東京は中野の東京都生協連会館で「ナチスドイツによる障害者虐殺『T4作戦』パネル展示&トークセッション」というのが今日明日と行われています。
T4作戦については拙ブログでもなんどか書いたことがありました。今は絶版だけど、「灰色のバスがやってきたーナチ・ドイツの隠された障害者「安楽死」措置」という小説も20世紀に読んだことがあります。だからこのT4作戦についてはドイツでも有名な話なのだろうと思っていました。だけど実はこの事件について正式にドイツ精神医学精神療法神経学会がこれを認めて謝罪したのは2010年になってからだったそうです。
ナチスは政権を取った翌年の1934年から精神障害者や知的障害者の断種手術を始めます。そうした障害は遺伝的欠陥であると考えられた結果、40万人が断種させられたそうです。まず保険担当の役人や障害者施設所長による強制断種の要請があり、それに基づき判事が裁判所でそれを承認し、それに従い医師が手術を実行したわけです。
戦争が始まった1939年後半からは病気や障害のある人の登録が義務付けられ、40年からはT4というコードネームがつけられた障害者安楽死政策が開始されることになります。これは第三帝国秘密事業と称され、ヒトラーの命令書に従って内務省と法務省も関与します。この作成によって殺害された人数は20万と言われてきましたが、最近の研究では40万とか50万という数字も出ているそうです。
当然ナチスドイツの時代に一般人がそれに対して抗議することはできなかったでしょうが、カトリック教会がこれに反対の声をあげ、41年夏にはフォン・ガレン枢機卿(ローマ法王に次ぐ位階)が説教の中で障害者の安楽死を殺戮と明言し、これが直接的な引き金となってT4作戦は中止されます。
しかし中止された後も障害者の安楽死は密かに続けられ、医師や看護師たちによって飢餓殺や薬殺により、中止以後の犠牲者の数はT4作戦が実行された期間の数を上回るそうです。
そして戦後、この計画のトップの責任者は死刑になったものの、直接的に関与した医師や看護師たち、研究者たちはほとんど罪に問われることもなくその地位を継続し、天寿を全うします。そしてもっと残念なことに強制断種された犠牲者たちや安楽死させられた犠牲者たちの家族もこのことに口をつぐみました。
これらの被害者がナチの迫害の犠牲者であると認知されたのは1980年代に入ってのことでした。
パネル展示には被害者たちの写真や家族写真などがあって胸が痛みますが、一番見ていて辛かったのは、安楽死させられた障害者の家族への通知のところでした。障害者たちを安楽死させた事務官たちは、犠牲者の家族に「お悔やみの手紙」を出します。それぞれ一通一通違うものに見えるように装って、偽りの死因や死亡時の場所や日時、状況、死亡証明書と医師のサインなどを何万通もの通知を出します。彼らはどんな思いでそれらの通知を作成したのでしょう?

もちろん殺された障害者の痛ましさはいうまでもありません。でも僕らはここで、「この悪党どもはなんとひどいことをしたのか!」と怒るのではなく、「私だって同じ立場に立たされたら同じことをしただろう」と恥るべきなんだと思います。
同じようなことはナチスのユダヤ人虐殺は無論のこと、南京大虐殺だって同じでしょう。同じ立場に立たされたら、ほとんどの人間は彼らと同じことをします。もし私があの時代の精神神経科の医師だったら、強制収容所の看守だったら、南京に送られた日本軍兵士だったら、間違いなく同じことをしたでしょう。だから、そういうことをしないで済む社会にしなければならない。まあ、これは拙ブログでもなんども言ってきたことですが 苦笑)
会場では
拙ブログでも以前書いたT4作戦に関するNHKの番組が流され、その後でその番組に出演されたきょうされん専務理事の藤井克徳さんが話をされました。その時に会場の質問者の方が日本の精神神経学会も戦時中もそうだし戦後も優生保護法のような悪法について反省すべきだし、それを働きかけるべきではないのか、という話をされました。

ナチスがやった悪は日本の比ではない。それは間違い無いでしょう。犠牲者の数、その理念性、組織性、徹底性、どれを取ってもものすごい。だけど、それに対する反省の表し方の誠実さも日本とは比べ物にならないのではないでしょうか?
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今朝の東京新聞に出ていたニュースです。
「厚労省は通所施設を利用する低所得の障害者を対象にした食費の負担軽減措置について、来年3月末で廃止する案を有識者検討会に示した。」
国にとって一番邪魔なのは国民なのだろう。自民党のポスターには「この国を守る」と出ている。「国民を守る」と言わないところがポイントかもしれない。少なくとも今の政府はどうしたら株価を上げられるか、そしてどうしたら社会保障・教育に使う金を削減できるかをメインテーマにしているのは間違いない。
国が先にあって国民がそこの所属しているわけではない。逆である。だけど、どういうわけか、権力者でもないのに、国に自分を同化させて、大所高所から物を言いたがる人が増えた。おかしいだろう、自分の足元、自分の生活から世の中を見ていかなくては変だろう?
