fc2ブログ
2023 09 << 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>> 2023 11

北も南も譲り合い 笑)

2023.03.27.10:33

というわけで、難度のあるステージはログリッチとエフェネプールが2勝ずつ、平らなステージはグローヴスが2勝となったカタルーニャ。ログリッチとエフェネプールが突出していたという感じでした。最終ステージも二人で逃げて逃げ切り。最後はログリッチはスプリントしませんでした。

しかし、ログリッチも大人になりました 笑)ステージ勝利を譲る総合優勝者という古典的なスタイルでした。

一方北のヘント〜ヴェフェルヘムでは、春先からチーム力を強烈に誇示していたユンボの強さが爆発。去年ギルマイにまんまと先駆け喰らって悔しい思いをしたラポルトがファン・アールトと40キロ以上逃げて、最後は肩を組んでファン・アールトに押されて優勝でした。

まあ、途中、最後のケンメルベルフの石畳の登りではラポルトが千切れかかったし、そもそもの逃げるきっかけを作ったのもファン・アールトだったから、どっちが強かったかというと、まあ、明らかでしたが、こちらもファン・アールトがラポルトに譲ったという感じでしたね。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト



オフステッテル、二度のハンドル破損

2023.03.17.12:04

うーん、これまで40年近くロードに乗ってきたけど、自分のも含めて周囲でハンドルが折れたなんて話、聞いたことがありませんでしたがね。そう言えば、昔のパリ〜ルーベのビデオで、折れたハンドルを手に、トボトボと自転車を押しながら歩いている選手なんてのを見たことがあったなぁ。あと、2015年のツールのプロローグでドミニク・ネルツのTT用ハンドルが取れちゃったこともありました。でもあれは折れたわけじゃなくて外れたんですけどね。

GP・ドゥ・デュナンで、ユーゴ・オフステッテルが、最初はゴール前50キロで左のハンドルが折れ、交換後、残り20キロでこんどは右が折れて、頭きてリタイアしたそうです。



画像で見ると最初の左のハンドルが折れたのは落車したせいみたいに見えるけど、二度目はそうじゃないように見えますね。

しかし考えるだに恐ろしいです。むかし83年だったかな? フィニョンが走行中にカンパの中空のBBシャフトが折れてクランクが抜けて落車したなんてのがありましたが、走行中にハンドルやクランクが折れたら、なんて考えたくもないです。

追記(3/17, 12:10)
フィニョンの映像、YouTube にありました。82年のブロワ・シャヴィル、今のパリ〜トゥールですね。



この映像カンパから放送するなと圧力がかかったなんて、当時噂になってましたが。。。今回のハンドルも、メーカーとしてはあまり広めてほしくないだろうなぁ。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

栗村修のコラムから、大事なこと

2023.03.02.11:53

ふと思い出しました、私、2005年にツールのスカパーの放送で栗村さんと白戸さんとご一緒したことがあるんですよねぇ。まあ、見てる方は誰も知らないから、誰だこいつ?となって、当時のネットで大炎上しましたけどね 笑)

それはともかく、その栗村さんが自転車選手への安全配慮の面で重要な提言をしています。

https://news.jsports.co.jp/cycle/blog/rinseisodan/2023/03/post-32.html?fbclid=IwAR339AbLwk5S7nvbIuAla7AvlWTPByXjEMu3hgoqesEVFZk5QfpNwv5Ziwc

まあ、栗村さんはかなり前からテレビの放送でも、機材に比べて選手への安全性への配慮が足りないと言うことは繰り返し発言していましたが。。。

自転車競技、1980年代まではヘルメットの「ヘ」の字も話題になりませんでした。ただ、ベルギーだけは国内レースでカスク着用義務があったはずで、80年代のツールなんかではベルギーが一部でもコースに入っていると選手たちはみんなカスクをしていましたし、ツール・ド・フランドルをはじめとしてベルギーのレースはみんなカスクをかぶっていました。

あまり記憶が定かではありませんが、1990年に突然ヘルメットが義務化された時には選手たちが猛反発して、ヘルメットをかぶっていたおかげで熱射病になりそうになった、集中力の点でこれはむしろ選手を危険にさらす、なんてフィニョンとかブーニョとかが発言していました。その後再びヘルメット着用義務は無しになったんじゃなかったかと思います。

プロがこんなでしたから、私が参加していたホビーレースの世界でも、ヘルメットが格好悪いのでなしでOKにすべきだなんていう、いきった投書がサイスポに載ったりしてました。でも、当時、1980年中頃から後半、皇居前に日曜早朝にホビーレースチームで集まって10人前後で練習していた時、みんなヘルメットなんてかぶってませんでしたね。キャップがほとんどで、2、3人がカスク。アメリカ人のチームメイトが一人いて、彼だけは黒いベルのヘルメットを必ずかぶっていました。僕はクリケリオンのカスク姿が格好良かったので、わざわざ同じロジェッリのカスク(これが高かったんですよ)をかぶってましたが。
IMG_6778.jpg

その後、1995年でしたか、カザルテッリがノーヘルで事故死して、ふたたびヘルメット談義が活発になり、着用義務が復活したのでした。

ただ、1990年、最初の義務化のときのヘルメットはかなりダサかったんですよね。こんな感じ。

IMG_6775.jpg  IMG_6776.jpg

たしかに昔のレースを見るとヘルメットもサングラスもないから、選手が誰だかすぐにわかるし、軽やかで格好良く見えますが、1960年代ぐらいまでは道路が今のように綺麗ではなかったこともあって、集団の密度が現在ほど詰まってなかったし、当然スピードも今より遅かったわけです。だから、コッピやバルタリの時代、1950年代までは集団落車というものが滅多になかったそうです。

