいずれにしても、イメージ回復と過去の克服のために行った試みによって、大きな進歩を成し遂げたと思っている。」
フルームのいうことが本当であって欲しいと思うのは当たり前の事ですし、拙ブログでひいきにしている選手たちのブログなどを見る限り、すくなくとも彼らは絶対にドーピングなどしていないと信じていますが、でもまだ去年のアスタナのイグリンスキー兄弟をはじめとした騒動を見ると、アンチ・ドーピングはまだ避けて通れない話題なんだろうなぁ。
いずれにしても、公表される結果で、いろいろと疑惑のあるアームストロングとUCIの元会長たち、ヘイン・フェルブリュッヘンとパット・マッケイドの関係について、きちんと発表されるといいんですけど。

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rsnにはちょっと気になるニュースが出ていました。UCI会長のクックソンがイギリスのガーディアン紙のインタビューに答えたようです。それによると来週、1998年から2013年までのドーピングについて調べている第三者機関が報告書を提出するそうで、クックソンは「たくさんの不快なこと」が含まれていると言ってます。この報告書はUCIに提出された後、すぐにそのまま公表されるとのことで、「われわれは覚悟していなければならない。しかし、新事実がたくさん出てくるとは思っていない。法的な問題さえなければ、出てくる名前もそのまま公表される」と言っています。
この第三者機関は過去のドーピングに関わった関係者からの聞き取りも多数していて、そこにはアームストロングも含まれているそうです。個人的には選手以上に過去のUCI会長のフェルブリュッヘンやマッケイドのことが出てくるのかが、一番関心があるところです。

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頂きものの記事です。いつも現地からのコメントを頂くArturo さんからのコメントから、ちょっとまとめます。
ことはブエルタの第7ステージ、逃げたレイダー・ヘシェダルが下りで落車、ところが自転車が勝手に動くので、すわっ、これは自転車にモーターが組み込んであるんじゃないかと、かの国々ではネットで盛り上がったようです。YouTube にもいくつかあがってます。
まあ、言われてみれば、なるほどペダルから脚が離れたのに自転車が勝手に走ってます。スローモーションのもアップされてますね。
だけど、広い世の中にはこういうことを実際にすぐやって見ちゃう人がいるんですね。つぎの映像を見ると、これで決定的ですね。
カンチェラーラの疑惑以来、どうもファンもナーバスになっているようです。情報をくれた Arturo さんに感謝。

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2週間ほどまえに、ロジャースのクレンブテロール陽性の話に続けて、同じように中国のステージレースでクレンブテロール陽性になって
自殺を図ったヨナタン・ブレイネ(23)という選手のことに触れました。幸い発見が早く、胃洗浄で命を取り留めたこの選手、レキップのインタビューに答えたのがrsnに載っています。
これによると、インターネットのいくつかのフォーラムに書き込まれた文言が自殺未遂の引き金になったそうです。これって洋の東西を問わない問題なんでしょうね。ネットで匿名で勝手なことを書き込めるようなところで悪意のあるコメントがたくさん書き込まれた結果、自殺した人って、最近日本でも岩手だったかの市議さんにいましたよね?
「自転車ファンのコメントがものすごく重荷になった。詐欺師呼ばわりされるのに耐えられなかった。僕は決して詐欺師じゃない。」
彼は駐車場で車の中で睡眠薬を大量に服用して意識を失っているところを、ある女性が見つけて救急車で病院に運ばれ、胃洗浄をほどこされたそうです。
「僕はこんなことをして、僕の家族や友人や、僕を支えてくれた人々全てに対して、本当に申し訳なく思っている。でもぼくが各フォーラムで読んだ言葉はまだ心に残っていて、忘れることはできそうにない。自殺を図った影響は肉体的には何も残っていないけど、突然のキャリアの中断に、精神的に打ちのめされている。心は折れている。泣きたいよ。検査が陽性になったことを知らされてから、自転車には全く乗ってない。」
むろん原因ははっきりしないとしても、陽性は陽性ですからチーム(コンチネンタル・プロ・チームのクレラン・ユーフォニー)は解雇され、現在失業保険で生活しているそうです。ただ、2年間の出場停止だけでなく、1年分のサラリーも罰金として支払わなければならない可能性もあるようで、これが本当に中国での食事に原因があるんだとしたら、ちょっと酷だなぁという気もします。もっとも、rsnの論調はロジャースに比べると、こちらの二部の選手には同情的な気がしますが。。。

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拙ブログを見て下さる方で東久留米市に住んでいる方はあまりいないとは思いますが、今度の日曜日には市長選挙が行われます。このところずっと市長選挙の投票率って50%以下なんですよね。国があんな暴走ぶりだけど、せめて足許から変えていければ、と思うわけで、東久留米のみなさん、是非選挙に行きましょう。
と、まあ、3日間同じ前振りです 笑)
さて、昨日クレンブテロールの話にちょっと触れたら、なんとジャパン・カップの優勝者マイケル・ロジャースが、まさにそのクレンブテロールで陽性反応ですよ。
同様に11月にツアー・オブ・タイフ・レイク(中国)で、クレンブテロールで陽性になっているのがベルギーのヨナタン・ブレイネという選手。ロジャースもジャパンカップ(10月)の1週間前にツール・ド・ペキンを走っていて、両者共に中国で食べた肉が原因という主張なのでしょう。
すでに書いたように、卓球のオフチャロフが中国遠征で食べた肉のせいだとして、それが認められましたからね。ただ、オフチャロフはいろんな反証を提出しているようですし、それに対してロジャースは元Tモバイルだし、フェラーリからトレーニングプログラムを指南してもらっていたし(本人はドーピングは否定)、rsn によると去年突然スカイをやめてサクソチンコフに移籍したのも、スカイが全選手にアンチ・ドーピングの証明を求めたことと関係があるのではないかという噂があるそうだし。。。
ただ、これって、きっと選手たちは食事なんかも管理されているはずだから、中国で何を食べたかの記録は残っているんじゃないのかなぁ?そのとき同じものを食べたチーム関係者はいないんでしょうか?

