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森達也「千代田区一番一号のラビリンス」

2022.07.30.14:10

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ネタバレしてませんが、これから読むつもりなら読まない方がいいかも 笑)



森達也のこれまでの本を読んできた人なら、最初の方で、ああ、あの話ね、と思うでしょう。前半は、以前深夜のドキュメンタリー枠で憲法1条を映像化しようとして失敗した話が、たぶん実名でそのままリアルに再現されています。どこまで事実かわからないけど。主人公は森克也という名で年齢はアラフォーだから、そのへんの設定は作り物だけど、過去にオウムを映像化していることになっているし、是枝裕和をはじめ、TV業界、映像業界の人たちが、おそらく、実名でどんどん登場します。

なにより天皇皇后(現上皇と上皇后)が明仁、美智子でそのまま登場するってのがこの小説のポイントでしょうか。いや、天皇が出てくる小説って、僕がすぐに思い出せるのは大江健三郎(題名は思い出せないけど、天皇が「あの人」と呼ばれて場面に登場するシーンがあった)や、僕は読んでないけど深沢七郎は大事件になったし、最近では高橋源一郎の「恋する原発」や、あるいは若杉冽の「原発ホワイトアウト」だったか、憲法改正の公布を拒否する天皇が登場してました。だけど、この小説では、そうしたチョイ役で出てくるのではなく、この二人が森克也とともに主人公でもあるわけです。

さらに中盤からは山本太郎が重要な役割で登場します。森達也は山本太郎の応援メッセージを出したぐらいだし、ここに描かれている山本太郎は実物そのままなんだろうと思わせます。ここ大切だから 笑)

森達也の本に「オカルト」というのがあったけど、この小説を読みながら、それも連想しました。これは最初の方から出てくるから、ネタバレにならないと思うけど、カタシロという日本にしか出現しない超常現象じみたものが出てくるんですね。なにか日本の「世間」とか「タブー」とか「穢れ」の比喩なんだろうけど。さらに皇居の地下のラビリンスを天皇皇后と共に行くところなんか、タルコフスキーの映画の「ストーカー」のゾーンなんかを思い出したりしました 笑) そういやあ、この小説の最後も雨が降ります 笑) タルコフスキーの雨も清めの意味があるから、その点でも共通してるかな 苦笑)

冒頭から登場する天皇皇后のイメージは誰でも納得するんじゃないでしょうか。きっとここに描かれているような人なんだろうと思う。途中からはこの二人の冒険みたいなはちゃめちゃな感じになるけど、最後の方、のこり40ページぐらいから、ちょっと色々物足りなくなりました。カタシロが「穢れ」だとすれば、ラストはピタッとはまって納得できるけど、あの自民党・電通・高天原の標識 笑)は、もっと膨らませてほしかったなぁ。

でもそこまでは、途中でやめられなくなったぐらい面白かった。ただ、森達也の文章ってかなりクセがあるんだよね。そのクセある文体が小説にはそぐわないような気がするんだけど。

最後に、僕の天皇についての考えは以前に書きました。天皇制私感へ


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尾中香尚里「安倍晋三と菅直人」覚書き

2022.06.06.11:18



安倍が繰り返し「悪夢のような民主党政権」とヒステリックに叫んだものだが、みんなが民主党政権時代よりマシだと思っていた経済の面ですら、安倍政権はまるでひどいものだったということを書いた明石順平の「アベノミクスによろしく」という本を紹介したのは4年以上前のことhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3090.html

要するに山本太郎がよく言うように、この25年のデフレで日本はどんどん貧しくなっていく。現状維持がいいから自民党に入れるなんてのは馬鹿の極み。この間、現状維持されたことは一度もないわけだ。

今回のこの本はコロナ禍での安倍の対応と東日本大震災時の原発事故に対する菅直人の対応の比較だ。この本に、仮に安倍を批判したいというバイアスがかかっていると仮定しても、まあ、とんでもないね。要するに菅直人政権時の自民党、特に安倍のやったことは犯罪的だ。原発事故という未曾有の国難に挙国一致で取り組もうという気はまるでなく、単に政権の足を引っ張ることしか考えていなかった。特に安倍はデマを流すということまでしていた。しかもその嘘はいまだにネトウヨ連中が菅直人批判に使っている 笑)まあ、維新の手口だな。

あの時、菅直人政権にも至らないところは多々あったと思う。しかしそれを批判していた野党の自民党が今回与党になって、コロナ禍でどんな対応をしたかを思い出せば、当時の自民党の批判はブーメランどころか、2倍、3倍返しになっているし、菅直人政権が国民に対していかに誠実だったか、安倍政権が国民に対していかに不誠実だったか、がはっきりわかる。

今回のコロナ禍も、日本中の人々が、仮に安倍政権ではなく菅直人政権だったら、いや、トップが安倍以外だったらと考えてみたら良いと思う。まあ、大阪の維新の連中がトップだったら安倍よりもひどいことになっていたかもしれないが 笑)だって実際死亡率ワーストワンだからね。コロナに対する対応はTVに出演することだと思っているんだろうからね。

また、逆に今回のコロナ禍の対応ぶりを見て、もしあの311の時、トップが菅直人ではなく安倍晋三だったら(あるいは松井や吉村だったら 苦笑)どうだったかを考えてみたら良いと思う。まあ、こちらは考えるのもおぞましいことではあるが。

なんと言っても台風で死者が出ている時に赤坂自民亭でみんなで酒飲んでたんだからね。今回のコロナ禍だって、突然の大規模イベントの自粛要請やら全国一斉休校要請やらアベノマスクやら、ほとんどが思いつきだし、まともな説明ひとつできなかったんだからね。たぶん、東電に全ての責任をなすりつけて知らん顔を決め込んだことだろう。

そして、ただただやってます感を醸し出し、成果を自画自賛、「実際には野党側からの相当な突き上げによって実現した【コロナ特措法の】法改正を首相主導で実現したかのようにフレームアップ」(p.90)。10万円の給付だって野党が主張し、公明が創価学会の突き上げで耐えられなくなって進言した結果だったわけだ。

さらにどさくさまぎれでコロナ禍の「対応の失敗を『国民のせい』にして、憲法改正による国民の私権制限につなげるための好材料」(p.107)として利用しようとする。この本で繰り返し強調されているのは、安倍政権は「政治の責任を回避し、責任を国民に転嫁しようとした」(p.257)ということだ。

そして最後は「『国民へのお見舞い』を語るべき立場の首相は、逆に『自らへのお見舞い』を求めるかのような記者会見を残して、一方的に首相の座を降りていった」(p.273)。

ただ、これって問題点をきちんと指摘しないマスコミ、特にTVにも相当問題があるんだろうね。


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多胡吉郎「生命(いのち)の谺 川端康成と『特攻』」

2022.05.05.18:38



少し前にNHKで川端康成と三島由紀夫のノーベル賞をめぐる確執についての番組をやっていて、それと、東京新聞の読書欄で紹介されていたので、この本、図書館で借りて読んでみました。正直、川端康成って過去に読んだの文庫本二冊だけ 苦笑)しかも定番 爆)
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少し前に新聞のコラムだったか? 川端研究で来日したイタリアからの留学生が、本屋に行っても川端の本がないと嘆いていたという話を読んだけど、まあ、そうだよねぇ 笑)

