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森達也「千代田区一番一号のラビリンス」

2022.07.30.14:10

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ネタバレしてませんが、これから読むつもりなら読まない方がいいかも 笑)



森達也のこれまでの本を読んできた人なら、最初の方で、ああ、あの話ね、と思うでしょう。前半は、以前深夜のドキュメンタリー枠で憲法1条を映像化しようとして失敗した話が、たぶん実名でそのままリアルに再現されています。どこまで事実かわからないけど。主人公は森克也という名で年齢はアラフォーだから、そのへんの設定は作り物だけど、過去にオウムを映像化していることになっているし、是枝裕和をはじめ、TV業界、映像業界の人たちが、おそらく、実名でどんどん登場します。

なにより天皇皇后(現上皇と上皇后)が明仁、美智子でそのまま登場するってのがこの小説のポイントでしょうか。いや、天皇が出てくる小説って、僕がすぐに思い出せるのは大江健三郎(題名は思い出せないけど、天皇が「あの人」と呼ばれて場面に登場するシーンがあった)や、僕は読んでないけど深沢七郎は大事件になったし、最近では高橋源一郎の「恋する原発」や、あるいは若杉冽の「原発ホワイトアウト」だったか、憲法改正の公布を拒否する天皇が登場してました。だけど、この小説では、そうしたチョイ役で出てくるのではなく、この二人が森克也とともに主人公でもあるわけです。

さらに中盤からは山本太郎が重要な役割で登場します。森達也は山本太郎の応援メッセージを出したぐらいだし、ここに描かれている山本太郎は実物そのままなんだろうと思わせます。ここ大切だから 笑)

森達也の本に「オカルト」というのがあったけど、この小説を読みながら、それも連想しました。これは最初の方から出てくるから、ネタバレにならないと思うけど、カタシロという日本にしか出現しない超常現象じみたものが出てくるんですね。なにか日本の「世間」とか「タブー」とか「穢れ」の比喩なんだろうけど。さらに皇居の地下のラビリンスを天皇皇后と共に行くところなんか、タルコフスキーの映画の「ストーカー」のゾーンなんかを思い出したりしました 笑) そういやあ、この小説の最後も雨が降ります 笑) タルコフスキーの雨も清めの意味があるから、その点でも共通してるかな 苦笑)

冒頭から登場する天皇皇后のイメージは誰でも納得するんじゃないでしょうか。きっとここに描かれているような人なんだろうと思う。途中からはこの二人の冒険みたいなはちゃめちゃな感じになるけど、最後の方、のこり40ページぐらいから、ちょっと色々物足りなくなりました。カタシロが「穢れ」だとすれば、ラストはピタッとはまって納得できるけど、あの自民党・電通・高天原の標識 笑)は、もっと膨らませてほしかったなぁ。

でもそこまでは、途中でやめられなくなったぐらい面白かった。ただ、森達也の文章ってかなりクセがあるんだよね。そのクセある文体が小説にはそぐわないような気がするんだけど。

最後に、僕の天皇についての考えは以前に書きました。天皇制私感へ


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「隣人ヒトラー」覚書き

2022.02.20.17:28



1929年から1939年、第二次大戦が始まる直前まで、ミュンヘンのヒトラーの住んでいたアパートの向かいに住んでいた少年の回想という形をとったドキュメンタリー/小説。

1929年は世界的大恐慌の時代。ドイツも御多分に洩れず破産者や失業者が溢れかえるが、主人公は、裕福なユダヤ人の編集者の父を持つ5歳の少年である。著名な作家レオン・フォイヒトヴァンガーを叔父に持ち、自分のお世話係の娘がいて、ピアノを習い、クラスの友人からは誕生日に招待されたり、別荘で過ごしたりしている幸せな少年。

その少年を2012年94歳の時点でフランス人ジャーナリストがインタビューし、それに基づいて書かれたのがこの本である。当時5歳から15歳までの時代のことだから、この本に書かれているほど明確な記憶があったとは思えないので、当時の歴史的な出来事についてはかなり補われているのだろう。そういう意味で純粋なドキュメンタリーとは言えないかな。

1933年にヒトラーが首相になり、国会議事堂が放火されて、前回も書いた全権委任法(ヒトラーに全権力を委任する法律)が成立する。共産党員は逮捕され、ユダヤ人はどんどん肩身の狭い状況になり、ヒトラーの地位が安泰となったところで、ナチスのチンピラ組織の突撃隊が粛清される。1935年にはユダヤ人の定義をきめ、公職からユダヤ人を排除したり、ユダヤ人の元でドイツ人が働くことを禁じるニュルンベルク法ができる。

こうした時代の変化の中で、少年はクラスでは存在しないもののように無視されるようになっていく。

うーん、読みながら今の日本のことを連想した。なんというか、みんなおかしいと思っているはずなのに、なんとなく流されていく時代の流れ。みんながヒトラー万歳だったわけではないのに、みんながユダヤ人を嫌っていたわけではないのに、なんとなくその時代の流れに押し流されざるを得ず、ユダヤ人との付き合いをやめていく。

先日も山本太郎の記者会見の時に書いたように、ヒトラーが首相になった時のナチスの得票率は33%で、議席数は195、6だった。それに対して共産党と社民党を合わせると220を超えた。もちろん上記のように国会議事堂の放火というナチスにとってまたとない好機を利用して独裁へ繋げていったわけだけど、でも、やっぱり1/3の支持率で独裁が可能になったのは、最も民主的と言われたワイマール憲法に緊急事態条項にあたるものがあったからだ。

また、この本でも最初の方ででてきたけど、南ドイツのミュンヘンでは最初からものすごいヒトラー人気だったようだけど、北東の首都ベルリンへ行くと、最初の頃はまだユダヤ人に対する露骨な差別もなく、ナチスも大手を振って威張り散らしていたわけではない。つまり、ナチスも最初は南ドイツの地方政党だったわけだ。

そして一般の人たちの間にも、別段強い反ユダヤ意識があったわけではなかった。つまり、ヒトラーはユダヤ人(当時のドイツでは2%弱)を仮想敵にして、共産主義者はユダヤ人だ、第一次大戦で反乱を起こして敗戦をもたらしたのはユダヤ人だ、ワイマール共和国を率いてドイツを混乱させたのはユダヤ人だ、と少数派の人々をバッシングをし、独裁こそ決められる政治だを旗印に、マスメディアを最大限利用して宣伝工作で人々の耳目を集めて、多少のがあろうが法律に触れようが、無名よりは悪名の方が良いとばかりに名を上げていった。

むろんその後の失業者の激減を喧伝することによって、ナチスは勢力を伸ばしていく。ちなみにヒトラーの経済政策を誉める人がいるけど、失業者の数が減ったことには数字のトリックがあるというのが最近の研究の成果だそうだ。だから、実際は「やってる感」をアピールして人気取りに使っていたわけだ。