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まあ、落ち目になった権力者はだいたいこうなるものなんでしょう。rsn によると、アームストロングの告発と関連して、UCIの前々会長ハイン・フェルブリュッヘンは母国のオランダでも叩かれ始めましたね。オランダの新聞には元選手たちのフェルブリュッヘン批判が色々出はじめているそうです。
まずは80年台終わりから90年台始めにかけてツール・ド・フランドルに2勝したエドヴィッヒ・ファン・ホーイドンクの話。「引退後、フェルブリュッヘンとの話で、EPOが90年代の初め頃から選手の間に蔓延していることを彼に警告した。彼は、君の話は大げさだと言った。」
ラルプ・デュエズで勝ったこともあるペテル・ヴィネンも、その当時、かなりたくさんの監督たちがUCIにEPOが蔓延していることを警告したのに、完全に無視されたと批判していますね。
ところで、ファン・ホーイドンクは巨漢選手で89年の立川のスーパークリテリウムでフィニョンを破って優勝した選手でした。ベルギーでは当時はプロ入り年齢に下限があったのに、ファン・ホーイドンクは特例でその年齢制限に達する前にプロ入りしたんじゃなかったかと思います。ものすごい才能の持ち主と言われていたけど、良く言われていたのは練習嫌い。30歳で引退しちゃうんですけど、練習嫌いという評判から、辛いのが嫌で早めにやめたのかと思っていましたが、 rsn では、当時結構いたドーピングが嫌でやめた選手の一人だった、という評価です。まあ、確かに、神童とかメルクスの再来と騒がれた割に、フランドル以外あまり活躍できなかったのも、クリーンだったことの証明になるのかも??
次はもっとひどい話を、もとPDMのペテル・ステフェンハーヘンが語っています。彼はあるインタビューでUCIを批判したんだそうです。すると、1988年のツール・ド・スイスでフェルブリュッヘンが彼に話しかけてきて、こう言ったそうです。「おい、おまえには問題があるな。選手なんか私にとっては潰すことだって簡単なんだぞ。誰が陽性かを決めるのは私なんだからな。PDMで何が起こっているかだってわかっているんだぞ」。ステフェンハーヘンはそれで完全に怖じ気づいてしまったそうです。彼の話。「しかもその後は私はドーピングチェックを以前よりもずっと頻繁に受けなければならなくなった。私は不安に駆られて、1988年のツールに出場するのを辞退した。そしてコルチゾンとテストステロンのビンを捨てた。」まあ、この選手の場合、ドーピングしていたわけです。で、PDMチームもこの頃のツールでチーム全員がいっせいに途中棄権したときも、ドーピングの失敗が噂されたものでしたっけ。
きっと、こうした話はまだまだ出てくるんでしょうね。ただ、ウミは早く出し切ってしまったほうが良いでしょう。

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いよいよ、アームストロングがやりましたね。イギリスのデイリーメール紙の独占インタビューで、1999年ツールでステロイドで陽性になったときに、前々UCI会長のハイン・フェルブリュッヘン(と以前拙ブログでもご紹介したForvoでは言ってますね)が隠蔽を指示したと述べたようです。フェルブリュッヘンも反論して、あんな嘘つきを誰が信用できるんだ? と、まあ泥仕合の様相。
わたしは、拙ブログでも何度か書いたように、アームストロング以上にUCIに対する怒りのほうが大きいですね。アームストロングだけが、これだけ長くドーピングし続けることができたということは、絶対にUCIが一枚噛んでいたに違いないと、誰でも思うでしょうし、ましてやこのフェルブリュッヘンは、今では国際オリンピック委員会(IOC)の名誉会員とやらですからね。 ふざけるな、 と言いたい。ドーピング隠蔽を禁止する法律がオランダにあるのかどうか知りませんが、詐欺罪とか、なんでもいいから裁判にかけてやりたいところです。
で、問題はフェルブリュッヘンがやっていたなら、後任のマッケイドはどうだったのか。こちらについては、アームストロングは、今のところ、まだ具体的にはなにも言ってないようですが、こんなことも言ってます。
「俺はこんな奴らの誰一人守ってやるつもりはない。俺は奴らを憎んでいる。奴らは俺を裏切りやがった。もう奴らとは関係ない。」
rsn はこれはマッケイドが「自転車界でアームストロングの居場所はない」と言ったことも暗示しているのではないかと推測しています。
アームストロングとドーピングで検索をかけると、あちこちで、当時はみんなやっていたから、ある意味では公平だったわけで、そんななかで7連覇したのだから、やっぱりアームストロングが No.1 だと言っている人も多いようですが、もし仮に、UCIによってアームストロングだけが特別扱いされていたのだとしたら、これは全く話が違ってくるでしょう。
そもそも、自転車競技で選手の特性というのは、そうそう簡単に変わるものではないんだろうと思います。アームストロングのようにワンデーレーサーだったのに、突然TTや山岳に強くなってステージレーサーに変身したケースというのは、以前はまったくなかったわけで、ある意味ではEPOという薬のおかげであるのは間違いないでしょう。それ以前にも圧倒的に強いワンデーレーサーはいたし、彼らはステージレーサーになろうと努力しなかったはずはありませんが、果たせなかったわけです。(人によってはモゼールやサロンニの名前を出すかもしれないけど、彼らがジロで勝てたのはコースが彼ら向きにレイアウトされていたという点が一番大きいのではないかと思います)