上記のニュースに戻れば、仮に負担軽減が廃止されると、「障害者の食費負担は月約五千円から約一万四千円に増える」そうだ。所得が低い通所障害者にとって、この9千円の差はものすごく大きい。通所授産施設へ通う障害者の中には月に9千円稼いでいない人もいるのではないかと思う。
一方でモリカケでは億単位の値引きがなされる。僕らが国に払う税金は僕らのセーフティネットに使って欲しいとは思わないだろうか? 権力者の近くにいる人間のために、僕らの払った税金が使われるのはどう考えたっておかしいだろう。
一応、最初のニュースには続きがあって「委員からは『調理してもらわないと食事を取れない障害者もおり、廃止は疑問だ』といった意見が出され」引き続き議論することになっているとある。
ただ、これ以外にも「就労支援や障害児の放課後等デイサービスなどの事業所による送迎について、事業所への報酬加算を来年4月から縮小する考えも示した」とあり、障害児の放課後等デイサービスなどはうちの子どもも利用しているし、ニーズはますます高まっているというのに。。。
保育園の待機児童もそうだし、一般の国民の足元がどんどん切り崩されているのに、政府は「大学までの授業料無料化」などと目立つ花火を打ち上げて(だけど、これにもどうやら裏があって、卒業後に支払うというシステムにするらしい)、ついでにこの餌で憲法まで変えてアメリカの属国化を完成させようとしているわけである。 変な国になったものである。

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例の相模原の事件で、気になっていた本。昔から知ってはいたが、過激すぎるので、それなりの覚悟を持った上で読まなければならないと言われていた。読んだけど、うまくまとめられそうにない。覚書程度にメモしておきたい。
書かれたのが今からすでに40年近く前の本で、取り上げられる個々の事件(現代の目で見れば、あまりに酷すぎて胸が悪くなる)は現在ではすでにほぼ過去の話になっているものもあると思う。例えば車椅子でバスに乗るというのは、私が住む地域では、全てではないが、ノンステップバスが走っていて、車椅子での乗車は可能になっているし、優生保護法はすでに母体保護法になっている。何より親による障害児殺しの事件があっても、マスコミがこの本にあるような差別的な書き方はしなくなっていると思う。それは著者の横田ら「青い芝」の当事者運動の成果なのだと思う。
しかし、ここに語られている、障害当事者から健常者に対する批判は、その大本のところで現在でも完全に通用するものだと思う。障害者が街に出るためのインフラは随分整備されたけれど(無論それでもまだまだ足りないのは言うまでもない)、しかし、人々の障害者に対する思いは、この本が書かれた当時とあまり変わっていない。そして、善意と思い込んでいる健常者の障害者に対する様々な思い上がりが、結局のところ、回り回って、今回の相模原の事件のようなところまで突出しかねないのだと思える。
何より、この資本主義社会の中で生産活動ができる人間が偉いのだ、という「常識」の中で、そうでない人間はいない方がいい、と考えるところまでの距離はわずかである。
この本で指摘されている重症障害当事者の発言はとても重く、簡単には乗り越えることができそうもない。すべてに納得したわけではないのだけど、たくさんのことを考えさせられるとともに、障害者の親として反省させられ、考えさせられるところも多かった。
…追記(2016/9/17、11:30……
今朝の東京新聞のこちら特報部にも「青い芝の会」のことが書かれていました。

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NHKのハートネットTVで障害者と戦争というテーマで二回に分けてナチスによる障害者安楽死計画T4作戦と、ナチ時代の視覚障害者オットー・ヴァイトのことをやっていました。
日本障害者協議会理事の藤井克徳さんがドイツでそのあとを訪ねるという企画です。
藤井さんは以前、地元で障害者権利条約と秘密保護法の話を聞いて、それについて拙ブログでも書いたことがありました。また、
ドイツのT4作戦についても、拙ブログで何度か紹介したことがあります。
ただ番組では触れられていなかったけど、ヒトラーがこの計画をやめた理由の一つにフォン・ガーレン司教が説教でこの計画を非難したということもあったはずです。ただこの障害者安楽死計画が中止されたあと、ユダヤ人の組織的ないわゆるホロコーストが始まったといい、つまり障害者安楽死計画はホロコーストの予行演習のような役割を果たしたわけです。まず本を焼き、続いて障害者、さらにユダヤ人を初めとした差別された者たち。。。
番組では父親がパーキンソン病で40歳になる前に安楽死させられた人がでてきました。安楽死といっても実体は虐殺です。しかしパーキンソン病はヒトラーも晩年にはこの病気にかかっていたと言われています。なんというか、ものすごい運命の皮肉を感じます。
二回目のオットー・ヴァイトは盲人にして、ナチスの時代に盲人の作業所を立ち上げ、ユダヤ系の障害者たちを多く雇ったという、いわばオスカー・シンドラーの障害者版みたいな人です。ヴィキペディアを見ると、まんま、「ベルリンのシンドラー」と言われるとあります。ナチスに取り入って、自分の作業所で作るものが戦争に必要なものだとアピールすることでユダヤ人を助けようとした点もシンドラーとよく似ています。
結局、ナチスの時代には人間を国家に役に立つ人間かどうかで価値づけていたわけです。しかし、以前にも書いたように、価値があるかないかを決めるのは誰なのか? 価値がない人間なんていないんだ、口で言うのか簡単だけど、今の世界を覆っている空気は、人間に対して、呆れるぐらい価値付けをしているのではないでしょうか?