で、この本、感動しました。1945年4月から5月まで、川端康成は山岡荘八らと海軍の報道班員として沖縄へ向かう特攻基地の鹿屋に滞在した。数百人の20歳前後の若者が特攻機に乗って飛び立つのを見送り、その後は地下壕で彼らからの無線を最後まで(=死まで)追うという、ちょっと僕らには想像もつかないタフな体験を経た川端が、戦後「『特攻』体験から逃げ続けながら、文豪ともてはやされ、ノーベル賞まで受賞した」(p.43)と言われてしまう。

特攻隊員として生き残った人々の書いたものと、散華した隊員たちの手紙や日記などを資料に、川端康成がこの一ヶ月で何を見たのか、何を考えたのか、そして戦後の川端の作品に、その体験がどのような影響を及ぼしたのか、また三島由紀夫の「英霊の声」との対比で、そうした経験について戦後の川端が直接的にはほとんど書かなかったのはなぜかを、時には大胆な想像を交えて丹念に追いかけ、解釈していて、非常に感動的です。

山岡荘八のように、特攻隊員たちについて自分なりの解釈を交えつつも、人々に直接的に伝えなければならないと考えるのは普通の感覚です。誤解を恐れず言えば、作家としては、現代の作家が体験できないような体験をしたわけです。

しかし、川端の場合口を摘むんだ。川端が感じた悲しみや怒りをもっと直接的に語ってほしかったというのもアリだけど、「見てしまった者」として、何か直接的に語ることが嘘っぽくなると思ったのかもしれません。つまり特攻作戦というものは、川端をしても描ききれなかったようなものだったということなのでしょう。川端が残した特攻が出てくる小説は二篇。どちらも主人公は特攻隊員ではなく、残された女性の方が主人公になっています。

というわけで、しばらく川端康成の小説をいろいろ読んでみようかという気分になっています。

特攻についてはかなり以前に書いたことがありました


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朴沙羅「ヘルシンキ 生活の練習」

2022.04.16.16:31



うーん、もっと若い時に読んでおきたかったぁ。

フィンランドだって決して何もかも素晴らしいわけではないけど、自助と自己責任と、ついでに言えばザマアミロの蔓延している日本の社会状況を思うと、やっぱり羨ましい。

たとえば子連れでパーティに出席した時、走り回る子供たちばかり気にしていたら、フィンランド人からなんで楽しむために出席しているパーティの会場で、子供ばかり気にしているのかと質問される。日本だったら、子供を放ってほいて自分だけ飲み食い歓談してたら、どんなことを言われるかわからないが、フィンランドではそんな心配をする必要はない。

あるいは、僕もそうだけど、日本ではレジで支払いに時間がかかったりすると、後ろに並んでいる人たちの目が気になる。なるべく人の迷惑にならないようにしたいと思う。だけど、フィンランド人は、後ろでイライラしていたかもしれないけど、レジで時間がかかったのはその人の問題でも、レジの人の問題でもなく、レジのシステムの問題だと考える(らしい)。

社会福祉制度についても、利用するのは困っている人だけではないのだ、公助というのはお世話になるのではなく、高い税金を一部還元してもらうとか、貯金する代わりに、いざというときのために国に預けてあるのだという考え方。これが普通だとおもうのだけど、日本では公が、ナマポなめるな!だよ、水際作戦と称して、生活保護者の補足率2割とかだよ。本来還元してもらう権利のある人が7割以上その権利を行使していないわけだ。

まあ、とにかく子育て中の方におすすめです。目からウロコのエピソードがたくさん。


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「隣人ヒトラー」覚書き

2022.02.20.17:28



1929年から1939年、第二次大戦が始まる直前まで、ミュンヘンのヒトラーの住んでいたアパートの向かいに住んでいた少年の回想という形をとったドキュメンタリー/小説。

1929年は世界的大恐慌の時代。ドイツも御多分に洩れず破産者や失業者が溢れかえるが、主人公は、裕福なユダヤ人の編集者の父を持つ5歳の少年である。著名な作家レオン・フォイヒトヴァンガーを叔父に持ち、自分のお世話係の娘がいて、ピアノを習い、クラスの友人からは誕生日に招待されたり、別荘で過ごしたりしている幸せな少年。

その少年を2012年94歳の時点でフランス人ジャーナリストがインタビューし、それに基づいて書かれたのがこの本である。当時5歳から15歳までの時代のことだから、この本に書かれているほど明確な記憶があったとは思えないので、当時の歴史的な出来事についてはかなり補われているのだろう。そういう意味で純粋なドキュメンタリーとは言えないかな。

1933年にヒトラーが首相になり、国会議事堂が放火されて、前回も書いた全権委任法(ヒトラーに全権力を委任する法律)が成立する。共産党員は逮捕され、ユダヤ人はどんどん肩身の狭い状況になり、ヒトラーの地位が安泰となったところで、ナチスのチンピラ組織の突撃隊が粛清される。1935年にはユダヤ人の定義をきめ、公職からユダヤ人を排除したり、ユダヤ人の元でドイツ人が働くことを禁じるニュルンベルク法ができる。

こうした時代の変化の中で、少年はクラスでは存在しないもののように無視されるようになっていく。

うーん、読みながら今の日本のことを連想した。なんというか、みんなおかしいと思っているはずなのに、なんとなく流されていく時代の流れ。みんながヒトラー万歳だったわけではないのに、みんながユダヤ人を嫌っていたわけではないのに、なんとなくその時代の流れに押し流されざるを得ず、ユダヤ人との付き合いをやめていく。

先日も山本太郎の記者会見の時に書いたように、ヒトラーが首相になった時のナチスの得票率は33%で、議席数は195、6だった。それに対して共産党と社民党を合わせると220を超えた。もちろん上記のように国会議事堂の放火というナチスにとってまたとない好機を利用して独裁へ繋げていったわけだけど、でも、やっぱり1/3の支持率で独裁が可能になったのは、最も民主的と言われたワイマール憲法に緊急事態条項にあたるものがあったからだ。

また、この本でも最初の方ででてきたけど、南ドイツのミュンヘンでは最初からものすごいヒトラー人気だったようだけど、北東の首都ベルリンへ行くと、最初の頃はまだユダヤ人に対する露骨な差別もなく、ナチスも大手を振って威張り散らしていたわけではない。つまり、ナチスも最初は南ドイツの地方政党だったわけだ。

そして一般の人たちの間にも、別段強い反ユダヤ意識があったわけではなかった。つまり、ヒトラーはユダヤ人(当時のドイツでは2%弱)を仮想敵にして、共産主義者はユダヤ人だ、第一次大戦で反乱を起こして敗戦をもたらしたのはユダヤ人だ、ワイマール共和国を率いてドイツを混乱させたのはユダヤ人だ、と少数派の人々をバッシングをし、独裁こそ決められる政治だを旗印に、マスメディアを最大限利用して宣伝工作で人々の耳目を集めて、多少のがあろうが法律に触れようが、無名よりは悪名の方が良いとばかりに名を上げていった。

むろんその後の失業者の激減を喧伝することによって、ナチスは勢力を伸ばしていく。ちなみにヒトラーの経済政策を誉める人がいるけど、失業者の数が減ったことには数字のトリックがあるというのが最近の研究の成果だそうだ。だから、実際は「やってる感」をアピールして人気取りに使っていたわけだ。

アンダーラインを引いたところだけでも、どっかと似てるよねぇ 笑)

