日本の国民皆保険制度は、アメリカのように貧富の差で民間保険に入ったり、入れなかったりする社会に比べれば、とんでもなく良い制度だと思っていた。いや、良い制度であることは間違い無いんだけど、政府が無能だと薬をやワクチンを他国よりも割高で購入したりするから、世界中の製薬メーカーにとっては「ドル箱」とみなされているのだそうだ。
太陽光パネルも、それを製造する時点での多大なエネルギー消費CO2排出や、廃棄する際や水害時の感電の可能性などのリスクがあるという。そもそも、世界で最も温室効果ガスを排出しているのは軍隊だ。
「民主主義や環境保護、人権、平等など、人々の善意に乗っかった美辞麗句のキャンペーンほど、悪用されないようにしっかりと見極めねばなりません。」(p.273)
なんだかなぁ、昔だって強欲な刹那主義者はいたんだろうけど、一般的な常識として、企業や社会の倫理意識はずっと高かったように思うのだけどね。
金儲けそのものが目的化して、金が金を生んでいくような社会は不健全だし、平和な社会には絶対向かわないだろうと思うけどね。と、そんなことを言ってもね、とぐちゃぐちゃ反論する冷笑家もいるんでしょう 苦笑)
というわけで、この本を読んで一番メモしておきたくなったのは、マイナ保険証対策。以下のとおりです。参考になる方もいるかと思います。
「今の保険証は2025年の秋までは使えるので、切れる前に発行先に連絡し、「資格確認書」(氏名、生年月日、被保険者等記号・番号、保険者情報が印刷された紙のカード)を申請してください。作るのは無料、期限は最長1年で、きれてもまた更新できます。ただし、今までの保険証のように郵送してくれないので、期限が切れる前に忘れずに更新手続きをしてください。
資格確認書は初診で18円、再診で6円の手数料が追加される以外は、暗証番号も顔写真も不要、今までの保険証と変わらず使えます。マイナ保険証を作らなければ、マイナンバーと医療情報を紐づけられることもありません。
また、マイナンバーカードをもう作ってしまったけれど、やっぱり様子見したいという人は、無料で簡単に返却できます。役所に行って返納手続きの申請書をもらい、名前、生年月日、住所、電話番号と、理由の欄に「使わないので自主返納」と書くだけ。身分証は不要、10分で完了します。いざという時には番号だけあれば良いので、番号が記載された住民票を取っておけば十分でしょう。」(p.144f.)
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実は忙しくて、まだ全体の三分の二ぐらいしか読んでないんだけど、これはもう絶対おすすめ。どの章もほぼ独立し完結しているから、あちこち、どこからでも、興味ありそうな章から読み始めることができます。そして、どれも面白い。
僕はぱらぱらやって、目についたブーニョの名前から、大阪のイタリア人がやってるヴィンテージ自転車ギャラリーのインタビューから読み始めてみたんですが、これが、むちゃくちゃ私のツボでした。
他にも初代ツールの王者、モーリス・ガランや、反ファシストで共産主義者だったボッテッキアや、バルタリ、コッピはもちろん、ジラルデンゴやビンダといった伝説の時代の選手たちの逸話がたくさん詰まっているかと思うと、映画の話やジロで登場する峠の話、ヘミングウェイが出てきたり、かつてのチャンピオンたちの応援歌?が出てきたり、どこをとっても面白い。パンターニの歌は思わず YouTube で検索してしまった 笑)
メルクスも出てくるけど、著者は日本イタリア会館の人なので、基本イタリアの話がメインですが、これまで紹介されたことがない話が多いのがうれしい。
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むちゃくちゃ面白かったぁ。いや、バッハ以前から、バッハ、そしてベートーヴェンぐらいまでは、社会や時代との繋がりって、知識としては知っていたつもりだったけど、それが今現在と繋げて語られると、改めて目から鱗の気分だった。知らないことも、考えたこともなかった繋がりも、いろいろ「過激に」教えてもらった。
今の時代に、右肩上がりのイケイケドンドンのベートーヴェンを聴くこと、「このバカバカしさをひそかに感じていなかったらウソだろう」(p.36) とか、このSDGsの時代に、「ベートーヴェンを聴いているかぎり、どんどん熱くなって、地球温暖化も進むのかも。ベートーヴェンの音楽にとって、「熱くなる」のは絶対善なんだから」(p.128) なんて、そういうふうに自分が今、生きている時代のなかで、この時代をつなげて考えることなんて、あんまりなかったからなぁ。
特に面白かったのは最終章の現代音楽のところ。著者たちと僕は世代的にほぼ同じだから、1970年の大阪万博に修学旅行で行った時、ドイツ館ではたしかにシュトックハウゼンのキュ~~、ピポパポってのが流れていた。池袋の西部美術館は何度も行ったし、アール・ヴィヴァンで画集や現代音楽やホーミーのCDを買ったものだった。
そういうリアルな記憶と共に、ここで東西冷戦化での文化的な競争が、一方で前衛音楽やプレスリーやビートルズが自由を謳歌し、それに対してソ連では個人(自分の思い)を消すことが生き残る道だった。この自由の謳歌を後押しするために、前衛音楽に投資支援されていたけど、東西冷戦が終わるとともに、それは消えていったなんて、そう言われてみると、なるほど!! だ。
「音楽」の背後の頑強なイデオロギー性に無自覚に、グルメよろしく美的にのみ消費する、というのはやっぱり危うい。あまり無邪気に「音楽って、いいですねぇ」とは言いたくない。(p.335)
おっしゃるとおりです。ごめんなさい。
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明治時代の死刑囚100人以上に教誨し、彼らの記録を残し「死刑すべからく廃すべし」と主張した田中一雄という教誨師の話である。彼は場合によっては刑死した者の墓の面倒まで見た。ただし、写真一枚残っていないし、それどころか、生まれた年も生い立ちも、家族や子供がいたのかも、いつ死んだのか、墓はどこにあるのかすら、なにもわからない。
第一章は田中が記録した個々の事例を紹介している。死刑囚はそのほとんどが田中の教誨を受け入れる。「逃走の恐れある者にはあらず(。。。)十分悔悟の念ある者(。。。)について死刑の要は少しも認めざるなり」というのが田中の死刑否定の根拠である。僕自身はこの根拠はちょっと弱い気がする。実際田中自身も、ただ一回だけだが、悔悛せず繰り返し脱獄を図った死刑囚については、「死刑の必要は斯くの如き者あるを以てなるべし」(p.55) と書く。
それは第二章で扱われ、田中も教誨師として関わった「大逆事件」に関しての、田中の奇妙な沈黙につながる。死刑には反対だが、場合によっては、つまり、明治憲法に定められていたような天皇を殺そうと図るような者に対しては、死刑も致し方ないという考えにつながってしまう。(むろん「大逆事件」の24人のうち、誰一人として天皇暗殺を企てた者はいないことは言うまでもない)
田中が「大逆事件」の被告たちを、本心ではどう考えていたかわからない。「死刑すべからず廃すべし」と主張しながらも、明治という時代の制約が見られるのかもしれないし、著者が「期待値の高い読み」として、田中はここで「国の死刑制度を否定しただけでなく、明治国家の本質を見た」のかもしれない。(p.126-7)
本の後半は田中の死刑囚の記録を預かり、関東大震災時にもそれを守った「出獄人保護事業に生涯を捧げてきた原胤昭」(この人はウィキペディアにも載っている)や、明治にすでに死刑廃止論を唱えた多くの人々を紹介しながら、田中の生涯を、細切れの糸を手繰り寄せるように想像していく。しかし、明治時代に、すでに死刑廃止を唱えた人たちがたくさんいたことにも驚いた。
田中は「大逆事件」で刑死した管野スガの残した手記により、自ら、元会津藩士で、死刑になるところをすんでのところで助かったと述べたらしい。そして、さまざまな資料から、戊辰戦争のころ、会津藩士に偽金札作りで死刑になるところを逃げた同名の人物がいることがわかるのだが。。。むろんその人物が若き日の田中一雄だったのかどうかはわからないままだけど、
先日も引用したジョージ・エリオットという19世紀イギリスの女流小説家の言葉を思った。
「歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく。名もなき生涯を送り、今は訪れる人もない墓に眠る人々のお陰で、物事がさほど悪くはならないのだ」。
*
