ニュースそのものはすでに数日前に出ていたので速報性はまるでありませんが、rsn にグロースシャルトナーの発言が載っていたので、ご紹介。
グロースシャルトナーの話。「今シーズン前は移籍もあるかもしれないと思ったけど、そうならなかった。今回はマネージャーと一緒に幾つかのチームと話をしたんだ。このチームで5年過ごし、僕が成長すると共に大切に思ってきたからね、簡単な決断ではなかったね。でも何か新しいことをしたいというモチベーションが大きかった。
ただそのためには最低でもボーラと同じぐらい強く良いチームに移りたいとおもったんだ。やっぱりツールで勝てるところへ移れるのは魅力だよ。絶対的エースがいるチームに移籍するってことは、アシストとして動かなければならなくなるのは当然だ。ポガチャルの印象は攻撃的なスタイルと絶対諦めないで何度でも新しいことをしようとするってことだ。彼は特別なタイプだし、これまででも最大級の才能を持っている。
いくつかのレースでは僕も自由に動けるだろうけど、一番の目標は、もちろん、来年のツールの強力なアシストになることだ。まあ、来年のことも楽しみだけど、でも、今すべきことも大切だ。今シーズンを良い成績で終えて、できればいくつか良い成績を収めておきたいね。」
今年のツールのUAEは山岳アシストがいまひとつパッとしなかったから、補強ポイントとして山岳でアシストできる選手を求めたんでしょうね。で、今年のオーストリアのロードとTTのダブルチャンプに白羽の矢が立ったということでしょう。
しかしこのニュースを最初に見た時に感じたのは、またボーラからUAE? 過去、マイカもフォルモロもアッカーマンもボーラからUAEへの移籍ですからね。コーチ陣でなんか繋がりでもあるんでしょうか?
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調べると1984年から89年まで行われてますね。基本男子のコースの途中からゴールまで、男子がスタートするより前にスタートという、いわば前座レースみたいな設定だったようです。90年以後も名称を変えて、時期やコースも変更して行われていたようです。しかし、選手が泊まるホテルが劣悪だったり、ゴール後の選手の扱いが酷かったり(観客から丸見えのところで着替えさせられた)、しかもツール商標権を持つASOから名称でいちゃもんつけられたり、嫌がらせをうけたり 笑)しながら、類似の女子レースはとびとびで行われたりしたようですが、今年本格的に女性版ツール・ド・フランスとして再出発となったようです。
1980年代の雑誌ではシャンゼリゼでのポディウムシーンで、男女の各賞のマイヨを着た選手たちが表彰される写真を見たことがあるな、とおもって、古い雑誌を探してみたら、いくらか見つかりましたので、ご紹介。
1984年、第1回の勝者はアメリカ人だったんですね。そのせいか、本家フランスのミロワール誌にも、表彰台の写真とキャプションでの名前紹介だけで、レースについてはリザルトも含めて紹介されていません。

1985年になると、優勝はイタリアのマリア・カニンスで、2位のフランスのジャンニ・ロンゴとデッドヒートを繰り広げたので、かなりのページを使って紹介されています。表彰台のカニンスが見開きで出てます。

日本の雑誌自転車競技マガジンでも扱われていました。

ちなみにチームは国別対抗、中国も参加して、下の左の写真の選手は総合8位に入ってます。ただ、リザルトを見ると、タイムでの順位ではなくポイント制みたいです。詳しく読めば出てるんでしょうけど、それは勘弁 苦笑)

第3回の1986年もカニンスが総合優勝し、ロンゴはまたまた2位。この年はリザルトはタイム差になっていますが、カニンスは2位のロンゴに15分半の大差をつけてますね。

この時のカニンスはすでに37歳、この翌年の立川で行われたスーパークリテリウムで、ただ一人女子選手として来日し、男子選手たちがレースをしている間、ときどき自転車に乗ってデモンストレーションをしてましたね。たしか最終種目の個人TTでは最初に走っていたような朧げな記憶があります。
*
立川のスーパークリテリウムについては拙ブログで10年以上前に数回に渡り書きましたので、興味がある方はこちらへどうぞ。
懐かしのスーパークリテリウム87 サイン会篇懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その1懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その2懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その3懐かしのスーパークリテリウム87 最終回*
さて、87年、ついに待ちに待ったジャンニ・ロンゴがカニンスを破っての優勝の年になります。この年の結果は3分弱の差でした。中盤からはカニンスとロンゴが1分以内の差で鍔迫り合いしていたんですが、全15ステージ中の第13ステージの山岳ステージで、ロンゴが一気に3分弱の差をつけてステージ優勝し、そのままシャンゼリゼに辿り着いたのでした。ミロワール誌では写真入り6ページに渡り、ロンゴのインタビューが掲載されています。

この後88年以降はミロワールを間違って捨ててしまうという大惨事にあったため 笑)不明ですが、ロンゴがこの後3連覇しているので、ミロワール誌には載っていたんだろうと思われます。しかし、ロンゴが強すぎで勝負の面白さがなくなってしまったのかもしれませんね。ロンゴ3連覇の89年を最後にツールと銘打った女子選手のレースは終わってしまったのでした。
しかし今回再開されたレース、やっぱり女子選手全般のレベルが上がっているのでしょうね。見てると面白いですね。ただ見た目がみんな小柄で華奢なので、落車だけは勘弁してほしいんだけど、男子並みによく転びますねぇ。コース設定が最後の二日間でドカンとひっくり返りそうな設定だけど、来年以降はもう少し中盤に山を移動させて、最後はTTを入れて欲しいかな。
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女子のレースは、1990年の宇都宮の世界選で見てました。カトリーヌ・マルサルという可愛らしいフランス人選手が独走で優勝したのでした。午前中が女子のレース、午後がアマチュア男子だったと思います。レース会場に到着した時にはすでに女子のレースは始まっていて、レースもほとんど後半で、すでにマルサルの逃げが決まっていて、どこかのコーナーで走りすぎるのを見ていた記憶がおぼろにあります。
その前の
1987年に行われたスーパークリテリウムでも、確か当時数年間行われた女子のツール・ド・フランスで、フランスのジャニー・ロンゴを破ったイタリアのマリア・カニンスという、当時すでに40歳ぐらいの小柄なオバちゃんが一緒に来てました。男子のレースが始まる前に、カスクと青いイタリアマイヨでコースを一人で走っていたような記憶があります。パンフレットにサインもしてもらいましたが、あんまりに小柄で痩せっぽちなので驚きましたね。