アンダーラインを引いたところだけでも、どっかと似てるよねぇ 笑)

時代の流れは個人ではどうやっても押しとどめることはできない。当たり前のことだけど、なんとも恐ろしい気持ちで読んだ。


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太田愛「天上の葦」

2022.01.22.13:15

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高校時代昼休みになると図書館でこのジョルジュ・ド・ラトゥールの画集を眺めていた時期がありました。大好きでした。まあ、この画家、人間的にはかなり酷えやつだったらしいけど 笑)

というわけで、そのラトゥールの絵が表紙のこのミステリー、その噂を聞いて読みたい本としてだいぶ前からマークしてたんだけど、先日書いたTVドラマの「相棒」の脚本を書いたのが、この小説の作者だと知り、早速読んでみました。

以前映画「新聞記者」で書いたことだけど、やっぱりエンタメは悪役が本当に憎たらしくないといけません。このミステリー小説も、前半のさまざまにミスリードを誘う伏線から、徐々に誰が悪かはっきりしてきて、しかもそれがすげー憎々しいんだわ。ネタバレは絶対避けたいけど、昨今のさまざまな事件を連想させられましたね。

例えば「このような謀略は警察官の仕事ではない。これを許しては、自分はもはや警察官ではなくなる」(下 131) なんてセリフ。きっと公文書改竄させられた赤木さんもこんなふうに考えたんだろうなぁ。

探偵の鑓水とアシスタントの若者修司、停職中の警官相馬の3人が、渋谷のスクランブル交差点で死んだ老人のことを調べることと、失踪した公安刑事を捜すという、それぞれ別の依頼を受けて捜査していくと、その二つがつながり、さらに舞台がドカンと変わって、最後は、え?こんなところに繋がるの?という驚きの展開。

まあ、最後の第3部100ページほどは夜中の3時までかけて一気読みでした。ところで、福島の原発のときも感じたけど、いつまでも後悔し続けるのは反対してた人なんだよね。積極的な原発推進派で後悔した人って圧倒的に少数じゃない? 逆にずっと原発に反対していた小出裕章さんみたいな人が爆発した後になんで自分はもっと強く反対しなかったんだろうって後悔したんだよね。

ナチスの時代もそうで、ユダヤ人を積極的に迫害した人たちは戦後になって頬かぶりするか、言い訳をしたのに対して、ユダヤ人を匿った人たちが、たとえば「シンドラーのリスト」のラストの台詞のように「もっとたくさん救えたはずなのに」って後悔する。この小説でも渋谷で死んだ老人と白狐の二人は同じように。。。おっと、ネタバレしない、しない 笑) 

でも、一つだけ、ネタバレに近いかなぁ。。。最後は野党にリークするかと思ったんですがねぇ。。。苦笑)

そう、安倍のもとで作られた秘密保護法から入管法に至るまで、数々の悪法が成立しても、反対している人は考えすぎだと言う人がたくさんいたわけだけど、作者の思いはきっと次のセリフに集約されているんだろうなぁ。

「覚えておいてください。闘えるのは火が小さなうちだけです。」(下 149)


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劉慈欣「三体 III 死神永生」

2021.12.31.22:51

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うーん、4週間前から読み始め、なんとか今年中に読み終わりました。

おかげで今日乗る予定だった自転車は乗れず、今年の総距離は3000キロに5キロ足らず 苦笑)まあ、乗らなかったのはこの本のせいではなく、単純に今日の東京は寒すぎだったからなんですがね。

というわけで、一昨年の3月に I を読み終わりhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3733.html、9月に IIを読んでhttp://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3832.html、それからちょっと間が空いてしまいました。

II の時に、ほぼ完璧にまとまっているかに思われた第二部で一つだけ宙ぶらりんのエピソードがあると書いたんだけど、やっぱりそれが大きな役割を果たしました。しかし、最初から II、II から III とどんどんスケールが大きくなり、この最終巻は… おっと、ネタバレするわけにはいきませんね 笑)

冒頭「時の外の過去」という訳のわからない文章で始まり、本編の間にこの短い文章が挟まります。この文章は一体誰がいつ書いたのかは最後にわかります。しかし、ものすごいスケール 笑) 途中も奇想天外、驚天動地の発想で、そんな馬鹿な!と言う人もいるかもしれませんが 笑) 途中に挟まれるメルヘンが完成度が高いし、それが全体の話とつながって、ときどき思い返されるのも面白いところです。

後半の話のテンポはかなり速く、掩体計画から曲率推進や暗黒領域計画だのと、目眩く思い。そしてラストへ向けて、え? 彼らは?? という気持ちを取り残したまま、ラストのなんとも私好みの終わり方 苦笑) 最後の主人公たちの決断に感動します。ナウシカのラストの、腐海の底の砂地に置かれた航空帽の傍らに芽吹いた双葉のような。。。


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深沢潮「翡翠色の海へうたう」(完全ネタバレ)

2021.11.02.19:49

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戦時中の中国大陸から沖縄へ連れてこられた朝鮮人従軍慰安婦の「わたし」と、現在の、従軍慰安婦の話を書くために沖縄へ取材にやってきた小説家志望の女性「私」の話。

「わたし」は朝鮮の貧しい家庭で、ほぼ騙されて17歳で従軍慰安婦にされ、日本の軍人や士官、将校たちに凌辱され続ける。それはこんなふうに衝撃的に描かれる。「わたしは、ただただ、穴、に、される」(p. 20) 仲間達とはぐれ、戦火の中を死体をふみわけて、家族を失った沖縄の老人に救われ、ガマに逃げ込み大火傷を負いながらもなんとか生き延びて。。。

一方の「私」は30歳の非正規雇用の独身女性で、恋人もなく、エリートの親からは早く結婚しろと言われ、ほぼ等閑視されている。ここまで何度か文学賞に作品を送り、そこそこ認められつつあったが、そもそもが彼女にとって、従軍慰安婦の知識は完全に付け焼き刃なのである。そんな彼女は最後にどんな境地に。。。

以前、震災後を描いた北条裕子の「美しい顔」の時にも思ったけど、やっぱり小説家ってなかなか普通の性格の人間にはできないな、と思う。この「翡翠色〜」でも、途中で沖縄戦の聞き取りをしている女性や、信頼できる友人からもこのテーマについて批判的な言葉を投げかけられるのは、やっぱりこういう理不尽極まりない事実を前にして、小説家のたじろぐ気持ちの言い訳なんだろうと思う。

小説は奇数の章が「わたし」、つまり朝鮮人従軍慰安婦の体験で、偶数の章が「私」の体験と交互に描かれて、最後に現在の「私」が「わたし」と間接的につながる。ここは感動的だった。

