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映画「家族を想うとき」覚書き

2020.09.10.00:37

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見たいと思ってフライアーをもらってきたんだけど結局見に行けず、いつものようにツタヤでした。でも、うーむ、すごい映画だわ。「パラサイト ・半地下の家族」とか「万引き家族」なんかを連想したけど、それらにあるユーモアは、この映画にはかけらもない(「パラサイト 」なんてギャグ映画だったもんね 笑)

ケン・ローチの映画だからメッセージ性が強いし、ある意味プロパガンダ映画でもある(無論悪い意味じゃないよ)。出てくる夫婦も子供たちも普通の人たちだ。普通に仲の良い家族なのに、唐突なラストの後、彼らは一体どうなってしまうのだろう?

この映画の中で、こいつが悪いんだ、と言える人は誰もいない。この映画のラスボスは世界中を覆う新自由主義という弱肉強食格差拡大自己責任社会だ。こんな社会の中で人が人らしく生きられるだろうか?

僕が中学の頃、社会の時間にイギリスは揺り籠から墓場までという福祉国家だと聞いた。日本もそういう福祉国家を目標にしていたとおもう。もちろん中学生にそれがどういうことなのか理解できなかったけど。

もちろん、これイギリスのことじゃないよね。見ながら、最近日本でウーバーイーツの配達員たちの組合ができた?というニュースを思い出した。ウーバーイーツは副業でやっていることが多いと聞くから、組合を作る余裕もあるのかもしれないけど、この映画の夫にはそんな余裕ないんだろうなぁ。

でも、社会というのは持ちつ持たれつなんだよね。大企業が社員を非正規化したり、残業代を支払わないで長時間労働させたり、外国から安い賃金で働く人たちを受け入れたりすれば、労働者は仕事に追われ、金もなくなり、その大企業が作るものなど買えなくなるだろう。それって企業にとって良いことなのか? 風が吹けば桶屋が。。。あるいは情けは人の為ならず。。。どこかで目を覚まさないと社会は崩壊する。


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映画「1917 命をかけた伝令」覚書き

2020.08.19.11:50

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全編ワンカット映像というのが売りだというので、前にここでも紹介したソクーロフ監督の「エルミタージュ幻影」を連想したけど、比べるようなものではないですね。最初の1時間ぐらいはかなりすごいです。戦場の、特に無人地帯の凄惨な風景はかなりのインパクトがあります。

オットー・ディックスという第一次大戦に従軍し、ナチ時代には退廃芸術の烙印を押された画家が描いた塹壕の絵を思い出しました。今回はDVDで見たんですが、これ映画館の大きな画面で見たら臨場感もすごいだろうなぁと思いましたね。

ただ、途中から、特に戦闘機が突っ込んでくるシーンから、なんか変な違和感を感じ始めました。確かにその後の主人公の一人、ブレイクの顔がどんどん青ざめていくシーンなんか、ワンカットといいながらどこかで切ってメークしたんだろうと思ったんだけど、特典の監督の説明を聞くと、あのシーンは完全にワンカットで撮っていて、青ざめていく顔は完全に演技だそうで、すごいシーンです。

全編ワンカットということで、主人公が走り回り駆け回る距離は実感できます。塹壕の中をかなりの距離歩き回るわけで、ワンカットでなければこの感覚はなかなか味わえないでしょう。ただし、ワンカットだからリアルタイムかというと、ちょっと違います。時間的には午後から翌日の明け方までで、この映画のリアルな時間よりはかなり長いです。おそらくトラックに乗っているシーンと気絶しているシーンで時間稼ぎをしているんでしょう 笑)

それはともかく、壊れた橋を渡って、廃墟と化した市街に入るあたりから、何か違和感が強くなっていきました。まあハラハラするんだけどね。なんかゲームみたいなんですよね。戦争を描いた映画なのに、エンターテインメント性が比較的強く出ていて、その点がどうも引っかかります。いやいや、「ゲーム感覚」で見ればかなり面白い映画です。

だけど。。。

1980年ごろまでは戦争娯楽映画というジャンルがあって、結構面白い映画もたくさんあったんですね。だけど、近年はそういう戦争映画ってもう作らないですよね。作れないと言ったほうがいいかな。この間に戦争の実相というのは娯楽として描いてはいけないものだというのが人々の共通の了解事項になったような気がします。

キューブリックが監督したカーク・ダグラスが主演した「突撃」という映画があって、そこでも塹壕の中を延々と歩くシーンが出てきますが、戦争の理不尽さを真正面から描いたすごい映画でした。確かに「1917」でも市民が大量に虐殺されているのがわかるし(あの川のシーンはベルイマンの「恥」の中の衝撃的なシーンを思い出しました)、野戦病院テントの阿鼻叫喚もあり、戦争の惨たらしさが描かれるんだけど、意地悪な言い方をすると、どこかアリバイ作りしてるな、と思えてしまう。

1930年、トーキーになりたての頃に作られた「西部戦線異常なし」の塹壕戦の恐怖感は、僕にとっては一つのトラウマになっています。初めて見たときは本当に怖かった。白黒で画面も荒かったと思うんだけど、本当に怖かったです。同時にものすごく強い反戦メッセージを感じたものでした。

だけどこの映画は? いや、無論反戦メッセージはあちこちに感じられるけど、やっぱりどこか娯楽(=ゲーム感覚)なんだなぁ。そこがどうしても引っかかるんですよねぇ。

それから、ワンカットと言っても、CGでつなぐことはいくらでもできるだろうし、戦場のシーンもCG加工は明らかだし、さらに鮮明なカラー画面というのは、むしろ逆にいかにも作り物めいた感じなんですよねぇ。。。実はCGをほとんど使わなかったラストの塹壕から出ていく突撃シーンも、なんかCGっぽく感じたりしちゃいました 苦笑)

例えば、これは第二次大戦だけど「炎628」の数々の美しいシーン。夕闇の中で飛び交う曳航弾は本物だし、燃え上がる教会も本当に燃えているわけで、一方「1917」では燃える教会はCGだそうです。

というわけでCG時代の映画の「不幸」なんてね。かつて「ジュラシック・パーク」で寝てしまった老人の戯言でございます 笑)


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映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」

2020.08.14.10:34

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長い題名だし、題名がすでにネタバレしているし 笑) 以前紹介した「アイヒマンを追え」の監督ラース・クラウメの映画。

映画としては大して面白くないです。ドイツが第二次大戦に敗れ、西側と東側に分断されたが、まだベルリンの壁ができる前の1956年、東ベルリンに住んでいた高校生たちが、ハンガリー動乱のことを知り、教室で黙祷する。これが反国家的行為として大ごとになってしまう。