今はレースが高速化しているし、集団なんかものすごい密度ですからね。高速での集団落車なんて考えただけでも怖い。というわけでプロテクター、一考に値するのではないかと思います。上の栗村さんのコラムでもリンクが貼ってありますが、実際にバイク用のプロテクターをしてレースに参加している大学生の記事も参考になります。こう言うのが広がってプロの世界でも取り入れられるといいと思うのですがね。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

サガン、ロードレースは今年でおしまい

2023.01.27.19:05

ペテル・サガンが今年でロードから引退だそうです。ただし、来年のオリンピックでMTBで金メダルを狙うと言ってますね。33歳の誕生日に記者会見を開いて発表したそうです。ロードレースはもうワールドツアーレースには参戦せず、マウンテンに完全に集中するとのこと。自分のキャリアはマウンテンバイクで始まったのだから、同じくマウンテンで終わらせたいと言ってます。ただ、来年ロードレースに絶対出ないとは言ってなくて、ちょっと含みを持たせた言い方をしてますね。でも出たとしてもマウンテンのための調整レースにしようと考えているのかな?

しかしもう33歳だったんですね。拙ブログではプロ入り当時から何度も話題にした選手でした。フランソワーズ・サガンに引っ掛けて、悲しみよ、こんにちは、なんて書いた時が2010年3月のパリ〜ニースでした。プロデビューから引退まで見届けることになりそうです。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ゲオルク・ツィンマーマンの今年の総括

2022.12.08.23:41


この選手は去年も12月8日に紹介していましたhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4185.html 笑)

今年はシーズン初レースの GP・ラ・マルセイエーズで7位、アルガルヴェで第2ステージで8位、ファン・アルデシュで11位、パリ〜ニース総合23位とまあまあの出だしでしたが、ミラノ〜トリノで落車して一月ほど休んでからのアルデンヌ・クラシックとなりました。リエージュ・バストーニュ・リエージュはリタイアでしたが、前半のアシストぶりが功を奏してチームメイトのクィンティン・ヘルマンスが2位に入りました。まあ、このレースはエフェネプールが独走で2位の選手なんか誰も覚えちゃいませんが 笑)

でもポイントとしてはアンテルマルシェにとってはとても大きかったはずですね。その後はツールに向けて、ジロ・デル・アッペニーノで3位、GPアールガゥで5位と良い成績が続き、ツール・ド・スイスになります。

ところがここでコロナ発生でリタイア。ツールはどうなるかと思われましたが、10ステージの登りゴールステージでは逃げに乗って最後まで優勝争いの末、6位に入りました。その後地元のドイツ・ツールでも最後の二つのステージで5位と3位、総合でも4位になっています。

9月になりカナダの二つのレースのうちモントリオールで14位となり、オーストラリアの世界戦ではドイツチームのエースとして出場したんですが、落車リタイアにおわりました。

「アンテルマルシェチームとしては期待以上の出来でしたね。私はチームの大きな成果に関与することができました。例えば LBL やツールです。私自身もいくつか良い結果を出せました。一層安定したし調子の良い時の状態がより良くなりました。

ツールは2回目の参戦で、去年よりもはるかに高いレベルで走れました。山岳ではずっと長く先頭を走っていたし、貴重な経験を積めました。来年はそれを活かしてもっと上位を狙いたいですね。

世界戦は本当にがっかりだった。ナショナルチームは僕に期待をかけてくれたんだ。最初から良いレースができたわけではなかったけど、ゴール前70キロで落車して終わった。こんな世界選手権は予想してなかったよ。

将来的な目標として、僕は総合を狙うのよりはワンデーレースとステージ狙いが会っていると思う。チームとして勝ちを狙えるクリストフが移籍するから僕への期待も増えるだろうけど、その責任には耐えられるぐらい成長していると思っている。」

というわけで、来シーズンはワールドツアーレースでの勝利が欲しいところですが。。。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

グロースシャルトナーの今年の総括

2022.12.03.17:25


グロースシャルトナー、顔の上半分は柔和な感じなんですけど、ヨーロッパ人には珍しい八重歯なんですよね。顔の上半分を隠してみると、薄い口髭との組み合わせで吸血鬼めいたイメージになります 笑)

しかし、この人も今シーズンはプロ入り後最悪のシーズンだったんじゃないでしょうか。なにしろコロナと骨折でズタボロでした。オーストリア選手権でロードとTTの両方のチャンピオンになりhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4360.html、ツール・ド・スイスでも総合7位に入ってるんですが、そして成績一覧を見ると、ツールも含めていろんなステージレースでトップ10に何回か入っているんですが、いいところなかったシーズンだったという印象です。

昨シーズン終了後に踵を骨折し、クリスマスにはコロナにかかって、完全に冬を失敗した点では、先のシャハマンと似ています。プロとしてのトレーニングは1月になってようやく再開、調子も上がってパリ~ニスに参戦すると、第1ステージを100キロもいかないところで落車し、鎖骨骨折。

「プロになってから、これほど成績が悪かったのは初めてだと思う。病気と怪我でこんなに不運なシーズンは、いずれにしても初めてだよ。辛かったし、馬鹿げた気分だった。でもこういうシーズンもあるさ。忘れるしかないね。」

それでも1ヶ月後にはバスク一周に出て調子を整え、続くツール・ド・ロマンディーではトップ10が3回と調子が上がってきました。つづくツール・ド・スイスでもトップ10が3回、総合でも7位になり、ツールのメンバーにも選ばれました。