時代の流れは個人ではどうやっても押しとどめることはできない。当たり前のことだけど、なんとも恐ろしい気持ちで読んだ。


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太田愛「天上の葦」

2022.01.22.13:15

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高校時代昼休みになると図書館でこのジョルジュ・ド・ラトゥールの画集を眺めていた時期がありました。大好きでした。まあ、この画家、人間的にはかなり酷えやつだったらしいけど 笑)

というわけで、そのラトゥールの絵が表紙のこのミステリー、その噂を聞いて読みたい本としてだいぶ前からマークしてたんだけど、先日書いたTVドラマの「相棒」の脚本を書いたのが、この小説の作者だと知り、早速読んでみました。

以前映画「新聞記者」で書いたことだけど、やっぱりエンタメは悪役が本当に憎たらしくないといけません。このミステリー小説も、前半のさまざまにミスリードを誘う伏線から、徐々に誰が悪かはっきりしてきて、しかもそれがすげー憎々しいんだわ。ネタバレは絶対避けたいけど、昨今のさまざまな事件を連想させられましたね。

例えば「このような謀略は警察官の仕事ではない。これを許しては、自分はもはや警察官ではなくなる」(下 131) なんてセリフ。きっと公文書改竄させられた赤木さんもこんなふうに考えたんだろうなぁ。

探偵の鑓水とアシスタントの若者修司、停職中の警官相馬の3人が、渋谷のスクランブル交差点で死んだ老人のことを調べることと、失踪した公安刑事を捜すという、それぞれ別の依頼を受けて捜査していくと、その二つがつながり、さらに舞台がドカンと変わって、最後は、え?こんなところに繋がるの?という驚きの展開。

まあ、最後の第3部100ページほどは夜中の3時までかけて一気読みでした。ところで、福島の原発のときも感じたけど、いつまでも後悔し続けるのは反対してた人なんだよね。積極的な原発推進派で後悔した人って圧倒的に少数じゃない? 逆にずっと原発に反対していた小出裕章さんみたいな人が爆発した後になんで自分はもっと強く反対しなかったんだろうって後悔したんだよね。

ナチスの時代もそうで、ユダヤ人を積極的に迫害した人たちは戦後になって頬かぶりするか、言い訳をしたのに対して、ユダヤ人を匿った人たちが、たとえば「シンドラーのリスト」のラストの台詞のように「もっとたくさん救えたはずなのに」って後悔する。この小説でも渋谷で死んだ老人と白狐の二人は同じように。。。おっと、ネタバレしない、しない 笑) 

でも、一つだけ、ネタバレに近いかなぁ。。。最後は野党にリークするかと思ったんですがねぇ。。。苦笑)

そう、安倍のもとで作られた秘密保護法から入管法に至るまで、数々の悪法が成立しても、反対している人は考えすぎだと言う人がたくさんいたわけだけど、作者の思いはきっと次のセリフに集約されているんだろうなぁ。

「覚えておいてください。闘えるのは火が小さなうちだけです。」(下 149)


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劉慈欣「三体 III 死神永生」

2021.12.31.22:51

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うーん、4週間前から読み始め、なんとか今年中に読み終わりました。

おかげで今日乗る予定だった自転車は乗れず、今年の総距離は3000キロに5キロ足らず 苦笑)まあ、乗らなかったのはこの本のせいではなく、単純に今日の東京は寒すぎだったからなんですがね。

というわけで、一昨年の3月に I を読み終わりhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3733.html、9月に IIを読んでhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3832.html、それからちょっと間が空いてしまいました。

II の時に、ほぼ完璧にまとまっているかに思われた第二部で一つだけ宙ぶらりんのエピソードがあると書いたんだけど、やっぱりそれが大きな役割を果たしました。しかし、最初から II、II から III とどんどんスケールが大きくなり、この最終巻は… おっと、ネタバレするわけにはいきませんね 笑)

冒頭「時の外の過去」という訳のわからない文章で始まり、本編の間にこの短い文章が挟まります。この文章は一体誰がいつ書いたのかは最後にわかります。しかし、ものすごいスケール 笑) 途中も奇想天外、驚天動地の発想で、そんな馬鹿な!と言う人もいるかもしれませんが 笑) 途中に挟まれるメルヘンが完成度が高いし、それが全体の話とつながって、ときどき思い返されるのも面白いところです。

後半の話のテンポはかなり速く、掩体計画から曲率推進や暗黒領域計画だのと、目眩く思い。そしてラストへ向けて、え? 彼らは?? という気持ちを取り残したまま、ラストのなんとも私好みの終わり方 苦笑) 最後の主人公たちの決断に感動します。ナウシカのラストの、腐海の底の砂地に置かれた航空帽の傍らに芽吹いた双葉のような。。。


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深沢潮「翡翠色の海へうたう」(完全ネタバレ)

2021.11.02.19:49

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戦時中の中国大陸から沖縄へ連れてこられた朝鮮人従軍慰安婦の「わたし」と、現在の、従軍慰安婦の話を書くために沖縄へ取材にやってきた小説家志望の女性「私」の話。

「わたし」は朝鮮の貧しい家庭で、ほぼ騙されて17歳で従軍慰安婦にされ、日本の軍人や士官、将校たちに凌辱され続ける。それはこんなふうに衝撃的に描かれる。「わたしは、ただただ、穴、に、される」(p. 20) 仲間達とはぐれ、戦火の中を死体をふみわけて、家族を失った沖縄の老人に救われ、ガマに逃げ込み大火傷を負いながらもなんとか生き延びて。。。

一方の「私」は30歳の非正規雇用の独身女性で、恋人もなく、エリートの親からは早く結婚しろと言われ、ほぼ等閑視されている。ここまで何度か文学賞に作品を送り、そこそこ認められつつあったが、そもそもが彼女にとって、従軍慰安婦の知識は完全に付け焼き刃なのである。そんな彼女は最後にどんな境地に。。。

以前、震災後を描いた北条裕子の「美しい顔」の時にも思ったけど、やっぱり小説家ってなかなか普通の性格の人間にはできないな、と思う。この「翡翠色〜」でも、途中で沖縄戦の聞き取りをしている女性や、信頼できる友人からもこのテーマについて批判的な言葉を投げかけられるのは、やっぱりこういう理不尽極まりない事実を前にして、小説家のたじろぐ気持ちの言い訳なんだろうと思う。

小説は奇数の章が「わたし」、つまり朝鮮人従軍慰安婦の体験で、偶数の章が「私」の体験と交互に描かれて、最後に現在の「私」が「わたし」と間接的につながる。ここは感動的だった。

ただ、描かれているものの重さ、深刻さに対して、全体的に文章が短く軽い文体なのが気に入らない。現在の「私」の章はこんなふうな現代風のライトな文章でいいとおもうんだけど、朝鮮人慰安婦の「わたし」の章はもっと違う文体にしてほしかったと思った。


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「格差は心を壊す」

2021.10.23.11:51


今月末の衆院選挙、色々な所で、さすがに自民は少し票をへらすが、一番躍進するのが維新ではないか、と予想されている。でも、維新のやり方って、公務員叩きが代表的だけど、敵を作ってざまあみろという、さもしく恥ずかしい感情を煽って人気を取ろうとするトンデモ政党で、欧州なら極右ポピュリズム政党とみなされるはずだと思う。

