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江馬修「羊の怒る時」

2023.09.23.11:31

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例によって図書館で借りてきました。副題は「関東大震災の三日間」ですが、関東大震災での被災の状況ではなく、その後の一般日本人たちの朝鮮人に対する異常な恐怖と憎悪、呆れるような差別心のドキュメントです。小説と銘打ってますが、作者(この関東大震災を機に社会主義作家になったそうです)が実際に体験したドキュメンタリーと言えます。震災から1年半後に書き終えられています。

震災当日、作者は東京の郊外(といっても初台)に住んでいて、大きな被害には遭わないけど、2日目から朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、暴徒化して乱暴狼藉を働いてると言う流言蜚語(デマ)が出回り始める。

作家で朝鮮人留学生とも知り合いの作者も、当初はそのデマを信じて家に閉じこもって怯えたりする。朝鮮人の暴徒に襲われ、知り合いの朝鮮人が助けてくれるという夢想・幻想すら浮かんだりする。だけど、他の人よりは遥かに早く、こうした話がデマであることを察知、知り合いの朝鮮人留学生を自宅に匿ったりする。

そうなると、もう怖いのは日本人の自警団である。暴徒が襲ってくるから武装して警戒しようと言う連中がまさに暴徒と化しているのである。朝鮮人とみなされた作者は姪の証言で日本人であることが証明される。しかし、自警団の連中は「安心したと言うよりも、むしろがっかりしたように立ち止まっていた。そして恨めしそうに(。。。)こちらを見送っていた。」(167)こんな話が山ほど出てくる。

デマは震災から1週間以上経って、警察がすで暴徒の話は流言蜚語であると言っているにもかかわらず、多くの日本人が相変わらず、朝鮮人が井戸に毒を入れているだの、ガソリンや爆弾を持っているだのと言うデマを信じているのにも、恐ろしいものがある。ここには当時の日本が朝鮮を暴力的に植民地化していたことが、ちょうど反撃に会うのを恐れているいじめっ子のように、逆の意味で暴発したのだろうし、多くの日本人が、朝鮮の植民地化で自分が偉くなったように勘違いして差別的な感性を持っていたこともあったのだろう。第一次世界大戦から5年しか経ってなかったし、戦場で武勲を立てることは美談だっただろうから、自警団もそうした武勲を立てたいという連中が多かったのだろう。デマは最初に警察が流したという説もあるが、そこに多くの日本人が容易に乗ったのはそういうことが原因だったのだろう。

おかげで震災時に崩れた家から赤ん坊を助けた高潔な朝鮮人留学生は、引き留める作者たちを振り切って、自分にはやましいところは微塵もない、自警団といえどもそれをわかってくれるはずだ、と言いながら都心の知り合いのところへ向かい、行方不明になる。

読みながら、ナチス時代にユダヤ人を助けた人たちのことを書いた岡典子の「沈黙の勇者たち」を思い出した。市民的勇気(=市民として善をなす勇気)というやつ。ここに書かれているような状況で、はたしてそんな「市民的勇気」を出せるか? ただ、311でもその後の災害でも、関東大震災時のような大規模なデマが出なかったのは、時代の違いもあるが、多くの日本人にこの時の流言蜚語の知識がある程度根付いていたからではないか? だとすれば何度でもこうした記憶を反芻するべきなんだろうと思う。

しかし、最後の方に出てくる作者の言葉は、そのまま今でも都知事の小池や自民党の官房長官の松野に聞かせてやりたい。

「もとより今度の震災は歴史上稀なるものであるに違いない、(…)しかしそれはそうであるにしても、それは不可抗な自然力の作用によって起こったことで、もとより如何とも仕方がない。運命とでも呼ぶなら呼ぶがいい。しかし朝鮮人に関する問題は全然我々の無知と偏見とから生じたことで、人道の上から言ったら、震災なぞよりもこの方が遥かに大事件であり、大問題であると言わなければならないと思う。」(p.285、下線はアンコウ)

日本人としての自分を律する意味だけでなく、ドキュメンタリー文学として、当時の雰囲気を感じさせ、ものすごい筆力だと思う。

関東大震災朝鮮人虐殺事件については、過去にも何度も書いてるので、興味があればこちらもどうぞ。

加藤直樹「九月、東京の路上で」覚書き
Eテレ ETV特集「関東大震災と朝鮮人」
震災の被害者と虐殺された人の違いがわからない人たち
加藤直樹「トリック」覚書き
今日の東京新聞から、蟲に憑かれた人たち

特に加藤直樹の「トリック」は、虐殺はなかったと言い張る連中の「根拠」が徹底的に潰されて爽快です。最近せやろがいおじさんもYouTubeで解説してますね。



***追記(9/23, 15:20)
少しだけ加筆しました。


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川越宗一「パシヨン」感想文

2023.09.19.11:00

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説ブログで何度か書いたように、若い頃、遠藤周作が大好きでした。「死海のほとり」とか「イエスの生涯」「キリストの誕生」なんかは、くりかえし(と言っても2回 笑)読みました。「沈黙」についても映画と絡めてここで書いたことがありました

その遠藤周作に「鉄の十字架」という小西行長の面従腹背をテーマにした本があって、そんなこともあって、今回この小説を読んでみたわけです。

関ヶ原で負けて刑死した小西行長の孫の小西マンショを中心に、キリシタンバテレンも取り締まる側の井上政重も、そのほか、ほぼ実在の人物を、物語の経緯はたぶん史実にかなり忠実に描いています。

で、やっぱり遠藤周作の影響が強いですね。というか遠藤オマージュの小説とも言えるかも。どこまで史実なのかわからないけど、信仰を捨てて念仏を唱えたとしても後で懺悔すれば許されるとか、信仰を捨てれば殺されない。なのに自分らが(。。。)信心を励ませば【信者たちは】殺される、というマンショの懊悩は遠藤周作のキリスト教だなぁ、と。

沢野忠庵(フェレイラ)がチョコっと出てくるのも、井上政重が、内心までは踏み込まない、形だけでいいと言うのも遠藤周作のオマージュだと思う。ただ、これって史実だとしたら、つまり、井上政重が本当にそう言ったという記録があるんだったら、どうしようものないけど。

