どうも耳について離れなくなる曲というのがあって、今はまっちゃってるのはこの曲。
さっきも小声で鼻歌歌ってたらつれあいからも、んもう! 他の曲にして! なんて言われちゃいました 笑)
ジャン・フィリップ・ラモーは18世紀前半のフランスの作曲家で、
以前紹介したシャルパンティエや、
映画「めぐりあう朝」のサント・コロンブやマラン・マレの孫の世代ぐらいですかね。
「優雅なインドの国々」というオペラ・バレーの中の曲だそうです。ちょっと物憂げなメロディーですが、題名は「未開人の踊り」というわけで、現代の目には露骨に差別的でありますが、
以前映画を紹介したことがあるルイ14世太陽王の時代ですからね。ヨーロッパ以外はみんな未開でインドで一括り。
実際はこの曲が収められているのはアメリカの未開人、つまりネイティヴアメリカン(インディアン)の踊りということのようです。後半から入る歌詞もネイティヴアメリカンの青年戦士と酋長の娘が平和な森で穏やかに暮らしましょうというような内容。確かに演奏している人たちも歌っている人たちも、ニコニコしてますね。
実際のオペラ・バレーの舞台だとこんな感じで、イメージはだいぶ変わります。ま、当時はこんな風にやられていたのでしょうか? 異国情緒というやつでしょうけど、少年ケニヤみたいな居心地の悪さも 笑)
2019年にはパリのオペラ・バスティーユでもパリ・国立・オペラが現代風に演じたようです。バレーというよりはダンスで、こちらはかなり格好いいです。
ほかにもYouTubeにはチェンバロ版とかロックと融合させたのとか、ものすごい数が出てますね。ほ〜ら、このメロディーとリズムが頭から離れなくなってきたでしょう? 笑)
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APIA40 での友川さんのライブ。中原中也の詩を歌にした「ひとつのメルヘン」をライブでは初めて聴きました。それとアンコールの最後の「坊や」もライブでは初めてかな。
また「この世を踊れ」の間奏部、ピアノの永畑雅人さんの演奏がむちゃくちゃ格好良かったぁ。というわけで打ち上げでは久しぶりにライブ友達たちと調子こいて飲み過ぎ、終電車で帰ってきて、今日はかなりすごい二日酔いでした 笑)
コロナ禍になってから、構成が3部になったせいか、切れ味良い世相批判が少し減った感じがしますが、昨日は2月中頃から公開になる映画「TOCKA タスカー」に感動した話を熱心にしてました。友川さんが褒めるのは本当に気に入ったものだけで、おおむねケチョンケチョンにすることが多いから、本当に面白かったのでしょう 笑) 先ごろそれを推薦文に書いたので、昨日は監督と主演俳優が来ていました。

フライヤをもらったんだけどしわくちゃ。ただ、友川さんの歌を連想させそうな、暗そうな映画のようです。暗い歌と暗い映画は大好きですからね。このところ、映画から足が遠のいているんだけど、これは見に行きます。