前から書いていることだけど、被害者やその家族が加害者を殺してやりたいと思うのは当たり前である。しかし、事件とまるで無関係の人までが、誰かを「殺してやりたい」と思うのは、よく考えてみれば異常なことではないだろうか? だけど、今の世の中では死刑制度賛成が80%以上だという。
維新のようなトンデモ政党が人気があるのも、そうした風潮と無関係ではないんだろうと思う。
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以前、「ナチスに抗った障害者」という本を紹介したけど、この本はその続編と言っても良いと思う。
読んでいて、無名の人々の善意のエピソードに何度も目頭が熱くなった。その数十倍の悪意と、さらにその数百倍の無関心が満ち溢れたナチスドイツの密告社会のなかで、さらに後には爆弾が落ちてくる戦火の中で「市民的勇気」を発揮して、「自分にできる精一杯の」(p.152)行動をした人々を、本当に心の底から尊敬する。
この本によるとユダヤ人を匿うことに手を貸したドイツ人は少なくとも2万人はいたという。そのうち氏名がわかっている人は半数以下(p.144)。直接的に匿うことはしなかったとしても、ちょっとした親切や見て見ぬふりをするだけでも、かなりの勇気が必要だったことだろう。ユダヤ人にバターを提供したことで1年半の懲役刑を喰らった農夫もいたのである。
積極的にユダヤ人たちに隠れ家を提供した人はもちろん、自分の身分証明書を偽造身分証明書作成のために提供し、後に無くしたと役所に再発行してもらった人も、これはとてつもない勇気を必要としたことだろう。無論そういう人たちのエピソードはそのままシンドラーのリストみたいな映画にできそうである。でも僕が強く心打たれたのは、地下鉄で息子が空腹で泣き出した時に、そっとポケットに包装紙に包まれたサンドイッチを押し込み、涙ぐんだ目でそっと微笑んだ老婆(p.124)だった。
映画「名もなき生涯」の最後に出てきた「歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく。名もなき生涯を送り、今は訪れる人もない墓に眠る人々のお陰で、物事がさほど悪くはならないのだ」というジョージ・エリオットのメッセージを思い出した。
著者は最後にこう書く。「【社会が余裕を失い】追い詰められ、余裕を失うにつれて、(。。。)人びとは生き延びるために「多数者」の側にわが身を置こうとする。(。。。)ナチス・ドイツだけの特異な姿ではない。いつの時代にも、どの国や集団でも起こりうる事象なのだ」(p.275)
著者が言いたいことは一目瞭然だろう。今の時代だからこそ、多くの人たちに読んでほしいと思った。
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少し前にNHKで放映されていたドラマ「ガラパゴス」も派遣労働者の問題を扱ったもので、ものすごく現代日本社会を映し出しているな、山本太郎の街宣の副読本になりえるな、と思ったものだったけど、今月の100分で名著はナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」が堤未果の解説で取り上げられていた。
この本は出た時にかなり話題になったし、拙ブログでも2回にわたって取り上げたので、リンクしておきます。興味のある人はどうぞ。
「ショック・ドクトリン」(まだ読書中)
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-843.html「ショック・ドクトリン」覚え書き
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-861.htmlTVの放送に戻るけど、いやぁ、中曽根の時代から日本に持ち込まれた新自由主義経済という、公的社会保障制度を解体して中流階級を崩壊させ、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏人にする、というグローバル経済政策。それが小泉の時代により先鋭化されたと明確に語られて、ちょっとびっくり。世界中にこの新自由主義経済を広めたシカゴボーイズは日本にもいますと、さすがに竹中平蔵の名前はださなかったけど、ちょっとでも山本太郎の街宣なんかを聞いた人ならピンときたことだろう。
番組ではそれほど強調されなかったけど、新自由主義者たちがやったことは犯罪行為に等しい。軍事独裁政権の後ろ盾になり、多くの人が殺されたのである。今の日本政府のミャンマーに対する態度だって、ある意味では同じようなことをしていると言えるだろう。
番組から現在の日本社会・日本の経済政策への明確な批判が聞き取れるはずだけど、どのぐらいの人がこの番組を見たんだろうなぁ。。。
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この本の初めで紹介されている、著者の父が晩年ネット右翼になってしまったという記事は、僕も当時読んだ。この本はその記事を書いてしまった(!)著者が、父が実はネトウヨなどではなかったことを検証しようとする話である。
父のことをいろいろ思い出し、家族や知人に話を聞き、いわゆるネトウヨというものとは違うのではないか、あの世代特有の特性や個人的環境・体験で嫌韓嫌中女性差別的な言い方が出てしまった。そしてそういうことを言うのは恥ずかしい差別に該当する時代になったのに、年齢的にそれをブラッシュアップできなかったというところに決着する。
でも、結局ネトウヨってこういうものなんじゃないのかと思った。この本でも定義を紹介しているガチガチの、盲目的な安倍晋三応援団で、思想の柔軟性を失い、ファクトチェックをせず、自分の発言で誰かを傷つけるのではないかとか、自分がどう見られるかを考えない人たちという4要素を備えた、ザ・ネトウヨ、ネトウヨど真ん中という人は、人口の1%もいないと思う。ただ、国に頼る前に自助努力が大切だと自己責任論を肯定したり、軍備を増強しなければ中国が攻めてくると漠然と信じている人たちはかなりいるだろう。だから維新が人気を得ているわけだ。ただ、このレベルをネトウヨと言えるかどうか。。。
ただ、正直いって、ネトウヨの定義なんかどうでもいいし、著者の父に「ネトウヨ」のレッテルを貼るべきか、違うのかなんていうのも読んでる僕にはどうでもいい(著者にとっては大問題なのかもしれないが)。むしろ逆だと思う。こういう善良な父親が、ネトウヨ(的)になってしまうような時代なんだと思う。普通の人は「月間Hanada」など読まない。人前で youtube でネトウヨコンテンツを流したりしない。
著者の父親と僕の父の経歴は重なるところが多い。ただ、僕の父はほぼ一回り年上の世代だから、ネットにハマることはなかったし、携帯すら持ってなかったから、さすがにネトウヨ的なことは言わなかったが、中盤、著者が父親の人生に思いを馳せ、子供の頃のことを思い出すところに、僕自身の父親を思い出させられた。
著者は亡くなった父親との和解のストーリーとして、そしてそこにリベラルとホシュの和解を重ねて、理解し合うことは可能だったし、今も理解し合うよう努力すべきだと説く。でもムリムリ感は否めない。
和解が可能だとしたら、今の社会のような自己責任と言い合う社会ではない別の価値観を持った、山本太郎が言うような社会ができなければ無理なんだろうと思う。
**追記(6/27,17:10)
この本、一旦販売中止になったみたいです。今は僕が読んだのと違う「編集上の不備」のない版が出ているそうです。うーん、どこに「編集上の不備」があったんだろう? と逆に興味津々 笑)
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図書館で予約したのは去年のことで、ようやく借りることができた。TVやネットで読んだり聞いたりしたことがまとめられた感じで、備忘録として一冊持っていて良い本だと思う。
憲法第15条には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とある。ここの公務員は政治家のことでもある。統一教会に応援された自民党の議員たちが、国政であれ地方であれ、統一教会のお願いを叶えるために邁進するなんてのは憲法違反だし、いわんや講演会会場に文鮮明の写真を飾って、「皆さんの応援のおかげで当選できました。何なりとお申し付けください」(p.76)なんて言うのは完全にアウトだろう。
ましてや、統一教会は外国のカルト宗教だよ? 普段から外国人の参政権反対と煽っている連中は、これをどう考えるんだろう?