ところがEPOが蔓延し始めた90年以後は、エレラ言うところの「ケツのでかい」インドゥラインも、万年アシストだったリースも、スプリンターのジャラベールも、山岳スペシャリストのパンターニも、みごとに総合力ある選手に変身したわけです。以前から拙ブログでは強調してきたように、 EPO以前と以後 ではドーピングの持つ意味合いが全く変わってしまったのだろうと思います。
その差は、ちょっと意味合いは違うけど、ちょうどアワーレコードのオーブリー以前と以後みたいなものを感じます。まあ、アワーレコードでは、オーブリーのフォームにより、タイム的には ほぼ一割 の差ができたのにたいして、EPOの効果は一説では 二割増し とも言われますから、影響はずっと大きいのでしょうけど。

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そういう題名のドキュメンタリーがアメリカでは公開されているそうです。どこかのHPに書かれるだろうと思っていたんだけど、あまりないみたいなので、rsn にあった紹介記事からちょっとだけ。
当初2009年に、アレックス・ギブニィというドキュメンタリー監督が制作開始し、当初「ザ・ロード・バック」という題名で、癌を克服後ツールに7連勝し、3年後にカムバックした英雄という切り口で撮影開始されたようです。
監督の話では、「癌サバイバーからツールの勝者になるという物語で多くの人を魅了した男の映画になる予定だった。むろん彼のものすごい意志にはきっと暗い面もあるに違いないとは思っていたけど、それ以上に人々を魅了する話だと思っていた。だが、結局最終的にはまさに逆さまになってしまった。」
当初はアームストロングに特別に接近して、三百五十万ドルの予算で、カメラも10台使って撮影開始され、2011年にドキュメンタリーがほぼ完成したときに、事態は急変。ハミルトンとランディスの告発によって、「ザ・ロード・バック」から「アームストロングの嘘」になったのでした。
監督はこう言ってます。「アームストロングを非常に単純だが、しかし途方もなく複雑な人間として描いた。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。こういうオール・オア・ナッシングの考え方はスポーツの世界では称讃すべきものだが、スポーツ以外では良いことではない。」
2012年10月に映画を編集しなおし始めたときに、アメリカ・アンチ・ドーピング機構がアームストロングの暗い過去に関する広汎な記録を公表し、ついには今年1月にはテレビ番組でドーピングの過去を認めたわけですが、アームストロングはその前に、監督のギブニーに対して、カメラの前で完全に真実を語ると約束したそうですが、結局彼はすぐに「パニックになって」しまい、いつからドーピングを始めたのか、2009年のツールはクリーンだったのか、それともいくつかの検査結果が示すように、やはりドーピングをしていたのか、あるいは薬を手に入れた経路や、どうして彼だけがこれほど長期にわたってドーピング検査に引っかからなかったのか、など、一番大切な部分はまだはっきりしないままだそうです。このドキュメンタリー2時間以上の上映時間ですが、日本で公開されることはないでしょうねぇ。。。
ちなみに、アームストロング自身はこのドキュメンタリーを見るつもりはないと言っているそうです。

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UCIの会長選挙、新しい会長はクックソンという人ですね。写真で見る限り、温厚そうなインテリっぽい感じですが、まあ、マッケイドだって写真だけで見れば立派そうだったからね。
しかし、これで、新会長の下、過去のドーピング隠蔽疑惑を徹底的に暴いて、マッケイドとその前任のフェルブルッヘンの責任をしっかりと追及してほしいものです。
というわけで、U23のロードレース、まだ残り80キロ以上ありますね。きついコースト言われてますが、どうなることでしょう? ツァーベルの息子はどうかな?

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ドーピングはなぜ駄目なのか?(長文注意)ドーピングはなぜ駄目なのか?(その2)また、いろんなコメントを寄せてくれた方々に感謝いたします。そのうえで、繰り返しになることもあると思うけど、もう少し書きます。
で、さっそく繰り返しになるけど、アンチドーピングの論拠は次の二つの点に集約されるんだと思うけど、どうでしょう? いろんな個別の問題も、すべてこの二点に集約できるのではないでしょうか?
1)健康の問題
2)倫理的な問題
2)の倫理的な問題、つまり、自分のもてる能力を十全に発揮して、優劣を競うというスポーツの本来の目的に対して、外部から能力向上のための異物を取り込むことは卑怯であるという問題、しかし、これだけだとどうしても線引きが曖昧になるんじゃないか、というのが、前回も書いたツュッレのインタビューにからめて、美味しいコーヒーと能力向上目的のコーヒーの話だったわけです。いわゆるドーピングの「メンタリティ」まで否定できるのか?