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昨日は友川カズキライブ、今日はフォーレの「レクイエム」、なかなか笑える組み合わせです。
本日は某所でウクライナの戦争のためのチャリティ・コンサートでフランスの作曲家、フォーレの「レクイエム」の演奏会がありました。私の世代のクラシック音楽好きならフォーレのレクイエムと言ったらアンドレ・クリュイタンスというベルギー人指揮者の演奏した名盤がすぐに思い浮かぶでしょう。特にデ・ロスアンヘルスというソプラノ歌手の「ピエ・イエズ」はこの録音のなかの白眉とされているものです。
というわけで、そのクリュイタンス盤を、たぶん十数年ぶりに聴いて、予習をしてから出かけてきました。基本、コンサートって予習して行った方が、絶対面白いです。
教会でのコンサートで、楽章の合間に牧師の説教が挟まり、ウクライナの戦争が早く終わりますようにという祈りのコンサートでもありました。私は母親が日キのクリスチャンだったので、小さい頃には日曜日に教会へよく連れて行かれたものでしたが、まあ、なんも面白くなかったしねぇ。牧師がクリスマスにプレゼントと称して三人の博士の話の小冊紙を持ってきてくれて、めちゃガッカリしたしね 笑)
学生時代にはキリスト教にかなり接近したこともあったんですが、その後、キリスト教に対しては非常に複雑な、否、批判的な気持ちを持ち続けています。
ま、それはともかく、とてもいいコンサートでした。くだんのピエ・イエズは聖歌隊のソプラノの女性が3人前に出てきて、レベルがとても高く、涙が出ました。どうも、歳をとると涙腺が緩くなってね 笑) ちなみに「レクイエム」は拍手しないという慣例が踏襲され、事前にそのアナウンスがなかったにもかかわらず、ほぼ拍手がなかったのも気持ちがよかったです。
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2020年の2月末以来でした。ライブで知り合った友人たちとも久々の再会。みなさんおおむねお太りになっていたようで 笑)かくいう私も当時から5キロぐらいストレス太りでした。ただ、老人介護施設に勤める人は、逆にコロナ禍で逆に痩せたと言ってましたが。。。「順三郎畏怖」というのがすごく格好いい曲で大好きなんですが、久しぶりでした。
前半は白崎映美さんで、山形弁・フランス語シャンソン 笑)は、まあ達者だし上手いし、ときどき(時々しかわかりません 笑)日本語が聞き取れるところでは思わずニヤッと笑ってしまうし、すごかったぁ。 YouTube にありました。
エディット・ピアフの原曲と聴き比べても面白いです。と偉そうに言いながら、この曲知りませんでした 苦笑)すごく良い曲ですねぇ。
というわけで、以前のように打ち上げにも参加して、以前のように終電車で帰って参りました 笑)このままかつての日常が戻ってくると良いのですが。。。
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今日の話題は完全に冗談ネタです。怒らないように 笑)
今日は別に年末だからというわけでもなく、ベートーヴェンの第9をかけておりました。この曲、どうしても第2楽章のある木管楽器のメロディが表題のように聞こえるんですよねぇ。。。
いや、これって学生時代にオケをやってた連れ合いから聞いたので、一部では有名なのかも。でも他で聞いたことがないので、ご紹介。
20分05秒ぐらい
こういうのって知ってしまうともうこのパッセージはク〜ラリネット、チョンボチョンボとしか聞こえなくなっちゃう。困ったものです 笑)
昔ラジオのクラシック番組でヴァイオリニストの誰かがフランクのヴァイオリンソナタの冒頭のメロディを、「フラ〜ンクのソナタ〜、誰でも弾けるよ〜」と歌ったので、それ以来このアンニュイで可愛らしいソナタもこの文句を頭の中で当ててます 苦笑)
第9に戻ると、他にも最後の方のえ~らいこっちゃ、え~らいこっちゃは有名です 笑)人類愛を崇高に悠々と歌い上げたあと、プレスティッシモで一気に最終盤にむかっていくところで管楽器が一斉にえーらいこっちゃをくりかえします。
1時間14分23秒ぐらい
やれやれ、真面目なクラシックファンの方々、申し訳ない。でも今後あなたも第9を聞いて、当該パッセージできっと「ク〜ラリネット、チョンボチョンボと頭の中で歌っていることでしょう。
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昭和の時代に購入したポケットスコア。当時240円でした。
我が家にはこういうポケットスコアがまだたくさんあります。いや、正直言って楽譜なんか読めません 笑)楽器も演奏できません 苦笑)ただ、まあ、追いかけるぐらいはできるので、若い頃にはレコード聴きながら楽譜を追いかけたわけです。特にこのような声楽曲なら歌詞追いかけてればいいわけで ムニャムニャ。
というわけで、表題の曲です。ソプラノが歌い出す最初のところも写真出しておきます。写真クリックすれば大きくなるはずです。