左上に斜めに入ってるのがカニンスのサインです。
それと、私が出ていた頃のホビーレースの女子の部はロスオリンピック(?)の出場権を阿部和歌子選手と争った吉田さんが強すぎて、ほぼどのレースも独走で大差をつけて優勝していました。私が所属していたチームのY夫人も強かったけど、常に2位争いまでで、吉田さんには全く歯が立たなかったですね。当時は女子の部は参加者も男子に比べればずっと少なく、集団にならずに個人TTみたいにバラバラになってしまうことが多かったです。
しかし、先ほどJスポーツでやってた女子のパリ〜ルーベ、男子のレースと遜色ないですね。選手名を全く知らないので、応援するにも手がかりがないんだけど、迫力があって見てておもしろかったです。
水曜日のブラバントの矢みたいに、一人逃げたら、追走集団に二人のチームメイトがいて、それが見事に抑え役の役割を果たして逃げ切りを完成させたというレース展開でした。うーむ、恐るべし。
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昨日の E3ハレルベケ(サクソ・バンク・クラシック)でも4位になったマテイ・モホリッチ、流石に昨日は、長い下りはないコースだったのでドロッパーポストはつけてなかったようです。
rsn にボーラの監督のアルダークの意見が出てました。
モホリッチは徹底的に納得するまで極めようとするタイプで、「プロフェッサー」と呼ばれていたそうです。オートバイレースの装束で繰り返し下りの練習を、それこそコケるまでしていたと、去年までバーレーンでモホリッチの監督だったアルダークが言ってます。
ドロッパーポストについては、理論的には空気抵抗の面でも、バイクコントロールの面でも、下りでのメリットは「多少ある」と言ってますが、誰がやってもモホリッチと同じようにうまくいくとは限らないと、かなり限定的な言い方をしてますね。彼なら、これを使わなくても、ミラノ〜サンレモに勝てたかもしれないと。
ただ、たしかにコーナーで前後輪滑らせてしまった時、サドルがいつもの位置だったら持ち堪えられなかったのではないかとも言ってます。この10秒ぐらいのところからですね。
ボーラでも検討しているかという質問に対しては、試してみるだろうけど、かなり練習が必要だと言ってます。誰に向いているか、向いていないかは慎重に判断しなければとのこと。
つけるならそれなりの練習が必要だし、スタンダードにするよりも、むしろコースを選ぶってことでしょうね。というわけで、今後の標準装備はないな。
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1980年代中頃からロードに乗ってるけど、下りでサドルを下げると安定するという発想は、これまで全く持ったことなかったです。
直線の下りだとお尻を思いっきり後ろに引いて手を伸ばす(パンターニがよくやってました)と安定するような気がしてましたが。
先日のミラノ〜サンレモでモホリッチが使った製品はフォックス・バリオの「トランスファーSLパフォーマンス・エリート」という商品だそうです。マウンテンのクロカンやグラベル用で、5〜7cm(製品により違う)サドルを上下させられるようです。rsn によると、サドル位置は最高位置と最低位置の二箇所でしかロックできないとなっていますね。
重量は330g ぐらいなので、通常のシートポストと比べても150g程度しか重くなっていないのではないか、とのことです。
UCIの反応ですが、すでに2014年にドロッパーポストの使用は承認していたというし、2016年にヴィンチェンツォ・ニバリがツールでこのタイプのシートポストを使ったことがあるようです。ただ、当時のものは2cmしか上下せず、しかも重かったみたいですね。
どうなんでしょう。モホリッチが予言するように、来年の高級ロードバイクにはこのシートポストが標準装備されるようになるんですかね?
ふと、思い出したんですけど、1990年代前半には、パリ〜ルーベ限定でしたが、やっぱりマウンテンから入ってきたサスペンションフォークが使われ、デュクロ・ラサールはそれを使って優勝したこともあったんですけど、そのうち誰も使う人がいなくなりました。