「ツール・ド・ロマンディとスイスは今シーズンの白眉だった。調子は良かったんだけど、山岳ステージの調子は足りなかった。表彰台に上れたはずなんだけどね。」

調子が上がってのツール出場でしたが、ここでも最初の方で体調を崩してしまいました。

「最初の休息日の二日前に体調が悪くなり、ツールが終わった後は本当にスイッチが切れてしまった。何日か熱が続いてね。僕の周りはコロナにかかったやつが多かったけど、僕は違っていた。僕だけ普通に感染症になったんだ。ツールの最中も、確かに14ステージでは7位になったけど、調子は良くなかったんだ。

秋になってもどうも自分の調子が上がらなかった。トレーニングでもある日はうまくいっても、次の日はまたまるでダメだったりね。」

秋はドイツツールやツアー・オブ・ブリテン、イタリアのクラシックなどに参加したけど、まるでパッとしませんでした。そんなこともあって、ボーラを出てUAEへの移籍を決断したようです。

「僕は新しい環境でもう一度自分の力を証明しなければならない。これは僕の成長にとって良いことだと思うよ。UAEでもチャンスを掴みたいけど、大きなレースでは僕の役割はアシストになるね。でもそれは僕に合っているかもしれない。僕は良いレースをすればトップ10、あるいはトップ5まではいけるかもしれないけど、でも優勝となるとちょっと無理だよね。

来シーズンの目標はもちろんツールに出ること。UAEには強い選手がたくさんいるけど、参加できたら嬉しいね。」

というわけで来シーズンはポガチャルのアシストになるのでしょう。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ヨーナス・ルッチュ今年の総括

2022.11.28.11:39

9ddJwQwDFDambWDcwoZ8ngiI4KCvEWlQBK0kZKM2.jpg
名前だけで見ると自転車やらない方がいいような名前です、ヨーナス・ルッチュ=スリップくん。https://kotobank.jp/dejaword/Rutsch そのうえ身長ほぼ2メートルですからね。

拙ブログではツールのシャンゼリゼで逃げて目立って、ゴール後に求婚って、私的にはむちゃくちゃ恥ずかしい奴です 笑)

パリ〜ルーベで11位に入った去年あたりから結構期待値高かったんですが、今シーズンは春先からコロナで体調不良で気勢をそがれ、どうもパッとしませんでした。

「本当にまるで不満なシーズンだった。なにより体調不良で、むしろ去年から一歩後退って感じだ。高いレベルでシーズンを走り抜けるために必要な一貫性が、早くも途切れちゃったんだよ。

【去年良かったパリ〜ルーべでは】自転車を止めて回収車に乗ろうかと思ったぐらいだよ。ただ、それだけはやりたくなかったからね。【結果は74位完走】

ツールの前の高地トレーニングで、山では去年より少し強くなったと思う。最初の週でもう少しやれると思っていたんだ。ひょっとしたらステージだって取れるんじゃないかって思っていた。でもオープニングのTTで落車してしまって。。。

その前のツール・ド・スイスでは、基本的な水準は悪くないと思えたんだけど、ツールでは全く別人になったみたいな感じだった。体が思うように動かず、ただみんなについていくだけで精一杯で、なんとか完走できたんだ。」

タイプとしてはオールラウンダーで逃げに乗って勝利を目指すタイプなんでしょうけど、来年はEFエデュケーションチームはリチャード・カラパスが移籍してきます。ツールにルッチュが出場することになれば、完全にアシストとして出ることになるでしょうね。

「彼がいれば、ツールで上位を狙えるっていうことだ。もし自分がノミネートされれば、もちろんチームの方針に従い、彼を全力でアシストするよ。でも、来シーズンは、僕自身が結果を残せるタイプだということを示したいんだ。アシスト選手だけで過ごしたくはないよ。最初の目標は春のクラシックで、そこでは「一歩前進した」ことを示したいね。」


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ニコ・デンツ今年の総括

2022.11.22.18:35

というわけで、来シーズンからボーラ・ハンスグローエに加入のニコ・デンツ、拙ブログとしては何度かグランツールのツィートレース日記でも登場していますが、今シーズンはついにワールドツアーで初勝利を挙げました。

もともとは逃げに乗るタイプだったようですが、DSMではチームのキャプテン役としてアシストに徹していたという印象でした。それが、ツール・ド・スイスでとうとうステージ優勝を成し遂げました。

「ツール・ド・スイスでの勝利がもちろん飛び抜けて、僕にとっては実に大きなものになったよ。これだけでも今シーズンはとっても良いものになったね。年の初めはコロナになって苦しんだ。おかげで春のクラシックを走れなかったんだ。ほんとにがっかりしたよ。その後ジロに出たけど、これで5回目の出場になった。でもこれは偶然だよ。僕はずっとジロは好きなレースだったけど、こんなに出られたのはたまたまで、結果的にそうなっただけだよ。でもこれだけ何度も走れば、経験は蓄積されるし、レース展開もわかってくるものさ。僕にとってはロンデ・ファン・フラーンデレンとパリ〜ルーベとともに大好きなレースだよ。」

ツール・ド・スイスでは4人のスプリントになり、狭い道で、ゴール地点がカーブになっているところを、うまく先行するクレマン・シャンプーサンの内側をついて僅差での勝利でしたが、2年ぶりの勝利だったようで、自信になったと言ってますが。

「まだまだやれると思ったし、もっとやりたいとも思ったけど、でも僕はチームへの忠誠心とアシストとしての強さによって存在感を示すタイプだからね。この役割はボーラに映っても同じだよ。DSMではこの方向で自分の力を高めてきたわけだし、この方向は変わらない。ただ、ツール・ド・フランスだけはまだ出ていないんだ。この先自分の出場リストに加えられるようにしたいね。」