教団最高権力者の韓鶴子は、「『日本、特に指導者層の人たちは近代史における過ちをはっきりと認めなければならない』と発言、日本の教団幹部に『ちゃんと日本の指導者たちに、正しい歴史観を教育しなさい』と指示した」(p.121) そうだが、僕なんかはこの点は完全同意だけど、自民党を応援しているネトウヨたちは激怒するところなんじゃないの?
*
(むろん個人的には日本の指導者が正しい歴史観をもつべきだと言うのは大賛成だけど、この本にあるように、二世信者が韓国で謝罪行脚をするなんてのは論外だと思う。
これについては説ブログで最初の頃にネトウヨと随分やり合った。要するに原爆投下はアメリカの戦争犯罪だからアメリカという国が謝罪するのは当然だが、日本に来ているアメリカ人の旅行者に謝罪して欲しいなんて思わないだろう。だけどそのアメリカ人旅行者が広島長崎に原爆投下? アメリカはそんなことしてません、と言われたら不愉快だってことだよ。
これを日本と韓国の関係に置き換えて考えてみれば、自ずとこの問題はわかるはずだ。統一教会がいうように、孫子の代まで日本は韓国に貢ぐべきだなんてのは、頭がどうかしている。)
*
こういう韓国原理主義的な統一教会の日本での反社会的行為を見て見ぬふりをしながら、選挙のために応援してもらい、統一教会ではない、勝共連合に共感したのだとうそぶく。「統一教会がやっている勝共連合ではなく、勝共連合がやっている統一教会なんですよ」(p.137) と開き直る。
統一教会の目指すところは、この本にも内部資料とともに書かれているが、統一教会の日本(他にも全部で7つの国がそうだという)の国教化だ。そしてこのカルト教は日本はエヴァ国で、「貢ぐ役割」だと規定している。なんかショッカーなみの冗談としか思えない目標だが、それを国会議員が後押ししていると言っても、あながちはずれていない。
そしてこの点を見ずに、SNSなどで自民党と統一教会の繋がりを指摘すると、必ず反論してくる連中も、統一教会がなんなのかを知ろうとしない。
まあ、この点ではこの本の中でも何度も出てくるメロンとカニの菅原一秀(連れ合いの中学時代の同級生だそうです 笑)の対応なんかは、むしろ後ろ暗さの反映された対応だと言えるし、まだ普通に人間的なのかもしれない。だから捕まっちゃうんだろうけど 笑)
「票のためなら統一教会とも組む人は、保身のためなら国も売りかねない」(p.14) と激怒した自民党の選挙運動を支援した不動産会社社長の言葉を、日本人全体がよ〜〜く考える必要があるはずなんだけど、この前の統一地方選では統一教会と関係した壺議員の90%が再び当選したそうだからね。この本を読むと、日本人は人格が乖離しているとしか思えない。
G7やらウクライナ大統領の来日やらで、岸田政権の支持率が45%を超えているそうだけど、そんな目先のことでどうにでもなる支持率なんて、ほんと、無意味だなと思う。
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面白かったです。漱石は拙ブログのモットーにしているのでもお分かりの通り、大好きな作家ですが、この本を読んで、漱石がますます好きになりました。
昔、古本屋で新書サイズの全35巻の漱石全集を2万円で手に入れて、数ヶ月間漱石ばかり読んだことがありました。さすがに小説までで、文学論以降の評論などは手をつけられませんでしたが。。。

そんな中で、「満韓ところどころ」を読んだ時、漱石が帝国主義的な植民地政策を肯定しているとは思わなかったけど、ときどき中国人についての表現に差別的なものを感じ、漱石も「時代の制約」の中にあったのだな、と思った記憶があります。
それは、この本でも「漱石は、日本人の中国人・朝鮮人に対する差別への知的批判は持っていましたが、自分の内部を厳しく点検して、その批判を血肉化するには至っていなかった」(p. 180)と書かれています。
初期の漱石は、その個人主義的(個人として立っているという「人権重視」とも言い換えられるものでしょう)なものの考え方と、当時の日本の国家主義的なものが、本来矛盾するはずなのに、共存していたので、時々戦争賛美のような言葉を発したり詩を書いてしまっています。
だけど、「満韓ところどころ」を経て、その後のいろんな小説の中に、無論当時の検閲制度下で、当時の日本が進んでいた軍国主義的国家主義的方向を暗示的に、また小出しにしながら、批判します。そして最晩年には「内なる排外的な『国家主義』を克服」(p.274)したわけです。
考えてみれば漱石は日清日露戦争から第一次世界大戦と、戦争の時代に生きてきたわけでした。だけど、漱石の小説をその時代背景を考えながら読んだことが、ほとんどなかったな、と思った次第です。なんとなく漱石の小説って、時代を超えた心理小説のように思っていました。(でも、そう言えば、江藤淳の「漱石とその時代」に、兄嫁との関係の中で「戦争の時代」がキーワードになっていたような気がし始めてきましたが、この本、その後大岡昇平の漱石論の中でめちゃくちゃ批判されていた?ので、記憶から抹消してました 笑)
漱石は1916年に49歳で死んでいます。もしもっと長生きしていれば、日中戦争が始まった時には70歳。どんなことを思ったでしょうね。
もう一度順番に全部読み直したいな、と思わされました。
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遠い昔、まだ学生の頃、アイヴァン・モリスの「高貴なる敗北」で大塩平八郎のことを読んで、なんとなく革命家のはしりのような印象を持っていた。
その後、森鴎外の大塩平八郎を読んだけど、話は前日から始まっていて、それまでの大塩の義憤が今ひとつ伝わらず、しかも乱が終わってから、参加者たちが次々死んだり捕まっていく中、大塩本人はひと月以上も知り合いのところに匿ってもらって逃げ続けるのが、どうにもいさぎよくない!という印象だった。
他にも大塩の乱の結果として、「救民」を目指しながら大火事を起こして「窮民」を生んだなんて言われているし、関わった人たち(特に匿ってくれた商人一家)が過酷な刑罰に処せられたこともあって、なんとなく印象は悪かった。
こんな時代だし、フランスやイスラエルでは大きなデモが起きているし、ということで 笑)この「大塩平八郎の乱」、図書館で見つけて読んでみたけど、ちょっと学術的すぎて、予備的なイメージがほぼない私にはレベル高すぎだった 笑) まあ、司馬遼太郎みたいなのを期待してはいけません 苦笑)
乱の前に大塩はいろんな根回しをしていた。蔵書を売っぱらって窮民一万人に金を配ったり、猟師や被差別部落の人たちにも金を渡したり、飢饉の中で餓死していく人たちを救おうとしない豪商たちを非難する檄文をまいたりしていた。それなのに、実際の乱が起きた時に参加したのは最大200人程度だったという話を読むと、白土三平の「カムイ伝」の世界はやっぱり漫画の中だけだったんだねぇ、と思わざるを得ない。
ただ、大塩が死んだ後、大塩様と称して人々から崇め奉られるのは、「カムイ伝二部」にあった人々の首謀者たちを祀る踊りを思わせるところもあるかなぁ。。。庶民とは(無論わたしを含め)情けないものです 苦笑)