生徒たちは誰が黙祷の首謀者かを問われ、仲間を守るために抵抗するんだけど、1番の山場はまるで「スパルタカス」みたいでした 笑) また、生徒たちに首謀者をチクれと恫喝する教育委員会の、まるでモンスリーみたいな 笑)嫌なおばさんや教育大臣に、ゲシュタポみたいだと非難すると、ファシストと戦った者をゲシュタポとはなんだ! と怒るシーンがあります。だけど、ファシストと戦ったはずの連中が、この後東ドイツでは国家公安局シュタージとなって、密告を奨励し国民を監視するゲシュタポみたいなことをするわけです。

しかも、こうした強権的な、生徒たちを管理したがる人たちというのは、自分がしていることが正義だと思い込んでいるから始末に悪い。洋の東西を問わず、権力を笠に着て正義ヅラして他人を管理したがるというのは、「悪」の一つだという自覚が大切ですね。

映画は実話に基づいているそうですが、主人公たちだけでなく、あちこちに気を使った演出(例えば駐独ソ連兵士の若者の言う言葉とか、教育大臣のナチにやられた首の傷とか、善良だけど何もできない校長とか)が、なんとなくドイツ映画特有の気配りしすぎの印象もあります。それと、個人的には列車に乗らなかった生徒たちのその後の方が知りたい、とへそ曲がりの私としては思ったりしちゃいます 笑)


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久しぶりの「アラビアのロレンス」覚書き

2020.08.09.09:45

このところNHKのBSで昼過ぎに色々昔の映画を放映してくれてます。で、「猿の惑星」なんかやってて、初めて見たのは中学の時かなぁ、 もちろんTVでした。当時中学生でも、やっぱりラストはびっくりでしたが、ヒッチコックの「鳥」もほぼ同じ頃に見た記憶があり、どっちも通常見ていたハッピーエンドの映画と違っていて、強く心に残ったものでした。

「猿の惑星」はその後30年ぐらい前? 大晦日に全5作を一挙放映したことがありました。今回それ以来、多分30年ぶりですかね 笑) しかし今見るとツッコミどころ満載でした。しょっぱな、宇宙船の中でチャールトン・ヘストンは葉巻をプカプカやってるし、湖に不時着した宇宙船は浸水しちゃうんですからね 笑) なんぼ着水のショックがあっても、そんなはずないだろ!と思わず一人で見ながら言葉が口をついちゃいました 笑) しかも、こんなこともあろうかとばかりに、ゴムボートまで用意されてたりしちゃう 笑)

猿のザイアス博士が事実を知りながら、あくまでもそれを認めず証拠隠滅するところなんか、中世の異端審問を思わせますし、ひょっとしてアメリカの進化論を罵倒するキリスト教原理主義者揶揄か、とか、かなり強引につなげれば、現在の日本も似たようなものかも、とは思わせますが、まあ同じ年に作られた「2001年宇宙の旅」と比べたら。。。笑)


一方で「アラビアのロレンス」。これは言わずと知れた傑作ですが、今回BSで放映されたのは1988年にスピルバーグらが復元した4K完全版。僕は高校時代にリバイバルで、テアトル東京というでっかいスクリーンの映画館で見ましたが、正直に言えば、内容はよく理解できなかっただろうと思うんだけど、それでも砂漠のスペクタクルシーンに圧倒されました。

当時のパンフがありました。奥付は昭和46年とあります。
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その後やっぱり30年ぐらい前に貸しビデオ屋で借りて見たのが最後で、これまた30年ぶりぐらいでした。当時ピーター・オトゥールって映画好きの友人らとよく話題にしていたお気に入りの俳優でした。http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1561.html 今回見直すと、オマー・シャリフの立ち姿の美しさにびっくりしましたね。この後、アラブ人特有の濃い顔なのに、ロシア人になって「ドクトル・ジバゴ」や、ドイツ人になって「将軍たちの夜」では同じドイツ人役のピーター・オトゥールを追い詰めようとしたり、世界的な俳優になりました。

映画は、ロレンスのオートバイ事故死から、葬儀後のロレンスを知る人たちの言葉がいくつか続いて、ポンと20年の歳月を遡る形で始まります。今回見直してもやっぱりいくつもびっくりするようなシーンがありました。ロレンスがマッチの火を吹き消した瞬間に日が昇る直前の真っ赤な砂漠になったり、無論超有名なオマー・シャリフが現れる井戸のシーンも、砂漠の小山の向こうを行く船の煙突のシーンも、アカバ攻略の俯瞰シーンも、まあ、言い出したら終わらなくなりそう。

ただ、今回ラストのシーンが(僕なりの)新しい発見でしたね。アラブのために一生懸命になり(人もたくさん殺したわけです)、結局イギリスの二枚舌外交のせいでアラブを裏切ることになったロレンスが、失意のうちに帰国が決まり車に乗っているとオートバイが追い抜いていきます。その直後に映画は The End となりますが、あのオートバイが、映画冒頭の20年後のシーンにつながるわけです。

同じようなことはもう一つあります。ラスト近く、同様に失意のままイギリスの軍本部を出て行こうとすると、一人の将校がロレンスに握手を求めます。その時ロレンスが「前に会ったことがありましたっけ?」と尋ねます。将校は否定します。この将校、冒頭の葬儀のシーンでロレンスの悪口をいうジャーナリストの言葉を聞きつけ、抗議しながら、ダマスカスで彼と握手したと胸を張る老紳士ですね。

ということは、あのシーンでのロレンスの台詞はなんなんでしょう?「前にあったことありました?」 ロレンスはここで観客のためにこのセリフを言っているのですね。いわばメタ映画的なセリフなんじゃないか、そんな気がします。上記のオートバイといい、この4時間近い映画はラストで冒頭に戻るという円環を閉じたような形になっているのではないでしょうか?


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グルジア映画「懺悔」

2020.08.05.14:33

懺悔

今はジョージアって言うんですね。昔「ピロスマニ」っていう画家の映画をソヴィエト映画の全貌シリーズで見たことがありましたが、イメージとしてはスターリンが生まれたところぐらいのイメージしかないですねぇ。

この映画、今から見ればありがちな独裁者批判の映画なんですが、作られたのが84年で、これってソ連で公開されるはずもない映画だったんですね。それがゴルバチョフがソ連のトップになってペレストロイカのお陰で公開されるや、ソ連国内で大評判となり、カンヌで大賞を取るとともにソ連・ロシア最高の映画賞の受賞作品となったのでした。ちなみにこのロシア最高の映画賞はニカと言って、88年にこの映画が取った後、拙ブログでも書いたゲルマン監督の「フルスタリョフ、車を!」「神々のたそがれ」、ズビャギンツェフ監督の「父、帰る」、ソクーロフ監督の「ファウスト」なんかが取ってます。

ある市で元市長の葬式が行われ、みんなが立派な人だったと褒め称え埋葬されたんだけど、翌日になると死体が掘り起こされて自宅の庭に立てかけられている事件が起きる。それが3回続き、ついに犯人の女がつかまって裁判になり、その女の父母らが市長によって粛清された過去が暴かれる、というようなストーリーです。