なるほど、2014年20歳でプロ入りしてから、ツールは一度も出てないんですね。現在28歳、ボーラでツールに出るのは結構難しそうだけど。。。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

さいたまクリテ おまけ

2022.11.08.18:38

rsn にもさいたまクリテのニュースが小さく出ていましたが、とりあえず、いろいろ撮った写真をアップしておきます。rsn のニュースではフィリプセンがヴィンゲゴールとゲラント・トーマスの3人のスプリントで勝ったということと、それ以上にバルベルデとニバリの二人が逃げたことが大きく扱われています。

最後から2週目か3週目の逃げる二人です。
バルベルデ

ニバリ

後ろからはヴィンゲゴールを先頭にフィリプセンがちょっとだけ写ってます。
追走ヴィンげゴール、フィリプセン

私がいたところはUターンコーナーでかなり選手が外側へ、ということはこちら側へ迫ってきて回っていくので、スピードが落ちているとはいえ、集団は結構迫力ありました。

61番はバルベルデですね。
IMG_6389.jpg

さらに無精髭のマルタン。
IMG_6390.jpg

お約束のゲシュケ。
IMG_6443.jpg

こちらは序盤で逃げていた時、先頭で入ってきたゲシュケと、うしろにちらっとアラシロくん。
IMG_6367.jpg

だいじょうぶ、もちろんアラシロ君もちゃんと撮れてまっせ。
アラシロ

他にもいっぱい撮ったんですが、不思議なことにゲラント・トーマスがきちんと撮れている写真がなかったですねぇ。ほんとに走ってた? 笑) カヴもいましたが、まあいいかな 笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

さいたまクリテ

2022.11.06.23:24

2019年以来の3年ぶりでしたね。今回は午前中はちょっと用事があったので午後にのんびり電車で行きました。今回はスタートして最初のUターン、Jcomコーナーに陣取って、選手たちのコーナー手前の風を受けてきました 笑)

悪魔おじさんもそばを通過。
IMG_6293.jpg

レースの展開とか結果は、まあ、いいですかね 笑) ゴールスプリントが終わってやってきた優勝したフィリプセンのタッチゲットでした 笑)
IMG_6472.jpg


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ガンナ4000m個抜きで世界記録

2022.10.15.12:31

フィリッポ・ガンナ、アワーレコードを更新したと思ったら、今度は現在行われているトラック世界選手権の4k個人追い抜きで世界記録で優勝。去年、口髭のアシュトン・ランビーが出した記録に次いで二人目の4分を切るタイムですが、ランビーの記録が標高2000メートルの高地でのものだっただけに、今回のパリでの記録は価値がありますね。

しかし、この競技、10年前の記録4分10秒がしばらく破られなかったのに、突然2018年以降、ガンナとランビーが4回ずつ更新して、一気に4分切り。やっぱり機材の影響があるのでしょうね。この競技の世界記録の一覧表が英語版のWikipediaに載っています。
https://en.wikipedia.org/wiki/World_record_progression_track_cycling_%E2%80%93_Men%27s_individual_pursuit

昔の名選手には個人追い抜きが強かった選手が多いんですよね。コッピもコーブレットもそうだし、ルディ・アルティヒやモゼールも世界チャンピオンになっています。イノーも国内チャンピオンになっているし、僕の世代だとソ連のエキモフの印象が強いです。最近でもウィギンズは世界戦で二連覇しているしシュテファン・キュングも世界チャンプになってますね。

昔の記事でイノーがこの競技が自転車競技の基本だと言っていた記憶があります。そういう意味ではガンナはTTだけじゃなくて、もうちょっと大きな勝利があっても良さそうな気もするんだけどね。TT以外の目立った勝利ってほとんどないですからねぇ。。。

例えば以前のトニー・マルティンとかカンチェラーラとか、それこそエフェネプールだってそうだけど、ソロアタック後の一人逃げ切り勝ちというのがほとんどないのが、ちょっと不満なところです。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

グロースシャルトナー、UAEへ

2022.08.12.14:16

ニュースそのものはすでに数日前に出ていたので速報性はまるでありませんが、rsn にグロースシャルトナーの発言が載っていたので、ご紹介。

グロースシャルトナーの話。「今シーズン前は移籍もあるかもしれないと思ったけど、そうならなかった。今回はマネージャーと一緒に幾つかのチームと話をしたんだ。このチームで5年過ごし、僕が成長すると共に大切に思ってきたからね、簡単な決断ではなかったね。でも何か新しいことをしたいというモチベーションが大きかった。

ただそのためには最低でもボーラと同じぐらい強く良いチームに移りたいとおもったんだ。やっぱりツールで勝てるところへ移れるのは魅力だよ。絶対的エースがいるチームに移籍するってことは、アシストとして動かなければならなくなるのは当然だ。ポガチャルの印象は攻撃的なスタイルと絶対諦めないで何度でも新しいことをしようとするってことだ。彼は特別なタイプだし、これまででも最大級の才能を持っている。

いくつかのレースでは僕も自由に動けるだろうけど、一番の目標は、もちろん、来年のツールの強力なアシストになることだ。まあ、来年のことも楽しみだけど、でも、今すべきことも大切だ。今シーズンを良い成績で終えて、できればいくつか良い成績を収めておきたいね。」

今年のツールのUAEは山岳アシストがいまひとつパッとしなかったから、補強ポイントとして山岳でアシストできる選手を求めたんでしょうね。で、今年のオーストリアのロードとTTのダブルチャンプに白羽の矢が立ったということでしょう。

しかしこのニュースを最初に見た時に感じたのは、またボーラからUAE? 過去、マイカもフォルモロもアッカーマンもボーラからUAEへの移籍ですからね。コーチ陣でなんか繋がりでもあるんでしょうか?