大塩平八郎は半日で潰えた乱の後、一月以上隠れしていたわけだけど、この本ではその理由は、大塩が、自分が江戸に送った老中たちの不正を告発する建議書に対する回答を待っていたからだという。ただ、「江戸を撃つことなしに根本的な解決はない」(p.242)という結尾の文章だけど、江戸へ宛てた「建議書」が「江戸を撃つ」ことに直結しない気もした。
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チェコから来た古いアームチェアをオランダで修理に出したら、ハーケンクロイツの印が押された書類が出てきた。それを手掛かりに、その時代背景とともに関係者も含めて、持ち主の人生を探るドキュメンタリー。
書類の持ち主は署名からローベルト・グリージンガーというSSの将校で、博士号を持った法務官であることがわかる。いわゆるナチのエリート知識人部隊の一員だ。
SSというと、誤解を恐れずに言えば、格好良い(以前どっかのアイドルグループがそれに似せた服を着て、海外からも批判されたことがあった)黒い制服を着て、髑髏のついた帽子を斜に被っているという印象だけど、

こんな感じ
この本の主役のグリージンガーは「一般SS」というやつで、独ソ戦が始まった頃にはロシアにも出征しているが、その後、プラハに赴任して普通の背広を着てお役所業務に励んでいた。無論その業務によって運命を変えられたチェコ人たちがたくさんいたわけだが。
椅子から出てきた書類はパスポートから公務員試験合格証明書まで、この男の存在を証明するはずの貴重な書類ばかり。パスポートにはハンサムな男の写真が貼られている。著者はこの男の一家を探しだし、各地の図書館や公文書館で資料を漁り、この男と家族の人生を追いかける。同時に、戦前のドイツの南西部の雰囲気や戦後の生き残ったドイツ人たちのナチスに対する複雑な反応も描く。
個人的には、ドイツの大学、太宰治の短編小説に「アルト・ハイデルベルヒ」という題名のものがあったけど、まさにそのアルト・ハイデルベルクの雰囲気がある、古き良き時代のドイツの大学が、実は学生にも教師にも積極的なナチズム信奉者が多く、特にプロテスタントの上流中産階級出身者はナチズムと親和性が強かったというのはちょっとショックだった。
「のちに言われるように、大学は一握りのナチ狂信者に乗っ取られて学問の独立性を失ったわけではなかった」(p.194)
当時の多くのドイツ人たちはナチスの党員になれば出世しやすいし、いろんな面で優遇される可能性が高くなるという実利的な面に目が眩んで党員になったのだと思いたいところだが、実際はこの主役のグリージンガーも含めて、すでにそれ以前から人種差別的、優生思想的な考え方に慣れていたと言える。
そして言うまでもないことだけど、彼らが家庭では良き父親で夫で、母親から見れば大切な息子、仲間たちの間では愉快な楽しいやつで、上司からは「優秀で誠実な職員」だと評価され、休みの時には「レコードプレーヤーでクラシック音楽を聴きながら」(p.251)くつろぐ、普通の人間なのである。映画や漫画で描かれるサディスティックなサイコパスなどでは決してない。
結局、拙ブログのモットーの漱石の言葉「悪い人間など世の中にいない、平生はみんな善人だが、いざというまぎわに、急に悪人に変わる」につながるとも言えるが、それ以前にもう一つ、時代の雰囲気、空気というものが人を作ることも忘れてはならないと思う。
1920年代から30年代にかけて、ドイツの大学や中産階級には、人種差別や優生思想的な空気が醸成されていたのだ。そういう空気の中で育った若者は、戦争という「いざというまぎわに」、とんでもないことを一斉にしかねないということだ。
その意味では、すでに今の日本にも優勢思想的なことをTVで堂々と述べるような学者がもてはやされ、困っている人を自己責任と称して切り捨てる安倍的社会になってるのが恐ろしい。
本に戻ると、なぜ椅子に書類を隠したのかとか、ロシアで何をしたのかなど、さまざまな謎が見事にスパッと解決し、うぉ〜っとはならない。ミステリー小説ではないので当たり前だ。だけど、それぞれの人に、それぞれの人生があり、その経験の全てが次の世代に伝わるのではなく、むしろそのほとんどが忘却の彼方に消えていくのだ、という無常感の余韻が、これまた誤解を恐れず言えば、心地よい。
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昔、それこそ半世紀前に読んだアシモフのSFに、「宇宙の小石」っていう、60歳になったら安楽死させられる未来を舞台にした話があったけど、それを本気で面白おかしくTVで子供相手に言っちゃう大学教員が出てくるような世の中になるとはね。。。
僕なんかは
以前よく引用したニーメラー牧師の詩を連想しちゃうけどね。最初は老人、次はきっと障害者だろうな、その次はLGBTQかな? そして役に立たないとみなされた人たちが最後に来るのかな。でも、そう言う社会になったら、そこで終わらないだろうなぁ。新たに差別できる対象を探してくるんだろうね。
というわけで、ロシアのウクライナ侵略とコロナパンデミックの最中に行われた対談。だけど残念なのは、本の発行日から見て、この対談は安倍銃撃事件の、おそらく、直前に行われたということだ。この二人が、あの後の政界の統一教会汚染についてどんな話をしたかを想像すると、この点がホントに残念。
もっとも、こんな標題をつけちゃうから、切腹しろ、とか言い出すやつも出てくるんだろうけどね 苦笑)
それはともかく、この本、いろいろ面白い話が次々に出てくるんだけど、池田の過激さを養老がうまく受け流しているような雰囲気がある。だから、圧倒的に面白いのは池田の発言だ。
特に、みんな自分の人生にせよ、何かしら意味をつけたがるが、「世の中、意味のないことの方が多いし、なくて構わないのに、「意味という病」に侵されているんだな」(p.140)と言って、「この形質にはこういう意味がある」という論文は書けるけど、「この形質にはなんの意味もない」という論文は学会誌に載せてもらえないと言う。
当然意味があることだけが大切になれば、意味がなければ(役に立たなければ)消してしまえ、というところにつながるだろう。そしてそのちょうど正反対のところにあるのが、山本太郎がよく言う「生きているだけで価値があるんだ」という世界観なんだと思う。あらためて、山本太郎があらがおうとしているものがはっきりした。
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どうも歳のせいか、ぎっくり腰の状態が今ひとつ良くなっていきません。かれこれ1週間になるんですがねぇ。というわけで、1日数時間は横になっているので、その間に読んだ本です。

「特攻」については最初の頃からよく書いてきた。拙ブログを始めてすぐに
西川吉光という人の「特攻と日本人の戦争」という本を結構詳しく紹介しているので始まって、最近でも
川端康成と「特攻」の本を紹介した。
死んだ若者たちのことを考えたり、遺書を読んだりすれば、彼らがあまりにかわいそうで、美化して上げなくては、という気持ちになるのは、人間として当たり前の心情だろうと思う。だけど、その一方で、では彼らに「特攻」を強いた上官たちはどうしたのかを一緒に考えないと、「特攻」については絶対危ない方へ向かうというのは当初からの直感としてあった。これは今ではネトウヨ作家に成り下がってしまった作者の