それでも選手の健康被害があるんだから駄目だという1)の論拠に対して、医者がかかわって、選手の健康被害を、仮に(あくまでも仮にだ)一般の人々が服用する風邪薬程度の副作用まで軽減できるのだったらどうか?といわれたとき、これを論破できるアンチドーピングの論拠があるのか?というのが、ぐだぐだ書いてきたこれまでのこのテーマのポイント。
以下、もう少し思いつくまま、書いてみたい。
スポーツにおける倫理ってなにか、って考えると、そこには相手の弱点を突いて勝とうとするという、一般道徳から考えれば「卑怯」な面が必ずある。勝敗を直接争う競技の場以外でも、トレーニングの場においてでも、ライバルの鼻をあかしてやるというのは許される。例えば戦前の自転車の練習方法は、なにしろ長時間やみくもに自転車に乗ることだったそうだ。毎日、時速25キロ平均で10時間以上乗る。これが一番の練習方法だったらしい。ツールで変速機が使用不可だった時代には、選手たちの練習といえば、ひたすら持久力をつけることだっただろうというのは想像できる。
ここからは想像だけど、その後変速機が解禁され、練習方法は改良されて、インターバル練習が能力を向上するためには非常に有効だというのが分かってくる。この「分かってくる」っていうのがどういう風に分かってきたのかはわからないけど、このインターバルだって最初に取り入れた選手やチームは、できれば他の選手には知らせまいとしたはずだ。間違ってもライバルにインターバルトレーニングは効果あるよ、なんて教える奴はいなかっただろう。あるいは高地練習なんていうのだってそうだ。できることならこうした練習方法はライバルたちには知られたくなかったはずだ。こうして色々工夫しながら、一番効果的な練習方法を取り入れていくことは、倫理的に批判されるものではない。当たり前の話だ。
だけど、ここからライバルの知らない能力向上の方法としての新しい薬まで、心情的にはあと一歩だよね。むろんこの一歩こそが境界線なんだろうけど、でもこの境界線は実はそんなに簡単に引けるわけではないのは、コーヒーの話で分かってもらえるんじゃないかと思うんだけど。
それから、ドーピング解禁によって公平性が担保される、と考えるのは間違っていると思う。これはコメントを下さった方も書いていたように、資金力の問題が大きく絡んでくるし、そもそも同じ薬を使えば、誰でも同じように能力を向上させられるわけではない。そこは医者の腕の見せ所だと言ったら、選手の能力か医者の能力か、どっちを競っているんだ、って話になる。
だけど、良いトレーナー(=コーチ、監督)につくかどうかも選手の能力を向上させる要因の一つだ。そうすると選手の能力かトレーナーの能力か、どっちを競っているんだ、って話になるのではないのか?むろんよいトレーナーにつくことと、よいドーピング医師につくことを同列にすべきではないが、しかし、良いトレーナーにつくことだって資金力の問題があるし、同じトレーニングをしたって同じように能力を向上させられるわけではなく、選手それぞれとの相性というものもあるだろう。だが、薬にも相性があるのだ、といえば同じような話にならないだろうか?
先に「一般の人々が服用する風邪薬程度の副作用」という書き方をしたけど、はたしてそれが可能なのか?という問題もある。確かにEPO出始めの頃は死者も多数出た。でも、むろんもっと先にならなければわからないかもしれないけど、あれほど大がかりに、多数の選手がドーピングを行っていた(と思われる)「アームストロングの時代」に、統計上意味がある健康被害が、選手たちの間に生まれているのだろうか? 国家ぐるみだったと言われている東ドイツの女子選手たちのなかには男性ホルモンの投与のおかげで性同一性障害を抱えた元選手というのもいるそうだ(数年前の朝日新聞にあった)が、こういう極端なケースは別にしても、説得力のある健康被害が生じているのかどうか?
しかし、薬である以上どんなに医者が頑張ったって副作用がないものはない。だからこそ、僕らがふつうに飲む「風邪薬程度」の副作用と書いたわけ。といったってインフルエンザ治療薬のタミフルで意識障害を起こした例は何件もあるわけだ。
あと、もう一つ思いついたのは、プラシーボ効果というやつ。痛み止めと言ってデンプンのカプセルを飲ませると三割以上の人が痛みが軽減されるというやつ。これは副作用もないし、検査で陽性にも絶対ならない。でもこれってどうよ? まあ、ここまでくると半分冗談の領域に足突っ込んでますね。
ぼくが少し心惹かれるのは、前々回にも書いたけど、薬というものは必ず副作用があり、その副作用と天秤にかけて、それでも使った方が良いという病気や怪我以外は薬というものは使うべきではない、ということだ。だから、ドーピングの話は現代の過剰な薬依存の社会に対する警鐘(最近もデータ捏造なんて事件があったしね)にもなるんじゃないかっていう考え方。ちょっとこれには心惹かれるものがある。最近話題になった近藤誠の本(だけじゃないけど)なんかを読むと、薬には良いことなど何もない、すべて製薬会社の陰謀だっていう論調だしね。まあ、この人の主張はちょっと極端だとは思うけど……
それから、もう一つ大切なことは、論拠が示されるかどうかにかかわらず、感覚的なものも大切にしなければならないってこと。頭でっかちになってしまってはいけない。逆に言えば、論拠があるからといって、自分の感覚的な思いを圧殺してはいけないってことでしょう。もっともこれはどんなことにも言えることでしょうけど、と、ちと偉そうですが。
というわけで、何度も書いたけど、ぼくはドーピングに絶対反対だ。感覚的な言い方しかできないけど、ドーピングを許容したらエスカレートしていき、行きつく先はロボットの闘いになってしまうだろうと思われるからだ。ただ、これまで書いてきたように、残念ながら、いまのところ「理屈」の面でしっかりとドーピングを否定できないでいるというわけ。
だけど、今日の東京新聞にも載っていたけど、今世界陸上が行われているけど、日本の放送では、これだけ世界中を騒がせているドーピングの問題に全く触れないそうだ。(僕は放送を見てないのであくまで「だそうだ」。)ドーピングなんて言ったら白けるじゃないか、視聴率にも差し障る、って思っているんだろう。でも、それで良いんだろうか? 現在のトップスポーツでは、おそらくどの種目でもドーピングは喫緊の問題ではないのか? あまりに当たり前な言い方で、書いてて恥ずかしいけど、選手だけでなく、ぼくらファンも含めてみんなが、この問題をきちんと考えるっていうことがドーピングをなくす第一歩だろうに、と思う。

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エネコ・ツアー、キッテルもデーゲンコルプも出てるのに、1,2ステージともに沈んでます。いま LiveStreamで見てたんだけど、ゴール前2キロぐらいではデーゲンコルプが引っ張ってフェーレルスやもう一人ぐらいいて列車もできていたのに、最後はまったく駄目。ちょっと登っていたのかな?それともツール疲れ?