ただ、「俺」という一人称が多用される会話の口調や、マンショが一瞬とはいえ井上政重を殺そうとするシーンなども、ちょっとどこか、漫画みたいな感じがします。このあたり、時代の違いもあるだろうけど、ちょっと軽い感じがします。(いや、漫画だからランクが低いなんていうつもりは全くありません。ただジャンルとして漫画と小説は違うと思うんだけどね。)

説ブログで以前にも書いたように、キリスト教の正統的な考えは、死ぬことなんか問題ではなく、天国へ行くことが最終目的なんだから、司祭が命が助かるために、とりあえず信仰を捨てろなんて言わないだろう。キリスト教の聖人聖者の伝説はみんな何があっても信仰を捨てずに殺されちゃうわけだし。。。

と、文句つけてるみたいですが、それなりに面白かったし、読んでいて楽しかったことは間違いなしです。特に遠藤周作なんか読んだことない、という人の方がおもしろく読めるかも??


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松浦寿輝「香港陥落」覚え

2023.04.12.23:29



図書館で、なんとなく題名に惹かれて借りてきてしまいました 笑)ただ、舞台は今の香港ではなく、第二次大戦前後の香港です。

前半は、日本人とイギリス人と中国人の友人同士が、日本がアメリカに宣戦布告する直前、直後、戦後1年ほど経って、会って酒を飲みながら食事をし、その時々の状況に応じて、思わせぶりな会話を重ねます。舞台劇のようで、変な緊迫感があります。

前半は日本人の視点から描かれていますが、後半はイギリス人(正確にはウェールズ人)の視点から書かれていて、新たな人物が登場し、一方で前半の日本人と中国人は遠い噂話のように語られるという作りになっています。

登場人物がすべて一癖も二癖もありながら、結局全て曖昧なまま種明かしはされません。

だけど、会話のテンポも、文章のリズムもとてもよく、読み終わってあっという間だったという感じでした。でも、一方で長い長い旅をしてきたような不思議な気持ちになりました。途中女性の目から見た男の友情が「結局は案外、単純なもの」(p.235) と言われるように、描かれていない背後(戦争)が圧迫感を感じさせながら、それを背景にした友情とその思い出の話です。こういうのは個人的に好きです。


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大江健三郎逝去

2023.03.13.17:24

亡くなったのはもう10日も前のことだそうです。

大江健三郎はたぶん僕や少し上の世代だと読んでいる人は多いと思う。たぶん、読んだことがあるというパーセンテージで言えば、現在の村上春樹を凌駕していたんじゃないかと思う。「同時代ゲーム」が出た時も大いに話題になった。個人的には比較的初期の小説にかなり夢中になった。文章は上手いし、シュールな露悪趣味は好みが分かれるかもしれないけど、僕は特に「芽むしり仔撃ち」は何度か読み直し、最後のところで胸が潰れるような思いを繰り返し感じた。

ただ、これは以前、発禁本 笑)の「セヴンティーン」について書いた時にも言ったんだけど、僕自身は「同時代ゲーム」までで、そこからあとは、本箱にはたくさん並んでいるんだけど読んでない。ノーベル賞を取った時の理由は障がいのある息子との共生を高く評価されたと思うけど、自分が障がいのある子たちの親となったら、返って手に取りにくくなってしまったという感じ。

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なんで写真が歪んでるかというと、本箱下の足場が悪くて手が届かない 笑)

ところで、僕は一回だけ遠くからだけど、生の大江を見ている 笑) 原発反対集会の6万人の中に入ってマイクを握っていたのを100メートルぐらい離れたところから見たことは、2011年9月の拙ブログでも書いている

その後、最近はこういう時代になってしまったから、リベラルな政治意識をはっきりと全面に出した大江健三郎のような人はメディアへの露出度も激減してしまったように思う。だけど、平和運動家としてもそうだろうけど、作家としては昭和から平成への日本文学の代表者だと言っても良いだろう。それも、たぶん桁違いの。

合掌。

追記(3/14,10:20)

今朝の東京新聞の社説で筒井康隆の文言が引用されている。「ずっと大江健三郎の時代だった」
この意味で、僕は平成になってから時代についていってないな、と反省。今年は大江を読むことにします。


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西武豊「そして、よみがえる世界。」

2023.02.11.22:36

いやあ歳のせいか、ぎっくり腰が一向に万全になりません。夕方は大体横になってるので、こんな本を読みました。ネタバレはしません。

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今から十数年先の近未来。ヴァーチャルリアリティ空間が現実の空間と重なって、脊髄損傷によって首から下が動かない主人公の脳外科医が、脳に埋め込む「テレパス」を使って、現実世界では介助ロボットを、VR空間ではアバターを自由に動かし、視力と記憶を失った少女の外科手術を行えるようになっているという設定。

この少女は一体何者なのか、この少女をめぐる七人の登場人物は?? というミステリー。

途中所々に、誰のモノローグかよくわからない章が挟まるんだけど、これって結構ミステリーでやられる手法だよね。以前に書いた(個人的には大傑作だとおもっている)チェコミステリー、コホウトの「プラハの深い夜」葉真中顕の「絶叫」に似てる。

VRの世界って時々TVなんかでもアイマスクみたいなのをかぶってゲームをしている人を見るけど、実際にやったことがないので、この小説にあるようなリアリティがあるのかよくわからない。ただ、こういう世界が小説の舞台になるんだなぁ、と爺っ様は感じた。

ただ、途中でふと、こんな話読んだことがある、と連想したのは大友克洋の漫画。有名な「アキラ」の前の「ファイアーボール」という漫画がなんとなく思い出された。と言いながらファイアーボールの内容はあまりはっきり覚えてないんだけどね 笑) 

個人的意見としては、最後がちょっと拍子抜けだし、後味もあまりよくないけど、前半はかなり楽しめた。でも、種明かしと活劇になる後半は、あまり乗れなかったかなぁ。


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佐藤亜紀「喜べ、幸なる魂よ」

2023.01.30.19:11

恒例のぎっくり腰。拙ブログはもうすぐ14年目に突入ですが、いったい何回やってますかね? 都合何日寝込んでいるんだろう? そのうち数えてみましょう 苦笑)