この市長の造形がすごい。ヒトラーのちょび髭、スターリンの下で粛清の嵐を吹かせたベリア風の鼻眼鏡、ムッソリーニの黒シャツ。で、笑うときの口の形がちょっと漫画のように口角が綺麗に上がって、どこか「薄い」笑いという感じで怖い。ちょっとオドオドしていて、市民のいうことに耳を傾けているようなふりをし、ひょうきんで突然ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」からアリアを歌ったりして人々を油断させながら独裁者になっていきます。途中の演説ではこんなことを言います。

「孔子はこう言った、『暗い部屋で猫を捕まえるのは難しい、猫がそこにいないなら尚更だ」と。我々の使命は困難なものだが決意を持てば『暗い部屋でも猫を捕まえられる、たとえそこに猫がいなくても』」

まあ、見事に部下たちも暴走して「いない猫」を無理やり捕まえます。こうした独裁ぶりを裁判で知った市長の孫は。。。。

と言うわけで、僕としては裁判の終わった後の孫の反応やその父親(つまり市長の息子)の行動に何か食い足りなさを感じたんですが、この映画の魅力はそういうストーリーとかスターリン揶揄とか、そういう面以上に、シーンの面白さ、美しさが素晴らしいです。どこかシュールな、あえて言えばクストリッツァ風のユーモアがあって、ちょっととぼけていて、それなのに怖い。

例えば、ここで出てくる官憲はみんな古代ローマ帝国風の鎧兜とマントを着ていて馬に乗っています。そんなのが狭い街の路地を追いかけてくる。かと思うと最初の方の市長の就任あいさつの場面では、すぐしたの水道管が破裂して、みんなが水を浴びる。そんな中で表情も変えずにタイプを打ち続けるビショビショの秘書。

ソ連ではシベリアへ送られた人たちが木材伐採した切り口に自分の名前と居場所を掘りつけておくことがあったんですね。その材木が運ばれてきて、万が一でも残された家族の目に触れれば、彼がまだ生きていることがわかるわけです。まあ、奇跡みたいなものなんでしょうけど。その材木置き場へ行く母と娘の場面は、アルヴォ・ペルトの音楽が流れ、膨大な量の丸太の前を母と娘がふらふらと歩き回る悲痛な美しいシーンです。

ペルトに限らず、音楽の使い方もいいです。喜びの歌をドイツ語で歌っているシーンにかぶせて、洞窟の中を刑場(このシーンでは、腰まで水に使って判決を聞くんだけど、タルコフスキーの「ノスタルジア」とか「ストーカー」のオマージュでしょうか)へ向かっていきます。あるいは収容所?の所長が女と結婚行進曲を連弾で弾いているシーンの奇抜さ。そして女が突然目隠しをして剣と天秤を掲げるシーン。いわゆる法のもとの正義の女神像になるシーン。市長の息子の夢?のシーンで魚を貪り食う市長が出てきて、その後我に帰った男の手には魚の骨が残されているというような不思議なシーン。

こういう幻想的で奇妙なシーンや、登場人物の突飛な行動が面白い。なんかロシア映画ってこういうのが多いです。本来3部作の最後のものだそうですが、1部と2部も見てみたくなりました。 YouTube に予告編がありましたので、貼っておきます。





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映画「ペイル・ライダー」と「シェーン」(完全ネタバレ)

2020.08.01.23:09

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昨日NHKのBSでやっていた映画。1985年のクリント・イーストウッドが監督主演した西部劇です。どこで聞いたか、「シェーン」のオマージュという知識があったので、見てみました。

いや、見ている最中はほぼ笑ってましたね。「シェーン」そのままやないか!って。無論完全に同じはずはなく、うまく設定などを変えてるんだけど。「シェーン」は多分一番繰り返し見ている映画の一つ(映画館で一番回数繰り返し見ているのはタルコフスキーの「鏡」だけど、TVやビデオで一番はこの映画だと思う)なので、あちこちで「シェーン」のあのシーンだとピンとくるものばかり。いや、この映画の冒頭シーンを見た人は、どこが「シェーン」だ、全く違うじゃないかと言うでしょう。もちろん1から10まで同じわけじゃないけど、あちこちで「シェーン」がいっぱいです。比べてみましょう。

「シェーン」では通りすがりのよそ者シェーンが、ジョー一家を脅しにきた牧畜業者ライカーに睨みを聞かせてライカーたちを追っ払う。こちらではもっと派手で、町で袋叩きにあっていた男ハルを、通りすがりのよそ者イーストウッドが助け、相手をボコボコにする。その強さは桁外れ。

助けてくれたお礼に家へ泊まるよう招待するのも同じだし、お礼に切り株を斧で切って掘り起こすシーンは、こちらでは巨岩をハンマーで打ち砕くシーンが対応している。

「シェーン」では牧畜業者と開拓農民の争いだったけど、ここでは金の採掘を細々とする村人と、大規模な(自然破壊的なやり方の)金採掘事業者の争い。シェーンが泊めてもらうジョー一家にあたるのは、ここでは夫婦ではなく、夫に捨てられた母娘と、その女と結婚したいと思っている男ハル。つまり、「シェーン」でのジョーイ少年はここでは少女だ。

村人がこれからどうするかを話し合う場ではシェーンと同様、イーストウッドも部外者で議論には加わらない。粋がった農民のエリッシャ・クックJr がジャック・パランスに撃ち殺されるシーンに対応するシーンもあるし、丸腰だったイーストウッドがガンマンの正装になるシーンもシェーンそのもの!!

まだまだあります。奥さんと旦那(こちらのハルは婚約者)と子供と主人公の四角関係?も同じです。みんなシェーンが好きなんですよね。ここでもみんなイーストウッドが大好き。そして「シェーン」でジョーイ少年が決闘に行く直前、「シェーンなんか嫌いだ!」というシーン、こちらでももちろんあります 笑) ただ、こちらは女の子だからちょっとひねりました 笑)

そして「シェーン」では殺し屋ガンマンのジャック・パランス。この人の凄さは映画の中ではエリシャ・クックJr の粋がった農民を撃ち殺すところだけなんだけど、もうその雰囲気が凶悪極悪残虐そのもの。ニヤッと笑った時の悪党ヅラの凄まじさが、シェーン役のアラン・ラッドの二枚目優男ぶりと対照的でした。なかなかああいう悪役はないだろうなぁ、と思っていたら、この映画ではどんな俳優連れてきても、一人ではパランスに太刀打ちできないと考えたか、悪徳保安官と手下6人という「数」で凶悪ぶりを表現しましたね。