「永遠の0」について書いた時にも言ったことだ。
戦果からみれば、この本の中である生徒が言ったように、特攻は「何の意味もない国のプライドとかいうための犬死作戦」(p.138)だったとも言える。こう書くと、反発する人も多いだろう。でもこの点を忘れて、単に美化して感謝して、とやったら、この国はまた同じことを繰り返すだろうと思う。
なによりも、戦後もおめおめと生き続けた特攻を命じた者たちが「特攻」を美化することに熱心だったことからも、彼らのベクトルが自己保身に向かっていることは明らかなのである。特攻隊員はお国のために自ら志願して勇ましく死んだ、その「真実」を身近で見ていた自分が後世に伝えなくてはならない、というのが、彼らに「志願しろ」という無言の命令を与えて、「決しておまえたちだけを死なせない。最後の一機で必ず私はおまえたちの後を追う」(p.49)と言いながら、戦後もおめおめと天寿をまっとうした奴らのやり方だった。
この本に出てくる大西道大が戦後になって特攻隊員の遺族に会いにいった時のエピソードなど、本当にはらわた煮え繰り返る思いしか湧かない。
「元司令官は仏壇に手を合わせた後(中略)『どうしてこのように小さいお子様がいて、なぜご主人は特攻に行ったのでしょう』と言った。【未亡人は】一瞬、大きく「あなたさまは。。。。」と声を荒げ、あとは押し黙った。」(50)
ナチスドイツはユダヤ人たちを組織的かつ大規模に、効率的に殺害したとよく言われる。しかし日本軍は
「若者の侠気と、それに甘える老人の卑しさ」(古処誠二)にたよって、部下が必ず死ぬ戦法を組織的かつ大規模に取ったのである。
この本の最後の方で、若い社会科教員たちが「戦争」のテーマを授業で避けようとする傾向があるとして、彼らが、「『戦争』を『不快』なものととらえ、『戦争』に結びつく反省や謝罪、責任というものを考えなくていいように、『戦争』そのものを教材として『除去してしまいたい』と考えているような気がしてならない」(154)と書いているが、これは教員だけの問題でもないんだろうと思う。そして、『戦争』を『政治』に変えても同じようなことが言えるのかもしれないと思う。
『政治』を『不快』なものととらえ、『政治』に結びつくものを考えなくていいように、『政治』そのものを(頭の中から)『除去してしまいたい』と考えているような気がしてならない。
追記(2/5 15:35)
所々変換ミスなど変更しました。ご指摘ありがとうございました。
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安倍が繰り返し「悪夢のような民主党政権」とヒステリックに叫んだものだが、みんなが民主党政権時代よりマシだと思っていた経済の面ですら、安倍政権はまるでひどいものだったということを書いた明石順平の「アベノミクスによろしく」という本を紹介したのは4年以上前のこと
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3090.html。
要するに山本太郎がよく言うように、この25年のデフレで日本はどんどん貧しくなっていく。現状維持がいいから自民党に入れるなんてのは馬鹿の極み。この間、現状維持されたことは一度もないわけだ。
今回のこの本はコロナ禍での安倍の対応と東日本大震災時の原発事故に対する菅直人の対応の比較だ。この本に、仮に安倍を批判したいというバイアスがかかっていると仮定しても、まあ、とんでもないね。要するに菅直人政権時の自民党、特に安倍のやったことは犯罪的だ。原発事故という未曾有の国難に挙国一致で取り組もうという気はまるでなく、単に政権の足を引っ張ることしか考えていなかった。特に安倍はデマを流すということまでしていた。しかもその嘘はいまだにネトウヨ連中が菅直人批判に使っている 笑)まあ、維新の手口だな。
あの時、菅直人政権にも至らないところは多々あったと思う。しかしそれを批判していた野党の自民党が今回与党になって、コロナ禍でどんな対応をしたかを思い出せば、当時の自民党の批判はブーメランどころか、2倍、3倍返しになっているし、菅直人政権が国民に対していかに誠実だったか、安倍政権が国民に対していかに不誠実だったか、がはっきりわかる。
今回のコロナ禍も、日本中の人々が、仮に安倍政権ではなく菅直人政権だったら、いや、トップが安倍以外だったらと考えてみたら良いと思う。まあ、大阪の維新の連中がトップだったら安倍よりもひどいことになっていたかもしれないが 笑)だって実際死亡率ワーストワンだからね。コロナに対する対応はTVに出演することだと思っているんだろうからね。
また、逆に今回のコロナ禍の対応ぶりを見て、もしあの311の時、トップが菅直人ではなく安倍晋三だったら(あるいは松井や吉村だったら 苦笑)どうだったかを考えてみたら良いと思う。まあ、こちらは考えるのもおぞましいことではあるが。
なんと言っても台風で死者が出ている時に赤坂自民亭でみんなで酒飲んでたんだからね。今回のコロナ禍だって、突然の大規模イベントの自粛要請やら全国一斉休校要請やらアベノマスクやら、ほとんどが思いつきだし、まともな説明ひとつできなかったんだからね。たぶん、東電に全ての責任をなすりつけて知らん顔を決め込んだことだろう。
そして、ただただやってます感を醸し出し、成果を自画自賛、「実際には野党側からの相当な突き上げによって実現した【コロナ特措法の】法改正を首相主導で実現したかのようにフレームアップ」(p.90)。10万円の給付だって野党が主張し、公明が創価学会の突き上げで耐えられなくなって進言した結果だったわけだ。
さらにどさくさまぎれでコロナ禍の「対応の失敗を『国民のせい』にして、憲法改正による国民の私権制限につなげるための好材料」(p.107)として利用しようとする。この本で繰り返し強調されているのは、安倍政権は「政治の責任を回避し、責任を国民に転嫁しようとした」(p.257)ということだ。
そして最後は「『国民へのお見舞い』を語るべき立場の首相は、逆に『自らへのお見舞い』を求めるかのような記者会見を残して、一方的に首相の座を降りていった」(p.273)。
ただ、これって問題点をきちんと指摘しないマスコミ、特にTVにも相当問題があるんだろうね。
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少し前にNHKで川端康成と三島由紀夫のノーベル賞をめぐる確執についての番組をやっていて、それと、東京新聞の読書欄で紹介されていたので、この本、図書館で借りて読んでみました。正直、川端康成って過去に読んだの文庫本二冊だけ 苦笑)しかも定番 爆)

少し前に新聞のコラムだったか? 川端研究で来日したイタリアからの留学生が、本屋に行っても川端の本がないと嘆いていたという話を読んだけど、まあ、そうだよねぇ 笑)