© L'ÉQUIPE PARIS ROUBAIX Une journée en enfer. ISBN: 2.91553521.3
このドロッパーポストの方は定着することになるんでしょうか?
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先ほどBSでスロベニアの鍾乳洞の番組をやってました。きちんと見てたわけではないけど 苦笑)
しかし、スロベニアなんて言われてもイメージないですよねぇ。南スラブ系の人たちの国だそうですが、第一次大戦までは主にオーストリアの支配下にあったようで、第二次対戦後はユーゴスラビアの一部になり、冷戦終結時には十日間戦争というユーゴスラビアからの独立戦争を経て91年に独立したとのこと。ユーゴの内戦には、地理的な事情で、あまり影響を受けなかったようです。
第二次大戦後すぐのジロ・ディ・イタリアの話なんかを読むと、イタリアとの国境地帯は戦後も帰属問題で結構揉めたところだったらしいですけどね。
しかし、レースシーズンが始まってまだ3ヶ月にもならないのに、主要なレースはスロベニア人が独占ですね。人口200万ですよ!! まあ、それ言えば人口50万のルクセンブルクからツール総合優勝者が3人ってのもあるけど。
UAEツール、ストラーデ・ビアンケ、ティレノをポガチャル、パリ〜ニースはログリッチ、で、ミラノ〜サンレモがモホリッチ。重要レースで優勝者がスロベニア人じゃなかったのって、ファン・アールトの勝ったヘット・ニウスブラット(ヘット・フォルク)ぐらいです。
また、モニュメントは去年のLBLとロンバルディアをポガチャルが連勝しているので、今回のモホリッチでスロベニア人が3連勝。同じ国のモニュメント3連勝は2004、05年のイタリア人(LBL、レベリン、ロンバルディア、クネゴ、ミラノ、ペタッキ)以来だそうです。
ミラノ〜サンレモはトップテンに3人、と騒がれてますが、ログリッチも10位争いの集団で17位でゴールしてますからね。トップ20に4人のスロベニア人。拙ブログが注目するドイツ人は? というと、ゲシュケの32位が最高。ドイツの人口はスロベニアの40倍以上あるんじゃない? 苦笑)
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うーん、過去自転車レースの歴史では、いろんな新兵器が投入されてきました。これは1986年のツールのプロローグで投入された新兵器 笑) これに乗ってティエリー・マリーが優勝しますが、その次のTTステージではこれは急きょ禁止になりました。
まあ、自転車競技の世界ではいろんな新兵器が投入されてきたわけで、場合によってはその後禁止されたものもきっと沢山あるんでしょう。
さて、何が言いたいか? 今回のモホリッチの使ったドロッパーシートポスト、レース後にモホリッチが言ったように、来年はフツーにロードレーサーに標準装備されるようになるんでしょうか? それとも??
まあ、モホリッチがいくら下りが得意と言ったって、クロスが本業だったMVDPやファン・アールトをあんなふうにぶっちぎっちゃう以上、かなり効果があるんでしょう。
最初は違和感があった無線機や、選手の間でも反対が多かったディスクブレーキが、いまのレース界では標準になってますからね。電動の変速機も、たしか1990年代にマビックから出たけど、落車する時は必ず左側へ倒れろなんて無茶なこと言われたり 笑)隣同士で並んで走ってると混線するといわれたりしてたんですが、いまでは普通に見かけますからねぇ。
UCI が禁止とするのは、基本的に危険だという理由からでしょうから、今回の新兵器はその点では危険性はないといえるのかな?
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先日ツールの優勝者の身長を調べてみたので、今度は世界選手権で見てみようと思ったんだけど、コースによって左右されるから、あんまり面白くないので、スプリンターを見てみることにしましょう。その前に国別の平均身長の表があったので紹介しておきます。