番組の最後に車椅子の元議員が言うように、レッテルを貼って分類するから差別が生まれる、というのは含蓄があります。「あなたは障害者、あなたはユダヤ人、あなたは同性愛者、あなたは外国人、あなたは女性だと、何事も分類するから、差別が生まれ、迫害につながる」
誰の人生であれ、その人生はただ一つのかけがえのないものなのだ、誰もが価値のある人間で、「別に、修理をする必要はない」。これが人権というものなんですね。

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どういうわけか、FC2ブログ、現在アマゾンの商品紹介のリンクがうまくできない状態が続いています。FC2ブログお問い合わせフォームには修正対応中ゆえ、今しばらく待てと出ていて、1〜2週間ほど待ってみたんですが、だめですね。しょうがないので直接リンクを張っておきます。
薗部英夫「北欧=幸せのものさし 障害者権利条約のいきる町で」大昔の話だが、総理大臣だった中曽根康弘が防衛に力を入れないと日本は(ソ連のお情けにすがる)フィンランドのような国になってしまう、と言ってフィンランド大使館から抗議されたことがあった。しかし、今のフィンランドは理想的な国だ。東西の貿易の窓口となり、生活水準や教育水準は世界トップクラス。あのときフィンランドのような国になっていればよかったのに 苦笑)
このフィンランドを始め、スウェーデンやデンマークという北欧の国々をめぐって障害児(者)達がどのような生活を送っているかを長年にわたり見てきた全国障害者問題研究会事務局長が書いたシリーズ第二弾(
第一弾はこちら)。住まいと教育と就労の三点をテーマに具体的に筆者が20年にわたって見てきた具体例が、写真とともに描かれている。
だいたい精神障害のある人がアフリカの紛争地帯ナミビアの子供たちの里親になっている、なんて信じられない話ではないだろうか。障害者がこうして安定して暮らせる地域は子供や老人はもちろんのこと、健常者にとっても住みやすいところであるのは間違いない。だからこそこれらの国々は国民の幸福度がトップクラスなのだ。
だけど、これらの国々だって最初から社会福祉が充実した国ではなかったし、今現在も、世界的な市場原理優先の影響を受けつつも、よりよい可能性を求めつづけている。だけどこれらの国の考え方には、人権意識と民主主義に基づいたしっかりとした哲学がある。それは福祉制度だけではなく、社会全体のさまざまな制度に見られる。現在の日本と比べてもただただ切ないだけだけど、こういう国が今、本当にあるのだ、ということで、「希望のモデル」(p.6)として、あるいは表題にあるように幸福度を測る「ものさし」として、もっと知られるべきなんだと思う。

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昨夜、Livestream で見ていて、終了直後に書いたツール・ド・ポーランドのネルツ、総合9位にジャンプアップでした。ステージ自体は26位だったんですけど、総合では16位から9位へジャンプアップ。トップテンはとても嬉しいですね。ブエルタへの弾みが付くことでしょう。
さて、
Eテレで昨夜放映されていたETV特集は肢体不自由児たちの疎開をめぐる話だった。昭和7年に開校された、当時日本にひとつだけの公立の養護学校光明学園の話だ。
戦争中、東京の学童たちは来るべき米軍の爆撃に備えて、安全な田舎へ集団移住させられ、それを疎開といったことはご存知のとおり。これは将来の戦力となる子どもたちを守るためで、いわば子どもたちの「戦闘配置」と位置づけられ、国から補助金が出たんだそうだ。しかし障害のある学童たちは戦力にならないという理由で、なかなか疎開させてもらえなかった。そのために光明学園の校長松本保平は、校庭に防空壕を作ったり、自ら疎開先を探してかけずり回り、なんとか受け入れ先を見つけて疎開に成功する。疎開して、なんと10日後に学校は空襲で全壊したんだそうだ。
しかし、光明学園を見学に来た普通学校の教員たちは、障害のある子どもたちにこのような立派な施設や設備を使わせることを無駄だと言い放ったそうだ。
戦争というのは、人間をランク付けさせる。国は人間をランク付けする。子どもも含め国民を戦力と考え、戦力になる、ならないでランク付けをする。だが、それは生命を軽んじることだ。重要な命とそうではない命があるということだ。だが、その基準は何か? 国のために敵と名指しされた人間を殺せるかどうかだ。わかりやすく言えば、敵という名の人間を殺せない奴は非国民だったんだ。
ナチスではそれがもっと徹底されて、
T4作戦という障害者を安楽死させる政策にまで発展したことは、以前書いた。もっとも、ナチスの場合、敵を殺せないから無用だという発想ではなく、もっと観念的なものだったんだろうけど。
しかし、だからこそ、国というものがなんなのか、きちんと考えなければならないはずなのに、今の世の中、自分を国と一体化させて、普通の人が国益なんて言葉を口にする。国益って誰の益なんだ?