で、この本、感動しました。1945年4月から5月まで、川端康成は山岡荘八らと海軍の報道班員として沖縄へ向かう特攻基地の鹿屋に滞在した。数百人の20歳前後の若者が特攻機に乗って飛び立つのを見送り、その後は地下壕で彼らからの無線を最後まで(=死まで)追うという、ちょっと僕らには想像もつかないタフな体験を経た川端が、戦後「『特攻』体験から逃げ続けながら、文豪ともてはやされ、ノーベル賞まで受賞した」(p.43)と言われてしまう。
特攻隊員として生き残った人々の書いたものと、散華した隊員たちの手紙や日記などを資料に、川端康成がこの一ヶ月で何を見たのか、何を考えたのか、そして戦後の川端の作品に、その体験がどのような影響を及ぼしたのか、また三島由紀夫の「英霊の声」との対比で、そうした経験について戦後の川端が直接的にはほとんど書かなかったのはなぜかを、時には大胆な想像を交えて丹念に追いかけ、解釈していて、非常に感動的です。
山岡荘八のように、特攻隊員たちについて自分なりの解釈を交えつつも、人々に直接的に伝えなければならないと考えるのは普通の感覚です。誤解を恐れず言えば、作家としては、現代の作家が体験できないような体験をしたわけです。
しかし、川端の場合口を摘むんだ。川端が感じた悲しみや怒りをもっと直接的に語ってほしかったというのもアリだけど、「見てしまった者」として、何か直接的に語ることが嘘っぽくなると思ったのかもしれません。つまり特攻作戦というものは、川端をしても描ききれなかったようなものだったということなのでしょう。川端が残した特攻が出てくる小説は二篇。どちらも主人公は特攻隊員ではなく、残された女性の方が主人公になっています。
というわけで、しばらく川端康成の小説をいろいろ読んでみようかという気分になっています。
特攻についてはかなり以前に書いたことがありました。
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うーん、もっと若い時に読んでおきたかったぁ。
フィンランドだって決して何もかも素晴らしいわけではないけど、自助と自己責任と、ついでに言えばザマアミロの蔓延している日本の社会状況を思うと、やっぱり羨ましい。
たとえば子連れでパーティに出席した時、走り回る子供たちばかり気にしていたら、フィンランド人からなんで楽しむために出席しているパーティの会場で、子供ばかり気にしているのかと質問される。日本だったら、子供を放ってほいて自分だけ飲み食い歓談してたら、どんなことを言われるかわからないが、フィンランドではそんな心配をする必要はない。
あるいは、僕もそうだけど、日本ではレジで支払いに時間がかかったりすると、後ろに並んでいる人たちの目が気になる。なるべく人の迷惑にならないようにしたいと思う。だけど、フィンランド人は、後ろでイライラしていたかもしれないけど、レジで時間がかかったのはその人の問題でも、レジの人の問題でもなく、レジのシステムの問題だと考える(らしい)。
社会福祉制度についても、利用するのは困っている人だけではないのだ、公助というのはお世話になるのではなく、高い税金を一部還元してもらうとか、貯金する代わりに、いざというときのために国に預けてあるのだという考え方。これが普通だとおもうのだけど、日本では公が、ナマポなめるな!だよ、水際作戦と称して、生活保護者の補足率2割とかだよ。本来還元してもらう権利のある人が7割以上その権利を行使していないわけだ。
まあ、とにかく子育て中の方におすすめです。目からウロコのエピソードがたくさん。
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今月末の衆院選挙、色々な所で、さすがに自民は少し票をへらすが、一番躍進するのが維新ではないか、と予想されている。でも、維新のやり方って、公務員叩きが代表的だけど、敵を作ってざまあみろという、さもしく恥ずかしい感情を煽って人気を取ろうとするトンデモ政党で、欧州なら極右ポピュリズム政党とみなされるはずだと思う。
こういう反社的政党が人気を得る理由は、
拙ブログで何度も書いたけど、この本を読んでさらに納得いくところがあった。
人類の歴史はほぼ20万年前ごろから始まったが、この20万年間の95%は平等主義的だったそうだ。これは日本の歴史でも、1万年以上(100世紀だよ!)続いた縄文時代の狩猟採集時代は平和で争いごとの少なかった時代だが、弥生に入り農耕の時代になるとともに、不平等な、持つものと持たざる者、支配するものと支配されるものの時代になったということが言われている。
そう考えると、人の心に限れば、歴史って人類の発展上昇の経緯を示すものではなく、堕落へ向かって流れているんじゃないかという気もしてくる。
「不平等が拡大すれば、(。。。)人々は互いによそよそしくなり、思いやりの気持ちも少なくなる。すきがあれば他人を引き摺り下ろそうとさえする。」(p.98)
この本では格差が人々の心をいかに壊すかが、多くの文献をもとに示されると共に、そのような不平等な弱肉強食のあり方が、いかに間違ったあり方であるかも説得力を持って示される。
不平等な社会になれば人々は他人の不幸を自己責任という言葉で切り捨て、社会をよくしようとなどと思わなくなる。当然政治などまともに興味を持つことはない。心置きなく叩けて、叩き返される可能性がないものをみんなで叩きまくり、そこに快感を見出す。格差によって心は壊される。
つまり格差(不平等)社会になれば人々は様々な面で劣化する。劣化すれば他人の不幸を「自己責任」と突き放し、叩けるものを「ざまあみろ」と叩きまくる。自己責任とザマアミロは最初に書いたように維新のやり方と被る。劣化した人たちが維新に票を入れるのもムベなるかな。
しかも「自己責任」とか「ざまあみろ」とか「今だけ金だけ自分だけ」というさもしい感情を、新自由主義というやつが後ろだけになって、お墨付きを与えたわけだ。今回の選挙では自民党の岸田ですら、一瞬だけだったけど新自由主義からの脱却なんて言ったりしてた。
この本の最後の方では、企業のシステムとしていかに格差をなくす方向へ向かうべきかが、ドイツの従業員経営参加制度などを例に述べられ、「経済を民主化する」(p.414)とともに、それでしか持続可能な未来はないというところに辿り着く。
つまりこの本の題名は格差は「心」を壊す、だけど、壊れるのは心だけでなく、社会も環境も地球も壊れるわけだ。
たぶんこのまま「自己責任」と「ざまあみろ」の社会が続けば、人類は遅かれ早かれ滅ぶな。そんな気がしている。
400ページのヴォリュームで、たくさん援用される資料の部分は読みやすくないけど、おすすめです。
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表紙の絵はロヒール・ファン・デル・ウェイデンが奥さんを描いたのではないかと言われているもので、30年以上前にベルリンのダーレムの美術館で見た時に魅了されたという個人的な思い出があります。

向こうの美術館はフラッシュ焚かなければ写真OKなので、いろいろ撮りましたが、この絵はこちらをじっと見つめる目の力強さがすごくて、500年間俺を待っていてくれたんだと思ったのでした 笑)
というわけで、この絵だけで手に取って読み始めたら、絵の好みがかなり私の趣味と合致して、とても面白く、あちこちにマーカーで線を引いたりして、時間をかけて読みました。