これってどこで息継ぎすればいいの!! っていう曲です。バッハって当時の楽器のメカニズムや演奏の技術から、まず無理だろうというようなパッセージが時々出てくるそうです。ラッパなんかでもバルブなしのバッハの時代には絶対ムリ〜というところがあって、それをバッハは織り込み済み、意図的にやったのだそうです。つまり演奏が崩れるわけですが、そこに歌詞で「異教徒」なんていう言葉を合わせたりしていたわけです。
だからモダン楽器だと楽譜通りに演奏できてしまうわけで、それではバッハの意図とは違うと。。。
で、人の声もそうです。この曲は1715年ワイマールの王宮礼拝堂で礼拝のために演奏されたそうで、当時は声変わり前の少年が歌ったのでしょうが、果たしてこんな無茶苦茶な曲をまともに歌えたのでしょうかね 苦笑)
というわけで、この曲、いろんな人のを聞き比べると面白いです。
僕は最初にモダン楽器のリヒター指揮のエディット・マティスのレコードで聞いたんですが、このゆっくりしたテンポと、はっきりわかる息継ぎのタイミングで、一瞬曲が止まるような、なんか変な眩暈感を感じたものでした。
このカール・リヒターという人は50代で亡くなってしまいましたが、古楽器(ピリオド楽器と呼ぶようです)全盛の現在でもなかなか乗り越えられない伝説の人です。
その後古楽器(ピリオド楽器)のアーノンクール/レオンハルトの全曲録音盤(これもレコードでした)では、ボーイソプラノが、やっぱりマティスに比べると不安定な感じでやっぱり止まりそう。
その後21世紀に入り、トン・コープマンのバルバラ・シュリックを聞いて、テンポもかなり速いんだけどどこで息継ぎしてるのって歌い方にショックを受けました。もしかして歌いながら鼻から呼吸してない? って思ったぐらい 笑)
さらに鈴木雅明とBCJでイングリット・シュミートヒューゼンの奴はもっとさらに進化してて、どこで息継ぎしているのかまるでわかりません。まあ、録音だから何度もやり直しているのでしょうが。
バッハの想定を超えてるでしょうね。一方でバッハって遺作のフーガの技法が楽器指定なしなので、実際に演奏されることを考えず、頭の中で鳴る音楽を追求したのだという人もいるようですから、バッハも喜んでいるのかもしれません。
他にも YouTube にはいくつもアップされてます。どこで息継ぎしているかに注目して聞いてみると面白いです 笑) まあ、カンタータの聞き方としては、完全に邪道でしょうけど 笑)
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私の部屋の壁には
クリケリオンのポスターやサイン入りマイヨだけではなく、友川カズキのサイン色紙や
20世期の変なカレンダー、
1990年の宇都宮であった世界選手権のノボリなんかが貼ってあって、普通の家の壁とはだいぶ違っています 笑)
そんな中で1番の古参は上のバッハのBWV 246 Nr.40 の自筆譜のファクシミリコピー。これは1970年代にレコード芸術か音楽の友か、はたまた音楽現代か、いずれにしてもそういう音楽雑誌の付録についていたものです。多分僕は高校生だったと思います。
なぜこんなものが雑誌の付録に? この現物がなぜか1960年代に東京で発見されたんですね。どういう経緯なのかはよくわかりませんが、現在も
前田育徳会が所蔵しているそうです。
バッハという人は自分の曲の楽譜だけでなく、他人の曲の楽譜を筆写したものも多数残っているんだそうです。バッハの所蔵楽譜文庫と呼ばれていて、そこからバッハにとって興味があった分野がわかるんだそうです。逆に言えば、オペラの写譜はないことから、バッハがオペラを書くつもりは全くなかっただろうということも逆にわかるわけです。
で、このBWV246というのはどんな曲かと探すと、これがバッハの作曲したものではないんですね 苦笑) 作者不詳の「ルカ受難曲」の40曲目のコラール(賛美歌)です。
哀調を帯びたいい曲です。このコラールの作曲者はわかっています。バッハより1世代前のシュヴェームラインという人が作曲したコラールで、元々テノールと通奏低音だけの楽譜に、バッハが弦楽パートを書き加えたのが写真の自筆譜だそうです。
受難曲には別人の作曲したコラールが使われるのは普通のことで、バッハのマタイなんかでもイザークやハスラーという人たちの作曲した歌曲がコラールとして歌詞を変えて転用されています。
バッハが4福音書のすべてを受難曲に作曲したかどうかはわからないみたいです。死後に息子や他の人たちが書き記した記録では、現存するマタイとヨハネ以外に、歌詞だけ残されたマルコ受難曲(これは歌詞の構造によって他のカンタータなどが転用されていたことがわかるそうで、現在いくつかCDが出てます)と、他には名称不明の2曲があったのではないかと言われているようですが。まあ、素人考えだと4つの福音書のうちルカだけ作曲しなかったというのもあり得ないと思うんだけどね。
というわけで、このコピーを額に入れて壁にかけた頃には、これがどんな曲か全くわからなかったし、無論レコードにもないし(CD以前ですから)、ずっとなんとなくバッハの自筆譜として飾っていたんだけど、今はネットで探せば YouTube にもいくつもヒットしますね。なんか便利な世の中になったんだけど、私などは不安も感じたりします。
参考文献 磯山雅他編「バッハ事典 全作品解説事典」東京書籍
この項はいつも拍手コメントをくれるTさんに。
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NHKホールに行ったのは実に久しぶりです。多分15年ぶりぐらい。一時期コンサートには随分行ったんですが、色々忙しくなってすっかり行かなくなりました。
1曲めの組曲4番と最後のマニフィカトはCDもあるし、比較的よく聞く曲です。もっとも今日のマニフィカトはクリスマスバージョンで、これは初めて聞きましたが。
一方、2曲目のオーケストラバージョンの元になったオルガン曲、一応オルガン全集のCDも持ってはいるんだけど、まず滅多に聞かないし、そもそもバッハのオルガン曲ってそれほど好きじゃないんですよねぇ。。。
タルコフスキーの映画音楽として使われたオルゲルビュッヒラインぐらいかなぁ、比較的よく聞くのは。だからこの前奏曲とフーガ「聖アン」って言われても全然わかりません。しかもそれをシェーンベルクが編曲した大オーケストラバージョン。まあ、これはバッハの曲ではありませんね 笑) YouTubeを見ると結構あるので、昨日のうちにちょっと予習しておけば少しは違ったかもしれませんでしたが、後の祭 笑)
しかし、最後のマニフィカトはN響20年ぶりのバッハの声楽曲だったそうです。確かにいつの間にかバッハの、特に声楽曲は古楽オーケストラが演奏するものとなってしまって、N響のようなモダンオーケストラが演奏するものではなくなったようなところがあります。
でも、一方で鍵盤楽器用の曲はピアニストたちがこぞって弾いていて、例えばゴルトベルクなんて、きっとチェンバロ版よりピアノ版の方が多いんじゃないかと思えるほどですがね。
昔、私がバッハ好きになった1980年代には、雑誌などでも、マタイ受難曲の最高のレコードは戦前のメンゲルベルク版なんていう音楽評論家もいましたからね。少なくとも、当時の評論家が上げていたトップはリヒターのマタイだったはずです。
私もそのリヒターのカンタータ選集全5巻を、当時は大人買いなんかできず、秋葉原の石丸で一つづつ買って、カンタータオタクになったのでした。その頃にアーノンクールとレオンハルトのカンタータ全集を聞いた時には、なんだか下手くそだなと思ったものでした。特にアルトをボーイソプラノが担当していて、ノンビブラートで今にも音程を外しそうな危なっかしさがあったし、弦楽器なんかもビブラートをかけない演奏で、どこか間が抜けているような感じがしたものでした。ラッパなんかもバルブなしで、これ音外れてんじゃないの?と思ったものでした。
まあ、あれは本当に音が外れていたみたいですけどね。解説だったかには、そこのパッセージはバッハがわざと当時のトランペットでは吹けないように書いた、とありました。理由は、そこについた歌詞が「異邦人」という単語で、その部分でわざと音を外すように仕組んだからなのだそうです。
でも、もうカウンターテノールが増えて上手になって、演奏そのものも当時よりも格段にレベルアップしてますから、いつの間にやら古楽での演奏がなんの違和感もなくなりましたね。こうして、バッハの時代の楽器で上手に演奏してしまって、だけど、バッハの時代はもっと下手くそだったはずだから、もっと素人っぽく演奏するべきだとは誰も言わないですね。バッハ自身はトーマス教会での合唱団を半分は使い物にならないと言ってたりするんですけどね 笑)
冗談はともかく、久しぶりのコンサート、とても心地よい時間を過ごしました。