ただ、描かれているものの重さ、深刻さに対して、全体的に文章が短く軽い文体なのが気に入らない。現在の「私」の章はこんなふうな現代風のライトな文章でいいとおもうんだけど、朝鮮人慰安婦の「わたし」の章はもっと違う文体にしてほしかったと思った。


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門井慶喜「銀河鉄道の父」

2021.07.22.22:24

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以前にも書いたことがありますが、20代後半か30代初め、夏休み中に岩手県を自転車でツーリングしたことがありました。そのとき花巻空港のそばの主要道路が車が多かったので迂回したら、偶然羅須地人協会の前を通過し、軒先にカタカナで「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という黒板?がぶら下げられているのが見えました。そのまま先に進むと宮沢賢治記念館の案内が見え、せっかくだから寄って行こうと思ったら、急勾配の山の上にあって結構ヒーコラ言いながら登った記憶があります。

文学少年でしたから 笑)宮沢賢治は小学校の学級文庫で銀河鉄道の夜や注文の多い料理店なんかを読んだりしてましたが、実際にきちんと文庫本で読んだのはもう少し後だっただろうと思います。その時詩集の「春と修羅」も読んだけど、記憶に残ったのは「永訣の朝」ぐらいです。でも、その中の「あめゆじゆとてちてけんじゃ」というリフレインは覚えていました。もっとも今回のこの本を読むと、「あめゆじゅ」と読むようです。「あめゆじゆ」の方が5音になって語呂が良さそうですがね。

また、40年近く昔、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」という演劇がTVで放映されたのを見たことがあります。その時宮沢賢治の父親役は佐藤慶。大好きな俳優でした。本箱の奥をゴソゴソやったら本が出てきました。TV放送に感動して買ったのでした。

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上の写真の右が佐藤慶の父、左は賢治役の矢崎滋。

なので、この宮沢賢治の父親の立場に立った小説、読みながら主役の父親は姿も声も佐藤慶でした 笑)

賢治と父の葛藤は有名です。ただ、家業の質屋が嫌で、父に反発して父の信じる浄土真宗に対して、当てつけのように日蓮宗を信奉するという父親側の視点からの賢治は新鮮でした。通常は、賢治の側から、金持ちで人々からも尊敬され、なんでも頭ごなしのウザい父親と見られていたような気がします。また、なにより賢治のことを考え続け、思い続け、悩みながら譲歩し続けた父親の姿に、3年前に他界した私の父のことをいろいろ考えました。その点だけでも読んで良かったと言えます。


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彩瀬まる「やがて海へと届く」

2021.04.28.21:53

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図書館で借りてきました。うーん、すごい小説でした。面白かったと言うと不謹慎と怒る人もいるかもしれません。ネタバレしないように書きますが、東日本大震災で傷ついた二人の親友の娘の、いわば再生の物語です。

あちこちに伏線が張りめぐらされていて、二人の娘の独白の形で話が進みますが、最後の方は本当に感動的です。電車の中で読んでて困りました。出てくる人達の何人かは最初はなんだかわからないのですが、読み進めていくと、あれ?この人は。。。と気が付くことがたくさん出てきます。たとえば「バスは来ない」と教えてくれたおばあさん。

途中からは昔ここでも紹介したコニー・ウィリスの「航海」を連想していました。なんか、雰囲気がそういう感じだったんですよね。

震災から5年でこういう小説が書けるという作者の小説家としての自負というのか勇気というのか、それもすごい。


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辺見庸「月」覚書き

2021.02.07.11:10

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拙ブログでも何度も取り上げた相模原のやまゆり園障害者大量虐殺事件を題材にした小説。何しろ辺見庸だからね、容赦がない。辺見庸は以前南京事件を扱った「1937」について書いたことがあるので、そちらもどうぞ

この小説の語り手は重度重複障害で寝たきりの「かたまり」として存在する男女も年齢も不明の「きーちゃん」。目も見えなければ手足も動かすことができず、時々身体が激痛に襲われるけど、思うことはできる。そのきーちゃんを施設で介護する「さとくん」が、ほぼ現実の相模原事件の犯人をなぞっている。ややネトウヨ的なところもあるが善良で真面目な好青年だ。実在の犯人と同様、世の中をよくするためにはどうすればいいのかを考え、同時に人間とはなんであるかを考え、人間の形をしていても人間ではないものは抹殺すべしとの思いに至る。そしてここにきーちゃんの分身とされる「あかぎあかえ」が幻想のように時空をこえて(?)縦横無尽に現れて「さとくん」と議論し、「さとくん」の暴走も止めようとするのだが。。。

人間は「ある」だけでいいのだと言えるか? 小説の中に頻出するカゲロウのイメージが「この世に存在するだけ」という意味を考えさせる。現代の日本人は「さとくん」の主張に対して、正面から答える(反論する)ことができるだろうか?

現代社会にはおぞましいほど「優生思想」がはびこり、普通の人はそれにほとんど気がつかないか、気がついてもスルーする。役に立つか立たないか、生産性があるかないか、経済効率で考えてプラスマイナスどっちなのか、そんな基準で優劣をつけてはいけないはずである。だけど、その「いけないのだ!」という確信の根拠を言葉にできるだろうか? これをみんなが真剣に考えれば、たとえ答えが出なくとも(むしろ安易に答えを出す必要なんかないと思う)、社会は変わると思う。


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パウゼヴァング「片手の郵便配達人」

2021.01.22.16:47



先日紹介した「ヒトラーの脱走兵」と並行して読んでいた小説。ドイツの森の中に点在する7つの村に郵便を配達する17歳の少年(従軍し左手を失い、故郷に戻って郵便配達夫の仕事についている)の目を通して、1944年8月から1945年5月までの村の人々の様子が淡々と描かれる。

44年8月といえばすでに西ではノルマンディに米英軍が上陸しパリ解放直前、東ではドイツ軍はソ連軍の前にすでに敗走状態で、国防軍によるヒトラー暗殺計画も失敗して講和の可能性もなくなり、あとはドイツが壊滅するのを待つだけの絶望的な状況。狂信的なナチ支持者はヒトラーによる秘密兵器に期待を託すが、一般の人々でそんなものを信じる人はほとんどいない。

そんな中でも主人公は郵便があるかぎり配達を続け、村の人々から信頼され、人々の置かれた事情を黙って見ている。

そもそも主人公を戦時中の郵便配達夫にするという設定だけで、十分感動的な話になるだろうことは、誰にでも予想できる。戦地からの夫や息子、孫の手紙を届ける一方で、戦死の通知も届けなければならない。