さて、そんななかで光明学園の校長松本保平(もちろん故人だ)のような立派な人間、善意の人がいたことに、少しホッとする。戦争が人をおかしくする。同時にそういうときに素晴らしい人間がいる。だから記録が残ったんだ。だけど、そうした個人の善意に頼らなければならない社会は、そういう時代は、やっぱりおかしいんだと思う。
----追記 2014年8月12日、23:05
2014年8月16日(土)午前0時(金曜深夜)に再放送されます。ご関心があり、見逃した方はどうぞ。

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日本障害者協議会常務理事の藤井克徳さんの話を聞いてきた
。以前拙ブログでも紹介したことがある障害者権利条約が12月4日に国会で承認された。これは喜ばしいことである。しかしその二日後には、これと相反する秘密保護法も成立した。
土台の平和や主権在民が崩れると、その上に載っている権利もなにも崩れてしまう。やっと世界中で139番目(!)の国としてこの条約(という以上法律より優先されるはず)を批准したわけだけど、条約というのは楽譜のようなもので、それを実際にどのように演奏するか、音にするか、つまりその条約をどう生かすかは国であり、政策担当者の力量次第というわけだ。しかし、そこに暗い影を投げかけるのが、平和を脅かしかねない秘密保護法である。
秘密保護法は成立した。しかし、かつて2005年に成立した問題だらけの障害者自立支援法は、各地で違憲訴訟が起こされ、2010年に廃止が決定、それともに違憲訴訟でも和解が成立した。
拙ブログでもそれについて書き、拙ブログ最高の拍手数をもらった。今回の秘密保護法も、今後、違憲立法として法廷闘争に持ち込まれることは間違いないだろう。障害者自立支援法が成立した後に廃止されたという前例は重要なことだと思う。そんなふうに藤井さんは語った。
ぼくの感覚では、森達也の台詞じゃないけど、すでにブレーキを踏むタイミングは失した。あとはどこかにぶつからなければ止まらないだろうと、もうかなり諦め気味の気分だったが、今日の藤井さんの話を聞いて、まだ諦めてはいけないのだ、と勇気をもらった気分だった。

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といわれても、余りよく分からない人のほうが多いだろうね。妊娠中にお腹の子供に染色体の異常がないかがわかる検査というわけだ。このところ話題になっているのはそれ以前に比べて精度が格段に上がり、安全性もアップし、負担も少ないというアメリカ由来の新しい診断方法だそうだ。そうはいっても99%だそうだから、100人が受ければ1人ぐらいは外れるわけだ。
今朝の朝日の投書欄にあった方の意見は至極まっとうだった。おおよそこんな話だ。
知らない人にとっては、なにか病気が出生前にわかるなんて良い事じゃない、って思うかもしれない。しかし、この診断によって結果が分かったときに、それでも生むか、中絶するか、これはどちらも正解なんか無いだろう。子供を育てることはいずれにせよ大変なことだし、我が子は愛しくかわいく、そして時々憎たらしい。
この通りだと思う。親の立場からすれば、正解なんかない。しかし、これに正解をつけたがる人達がいるのではないか? この診断の問題は親の問題だけで終わらない。仮に診断の結果、異常があることが分かった、にもかかわらず生むことを決意した親は、分かってて生んだ以上「自己責任」だと言われるのではないか? いや、それどころか、この出生前診断を受けずに障害のある子を授かった場合、それもまた、診断を受けなかった親の「自己責任」だと言われるのではないか? 同時にまた、これは福祉予算を削減するための一環なのではないのか?(これは今の殺伐とした日本の社会を見渡したとき、まず間違いなくそうだと思わざるを得ない)
そして、そういう空気が広まれば、いずれ、この出生前診断は妊婦が必ず受けなければならないようなシステムになる可能性だって出てくるだろう。
ここまでくれば、ナチスのT4作戦(障害者安楽死計画)までもうあと一歩だ。
そんなの考えすぎだよという人もいるかもしれない。でも、当時考えすぎだよと笑われながら、時が経ってみればやっぱりそうなったケースがたくさんあることは、311以後多くの人がいろいろなケースで気づいたと思う。そして、すくなくとも、いまだに「自己責任」を言いつのる政治家が人々の人気を得ているような状況を見る限り、この不安が深まることはあれ、ぬぐい去ることはできない。
うちの次女はダウン症だ。むろん出生前診断など受けていない。生まれてすぐに医者から言われたときには、長女のこともあったし、ものすごくショックだった。しかし、いま12歳になり、あのとき、生まれてすぐにこの子の誕生を素直に喜べなかった自分を、僕は思い出すたびに恥ずかしく思っているし、もし連れ合いが出生前診断を受け、結果を知っていたらどうしたか、仮定の話であっても、恐ろしすぎて考えることはできない。
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障害者雇用促進法では「一定規模以上(2007年時点で常用労働者数56人以上)の事業主は、障害者を一定割合以上雇用すべき法律上の義務を負う」(wikiより引用)とあり、おおむね2%ぐらいの率が規定されている。
ユニクロのように7%以上という所もあるけど、ほとんどはこの規定を満たしていない。障害者が一般企業で働くのは大変なことなのである。当然のことながら、重度の人や重複障害の人が一般就労するのはほとんど不可能に近く、多くの場合授産施設や作業所で働くことになる。授産施設や作業所にはいろんなタイプがあるけど、おおむね工賃(賃金)はあきれるほど安い。
しかし、擁護学校等を卒業した後、社会との接点を持ちづらい障害者にとって、月並みな表現だけど、なにかを作り出して、それに対する対価を得る(社会参加できる)ことがうれしいのは当たり前だ。