これだけの人数を相手にするとなると、ラストの決闘シーンはどうするんだろうとハラハラドキドキしていたら、意外とあっさり手下どもは次々イーストウッドに殺されていき、ラスボスの悪徳保安官も、もうその時点でイーストウッドの迫力に負けてましたね。ただ、この7人のベージュのロングコート姿のシルエットはとても格好いいです。一列縦列で順番に現れるシーンもいいです。惜しむらくは、この手下の6人がなんか個性がなさすぎかなぁ。

「シェーン」のジャック・パランスの、自信に溢れた「プルーヴ・イット」のセリフに当たるものはなく、ラスボスが死際に「ユー。。。」と二回叫ぶだけ。そうは言っても悪徳保安官をやったジョン・ラッセルという俳優、結構な歳だと思うけど、すごく悪そうな雰囲気は出ていました。

イーストウッドの銃の撃ち方も完全にシェーンを意識していますね。左手で撃鉄を起こして連射するスタイル(名前失念、子供の頃だったら覚えてたのに 笑)は、まんまシェーンでした。

そしてラストの映画史上に残る「シェーンカムバーック!」の名場面も、もう笑うしかないぐらい、そのまんまやってましたね。もう嬉しくて涙流してました 笑)

シェーンと違っていたのはラストで、イーストウッドを影から撃とうとする採掘事業者のボスを撃ち殺すのがハルだったことですね。無論冒頭突然襲われる村のシーンなんかは「シェーン」にはなかったし、悪徳業者の息子も「シェーン」には出てこないですけどね。ただ、「シェーン」で心を入れ替えてシェーンに忠告を与えるベン・ジョンソンに当たるのが、こちらでは大男で、最初の方でイーストウッドに簡単にやっつけられちゃうリチャード・キール。この人は007でも悪役で出てきたし、とても小柄な奥さんと一緒に来日して、その時TV番組で見た記憶があります。

また、「シェーン」ではジョーはシェーンよりも頑強で腕力があり、ライカーの手下たちとの殴り合いにも負けてませんが、こちらのハルはマッチョではなく喧嘩は全くダメです。でも最後に上記のように、「シェーン」のジョーにはやりたくてもできなかったことをします。

さて、「シェーン」ではシェーンは酒場の乱闘シーンではかなりボコボコにされるし、ラストの決闘に向かう直前にはジョーと殴り合いをしてほとんど負けそうになってるし、決闘でも最後に後ろから打たれて血を流します。「シェーン、カムバーック」の声に映るシーンは墓場を行くシーン。シェーンは死んだんだ、いや死んでないと論争を呼んだシーンですが、イーストウッドは、ついに一度も殴られることもないし、ラストも血は流しません。「シェーン」に比べて圧倒的な強さです。全く傷つかない。

ただ、ラストシーンは雪にけぶる険しい山が映されます。題名の「ペイル・ライダー」も、聖書のヨハネ黙示録の4騎士ですね。最初の方で娘が聖書のその部分を読むシーンがあって、それと同時にイーストウッドが現れます。

「そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。」(ヨハネ黙示録6. 8)

最初の方で飼い犬を殺された少女が奇跡を願うシーンがあります。その「奇跡」という言葉にかぶって雪山から蒼白い馬に乗って出てくるイーストウッドは何者でしょう? 途中、悪徳保安官がイーストウッドの容貌を聞きながら、「あいつは死んだはずだ」と言うシーンもあるし、イーストウッドの方でも保安官を知っていて、あいつには因縁があるみたいなことを言うし、イーストウッドの背中にはいくつもの銃で撃たれた傷跡があります。ほとんど背中のど真ん中だし、致命傷のはずです。決闘前夜に母親と会うときにも、山からイーストウッドを呼ぶコダマのような声が聞こえます(ちなみにこのシーン、母親とイーストウッドはどうしたのか、とてもビミョーなシーンで「シェーン」にはなかったシーンですが、「シェーン」の母親の口にできなかった想いに対応するシーンなのでしょうか)。

ラスト、悪徳保安官が「ユー」と言うのも、おそらくお前は死んだはずだ!と言いたかったのでしょう。と言うわけで、月並みですが、イーストウッドは亡霊ですね。すべてが終わって、峨々たる雪山に帰っていったのでしょう。しかし、こうなると悪徳保安官も蘇ってこないかと不安になりますが、純粋無垢な少女の願いがないと無理なのかな?

いや、あまり期待しないで見たんですが、かなり面白かったです。


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映画「希望の灯り」(ネタバレなし)

2020.07.22.18:39

このところすっかり映画感想文ブログになりつつあります 苦笑)
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昨夜見た映画はこれ。うーむ、ドイツ映画には珍しく子供と一緒に見ても安心なハートウォーミング映画っていう奴でしょうか 笑) ただ、本当に子供と見たら子供は退屈するでしょうけど 爆)

一見イケヤかと見紛うような郊外型の巨大スーパーが舞台です。ドイツ東部の、周りには遠くにアウトバーンが見えるだけの何もない場所にあります。ドイツなんて小売店を保護しているような印象があったけど、旧東独側にはこういうのが多いのかなぁ?よく知らない。何れにしても、セリフの中でも説明されているけど、東ドイツ時代には国営の運送施設だったのを、東西統一後にある企業(おそらく西側の大資本)が買収してスーパーにしたらしいです。

映画は8割以上このスーパーの倉庫が舞台で、登場人物もほとんど従業員達だけ。

簡単に内容を要約すれば、前半は新入りの要領の悪そうなタトゥーだらけの主人公が、倉庫では必携のフォークリフトの運転資格を得られるかどうか。そしてその後はその主人公とお菓子担当の年上女性とのほのかな恋。
フラッシュバックのように何度も繰り返される着替えシーン(襟と手首だけがアップになる)で、単調な毎日が暗示され、みんな仕事に励みつつも、仕事中にこっそりトイレで吸うタバコと仕事が終わった後のビールだけが楽しみな様子。表面上何も起きないし、人々の表情も喜怒哀楽をあまり示さないし、ぼんやり見てるとなんだかよくわからない退屈な映画だと思うでしょう。

でも、最後の方で、えっ? というようなことが知らされ、みんなが抱える孤独が浮き彫りにされます。ラストは日常の中にある、どうでもいいような瞬間的な幸福感。そういうことに気がつけば、少しは生きていることに潤いをもたらすことができるんだ、単調な毎日が少し楽しくなるんだということを暗示しつつ、遠い波の音とともに映画は終わります。このラストはうまいです。

主演は去年拙ブログでも紹介した「ハッピー・エンド」「未来を乗り換えた男」「名もなき生涯」のフランツ・ロゴフスキ。ポスター写真の横顔を見ればわかるように、顔面ど真ん中にパンチくらった?っていうような、ボクサーみたいな悪党ヅラで、飴玉でも舐めてるような舌足らずな喋り方をします(ドイツのウィキで見ると口唇口蓋裂で生後すぐに手術をした影響で話し方が舌足らずだと書かれています)が、今回の映画では何しろ無口。ほとんど会話が成り立たないようなシャイで表情の変化の乏しい若者をやってます。