手紙を届ける村の人たちの様子が細かく描かれ、狂信的なナチの少女もいれば戦地の息子や夫を案じる女たちもいる。労働援助にきた捕虜のフランス人の子供を身ごもっている戦争未亡人も、主人公と同じ傷痍軍人も、疎開してきた人たちも、戦死した孫を思い認知症になってしまった老女もいる。かなりたくさんの名前が出てきて、一度しか出てこない人もたくさんいるが、何度も出てくる人もいるので、どの村の誰で何をしているかをメモすることをお勧めします。

最後に、正直にいうとあの結末だけは気に入りません 笑)


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劉慈欣「三体 II 黒暗森林」覚書き

2020.09.09.22:33

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以前第一部を読んだ時に書いたんですが、第二部ようやく読みました。「暗黒森林」ではありません。「黒暗森林」です 笑)

うーむ、これって第三部があるそうで、来年の春に出るらしいけど、この後どうつなぐんだろう? ある意味、この第二部で完結してると思うんですけどね。ただ、第二部で宙ぶらりんのままのエピソードが一つあるから、あれかな? 笑)

第二部は第一部よりストーリーが単純でわかりやすいですね。この後は第二部のネタバレはしませんが、第一部の方のネタバレはちょっとだけ(ホントにちょっとだけ)してるかもしれません。

第一部の最後で三体人が地球に向けて智子(ソフォン)という9次元だか11次元だかの微少な陽子コンピュータ?をいくつも発射して、おかげで人類の行動は筒抜けなのと、なぜかはよくわからないんだけど、それのおかげで科学の進歩を邪魔されて人類は窮地に陥ります。三体人たちは地球侵略のために三体星を大軍団ロケットで出発し、450年後には地球に到着してしまう。

三体の科学力は人類のはるか上を行っていて、しかも上記の陽子コンピュータのおかげで人類の行動はバレバレ。どうやっても勝ち目はない。さあ、人類はどうすれば450年後にやってくる三体人に勝てるのか? 勝てないのか?

まあ、途中の話の展開の気宇壮大さは気持ち良いし、三体軍団の「水滴」という超兵器もSFらしい魅力たっぷり。人類の運命はおそらく後450年だという時の人々の対応や、それに対する「面壁者」という人類の命運を任された4人の作戦、そして最後の、宇宙は「黒暗森林」だ、という結末まで、きっとSFが好きな人なら誰が読んでも絶対面白いです。ただ、やっぱり中国人の名前の読み方がなかなか頭に入らない。第一部の主人公の葉文潔(イエ・ウェンジエ)は「ヨウ・ブンケツ」と読み続けたし、今回の主人公羅輯(ルオ・ジー)は結局最後まで「ラ・ショー」と読んでました 笑)


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カルロ・レーヴィ「キリストはエボリで止まった」覚え書

2020.06.08.22:40

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エボリはサレルノの南東に位置する南イタリアの町。キリストはそこまでしか来なかった、そこより南には足を踏み入れなかったと、イタリア最南端に住む人々は自虐的に語る。

地図で見るとエボリはイタリア半島を足に見立てれば、足の甲の少し上あたりにある。そこからさらに南方へ直線距離にしても100キロ以上南方の山の中の寒村、土踏まずあたりにある村に、反ファシズム運動で捕まった主人公(=著者)は流刑になったのである。1930年代後半の戦争が始まる前である。

その地での8ヶ月を、その村の人間模様や周囲の風景、風俗や迷信について書いた小説(?)である。主人公は医学部を出た作家で画家という、いわばインテリなので、まともな医者のいないこの地では流刑囚にも関わらず重用され、尊敬される。

この本を図書館で借りたのは3月末だったけど、コロナで家に閉じ込められ、慣れないパソコン相手の仕事で忙殺されて、最初のところを30ページ読んだところで長い中断を挟んで、やっと昨日読み終わった。

映画のシーンのように明確な像を結ぶ表現があるかと思うと、どうもダラダラと長くてよく頭に入りづらいところもあったけど、それぞれの逸話がかなり面白く読めた。特に前近代的な迷信(と片付けていいのか?)に、なかなか忘れられない話が多い。

洗礼を受けずに死んだ子供たちの霊モナキッキョは害のない悪戯もするけど、山賊が隠した宝のありかを教えてくれたりする。山賊といえば、イタリア独立時には欠かせない存在で、そんな山賊だった者たちの思い出も出てくる。

あるいは人々から雌牛の娘とされる農婦は、夫も子供もいるのに、自分でも雌牛の娘であることを認めていたりする。名前が呪術的な力を持っていて、現実に作用すると考えられていたりもする。人狼を排除するためのしきたりとか、親族が亡くなった時の泣き女みたいな儀式とか、どれも何か寂しく懐かしい童話のような話が色々出てくる。

「羊飼いたちの古い神々、つまり雄山羊や儀礼用の子羊は毎日人々の通う道を走り回っており、動物や怪物の神秘的世界と人間を分ける確固たる境界は存在しない」(p.156)

だから人と動物は対等なのである。

「見捨てられた村に、ある動物的魔力が広がっているように思えた。正午の静かさの中に、不意に、ある騒音が響いたが、それはゴミの中で転げ回っている雌豚の音であることが分かった。そしてロバの争いえない鳴き声が大きく響き、それがこだまとなって、男根風のグロテスクな不安を掻き立てながら、鐘の音よりもずっと良くとどろき渡った。」(92)なんていう描写はとても映像的な感じがしたけど、どうでしょう?

こういう迷信世界って昔魔女展で色々見たな、と思ったら、案の定魔女たちも出てくる。結局キリストがここまで来なかったおかげで魔女たちも大手を振って薬草を調合したり、呪文を唱えたりできたのだろう。

他にも、拙ブログとしては自転車選手になることを夢見ている労働者の青年とか、自転車キャップをかぶって仕事をしている修理工が出てきたりして楽しかった。

しかし、当時のイタリアでは、ムッソリーニに反抗した人たちって、南部の僻村への流刑っていう軽い(?)処罰で済んだのね。しかも8ヶ月ほどでエチオピア戦争勝利の恩赦で解放されるし。この後戦争が始まってからのことを考えれば信じられないユルさである。

なお、村人の名前はメモしておいたほうがいいです。たくさん出てくるし、しかも忘れた頃に再び出てきたりします 苦笑)


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劉慈欣「三体」覚書き

2020.03.25.18:25


世界的にヒットした中国製のSFです。ファーストコンタクトものと言うのかなぁ。読み終えて、いろんなSF小説や映画の事を連想しました。思い出してみれば、高校時代なんてSF小説ばっかり読んでたからなぁ。