ところが現在、自立支援法の規定により、こうした施設で働くことに対して、金を払わなければならない人がいる。家族が働いていることを理由に、月9300円の利用料を払わされている人がいる。払わされる方は言うまでもないが、同時に月4000円の給料袋に5300円と書かれた請求書を入れなければならない施設職員の気持ちを想像してみてほしい。
働きに行った障害者が金を取られる国、いまの日本はそんな国なのである。
現在参議院の審議は停止しているが、多くの人が参議院前に集まり、こんな状態をやめさせようとアピールしている。
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昨日26日、総合支援法と名前だけ変えた自立支援法延命法案が衆議院本会議で採決、一切の審議もなく自公民議員の起立多数により可決されました。
先週から毎日、そしてたぶん今日も雨の中、多くの人が集まって国会の前で抗議行動が行われています。
2006年、障害者自立支援法が制定され、障害者が生きていくのに必要な援助をサービスとして一律金を取る応益負担が導入されました。これにより援助がたくさん必要な障害者ほど、つまり重度の障害者ほど生きていくのに金が掛かるという、先進国ではどこにもない、とんでもないシステムができました。
2008年、障害者自立支援法は憲法に規定されている人権に反する法律であると、全国の障害者多数が国を相手に裁判を起こしました。マニフェストでこの自立支援法を廃止すると書いた民主党が政権を取り、2010年1月にはこの法律は違法である、間違いだった、自立支援法は廃止し、憲法の人権を障害者に具体化する法を新たに作ると約束しました。
この約束に基づき、その後多くの当事者を交えて約1年の議論を重ね、より良い法律にしようと何度も会議を開いて、2011年8月に新たな法のための骨格を練り上げました。本来、この骨格をもとに、政府は財源等も考えながら新たな法案を作る義務があったはずです。
ところが、実際に出てきたのは障害者総合福祉法という名前を変えただけで、応益負担は残ったままの、せっかく1年もかけて練り上げてきた骨格を99%無視したもの。しかも、それを審議もほとんどしないまま衆議院を通したわけです。あとはおそらく来月半ばごろまでに参議院の委員会で審議・採決後、本会議で通れば、
国による詐欺の完成となるわけです。
YouTubeに、
去年の震災の少し後に引用したことがある池添素さんのFM「京都三条ラジオカフェ」の映像がアップされています。この中できょうされん京都支部の粟津さんという方が、こう言ってます。
古い車を廃棄して新車にしますと契約した。ナビをつけてとか、その他、いろんな要求を出して、待ちに待った車が来たら前の古い車のままだった。
これは詐欺ですね。しかも、その契約相手が国なんですよ!
つまり
国は嘘をついても良いっていう前例を作ったわけです。一度ついた嘘は、もうつき続けるしかありません。原発事故もそうですが、結局太平洋戦争の軍部と同じで、どんどん泥沼にはまっていくことになるのではないのか、国は次はどんな嘘をつこうとしているのか、と不安を感じます。
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すでに一月以上前のことです。YouTubeのカウンターを見ると8000程度ですが、これは是非ご覧になっていただきたいと思います。
福島智さん、盲ろう障害者で、おそらく世界で一人だけの大学教員です。10歳になる前に失明し、20になる前に失聴しながら東大の教授になっている、ちょっと凄いなんていう言葉で言えるようなレベルではない、想像のらち外の人です。今回の自立支援法保存法案に怒っています。特により良い法律を作ろうと、内閣府に作られた制度改革推進会議で、何十回も議論を繰り返しながら、そこでの提言をほとんど完全に無視した厚生労働省の案に対して、この会議がいったい何だったのかと怒りの声を上げています。忙しい方は7分からの2分ぐらいだけでも見て下さい。
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障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会のメールニュースに教えてもらいました。埼玉新聞の平野照恵記者のコラムです。そのままご紹介します。
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表紙を変えても
2010年3月24日、さいたま地裁。裁判長が「障害者自立支援法の廃止と新法制定」などを約束した基本合意文書を全文読み上げ、同支援法違憲訴訟は全国の同訴訟に先駆けて和解した。障害者が権利の主体として生きることができる新しい時代が来る。元原告や支援者の目に未来に向けた希望の光が宿った。/ しかし、この約束は反故(ほご)にされた。政府は13日、同支援法の一部改正案を閣議決定した。厚労大臣は「名前も変え、基本理念もつくり直した」ことで事実上の廃止というが、115条項のうち108条項は手つかずの状態でどうして廃止といえるのか。障害を自己責任と捉えた応益負担の仕組みも残されたままだ。表紙を変えても中身が同じでは廃止とはいえない。/ 民事訴訟法267条には裁判上の和解調書は「確定判決と同一の効力を有する」とある。このまま国会で同改正案が成立すれば、法治国家の土台が揺らぐ。国連の障害者権利条約批准に値する国内法の整備も遠のく。