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ツール・ド・フランス・ファム雑感

2022.07.28.13:59

調べると1984年から89年まで行われてますね。基本男子のコースの途中からゴールまで、男子がスタートするより前にスタートという、いわば前座レースみたいな設定だったようです。90年以後も名称を変えて、時期やコースも変更して行われていたようです。しかし、選手が泊まるホテルが劣悪だったり、ゴール後の選手の扱いが酷かったり(観客から丸見えのところで着替えさせられた)、しかもツール商標権を持つASOから名称でいちゃもんつけられたり、嫌がらせをうけたり 笑)しながら、類似の女子レースはとびとびで行われたりしたようですが、今年本格的に女性版ツール・ド・フランスとして再出発となったようです。

1980年代の雑誌ではシャンゼリゼでのポディウムシーンで、男女の各賞のマイヨを着た選手たちが表彰される写真を見たことがあるな、とおもって、古い雑誌を探してみたら、いくらか見つかりましたので、ご紹介。

1984年、第1回の勝者はアメリカ人だったんですね。そのせいか、本家フランスのミロワール誌にも、表彰台の写真とキャプションでの名前紹介だけで、レースについてはリザルトも含めて紹介されていません。

IMG_6010.jpg

1985年になると、優勝はイタリアのマリア・カニンスで、2位のフランスのジャンニ・ロンゴとデッドヒートを繰り広げたので、かなりのページを使って紹介されています。表彰台のカニンスが見開きで出てます。

IMG_6012.jpg

日本の雑誌自転車競技マガジンでも扱われていました。

IMG_6005.jpg

ちなみにチームは国別対抗、中国も参加して、下の左の写真の選手は総合8位に入ってます。ただ、リザルトを見ると、タイムでの順位ではなくポイント制みたいです。詳しく読めば出てるんでしょうけど、それは勘弁 苦笑)

IMG_6009.jpg

第3回の1986年もカニンスが総合優勝し、ロンゴはまたまた2位。この年はリザルトはタイム差になっていますが、カニンスは2位のロンゴに15分半の大差をつけてますね。

IMG_6007.jpg

この時のカニンスはすでに37歳、この翌年の立川で行われたスーパークリテリウムで、ただ一人女子選手として来日し、男子選手たちがレースをしている間、ときどき自転車に乗ってデモンストレーションをしてましたね。たしか最終種目の個人TTでは最初に走っていたような朧げな記憶があります。


立川のスーパークリテリウムについては拙ブログで10年以上前に数回に渡り書きましたので、興味がある方はこちらへどうぞ。

懐かしのスーパークリテリウム87 サイン会篇
懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その1
懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その2
懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その3
懐かしのスーパークリテリウム87 最終回


さて、87年、ついに待ちに待ったジャンニ・ロンゴがカニンスを破っての優勝の年になります。この年の結果は3分弱の差でした。中盤からはカニンスとロンゴが1分以内の差で鍔迫り合いしていたんですが、全15ステージ中の第13ステージの山岳ステージで、ロンゴが一気に3分弱の差をつけてステージ優勝し、そのままシャンゼリゼに辿り着いたのでした。ミロワール誌では写真入り6ページに渡り、ロンゴのインタビューが掲載されています。

IMG_6006.jpg

この後88年以降はミロワールを間違って捨ててしまうという大惨事にあったため 笑)不明ですが、ロンゴがこの後3連覇しているので、ミロワール誌には載っていたんだろうと思われます。しかし、ロンゴが強すぎで勝負の面白さがなくなってしまったのかもしれませんね。ロンゴ3連覇の89年を最後にツールと銘打った女子選手のレースは終わってしまったのでした。

しかし今回再開されたレース、やっぱり女子選手全般のレベルが上がっているのでしょうね。見てると面白いですね。ただ見た目がみんな小柄で華奢なので、落車だけは勘弁してほしいんだけど、男子並みによく転びますねぇ。コース設定が最後の二日間でドカンとひっくり返りそうな設定だけど、来年以降はもう少し中盤に山を移動させて、最後はTTを入れて欲しいかな。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

パリ〜ルーベ・ファム

2022.04.17.00:06

女子のレースは、1990年の宇都宮の世界選で見てました。カトリーヌ・マルサルという可愛らしいフランス人選手が独走で優勝したのでした。午前中が女子のレース、午後がアマチュア男子だったと思います。レース会場に到着した時にはすでに女子のレースは始まっていて、レースもほとんど後半で、すでにマルサルの逃げが決まっていて、どこかのコーナーで走りすぎるのを見ていた記憶がおぼろにあります。

その前の1987年に行われたスーパークリテリウムでも、確か当時数年間行われた女子のツール・ド・フランスで、フランスのジャニー・ロンゴを破ったイタリアのマリア・カニンスという、当時すでに40歳ぐらいの小柄なオバちゃんが一緒に来てました。男子のレースが始まる前に、カスクと青いイタリアマイヨでコースを一人で走っていたような記憶があります。パンフレットにサインもしてもらいましたが、あんまりに小柄で痩せっぽちなので驚きましたね。