(
http://honkawa2.sakura.ne.jp/2188.htmlからお借りしました。)
世界一身長が高い国オランダだと180以下は小柄に分類されちゃいますね 苦笑)ただ、ここは大体175ぐらい以下を小柄に、185ぐらい以上を大柄に、そしてその間は西洋人の一般男性の平均だと考えておきましょうかね。まあ、身長だけでなく横幅も体格の印象に影響するんでしょうけど、今回は体重は無視します。
で、185センチ以上の大柄のスプリンターもいれば、170センチ前後の小柄なスプリンターも結構いて面白いです。例によってウィキなどで見つけた数値ですので、どの程度正確かわかりませんが。
まず小柄代表はカレブ・ユアン(165)ですね。ブライアン・コカール(169)なんかも小柄なスプリンター代表でしょうか。170前後は少し前だとパオロ・ベッティーニ(169)や、3度の世界チャンピオンになったオスカル・フレイレ(171)やロビー・マキュアン(171)なんかも小柄でした。
カヴェンディッシュは175と出ていますが、あの低いフォームがなんとなくもっと小柄に思わせます。ユアンもハンドルの前方に上半身を沈み込ませるような独特な低いフォームなので、小柄なスプリンターはみんなこういうフォームかと思うと、そうでもありませんね。身長とフォームはあんまり関係なさそうかも。むしろ小柄だと自転車を振る選手が多いかな?
集団のカミカゼなんて言われて、自転車をスリップするんじゃないかってぐらい思いっきり振り回し、必ず左右どっちかに斜行していたジャモリディン・アブドゥヤパロフ(174)なんかも、顔を伏せて低いフォームでした。まあ、ユアンなんかはあまり自転車振らずにスプリントしてますが。もっともあのフォームで自転車は振れないか 笑)
思うに、小柄なスプリンターの利点としては、大柄な選手の後ろにつくとスリップストリーム効果が高いだろうし、逆に後ろにつかれても、ライバルにとって風よけ効果があまりないっていう点でしょうか。さらに低いフォームや、自転車を振ればその効果(=相手にとって風よけ効果がない)は一層高まるでしょう。
175前後のスプリンターは、カヴもそうですが、なんとなく数字以上に小柄な雰囲気があります。例えば最近だとナセル・ブーアンニ(176)なんかは実際の身長の割に小柄な印象がないでしょうかね?
一方で大柄代表となるとマルセル・キッテル(188)やマリオ・チポッリーニ(189)、あるいはゴリラと呼ばれたアンドレ・グライペル(184)やアレッサンドロ・ペタッキ(184)なんかが代表でしょうか。これらの選手に共通しているのは、あまり自転車を振らずにまっすぐのラインを守る綺麗でクリーンなスプリントでしょうかね。
彼らの場合は後ろにつかれたとしてもパワーで押し切ろうとするわけでしょう。昔のチポッリーニ(189)対アブドゥヤパロフ(174)にしても、エリック・ツァーベル(178)対フレイレ(171)にしても、最近のキッテル(188)対カヴ(175)にしても、あるいはフランスのライバル同士、アルノー・デマール(182)対ブーアンニ(176)も、印象としては大柄の方が先行して、その後ろから小柄な方がまくろうとしてもがくという印象が強いです。
伝説の時代のスプリンターで大柄な選手の代名詞として挙げられたのが世界選で2勝しているリック・ファン・ステーンベルヘン(186)で、その生涯を書いた本なんかでは自転車選手としては他を圧するほどの大男だったとありますから、50年台だと180以上の選手は珍しかったのかもしれません。
昔の有名スプリンターも思いつく範囲、わかる範囲で見てみます。82年の世界選手権で、一人だけオートバイに乗っていると言われたイタリアのスプリンターのジュゼッペ・サロンニ(170)なんかも小柄なスプリンターの代表でしょうか。あるいは同じイタリアのLBLで4勝しているモレノ・アルジェンティン(175)も、印象は小柄でした。
一つのツールでステージ8勝、ブエルタでは19ステージ中13勝で完全優勝、ジロでも13ステージでリタイアするまでに8勝、もう無茶苦茶な強さを見せたフレディ・マルテンス(174)も、どちらかと言えば小柄ですが、横幅もあってゴム毬みたいな印象です。
1981年の世界戦のスプリントはマルテンス(174)とサロンニ(170)とイノー(174)のスプリントでしたが、3人とも小柄 笑)な部類のスプリンターだったと言えますね。
拙ブログでも書いたことのある
エリック・ファンデラールデン(182)と
ショーン・ケリー(180)、今をときめくマチュー・ファン・デル・プール(184)の父で、レイモン・プリドールの義理の息子の
アドリ・ファン・デル・プール(181) と、80年台のスプリントシーンを彩ったライバルたちは大体180前後。拙ブログ紹介選手で言えば、東のツールと言われたピースレースでステージ38勝と桁違いのスプリントを見せた
オラフ・ルートヴィヒ(182)もそうです。
まあ、現在も180前後のスプリンターは多いですね。一般西洋人としては平均的な身長だから、数が多いのは当たり前なのかな? こんな感じです。
ディラン・フルーネヴェーヘン 177
サム・ベネット 178
ジョン・デーゲンコルプ 180
アレクサンダー・クリストフ 181
ファビオ・ヤコブセン 181
今回チマチマと調べててびっくりしたのがペテル・サガンの184センチ。
サガンって埼玉クリテで目の前で見たけど、そんなに大柄だと思えなかったですけどねぇ。もっとも
クリス・フルームもガリガリのおばちゃん顔で、同じく186には見えませんでしたけどね 苦笑)
で、締めに入りたいところですが、まあ、スプリンターの身長はツールの総合優勝者たちに比べれば大柄な人が多いってことで、結論は最初から見えていたところへ落ち着きました 笑) 次はタイムトライアルスペシャリストの背丈かな?これはきっとデカいぞ 笑)
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うーむ、某スポーツ関係のブログで、史上最高の自転車ロード選手として1位バーモンテス、2位カンチェラーラ、3位パンターニとなっているのを教えてもらって、クラクラしているアンコウです 笑)
26日からチャレンジマヨルカが始まってますね。今年は5つのレース。毎日マヨルカ島(昔はマジョリカ島と言っていました、ひょっこりひょうたん島にもこの地名をもじった魔女の中の魔女こと「魔女リカ」ってのが出てきました 笑)でコースのタイプも違うレースが連続で行われ、選手は自分の好み?で出場レースを選んで調整レースとして走るって感じなんですよね。
マヨルカ島は緯度で見れば日本の東北地方ぐらいに位置するけど、地中海は温暖なんですかね。ウィキで検索すると、今頃は平均気温が12度ぐらい。