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昨日、知り合いのお誘いで某所で、イタリア国立バーリ歌劇場のヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」を鑑賞してきました。イタオペは正直、あまり聞いてきてません。いや、ほとんど聞いてませんね。昔友人の家でレーザーディスクでドミンゴの「道化師」を見て、感動したという記憶があるけど、我が家にあるCDではアリア集にたまたま入っているイタオペアリアを別にすれば、ヴェルディの「オテロ」が一つある程度。しかもここ10年以上聞いてない 笑)ワーグナーは結構聴いているし、思い出せば最後にオペラを聴きに行ったのは「タンホイザー」だったはずですが、それももう20年ぐらい前のこと。そもそもオペラって高くてね 笑)
前日にYouTubeで予習をしようとカラヤンが指揮した若き日のプラシド・ドミンゴのやつが字幕付きなので、それを見ることに。しかし、その前に、本箱のすみに転がっていた成美堂出版の「オペラガイド126選」の解説を読んでみたけど、ストーリーが要領をえない。ヴィキで調べてみても、ほぼ同じようなことが書いてあるけど、いまひとつわからん。
まあ聞いてみるか、とYouTubeを見る。
うーむ、無茶苦茶なストーリー。意味が理解できないわけだ 笑)これ映画とか演劇でこのストーリーでやったらたまご投げつけられますね 笑)
いくらパニクってても憎い仇の子と我が子を間違えるかよ! しかも間違えて我が子を火にくべちゃう 苦笑) さらにはヒロインも最初修道院へ行こうとするのに、最後は自殺しちゃう。無茶苦茶やろ。自殺ってカトリックでは最悪の罪じゃないの? 自殺して男を救おうとしても、この自殺に意味ないし。さらに最後の終わり方も、「お母さん、復讐を果たしました」って言ってドカンと幕。あまりの唐突な終わり方。しかもどう考えてもこの結末は納得いかんでしょ!! 笑)
ワーグナーならトリスタンが死んだ後もイゾルデは延々と歌い続けるもんなのに 笑)
ところが、音楽の力は偉大だわ。知っているメロディーもいくつもあったし、こんな陳腐なストーリーなのに 笑)、むちゃくちゃ感動しちゃうんですわ。予習の段階でもすごいな、と思ったんだけど、さすがに眼の前でやられると、ヴェルディらしいファンファーレ風のラッパの格好いいこと! メロディーも覚えやすいし(今日は一日、第2幕の出だしの、いわゆる「アンヴィル・コーラス」のメロディが頭の中で鳴り続けてました 笑)、何よりアリアの終わり方が、いかにも拍手を要求するような終わり方 笑)で、さらには主役たちの二重三重のアリアでの掛け合いの圧倒的な迫力に涙出そうになりました。
久しぶりでしたが、正味2時間半、あっという間のとても楽しい時を過ごしました。招待してくれた方には心から感謝です。
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さて、昨日は友川カズキライブで、最後の「一切合財世も末だ」は、「生きているって言ってみろ」の次に聞いた曲で、YouTubeで見たんだけど、心臓を掴まれるような衝撃で涙が出た曲で、アンコールの「わたしの花」では友川さんが一瞬声を詰まらせ、最後の「家出青年」と続いて、もうこちらも涙が止まらず(情けなや)、さらに打ち上げでは、堀川恵子の永山則夫の本に出てくる大谷弁護士にまでご一緒させていただいて、いろんな話を聞かせていただきました。これまでのライブで一番感動したかもしれません。ちょっとぐらい涙が出たことは何度もあったけど、この最後の3曲ほど鼻すすりながら聞いたのは初めてでした。
無論その前の曲も「三鬼の喉笛」では山崎春美さんの朗読が入り、しかも途中新バージョンで石原吉郎のアイヒマンについての言葉が入っていたりして、きちんと聞き取ることはできませんでしたが参りました。大谷弁護士も、歌詞はなんだか全然聞き取れないのよね〜、カカカカカだけよ、聞き取れるのは、なのに涙が出てきちゃうのよ〜、と言ってました 笑)
私が衝撃を受けた「一切合財世も末だ」のYouTubeです。バックのトシさん(髪の毛ある!)もマサさんもみんな若いです。