ほぼ年代順に有名な画家たちの作品が解説されるのだけど、その作品が一般的な美術史で取り上げられるものとは少し違っていて、レオナルドやラファエロも取り上げられているけど、どちらかというと北方ルネサンスのロベルト・カンピンやファン・エイク兄弟、ドイツルネサンスのアルブレヒト・デューラーのほうが比重がかかっている。目次を見ればわかるけど、ここにはミケランジェロもレンブラントもフェルメールもゴヤも、そしてなによりフランス印象派が全く扱われていない。ピカソや20世紀の抽象画の画家もいない。最後の二つの章はシャルフベックと、3年ぐらい前に上野で展覧会が開かれたハマスホイの北欧の暗い画家二人と、バウハウスにつながる工芸美術作家ヴァン・デ・ヴェルデという地味さ 笑)
各章がいろいろつながりを持っていて、特に19世紀のローマで活躍したドイツ人画家たちやフランス人たちから、イギリスのラファエロ前派へ関連づけられていく後半の章は、知らないことばかりで面白かった。
で、こうやっていろんな画家たちの絵を見ていくと、やっぱり桁違いに上手だなと思うのはファン・エイク。ファン・エイク以前のロベルト・カンピンや以後のロヒール・ファン・デル・ウェイデンと比べても、描かれている(描かれていない)空気の密度というのか、空間的な奥行きが桁違いに澄んでいて厚みがある。この本とは別の本で読んだんだけど、「アルノルフィニ夫妻の肖像」で後ろの壁にかかっている数珠玉の超拡大写真をみると、フェルメールが200年以上後にやるような光を点として描くことをやっているのだという。一見輪郭を細密に描いているようにみえるファン・エイクの絵だが、この数珠玉には輪郭線はまったくなく、筆でさっとなぞらえただけの色の斑点がおかれているのだそうだ(小林典子「ヤン・ファン・エイク 光と空気の絵画」参照。この本、私にはちょっと専門的すぎて敷居が高すぎ、途中で挫折しました 苦笑)。
というわけで、表題の本に戻ります。一言で言えば面白いです。ですが、この題名はちょっといただけない。買う時ちょっと恥ずかしかったです 笑)扱われている画家がかなりマニアックだし、それなりに西洋絵画を見慣れている人向きでしょう。
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ルートヴィヒ・バウマンという死刑宣告を受けながら九死に一生をえた元脱走兵の復権に向けた活動を中心に、ヒトラー政権下で司法官を務めた裁判官たちの戦後の栄達ぶりと戦後ドイツのナチスに対する多くの人々の複雑な感情が書かれた本で、数年前に紹介した
同じ著者の「ヒトラーに抵抗した人々」や去年の暮れに読んだ
大島隆之の「独裁者ヒトラーの時代を生きる」ともつながり、個人的にはものすごく面白かった。うん、面白かったなんていう言葉は相応しくないな。読みながら何度も怒りを感じた。そしてなんとなくおぼろに感じていたものがつながった気分で、ものすごく勉強になった、と行ってもいいかもしれない。なので、今回は過去記事へのリンクばかりです 笑)
例えば、脱走兵は戦後になってもナチス時代の裁判判決に基づいて前科者扱いされ、一般ドイツ人たちからすら、彼らは犯罪者だと見なされていたとは考えてもみなかったことだった。何しろ第二次大戦中のドイツの軍法会議での死刑の数はほぼ2万人と驚くべき数字。一方アメリカは146人、イギリスに至っては40人だったという。(これも最近紹介した
「軍旗はためく下に」も軍法により死刑になった兵士たちのことで、
吉田裕の「日本軍兵士」とともに、日本軍はひでえと思ったけど、ドイツ軍もひでえもんだわ。)
何しろ不法国家のナチスドイツだ。徴兵拒否や脱走などで処刑された人たちは戦後は問答無用で復権しているのだとばかり思っていた。さらには徴兵拒否で死刑になった人たちは英雄扱いされているものだと思っていた。
テレンス・マリックの映画「名もなき生涯」がまさに徴兵拒否で死刑になった男の話だったが、これだって長年知られずにいたのを、主人公が妻に宛てた手紙が英訳されて知られるようになり、映画になったのだった。
一方で逃亡兵や、前線の兵士たちに無理やり「国防力破壊」の罪を言い渡して死刑判決を出した司法官たちは戦後になっても西ドイツの司法界や大学で栄達を遂げ、尊敬され、権威とみなされ、大往生をとげた。特にシュヴィンゲという戦後は大学教授として軍司法の権威となった奴は、写真見てもわかるでしょ!

こいつ絶対悪党だよ。それもインテリの悪党、一番たち悪い奴、間違いなし!って顔してます(人を外見で判断してはいけません 苦笑) いや、つい興奮して。。。汗)
例えば、
拙ブログで映画を紹介したゲオルク・エルザー、ヒトラー暗殺計画で処刑された彼の事件が正当に評価されたのは最近のことだった。同じく
「ヒトラーへの285枚の葉書」という映画になった
ハンス・ファラダの「ベルリンに一人死す」のハンペル夫妻のことだって、ファラダはこの小説を戦後すぐに書いたのに話題にはならず、最近英訳が出て大ヒットしたおかげで知られるようになった。
さらには1960年ごろに強制収容所の看守たちを裁いた裁判を描いた
「顔のないヒトラー たち」やその裁判の指揮をした
検事フリッツ・バウアーの業績が映画になったのも、やっと21世紀になってのことだ。
これまでの反ナチ抵抗運動として有名なのは軍人による
ワルキューレ作戦と、ミュンヘンの大学生たちによる「白バラ」だった。だけど、これによって、特に前者のドイツ国防軍のヒトラー暗殺未遂事件によって、ナチは悪かったが国防軍は悪くなかったという神話が出来上がったわけだ。そして「白バラ」の方も有名になりすぎたおかげで、他にもたくさんいた市井の反ナチ活動家たちが隠されてしまった面があったわけ。
先日紹介したばかりの盲人オットー・ヴァイトの抵抗だって、そして彼と関連があったローテ・カペレと呼ばれる普通の市民たちによる反ナチ活動だって、一般に知られるようになったのは最近のことだった。同時に国防軍が実は東部地域での一般人やユダヤ人の大量虐殺に関わっていたことも、やっぱり最近になってようやく知られるようになった。
「ジェネレーション・ウォー」でも国防軍兵士のトム・シリングは気弱ないじめられっ子の文学青年だったが、いつしか少女を正面から射殺するような虐殺者になっていく。また兄のフォルカー・ブルッフは脱走兵となる。こんな内容、おそらく西ドイツ時代には絶対に描けないストーリーだったのだろう。この本を読むとそれがよくわかる。でも惜しむらくは(ネタバレしちゃうけど)。トム・シリングは最後死んでしまうけど、実際は生き残って、当時のことにはほっかむりした元国防軍兵士がたくさん、その天寿を全うした。
ティモシー・スナイダーの「ブラッド・ランド」にもあった話だが、アウシュヴィッツがホロコーストの代名詞になってしまったけど、実は東部戦線では、アウシュヴィッツをはじめとした収容所で殺されたユダヤ人の数の3倍の数の人たち(主にユダヤ人)が殺されたそうだ。アウシュヴィッツはそうした、ドイツ人にとって「より不都合」な事実を押し留める堤防の役割を果たしたわけだ。