拙ブログとしてはここはボーラの話題に絞ります。このレース、過去19年と20年にブーフマンが2勝しています。まあ、スペインのレースなのでスペイン人ばかり勝ってるかと思うと、この5、6年はデーゲンコルプやキッテル、グライペルといったドイツ人スプリンターもよく勝ってますね。
で、今年は初戦は、ボーラからはブーフマン、去年の10月末にケムナと一緒にマウンテンのステージレースに出場したベン・ツヴィーホフ
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4161.html、期待のアイテブルックス
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4174.html、ポリット、コンラート、ネオプロのルイス・ジョー・リューアス、ベネデッティ。結果は一人逃げた後の2位争い集団でブーフマンがゴールして9位でした。
第二戦は集団スプリントになり、ボーラからはマルコ・ハラー、ポリット、ツヴィーホフ、山岳スキーから転身して2年目のアントン・パルツァー、アイデブルックス、ベネデッティが出場、ハラーがスプリントに参加したようですが16位止まり。
第三戦はブーフマン、ツヴィーホフ、ネオプロのフレデリク・ヴァンダル、ベネデッティ、パルツァー、ハラー、ルーアスが参加。ゴール前35キロぐらいのところに800メートル上る峠があって、ブーフマンが6人の逃げに加わりましたが、ゴールスプリントになればやっぱり6位 苦笑)他に初戦で10位だったツヴィーホフが9位と調子がいいです。
第四戦は新加入のアレクサンドル・ウラソフ、ブーフマン、ヴァンダル、コンラート、ポリット、パルツァー、ルーアスが出場して、ウラソフが3位になりました。ボーラにとって今シーズン初の表彰台です。コースは最後2キロが15%を含む激坂で、そこでブーフマン(16位)がウラソフのアシストをしたようで、ゴール後のウラソフは「最後はエマヌエルが僕を良いポジションへ連れて行こうとしてくれた、他のチームメイトも含めて、みんなに感謝したい」と言ってますね。
今日これから行われる最終第五戦はスプリントステージらしいので、ボーラはチャンスはないでしょうけど、一応ここまでは、去年散々だったブーフマンの復調の兆しが見えたことで、ジロに向けて(かな?)期待したいところです。
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rsn の情報です。現在マヨルカ島でトレーニング中のボーラ・ハンスグローエがメディアインタビューに答えたようです。答えたのは新しくボーラに加わったコーチのロルフ・アルダーク。このアルダークは現在52歳。うーむ、前に書いたけど、1988年、アマチュア時代のまだ19歳のアルダーク、TV放映された日本の琵琶湖のレースで優勝してるんですよねぇ。。。52歳かぁ。。。。
「大きく見れば、グランツールで総合順位上位を目指す。今年はまずジロにフォーカスする。スプリンターは連れて行かない。【ジロは最初の6ステージ中4ステージが平地で】この最初の1週間はもちろんスプリンターなしだと、何もできないからプレッシャーになることは確かだ。でもスポンサーがGoサインを出してくれたし、それ相応に自由に走れる面もある。ジロにはジェイ・ヒンドリー、ヴィルコ・ケルデルマン、エマヌエル・ブーフマンというハイクオリティの選手でいく。本当にアグレッシブに走れるはずだ。」
ヒンドリーとケルデルマンといえば、一昨年のジロで同じDSMチームで2位と3位になった二人ですが、今年はボーラで再び再会という形になりました。ブーフマンは去年のジロでは落車リタイアで悔しい思いをしましたが、2年連続でジロに回ることになりました。おそらくエースはブーフマンで行くんでしょう。ジロってまだドイツ人の優勝者っていないんですよね。期待できるのかどうなのか。。。
「ツールはもっといろんなタイプが出場するだろう。サム・ベネットもこっちだね。アレクサンドル・ウラソフ、マクシミリアン・シャハマン、フェリックス・グロースシャルトナー、パトリック・コンラートなんかが選ばれるだろうね。総合上位はウラソフに託されるだろう。シャハマンは総合は無視して去年のニールス・ポリットとコンラートのようにステージ狙いでチャンスを与えたい。ポリットももちろんツールだね。」
ツールの総合でウラソフに期待するのはかなりキツイでしょうから、ツールに関してはステージ狙いがメインでしょうか。
「ブエルタはセルヒオ・イギータがチームを引っ張ることになると思うけど、今はまだ決められないね。
サガンがいなくなってクラシックはどうするかだけど、ミラノ〜サンレモはサム・ベネットに可能性があると思っている。ツール・ド・フランドルやパリ〜ルーベはポリットとマルコ・ハラー、ヘント・ヴェフェルヘムではベネット、アルデンヌ・クラシックになったらシャハマンに託すことになるし、チャンスもあると思っている。うちのチームにはヴァウト・ファン・アールトやマティウ・ファン・デル・プールはいないけど、結束力もあるし、強いチームだと自負しているよ。」
うーむ、拙ブログとしては、レンナルト・ケムナの名前が出てきてないのがちょっと不安ではあります。
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オーストリアは、30代のイケメンの、そして極右の首相が先日辞めましたが、ここでも紹介した映画「ユダヤ人の私」
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4183.htmlでも再三言われていたように、もともとカトリックの国で保守的で排他的なところがあります。いや、コンラートがそういう奴だという意味ではありません 笑)
パトリック・コンラート、拙ブログでは2015年に彼がボーラ・アルゴン18に入った時、まだドミニク・ネルツがエースだった時から、ときどき名前を出してきた選手ですが、なにぶん地味なステージレーサーで、ツール・ド・スイスで総合3位になったことや、ジロ・ディ・イタリアでトップ10に入ったことはあったんだけど優勝がない、というタイプだったんですが、今年はとうとうやりましたね。ツールの16ステージでソロアタックを決めて逃げ切りました。
コンラートの話。「チャンスを掴み取ったね。ステージ優勝は今年のツールの大目標だった。その前【14ステージ】で悔しい2位だったから、本当に解き放たれた気分だった。
休息日に親類が来て一生懸命努力すれば報われると慰めてくれた。調子も良かったしタイプとして向いていると思っていたから、あのステージでは勝つのは僕だとずっと思っていたんだ。僕以外に勝つ奴はいないって。
これまで僕は総合順位のことだけを考えて走ってきた。今年はピントをずらして、ステージ優勝のためにフランスへ行ったんだよ。」