というわけで横になって読んでたのがこの本。



表紙と裏表紙を合わせると、いや合わせなくても色合いだけでブリューゲルの狩人の帰還の左右逆のパロディだってわかる。ちなみに本を開いてパソコンのBGと並べるとこんな。

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まあ、以前も書いたけど、この狩人の帰還をパソコンのバックグラウンドにしている僕としては、この表紙だけでも読んでみたくなりますが、17世紀半ばから末までの話なので、16世紀半ばのブリューゲルのこの絵はちょっとどうかなぁ。。。笑)

1750年ごろから1790年代中頃までのフランドルのヘントの南、たぶん架空の街(?)シント・ヨリスを舞台に亜麻糸商のファン・デール家の双子の姉弟のヤネケとテオと、養子で引き取った一つ年上のヤン・デ・ブルークの話。

この佐藤亜紀という人の小説、以前拙ブログでも「スウィングしなけりゃ意味がない」というナチスの時代のハンブルクを舞台にした小説を紹介したことがありました。あの時も感じたんだけど、会話の口調が現代風なのはわざとなんでしょうね。今回は特にヤネケ(女性)のセリフが『〜なのよ』みたいな女性言葉はほぼ使わない。なんとなく進撃の巨人のミカサのセリフっぽかった 笑) まあ、このこの時代のヨーロッパなんてミソジニーが常識だっただろうから、その中で自由に生きる女性としての言葉遣いってことなのだろうけど。。。

お話は養子のヤンと双子の姉のヤネケがデキちゃって子供が生まれると、ヤネケはベギン会という、片足を修道院に、もう片足は世間に置いてるような、緩い修道院みたいな組織に入ってしまう。で、そこで何をするかというと、これが学問。ヴォルテールやライプニッツやアダム・スミスを読み、ハレー彗星の軌道計算をしているフランスアカデミーの女性数学者と文通しながら、自ら「確率論」や「富の数学的原理」という本を、弟のテオやヤンの名前で出版して、ヴォルテールから手紙をもらったりする。

フランスだとこの本にも出てくるように女性の学者というのが実際いたようだけど、フランドルだから 笑) 学問に取り憑かれてしまった、そもそもが才能豊かなヤネケに対して、ヤンの方は未練たらたらなんだけど、彼女の自由を尊重し、彼女との間にできた子供レオを引き取り、自分は結局2回の幸福な結婚生活を送って、いよいよ60も近くなり、だけどヤンはまだヤネケに対する思いを断ち切れない。。。いろんな人が登場しては退場していき、そして時代は、イギリスの産業革命とラッダイトの波がフランドルにもおしよせてくる予感の中、ベギン会もヤンの亜麻糸や織布の世界も変わっていくだろうということが暗示され、最後はフランス革命があって、フランス共和国軍によるベルギー占領の時代。。。

まあ、ネタバレはしてません。ヤンの二度の結婚も最初の登場人物紹介を見ればわかるしね。個人的には舞台がフランドルというのが魅力的だし、ベギン会のベギンホーフは昔旅行でブリュージュで見たことがあるし、ベギン会の女性たちの生活も興味深いし、なによりこういう長い時の流れの中で展開していく話は、この年になるとそれだけでも心打つものがある。


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森達也「千代田区一番一号のラビリンス」

2022.07.30.14:10

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ネタバレしてませんが、これから読むつもりなら読まない方がいいかも 笑)



森達也のこれまでの本を読んできた人なら、最初の方で、ああ、あの話ね、と思うでしょう。前半は、以前深夜のドキュメンタリー枠で憲法1条を映像化しようとして失敗した話が、たぶん実名でそのままリアルに再現されています。どこまで事実かわからないけど。主人公は森克也という名で年齢はアラフォーだから、そのへんの設定は作り物だけど、過去にオウムを映像化していることになっているし、是枝裕和をはじめ、TV業界、映像業界の人たちが、おそらく、実名でどんどん登場します。

なにより天皇皇后(現上皇と上皇后)が明仁、美智子でそのまま登場するってのがこの小説のポイントでしょうか。いや、天皇が出てくる小説って、僕がすぐに思い出せるのは大江健三郎(題名は思い出せないけど、天皇が「あの人」と呼ばれて場面に登場するシーンがあった)や、僕は読んでないけど深沢七郎は大事件になったし、最近では高橋源一郎の「恋する原発」や、あるいは若杉冽の「原発ホワイトアウト」だったか、憲法改正の公布を拒否する天皇が登場してました。だけど、この小説では、そうしたチョイ役で出てくるのではなく、この二人が森克也とともに主人公でもあるわけです。

さらに中盤からは山本太郎が重要な役割で登場します。森達也は山本太郎の応援メッセージを出したぐらいだし、ここに描かれている山本太郎は実物そのままなんだろうと思わせます。ここ大切だから 笑)

森達也の本に「オカルト」というのがあったけど、この小説を読みながら、それも連想しました。これは最初の方から出てくるから、ネタバレにならないと思うけど、カタシロという日本にしか出現しない超常現象じみたものが出てくるんですね。なにか日本の「世間」とか「タブー」とか「穢れ」の比喩なんだろうけど。さらに皇居の地下のラビリンスを天皇皇后と共に行くところなんか、タルコフスキーの映画の「ストーカー」のゾーンなんかを思い出したりしました 笑) そういやあ、この小説の最後も雨が降ります 笑) タルコフスキーの雨も清めの意味があるから、その点でも共通してるかな 苦笑)

冒頭から登場する天皇皇后のイメージは誰でも納得するんじゃないでしょうか。きっとここに描かれているような人なんだろうと思う。途中からはこの二人の冒険みたいなはちゃめちゃな感じになるけど、最後の方、のこり40ページぐらいから、ちょっと色々物足りなくなりました。カタシロが「穢れ」だとすれば、ラストはピタッとはまって納得できるけど、あの自民党・電通・高天原の標識 笑)は、もっと膨らませてほしかったなぁ。

でもそこまでは、途中でやめられなくなったぐらい面白かった。ただ、森達也の文章ってかなりクセがあるんだよね。そのクセある文体が小説にはそぐわないような気がするんだけど。