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昨夜も友川カズキライブでした。チェロの坂本さんは何度か友川さんのライブで聴いていたけど、中村達也さんのドラムというのは初めてでしたが、さすがに噂通りの凄さ。それに何より若い女性のお客さんが多かったですね。これは最近の傾向ですが、僕が初めて友川さんのライブに行った時は、僕より上の世代と思われる方が随分多かったんですが、このところ若い人にファンが増えているような気がします。
第1部の後半は坂本さんのソロで、非常に前衛的というか、電子音楽的というか、一昔前の「現代音楽的」というか、小石を投げてチェロにぶっつけたり、不快な高音を響かせたり、グラインダーで擦ったりして、いったい何が始まっちゃったんだ、と思ったんですが、そこに中村さんが傘を手に静かに登場して、坂本さんが投げた小石を拾い、畳んだ傘の中に放り込んで行って、その石をドラムの上に落として、小さな音で何かが始まる予感を感じさせ、しばしチェロとのセッション。その後、坂本さんがこっそり退場後、延々30分に渡るドラムの独壇場。いやぁ、鬼気迫るというのはこういうのだな。
ほとんどドラムに注目なんかしたことなかったので、この独奏にはびっくりしました。リズムが少しずつ変わっていく、いわゆる変拍子っていうのんでしょうか、そのなんとも言えない心地よさ。そして連打の速さにものすごい爽快感を感じました。何よりこの人の顔がいい。どっか「イっちゃってる」って感じで、虚空を見つめ、ちょっと狂気の雰囲気を醸し出していて圧倒されました。
アンコールで「生きているって言ってみろ」を3人でやったんですが、この曲、僕はライブで4回目だと思うんだけど、これまでは友川さんも言っていたけど、一人で歌っていたけど、これは本当に、なんかとんでもないものを聞いちまった、という気持ちでした。
友川さんの新曲も聴けたし、ライブで初めて「ピストル」も聴けました。迫力ある「女人菩薩」は石塚俊明さんと永畑雅人さんとのセッションでも何度か聞いてますが、それに比べるとより一層ぶっ飛んでるという感じでしたね。石塚+永畑の方が上品かもしれません。好みは人それぞれでしょう。
終了は11時すぎで、さすがに打ち上げに参加することはできませんでしたが、大満足で雨の中を帰ってきました。