こういう反社的政党が人気を得る理由は、拙ブログで何度も書いたけど、この本を読んでさらに納得いくところがあった。

人類の歴史はほぼ20万年前ごろから始まったが、この20万年間の95%は平等主義的だったそうだ。これは日本の歴史でも、1万年以上(100世紀だよ!)続いた縄文時代の狩猟採集時代は平和で争いごとの少なかった時代だが、弥生に入り農耕の時代になるとともに、不平等な、持つものと持たざる者、支配するものと支配されるものの時代になったということが言われている。

そう考えると、人の心に限れば、歴史って人類の発展上昇の経緯を示すものではなく、堕落へ向かって流れているんじゃないかという気もしてくる。

「不平等が拡大すれば、(。。。)人々は互いによそよそしくなり、思いやりの気持ちも少なくなる。すきがあれば他人を引き摺り下ろそうとさえする。」(p.98)

この本では格差が人々の心をいかに壊すかが、多くの文献をもとに示されると共に、そのような不平等な弱肉強食のあり方が、いかに間違ったあり方であるかも説得力を持って示される。

不平等な社会になれば人々は他人の不幸を自己責任という言葉で切り捨て、社会をよくしようとなどと思わなくなる。当然政治などまともに興味を持つことはない。心置きなく叩けて、叩き返される可能性がないものをみんなで叩きまくり、そこに快感を見出す。格差によって心は壊される。

つまり格差(不平等)社会になれば人々は様々な面で劣化する。劣化すれば他人の不幸を「自己責任」と突き放し、叩けるものを「ざまあみろ」と叩きまくる。自己責任とザマアミロは最初に書いたように維新のやり方と被る。劣化した人たちが維新に票を入れるのもムベなるかな。

しかも「自己責任」とか「ざまあみろ」とか「今だけ金だけ自分だけ」というさもしい感情を、新自由主義というやつが後ろだけになって、お墨付きを与えたわけだ。今回の選挙では自民党の岸田ですら、一瞬だけだったけど新自由主義からの脱却なんて言ったりしてた。

この本の最後の方では、企業のシステムとしていかに格差をなくす方向へ向かうべきかが、ドイツの従業員経営参加制度などを例に述べられ、「経済を民主化する」(p.414)とともに、それでしか持続可能な未来はないというところに辿り着く。

つまりこの本の題名は格差は「心」を壊す、だけど、壊れるのは心だけでなく、社会も環境も地球も壊れるわけだ。

たぶんこのまま「自己責任」と「ざまあみろ」の社会が続けば、人類は遅かれ早かれ滅ぶな。そんな気がしている。

400ページのヴォリュームで、たくさん援用される資料の部分は読みやすくないけど、おすすめです。


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門井慶喜「銀河鉄道の父」

2021.07.22.22:24

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以前にも書いたことがありますが、20代後半か30代初め、夏休み中に岩手県を自転車でツーリングしたことがありました。そのとき花巻空港のそばの主要道路が車が多かったので迂回したら、偶然羅須地人協会の前を通過し、軒先にカタカナで「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という黒板?がぶら下げられているのが見えました。そのまま先に進むと宮沢賢治記念館の案内が見え、せっかくだから寄って行こうと思ったら、急勾配の山の上にあって結構ヒーコラ言いながら登った記憶があります。

文学少年でしたから 笑)宮沢賢治は小学校の学級文庫で銀河鉄道の夜や注文の多い料理店なんかを読んだりしてましたが、実際にきちんと文庫本で読んだのはもう少し後だっただろうと思います。その時詩集の「春と修羅」も読んだけど、記憶に残ったのは「永訣の朝」ぐらいです。でも、その中の「あめゆじゆとてちてけんじゃ」というリフレインは覚えていました。もっとも今回のこの本を読むと、「あめゆじゅ」と読むようです。「あめゆじゆ」の方が5音になって語呂が良さそうですがね。

また、40年近く昔、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」という演劇がTVで放映されたのを見たことがあります。その時宮沢賢治の父親役は佐藤慶。大好きな俳優でした。本箱の奥をゴソゴソやったら本が出てきました。TV放送に感動して買ったのでした。

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上の写真の右が佐藤慶の父、左は賢治役の矢崎滋。

なので、この宮沢賢治の父親の立場に立った小説、読みながら主役の父親は姿も声も佐藤慶でした 笑)

賢治と父の葛藤は有名です。ただ、家業の質屋が嫌で、父に反発して父の信じる浄土真宗に対して、当てつけのように日蓮宗を信奉するという父親側の視点からの賢治は新鮮でした。通常は、賢治の側から、金持ちで人々からも尊敬され、なんでも頭ごなしのウザい父親と見られていたような気がします。また、なにより賢治のことを考え続け、思い続け、悩みながら譲歩し続けた父親の姿に、3年前に他界した私の父のことをいろいろ考えました。その点だけでも読んで良かったと言えます。


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「東京藝大で教わる西洋美術の見方」

2021.05.27.13:03

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表紙の絵はロヒール・ファン・デル・ウェイデンが奥さんを描いたのではないかと言われているもので、30年以上前にベルリンのダーレムの美術館で見た時に魅了されたという個人的な思い出があります。
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向こうの美術館はフラッシュ焚かなければ写真OKなので、いろいろ撮りましたが、この絵はこちらをじっと見つめる目の力強さがすごくて、500年間俺を待っていてくれたんだと思ったのでした 笑)

というわけで、この絵だけで手に取って読み始めたら、絵の好みがかなり私の趣味と合致して、とても面白く、あちこちにマーカーで線を引いたりして、時間をかけて読みました。

ほぼ年代順に有名な画家たちの作品が解説されるのだけど、その作品が一般的な美術史で取り上げられるものとは少し違っていて、レオナルドやラファエロも取り上げられているけど、どちらかというと北方ルネサンスのロベルト・カンピンやファン・エイク兄弟、ドイツルネサンスのアルブレヒト・デューラーのほうが比重がかかっている。目次を見ればわかるけど、ここにはミケランジェロもレンブラントもフェルメールもゴヤも、そしてなによりフランス印象派が全く扱われていない。ピカソや20世紀の抽象画の画家もいない。最後の二つの章はシャルフベックと、3年ぐらい前に上野で展覧会が開かれたハマスホイの北欧の暗い画家二人と、バウハウスにつながる工芸美術作家ヴァン・デ・ヴェルデという地味さ 笑)

各章がいろいろつながりを持っていて、特に19世紀のローマで活躍したドイツ人画家たちやフランス人たちから、イギリスのラファエロ前派へ関連づけられていく後半の章は、知らないことばかりで面白かった。

で、こうやっていろんな画家たちの絵を見ていくと、やっぱり桁違いに上手だなと思うのはファン・エイク。ファン・エイク以前のロベルト・カンピンや以後のロヒール・ファン・デル・ウェイデンと比べても、描かれている(描かれていない)空気の密度というのか、空間的な奥行きが桁違いに澄んでいて厚みがある。この本とは別の本で読んだんだけど、「アルノルフィニ夫妻の肖像」で後ろの壁にかかっている数珠玉の超拡大写真をみると、フェルメールが200年以上後にやるような光を点として描くことをやっているのだという。一見輪郭を細密に描いているようにみえるファン・エイクの絵だが、この数珠玉には輪郭線はまったくなく、筆でさっとなぞらえただけの色の斑点がおかれているのだそうだ(小林典子「ヤン・ファン・エイク 光と空気の絵画」参照。この本、私にはちょっと専門的すぎて敷居が高すぎ、途中で挫折しました 苦笑)。