ラインスターの古典的なSFに「最初の接触」と言うファーストコンタクト(これが原題)の小説があって、初めて人類が異星人と宇宙で相対した時の短編小説がありました。オチは結構がっかりしましたが 笑) まあ、ファーストコンタクトものはアーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」が白眉で、その後2001年にしてもソラリスにしても、あるいはここにも書いた映画「メッセージ」でも、ある意味初めて出会った異星人にどう対処するかの話ではありましたからね。きっと他にもいっぱいある事でしょう。

また、アシモフのやはり古典的な傑作とされる短編に、太陽が6つある惑星を舞台にして、何千年ぶりかに6つの太陽が全て隠れる暗黒の夜がやってくる前夜という「夜来たる」というのもありましたから、この「三体」の倍の数の太陽です 笑)

そして、異星人による地球侵略のお話はそれこそ小説にも映画にも漫画にも山ほどあるでしょう。

「三体」は3つ太陽がある惑星という、僕らには想像もつかないような過酷な気象条件にさらされ、何百回と文明を進化させては滅亡させてきた三体人に対し、電波によってファーストコンタクトした主人公?の物理学者の女性がどう反応するかがポイントで、これまであまり見たことのないような驚きでした。彼女は文化大革命によりエリートの父親を殺され、自らも反革命分子として地方で樹木の伐採作業に従事させられるという辛い人生を送っていて、その彼女が、どうするか、これは僕は読んでいて、おおっ!すごい!と思いましたね。同時に今の時代の空気もこの女性の対応を納得させるものがあるのかもしれません。

ネタバレしてはまずいので内容については触れません。冒頭の文化大革命での、少数の敵を見つけた時の人々の暴走ぶりのおぞましさもあれば、現代の、写真のフィルムに写し出されるカウントダウンの話など、ちょっとホラーっぽいところもあり、また傍若無人の警察官によるハードボイルドなところもあり、繰り返し描かれるヴァーチャルリアリティゲーム「三体」のSFらしい世界もあり、読者を飽きさせません。

ただ、最後の「古箏作戦」の章の展開の速さはどうでしょうかねぇ。それまでの時間的な流れの緩やかさに対して、え? これで終わり? って感じで、その後に続く種明かしと言っていいのか、あちこちに張られた伏線が解決つくようになっているんだけど、そこもちょっとあっさりしているような印象かなぁ。でも、まだ二冊も続編があるらしいので、それは出版されれば絶対読むでしょう。


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チョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」覚書き

2020.03.06.10:01

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何度か書いたけど、在日韓国・朝鮮人作家の作品は、若い頃に随分たくさん読んだ。最近でもチェシルの「ジニのパズル」については拙ブログでも書いた。だけど、韓国語の翻訳小説はひょっとしたら初めてかも。

前半はムチャ面白かった。自分の子供の頃を思い出して、クスッと笑えるところがたくさんあって楽しかった。後半、結婚後の話は、もろに自分のことを思い出させられて、結構辛かった 笑)「進歩的な男性」のポーズをとりたいわけではないけど、僕も主人公の旦那のチョン・デヒョン氏程度かなぁ。。。もう少し「進歩的」だと思いたいところだけど。 ちょっとしょってる?? 笑)

昔、独身時代にフェミニストの富岡多恵子の「波打つ土地」という、男と女の立場を真逆にしたような形で話が進む結構過激な小説を読んだことがあった。細かい内容はまるで覚えてないけど、読みながらフェミニストの男性に対する苛立ちが少しわかったような気がしながらも、どこか納得できないと思った覚えがある。あくまでもその時の気分だけが記憶に残っているんだけど。。。

そこから考えるとこの小説のフェミニズムは随分わかりやすいし、説得力も上がってるように思う。時代も追いついてきたんだろうけど、こちらも3人の娘の親になったこともあるのかな?

最初と最後が現在で、いわゆる「枠小説」(って今ではあまり言わなくなったね)で、間に主人公キム・ジヨンの生まれてから現在に至るまでの女性ならではの人生とその時々の韓国社会の様子が描かれる。女性として生まれてきたことによる様々な不利益は、かつての日本でも当てはまるんだろうけど、儒教的価値観がかなり強く残っている韓国より現在の日本は随分マシ、と言えるかどうか。。。人のふり見て我がふり直せ。

自民党の女性議員を別にすれば 笑)、普通の女性なら絶対面白く読めるだろうと思う。なかなか連れ合いに勧めたいとは思わないけど 苦笑)そして、男性は自分の「進歩度」が試されるかなぁ 笑)

ところで、韓国人の名前をカタカナで書かれると、なかなか覚えられないし、そもそも男か女かの判別がつきません。登場人物で名前のある人は少数だけど、それでもメモしながら読んだ方が良いでしょう。


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古川真人「ラッコの家」(ネタバレ)

2019.09.26.23:42



この作者は相模原事件について考え続けているというので、図書館で借りてきました。

表題作は、主人公は80前の老女で、一人称ではないけど、この老女の意識の流れのように、文章は句点を少なくしてズルズル続いていきます。九州地方で一人暮らしをしている主人公のところに姪たちがやってきて世間話をしていくんだけど、その合間にその現時点の出来事の延長のように過去の記憶や夢が混じり込みます。それがとても巧みで、心地よいです。例えば、寝入り端にラジオを聴きながら夢うつつで物を考えていると、ラジオは朝の番組をやっていて、自分が寝ていたことに気がつくなんていうシーン。

他にも、どこか映画的で、ベルイマンの「野いちご」を連想しました。そこにさりげなく姪の子供に全盲の子供がいて、そこに不要な人間というキーワードが出てきます。表題のラッコも上手い具合に最後のオチ?につながります。上手いです。

もう1つ収録されている「窓」(こちらの方が長い)という作品は道具立てがわかりやすいです。全盲の兄と暮らしている小説家志望の無職の青年が主人公で、兄は全盲ながら企業に就労しているので、主人公が兄の送り迎えを担当しているという設定(全盲の兄の描写が、全盲の娘がいる私にとっては「あるある」で(特に兄の友人たちとのやりとりの、どこかのんびりした悠長な感じ)、おそらく作者の実体験だろうと思います)。

主人公は兄のためを思って、近所で起きた孤独死についても、あるいは相模原の事件についても話題にせず、いわば「窓」を締め切ったまま、社会の不快な出来事を遮断して、兄を守ろうとします。障害者を守るという意識がぐるりと回って「差別」に繋がってしまうのではないか、ということに気がついた主人公が「窓」を開けるというとても気持ちの良い清々しい終わり方。

そして、「ラッコの家」であったような現実と夢がいつの間にか入れ替わっているような眩暈感が、ここでもありますが、こちらはクリストファー・ノーランの「インセプション」という映画にあったような多重夢的な感じで、この人の持ち味なのかもしれません。

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古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」(ネタバレ)