その上司で、無口なロゴフスキを何くれとなく面倒をみる初老の上司役は、先日3回にわたって長々と紹介した「バビロン・ベルリン」で上級刑事のブルーノ・ヴォルターをやったペーター・クルト。今回も名前がブルーノです 笑) いやあ、いいです。この人いいですよお。うらぶれて東独時代を懐かしみながら、洞察力もあってロゴフスキの過去を言い当てますが、孤独で人知れず悲しみを抱え込んでいるという役。いや、ホント、バビロン・ベルリンでもすごくよかったけど、この映画でもむちゃくちゃ良いです。もっと他の映画もみたいです。

ロゴフスキが恋する年上の女性は「ありがとう、トニ・エルドマン」でウザい父親を持て余すバリバリの仕事のできるエリート娘をやったサンドラ・ヒュラーという人ですが、ちょっと八重歯気味で笑顔がいいですが、おばちゃんです 笑)

孤独で単調な人生、日々を追い続けていけばあっという間に時間は過ぎてしまいます。自分の生活に追われていると人のことを考えるゆとりはありません。でもちょっとこういう映画を見て、どこかで孤独で単調な毎日を送っている人のことを想像し、ちょっとした日々のゆとりを探せたら、ほら、あなたにも波の音が聞こえてきません?


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映画「眼下の敵」(ネタバレ)

2020.07.20.11:16

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ポスター写真はあえてドイツ版で 笑)

少し前にBSで放映していたのを、見ないかもしれないなと思いつつ録画しておいた。で、見た。実は高校生の時に父と一緒に見たことは覚えてる。でもまあ内容はほぼ忘れていた。最後に主役二人がタバコを吸うシーンははっきり記憶にあったけど。

あれからずいぶんたくさんの反戦映画を見たから、その経験をもとに見るとかなり甘い。こんな騎士道精神と敵に対する敬意を持った、ゲームのような戦いはあり得なかっただろうと思う。

ドイツ映画の「Uボート」で、緊急潜行の時には潜水艦の乗組員たちは狭い船内を一斉に船首側向かって走るものすごい迫力あるシーンが出てきたが、この映画のUボートは船内も綺麗で広く、結構近くで爆雷が爆発しても大して被害を受けない。水が吹き出たり、オイルが吹き出すシーンもあるけど、「Uボート」のようなボルトが飛んで船内がギシギシいい、今にも圧滅するんじゃないかという恐怖感・緊迫感は薄い。それに「Uボート」では船長はじめみんな長い航海で髭ぼうぼうになったけど、こちらはみなさん毎朝髭剃ってたんですかね。

ただ、後知恵の文句はつけられるけど、この映画の駆逐艦とUボートの戦いは、特に爆雷の投下シーンが本物を使っていることもあって(アメリカ海軍完全協力)、本物の質感があるし迫力もあれば緊迫感もあって格好いいし、時間があっという間に過ぎた。

でも、最後に追われる一方だったUボートが起死回生の一撃で形勢逆転、すると、駆逐艦側は大破を偽装する。それを潜望鏡で見て浮上したUボートが、人道的に、退去のために5分待ってからトドメの魚雷を打ち込むと警告すると、なんと、それに対して配慮に感謝すると答えながら、突然砲撃を始め、さらにUボートに体当たり。

これって、この映画を見たアメリカ人は、勝った(引き分けた、か?)といってもだまし討ちで汚い、こんなの嫌だ!と怒らなかったんだろうか? また、やられたUボート側も、こんなやり方されたら怒りを増幅させたんじゃないかと思ったりする。だって、この砲撃でUボートの乗組員も何人か死んだんだし。

まあ、その後の救命ボートではアメリカ兵たちが一生懸命ドイツ兵たちをボートに引き上げようとし、Uボート艦橋に取り残されて死を覚悟した艦長は、駆逐艦艦長が投げたロープに救われるんだけど。

1957年の映画で、まだ戦争が終わってから12年しか経ってないけど、(西)ドイツも西側の一員としてアメリカとともに共産主義に対抗している時代だからか、ちょっとドイツ側に忖度してるのかなぁ、なんて思ったりもする。無論Uボート船長は反ナチ的な人物として描かれ、「こんな戦争に勝ったとしても残るのは嫌な気持ちだけだ」なんて言うんだけど。

主役のロバート・ミッチャムは大好きな俳優の一人で、「狩人の夜」や「恐怖の岬」でのものすごい悪役と、もっと歳をとってからの「ライアンの娘」の寝取られ夫役や「マリアの恋人」の父親役が特に印象に強く残っている。洋画好きの母からはこの人「スリーピーアイ」って言われてたのよ、と聞かされたっけ。でも、母がロバート・ミッチャムを見るとしたらモンローの「帰らざる河」ぐらいだったんじゃないかなぁ。

一方のクルト・ユルゲンスの方は、もうこれは絶対に「目には目を」の気の毒な 笑)医者の役。何れにしてもこの二人の戦いが終わった最後のやりとりと表情だけでも、見てよかったと思いました。


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映画「聖杯たちの騎士」(ネタバレ??)

2020.07.19.23:10


テレンス・マリックの映画。多分自分のことを描いているんだろうなぁ。「トゥー・ザ・ワンダー」について以前書いたけど、ほぼ同傾向。ペアの作品と言っても良いかもしれません。どっちか片方見ればそれで十分という人もいることでしょう 笑) 両方結構と言う人も多いかも 爆)

例によってむちゃくちゃ美しい自然のカットがいっぱい。そうした太古から続く自然の前では、個人の様々な確執や諍いなどどうでもいいんだといういつものマリック節。「トゥー・ザ・ワンダー」と同じように10秒以下の短いカットのつなぎ合わせと広角レンズで画面の中の全てがピントが合っている絵画のような美しい映像もマリック映画のお約束です。

主人公は映画の脚本家で、映画の最初の方で、どうやらこれからハリウッドで一発当てる大チャンスを得たようで、華やかなセレブの仲間入りをしています。映画の雰囲気はまるで違いますが何となくフェリーニの「甘い生活」のことを思い出したりしました。フェリーニの方がずっとシニカルで人生をバカにし切ってるような感じかな? それに対してマリックって上にふた文字つけた方がいいような真面目さ。ただ、僕はフェリーニよりこっちの方が好きかもしれません 笑)それから、佐々木昭一郎のドラマなんかも思い浮かべたけど、かけてる金が違うから、まあ比較してはいけませんね 笑)

主人公は奥さんがいるんだけど、相手の女性を取っ替え引っ替え情事を重ねる。で、こんな生活が嫌になったか、後半では日本庭園で禅の話を聞いたり、神父の神についての話を聞いたり、人気(ひとけ)ない岩山をさまよったりするけど、きっとそうしたことで心が晴れたわけではないんだろうなぁ。何れにしてもこれらの短いカットが次々と出てきて、最後に主人公が「始めよう」と言うと、これまで何度か出てきた高速道路のトンネルを抜けるシーンが映されてジ・エンド。