というわけで、表題の本に戻ります。一言で言えば面白いです。ですが、この題名はちょっといただけない。買う時ちょっと恥ずかしかったです 笑)扱われている画家がかなりマニアックだし、それなりに西洋絵画を見慣れている人向きでしょう。


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彩瀬まる「やがて海へと届く」

2021.04.28.21:53

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図書館で借りてきました。うーん、すごい小説でした。面白かったと言うと不謹慎と怒る人もいるかもしれません。ネタバレしないように書きますが、東日本大震災で傷ついた二人の親友の娘の、いわば再生の物語です。

あちこちに伏線が張りめぐらされていて、二人の娘の独白の形で話が進みますが、最後の方は本当に感動的です。電車の中で読んでて困りました。出てくる人達の何人かは最初はなんだかわからないのですが、読み進めていくと、あれ?この人は。。。と気が付くことがたくさん出てきます。たとえば「バスは来ない」と教えてくれたおばあさん。

途中からは昔ここでも紹介したコニー・ウィリスの「航海」を連想していました。なんか、雰囲気がそういう感じだったんですよね。

震災から5年でこういう小説が書けるという作者の小説家としての自負というのか勇気というのか、それもすごい。


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辺見庸「月」覚書き

2021.02.07.11:10

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拙ブログでも何度も取り上げた相模原のやまゆり園障害者大量虐殺事件を題材にした小説。何しろ辺見庸だからね、容赦がない。辺見庸は以前南京事件を扱った「1937」について書いたことがあるので、そちらもどうぞ

この小説の語り手は重度重複障害で寝たきりの「かたまり」として存在する男女も年齢も不明の「きーちゃん」。目も見えなければ手足も動かすことができず、時々身体が激痛に襲われるけど、思うことはできる。そのきーちゃんを施設で介護する「さとくん」が、ほぼ現実の相模原事件の犯人をなぞっている。ややネトウヨ的なところもあるが善良で真面目な好青年だ。実在の犯人と同様、世の中をよくするためにはどうすればいいのかを考え、同時に人間とはなんであるかを考え、人間の形をしていても人間ではないものは抹殺すべしとの思いに至る。そしてここにきーちゃんの分身とされる「あかぎあかえ」が幻想のように時空をこえて(?)縦横無尽に現れて「さとくん」と議論し、「さとくん」の暴走も止めようとするのだが。。。

人間は「ある」だけでいいのだと言えるか? 小説の中に頻出するカゲロウのイメージが「この世に存在するだけ」という意味を考えさせる。現代の日本人は「さとくん」の主張に対して、正面から答える(反論する)ことができるだろうか?

現代社会にはおぞましいほど「優生思想」がはびこり、普通の人はそれにほとんど気がつかないか、気がついてもスルーする。役に立つか立たないか、生産性があるかないか、経済効率で考えてプラスマイナスどっちなのか、そんな基準で優劣をつけてはいけないはずである。だけど、その「いけないのだ!」という確信の根拠を言葉にできるだろうか? これをみんなが真剣に考えれば、たとえ答えが出なくとも(むしろ安易に答えを出す必要なんかないと思う)、社会は変わると思う。


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パウゼヴァング「片手の郵便配達人」

2021.01.22.16:47



先日紹介した「ヒトラーの脱走兵」と並行して読んでいた小説。ドイツの森の中に点在する7つの村に郵便を配達する17歳の少年(従軍し左手を失い、故郷に戻って郵便配達夫の仕事についている)の目を通して、1944年8月から1945年5月までの村の人々の様子が淡々と描かれる。

44年8月といえばすでに西ではノルマンディに米英軍が上陸しパリ解放直前、東ではドイツ軍はソ連軍の前にすでに敗走状態で、国防軍によるヒトラー暗殺計画も失敗して講和の可能性もなくなり、あとはドイツが壊滅するのを待つだけの絶望的な状況。狂信的なナチ支持者はヒトラーによる秘密兵器に期待を託すが、一般の人々でそんなものを信じる人はほとんどいない。

そんな中でも主人公は郵便があるかぎり配達を続け、村の人々から信頼され、人々の置かれた事情を黙って見ている。

そもそも主人公を戦時中の郵便配達夫にするという設定だけで、十分感動的な話になるだろうことは、誰にでも予想できる。戦地からの夫や息子、孫の手紙を届ける一方で、戦死の通知も届けなければならない。

手紙を届ける村の人たちの様子が細かく描かれ、狂信的なナチの少女もいれば戦地の息子や夫を案じる女たちもいる。労働援助にきた捕虜のフランス人の子供を身ごもっている戦争未亡人も、主人公と同じ傷痍軍人も、疎開してきた人たちも、戦死した孫を思い認知症になってしまった老女もいる。かなりたくさんの名前が出てきて、一度しか出てこない人もたくさんいるが、何度も出てくる人もいるので、どの村の誰で何をしているかをメモすることをお勧めします。

最後に、正直にいうとあの結末だけは気に入りません 笑)


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對馬達雄「ヒトラーの脱走兵」

2021.01.20.23:01

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ルートヴィヒ・バウマンという死刑宣告を受けながら九死に一生をえた元脱走兵の復権に向けた活動を中心に、ヒトラー政権下で司法官を務めた裁判官たちの戦後の栄達ぶりと戦後ドイツのナチスに対する多くの人々の複雑な感情が書かれた本で、数年前に紹介した同じ著者の「ヒトラーに抵抗した人々」や去年の暮れに読んだ大島隆之の「独裁者ヒトラーの時代を生きる」ともつながり、個人的にはものすごく面白かった。うん、面白かったなんていう言葉は相応しくないな。読みながら何度も怒りを感じた。そしてなんとなくおぼろに感じていたものがつながった気分で、ものすごく勉強になった、と行ってもいいかもしれない。なので、今回は過去記事へのリンクばかりです 笑)

例えば、脱走兵は戦後になってもナチス時代の裁判判決に基づいて前科者扱いされ、一般ドイツ人たちからすら、彼らは犯罪者だと見なされていたとは考えてもみなかったことだった。何しろ第二次大戦中のドイツの軍法会議での死刑の数はほぼ2万人と驚くべき数字。一方アメリカは146人、イギリスに至っては40人だったという。(これも最近紹介した「軍旗はためく下に」も軍法により死刑になった兵士たちのことで、吉田裕の「日本軍兵士」とともに、日本軍はひでえと思ったけど、ドイツ軍もひでえもんだわ。)

何しろ不法国家のナチスドイツだ。徴兵拒否や脱走などで処刑された人たちは戦後は問答無用で復権しているのだとばかり思っていた。さらには徴兵拒否で死刑になった人たちは英雄扱いされているものだと思っていた。テレンス・マリックの映画「名もなき生涯」がまさに徴兵拒否で死刑になった男の話だったが、これだって長年知られずにいたのを、主人公が妻に宛てた手紙が英訳されて知られるようになり、映画になったのだった。

一方で逃亡兵や、前線の兵士たちに無理やり「国防力破壊」の罪を言い渡して死刑判決を出した司法官たちは戦後になっても西ドイツの司法界や大学で栄達を遂げ、尊敬され、権威とみなされ、大往生をとげた。特にシュヴィンゲという戦後は大学教授として軍司法の権威となった奴は、写真見てもわかるでしょ! 
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こいつ絶対悪党だよ。それもインテリの悪党、一番たち悪い奴、間違いなし!って顔してます(人を外見で判断してはいけません 苦笑) いや、つい興奮して。。。汗)