2019.07.03.20:56



1943年キスカ島を撤収した日本軍が置いていった4頭の軍用犬たちとその子孫の数奇な運命を、20世紀の戦争を舞台に描いた小説。発熱でうとうとしている間、目がさめると読んでいましたわ。

なにしろ波乱万丈のお話がすごい。現在(20世紀末)のロシアの元KGBの暗殺者と日本のヤクザとその娘のエピソードと、1943年から89年までのそれぞれの犬たちの子孫とその飼い主たちの人生・犬生が交互に描かれていて、その話がどれも冒険活劇みたいで面白い。しかも部隊もアリューシャン列島のキスカ島からアラスカ、アメリカ本土、メキシコ、一方ハワイや朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争と部隊も太平洋を越えユーラシア大陸の奥地まで。

出てくる犬も犬ぞりを引いたり軍用犬になったり麻薬探査犬になったり、はてはスプートニクで宇宙へ行ったライカ犬たちの末裔も混じってきて著者自身があとがきで「想像力の圧縮された爆弾」と表現しているけど、まあ見事に爆発しました。

犬ってやっぱり健気で見ててつらいわなぁ。私も子供の頃から犬は何匹か飼った。みんな雑種で庭で飼って、名前は最初の頃はずっとペスだった。最後に飼ったペスはフィラリアで血便で血まみれになって死んだ。もう2度と犬は飼わないと思ったのに、妹が結婚後父と母がポメラニアンを飼って、これにはペスという名前はつかなかった 笑) 今は前に書いたように、全く人馴れしない保護猫が一匹いる。こいつはみてて辛くならない。むしろいつか見てろよ、とっ捕まえてぐしゃぐしゃに撫でてやるからなぁ、と手ぐすね引いてる状態 笑)

閑話休題。文庫本の裏表紙には「エンタテイメントと純文学の幸福なハイブリッド」とあるんだけど、うーん、僕は純粋なエンタテイメントだと思う。まあ、純文学とエンタメの差ってなに?って言われると難しいけど、エンタメはある意味完結してしまっているのに対して純文学の方はそうではないっていう感じかな。結末はハピーであれバッドであれ関係ないでしょう。犬に語り掛ける口調で畳み掛けるような短い文章を連ねて、読みやすいし、人も犬もどんどん死ぬ。死ぬところの状況や気持ちや感情なんていう甘いものはまったくないハードボイルドさ。ただ、ものすごく波乱万丈の面白さがあるけど、最後の方、ちょっとよくわからないところもあるんだなぁ。

ここからネタバレ

人間の主役の一人、「大主教」と呼ばれる元KGBの暗殺のプロは旧ソヴィエトの体制に忠実を誓い、その結果としてソ連が崩壊した現在(1990年?)に憎悪を抱き、腐敗した社会を憎悪し、ロシアマフィアを次々と殺している、とそういう理解でいいんだろうか? だけどそれを日本のヤクザにやらせたのはなぜ?

それから、最後から二つ目の「1990年」と題された短い章で、「大主教」がこれまで訓練してきた犬を、ベルカをのぞいてすべて殺すシーンがあったけど、ヤクザの娘を閉じ込めた「死の街」の数十頭いる犬はあらためて訓練し直したのだろうか?なんかこの辺の時間的なつながりがぼんやりしてしまってうまく掴めてないのかな? 僕は。「大主教」の最後のシーンも犬に取り巻かれているわけだし、それは1991年のことで、その前の年にベルカをのぞいて皆殺しにしちゃったんじゃないの? どうもあの「1990年」の章がよくわからない。


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奥泉光「雪の階」覚書き

2019.06.10.23:25

雪の階

600ページ近い長編。1936年の2月末をフィナーレに華族の二十歳の娘笹宮惟佐子と幼い頃の遊び相手(おあいてさん)で女流カメラマンの牧村千代子が友人の心中事件の真相を追う小説です。

というと推理小説のように思われるかもしれませんが、日中戦争直前、美濃部達吉の天皇機関説をめぐる争いや英米派とドイツ派の確執、霊力を持つ女が率いる宗教団体や社会改革を求める青年将校たちが登場する重厚な小説です。

なので、推理小説とかミステリーの面がお話を引っ張っていくんだけど、それ以上に戦争前夜の雰囲気が味わえて、もしかしたらそれによってミステリーとしての集中度は少し薄まっているかもしれません。

それでも牧村千代子と記者の蔵原が鉄道を使って心中事件の足跡を追うところなどはミステリーの楽しさを味わえるし、一方で笹宮惟佐子(この華族らしい落ち着き払った美貌のリケジョには、途中からかなりびっくりさせられます)の方は机の前で推理を働かせる知性派で、その対称性も面白いです。

ミステリーとしての完成度も高いと思いますが、普通の推理小説とは違って、奥泉光特有の眩暈感も味わえます。そして現代日本を予言するような、しかしそれは純粋日本人を守るというナチスばりのレイシズムが絡んでくるところなどは現代日本の風潮に対する批判でもあるのでしょう。

だけど、それ以上に文体が素晴らしい。息の長い文章に、今ではあまり使わない戦前の用語が散りばめられ、時々そこに絢爛たる比喩が現れます。以前ここでも紹介した「シューマンの指」でもそうでしたが、この比喩の面白さだけでも、個人的には楽しかったですね。一つだけ引用しておきます。

「話の隙を見つけて、鹿沼に紅玉院と云う寺があると聞いたのですがと話の水門を開くと、ああ、ありますよ、と珈琲好きの記者はスイと水路へ泳ぎ入ってくる。」(327)

そこらに転がっている小説とはレベルの違いを感じさせる傑作だと思います。


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トルストイ「イワン・イリイチの死」

2019.05.30.23:39

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古典ってやっぱりすごいから残ってるんだよね。今の時代に合わないと言う人もいるかもしれないけど、これを読めば古典のすごさがわかるだろう。トルストイと言う人はドストエフスキーなんかよりもずっと冷酷な目を持った人だったんだろうなぁ。褒め言葉です。

学生時代からドストエフスキーは随分読んだけど、トルストイはほとんど読まなかった。なんとなくドストエフスキーの方が高尚そうな感じがしていた 苦笑)日本の小説家でも当時好きだった高橋和巳や埴谷雄高なんていう作家はドストエフスキーマニアだったし、なんとなくトルストイはもう一つ前の世代の白樺派とかヒューマニズムと繋がるイメージだった。若い頃には素直になれなかったから、ヒューマニズムなんて「臭い」って思っていた。前にも書いたように、それでもせめて「戦争と平和」は読んでみようと何度か試みながら挫折していた