というわけで、どうもぼくは話が長くなりがちで、それでしょっちゅう文句を言われているんですよね。連れ合いなんか、ぼくが蘊蓄しゃべり始めると、結論になったら呼んでね、とか言ってTVに集中しちゃうしね。前回もちょっと長すぎて話が拡散してしまったですかね?
ドーピングの話です。何度でも繰り返しますが、ぼくはドーピングに絶対反対ですよ。だから、前回も今回もドーピングを容認しろと言うつもりで書いているわけではありません。これはまず踏まえておいてね。
さて、繰り返しになるかもしれないけど、どうしても気になっている点が二つあります。
ひとつは、薬が禁じられた時点では確かに選手の健康を守るためで、そこから禁じられているものを使うのは駄目だということになったのでしょう。だけど、それなら医者の厳格な管理の下で薬を使えば健康は守られるのではないのか?
これを論破する論理が競技スポーツそのものにあるのか? ということなんですね。ここで競技スポーツそのものという言い方をしているのは、前回書いたように、競技スポーツには一般社会の道徳観をそのまま持ち込めないということです。競技スポーツは勝つことが最大にして(誤解を恐れずいえば)唯一の目的です。
しかし薬はすでにルールで禁止されているんだ、というのはもっともな意見ですが、スポーツのルールは頻繁に変化します。バレーボールや卓球なんて点数の取り方や玉の大きさだって変わってます。サッカーだって戦前のヴィデオなんか見るとゴールキーパーがバスケットボールのようにドリブルしてボールを前線に運んでいます。ルール改正によって、医者がきちんと管理することを条件に薬を解禁する、というのを否定できるアンチドーピングの理論(ちょっと大げさだけど)があるのかどうか。
いや、医者が管理したって危険は危険なんだ、というのもフエンテスの裁判では何人かの元選手の証言で出ています。たとえばここにも書いたハミルトンの証言ではフエンテスが処方した薬のおかげで尿が真っ黒になったとか、そもそもハミルトンが陽性になったのも、他人の血液を輸血されたせいらしいですし、イェルク・ヤクシェの証言ではフエンテスは選手の健康など全く考慮しなかった、というのもあります。ただ、それは今の製薬会社や医学界ですからね。ドーピングが解禁されれば、もっと良質のもっと優れた、そしてもっと「良心的な」ドーピング専門医が競い合うことでしょう。禁止されているから、フエンテスみたいなヤクザな医者が跳梁跋扈するのだということも言えるかもしれません。
もうひとつは、1998年のフェスティナ事件でアレックス・ツュッレがインタビューに答えて言っていたことなんですが、コーヒーの含まれているカフェインはむろん禁止薬物ですが、コーヒー一杯や二杯では陽性には絶対になりません。しかし50杯飲めば陽性になるんだそうです。ツュッレはこんなようなことを言ったんですね。
自分は毎朝コーヒーを飲む。だけど陽性になったことはない。今回も、検査で陽性にはなっていない。たしかにEPOを注射したけど、これも検査で陽性にはならなかった。
つまり検査で陽性にならない程度の量のEPOを打ったということでは、検査に陽性にならない程度の量のコーヒーを飲んだのと変わらないではないか、という論理でしょうか?
むろん、コーヒーとEPOを同列にあつかうのはムチャですが、では、コーヒーは何杯までなら飲んでもいいのか?
この伏線として、昔聞いた話で、レース1週間前からコーヒーを飲まず、レース直前に濃いのを一杯ぐっと飲むと、あきらかに違う、という話がありました。これって確かにただのコーヒー一杯ですからドーピングになんかなりませんが、コーヒーを飲む理由が美味しいからではなく、あきらかにレースでの能力向上を目的としているわけでしょう? このメンタリティはドーピングですよね?
美味しいから飲むコーヒーと、能力向上を目指すために飲むコーヒー。これを選手個人の持つ倫理意識に任せるのはちょっと酷ではないかと。。。
前回書いたように、選手が勝ちたいと思う気持ちは純粋なものです。これを非難なんかできない。ルールさえ犯さなければ、メンタリティはドーピングでも、一杯のコーヒーに目くじら立てるものでもないだろう、とは思うけどね。僕らのころのホビーレースではレース前に「救心」を何粒だか飲むなんていうのがあったそうですし、咳止め薬は効く、という話も聞いたことがあります。
ホビーレースやドーピングチェックのないようなクラスなら児戯のレベルだから良い、要は程度問題だ、と言ってしまうわけにはいかないと思うんですよね。
この項、さらに続く。
ドーピングはなぜ駄目なのか?(その1)へドーピングはなぜ駄目なのか? (その3) へ
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題名から僕がドーピングを容認しているように思う人もいるかもしれないので、先に書いておく。
僕はドーピングには絶対に反対である。
だけど、それは理屈ではなく、なんか感覚的なものである。ちょうど、「このまま行けば日本はとんでもない国になる」というのと同じような感覚だ。そんなの考えすぎだよ、という人にはこの感覚は理解してもらえないだろう。
それはこんな感覚。
ドーピングを放置したらどんどんエスカレートしていくだろう。そして能力向上薬の効能にだって限界があるとなれば、その次に待っているのは人体改造だろう。遺伝子レベルでのドーピングが始まるだろう。そうなればスポーツはロボットの闘いだ。そんなものを見て楽しいだろうか?