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というわけで、前回都議選の晩も友川さんのライブがあって、その時は自民惨敗だったので、その再現を願ったのですが、まあ、結果はご存知の通り。でも、ヌエみたいな民進党よりも立場が明確な立憲民主党ができたのは良かったのかもしれません。
予想通り、トークは政治・選挙問題一色でした。これが聞きたくて、嵐にもかかわらず、帰りの電車がどうなるかもわからないまま、出かけて行ったのでした。まあ、お客さんもたいしていないだろうと思ってたんですが、ハイ、満員でした。
で、ライブです。ずっと聞きたかった「カラブラン」、やっとやってくれました。
ほほに月を映して
踊る君の背中に
それはすぎた空かしら
やがて来る朝か
風さえはじらう指先に
ええいままよと思いざま
赤いセミが落ちてきた
他にも聞きたかった歌をいくつも聞けました。金芝河のことを歌った「囚われの歌」や、歌詞がワケわからん謎のユーモアをたたえた「順三郎畏怖」(「カエデの木に登らんとする水牛」ってなんやねん?)、ど迫力の「女人菩薩」、そしてアンコールが「家出青年」でした。
君よ、君よもしや、
かつてこの国には真っ青な翼の鳥がいた!
貧困が暴力なら無知も暴力である
最後の詩句については以前にも書きましたが、選挙の結果がほぼ分かった現在、まさにこの言葉の意味をかみしめたいところです。
ピアノ、アコーディオン、マンドリンの永畑雅人さんと、ドラムの石塚俊明さんにも圧倒されました。このAPIA40のライブはいつもこの三人で、ある意味でものすごくお得です 笑)
例によって打ち上げにも参加して、帰りは電車が止まることもなく、なんとか終電車で家までたどり着けましたが、何しろ一番雨がひどい時で 笑)