左上に斜めに入ってるのがカニンスのサインです。

それと、私が出ていた頃のホビーレースの女子の部はロスオリンピック(?)の出場権を阿部和歌子選手と争った吉田さんが強すぎて、ほぼどのレースも独走で大差をつけて優勝していました。私が所属していたチームのY夫人も強かったけど、常に2位争いまでで、吉田さんには全く歯が立たなかったですね。当時は女子の部は参加者も男子に比べればずっと少なく、集団にならずに個人TTみたいにバラバラになってしまうことが多かったです。

しかし、先ほどJスポーツでやってた女子のパリ〜ルーベ、男子のレースと遜色ないですね。選手名を全く知らないので、応援するにも手がかりがないんだけど、迫力があって見てておもしろかったです。水曜日のブラバントの矢みたいに、一人逃げたら、追走集団に二人のチームメイトがいて、それが見事に抑え役の役割を果たして逃げ切りを完成させたというレース展開でした。うーむ、恐るべし。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ドロッパーポスト、その後

2022.03.26.11:46

昨日の E3ハレルベケ(サクソ・バンク・クラシック)でも4位になったマテイ・モホリッチ、流石に昨日は、長い下りはないコースだったのでドロッパーポストはつけてなかったようです。

rsn にボーラの監督のアルダークの意見が出てました。

モホリッチは徹底的に納得するまで極めようとするタイプで、「プロフェッサー」と呼ばれていたそうです。オートバイレースの装束で繰り返し下りの練習を、それこそコケるまでしていたと、去年までバーレーンでモホリッチの監督だったアルダークが言ってます。

ドロッパーポストについては、理論的には空気抵抗の面でも、バイクコントロールの面でも、下りでのメリットは「多少ある」と言ってますが、誰がやってもモホリッチと同じようにうまくいくとは限らないと、かなり限定的な言い方をしてますね。彼なら、これを使わなくても、ミラノ〜サンレモに勝てたかもしれないと。

ただ、たしかにコーナーで前後輪滑らせてしまった時、サドルがいつもの位置だったら持ち堪えられなかったのではないかとも言ってます。この10秒ぐらいのところからですね。



ボーラでも検討しているかという質問に対しては、試してみるだろうけど、かなり練習が必要だと言ってます。誰に向いているか、向いていないかは慎重に判断しなければとのこと。

つけるならそれなりの練習が必要だし、スタンダードにするよりも、むしろコースを選ぶってことでしょうね。というわけで、今後の標準装備はないな。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

ドロッパーポストは定着する?

2022.03.25.15:01

1980年代中頃からロードに乗ってるけど、下りでサドルを下げると安定するという発想は、これまで全く持ったことなかったです。直線の下りだとお尻を思いっきり後ろに引いて手を伸ばす(パンターニがよくやってました)と安定するような気がしてましたが

先日のミラノ〜サンレモでモホリッチが使った製品はフォックス・バリオの「トランスファーSLパフォーマンス・エリート」という商品だそうです。マウンテンのクロカンやグラベル用で、5〜7cm(製品により違う)サドルを上下させられるようです。rsn によると、サドル位置は最高位置と最低位置の二箇所でしかロックできないとなっていますね。

重量は330g ぐらいなので、通常のシートポストと比べても150g程度しか重くなっていないのではないか、とのことです。

UCIの反応ですが、すでに2014年にドロッパーポストの使用は承認していたというし、2016年にヴィンチェンツォ・ニバリがツールでこのタイプのシートポストを使ったことがあるようです。ただ、当時のものは2cmしか上下せず、しかも重かったみたいですね。

どうなんでしょう。モホリッチが予言するように、来年の高級ロードバイクにはこのシートポストが標準装備されるようになるんですかね?

ふと、思い出したんですけど、1990年代前半には、パリ〜ルーベ限定でしたが、やっぱりマウンテンから入ってきたサスペンションフォークが使われ、デュクロ・ラサールはそれを使って優勝したこともあったんですけど、そのうち誰も使う人がいなくなりました。

 IMG_5522.jpg
© L'ÉQUIPE PARIS ROUBAIX Une journée en enfer. ISBN: 2.91553521.3

このドロッパーポストの方は定着することになるんでしょうか?


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

スロベニア人強すぎ

2022.03.21.11:57

先ほどBSでスロベニアの鍾乳洞の番組をやってました。きちんと見てたわけではないけど 苦笑)

しかし、スロベニアなんて言われてもイメージないですよねぇ。南スラブ系の人たちの国だそうですが、第一次大戦までは主にオーストリアの支配下にあったようで、第二次対戦後はユーゴスラビアの一部になり、冷戦終結時には十日間戦争というユーゴスラビアからの独立戦争を経て91年に独立したとのこと。ユーゴの内戦には、地理的な事情で、あまり影響を受けなかったようです。

第二次大戦後すぐのジロ・ディ・イタリアの話なんかを読むと、イタリアとの国境地帯は戦後も帰属問題で結構揉めたところだったらしいですけどね。

しかし、レースシーズンが始まってまだ3ヶ月にもならないのに、主要なレースはスロベニア人が独占ですね。人口200万ですよ!! まあ、それ言えば人口50万のルクセンブルクからツール総合優勝者が3人ってのもあるけど。

UAEツール、ストラーデ・ビアンケ、ティレノをポガチャル、パリ〜ニースはログリッチ、で、ミラノ〜サンレモがモホリッチ。重要レースで優勝者がスロベニア人じゃなかったのって、ファン・アールトの勝ったヘット・ニウスブラット(ヘット・フォルク)ぐらいです。

また、モニュメントは去年のLBLとロンバルディアをポガチャルが連勝しているので、今回のモホリッチでスロベニア人が3連勝。同じ国のモニュメント3連勝は2004、05年のイタリア人(LBL、レベリン、ロンバルディア、クネゴ、ミラノ、ペタッキ)以来だそうです。

ミラノ〜サンレモはトップテンに3人、と騒がれてますが、ログリッチも10位争いの集団で17位でゴールしてますからね。トップ20に4人のスロベニア人。拙ブログが注目するドイツ人は? というと、ゲシュケの32位が最高。ドイツの人口はスロベニアの40倍以上あるんじゃない? 苦笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

新兵器は標準装備となるか?