でも20年ぐらい前、30代の終わり頃に「アンナ・カレーニナ」を読んだら、想像以上にモダンな印象で、意識の流れのような描写もあったりしてすごいと思った。

と言うわけで、正直にいうと、この小説はもう40年も前から読みたいと思いながら、読めなかった小説だった。死とは他人の死であって自分の死ではない。ここでも人々はイワン・イリイチと親しい人々ですら、彼の死と向き合おうとしない。これは実存主義哲学やハイデガーなんかでいわれていることだ。

イワン・イリイチの葬儀から話が始まり、彼の人生が語られるという映画的な構造で、彼の青春時代から恋愛と結婚、そして子供の誕生と夫婦の不仲というありふれた人生が語られる。子供が生まれ、職場での妬みや成功、あるいは友人たちとのトランプ遊びへの熱中、そして新居を手に入れて丁度を整えている時に梯子から落ちて腹を打つ。これがほぼ全体の4割程度のところで、そのあとは、その怪我が原因でどんどんイリイリの体調が悪くなっていく様子が描かれる。

イワン・イリイチは判事だからそれなりの地位にいるけど、死を前にして自分の人生は間違いだったと感じなければならない。でも間違いじゃない人生なんてあるんだろうか? 召使いの農民の純朴なゲラーシムは「戦争と平和」の農民兵プラトン・カタラーエフと同じく、トルストイの考える理想的な死生観を体現しているんだろうと思えるけど、全てをそのまま受け入れ、死に対しても目を逸らさないと言う態度は理念としては良くても実生活でなんでも受け入れて疑問を持たないことがいいことだと言う風につながりかねないんじゃないか。

それでもイワン・イリイチの最後は、やっぱり「戦争と平和」のアンドレイ・ボルコンスキーの死と同じような、なんとなく救われたような暗示で終わるのがホッとした。しかしすごい小説だね。多くの人が読むべきだと思います。

追記(6/1, 14:40)
FBでのコメントで、高級官僚やガリ勉秀才に読ませてやりたいですね、というコメントをもらいましたが、本当にそうですね。安倍がこれを読むとは思えないけど、そのバックでやりたい放題の連中には是非とも読んでみろ!と言いたい。ただ、ひょっとしたら秀才君たちはすでに読んでいるかもしれません。知識の一環として、読んだことがあるというアリバイ作りで読んだだけで、すでに忘れたかもしれないけど、もう一度読んでみてどんなことを思うか、ぜひ聞いてみたいなぁ。


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アンソニー・ドーア「すべての見えない光」

2019.05.10.23:59

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1944年、ドイツ軍がすでに敗色濃厚のフランスブルターニュのサン・マロの町で、アメリカ軍の爆撃により無線機器担当のドイツ人少年兵が地下防空壕に閉じ込められ、一方全盲のフランス人少女が砲撃に怯えながら自分の家の中で隠れている。彼らはその数日後に出会い、半日ほどでまた別れる。その合間に時代を遡って少年と少女の戦前からの人生が描かれ、彼らをつなぐものが説明される。

以下、ネタバレ含みます。

小説内の現在と過去を交互に描きながら、全体の接点がわかるようになっていくというのは、よくあるやり方で、拙ブログでも紹介した「ベルリンは晴れているか」でも同じようなことが行われていたけど、こちらは最終的に現在まで繋がってもっと込み入っているし、安易な謎解きを用意していない。

彼らをつなぐものは、つまり、少女の祖父が戦前にサン・マロから放送していた科学のラジオ放送、それを少年は妹と一緒に自分で組み立てたラジオで聞いていたのである。そしてそれが接点となって、のちに少年と少女が出会うことになる。ラジオ放送に代表される無線電波は、多分表題の見えない光のことなんだろうと思われる。

主な登場人物はそう多くないけど、どの人も主役にして良さそうな魅力がある。僕は特にこの小説のキーになるダイヤモンドを追う末期癌の上級曹長が、あんまり出てはこないけど気になった 笑)

少女の父はパリの博物館で鍵の管理をしていた。彼は娘と一緒にドイツ軍を避けてサン・マロへ移住するのだが、その際、博物館の秘宝の巨大なダイヤモンドを託される。それは父娘が匿われる大叔父の家の町の模型の中の一軒の家に隠される。このダイヤモンドを追って、上記の末期癌の上級曹長が登場するんだけど、最終的には彼はダイヤモンドを目にすることができるか、というのも、僕としては結構ハラハラした。

ただ、このダイヤモンドが最後どうなったのかが、よくわからない。最後まで読み終わってすぐにダイヤモンドはどうなったんだ? と思って少年と少女が別れるシーンを読み直したけど、これがかなり入り組んでいるし、謎めいている。このあたり、単純に謎解きしてしまうエンタメ小説とは決定的に違うところだ。

文体が現在形の短い文章を積み上げていくもので、正直に言ってちょっと読みづらい。それからドイツ語のカナ表記でフォルクゼンプフェンガーとかホイシャンと出てくるけど、これは絶対ヘン。フォルクスエンプフェンガーだし、ホイスヒェンだよ。まあ、大筋とは関係ないけど。

500ページ以上の長編だけど、少年のナチスのエリート養成学校(いわゆるナポラ)での学校生活も、出てくる校長や鳥の好きな親友、大男の上級生や少年の才能を認めて助手として優遇する教師など、古典的な少年小説のようだし、少女を取り巻く善意の人々や密告屋、第一次大戦のPTSDを患う大叔父や家政婦の老女たちのレジスタンス活動のエピソードも面白い。少女が点字で読む「海底二万マイル」の中からの引用やラジオ放送での文句、壁を通り抜けて現れる死者たちの亡霊も詩情がある。あっと驚くような結末ではないけど、最後の余韻も良いし、お話の展開も予想を裏切る。星4つというところかな。


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真藤順丈「宝島」覚書き

2019.03.27.14:42

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直木賞受賞作品。さすがに面白かった。描かれているのは、敗戦後アメリカ統治領となった沖縄で、米軍倉庫や基地から様々なものを盗み出す義賊の少年たち(戦果アギヤーと呼ばれる)と一人の少女、浮浪児らの、1952年から72年(沖縄本土復帰)までの人生が描かれている。嘉手納基地に忍び込んだ戦果アギヤーのリーダーが行方不明になり、残された仲間はその謎を抱え込んだまま、それぞれ戦後の沖縄で実際に起きた刑務所暴動やアメリカ軍機の小学校への墜落事件に巻き込まれ、最後は本土復帰が決まった後に起きたコザ暴動の騒乱の中でみんなが集まり、それまでの謎が明らかになる。