そんなはずあるものか、考えすぎだよ、って思う人もいると思う。上記の日本の現状に対する批判だって、多くの人がそう考えているんだろうと思う。否定ではなく、「そんなの考えすぎだよ」という無関心。まあ、全面否定するネトウヨさんもいるように、ドーピングのほうも容認する人もいるのかもしれないけど。
ただ、上記のような「感覚」(予感?)はともかく、前から、ドーピングを批判する「理屈」に説得力がいまひとつ感じられない。ヴィキペディアには哲学者の加藤尚武という人の説が引用されているけど、それをいくら読んでも僕にはどうもしっくりこない。このエントリーでは「感覚」ではなく、「理屈」にこだわってみたい。
まず、前提に、スポーツである以上、競技(試合)に参加する選手たちの目的は勝つことだ、というのがある。勝ちにこだわりすぎると勝利至上主義と言われて蔑まれるが、でもルールを犯さない限り、場合によっては審判に見つからない限り(サッカーを見てご覧よ)、勝つために競技(試合)に参加するわけだ。正々堂々と闘うという言葉もよく聞く。正々堂々という言葉は通常「真正面から」とか「策を弄さず」というニュアンスで使うと思うが、スポーツの世界で相手の裏をかいたり、弱点をつくのは当たり前の話だ。
自転車レースだって、逃げたのにツキイチで一度も前を引かなかった選手が、ゴールスプリントで優勝したら、キタナイと言われたって、勝ちは勝ち。失格にはならないし、優勝賞金を得るのも歴代優勝者のリストに名が残るのも勝った者だ。一般社会だったら(特に今の日本だったら)大バッシングで、優勝した選手は岩手の市議さんみたいに自殺するかもしれない(漫画みたいな話が現実に今の日本では起きている)。
つまり何が言いたいかというと、選手たちの勝ちたいと思う気持ちは純粋なもので、それはルールに則っている限り、あるいは審判が反則だと言わない限り、非難はできない。スポーツに日常生活上の道徳律を持ち込むのは間違いだ、ということだ。
まずこのことを前提にしておいて、さて、ではなぜドーピングをしてはいけないか? これに対する解答はおおむね次の二点ではないだろうか?
1)選手の健康を守るため。
2)薬を使う選手と使わない選手がいて不公平であるため。
1)については、そもそも薬以前に、競技スポーツというものが、すでに不健康なものである。スポーツには怪我がつきものだし、特に自転車ロードレースは疲労の限界を争うような面もある。ツールなど毎日150キロ以上を3週間、しかもその間に2000メートルを超える山をいくつも越えていくのである。一般人には絶対にできないことだし、超一流選手たちだって疲労の極致に達しているはずである。
自転車競技とドーピングの歴史を遡ってみれば、ドーピングは能力向上ではなく、疲労回復から始まったのである。選手でなくても、疲れれば栄養ドリンクを飲む人は多いだろう。自転車競技は最初のプロスポーツのひとつである。すでに20世紀になる前から、トップ選手たちは本業の片手間に自転車に乗っていたわけではない。片手間では練習の時間が取れない。彼らは自分の職業を放棄してロードやトラックのレースに出て賞金を稼いでいたのである。しかも他のプロスポーツに比べて自転車競技は過酷である。しかし、選手たちは生活がかかっている。疲れたからといって練習やレースを休むわけにはいかない。疲労回復のためにさまざまな薬が不可欠だったと思われる。中には覚醒剤のような禁止薬物も含まれていたから、これは選手でなくとも法律違反だし、健康に甚大な被害を与えかねないものだっただろう。この時点ではたしかに薬は選手の健康を損ねかねない。
時代下って、EPO(これは疲労回復ではなく能力向上の薬である)が出始めの頃(1980年代後半から90年代の初め)には、ベルギーとオランダで自転車選手の突発死が多発した。ほとんどが睡眠中に心臓が止まるというものだった。ところが、イタリアではそんな事故は全くなかった。イタリアにはEPOの専門家のコンコーニやフェラーリという「優秀な」医者がいたからだ。
すると、彼らのような「優秀な」医者の管理のもとで、健康に悪影響を及ぼさないように緻密に薬を使っていけば、選手の健康被害は防げるではないか。
この論理に対抗する理屈が、僕にはどうもあまりうまく思いつかない。
そもそも、薬というものは本来なんであれ、すべて毒なのだ、という意見がある。どんな薬にも必ず副作用があるというわけだ。この意見には個人的には心惹かれるのだが、しかし、僕らの日常生活の中では、ちょっと風邪を引いた、ちょっと消化不良だ、果てはちょっと飲み過ぎた、こんなことでもすぐに薬に頼るではないか。むろん、その薬を使わなければ大変なことになる、というケースもたくさんあるだろうとは思う。しかし、世の中、健康な人までみんな薬漬けである。本来食品から取るべき栄養素だってサプリメントと称して普通に飲んでいる。薬というのは本来、身体の具合が悪く、薬の持つ副作用を勘案しても、服用した方がよいという時にだけ使うべきものなのだ。しかし、一般社会がこんな薬漬けで、選手だけは薬が使えないのはおかしい、というのもある意味で正しいのではないか?
いや、医者がどれほど厳格に取り扱ったとしても副作用はあるし、それを過小評価してはいけないという意見もあるだろう。でも、実際に、ドーピングをしていた元選手たちが早死にだったり、後遺障害がでたりしているだろうか。
アームストロングの睾丸癌は若い頃からのドーピングの影響だという説がある。アンクティルやフィニョンも50そこそこで癌で亡くなっている。特にフィニョンは自分が癌であることを知ったときに、まず医者に聞いたのが、若い頃にやったドーピングの影響か、ということだったそうだ。医者はそれを言下に否定したという。ほかにも国家ぐるみのドーピングを行っていたとされる旧東ドイツの元選手たちが早死にしているという話は聞いたことがないし、仮に統計を取ったところでドーピングのせいであることを証明するのは不可能だろう。
繰り返すが、一般人だって不要な薬、治療目的以外の薬やサプリメントのたぐいを多量に使っているのだ。
2)については、倫理的な意味でのドーピング批判である。薬を使って勝とうとするなんてずるい、ということだが、では、みんなが薬を使えば不公平ではなくなり、ずるくなくなるのではないか?