まあ、話はツールの話ばかりですが、今年は二度目のオーストリアチャンピオンにもなったし、アルデンヌクラシック(アムステル・ゴールド、フレッシュ・ワロンヌ、リエージュ・バストーニュ・リエージュ)で3つとも20位以内になり、クリテリウム・ドゥフィネでもステージトップテンが4回もあったんですね。オリンピックも18位だったし、来年から少し自由に走れるようだし、優勝の数も増えるかもしれません。
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グラン・ツールでもトップ10に入るか入らんかというビミョーな位置にいる選手です。今年はジロ・ディ・イタリアでブーフマンの山岳アシストとして出場し、総合42位(ブーフマンはリタイア)でしたが、エースとして出場したブエルタでは10位で、2年連続トップテン入りでした(去年は9位)。もう一皮むけるとねぇ。。。って、ボーラにはそんな選手ばかりですが 苦笑) しかも来シーズンはそういうタイプがさらに増えそうです 爆)
グロースシャルトナーの今シーズンはブエルタが終わる9月初めまでは出場レースは、オーストリア選手権を除くと、すべてステージレース(ステージレースだけ7つ)でした。ブエルタ後はイル・ロンバルディアまで5つのワンデーレースで、結局今シーズンのレース日数は75日。
グロースシャルトナーの話。「今年は良かったり悪かったりだったね。去年はツールと秋のブエルタを完走したので、春先はちょっと疲れが残ってた。それに背中の痛みがあって、それでけっこう大変だったんだ。【4月後半のツアー・オブ・アルプスの第5ステージで優勝するけど】あれは本当にすごい一日だった。ジロに向けてうまく準備できていると確信が持てたね。
【ジロではブーフマンのアシストだったけど】アシストとしてはとてもうまくこなしていたんだ。彼の落車リタイアは本当に不運だったよ。その後も【セッティマーナ・チクリスタ・イタリアナで総合4位になったあと】うまく回復できたし、ブエルタのことを考えればとても重要だった。
それにしてもジェットコースターみたいだった。運が良かった時もあれば、不運な時もあってさらにはいくつもミスをした。【第7ステージ終了後は総合トップに8秒足りず】もう少しだった。でもこの日はとても大きな刺激になったよ。もしかしたらグランツールでも僕がリーダーになる可能性があるんだと思えたからね。
だけど、シーズン終了後にジョギング中にカカトを骨折しちゃってね。今はもう少しトレーニングの開始を遅らせなくちゃならない。レースプログラムと少し後ろにずれちゃうだろうね。でもそれが良いことか悪いことかは、なんとも言えないよね。
いずれにしても早く自分の流れを捕まえて、より一層安定したよいパフォーマンスを見せられるようにしたいよ。」
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39歳、グライペルも今シーズン限りです。全盛期のキッテルやカヴェンディッシュに勝つ可能性があるスプリンターでしたし、ツールのシャンゼリゼでも2回優勝しているんだけど、拙ブログではサブカテにしてませんでした。まあ、理由はグライペルの当時のブログがあまり更新されず、内容的にもいまいち面白く感じられなかったので 笑)
グライペルはこの2年ほどは、主に健康上の理由から、全くパッとしないシーズンを送ってたんですが、ラストイヤーの今年はマヨルカ・チャレンジとアンダルシア一周で2勝して、プロ通算勝利は158になったそうです。
グライペルの話。「キャリアラストシーズンは堅実なシーズンを送れた。もちろん気持ちはもう少しできると思っていたし、目標だったジロで、スプリントトレインを率いて走りたかったけどね。でもツールを走れたのは素晴らしいことだったよ。
ジロを走れなかったのは残念だったけど、ツールでそれをおぎなえた。再びパリまで完走できたのも僕のハイライトだった。チームは僕のためにスプリントトレインを用意してくれたんだ。素晴らしいよ。
今シーズンはあまり期待せずにシーズンインしたんだ。【最後のレース、ミュンスターラント・ジロでは10位だったけど】意識して一人でゴールまで走るようにしたんだ。キャリアを終えることで気が楽になったね。自分のキャリアを誇らしく思うし、このレースが最後のレースだったことも嬉しく思うよ。
今はやめることを悲しいとは思わないけど、ひょっとしたらレースが始まるとそんな気分になるかもね。でも今は、クリスマスシーズンを完全に自宅で過ごせるのも素晴らしいことだよ。」
ゴリラなんてあだ名をつけられ、ガタイが大きいのでなんとなく怖そうでしたが、結構紳士的でスプリントのスタイルも真正面からフェアに行くタイプでした。ツールのステージ11勝は大きな勲章でしょう。どこかのクラシックに勝ちたかったかなぁ。パリ〜ルーベなんか可能性があったような気がするけどねぇ。
個人的には2015年だったか16年だったか、パリシャンゼリゼのゴールスプリントで横からカメラが撮るようになって、その時のどんどん加速していく力強さがすごかったというのが一番強い印象かな。
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マルクス・ブルクハルトはもうプロ18年目。すでに38歳。今シーズンは8月のポーランド一周で落車して何箇所も骨折、今もまだその時のケガが完全に言えてない状態で、ボーラとの契約は今年の12月31日まで。このまま引退の可能性もありますね。
ブルクハルトの話。「5月初めのロマンディまでは結果はともかくうまく走れていたよ。ロンデ(ツール・ド・フランドル)の14位は特に満足している。あの日は絶好調だったから、もしかしたら何か違うことをすべきだったかもしれないね。まあ、後知恵にすぎないけど。その日にパーフェクトな調子で臨めるかはわからないからね。僕もそうは言ってもトップ5に入れるほどの調子ではなかったってことだよ。ただ、このレースは僕にあっているし、準備がうまくいったことは改めてわかった。
6月のツール・ド・スイスで体調が良くなって、ドイツ選手権はまた調子がよかった。ただ、小さなミスをしてしまった。それがなければ間違いなく表彰台に立てていたと思うよ【5位】。
ポーランド一周では第1ステージで落車してリタイアだった。UAEの選手の上に倒れた時、手をついて支えてしまったんだと思う。腕を何箇所も骨折して、4回手術したんだ。いまだにロードトレーニングはできないでいる。ローラー台でトレーニングしている状態だよ。ハンブルクで5回目の手術の予定だったんだけど、現状では保留状態だ。
まずは手を治すことが一番だ。いずれ良くなるだろうけど、まだ何週間かかかりそう。来シーズンのことは治ってから考えるよ。」
この選手も大柄で手足が長く格好いいし、過去ツールのステージやヘント・ヴェフェルヘムでも優勝してますね。個人的に印象に残ってるのは、拙ブログを始めたばかりの
2010年のツール・ド・スイスで3人で逃げて、ラスト1キロ強のアタック。YouTube にそのシーンがありました。
また南ドイツの民族衣装でモデル役になってたりもしてましたっけ。