最後に、僕の天皇についての考えは以前に書きました。天皇制私感へ


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「隣人ヒトラー」覚書き

2022.02.20.17:28



1929年から1939年、第二次大戦が始まる直前まで、ミュンヘンのヒトラーの住んでいたアパートの向かいに住んでいた少年の回想という形をとったドキュメンタリー/小説。

1929年は世界的大恐慌の時代。ドイツも御多分に洩れず破産者や失業者が溢れかえるが、主人公は、裕福なユダヤ人の編集者の父を持つ5歳の少年である。著名な作家レオン・フォイヒトヴァンガーを叔父に持ち、自分のお世話係の娘がいて、ピアノを習い、クラスの友人からは誕生日に招待されたり、別荘で過ごしたりしている幸せな少年。

その少年を2012年94歳の時点でフランス人ジャーナリストがインタビューし、それに基づいて書かれたのがこの本である。当時5歳から15歳までの時代のことだから、この本に書かれているほど明確な記憶があったとは思えないので、当時の歴史的な出来事についてはかなり補われているのだろう。そういう意味で純粋なドキュメンタリーとは言えないかな。

1933年にヒトラーが首相になり、国会議事堂が放火されて、前回も書いた全権委任法(ヒトラーに全権力を委任する法律)が成立する。共産党員は逮捕され、ユダヤ人はどんどん肩身の狭い状況になり、ヒトラーの地位が安泰となったところで、ナチスのチンピラ組織の突撃隊が粛清される。1935年にはユダヤ人の定義をきめ、公職からユダヤ人を排除したり、ユダヤ人の元でドイツ人が働くことを禁じるニュルンベルク法ができる。

こうした時代の変化の中で、少年はクラスでは存在しないもののように無視されるようになっていく。

うーん、読みながら今の日本のことを連想した。なんというか、みんなおかしいと思っているはずなのに、なんとなく流されていく時代の流れ。みんながヒトラー万歳だったわけではないのに、みんながユダヤ人を嫌っていたわけではないのに、なんとなくその時代の流れに押し流されざるを得ず、ユダヤ人との付き合いをやめていく。

先日も山本太郎の記者会見の時に書いたように、ヒトラーが首相になった時のナチスの得票率は33%で、議席数は195、6だった。それに対して共産党と社民党を合わせると220を超えた。もちろん上記のように国会議事堂の放火というナチスにとってまたとない好機を利用して独裁へ繋げていったわけだけど、でも、やっぱり1/3の支持率で独裁が可能になったのは、最も民主的と言われたワイマール憲法に緊急事態条項にあたるものがあったからだ。

また、この本でも最初の方ででてきたけど、南ドイツのミュンヘンでは最初からものすごいヒトラー人気だったようだけど、北東の首都ベルリンへ行くと、最初の頃はまだユダヤ人に対する露骨な差別もなく、ナチスも大手を振って威張り散らしていたわけではない。つまり、ナチスも最初は南ドイツの地方政党だったわけだ。

そして一般の人たちの間にも、別段強い反ユダヤ意識があったわけではなかった。つまり、ヒトラーはユダヤ人(当時のドイツでは2%弱)を仮想敵にして、共産主義者はユダヤ人だ、第一次大戦で反乱を起こして敗戦をもたらしたのはユダヤ人だ、ワイマール共和国を率いてドイツを混乱させたのはユダヤ人だ、と少数派の人々をバッシングをし、独裁こそ決められる政治だを旗印に、マスメディアを最大限利用して宣伝工作で人々の耳目を集めて、多少のがあろうが法律に触れようが、無名よりは悪名の方が良いとばかりに名を上げていった。

むろんその後の失業者の激減を喧伝することによって、ナチスは勢力を伸ばしていく。ちなみにヒトラーの経済政策を誉める人がいるけど、失業者の数が減ったことには数字のトリックがあるというのが最近の研究の成果だそうだ。だから、実際は「やってる感」をアピールして人気取りに使っていたわけだ。

アンダーラインを引いたところだけでも、どっかと似てるよねぇ 笑)

時代の流れは個人ではどうやっても押しとどめることはできない。当たり前のことだけど、なんとも恐ろしい気持ちで読んだ。


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太田愛「天上の葦」

2022.01.22.13:15

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高校時代昼休みになると図書館でこのジョルジュ・ド・ラトゥールの画集を眺めていた時期がありました。大好きでした。まあ、この画家、人間的にはかなり酷えやつだったらしいけど 笑)

というわけで、そのラトゥールの絵が表紙のこのミステリー、その噂を聞いて読みたい本としてだいぶ前からマークしてたんだけど、先日書いたTVドラマの「相棒」の脚本を書いたのが、この小説の作者だと知り、早速読んでみました。

以前映画「新聞記者」で書いたことだけど、やっぱりエンタメは悪役が本当に憎たらしくないといけません。このミステリー小説も、前半のさまざまにミスリードを誘う伏線から、徐々に誰が悪かはっきりしてきて、しかもそれがすげー憎々しいんだわ。ネタバレは絶対避けたいけど、昨今のさまざまな事件を連想させられましたね。

例えば「このような謀略は警察官の仕事ではない。これを許しては、自分はもはや警察官ではなくなる」(下 131) なんてセリフ。きっと公文書改竄させられた赤木さんもこんなふうに考えたんだろうなぁ。

探偵の鑓水とアシスタントの若者修司、停職中の警官相馬の3人が、渋谷のスクランブル交差点で死んだ老人のことを調べることと、失踪した公安刑事を捜すという、それぞれ別の依頼を受けて捜査していくと、その二つがつながり、さらに舞台がドカンと変わって、最後は、え?こんなところに繋がるの?という驚きの展開。

まあ、最後の第3部100ページほどは夜中の3時までかけて一気読みでした。ところで、福島の原発のときも感じたけど、いつまでも後悔し続けるのは反対してた人なんだよね。積極的な原発推進派で後悔した人って圧倒的に少数じゃない? 逆にずっと原発に反対していた小出裕章さんみたいな人が爆発した後になんで自分はもっと強く反対しなかったんだろうって後悔したんだよね。