プロなんだから何したって良いじゃないか、ルールさえ犯さなければ、薬だって良いことにしたらどうなんだ。こういう意見は結構根強くあるのではないだろうか。
しかし、ハミルトンの本を読むと、選手によってドーピングの薬に合う合わないというのもあるらしい。同じ薬を使っても、それによって同じ能力の向上が見込まれるわけではない。だから、みんなが薬を使ったとしても不公平は不公平なのだ。
不公平はスポーツの世界にはつきものだ。同じトレーニングをしたって同じように強くなるわけではない。150キロのボールは99.9999%以上の人が、どんな練習を積んでも投げられるようにはならない。
生まれついての素質があって、なおかつ厳しいトレーニングに適応できた選手がトップアスリートになれるのだとしたら、生まれついての薬に対する適応能力があり、なおかつ厳しいトレーニングにも適応できた選手がトップアスリートになってはいけないのか?
本来自分の体内にないものを外部から取り入れて疲労を回復させたり能力を上げたりするのは、スポーツ本来の目的(健全な肉体と健全な精神の育成)とは相容れないものだ。確かにその通りだが、トップ競技スポーツの世界はそんな理想論をせせらわらうだろう。莫大な金と名誉のかかる世界だし、場合によっては議員になって権力まで手にできるかもしれないのだ。すでに競技に参加する目的はスポーツ本来の目的からはかけ離れている。
いやいや、選手はルールを破ることなく競い合うのだ、ルールで禁止されているものを使うのは間違っている、というかもしれないが、ではそもそもなぜドーピングはルールで禁止されたのだろう? 選手の健康を損ねるからだとしたら、1)にもどり、「優れた」専門医が厳格に薬のコントロールをしたらどうなのかという話になり、堂々めぐりだ。不公平だからだというのであれば、上記のようにスポーツにおける公平ってなんなのか、ということにつながる。
結局ヨーロッパではドーピングを禁止する法律がある国もあるが、どうも各国によって差があるようだし、すべての国にあるわけではない。国によっては詐欺罪を適用するなんていうアクロバチックなことをしているところもあるようだ。
というわけで、長々と書いてきたけど、要するに一般的に言われているドーピング批判は、なんか今ひとつ説得力が感じられないような気がする。この項はきっとこの先も書き足したり、削除したりし続けると思うけど、今回はとりあえずこのあたりでやめておきます。疑問反論を含めて、ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。
続きは以下をどうぞ。
ドーピングななぜ駄目なのか? (その2) へドーピングはなぜ駄目なのか? (その3) へ
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ツールが終わるのを待っていたかのように1998年のドーピング騒動がふたたび甦っております。15年も前のことを蒸し返してどうするんだ、という意見もあるかもしれませんが、僕はそうは思いません。すべて洗いざらいはっきりさせたいと思うところですが、ただ、残念なことに、名前が出た30人の選手たち以外がクリーンだったというわけではなく、当時の尿が残っている選手だけしかわからないらしいです。rsn では少し前に「ドーピングなんて知らない」発言をしたフォイクトの尿は残っていないとわざわざ書いてあります。
まあ、ハミルトン本を読んだ人なら、この時代にドーピングをしないでツールに出場するのはアマチュアだったということなんでしょうね。選手が能力を高めたいと思うのは自然なことで、規則正しい生活をして栄養のあるものを食べて、徹底的に化学的にコントロールされたトレーニングをする正しいスポーツマンもいるでしょうし、手っ取り早く薬に手を出すスポーツマンもいるってことでしょう。
ドーピングをしてはなぜいけないか?倫理の問題だとすると、境界線は非常に曖昧な気がします。フェアであることは見ていて気持ちが良いけど、プロである以上、勝つためにはある程度は相手の裏をかくのはスポーツの常道だしね。
健康の問題なら、優秀な医者が徹底的にコントロールすればどうなのか、って問題になります。EPOが出始めたころ、ベルギーやオランダでは数十人の選手が突然死したそうですが、イタリアでは死亡した例はなかったそうです。それはフェラーリ医師というEPOの専門家がいたから。でも、こうなっちゃうともうスポーツの範囲を逸脱してますね。
ただ、今回のニュースによって、今は検出できない薬でも15年後に検出されるかもしれない(たぶんその確率は非常に高いのでしょう)というプレッシャーにはなるでしょう。
ただ、確かハミルトン本にあったんだったと思うけど、みんながドーピングしていたなら公平じゃないか、と短絡的に考えるのはやはり間違っています。組織力や金力もあるでしょうし、薬に合う合わないという体質もあるでしょう。結局ドーピングをして行われた自転車競技は、きっと本来の自転車を早く走らせる能力とは別の争いになっていたのだろうと思います。だから、そう考えると、やっぱり全員がクリーンだったらどんなツールだったのかは、是非見たかったと思うわけです。
ところで、この後、年代順に残っているサンプルをすべて再検査するのでしょうかね?