2022.03.21.11:12



うーん、過去自転車レースの歴史では、いろんな新兵器が投入されてきました。これは1986年のツールのプロローグで投入された新兵器 笑) これに乗ってティエリー・マリーが優勝しますが、その次のTTステージではこれは急きょ禁止になりました。

まあ、自転車競技の世界ではいろんな新兵器が投入されてきたわけで、場合によってはその後禁止されたものもきっと沢山あるんでしょう。

さて、何が言いたいか? 今回のモホリッチの使ったドロッパーシートポスト、レース後にモホリッチが言ったように、来年はフツーにロードレーサーに標準装備されるようになるんでしょうか? それとも??

まあ、モホリッチがいくら下りが得意と言ったって、クロスが本業だったMVDPやファン・アールトをあんなふうにぶっちぎっちゃう以上、かなり効果があるんでしょう。

最初は違和感があった無線機や、選手の間でも反対が多かったディスクブレーキが、いまのレース界では標準になってますからね。電動の変速機も、たしか1990年代にマビックから出たけど、落車する時は必ず左側へ倒れろなんて無茶なこと言われたり 笑)隣同士で並んで走ってると混線するといわれたりしてたんですが、いまでは普通に見かけますからねぇ。

UCI が禁止とするのは、基本的に危険だという理由からでしょうから、今回の新兵器はその点では危険性はないといえるのかな?


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

スプリンターの身長

2022.02.08.11:56

先日ツールの優勝者の身長を調べてみたので、今度は世界選手権で見てみようと思ったんだけど、コースによって左右されるから、あんまり面白くないので、スプリンターを見てみることにしましょう。その前に国別の平均身長の表があったので紹介しておきます。
スクリーンショット
http://honkawa2.sakura.ne.jp/2188.htmlからお借りしました。)

世界一身長が高い国オランダだと180以下は小柄に分類されちゃいますね 苦笑)ただ、ここは大体175ぐらい以下を小柄に、185ぐらい以上を大柄に、そしてその間は西洋人の一般男性の平均だと考えておきましょうかね。まあ、身長だけでなく横幅も体格の印象に影響するんでしょうけど、今回は体重は無視します。

で、185センチ以上の大柄のスプリンターもいれば、170センチ前後の小柄なスプリンターも結構いて面白いです。例によってウィキなどで見つけた数値ですので、どの程度正確かわかりませんが。

まず小柄代表はカレブ・ユアン(165)ですね。ブライアン・コカール(169)なんかも小柄なスプリンター代表でしょうか。170前後は少し前だとパオロ・ベッティーニ(169)や、3度の世界チャンピオンになったオスカル・フレイレ(171)やロビー・マキュアン(171)なんかも小柄でした。

カヴェンディッシュは175と出ていますが、あの低いフォームがなんとなくもっと小柄に思わせます。ユアンもハンドルの前方に上半身を沈み込ませるような独特な低いフォームなので、小柄なスプリンターはみんなこういうフォームかと思うと、そうでもありませんね。身長とフォームはあんまり関係なさそうかも。むしろ小柄だと自転車を振る選手が多いかな?

集団のカミカゼなんて言われて、自転車をスリップするんじゃないかってぐらい思いっきり振り回し、必ず左右どっちかに斜行していたジャモリディン・アブドゥヤパロフ(174)なんかも、顔を伏せて低いフォームでした。まあ、ユアンなんかはあまり自転車振らずにスプリントしてますが。もっともあのフォームで自転車は振れないか 笑)

思うに、小柄なスプリンターの利点としては、大柄な選手の後ろにつくとスリップストリーム効果が高いだろうし、逆に後ろにつかれても、ライバルにとって風よけ効果があまりないっていう点でしょうか。さらに低いフォームや、自転車を振ればその効果(=相手にとって風よけ効果がない)は一層高まるでしょう。

175前後のスプリンターは、カヴもそうですが、なんとなく数字以上に小柄な雰囲気があります。例えば最近だとナセル・ブーアンニ(176)なんかは実際の身長の割に小柄な印象がないでしょうかね?

一方で大柄代表となるとマルセル・キッテル(188)やマリオ・チポッリーニ(189)、あるいはゴリラと呼ばれたアンドレ・グライペル(184)やアレッサンドロ・ペタッキ(184)なんかが代表でしょうか。これらの選手に共通しているのは、あまり自転車を振らずにまっすぐのラインを守る綺麗でクリーンなスプリントでしょうかね。

彼らの場合は後ろにつかれたとしてもパワーで押し切ろうとするわけでしょう。昔のチポッリーニ(189)対アブドゥヤパロフ(174)にしても、エリック・ツァーベル(178)対フレイレ(171)にしても、最近のキッテル(188)対カヴ(175)にしても、あるいはフランスのライバル同士、アルノー・デマール(182)対ブーアンニ(176)も、印象としては大柄の方が先行して、その後ろから小柄な方がまくろうとしてもがくという印象が強いです。

伝説の時代のスプリンターで大柄な選手の代名詞として挙げられたのが世界選で2勝しているリック・ファン・ステーンベルヘン(186)で、その生涯を書いた本なんかでは自転車選手としては他を圧するほどの大男だったとありますから、50年台だと180以上の選手は珍しかったのかもしれません。