例えば、拙ブログで映画を紹介したゲオルク・エルザー、ヒトラー暗殺計画で処刑された彼の事件が正当に評価されたのは最近のことだった。同じく「ヒトラーへの285枚の葉書」という映画になったハンス・ファラダの「ベルリンに一人死す」のハンペル夫妻のことだって、ファラダはこの小説を戦後すぐに書いたのに話題にはならず、最近英訳が出て大ヒットしたおかげで知られるようになった。

さらには1960年ごろに強制収容所の看守たちを裁いた裁判を描いた「顔のないヒトラー たち」やその裁判の指揮をした検事フリッツ・バウアーの業績が映画になったのも、やっと21世紀になってのことだ。

これまでの反ナチ抵抗運動として有名なのは軍人によるワルキューレ作戦と、ミュンヘンの大学生たちによる「白バラ」だった。だけど、これによって、特に前者のドイツ国防軍のヒトラー暗殺未遂事件によって、ナチは悪かったが国防軍は悪くなかったという神話が出来上がったわけだ。そして「白バラ」の方も有名になりすぎたおかげで、他にもたくさんいた市井の反ナチ活動家たちが隠されてしまった面があったわけ。

先日紹介したばかりの盲人オットー・ヴァイトの抵抗だって、そして彼と関連があったローテ・カペレと呼ばれる普通の市民たちによる反ナチ活動だって、一般に知られるようになったのは最近のことだった。同時に国防軍が実は東部地域での一般人やユダヤ人の大量虐殺に関わっていたことも、やっぱり最近になってようやく知られるようになった。

「ジェネレーション・ウォー」でも国防軍兵士のトム・シリングは気弱ないじめられっ子の文学青年だったが、いつしか少女を正面から射殺するような虐殺者になっていく。また兄のフォルカー・ブルッフは脱走兵となる。こんな内容、おそらく西ドイツ時代には絶対に描けないストーリーだったのだろう。この本を読むとそれがよくわかる。でも惜しむらくは(ネタバレしちゃうけど)。トム・シリングは最後死んでしまうけど、実際は生き残って、当時のことにはほっかむりした元国防軍兵士がたくさん、その天寿を全うした。

ティモシー・スナイダーの「ブラッド・ランド」にもあった話だが、アウシュヴィッツがホロコーストの代名詞になってしまったけど、実は東部戦線では、アウシュヴィッツをはじめとした収容所で殺されたユダヤ人の数の3倍の数の人たち(主にユダヤ人)が殺されたそうだ。アウシュヴィッツはそうした、ドイツ人にとって「より不都合」な事実を押し留める堤防の役割を果たしたわけだ。

戦後のドイツは脱ナチ化を果たしたと思っていたが、対外的にはともかくドイツ国内ではとんでもなかった。東西ドイツが統一して関係者もどんどん鬼籍に入ってやっと真実が明かされるようになったわけだ。それは障害者大量虐殺計画T4作戦に関連して、ドイツ精神医学会がやっと反省の弁を述べることができるようになったのに似ている。

追記(2021, 1,21, 12:50)
昨日書き忘れたので追加します。

主役のバウマンら脱走兵や徴兵忌避者が復権するに当たって、時間以上に重要だったのが歴史学者たちの研究が与えた影響だった。裁判の判決にもそうした学問的な成果が強く反映されている。それを著者は次のように言っている。

「戦後史、とりわけナチス支配の過去の清算に関わるドイツの政治が反ナチ運動の研究成果と密接な関係にあり、その研究の成果を受容して文化政策・歴史政策(具体的には歴史教育・政治教育)が作られてきた(。。。)これを言い換えると、それだけ人文系諸学が今なお現実政治においても重要な存在となっているということだ。それを支えるのは「知」を尊重する歴史的伝統と風土だろう。」(p. 252)


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岡典子「ナチスに抗った障害者」

2020.12.14.23:06

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オットー・ヴァイトはナチスの時代のベルリンで、障害のあるユダヤ人たちをブラシやホウキを作る自分の盲人作業所に雇い、ゲシュタポとやりあい、ユダヤ人たちを無名の協力者たちと共に匿い続けた盲人である。オットー・ヴァイトの名前は拙ブログでも出したことがある(これは5年前に書いたことで、当時は山本太郎の主張など知らなかったが、彼が言っていることと同じことを書いているのは、我ながら自慢したい)

この本はヴァイトの生涯を追いながら当時のナチス期のユダヤ人たちや障害者の状況も詳しく描かれ、圧倒的な面白さだった。一般にナチスと障害者と言えば、拙ブログでも何度か書いた T4 作戦による重度障害者の継続的な虐殺が思い浮かぶが、軽度や盲・ろうの障害者たちはどのように生活していたのかは、考えたことがなかった。

驚いたことに、ナチスは多数の重度障害者を殺害する一方で、国家の労働力として活用できると考えた障害児たちに対しては、「就学義務法」を制定して彼らに就学の機会を与えたのである。1936年に「ヒトラー・ユーゲント法」によって青少年全員がユーゲントに加入しなければならなくなったときにも、それより前にすでに障害児たちのヒトラー・ユーゲントのようなものが存在していて、盲学校の生徒たちがハイル・ヒトラーの手を挙げている写真も掲載されている。ことほど隅々に至るまでナチスのプロパガンダが浸透し、国民たちがみんなナチスを支持していたわけだ。

一方でユダヤ人たちは海外へ移住しようとしても、高齢や障害が移住先から入国を拒否される理由になった。身内に障害者や高齢者がいるユダヤ人家庭に選択肢は二つ。移住可能なものだけが国外に逃れるか、家族みんなでドイツにとどまるかだった。映画「ソフィーの選択」みたいな選択はそこかしこで行われていたわけだ。そして1942年の「ヴァンゼー秘密会議」後は出国など論外、見つかればそのまま収容所へ送られるようになっていく。

そんな中で盲人ヴァイトは多くの無名の協力者たちと共に多くのユダヤ人たちを助け匿う。その手口は賄賂だった。そして隠れたユダヤ人たちのために闇市場で仕入れたものを融通する。しかしゲシュタポの一斉検挙や、密告、ナチスの手先となったユダヤ人の「捕まえ屋」によって、雇っていたユダヤ人たちは次々と捕まり収容所へ送られ、多くがそこで殺害される。

無名の協力者たちが面白い。ナチスに反抗的な警官たちが集められた第16管区警察署の無名の警官たち、牧師、医者、工場主、クリーニング店主、そして何より強烈な印象を与えるのが娼婦のポルシュッツだろう。それ以外にも多数の協力者がいた。

「ヴァイトのように今日までその名を知られている「英雄」でなくとも、当時のドイツには、ユダヤ人に対しそれぞれの立場でささやかな善意を示そうとした人々がいた」(p.131)し、「密告が奨励される当時のドイツでは、ヴァイトのような救援者の行動を口外せず、「見てみぬふり」をしてくれるだけでも立派な善意の表現だった」(p.139)のである。