----追記(2013, 7/29, 22:40)
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昨日のジロはすごいコースでした。あんなところで高速レースはプロ以外やれまへん。ほとんど命がけ。で、案の定、デーゲンコルプは最後の落車で止まっちゃったみたいですね。今回のアルゴスは、集団の中でエーススプリンターを前へ連れて行くすばしっこいフレーリンガーと、発射台役のトム・フェーレルス(こちらは怪我だったかな?)がいないんですよねぇ。。。
ところで、先日のオペラシオン・プエルトの判決、ジロに出場の選手の中にも率直に不満を述べている選手がいますね。スペインの司法制度がどうなっているのかはまったく知りませんが、原告のスペインアンチドーピング機構と世界アンチドーピング機構WADAが控訴することを願っていると、ディヴィッド・ミラーは発言、またタイラー・フィニーも証拠物を廃棄処分なんてどうかしている!と言ってますね。
いや、法律的に考えれば、06年当時、スペインにドーピングを禁止する法律がなかったから、その当時の証拠品も証拠ではないってことになるんだろうけど、そしてまた、以前にも書いたように、224個押収した血液バックのうち51個が行方不明という話もあるし、この時点ですでに全貌解明は不可能になっているのかもしれないけれど、でも、これをわざわざ廃棄するっていうのも、勘ぐりたくなる話ではあります。
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うーん、エシュボルン〜フランクフルト、今年はストリーミング放送がないのかなぁ。。。
前のエントリーの話から、そういえば、フエンテスの裁判も判決が出ました。懲役1年で執行猶予つき。医師としての活動は4年間禁止。でも4年経てば活動再開できる。
この事件が発覚した2006年当時、スペインにはドーピングを禁止する法律がなかったそうで、今回のフエンテスも、選手の健康に害になる措置を行ったことに対する告発だそうです。医師が患者の健康に害になることをしてはいけないという法律があるので、ムリムリその法律違反に問うたようです。
しかし、そんな判決以上に残念なのは、WADAが要求していた押収された200にのぼる血液バックの提出とコンピュータの顧客データ。これは廃棄に決まったそうです。
正直に言って本当にガッカリです。
自転車だけが悪者のイメージで、他の種目の選手名はまったく上がらず、名前の出たバッソやウルリッヒやバルベルデたちだけが貧乏くじを引いたようなもので、なんなんだ、この判決は??という腹立たしさがありますね。これで完全にオペラシオン・プエルトの全貌は闇に葬られました。
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まあ、ある程度予想はしていたけど、やっぱり出てきましたね。もうどこまでさかのぼるかっていう問題だな。
イタリアのアンチドーピング専門家でWADAの職員が、90年代、インドゥラインとそのバネストチームが元祖EPOの父ことフランチェスコ・コンコーニと接触していた証拠を掴んでいると発言。契約書と高額の報酬を確認しているとのことです。
これに対して当時バネストで走っていたエルヴィン・ネイブールは、これはコンコーニテストのための契約だと言っています。コンコーニテストというのは、80年代中頃にフランチェスコ・モゼールがアワーレコードを更新したときに、盛んに日本の雑誌などでも書かれていた有酸素運動と無酸素運動の閾値を計測するテストのことですね。創刊当時のバイシクル・クラブなどはかなり紙幅をとって紹介していました。僕も当時自分でやってみたことがありましたが、ローラー台でなく、実際に走ってやったので、あまり正確には測れませんでしたっけ。こんなことするより、常にハアハア言いながら走ったほうが効果的だろうなんて思ってましたけどね 笑) たしか、ポラールの心拍計をつけて、数分ごとに5キロずつスピードを上げて、心拍がこれまでの上がり方から突然緩やかになるところが閾値になり、そのレベルで練習するのが有酸素運動に一番効果的だというんだったようなムニャムニャ。。。ただ、こんなテストにこんな高額の報酬は考えられないと上記の専門家は言ってます。
このコンコーニテストは当時は科学的トレーニングの最先端だったんですが、このコンコーニさん、その後、EPOドーピングのために訴えられ、薬事法違反やら文書偽造やらで被告人になったんですね。結局無罪にはなったんですが、裁判官から当時の選手たちにEPOを与えた「道義的責任」はまぬがれ得ないと付言されたんですね。
彼の顧客にはマウリッツィオ・フォンドリエスト、イヴァン・ゴッティ、ピヨトル・ウグルモフ、クラウディオ・キャップッチ、故フィニョン、そして先日もご紹介したチッポリーニと、まあ、みんなあの時代を代表するような選手たちが名を連ねていますね。
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少し前の19日のことですが、オペラシオン・プエルトの中心人物、フエンテス医師の裁判で、ハミルトンが証言しました。当時のCSCのチーム監督だったリースの紹介により、2002年から2004年までフエンテスの顧客として、主に血液ドーピングを行ったと言うことです。ハミルトンは血液ドーピングですが、他の選手にはEPOやテストステロンやその他のドーピング薬品を購入した者もいたようです。
ハミルトンは、自分は顧客の健康をまず第一に考えたというフエンテスの証言に真っ向反論。フエンテスがハミルトンに様々な別のドーピング方法をそそのかし、成長ホルモンやインシュリンを薦めたとのこと。インシュリンは実際に一回試してみたそうで、『しかし僕にはうまくいかなかった。ものすごい汗で心拍数が高くなり、おかしいと感じた』と言ってます。また、2004年7月には血液ドーピングをした後、40分ほどして尿が黒くなったそうです。
ドーピングに対するコストはすべて自腹で、年間25000〜30000ユーロ(250万〜300万円ぐらい)で、血液を凍結させるという新しいドーピングの方法が行われるようになって、年間50000ユーロに値上げしたとのこと。
ハミルトンは2004年9月にドーピングチェックで他人の血液が検出されて出場停止になったのですが、これについて、自己血液によるドーピングだと言われていたのに、他人の血液だった、とフエンテスの詐欺的行為にたいしても非難しています。
このことからも、フエンテスが顧客の健康をまず第一に考えたなんて言うのは、冗談じゃない!ってことですね。
ところで、2006年、オペラシオン・プエルトで警察によって押収された血液パックは224あったのですが、そのうち51個が行方不明のままなんだそうです。現在その残りの173個を保管しているバルセロナのアンチドーピングラボの話では、行方不明の51個はバルセロナに届く前になくなっていたとのことで、どうやら大きな陰謀じみたものが隠されていそうな雰囲気ですねぇ。
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