映画はいくつかの章に分かれていて、それぞれに、映画の最初の方で出てきたタロットカードの表題がついているけど、何を意味するかは私にはわかりません。

セレブたちの退廃した生活と貧しいものたちや障害のある人たち、あるいは主人公の弟と父の関係(マリックの弟は父に反発して自殺したらしいですが、それは「ツリー・オブ・ライフ」でも暗示されていました)などが、何の説明もなくブツ切れで、しかも10秒足らずのカットの連なりで出てきて、そこにやっぱりいつものようにブツブツとモノローグが被さり、アルヴォ・ペルトなどの音楽が控えめに被さります。

主役のクリスチャン・ベールってクリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズでバットマンやった人ですが、バットマンは見てるときは楽しいけど、まあ、正直もう一回見ようとは思いません。一方、こちらは、ああいうワクワクハラハラ感はとても感じられません。いや、むしろ見ている最中は結構な難行苦行です 笑)登場人物たちの葛藤とか感情のせめぎ合いがわかるような映画ではないし、ストーリーを追いかけようとしてもよくわからない。あの突然出てくる泥棒なんて、一体何? なのに、翌日になって(これ昨夜見たんですが)、なんかもう一度見たくなっているんですよね。

マリックの映画ではこの前の「名もなき生涯」がとてつもなくわかりやすい映画だったんだな、と改めて思った次第でした。


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「引き裂かれたカーテン」と記憶混濁

2020.06.28.11:03

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昨夜、録画してあったヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」を見ました。昔、多分40年ぐらい前にTVで見たことがあったのですが、今回見ていて、記憶の中で何か別の映画と混同していました。

数学者のポール・ニューマンが東ドイツへ亡命したふりをしてスパイになって、東独の高名な数学者から情報を奪ってくるというわけなんですが、僕の記憶の中ではこの東独の高名な数学者が、主人公と当局の見張り(シュタージ)のもみ合いで、とばっちりを食らって後頭部を打って死んでしまう。そしてシュタージの男が主人公に罪を被せる。「殺したのはお前だ」とシュタージが笑いながら言うシーンが記憶にありました。

そしてその後の有名なバスのシーンになる、と思っていたんですが。。。だから最初から三分の一ぐらいのところで、あれ?違ってる、と気がついたわけで、その後はそればっかり気になってしょうがありませんでした。

今回の「引き裂かれた〜」を昔TVで見たのは間違いありません。ポール・ニューマンが黒板の数式を暗記しようと集中し、それに気づいた老学者が黒板を見えなくするシーンなんか、完全に覚えていましたから。だけど、その後当局の男ともみ合いになるんだと思っていたら、まるでそうではありませんでした。

ただ、勘違いしていた方の映画がどうしても思い出せない。「12人の怒れる男」にジョセフ・スウィーニーという、最初にヘンリー・フォンダの味方になる老人がいましたが、彼のような風貌の老学者が倒れた拍子に机の角で後頭部を打って死んでしまうんだけど、そのシーンは横から頭を打つところがとらえられていたと思うんですよね。主人公はスパイになって共産圏の国に入国し、その学者から何かの情報を奪おうとする。主人公はポール・ニューマンだと思い込んでいたから、ウィキで探したけど、それらしいのはないですね。あの映画なんだったんだろう?

どなたかご存知ないですか? あー、気持ち悪い。


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映画「トゥー・ザ・ワンダー」(ネタバレ)

2020.04.22.23:08

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このところお気に入りのテレンス・マリックの映画です。新型ウィルスがなければ絶対「名もなき生涯」をもう一度見に行ったはずなのに。。。

さて、この映画を嫌う人もきっと多いでしょうね。最初に思いついた言葉は「ひとりよがり」でした 笑)コマーシャルフィルムみたいというのもあるかもしれません。でも僕は好きです。映画で描かれているロマンスは個人のことではなく、もっと普遍的なものでしょう。美しい自然の中、悠久の時の流れの中、あるいは全てを統べる神の前で、人間なんていうものは。。。。といういつものマリック節とも言えます。この人の映画ってどれもそうですね 笑)

単純にストーリーらしきものを追えば、フランスで出会ったバツイチ子持ち女と男が愛し合い、モン・サン・ミシェルへ行き、さらに男の故郷のアメリカへ渡るも子供がフランスに帰りたがって一旦別れるけど、子供を元夫に預けた女は再びアメリカに戻る。双方それぞれ浮気したりしながら愛憎の揺れ動く中、女はラスト、アメリカの草原の中で冒頭のモン・サン・ミシェルを思い出す、とそんなストーリーでしょうか。ただし、非常に短いカットや、会話シーンでのジャンピングカットの多用で、ものすごい爽快感というかスピード感があります。カットの短さは尋常ではなく、多分どのカットも長くても10秒ないんじゃないでしょうか。こんな映画、見たことないですね。逆に長い方なら見慣れてるんですが 笑)

そしてマリックの映画ではいつでもそうですが、風景が美しい。マジックアワーを使ってとても綺麗な映像を次々と繰り出します。アンドリュー・ワイエスの絵のような草原(「天国の日々」でもそうでした)もそうだしカンザスの家並み(「ツリー・オブ・ライフ」でもそうでした)も、風の音や、アルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキの音楽とともに、見ていてとても心地よい気持ちにさせてくれます。

ちょっと思い出したのは「コヤニスカッツィ」でした。あれも次々と美しい風景が流れ、フィリップ・グラスの荘厳な、永遠とか神とか宇宙とか、そんなものを感じさせる音楽が特徴的な不思議なドキュメンタリー映画?でしたが、この映画でも美しい風景に女のモノローグがかぶり、説明が少なく会話らしい会話もなく、上に書いたストーリーなんて、本当はどうでもいいんでしょう。

中盤から後半にかけて二人の間にハビエル・バルデスが演じる神父が出てきます。この人、「ノーカントリー」では天災のようなターミネーターのようなとんでもない殺し屋をやってたんですが、今回は神父です 笑) この神父に主人公の女が懺悔したり、危機的な関係にある男が助言を受けたりしますが、最後の方で、この神父のモノローグがグレツキの音楽にかぶり、刑務所や障害のある人たち、困窮者たちや死者に寄り添うシーンが出てきます。このシーンはグレツキの音楽のせいでしょうか、涙が出ました。思ったのは、あの神父は「ベルリン・天使の詩」の天使と同じなんですね。苦しむ人たちに対する思いは強く、自らも苦しまざるを得ない、できることはただ苦しむ人たちの肩に手を置くことぐらい。だけど、そこに神の偏在とでもいうのでしょうか、ものすごく高貴で美しいものを感じさせます。ストーリーの中ではなんのために出てきたのかよくわからないんですが、あの神父がいることで、この映画がより深いものになったと思います。