ナチスの時代もそうで、ユダヤ人を積極的に迫害した人たちは戦後になって頬かぶりするか、言い訳をしたのに対して、ユダヤ人を匿った人たちが、たとえば「シンドラーのリスト」のラストの台詞のように「もっとたくさん救えたはずなのに」って後悔する。この小説でも渋谷で死んだ老人と白狐の二人は同じように。。。おっと、ネタバレしない、しない 笑) 

でも、一つだけ、ネタバレに近いかなぁ。。。最後は野党にリークするかと思ったんですがねぇ。。。苦笑)

そう、安倍のもとで作られた秘密保護法から入管法に至るまで、数々の悪法が成立しても、反対している人は考えすぎだと言う人がたくさんいたわけだけど、作者の思いはきっと次のセリフに集約されているんだろうなぁ。

「覚えておいてください。闘えるのは火が小さなうちだけです。」(下 149)


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劉慈欣「三体 III 死神永生」

2021.12.31.22:51

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うーん、4週間前から読み始め、なんとか今年中に読み終わりました。

おかげで今日乗る予定だった自転車は乗れず、今年の総距離は3000キロに5キロ足らず 苦笑)まあ、乗らなかったのはこの本のせいではなく、単純に今日の東京は寒すぎだったからなんですがね。

というわけで、一昨年の3月に I を読み終わりhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3733.html、9月に IIを読んでhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3832.html、それからちょっと間が空いてしまいました。

II の時に、ほぼ完璧にまとまっているかに思われた第二部で一つだけ宙ぶらりんのエピソードがあると書いたんだけど、やっぱりそれが大きな役割を果たしました。しかし、最初から II、II から III とどんどんスケールが大きくなり、この最終巻は… おっと、ネタバレするわけにはいきませんね 笑)

冒頭「時の外の過去」という訳のわからない文章で始まり、本編の間にこの短い文章が挟まります。この文章は一体誰がいつ書いたのかは最後にわかります。しかし、ものすごいスケール 笑) 途中も奇想天外、驚天動地の発想で、そんな馬鹿な!と言う人もいるかもしれませんが 笑) 途中に挟まれるメルヘンが完成度が高いし、それが全体の話とつながって、ときどき思い返されるのも面白いところです。

後半の話のテンポはかなり速く、掩体計画から曲率推進や暗黒領域計画だのと、目眩く思い。そしてラストへ向けて、え? 彼らは?? という気持ちを取り残したまま、ラストのなんとも私好みの終わり方 苦笑) 最後の主人公たちの決断に感動します。ナウシカのラストの、腐海の底の砂地に置かれた航空帽の傍らに芽吹いた双葉のような。。。


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深沢潮「翡翠色の海へうたう」(完全ネタバレ)

2021.11.02.19:49

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戦時中の中国大陸から沖縄へ連れてこられた朝鮮人従軍慰安婦の「わたし」と、現在の、従軍慰安婦の話を書くために沖縄へ取材にやってきた小説家志望の女性「私」の話。

「わたし」は朝鮮の貧しい家庭で、ほぼ騙されて17歳で従軍慰安婦にされ、日本の軍人や士官、将校たちに凌辱され続ける。それはこんなふうに衝撃的に描かれる。「わたしは、ただただ、穴、に、される」(p. 20) 仲間達とはぐれ、戦火の中を死体をふみわけて、家族を失った沖縄の老人に救われ、ガマに逃げ込み大火傷を負いながらもなんとか生き延びて。。。

一方の「私」は30歳の非正規雇用の独身女性で、恋人もなく、エリートの親からは早く結婚しろと言われ、ほぼ等閑視されている。ここまで何度か文学賞に作品を送り、そこそこ認められつつあったが、そもそもが彼女にとって、従軍慰安婦の知識は完全に付け焼き刃なのである。そんな彼女は最後にどんな境地に。。。

以前、震災後を描いた北条裕子の「美しい顔」の時にも思ったけど、やっぱり小説家ってなかなか普通の性格の人間にはできないな、と思う。この「翡翠色〜」でも、途中で沖縄戦の聞き取りをしている女性や、信頼できる友人からもこのテーマについて批判的な言葉を投げかけられるのは、やっぱりこういう理不尽極まりない事実を前にして、小説家のたじろぐ気持ちの言い訳なんだろうと思う。

小説は奇数の章が「わたし」、つまり朝鮮人従軍慰安婦の体験で、偶数の章が「私」の体験と交互に描かれて、最後に現在の「私」が「わたし」と間接的につながる。ここは感動的だった。

ただ、描かれているものの重さ、深刻さに対して、全体的に文章が短く軽い文体なのが気に入らない。現在の「私」の章はこんなふうな現代風のライトな文章でいいとおもうんだけど、朝鮮人慰安婦の「わたし」の章はもっと違う文体にしてほしかったと思った。


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門井慶喜「銀河鉄道の父」

2021.07.22.22:24

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以前にも書いたことがありますが、20代後半か30代初め、夏休み中に岩手県を自転車でツーリングしたことがありました。そのとき花巻空港のそばの主要道路が車が多かったので迂回したら、偶然羅須地人協会の前を通過し、軒先にカタカナで「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という黒板?がぶら下げられているのが見えました。そのまま先に進むと宮沢賢治記念館の案内が見え、せっかくだから寄って行こうと思ったら、急勾配の山の上にあって結構ヒーコラ言いながら登った記憶があります。

文学少年でしたから 笑)宮沢賢治は小学校の学級文庫で銀河鉄道の夜や注文の多い料理店なんかを読んだりしてましたが、実際にきちんと文庫本で読んだのはもう少し後だっただろうと思います。その時詩集の「春と修羅」も読んだけど、記憶に残ったのは「永訣の朝」ぐらいです。でも、その中の「あめゆじゆとてちてけんじゃ」というリフレインは覚えていました。もっとも今回のこの本を読むと、「あめゆじゅ」と読むようです。「あめゆじゆ」の方が5音になって語呂が良さそうですがね。

また、40年近く昔、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」という演劇がTVで放映されたのを見たことがあります。その時宮沢賢治の父親役は佐藤慶。大好きな俳優でした。本箱の奥をゴソゴソやったら本が出てきました。TV放送に感動して買ったのでした。