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わかりづらい言葉がいくつかあるかもしれません。拙ブログの過去記事を見てもらえばわかりますが、この障害者自立支援法というのは、障害は自己責任であるから、サービスに金を払えという法律です。あほか?っていう法律です。だって、責任ってなんですか?責任を問うためには、こういうことをしたら、Aになるかもしれないし、Bになるかもしれない、Cかもしれないし、Dかもしれない、さあ、それでもやりますか?って言われて、うん、覚悟の上です、ってやったらこうなった。これは自己責任。でも障害ってなに?情報開示されてた?? 当たり前だけど、自己責任なんていう言葉が入り込む余地のない問題です。
記事のなかの「応益負担」というのは、サービスそれぞれに金額が決まっているっていうこと。これと反対の言葉が、まぎらわしいけど、「応能負担」というやつ。こちらは、その人の支払い能力に合わせるということ。初めて聞いたときは、どっちも全く意味わからなかったですね。つまり応益負担だと、収入が1000万の人も200万の人も同じ額を払わされるわけ。同時にサービスがたくさん必要な重度の人ほど生きていくのに金がかかるようになったわけ。
最後のほうの和解云々は、この法律に対して、憲法13条の個人の尊厳とか25条の生存権や国の社会的使命に違反しているとして、全国各地で憲法違反だと訴訟が起き、政権交代により、民主党がこんなヘンな法律やめますと言うから、各地の原告達も、裁判沙汰にせずに和解で納得したわけ。その和解を、つまり裁判所の「確定判決」を無視したのが国ってわけ。
ありえないよね。いわば騒音おばさんが訴えられて、もうやりませんと裁判所で言って、和解になった。しばらくしたらやっぱり騒音振りまいてた、みたいな話だよ。しかもこの法律のおかげで無理心中したり、障害の程度が進んでしまった人もいるわけだからね。騒音おばさん程度の話じゃないよ。騒音おばさんには騒音おばさんなりの言い分があるかもしれないけど、この法律に関しては、まあ、はっきり言って自公と役人のメンツだけだからね。
もう一度書くけど、今、この国では、本当にとんでもないことが起きています!!
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友人のメールニュースで教えてもらいました。いつまで見られるか分かりませんが、6分ほどのニュースです。これまでの経緯も含めて、とてもうまくまとまっていると思います。是非見て下さい。
TV Tokyo ニュース「廃止の約束が。。。」きんじいに感謝。
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すでにニュースでご存じの方も多いことでしょう。政府は昨日13日に障害者自立支援法一部改正法案を閣議決定し、国会に上程しました。こういう詐欺行為を国がして良いのでしょうか?去年の大震災後、この国は国民に嘘をつき続けて、多くの人々を放射能の危険にさらしました。今さら詐欺だと言っても驚かないかもしれませんが、約束があったからこそ和解に応じた違憲訴訟団の信頼を踏みにじりました。2年前の大きな期待がこういう形で裏切られたことに、ただただあきれかえるとともに、ほんとうに腹が立っています。
すでに拙ブログで繰り返し述べてきましたが、この法律は障害者団体などが廃止を求め、違憲訴訟を起こし、民主党は廃止を約束して原告団と和解しました。
鳩山総理は「尊厳を傷つけて申し訳なかった」と膝を折って原告団と握手し、長妻厚労大臣も、管総理も廃止を明言しました。
しかし、実際に変わったのは115条の条文のうち1条の理念と4条の障害範囲についてのわずかな修正だけで、あとは名称を変更する程度。文字数にして500字程度で99%はもとのまま。
原告団は国がごめんなさい、こんなことはやめますと言うから裁判所へ訴えていたのに、それを取り下げたのです。そして、やめて新しいことを当事者を含めて考えていきましょうといって、部会まで作って議論を繰り返し、部会から提言を受け取りながら、国はそれを99%無視して、やっぱりやめるのやめたと言い出したわけです。
これは詐欺です。マニフェスト違反なんて言うのはもうすでに繰り返されてきていますから、民主党にはこういう批判は痛くもかゆくもないのでしょう。しかしこの基本合意というのは、裁判所を介した和解です。つまり国は司法も関わった契約を破ったということです。こういう詐欺をしたっていうことは、これが先鞭となり、今後も繰り返し詐欺が行われ続けるでしょう。
今、この国では、とんでもないことが起きているのです。
原発だけでなく、国そのものがメルトダウンしているのです。すくなくとも、このことだけはしっかりと意識しておかなければなりません。
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東京新聞、スポーツ欄に中日がらみが多いのが玉に瑕だが 笑)、この新聞の記事にいらつくことがほとんどない。むしろ、よくぞ書いてくれたという気持ちになることが多い。特に原発関連は力が入っている。
今朝の自立支援法延命批判記事も、具体的な例がいくつか挙げられわかりやすい。
民主党は八ッ場ダム建設中止、普天間移設、子供手当と、次々と公約を破ってきたが、この自立支援法廃止はこれらの公約と比べても、格段に重みが違う。「国が調印、閣議決定までして約束した、いわば『国約』だ。最後の砦まで裏切るのか。(。。。)『国は国民との約束を破ってもいい』との、悪しき前例になりかねない。
政権交代をした民主党の歴史的な存在意義は、消えてなくなるだろう」(藤岡毅弁護士)
そしてデスクメモとして記者の言葉はこうだ。
「法律とは生きていることを励ますものではないのですか」。障害がある子の元原告補佐人の女性の訴えが胸に迫る。名折れた政治主導をあざけるように厚労官僚が廃止をひっくり返す。一割負担をやめて財務省に頭を下げるのも嫌なのだろうか? 希望の芽を摘むご都合主義の政官一体は願い下げだ。
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数日前にも書きましたが、約束したことを守らないなんてことになったら、この国はいったいどうなっていくのでしょう?