昔の有名スプリンターも思いつく範囲、わかる範囲で見てみます。82年の世界選手権で、一人だけオートバイに乗っていると言われたイタリアのスプリンターのジュゼッペ・サロンニ(170)なんかも小柄なスプリンターの代表でしょうか。あるいは同じイタリアのLBLで4勝しているモレノ・アルジェンティン(175)も、印象は小柄でした。

一つのツールでステージ8勝、ブエルタでは19ステージ中13勝で完全優勝、ジロでも13ステージでリタイアするまでに8勝、もう無茶苦茶な強さを見せたフレディ・マルテンス(174)も、どちらかと言えば小柄ですが、横幅もあってゴム毬みたいな印象です。

1981年の世界戦のスプリントはマルテンス(174)とサロンニ(170)とイノー(174)のスプリントでしたが、3人とも小柄 笑)な部類のスプリンターだったと言えますね。



拙ブログでも書いたことのあるエリック・ファンデラールデン(182)とショーン・ケリー(180)、今をときめくマチュー・ファン・デル・プール(184)の父で、レイモン・プリドールの義理の息子のアドリ・ファン・デル・プール(181) と、80年台のスプリントシーンを彩ったライバルたちは大体180前後。拙ブログ紹介選手で言えば、東のツールと言われたピースレースでステージ38勝と桁違いのスプリントを見せたオラフ・ルートヴィヒ(182)もそうです。

まあ、現在も180前後のスプリンターは多いですね。一般西洋人としては平均的な身長だから、数が多いのは当たり前なのかな? こんな感じです。

ディラン・フルーネヴェーヘン 177
サム・ベネット 178
ジョン・デーゲンコルプ 180
アレクサンダー・クリストフ 181
ファビオ・ヤコブセン 181

今回チマチマと調べててびっくりしたのがペテル・サガンの184センチ。サガンって埼玉クリテで目の前で見たけど、そんなに大柄だと思えなかったですけどねぇ。もっともクリス・フルームもガリガリのおばちゃん顔で、同じく186には見えませんでしたけどね 苦笑)

で、締めに入りたいところですが、まあ、スプリンターの身長はツールの総合優勝者たちに比べれば大柄な人が多いってことで、結論は最初から見えていたところへ落ち着きました 笑) 次はタイムトライアルスペシャリストの背丈かな?これはきっとデカいぞ 笑)


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村

チャレンジマヨルカのボーラ

2022.01.30.15:42

うーむ、某スポーツ関係のブログで、史上最高の自転車ロード選手として1位バーモンテス、2位カンチェラーラ、3位パンターニとなっているのを教えてもらって、クラクラしているアンコウです 笑)

26日からチャレンジマヨルカが始まってますね。今年は5つのレース。毎日マヨルカ島(昔はマジョリカ島と言っていました、ひょっこりひょうたん島にもこの地名をもじった魔女の中の魔女こと「魔女リカ」ってのが出てきました 笑)でコースのタイプも違うレースが連続で行われ、選手は自分の好み?で出場レースを選んで調整レースとして走るって感じなんですよね。

マヨルカ島は緯度で見れば日本の東北地方ぐらいに位置するけど、地中海は温暖なんですかね。ウィキで検索すると、今頃は平均気温が12度ぐらい。

拙ブログとしてはここはボーラの話題に絞ります。このレース、過去19年と20年にブーフマンが2勝しています。まあ、スペインのレースなのでスペイン人ばかり勝ってるかと思うと、この5、6年はデーゲンコルプやキッテル、グライペルといったドイツ人スプリンターもよく勝ってますね。

で、今年は初戦は、ボーラからはブーフマン、去年の10月末にケムナと一緒にマウンテンのステージレースに出場したベン・ツヴィーホフhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4161.html、期待のアイデブルックスhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4174.html、ポリット、コンラート、ネオプロのルイス・ジョー・リューアス、ベネデッティ。結果は一人逃げた後の2位争い集団でブーフマンがゴールして9位でした。

第二戦は集団スプリントになり、ボーラからはマルコ・ハラー、ポリット、ツヴィーホフ、山岳スキーから転身して2年目のアントン・パルツァー、アイデブルックス、ベネデッティが出場、ハラーがスプリントに参加したようですが16位止まり。

第三戦はブーフマン、ツヴィーホフ、ネオプロのフレデリク・ヴァンダル、ベネデッティ、パルツァー、ハラー、ルーアスが参加。ゴール前35キロぐらいのところに800メートル上る峠があって、ブーフマンが6人の逃げに加わりましたが、ゴールスプリントになればやっぱり6位 苦笑)他に初戦で10位だったツヴィーホフが9位と調子がいいです。

第四戦は新加入のアレクサンドル・ウラソフ、ブーフマン、ヴァンダル、コンラート、ポリット、パルツァー、ルーアスが出場して、ウラソフが3位になりました。ボーラにとって今シーズン初の表彰台です。コースは最後2キロが15%を含む激坂で、そこでブーフマン(16位)がウラソフのアシストをしたようで、ゴール後のウラソフは「最後はエマヌエルが僕を良いポジションへ連れて行こうとしてくれた、他のチームメイトも含めて、みんなに感謝したい」と言ってますね。

今日これから行われる最終第五戦はスプリントステージらしいので、ボーラはチャンスはないでしょうけど、一応ここまでは、去年散々だったブーフマンの復調の兆しが見えたことで、ジロに向けて(かな?)期待したいところです。


よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
 HOME 

プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

カテゴリー

openclose

FC2カウンター

Amazon

月別アーカイブ

検索フォーム