シンドラーのリストが映画になり、ドイツ国内にもユダヤ人を積極的に助けようとした人たちがいたことが知られるようになり、おかげでこのヴァイトもベルリンのシンドラーと呼ばれているそうだ。しかし、自らも障害者だったヴァイトの方がシンドラーよりもずっと感動的だろう。それにこの本に描かれているヴァイトの姿の方がずっと深みのある映画が作れそうだ。ユダヤ人を単なる被害者にしているのではなく、「捕まえ屋」なんていうナチの手先も出てくるし、その「捕まえ屋」にも逃げ切る奴もいれば、お役御免で収容所へ送られる奴もいる。

上に書いた娼婦のポルシュッツのインパクトは大きい。戦後になっても、娼婦ゆえに不道徳な女とみなされた彼女は1977年に亡くなるが、写真は一枚も残っておらず、娼婦の彼女がユダヤ人を匿い続けたのはなぜかはわからない。しかも彼女は闇市での取引きで逮捕され、また厳しい「尋問を受けても一切口を破ることはなかった」(p.222) のである。彼女を「ナチスに抗った娼婦」という題名で本を書く人が出てくることを祈る。

ヴァイトはドイツ敗戦後もユダヤ人のための老人ホームと孤児院の運営に尽力した。だが、戦後のドイツでは東西どちらにおいても、ユダヤ人救援者たちに関心が湧くことはなかった。これは拙ブログで映画を紹介した、ヒトラーを暗殺しようとしたエルザーもそうだった。また海外でも悪の帝国にユダヤ人を救おうとした人たちがいたことは都合が悪かった。結局関係者がほとんどみんな死んでしまった今になってようやく、顕彰のためのプレートや、殺されたユダヤ人たちの名前の刻まれた「つまずきの石」が道に埋め込まれるようになったというわけだ。

不思議なことだが、こうした「沈黙の勇者」たちは戦後になっても自分たちが行ったことを声高に語ることはなかった。自分はユダヤ人を守ったのだと主張する連中は、その多くがナチスの主張に唯々諾々と従った連中たちだった(アウシュヴィッツでユダヤ人の生死の選別を行ったメンゲレは、選別を行ったことによって死ぬべきユダヤ人を救ったのだと言い放った)。

彼らはなぜ自らの命すら危険にさらしてまで、ユダヤ人を助けたのだろう? その理由は色々あるだろうけど、この本の最後の方にある話は、ただ救援者たちを「正義」にしてしまう(つまりレッテルを張ってしまう)のではなく、人として生きるということはどういうことなのかを考えさせてくれる一助になると思う。

「ヴァイトにとってもユダヤ人たちは単なる救援対象ではなかった。自分たちを心からしたい、信頼を寄せるユダヤ人たちの存在は、障害者として社会の中で「弱者」の位置に追いやられてきた彼に、人としての誇りを与えてくれるものだったろう。それは娼婦として蔑まれてきたポルシュッツにとっても同様だった。ヴァイトたちはユダヤ人に多くのものを与えたが、ユダヤ人たちもまた、ヴァイトたち救援者に多くのものを与えてくれたのである。」(p.252)


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大島隆之「独裁者ヒトラーの時代を生きる」

2020.12.03.21:58

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NHKで放映されたドキュメンタリー「独裁者ヒトラー 演説の魔力」の、番組内では放送できなかったインタビューをまとめたもの。この番組はYouTubeに上がってますね。大丈夫なのかな? 笑)


僕は、ヒトラーの時代を知る現在100歳前後の老人たちが何人もインタビューされるこのTV番組を、放送当時(去年のはじめ)見ているけど、印象として、どこか食い足りない感じがした。ヒトラーのことを語る老人たちの生き生きとした様子がどこか居心地が悪い気がすると同時に、ヒトラーの演説映像を見る老人たちがみんなニコニコと目を輝かせているのに、それをスルーしてヒトラーに誑(たぶら)かされた人々が戦争によってどのような運命を迎えたかという結末、兵士として死んだ若者たちの墓や殺害されたユダヤ人たちを祈念する「つまずきの石」(本の表紙がそれ)へ、強引につなげていったような印象を持った。

で、そのテレビでは映されなかった老人たちのインタビューがこの本に収録されているわけだが、その多くが実はどうやらTVでまとめることが難しい方向へ向かっていったものだったようだ。当時ヒトラー を熱狂的に支持した人たちにとって、戦後、当時の自分を全否定することなど、普通なかなかできるものではないのだろう。

老人たちの多くは戦争になる前までのヒトラーは良いヒトラーで、戦争をしたからこそヒトラーは悪者になったのだと信じている。つまり良いナチスと悪いナチスがあると。TVでも出てきたが、育ての親がユダヤ人だったので収容所に入れられ廃人同様になったにもかかわらず、ヒトラーを信頼しきって空軍兵士として戦った老人が、ヒトラーの演説を称して、ベートーヴェンの第九の最終楽章のような高揚感だったとニコニコしながら話し、ナチスの党歌を口ずさむ。結構ショックだ。

TV番組ではヒトラーの演説の魔力という題名通り、その演説がどれほど人々を魅了したかをメインに描いていたが、この本ではその演説に魅せられた人々が戦後になっても、戦争が終わって4分の3世紀も経っているというのに、そして戦後のドイツでいかにヒトラーがやったことがひどいことだったかが語られ尽くしたと思えるのにもかかわらず、三つ子の魂百までじゃないけど、当時の熱狂が忘れられず、いまだに魅せられていて、それを自分の中でどう辻褄(つじつま)合わせしようとするか、という心理が扱われている。

無論インタビューされている老人たちがいまだにヒトラーの考えを受け入れている差別主義者だとは全く思わない。彼らがヒトラーが主張したようなユダヤ人やスラブ民族は劣等民族だと、今現在考えているはずはない。彼らが嬉々として語るのは当時の感動・感激の思い出なのだろうと思うが。。。

全身全霊をかけて信頼を寄せ、そのために命すらかけた過去とどう向き合うか? なかなかリアルに想像できるものではないだろう。

この本、当時のドイツの状況をわかりやすくまとめていて、ナチスのことなんかよく知らないという人にもおすすめです。


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雨宮処凛「相模原事件・裁判傍聴記」

2020.11.23.23:55



裁判は終わり死刑の判決がくだって、世間はこの事件のことを済んだこととして忘れつつある。

この本を読みながら、少し前に山本太郎が語ったこの事件の分析のことをずっと思い出していた。「役に立っていることを社会に示したいから、役に立たないと思い込んだ障害者を殺した」というやつだ。著者の雨宮処凛は山本太郎の盟友であるから、当然こうした意見交換はしていたんだろうと思うとともに、ひょっとしてこうした問題についての山本太郎のブレーンが雨宮処凛なのかもしれないと妄想したりした。

事件当初、とうとうと自説を述べ続ける犯人にナチスの優生思想の再来かと思わされたこの事件。結局のところ「優生思想でもなんでもない。単純な嫉妬」「社会的に何もできない者(=障害者)が、優遇されてノウノウと生きているのに対するやっかみ」に過ぎなかったという最首悟の言葉が一番ピンとくる動機のように思える。

最後の雨宮処凛と渡辺一史の対談の中で、渡辺が言うことが、僕らも、そして何よりマスコミも、もっとしっかりと意識すべきポイントだと思う。つまり渡辺はこう言っている。少し長くなるが、書き写し、ポイントを箇条書きにしてアンダーラインを引いておく。