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というわけで、昨夜は選挙結果もツールも気になっていたんですが、友川カズキのライブに行ってきました。歌は言うまでもなく素晴らしかったですが、特にトークでの安倍政権に対する舌鋒鋭い批判は小気味よかったですね。時事ネタが多くて、このハゲ〜!やヒフミンもでてきて、腹抱えて笑いました。
常連のファンの方達と打ち上げにも参加してきて、いつものように終電車近くなって午前様で帰宅でした。

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昨夜も友川カズキのライブに赤坂まで出かけました。初めての最前列。
ライブで毎回顔を合わせ、いつの間にか話をするようになり、話をしてみると、みんな友川さんだけではなく、映画や文学や絵が好きで、しかも好みが似てたりして意気投合した4人組で、打ち上げにまで参加して、終電車で午前様でした。

しかし、いつもよりも若い人が多かったような気がします。しかも女性が。打ち上げでお話しした方は高知からわざわざこのライブのために来たという20代前半の見目麗しい女性でした。いよいよ友川カズキの時代が来るか! 笑)
しかし、実は昨日は次女の誕生日だったんですが、お父さんは私より友川カズキを選んだ、とか言われて非難轟々。来月のライブは渋谷であるとのことですが、今度は連れ合いの誕生日とバッティング。これはちょっと行ったらまずいだろうなぁ。。。笑)

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昨日は the アートシアターという企画の第一弾、ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」を見てきました。最初に見たときは、この手の映画としては評判が高くて連日満員になったのでした。私も立ち見で見た記憶があります。その後も、何度か映画館で見ていますが、今回は多分20年ぶりぐらいです。
この映画についてはすでに一度ここでも書いたことがあるので、細かいことは書きませんが、見終わって、やっぱり自分の幼年時代の古い記憶の中で、不思議だったことを思い出したりしましたね。主人公のアナにとっては人生が始まったばかりで謎に満ちていて、そんな謎の中でも一番の謎は「死」なのでしょう。
5時からは同じエリセの「エル・スール」も上映されるのですが、こちらは夜の予定があってパス。その夜の予定というのが、性懲りも無く友川カズキのライブでした。友川さんの歌に「エリセの目」という曲があって、心密かに、もし今夜のライブでこの曲が歌われたら、絶対いいことがあるに違いないと、子供じみた願掛けのような気持ちでいたんですが、なんと!歌ってくれましたよ!! 笑)
「見えるものからしか見えないものは語れない」
ライブ終了後の打ち上げにも、例によって図々しく参加。深夜バスでの帰宅と相成りました。満腹感一杯の1日となりました。


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またまた行ってきました。前回のライブはギックリ腰で行けず、今も万全ではないんですが、友川さんの挙手もちょっと腰をかばう仕草が見え、聞いてみるとやっぱり持病の腰痛が。。。とおっしゃってました。今回の楽しみはやっぱりあの幼稚園の話。直ぐに出てきて場は一気に盛り上がりました。
今朝できた曲という「馬喰が来た朝」という曲を最初に披露。さらに「夜へ急ぐ人」も。終了後は図々しくも打ち上げに参加。あまりお話はできませんでしたが、「馬喰」の意味を知っていると言って褒めていただきました 笑)
今回のお土産はこれ! 裏にはサインして絵を描いてもらったんですが、それは個人情報も入っているので、ここには載せません 笑)

ついでに車には「花々の過失」のDVDについていたシールを貼りました 笑)