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上の写真の右が佐藤慶の父、左は賢治役の矢崎滋。

なので、この宮沢賢治の父親の立場に立った小説、読みながら主役の父親は姿も声も佐藤慶でした 笑)

賢治と父の葛藤は有名です。ただ、家業の質屋が嫌で、父に反発して父の信じる浄土真宗に対して、当てつけのように日蓮宗を信奉するという父親側の視点からの賢治は新鮮でした。通常は、賢治の側から、金持ちで人々からも尊敬され、なんでも頭ごなしのウザい父親と見られていたような気がします。また、なにより賢治のことを考え続け、思い続け、悩みながら譲歩し続けた父親の姿に、3年前に他界した私の父のことをいろいろ考えました。その点だけでも読んで良かったと言えます。


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彩瀬まる「やがて海へと届く」

2021.04.28.21:53

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図書館で借りてきました。うーん、すごい小説でした。面白かったと言うと不謹慎と怒る人もいるかもしれません。ネタバレしないように書きますが、東日本大震災で傷ついた二人の親友の娘の、いわば再生の物語です。

あちこちに伏線が張りめぐらされていて、二人の娘の独白の形で話が進みますが、最後の方は本当に感動的です。電車の中で読んでて困りました。出てくる人達の何人かは最初はなんだかわからないのですが、読み進めていくと、あれ?この人は。。。と気が付くことがたくさん出てきます。たとえば「バスは来ない」と教えてくれたおばあさん。

途中からは昔ここでも紹介したコニー・ウィリスの「航海」を連想していました。なんか、雰囲気がそういう感じだったんですよね。

震災から5年でこういう小説が書けるという作者の小説家としての自負というのか勇気というのか、それもすごい。


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辺見庸「月」覚書き

2021.02.07.11:10

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拙ブログでも何度も取り上げた相模原のやまゆり園障害者大量虐殺事件を題材にした小説。何しろ辺見庸だからね、容赦がない。辺見庸は以前南京事件を扱った「1937」について書いたことがあるので、そちらもどうぞ

この小説の語り手は重度重複障害で寝たきりの「かたまり」として存在する男女も年齢も不明の「きーちゃん」。目も見えなければ手足も動かすことができず、時々身体が激痛に襲われるけど、思うことはできる。そのきーちゃんを施設で介護する「さとくん」が、ほぼ現実の相模原事件の犯人をなぞっている。ややネトウヨ的なところもあるが善良で真面目な好青年だ。実在の犯人と同様、世の中をよくするためにはどうすればいいのかを考え、同時に人間とはなんであるかを考え、人間の形をしていても人間ではないものは抹殺すべしとの思いに至る。そしてここにきーちゃんの分身とされる「あかぎあかえ」が幻想のように時空をこえて(?)縦横無尽に現れて「さとくん」と議論し、「さとくん」の暴走も止めようとするのだが。。。

人間は「ある」だけでいいのだと言えるか? 小説の中に頻出するカゲロウのイメージが「この世に存在するだけ」という意味を考えさせる。現代の日本人は「さとくん」の主張に対して、正面から答える(反論する)ことができるだろうか?

現代社会にはおぞましいほど「優生思想」がはびこり、普通の人はそれにほとんど気がつかないか、気がついてもスルーする。役に立つか立たないか、生産性があるかないか、経済効率で考えてプラスマイナスどっちなのか、そんな基準で優劣をつけてはいけないはずである。だけど、その「いけないのだ!」という確信の根拠を言葉にできるだろうか? これをみんなが真剣に考えれば、たとえ答えが出なくとも(むしろ安易に答えを出す必要なんかないと思う)、社会は変わると思う。


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パウゼヴァング「片手の郵便配達人」

2021.01.22.16:47



先日紹介した「ヒトラーの脱走兵」と並行して読んでいた小説。ドイツの森の中に点在する7つの村に郵便を配達する17歳の少年(従軍し左手を失い、故郷に戻って郵便配達夫の仕事についている)の目を通して、1944年8月から1945年5月までの村の人々の様子が淡々と描かれる。

44年8月といえばすでに西ではノルマンディに米英軍が上陸しパリ解放直前、東ではドイツ軍はソ連軍の前にすでに敗走状態で、国防軍によるヒトラー暗殺計画も失敗して講和の可能性もなくなり、あとはドイツが壊滅するのを待つだけの絶望的な状況。狂信的なナチ支持者はヒトラーによる秘密兵器に期待を託すが、一般の人々でそんなものを信じる人はほとんどいない。

そんな中でも主人公は郵便があるかぎり配達を続け、村の人々から信頼され、人々の置かれた事情を黙って見ている。

そもそも主人公を戦時中の郵便配達夫にするという設定だけで、十分感動的な話になるだろうことは、誰にでも予想できる。戦地からの夫や息子、孫の手紙を届ける一方で、戦死の通知も届けなければならない。

手紙を届ける村の人たちの様子が細かく描かれ、狂信的なナチの少女もいれば戦地の息子や夫を案じる女たちもいる。労働援助にきた捕虜のフランス人の子供を身ごもっている戦争未亡人も、主人公と同じ傷痍軍人も、疎開してきた人たちも、戦死した孫を思い認知症になってしまった老女もいる。かなりたくさんの名前が出てきて、一度しか出てこない人もたくさんいるが、何度も出てくる人もいるので、どの村の誰で何をしているかをメモすることをお勧めします。

最後に、正直にいうとあの結末だけは気に入りません 笑)


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劉慈欣「三体 II 黒暗森林」覚書き

2020.09.09.22:33

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以前第一部を読んだ時に書いたんですが、第二部ようやく読みました。「暗黒森林」ではありません。「黒暗森林」です 笑)

うーむ、これって第三部があるそうで、来年の春に出るらしいけど、この後どうつなぐんだろう? ある意味、この第二部で完結してると思うんですけどね。ただ、第二部で宙ぶらりんのままのエピソードが一つあるから、あれかな? 笑)

第二部は第一部よりストーリーが単純でわかりやすいですね。この後は第二部のネタバレはしませんが、第一部の方のネタバレはちょっとだけ(ホントにちょっとだけ)してるかもしれません。

第一部の最後で三体人が地球に向けて智子(ソフォン)という9次元だか11次元だかの微少な陽子コンピュータ?をいくつも発射して、おかげで人類の行動は筒抜けなのと、なぜかはよくわからないんだけど、それのおかげで科学の進歩を邪魔されて人類は窮地に陥ります。三体人たちは地球侵略のために三体星を大軍団ロケットで出発し、450年後には地球に到着してしまう。

三体の科学力は人類のはるか上を行っていて、しかも上記の陽子コンピュータのおかげで人類の行動はバレバレ。どうやっても勝ち目はない。さあ、人類はどうすれば450年後にやってくる三体人に勝てるのか? 勝てないのか?