最後唐突に終わるとともに延々とバロックの典雅かつ悲壮感ある音楽(これが誰の何という曲なのかが分かりません、どなたかご存知ないですか?)の中をテロップが流れ、最後の最後に突然電車の音が遠くにします。あれは間違いなく、タルコフスキーの「ストーカー」のオマージュでしょう。そもそもがラストのあたり、延々とペルトやグレツキの音楽に合わせた映像は、必然的にタルコフスキーの「鏡」のラスト、延々とバッハのヨハネ受難曲の冒頭が流れ続けるシーンを思い出しました。多分間違いなく、監督はそれを意識していると思います。


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映画「ボルグ/マッケンロー・氷の男と炎の男」

2020.04.19.23:54

いやはや、WebEXとか、その他のわけわからんアプリケーションでひっちゃかめっちゃかです。ものすごいストレスだわぁ。他のこと何もできないまま数日が無駄に過ぎて行きました 笑)
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というわけで、昨夜はCSでちょっと前にやっていた表題の映画を見ました。このボルグ対マッケンローについては以前にここでも書いたことがありましたっけ。リンクしておくのでよろしければどうぞ。
ボルグ対マッケンロー、心に残るスポーツシーン(8)

(さっき本箱からこんな雑誌も出てきました。1981年、マッケンローがボルグにウィンブルドンで勝った年のナンバー。番号が35番です)IMG_7192.jpg


前にも書いたように、僕はスポーツ映画ってどうもきちんと見られないんですよね。例えば市川崑の「東京オリンピック」とかルルーシュの「白い恋人たち」なんて見ちゃったら、「炎のランナー」の激走シーンなんて見てて恥ずかしくなっちゃう。なんてこともすでに何回か書きましたね 笑)

この映画もテニスの試合のシーンは短いカットとフットワークだけとかで処理して、まあ、うまく「ごまかして」いました。まさにごまかしていたという感じで、あのシーンを手に汗握るなんて言っている映画評がありますが、私はとてもとても 笑)

それから、ボルグはよ〜く似てましたが。マッケンローは今ひとつですね。ただ、フォームはボルグはもっと擦り上げるようなドライブ打法だったし、マッケンローのサーブも何かちょっと肩のあたりが違うような気がしましたね。肩越しに見るんだけど、あんな肩を怒らしてなかったような気がします。ラケットの持ちかたもマッケンローって軟式テニスのグリップの逆みたいな変な持ちかたをしていたと思うんですけど、そこらへんはまるでスルーされてました。

何しろマッケンローの打法って他の選手には真似できないような柔らかさがあって、のちにスウェーデンの卓球選手のワルドナーというのがそういう感じでしたけど、なんていうんだろう、球をラケットで捉えた時の感じが全然力が入ってないみたいで、天才ってこういう奴のことを言うんだな、と思わされたものでした。

私は先のボルグ対マッケンローのエントリーでも書いたように、この試合、リアルタイムで見ていました。もちろんボルグを応援してました。だからあの歴史に残るタイブレークも、そうだったなぁ、と思い出しました。その意味で、この映画を観た甲斐がありましたね。

でも、この映画は美談仕立てで、悪ガキマッケンローが決勝戦ではいつものように暴れまくらずおとなしくしてて、これでマッケンローは紳士に変わったかのような錯覚を起こさせる作りになっていましたが、そんなことありません 笑)この後もマッケンローはずっと罵詈雑言卑語猥語をコート上で叫びまくって、観戦していたダイアナ妃が退席したりしてました。

なんか映画として当たり障りのないような作りだったかなぁ。僕はマッケンローっていわゆるアスペルガー症候群なんじゃないかと思うんですよね。このアスペルガーって最近話題だけど、FBの創始者のザッカーバーグがそうだとか(ザッカーバーグのことを描いた「ソーシャル・ネットワーク」と言う映画があって、その冒頭のところでの女友達とのまるで噛み合わない話なんかは明らかにそれを示してました)、ピアニストのグレン・グールドがそうだったとか、アインシュタインもそうだったとか、色々言われているけど、マッケンローもコートチェンジの時のラインにそって歩く変なこだわりとか、周囲の人間の心がまるでわからないとか、呆れるほどの自己中とか、このアスペルガー症候群という言葉を知った時に最初に思い浮かんだのがこの人でした。

映画ではそういう面はほとんどなく、むしろ逆にボルグの徹底的なこだわりが強調されていましたね。特に最後はマッケンローが空港でボルグ夫妻とあってハグし、ナレーションが、この後二人は本当の親友になったなんていうんだけど、いやぁ、ちょっと美しくし過ぎでしょう 笑)

映画はボルグが主役で、子供の頃の感情をコントロールできないボルグがコーチのレナートの指導のもとに氷のような感情を表さない紳士的なプレイをするようになるまでと、勝ち続ける者の苦悩みたいなものがメインになっていて、正直言ってそれほど面白くなかったですね。どうしてもテニスをしている時のフォームがいかに本物に似てるかが気になって、そして二人だけでなく、当時のテニスプレイヤーたちの姿がどれぐらい本物に似ているかが気になってねぇ 苦笑)

ゲルレイテスは全米でマッケンローが初めて優勝した時の相手でした。負けて荒れてましたね 笑)これもリアルタイムで観てましたね。この映画ではテニスをしているシーンはなかったけど、最初に出てきたシーンから、映画の中では名前は一度も?呼ばれなかったけど、あ、これはゲルレイテスだな、とわかりましたから、これは似てました。まあ金髪の挑発でちょっと頬のこけたような顔だから似せやすいかも。最悪はコナーズ。似てません。マッシュルームカットにすれば似るってもんじゃありません。コナーズはもっと小柄でした。出来るだけ大写しにならないようにしてたけど、マッケンローと口喧嘩するシーンで映った姿はちょっとがっかり 笑)まあ、コナーズクラスの選手の扱いがこんななのも、ちょっと納得いきません。

マッケンローが出てくるまではコナーズがなにしろ悪ガキで、他にもナスターゼなんていうもっと陰気な文句屋がいて、当時のテニス界はやりたい放題言いたい放題で審判に逆らってばかりいる奴らがたくさんいましたっけ 笑) そういう奴らが負ければ気持ちいいんだろうけど、それがまた勝つんだなぁ 笑) イワン・レンドルが出てきて、やっと普通の奴が勝つようになったなと思ったものでした。

いや、今回はテニスの悪童ばかりが思い出されてしょうがない。いや、僕は卓球やってましたから、テニスについてはちょっと思いは複雑なんですが、でも一時期はよく観てました。今は全く観なくなりましたね。21世紀に入ってから、最初から最後まで見たテニスの試合は一つもありません。