「この事件が報じられるたびに、植松被告の主張も繰り返し報じられるわけですが、彼の主張は、その前提からして間違っていることを指摘する人があまりいない。(中略)植松被告は「意思疎通の取れない障害者は安楽死させるべきだ」という主張から事件を起こしましたが、(中略)意思疎通の取れない障害者」を一方的に安楽死させるなどということは、安楽死が合法化された国であっても不可能です。(中略)植松被告の考えに同調して、「日本でも安楽死を合法化すべきだ」などという人がいますが、安楽死という言葉の正確な意味を知った上でそう言っているのか、そこをまずしっかり確認しなくてはいけない。」

本人の同意がない「安楽死」などない。それは虐殺というのだ。

「それともう一つ、障害者を安楽死させるべき理由として、「障害者にかかるお金は無駄だから」とか「それが財政難の元凶だ」などと植松被告は言っていますが、これも現実を見ると全く違います。日本の年間の障害福祉予算は、国の一般会計のたかだか1%台ぐらいで、さほど大きな額ではないです。国際比較をしても、日本の障害者関係の公的支出(対GDP比)は、OECD諸国の中で極めて低い水準にあることは専門家の間では常識なんです。」

障害者福祉の国の予算は財政難の元凶になるはずがないぐらい低い。

「さらにいうと、障害福祉予算というのは、別に障害者が飲み食いして懐に入れて浪費しているわけでは全然なくて、その大部分は健常者(介護者)の給料になっているわけですからね。」

しかも予算のほとんどはは障害者を介護する健常者の給料。

「そして、もらった給料の中から所得税を払い、住民税を払い、社会保険料を払い、日々の消費を行い、人によっては結婚して家庭を作り、その地域での暮らしを支えるお金になっているわけです。」

山本太郎がよく言う「誰かの借金は誰かの貯蓄・資産になる」を連想する。

「そうして、そうやって作られたケアの仕組みや福祉制度というのは、自分や自分の家族が困ったときにもお世話になれるシステムです。障害のある人たちがいるおかげで、そうしたシステムが発達してきたことを考えると、逆に障害者の存在が、社会を助けてくれているとも言えるんです。」

情けは人の為ならず、自分のためなんだよ、という話だ。当たり前の話だろう。

「メディアもあの事件を報じると同時に、植松被告の考え方は根本から間違っていることをしっかり発信することが大切だと思います。」(以上全て p.211ー3) 



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吉田裕「日本軍兵士」覚え

2020.10.15.12:03

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いやはや、むちゃくちゃだよ、旧日本軍。こんな国の兵士にならなければならなかったなんて、なんて気の毒な旧日本軍の兵士たち。

1937年の日中戦争の始まりから1945年夏の敗戦までのうちで、1944年以降に全戦没者310万の9割を占めるというのは、今話題の任命拒否された加藤陽子の本でもかつて教えられた

しかもその死者たちの半分以上は敵の弾に当たったのではなく、マラリアや栄養失調などの病死や餓死だった。また戦死として報告されることが多かった自殺者の数も、他国の軍隊以上に多かったという。

この本が書かれた理由の一つとして、著者は「日本社会の一部に、およそ非現実的で戦場の現実とかけ離れた戦争観が台頭してきた」(209)ことや「日本礼賛本」や「日本軍礼賛本」による日本軍の過大評価の風潮に対し、「戦場の凄惨な現実を直視する必要がある」(212)という思いだと言っている。

日本軍は個々の兵士の健康状態など気にもしない。例えば従軍歯科医師がほぼいなかったために虫歯の蔓延を引き起こし、内地部隊では古参兵や上官による理不尽な私的制裁(リンチ)により死者が出ても罪に問われず、結果、「極度の過労と栄養の不良が結核の温床となっ」(101)た。

すでに1940年から、補給兵站の不備を補うために現地調達、「現地自活」(つまりすでに常態化していた中国民衆からの略奪)を軍の方針として強行し、捕虜になることを禁じ(1937年にはまだ捕虜になることを認めていたそうだ)、作戦・戦闘を全てに優先させて「補給、情報、衛生、防御、海上護衛など」(139)を軽視し、軍服も軍靴もその他の装備も、そして何より兵器も敵とは比べものにならぬほどに劣悪であったにもかかわらず(それを指摘した前線からの書簡を東條英機は握り潰す)、最後はみんな死ねとばかりの特攻作戦。声変わりもしていない少年たちをかき集め死地に赴かせ、死なない奴は臆病者だと言わんばかりの上層部。そしてそう命令した奴らは戦後ものうのうと天寿を全うしたわけだ。

戦闘機パイロットだったある元陸軍大尉の言葉だ。

「戦争が激化する。負け戦が多くなり、戦死者が激増し始める。そうなると、本人の勲功の多少に関わらず、いつまでも生きている将や兵が白い目で見られたり、皮肉や嫌味を言われたりと言う奇妙な傾向が現れ始める。恨まれたり、妬まれたり、どうかすると戦死しなかったというだけの理由で卑怯者呼ばわりされたりもする(中略)それにしても、貴様はいつまで生きる気かなどと、上官が部下を捕まえて嫌味がましく口にする風潮というものが、果たしてアメリカやイギリス、中国の軍隊内にもあったであろうか」(121)

旧日本軍兵士たちは、敵の弾で殺された者の数よりも、間接的な意味も含めれば、味方に殺された数の方が多かったのだと言っても過言ではない。 


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劉慈欣「三体 II 黒暗森林」覚書き

2020.09.09.22:33

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以前第一部を読んだ時に書いたんですが、第二部ようやく読みました。「暗黒森林」ではありません。「黒暗森林」です 笑)

うーむ、これって第三部があるそうで、来年の春に出るらしいけど、この後どうつなぐんだろう? ある意味、この第二部で完結してると思うんですけどね。ただ、第二部で宙ぶらりんのままのエピソードが一つあるから、あれかな? 笑)

第二部は第一部よりストーリーが単純でわかりやすいですね。この後は第二部のネタバレはしませんが、第一部の方のネタバレはちょっとだけ(ホントにちょっとだけ)してるかもしれません。

第一部の最後で三体人が地球に向けて智子(ソフォン)という9次元だか11次元だかの微少な陽子コンピュータ?をいくつも発射して、おかげで人類の行動は筒抜けなのと、なぜかはよくわからないんだけど、それのおかげで科学の進歩を邪魔されて人類は窮地に陥ります。三体人たちは地球侵略のために三体星を大軍団ロケットで出発し、450年後には地球に到着してしまう。

三体の科学力は人類のはるか上を行っていて、しかも上記の陽子コンピュータのおかげで人類の行動はバレバレ。どうやっても勝ち目はない。さあ、人類はどうすれば450年後にやってくる三体人に勝てるのか? 勝てないのか?

まあ、途中の話の展開の気宇壮大さは気持ち良いし、三体軍団の「水滴」という超兵器もSFらしい魅力たっぷり。人類の運命はおそらく後450年だという時の人々の対応や、それに対する「面壁者」という人類の命運を任された4人の作戦、そして最後の、宇宙は「黒暗森林」だ、という結末まで、きっとSFが好きな人なら誰が読んでも絶対面白いです。ただ、やっぱり中国人の名前の読み方がなかなか頭に入らない。第一部の主人公の葉文潔(イエ・ウェンジエ)は「ヨウ・ブンケツ」と読み続けたし、今回の主人公羅輯(ルオ・ジー)は結局最後まで「ラ・ショー」と読んでました 笑)


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プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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