もう一度繰り返しますが、政権交代後、民主党の長沼厚労大臣がこの法律を廃止し、当事者参加によってよりよい制度を作っていくと言ったことは、動画付きで書きました。これは口が滑ったというわけではないのは、この後2010年4月21日には当時の鳩山首相も「自立支援法を廃止をします」と明言しています。
おおざっぱに言って、このときの約束は「基本合意」と呼ばれています。しかし、国(厚労省)が出してきた案は廃止すると約束した「障害者自立支援法」をわずかに手直ししたにすぎず、それを手直しではない、名称が変わるから廃止だ(ホントに厚労省の役人が 言ってるんですよ)などと言うのは、子供だってだませない嘘です。
この嘘に対して厚労省で異例の共同記者会見が開かれました。その動画です。前代未聞の13の集団訴訟原告団・弁護団による共同抗議声明です。
国の責任ある発言を反故にするということは、今後も、いくらでも嘘をつくということです。国の根幹に関わる問題だと思います。これは障害者の問題だけではありません。国の在り方の問題です。
自立支援法意見訴訟・訴訟団藤岡弁護団事務局長の話。「今回の基本合意反故の動きは、国家のメルトダウンではないか。厚労省案は愕然とするもので、信頼裏切られたといわざるを得ない。【厚労省の】津田政務官から説明を受けても失望と疑念はふかまる。話し合いはつづけなばならないが、骨格提言への回答はあまりにおそまつ、基本合意を踏みにじることは許されない。」
元原告のかたたちの話。「長妻大臣といっしょに握手しながら、こころときめく思いでした。推進会議、部会で意見をまとめて骨格提言をつくって、待ちに待った法案でした。出てきた厚労省案は、こころのときめきはどこかに消えてしまいました。津田政務官と懇談したが、問題解決の方向が示されない。残念でたまりません。骨格提言がいかされる法律をつくっていかねば、みんなのしあわせはない。」
「がっかりしました。1年以上かけて練り上げた骨格提言がほとんど入っていない。正直、和解にはとまどいもあった。でも和解で未来がみえるとおもい和解した。こういう法案になり、原告、障害者は、がっかりしている。このままで終わりではいけない。みんなで力あわせて、いい法律になるように闘っていきたい。」
このほか、たくさんの抗議の声がYouTubeにはアップされています。上の藤岡弁護士は3月の閣議決定まで、そしてその後の上程後も国会議員には最後の最後まで働きかけると言っています。
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国が国民に大切な情報を隠したり、あるいは約束したことを破ったり。そういうことが続くと、当たり前だけど国民は国の言うことを信用しなくなる。国から活力は失われる。あたりまえだ、国民は何をしても無駄、何も信じない、となれば、場当たり的、刹那的、冷笑的な人生観しかもてなくなる。
日本には「障害者自立支援法」というトンデモ法がある。小泉郵政選挙の陰でこっそりとできあがった法律で、障害者が生活する際に必要な支援をサービスと称して金をむしり取るという法律だ。当然支援がたくさん必要な重度の障害者ほど出費が多くなる。世界中探してもほどんとない(だろうと思う)法律だ。当然日本各地で憲法違反だとして訴訟が起こった。
政権交代により、2009年10月30日に、全国大フォーラムの舞台上で民主党の最初の厚労大臣の長沼大臣はこの法律を廃止すると約束した。
これにより、各地の訴訟は和解が成立、当時の鳩山首相のもとで、国と原告の「基本合意」が成立した。拙ブログでもそのことは書いた。
「障害者自立支援法訴訟和解」へその後障害当事者も参加して制度改革のための会議が開かれ、大変な時間と労力が費やされて提言がまとめられた。ところが、民主党の内部ではどうやら「自立支援法を廃止することなく、同法の改正法案で済ませる」という動きが強まっているらしい。
和解が成立した元訴訟の全盲の弁護士・竹下義樹弁護団長の言葉を引用したい。
「基本合意は、政治家の思いつきではない。厚労省丸抱えで起案づくりをし、首相官邸で、時の首相が、廃止と新法制定を約束したものだ。国の公文書だ!(中略)日本の国が、国としての体をなさないようなことにならないためにも、約束は実行されることを強く願っている」
今回の大震災と原発事故を契機として、この日本という国がいかにいい加減なことをしてきたか、また、弱い人々に負担を押しつけて平和や繁栄を謳歌してきたかがはっきりしてきたわけです。原発も米軍基地も派遣の問題も。
自分たちは責任を取らない、問われない、そういうたかみから人々に自己責任といいつのり、そのくせ重要な情報は隠す。いや、なにも国の偉い政治家や官僚だけ批判すればいいわけではない、僕ら自身もそうした流れのなかで見ぬふり、知らぬふりをしてきたんじゃないのか。
強制収容所で何が起きているか、うすうす気がついていながら、知らないふり、見ないふりをしてきたんじゃないのか?