まあ、途中の話の展開の気宇壮大さは気持ち良いし、三体軍団の「水滴」という超兵器もSFらしい魅力たっぷり。人類の運命はおそらく後450年だという時の人々の対応や、それに対する「面壁者」という人類の命運を任された4人の作戦、そして最後の、宇宙は「黒暗森林」だ、という結末まで、きっとSFが好きな人なら誰が読んでも絶対面白いです。ただ、やっぱり中国人の名前の読み方がなかなか頭に入らない。第一部の主人公の葉文潔(イエ・ウェンジエ)は「ヨウ・ブンケツ」と読み続けたし、今回の主人公羅輯(ルオ・ジー)は結局最後まで「ラ・ショー」と読んでました 笑)


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カルロ・レーヴィ「キリストはエボリで止まった」覚え書

2020.06.08.22:40

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エボリはサレルノの南東に位置する南イタリアの町。キリストはそこまでしか来なかった、そこより南には足を踏み入れなかったと、イタリア最南端に住む人々は自虐的に語る。

地図で見るとエボリはイタリア半島を足に見立てれば、足の甲の少し上あたりにある。そこからさらに南方へ直線距離にしても100キロ以上南方の山の中の寒村、土踏まずあたりにある村に、反ファシズム運動で捕まった主人公(=著者)は流刑になったのである。1930年代後半の戦争が始まる前である。

その地での8ヶ月を、その村の人間模様や周囲の風景、風俗や迷信について書いた小説(?)である。主人公は医学部を出た作家で画家という、いわばインテリなので、まともな医者のいないこの地では流刑囚にも関わらず重用され、尊敬される。

この本を図書館で借りたのは3月末だったけど、コロナで家に閉じ込められ、慣れないパソコン相手の仕事で忙殺されて、最初のところを30ページ読んだところで長い中断を挟んで、やっと昨日読み終わった。

映画のシーンのように明確な像を結ぶ表現があるかと思うと、どうもダラダラと長くてよく頭に入りづらいところもあったけど、それぞれの逸話がかなり面白く読めた。特に前近代的な迷信(と片付けていいのか?)に、なかなか忘れられない話が多い。

洗礼を受けずに死んだ子供たちの霊モナキッキョは害のない悪戯もするけど、山賊が隠した宝のありかを教えてくれたりする。山賊といえば、イタリア独立時には欠かせない存在で、そんな山賊だった者たちの思い出も出てくる。

あるいは人々から雌牛の娘とされる農婦は、夫も子供もいるのに、自分でも雌牛の娘であることを認めていたりする。名前が呪術的な力を持っていて、現実に作用すると考えられていたりもする。人狼を排除するためのしきたりとか、親族が亡くなった時の泣き女みたいな儀式とか、どれも何か寂しく懐かしい童話のような話が色々出てくる。

「羊飼いたちの古い神々、つまり雄山羊や儀礼用の子羊は毎日人々の通う道を走り回っており、動物や怪物の神秘的世界と人間を分ける確固たる境界は存在しない」(p.156)

だから人と動物は対等なのである。

「見捨てられた村に、ある動物的魔力が広がっているように思えた。正午の静かさの中に、不意に、ある騒音が響いたが、それはゴミの中で転げ回っている雌豚の音であることが分かった。そしてロバの争いえない鳴き声が大きく響き、それがこだまとなって、男根風のグロテスクな不安を掻き立てながら、鐘の音よりもずっと良くとどろき渡った。」(92)なんていう描写はとても映像的な感じがしたけど、どうでしょう?

こういう迷信世界って昔魔女展で色々見たな、と思ったら、案の定魔女たちも出てくる。結局キリストがここまで来なかったおかげで魔女たちも大手を振って薬草を調合したり、呪文を唱えたりできたのだろう。

他にも、拙ブログとしては自転車選手になることを夢見ている労働者の青年とか、自転車キャップをかぶって仕事をしている修理工が出てきたりして楽しかった。

しかし、当時のイタリアでは、ムッソリーニに反抗した人たちって、南部の僻村への流刑っていう軽い(?)処罰で済んだのね。しかも8ヶ月ほどでエチオピア戦争勝利の恩赦で解放されるし。この後戦争が始まってからのことを考えれば信じられないユルさである。

なお、村人の名前はメモしておいたほうがいいです。たくさん出てくるし、しかも忘れた頃に再び出てきたりします 苦笑)


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劉慈欣「三体」覚書き

2020.03.25.18:25


世界的にヒットした中国製のSFです。ファーストコンタクトものと言うのかなぁ。読み終えて、いろんなSF小説や映画の事を連想しました。思い出してみれば、高校時代なんてSF小説ばっかり読んでたからなぁ。

ラインスターの古典的なSFに「最初の接触」と言うファーストコンタクト(これが原題)の小説があって、初めて人類が異星人と宇宙で相対した時の短編小説がありました。オチは結構がっかりしましたが 笑) まあ、ファーストコンタクトものはアーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」が白眉で、その後2001年にしてもソラリスにしても、あるいはここにも書いた映画「メッセージ」でも、ある意味初めて出会った異星人にどう対処するかの話ではありましたからね。きっと他にもいっぱいある事でしょう。

また、アシモフのやはり古典的な傑作とされる短編に、太陽が6つある惑星を舞台にして、何千年ぶりかに6つの太陽が全て隠れる暗黒の夜がやってくる前夜という「夜来たる」というのもありましたから、この「三体」の倍の数の太陽です 笑)