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今回の rsn の記事ではルーカス・ペストルベルガーのインタビューは載ってないので、ただ記録の羅列のみですが、個人的にはこの選手はとても気になっています。
2017年のジロの第一ステージでサム・ベネットのリードアウトのために残り2キロでスピードを上げたら、後ろが切れてそのまま1キロ以上逃げきりで優勝したことがありましたが、今年のクリテリウム・ドゥフィネの第2ステージでも逃げグループからアタックしてついてきた選手を20キロ弱でちぎるとそのまま独走で勝ちました。独走力があるから調子がいい時には何かやってくれそうな感じがあります。
今年はこれがハイライトでしたね。この第2ステージでリーダージャージを手に入れると、結局5日間、第6ステージ終了までこのマイヨを守りましたからね。表彰台でもらえるライオンのぬいぐるみを5つ獲得。ただ、それ以外は、たとえば春先のベルギークラシックではハイライトのツール・ド・フランドル直前にチームメイトのマシュー・ウォルズがコロナ陽性になり、濃厚接触者ということで7日間の隔離でDNSだったり、9月のヨーロッパ選手権のための調整レースのクリテリウムで落車して怪我のためにそのままシーズンを終えたり、とシーズン全体としてはあまり良い年だったとは言えないかなぁ。
ツールには4年連続でメンバーに選ばれているので、馬力があるタイプとして重宝されているのかもしれないけど、もう少しチャンスがあると、ゴール前数キロから逃げるという格好いい姿が見られるんじゃないかと思うんですけどね。
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拙ブログでも何度か出したジュニアのシアン・アイテブルックス
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3898.html、来年からボーラで走る契約で、同じベルギーのエフェネプールと同様、U23を飛び越えてエリート入りですが、来年以降の大きな方向性が明らかになってきました。
アイテブルックスは21年シーズンをボーラのジュニアチームで走って7勝をあげています(個人TTとチームTTを含む)。
rsn によると最初のレースは1月末のマヨルカ・チャレンジかブエルタ・ア・サン・ファンになるそうです。
アイテブルックスの話。「早くスタートしたいし、どっちのレースもプレッシャーはあまりないから良いです。マヨルカの方は最初のレースとしてはたぶん簡単なものだけど、TTや山岳ステージがあるサン・ファンのほうが走ってみたいですね。自分はステージレースが得意だと思うし、何年かはいずれグランツールで走れるように精進したいです。むろん2022年や23年にそうなれるとは思ってませんよ。
クライマーの能力を上げたいけど、もしもっと筋肉がついて爆発力がついたら、シャハマンみたいなタイプになりたいです。でも【現時点では】ステージレースが目標です。今シーズンの目標はツール・ド・ラブニールです。プロになったわけですから自分で勝ちに行けることが重要です。このレースに勝つとは言えませんが、結果を残すことを目標に走りたい。
でも、自分で自分にプレッシャーをかけるつもりはありませんし、チームからも勝利を求められてはいません。契約した3年間で結果を出す義務を負っていません。おかげでプレッシャーを感じる必要はありません。大切なのは進歩することです。その過程でレースに勝てれば最高だし、勝てなければ運が悪かったってことです。
でも、グランツールでうまく走れるようになって、いずれログリッチやポガチャルと肩を並べて走れるようになれたら最高です。」
まだ18歳、ボーラとは3年契約ですが、そのときでもまだ21歳。きっと近い将来、この難しい名前がTVで呼ばれるようになるんじゃないかと、いや、なるといいです 笑)
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パトリック・ガンパー、
拙ブログではブエルタ・ツィート日記を載せたボーラのオーストリアの24歳の2年目の選手です。
ドイツの自転車サイト radsportnews.de では例年ドイツ語圏の選手たちの順位付けをしながらシーズン総括の記事を載せています。まあ、例年言ってることですが、この順位ってレースの重要性に応じて順位を得点化して行くやり方で、アシスト選手はへたすると点数がつかないというはなはだ馬鹿らしいシステムだと思うので、ここ何年も拙ブログはこれを紹介しながらも順位は無視してきましたが、今年も順位は無視します 笑)
去年は10月に行われたジロで落車して脳震盪でリタイアし1ヶ月の休息をとってトレーニングを再開したと思ったら、今年に入ってすぐにコロナに罹患、再びトレーニングできず、大幅に準備が遅れました。
ガンパーの話。「準備は台無しになって、最初はいろいろ問題もあったけど、クールネ・ブリュッセル・クールネで序盤からアタックして逃げ、後半マティウ・ファン・デル・プールに追いつかれたけど、彼について行くことができたんだ。結局ラスト500メートルで大集団に追いつかれてしまったけど、スーパースターのMVDPに引き離されなかったんだからね。自信になったよ。
その後のベルギーの春のクラシックは、コロナでチームが出場できなくなったE3サクソバンク・クラシック(ハレルベケ)を除いて、フレッシュ・ワロンヌまでずっと出走したけど、途中であまり調子が良くないことに気づいた。
それで、その後のために立て直しをすることにしたんだ。おかげで6月のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネでは新人賞ジャージを着れたんだ。
その後オーストリア選手権は自分の家のそばだったけど、個人ロードで3位に入れたし、TTのほうでは4位になれた。これは自分の成長を実感できた瞬間だったよ。
8月半ばからのブエルタは総合112位だったけど、ハードなレースだった。スプリンターのメーウスのアシストとして自分の仕事には満足している。スプリントの準備を整えるのはものすごいプレッシャーだけど、だんだん自分のやり方がわかってきたし、リードアウトがうまくいっている実感も感じられるようになった。
いずれにしても、今年はクールネ・ブリュッセル・クールネや最後のパリ・トゥール(23位)、世界選手権(21位グループ)で、僕はただレースを走るだけでなく、レースを作ることにも関与できると自信がついた。来シーズンに大きなモチベーションになるよ。
来年はクラシックをもう一度走りたいけど、アシストとしてリードアウトに貢献したい。もしかしたら結果を求めて走れるレースも一つやふたつ出てくるかもしれないし、楽しみだよ。」
この選手も190センチ以上の大柄な選手です。昨今は190以上の選手って増えましたね。昔は190以上なんて数えるほどしかいかなったんですけどね。だからモン・ヴァントゥ越えのステージで勝ったエロス・ポーリとか、パリ〜ルーベで勝ったマグヌス・バックステッドなんかが超大型ってことでも目を引いたものでしたが。。。
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プロロード界はすっかりシーズンオフ。いつもグランツールが始まるとツィート日記を選手に書かせている Cyclingmagazine.de. に今シーズンのボーラの総括が載っていたので、それを元に見直してみましょう。
チームの成績としては30勝して、ワールドツアーチームランキングで7位ですから、まあまあでしょう。かつてこのブログを始めた頃のミルラムチームの惨状を思えば天と地 苦笑)
ただ、春先はペテル・サガンがコロナで離脱、後半はエマヌエル・ブーフマンとマキシミリアン・シャハマンが離脱、さらにコロナじゃなく、「メンタル・プロブレム」(と Cyclingnews.de は書いてますね)で5月を最後にオフに入ってしまったレンナルト・ケムナと、エース級のメンバーが長期離脱したのは痛かったですね。
印象的な勝利はパリ〜ニースでシャハマンが連覇を飾り、ジロではペテル・サガンがステージを取っただけでなくマリア・チクラミーノも獲得し、ツールではニールス・ポリットとパトリック・コンラートがステージ勝利、ヴィルコ・ケルデルマンが5位入賞。
ポリットはドイツツアーも総合優勝したけど、期待された春のクラシックや「秋の」パリ〜ルーベはパッとしませんでした。そもそも春のクラシックのビンク・バンク(E3 ハレルベケ)とヘント・ヴェヴェルヘムはチームがコロナで出入り禁止になっちゃったしね。
アルデンヌではシャハマンが3位になったけど、2度目のドイツチャンピオンになって期待された後半は体調もくずして、オリンピックの10位以外目立つところがなかったですね。
来シーズンはメンバーがだいぶ入れ替わります。スプリントエースのパスカル・アッカーマンとサガンのトップ二人が移籍し、アレクサンドル・ウラソフとセルヒオ・イギータ、ジェイ・ヒンドリーと、グランツール用エースか強力アシストかどっちつかずの 笑)3人が入ってきます。なんかグランツールでトップ10に入れそうだけど表彰台はちょっとという選手がボーラにはたくさんいますが、さらに多国籍で3人増えたという感じ 笑)
スプリンターはアッカーマンがいなくなるけど、代わりにサム・ベネットが復帰するし、後半でなんども上位に入ったヨルディ・メーウスなんていう若手も出てきたからいいのでしょう。
首脳陣もチームディレクターが3人辞めてロルフ・アルダークがディレクターとして加わるそうです。このロルフ・アルダーク、私は個人的に印象に残っている人です。1988年だったと思うけど、TVで珍しく琵琶湖国際ロードレースを放送したんですね。この時19歳のアルダークが優勝したんですよ。ただ、残り10キロぐらいで時間切れというトンデモ放送 苦笑)
このアルダーク、
拙ブログで紹介しましたが、17年のツールでボーラのサガンがカヴェンディシュと絡んでカヴが落車した時、強硬にサガンの失格を求め、その後それを後悔するコメントを出したのでした。サガンと入れ替わりにボーラに加入というのも、なにか因縁めいたものを感じたりして。。。
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今シーズンの初め頃からペテル・サガン