この先、このままいけば、きっと憲法も改正されるでしょう。スパイ防止法の名目で、ますます国は国民にとって重要な情報を隠していくでしょう。貧富の差が広がり、貧しいものは軍隊へ入るのが選択肢の一つになるでしょう。大げさだと思いますか?杞憂だと笑いますか? 10年後、20年後、これを思い出して、本当に笑ってもらえたら本望です。
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すでになんどか拙ブログで書いてきたけど、小泉郵政選挙の陰で人目に触れぬように障害者から金をむしり取る「障害者自立支援法」という法律ができあがった。障害者が生活するに当たり必要とする支援をサービスと称して金を取るという法律だ。何度も書いたように、この法律の立ち位置は障害は自己責任だという無茶苦茶なものだった。自己責任だから金を払えというわけだ。おかげで支援がより必要な重度の障害者ほど出費が多くなった。少なくとも世界中探しても、まっとうな国なら、絶対考えつかない法律だ。だから、各地で憲法が保証する個人としての尊重(憲法13条)や、平等原則(憲法14条)、生活権(憲法25条)に違反するとして訴訟が起こった。
政権が変わり、
民主党の長妻厚労大臣は、あまりに理不尽な「障害者自立支援法」は廃止すると明言し(これは「基本合意」と呼ばれています)、各地の訴訟は和解が成立した。2013年には新たな障害者基本法に移行することになっている。そして内閣府に設置された「障がい者制度改革推進会議」は、その間、
日弁連からも批判の声が上がった厚労省による「なーんちゃって」素案を乗り越え、去年の夏、「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言(骨格提言)」を取りまとめた。これは理念として、障害者権利条約に則った社会的・公的責任における支援をうたい、支援を必要とする人すべてを対象として、地域格差のない、本人のニーズにあった支援を求めるものだ。ところが、この期に及んで、民主党はこの骨格提言を無視した「障害者自立支援法の一部改正法案」を国会に提出する準備をしているらしい。
障害者自立支援法訴訟団の事務局長の藤岡弁護士の話。「障害者自立支援法は、(中略)憲法に違反するという違憲訴訟に政府が共感したことにより基本合意が結ばれ、その基本合意に基づいて骨格提言がある。その悪法を延命させておいて「廃止」とは笑止千万です。廃止も出来ずして、骨格提言が活かされるはずはありません。廃止しないということは障害者制度改革の根本を否定することに他なりません。」
何度も書いたが、民主党政権には当初おおいに期待した。それがどんどん失望に変わっていった。この経緯は拙ブログの2年弱のエントリーを見ていくと分かってもらえるだろう。この経緯がどうなるか、しっかり見ておきたい。
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拙ブログでときどき書いたように、障害者自立支援法という天下の悪法の廃止が決まり、あらたに障害者基本法がつくられ、2013年にこの法律に移行するわけです。しかし、そのための準備段階で、障害者基本法の改正案の素案が発表されました。この素案は「障がい者制度改革推進会議」の意向を反映していないと、日弁連からも「きわめて憂慮すべき水準」と批判されているものです。以前書いたように、いわば「なーんちゃって法案」です。
「自立支援法違憲訴訟団が声明」へ「国連の障害者権利条約と障害者基本法改正案素案」へ● 障害者は、どこで誰と生活するかの選択の機会が確保される、なーんちゃって。
● 国、地方公共団体は、障害のある子供、保護者が地域社会で支援が受けられる必要な施策を講じなければならない、なーんちゃって。
● 障害を理由とする差別を防ぐため、社会的障壁をなくすために合理的な配慮をしなければならない、なーんちゃって。
これにたいして、障害者自立支援法訴訟の基本合意をきちんと反映し、国連の障害者権利条約をまっとうに批准できるような、まっとうな障害者総合福祉法を実現するために、次のようなフォーラムが開かれますので、お知らせします。
今年の秋は みんな一緒!10・28JDF大フォーラム 日比谷野音で開催障害者問題というのは、どうしても当事者以外の人にとっては無関心な問題です。わたしも障害児の父にならなかったら、ここまで真剣に考えなかったでしょう。ですが、考えてみれば見るほど、これこそが国の方向をきめるもの、国のあり方を決めるものだという気がしています。
「社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間を排除する社会は、私たちに必要な社会ではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。」(八尋 光秀)
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