そして、異星人による地球侵略のお話はそれこそ小説にも映画にも漫画にも山ほどあるでしょう。

「三体」は3つ太陽がある惑星という、僕らには想像もつかないような過酷な気象条件にさらされ、何百回と文明を進化させては滅亡させてきた三体人に対し、電波によってファーストコンタクトした主人公?の物理学者の女性がどう反応するかがポイントで、これまであまり見たことのないような驚きでした。彼女は文化大革命によりエリートの父親を殺され、自らも反革命分子として地方で樹木の伐採作業に従事させられるという辛い人生を送っていて、その彼女が、どうするか、これは僕は読んでいて、おおっ!すごい!と思いましたね。同時に今の時代の空気もこの女性の対応を納得させるものがあるのかもしれません。

ネタバレしてはまずいので内容については触れません。冒頭の文化大革命での、少数の敵を見つけた時の人々の暴走ぶりのおぞましさもあれば、現代の、写真のフィルムに写し出されるカウントダウンの話など、ちょっとホラーっぽいところもあり、また傍若無人の警察官によるハードボイルドなところもあり、繰り返し描かれるヴァーチャルリアリティゲーム「三体」のSFらしい世界もあり、読者を飽きさせません。

ただ、最後の「古箏作戦」の章の展開の速さはどうでしょうかねぇ。それまでの時間的な流れの緩やかさに対して、え? これで終わり? って感じで、その後に続く種明かしと言っていいのか、あちこちに張られた伏線が解決つくようになっているんだけど、そこもちょっとあっさりしているような印象かなぁ。でも、まだ二冊も続編があるらしいので、それは出版されれば絶対読むでしょう。


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チョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」覚書き

2020.03.06.10:01

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何度か書いたけど、在日韓国・朝鮮人作家の作品は、若い頃に随分たくさん読んだ。最近でもチェシルの「ジニのパズル」については拙ブログでも書いた。だけど、韓国語の翻訳小説はひょっとしたら初めてかも。

前半はムチャ面白かった。自分の子供の頃を思い出して、クスッと笑えるところがたくさんあって楽しかった。後半、結婚後の話は、もろに自分のことを思い出させられて、結構辛かった 笑)「進歩的な男性」のポーズをとりたいわけではないけど、僕も主人公の旦那のチョン・デヒョン氏程度かなぁ。。。もう少し「進歩的」だと思いたいところだけど。 ちょっとしょってる?? 笑)

昔、独身時代にフェミニストの富岡多恵子の「波打つ土地」という、男と女の立場を真逆にしたような形で話が進む結構過激な小説を読んだことがあった。細かい内容はまるで覚えてないけど、読みながらフェミニストの男性に対する苛立ちが少しわかったような気がしながらも、どこか納得できないと思った覚えがある。あくまでもその時の気分だけが記憶に残っているんだけど。。。

そこから考えるとこの小説のフェミニズムは随分わかりやすいし、説得力も上がってるように思う。時代も追いついてきたんだろうけど、こちらも3人の娘の親になったこともあるのかな?

最初と最後が現在で、いわゆる「枠小説」(って今ではあまり言わなくなったね)で、間に主人公キム・ジヨンの生まれてから現在に至るまでの女性ならではの人生とその時々の韓国社会の様子が描かれる。女性として生まれてきたことによる様々な不利益は、かつての日本でも当てはまるんだろうけど、儒教的価値観がかなり強く残っている韓国より現在の日本は随分マシ、と言えるかどうか。。。人のふり見て我がふり直せ。

自民党の女性議員を別にすれば 笑)、普通の女性なら絶対面白く読めるだろうと思う。なかなか連れ合いに勧めたいとは思わないけど 苦笑)そして、男性は自分の「進歩度」が試されるかなぁ 笑)

ところで、韓国人の名前をカタカナで書かれると、なかなか覚えられないし、そもそも男か女かの判別がつきません。登場人物で名前のある人は少数だけど、それでもメモしながら読んだ方が良いでしょう。


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古川真人「ラッコの家」(ネタバレ)

2019.09.26.23:42



この作者は相模原事件について考え続けているというので、図書館で借りてきました。

表題作は、主人公は80前の老女で、一人称ではないけど、この老女の意識の流れのように、文章は句点を少なくしてズルズル続いていきます。九州地方で一人暮らしをしている主人公のところに姪たちがやってきて世間話をしていくんだけど、その合間にその現時点の出来事の延長のように過去の記憶や夢が混じり込みます。それがとても巧みで、心地よいです。例えば、寝入り端にラジオを聴きながら夢うつつで物を考えていると、ラジオは朝の番組をやっていて、自分が寝ていたことに気がつくなんていうシーン。

他にも、どこか映画的で、ベルイマンの「野いちご」を連想しました。そこにさりげなく姪の子供に全盲の子供がいて、そこに不要な人間というキーワードが出てきます。表題のラッコも上手い具合に最後のオチ?につながります。上手いです。

もう1つ収録されている「窓」(こちらの方が長い)という作品は道具立てがわかりやすいです。全盲の兄と暮らしている小説家志望の無職の青年が主人公で、兄は全盲ながら企業に就労しているので、主人公が兄の送り迎えを担当しているという設定(全盲の兄の描写が、全盲の娘がいる私にとっては「あるある」で(特に兄の友人たちとのやりとりの、どこかのんびりした悠長な感じ)、おそらく作者の実体験だろうと思います)。

主人公は兄のためを思って、近所で起きた孤独死についても、あるいは相模原の事件についても話題にせず、いわば「窓」を締め切ったまま、社会の不快な出来事を遮断して、兄を守ろうとします。障害者を守るという意識がぐるりと回って「差別」に繋がってしまうのではないか、ということに気がついた主人公が「窓」を開けるというとても気持ちの良い清々しい終わり方。

そして、「ラッコの家」であったような現実と夢がいつの間にか入れ替わっているような眩暈感が、ここでもありますが、こちらはクリストファー・ノーランの「インセプション」という映画にあったような多重夢的な感じで、この人の持ち味なのかもしれません。

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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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