戦後のドイツは脱ナチ化を果たしたと思っていたが、対外的にはともかくドイツ国内ではとんでもなかった。東西ドイツが統一して関係者もどんどん鬼籍に入ってやっと真実が明かされるようになったわけだ。それは
障害者大量虐殺計画T4作戦に関連して、ドイツ精神医学会がやっと反省の弁を述べることができるようになったのに似ている。
追記(2021, 1,21, 12:50)
昨日書き忘れたので追加します。
主役のバウマンら脱走兵や徴兵忌避者が復権するに当たって、時間以上に重要だったのが歴史学者たちの研究が与えた影響だった。裁判の判決にもそうした学問的な成果が強く反映されている。それを著者は次のように言っている。
「戦後史、とりわけナチス支配の過去の清算に関わるドイツの政治が反ナチ運動の研究成果と密接な関係にあり、その研究の成果を受容して文化政策・歴史政策(具体的には歴史教育・政治教育)が作られてきた(。。。)これを言い換えると、それだけ人文系諸学が今なお現実政治においても重要な存在となっているということだ。それを支えるのは「知」を尊重する歴史的伝統と風土だろう。」(p. 252)
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オットー・ヴァイトはナチスの時代のベルリンで、障害のあるユダヤ人たちをブラシやホウキを作る自分の盲人作業所に雇い、ゲシュタポとやりあい、ユダヤ人たちを無名の協力者たちと共に匿い続けた盲人である。
オットー・ヴァイトの名前は拙ブログでも出したことがある(これは5年前に書いたことで、当時は山本太郎の主張など知らなかったが、彼が言っていることと同じことを書いているのは、我ながら自慢したい)。
この本はヴァイトの生涯を追いながら当時のナチス期のユダヤ人たちや障害者の状況も詳しく描かれ、圧倒的な面白さだった。一般にナチスと障害者と言えば、
拙ブログでも何度か書いた T4 作戦による重度障害者の継続的な虐殺が思い浮かぶが、軽度や盲・ろうの障害者たちはどのように生活していたのかは、考えたことがなかった。
驚いたことに、ナチスは多数の重度障害者を殺害する一方で、国家の労働力として活用できると考えた障害児たちに対しては、「就学義務法」を制定して彼らに就学の機会を与えたのである。1936年に「ヒトラー・ユーゲント法」によって青少年全員がユーゲントに加入しなければならなくなったときにも、それより前にすでに障害児たちのヒトラー・ユーゲントのようなものが存在していて、盲学校の生徒たちがハイル・ヒトラーの手を挙げている写真も掲載されている。ことほど隅々に至るまでナチスのプロパガンダが浸透し、国民たちがみんなナチスを支持していたわけだ。
一方でユダヤ人たちは海外へ移住しようとしても、高齢や障害が移住先から入国を拒否される理由になった。身内に障害者や高齢者がいるユダヤ人家庭に選択肢は二つ。移住可能なものだけが国外に逃れるか、家族みんなでドイツにとどまるかだった。映画「ソフィーの選択」みたいな選択はそこかしこで行われていたわけだ。そして1942年の
「ヴァンゼー秘密会議」後は出国など論外、見つかればそのまま収容所へ送られるようになっていく。
そんな中で盲人ヴァイトは多くの無名の協力者たちと共に多くのユダヤ人たちを助け匿う。その手口は賄賂だった。そして隠れたユダヤ人たちのために闇市場で仕入れたものを融通する。しかしゲシュタポの一斉検挙や、密告、ナチスの手先となったユダヤ人の「捕まえ屋」によって、雇っていたユダヤ人たちは次々と捕まり収容所へ送られ、多くがそこで殺害される。
無名の協力者たちが面白い。ナチスに反抗的な警官たちが集められた第16管区警察署の無名の警官たち、牧師、医者、工場主、クリーニング店主、そして何より強烈な印象を与えるのが娼婦のポルシュッツだろう。それ以外にも多数の協力者がいた。
「ヴァイトのように今日までその名を知られている「英雄」でなくとも、当時のドイツには、ユダヤ人に対しそれぞれの立場でささやかな善意を示そうとした人々がいた」(p.131)し、「密告が奨励される当時のドイツでは、ヴァイトのような救援者の行動を口外せず、「見てみぬふり」をしてくれるだけでも立派な善意の表現だった」(p.139)のである。
シンドラーのリストが映画になり、ドイツ国内にもユダヤ人を積極的に助けようとした人たちがいたことが知られるようになり、おかげでこのヴァイトもベルリンのシンドラーと呼ばれているそうだ。しかし、自らも障害者だったヴァイトの方がシンドラーよりもずっと感動的だろう。それにこの本に描かれているヴァイトの姿の方がずっと深みのある映画が作れそうだ。ユダヤ人を単なる被害者にしているのではなく、「捕まえ屋」なんていうナチの手先も出てくるし、その「捕まえ屋」にも逃げ切る奴もいれば、お役御免で収容所へ送られる奴もいる。
上に書いた娼婦のポルシュッツのインパクトは大きい。戦後になっても、娼婦ゆえに不道徳な女とみなされた彼女は1977年に亡くなるが、写真は一枚も残っておらず、娼婦の彼女がユダヤ人を匿い続けたのはなぜかはわからない。しかも彼女は闇市での取引きで逮捕され、また厳しい「尋問を受けても一切口を破ることはなかった」(p.222) のである。彼女を「ナチスに抗った娼婦」という題名で本を書く人が出てくることを祈る。
ヴァイトはドイツ敗戦後もユダヤ人のための老人ホームと孤児院の運営に尽力した。だが、戦後のドイツでは東西どちらにおいても、ユダヤ人救援者たちに関心が湧くことはなかった。これは拙ブログで映画を紹介した、
ヒトラーを暗殺しようとしたエルザーもそうだった。また海外でも悪の帝国にユダヤ人を救おうとした人たちがいたことは都合が悪かった。結局関係者がほとんどみんな死んでしまった今になってようやく、顕彰のためのプレートや、殺されたユダヤ人たちの名前の刻まれた「つまずきの石」が道に埋め込まれるようになったというわけだ。
不思議なことだが、こうした「沈黙の勇者」たちは戦後になっても自分たちが行ったことを声高に語ることはなかった。自分はユダヤ人を守ったのだと主張する連中は、その多くがナチスの主張に唯々諾々と従った連中たちだった(
アウシュヴィッツでユダヤ人の生死の選別を行ったメンゲレは、選別を行ったことによって死ぬべきユダヤ人を救ったのだと言い放った)。
彼らはなぜ自らの命すら危険にさらしてまで、ユダヤ人を助けたのだろう? その理由は色々あるだろうけど、この本の最後の方にある話は、ただ救援者たちを「正義」にしてしまう(つまりレッテルを張ってしまう)のではなく、人として生きるということはどういうことなのかを考えさせてくれる一助になると思う。
「ヴァイトにとってもユダヤ人たちは単なる救援対象ではなかった。自分たちを心からしたい、信頼を寄せるユダヤ人たちの存在は、障害者として社会の中で「弱者」の位置に追いやられてきた彼に、人としての誇りを与えてくれるものだったろう。それは娼婦として蔑まれてきたポルシュッツにとっても同様だった。
ヴァイトたちはユダヤ人に多くのものを与えたが、ユダヤ人たちもまた、ヴァイトたち救援者に多くのものを与えてくれたのである。」(p.252)
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