の契約料がネックで他のスター選手と契約できないと言われてました。
ボーラ、サガンとは今年いっぱいか?? へ晴れて ?)サガンはトータル・エナジーへ移籍が決まり、アッカーマン

に変わってサム・ベネット

が復縁し、そのスプリントトレインとするべくダニー・ファン・ポッペル

とシェーン・アーチボルド

(この人も復復縁 笑)、ライアン・モレン

の3人も加わったボーラ。スプリンターは若手のヨルディ・メーウス

にも期待がかかっているようですが、ツールはベネット一択で行くんでしょう。カヴ

の新記録阻止、お願いしますぜ 笑)
このスプリンター勢に、さらに噂通りジャイ・ヒンドリー

(アーチボルドのニュージーランド国旗との微妙な違いに注目 笑)が加入して再びケルデルマン

と一緒になりました。今年は体調も良くなかったようで、今一つ名前が出てきませんでしたが、去年のジロでの活躍もあるし、一緒に出たらどっちがエースになるんでしょう?
さらに私としては、一番の驚きはセルヒオ・イギータ

の加入。基本上りの選手ですかね? 今年のツールではトップテンに何回も入ってます。まだ24歳だしまだまだこれからの選手でしょう。個人的に期待値は高いですね。
そしてボーラお得意様のオーストリア人、マルコ・ハラー

も加入です。この人もスプリンター系のオールラウンダーと言えますかね? ボーラとしてはその多様性に期待していると言ってます。
ただ、こうなってくると、やっぱりエフェネプール

の目はないな 笑) ただ、大エースのサガンがいなくなった分、小粒な上位狙いの選手が増えた感じです。たぶんベネットで勝利は稼げるんだろうけど、ケルデルマンはツールで5位というのが頭打ちの印象だし、ブーフマン

も一昨年のツール4位が限界かなぁ。コンラート

も来年はレースによってエースとして勝利を狙わせるという方針のようですが。。。
私としてはケムナ

に期待してたんだけど、体調不良が多いよね。ポリット

やシャハマン

はグランツールのステージは狙えるだろうけど、個人的にはフランドルとアルデンヌのクラシックでの大勝利を期待したいところですが。。。
久しぶりに国旗をつけてみたけど、時間かかってたまらんわあ 苦笑)
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前々から言われていましたが、公式発表がありました。チームによると「大変革のための戦略的決断によって」だそうです。ことはこの二人だけにとどまりません。アッカーマンのアシスト役だったリューディガー・ゼーリヒ、アンドレアス・シリンガー、ミヒャエル・シュヴァルツマン、サガンのアシストだったユライ・サガン、ダニエル・オス、マチェイ・ボドナルもチームを離れると rsn は書いてますね。
特にアンドレアス・シリンガーはボーラの前身のコンチネンタルチーム・ネットアップ時代からの選手ですが、今年の春先の事故負傷で、今年で引退を決めていたとのことです。
今のところアッカーマンはポガチャルのUAEへ、サガンはデケーニンクやトータル・エナジーが噂されているようで、ボーラのスプリンターとしては、アッカーマンに押し出されて? デケーニンクで開花したサム・ベネットが復帰するのではないかという噂もあります。他にもまだ噂の段階ですが、ジェイ・ヒンドリーがDSMからボーラへなんて話も。。。ヒンドリーといえば去年のジロでケルデルマンのアシストをしながら、最後は不調のケルデルマンに変わってマリア・ローザを獲得、最後の最後にゲーガンハートにひっくり返されたのでした。
また、昨日か一昨日のニュースではパトリック・コンラートがさらに2年契約延長して、今後はエースとして走ってもらうと言われたようです。他にもアレクサンダー・ウラソフがボーラと3年契約か、なんていう記事もどこかで見た記憶があります。
ボーラとしてはステージレースでの上位狙いに目標を定めるということなのでしょうけど、なんか、どこか地味目な感じが否めないですねぇ。。。一時期話題になったレムコ・エフェネプールはどうなったんでしょう 笑)
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