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今日はCDの紹介です。前の「復讐バーボン」もすごかったけど、これもすごい。予約注文して届いてからほぼ1ヶ月、もう何度かけたことか。最初の「光るクレヨン」は過去4回行ったライブの全てで歌われた曲ですが、CDのはそれらに比べてかなり静かな印象です。同じくライブで3回聞いている「透谷を聞く」もそうですが、歌いぶりに圧倒されて、なんて言っているのか歌詞がよくわからなかったんですが 笑)CDの歌詞カードを見て、ああ、こういう歌詞なんだと納得。特に透谷のリフレイン部分は、むちゃくちゃ格好いいんだけど、恥ずかしながら、なんて言ってるのか全くわからなかったから、この歌詞カードは楽しみにしてました。
この人の歌にはどれも何か、とても格好の良い歌詞があります。「愉楽はリスクの先にある」(「愉楽」)とか、「右手をまわしても 左手をまわしても とどかぬ背後の一点」(「死んだ男に」ただし、これはひょっとしたら石原吉郎の詩句かもしれません)とか、「誰も彼も青春を失敗したのだ」(「楕円の柩アラカルト」)とか、一度聞いてすぐに心に残るというよりは、何度か聞いているうちに忘れられなくなるような歌詞です。
まあ、もっとも僕は歌詞に引っ張られ気味で、ライブの後の飲み会で友川さん本人からも、歌詞にこだわるなと一喝されたんですが 笑・汗)しかしそうは言っても、私はやっぱり言葉の意味に引っ張られちゃうんですよねぇ。。。まあ、歌詞の中には韻を踏んでいたり、オノマトペみたいな感じのものもあったりして、「お話」がわからないものの方が多かったりするんですけどね。
そして、このアルバムの最後の「三鬼の喉笛」は堂々たる繰り返しのメロディの後に山崎春美さんの朗唱がどんどん加速していき、もうめまいがするほどの格好よさ。 というわけで、現在私のイチオシです。

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またまた行ってきました。今回はホームレスの立場から政治家を揶揄する「青いアイスピック」で始まり、発売されたばかりのアルバム「光るクレヨン」からをメインに、なんと、前回もう歌わないとおっしゃってた「無残の美」も。
水の生まれ出ずる青い山中で
待つのみでいい どこへも行くな こちら側へも
もう来るな
それから、前から生で聴きたかった「夢のラップもう一丁」も。「無残の美」では涙が、そしてこちらでは笑いが止まりませんでした 笑)
そして合間には舌鋒鋭く現在の政治批判。ライブ終了後には、前回明け方まで一緒に飲んでいた方々と、映画の話をメインに盛り上がり、調子に乗ってつい飲み過ぎました。へべれけで帰宅。今日は完全な二日酔いでした 苦笑)

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相変わらず友川カズキです。何しろ、あんな格好良い詩に、あんな格好良いメロディーをつけて、あんな格好良く歌っちゃうのに、本当に参ってます。昨夜、学芸大学駅の
APIA40のライブを聞いてきました。今回はピアノその他の永畑雅人とドラムの石塚俊明のおなじみの二人と、最後に山崎春美の朗読も加わって、ソロよりも音が広がって良かったと思います。
終了後の打ち上げにも参加して、さらに二次会で4時まで。実に久しぶりの始発電車で帰宅と相成りました。今回は酔いに任せて図々しくも真正面に座り、いっぱい話を伺ってきました。森達也の「FAKE」についてや、サカキバラ事件のこと、原発のことや絵画や映画や政治の話などたくさん。
以前ここに書いた「2010年夏、おが」の九つ四つについても聞いてみたら、僕の推測どおり、おがこと児玉ミヤさんの命日が9月4日だそうです。その児玉ミヤさんのことを描いた絵を買ったファン歴40年という方がいて、とても良い絵で羨ましかったです。この歌についても聞いてみたところ、もう歌わない、何度も歌ったから成仏したと思うとのこと。そこで図々しいとは思ったけど、いやあの歌や「無残の美」はもう普遍的なもので、誰にでも児玉ミヤやサトルがいるんだ、ぜひもっと歌ってください、
次のも〜吉のライブで是非お願いします、と酔いに任せて、思いっきりプッシュしてきましたが、どうなるでしょう 笑)
しかし、2年ほど前は偉そうに酒をやめたと言っていたんですが、このところ、さすがに以前ほどではないにしても、やっぱり飲んでますねぇ。困ったものだ 笑)

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