最近もドキュメンタリーになった伝説的な政治家瀬長亀次郎が何度も出てくるし、悪名高いキャラウェイ高等弁務官(翁長知事が官房長官の菅をキャラウェイ高等弁務官に重なると言ったこともある)も登場する。そうした歴史の中に虚構の主人公たちを紛れ込ませるやり方は、同じ直木賞の候補になった深緑野分の「ベルリンは晴れているか」とも似ているけど、所々に見られるユーモアや、何より「語り部(ユンター=地霊)」の語り口の軽快さが心地よい。そしてこの語り部が自らを「時間を往き来して、風の集積となって ー 現在を生きる島民たちに、先立った祖霊たちにも向けて、語りから出来事を再現する試みをつづけている」(p. 354)という設定にしているところが、何か叙事詩めいた壮大さを感じさせる。そしてそれが最後の最後にものすごく生きてくる。最後はえらく感動する。ある意味、謎解きはどうでもいいけど、この最後の命のつながりを感じさせるところに感動した。

面白い事ばかりではない。ここには僕ら本土の人間にとっては耳が痛い苦言もたくさん出てくる。そして現代の沖縄をめぐる状況も、当たり前だけどあぶり出される。この小説に出てくる悪役のダニー岸は現在もたくさんいる。これらのダニー岸たちの画策に乗せられないようにしたいし、できればこうしたダニー岸たちには一刻も早くご退場を願いたいものだ。


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オリヴィエ・ゲーズ「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」

2019.03.11.02:01

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ヨーゼフ・メンゲレ、アウシュヴィッツの死の天使と呼ばれた医師。過去様々な映画で悪の権化のモデルとして描かれ、戦後南米へ逃げ、とうとう逃げ切り天寿を全うした男。ダスティン・ホフマンの「マラソンマン」でローレンス・オリビエがやった「白い天使」は完全にメンゲレがモデルだそうだし、「ブラジルから来た男」ではグレゴリー・ペックがメンゲレそのものの役で出ているそうです(こちらは未見【追記参照】)。以前拙ブログで紹介した「顔のないヒトラーたち」は戦後のドイツで若い検察官たちがなんとかメンゲレを逮捕しようとして、一歩の差で逃す話でした。また「アイヒマンを追え」とか「検事フリッツ・バウアー」なんかも見てると、この小説がさらに楽しめるでしょう。特に「アイヒマンを追え」は作者のゲーズがシナリオに参加し、それが縁でこの小説を書くことになったんだそうです。

ところで、私はメンゲレと言われると、なぜかダーク・ボガードの顔がかぶるんですよね。

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左がメンゲレ、右がダーク・ボガード、って、並べるとあんまり似てないか 笑)

この人はアウシュヴィッツに到着した列車から降りてきたユダヤ人の選別をした人で、左へ合図すれば労働力として使え、右に合図すればそのままガス室へ(左右逆かもしれません)というのを自らやっていたそうです。また医者ですから医学実験に使える双子を集め、無茶苦茶な実験をいろいろやったそうです。つまり、ナチスとしてはゲルマン民族を増やしたいから、自在に双子が産めるようになれば人口が増えるわけで、そのための実験をしていたと言われています。

先日のT4作戦のパネル展示会でも感じたことだけど、医者ってのは良心を失うととんでもなく残酷になれるようです。何しろ人の死には慣れているわけですからね。ただ、この小説(!)ではそうしたアウシュヴィッツでのメンゲレの様子はほとんど出てきません。

仲介者を介してイタリアからアルゼンチンへ逃げ、たくさんのナチス戦犯たちとともに、偽名を使い分けながら、現地のナチス信奉者たちに庇護され匿われながら南米各地を逃げ回り、家族から見捨てられながら、最後に息子の非難にさらされるけど、後悔する事はついにないまま、ブラジルの海辺で心臓麻痺で死ぬまでを、かなり淡々と描いています。

しかし、こういう小説ってフランスからたくさん出てますね。ロベール・メルルの「死はわが職業」ではアウシュヴィッツの所長ルドルフ・ヘスを主役に据えた小説だったし、ローラン・ビネの「HHhH」はプラハでのナチスナンバー3のハイドリヒ暗殺を淡々と描いていました。この小説もこの「HHhH」の雰囲気があるかな。

あるいはここ何年かで一番圧倒された海外小説のジョナサン・リテルの「慈しみの女神たち」も、これは完全なフィクションだけど、元ナチス親衛隊の中佐の回顧という体裁をとった、実在の人物てんこ盛りのものすごい話で、作者はアメリカ人らしいけどフランス語の小説でした。

優秀な医者で、時代があんな時代でなければ、普通にどこかの大学で医学を教える教授になっていたのかもしれないし、普通に虚栄心や嫉妬心を持ち合わせた普通の人間として家族に囲まれ、普通の人生を終えたのかもしれない。だけど、とんでもないことをやらかした後も、何ら良心の痛みも感じず、アイヒマンと同じように命令に忠実に従っただけだと言い続けます。

アウシュヴィッツでの選別も、多くのユダヤ人をガス室に送らず救ったという論理で悪びれるところもなく、さらに、収容所を使って自分よりもうまい汁を吸った者がいるし、産業や銀行、政府組織が膨大な利益を上げていて、「制度がそれを奨励し、法がそれを許可した、殺人は国家の事業だったのだ」(p.157)と、全く後悔の様相なし。その上自分を匿ってくれた人たちに対しても感謝どころかバカにし、奥さんを寝取り、ダメだ〜こりゃ。

こうして描かれたメンゲレの生涯のあと、最後に著者はこんな言葉で小説を終えます。

「二世代か三世代が経過し、記憶が衰弱し、先の大量虐殺の最後の証人が去っていく頃、理性は陰り、一部の人間たちはまたぞろ悪を吹聴しはじめる。/夜の無限がどうか私たちから遠くにとどまっていてくれますように。/警戒、人間は影響を受けやすい生き物だから、人間こそ警戒すべきだ」(p. 239)

まあ、私が言いたい事は、またいつものことです。メンゲレは普通の人だったんですよ。それが空前絶後の悪を成した。メンゲレは私たちと違う人間ではなく、私たちだって、時代が時代ならメンゲレになったかもしれないってことです。まあ、私なんかはメンゲレみたいに優秀じゃないから収容所の看守程度だったことでしょうけど 苦笑)

登場人物も次々出てきて、どの人物が重要かが分かりづらく(私はメモしながら読むことをよくやりますが今回もそうしてみました)、正直に言って読みやすい小説ではないです。予備知識も、ちょっと偉そうに言ってしまえば、最初に書いた映画ぐらいは見ていた方が良いでしょう。

追記(2019年、3月22日)、このときは未見だったんですが、偶然TVで見ました。なるほど、グレゴリー・ペックの怪演ぶりはすごいわ。しかしここでのメンゲレの末路はやっぱりアメリカンな映画らしく都合よく描かれてます。どうもこういうところがね。アメリカ映画が好きになれない理由だな 苦笑)


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プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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