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映画「魂のゆくえ」(ネタバレしてます)

2020.04.06.11:28

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前にあげた「スターリンの葬送狂騒曲」と一緒にツタヤディスカスで借りた映画です。で、同じように二回続けて見ました。いろんな過去の映画のオマージュ満載の映画です。僕は面白かったし、大好きな部類の映画です。自然光だけで撮影していると思われる暗く寒々しい風景は、特に夜景が美しく、また日中も灰色が基調で見ていて気持ちが良いし、左右シンメトリーで正面から写す家の画像や、室内シーンのバランスと静謐さも心地いいです。会話が途中をカットすることなく、おかげで途切れ途切れに言い澱むような間があってドキュメンタリーのような雰囲気です。

主人公の牧師(イーサン・ホーク)がろうそくの火のもとで毎晩日記を書いていく、その日記が朗読されていく、そしてその牧師は胃がんで、日記を書きながらアルコールだけを摂取しているというところは全てロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」の設定を使っています。そしてブレッソン風のそっけない撮り方を意識しているのも間違いありません。
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ブレッソンの「田舎司祭の日記」は新たに赴任してきた若い田舎司祭が教区の信者たちに馬鹿にされたり、娘たちにからかわれたりしながら、胃が痛いので安いワインだけを飲んで、美味しいものも食べず、カトリックの坊さんですから妻も子もなく、いいことがないまま死んでしまうんですが、こちらの「魂のゆくえ」の方はプロテスタントの牧師ですので妻帯した過去があり、子供もいた設定ですね。そして飲んでるのはワインではなくウィスキーでしょうか。

(ブレッソンの田舎司祭はただ一つ、最後の方にオートバイに乗って楽しかったと言うシーンがあります。こちらの「魂のゆくえ」でも、自転車に乗って楽しかったと言うシーンがあり、ひょっとして、これもオマージュの一つかな?)

また、礼拝に集まる信者の数の少なさや、牧師自らが神の沈黙に悩み、キリスト教を疑い始めているところや自分の受け持つ信者が自殺してしまう点は、これも間違いなくイングマール・ベルイマンの「冬の光」と重なります。ベルイマンの「冬の光」では主人公の牧師はキリスト教を疑い始めているという生易しいものではなく、もうキリスト教など全く信じてません。教区の信者たちから総スカンをくらい、最後は愛人(牧師に愛人がいるというのも驚きですが)が一人しか聞いていない教会で、立派な説教壇から神の栄光について語るという、むちゃくちゃ酷い映画でした 笑)
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そして、その中で自殺する男(上の写真で右側のマックス・フォン・シドーがやってます)は中国が原爆を開発したことで第三次世界大戦が起きるのではないかと不安で死んでしまうんですが、このシーン、川の流れがものすごい轟音で、警官や牧師らがウロウロするだけで何を話しているのか全く聞こえないという悲痛なシーンで、あまり取り上げられませんが映画的にすごいシーンだと思います。

こちらの「魂のゆくえ」では自殺するのは地球環境に不安を感じている環境活動家です。どちらも自分の教区の信者が自殺してしまうという、牧師としては最悪の結果を迎えます。他にも「冬の光」を思わせるシーンは、元妻?に対してむちゃくちゃ酷いことを言うところもそうですね。「冬の光」では愛人に対して酷いことを言いますが、こちらでは元妻に対して君を軽蔑する、なんて酷いことを言います。

*
お話は、建てられて250年を迎える教区教会の牧師が主人公です。彼は元従軍牧師で、息子も軍へ入隊させたんですが、息子はイラク戦争で戦死し、そのせいで従軍牧師を辞め、妻とも離婚しています。その彼が教区の信者からの相談で、環境保護活動家の男の相談に乗るけど、男はすぐに自殺してしまいます。

牧師は血尿や嘔吐の症状があり、明らかに体調悪そうです。250周年記念の催しを大々的に祝うよう本部の上司の牧師から言われていますが、その本部をはじめ記念式典は、自殺した環境保護活動家が敵視していた企業から多額の寄付を受けていることがわかります。夜な夜なネットで環境問題を調べ、その企業が政府の環境保護施作の邪魔をしながら環境破壊をしていることを知り、上司の牧師に訴えますが、事なかれ主義の上司は彼のいうことに耳を貸そうとしません。

この上司が言うセリフで、キリスト教が政治的に保守的になる理由がよくわかります。神の意志は現在に反映されているのだから、それに逆らうことをしてはいけない、と言われれば、戦争だって貧困だって格差だって環境破壊だって、神の意志だと言えてしまうわけですから。それはワークショップでの少年の超保守的・右翼的な発言にも垣間見られます。

それと並行して、牧師は自殺した環境活動家の妻メアリーの相談や精神的なケアもしなければならず、二人の間は徐々に接近していきます。その二人が「ミステリーツアー」と称する神秘体験をするシーンでは、あからさまなタルコフスキー的シーンも出てきます。これはテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」でも出てきた空中浮遊で、もうこういうシーンが出てきたら間違いなくタルコフスキーのオマージュですね 笑)

最後は250周年式典です。すでに牧師は環境問題から、いわゆる神の沈黙の問題に行き着き、キリスト教信仰に疑問を感じ始めています。そんな牧師がとった(とろうとした)行動とは?

以下、ネタバレします。特に最後が衝撃的??なので、この映画をこれから観ようと思っている人は読まないよーに 笑)

でも、ネタバレと言いながら、実はよくわからないんですよね。僕はラストのシーンはもうすでに主人公の牧師は死んでいるんじゃないか、その魂が見ている夢なんじゃないかと思ったんですけどね。

何しろ、よくわからないことだらけです。牧師は環境保護活動家の家にあった自爆ベストを着て250周年式典に出席しようとしています。つまりその式典には問題の企業のCEOも出席しているし、上司も市長もいます。自殺した環境活動家に変わって自爆テロをしようというわけです。

ところが、その式典に、来ることを禁じていた活動家の妻メアリーが来てしまいます。牧師はうろたえ、自爆ベストをかなぐり捨て、その代わりに少し前に墓地で拾った有刺鉄線を体に巻いて、まるで鞭打ち苦行僧のように血まみれになり、さらに正装した上でトイレの詰まり防止剤?をコップについで飲もうとします。

と、こう書いてもよくわからないですよね。なんかシュールな展開なんですよ。

250周年式典の現場では牧師が現れないので、上司が牧師館へ迎えにきますが鍵が閉まっているので引き返す。なのに、最後の瞬間にメアリーが現れるんですね。なんで? 二人が抱き合いキスする。その長いキスシーンは、この映画で初めてだと思うんだけど、カメラが二人の間をぐるぐる移動します。それまでのカメラはほぼ固定で、パンすらしなかったと思うんだけど。で、そのグルグルの途中で突然画面が真っ黒になり、下からゆっくりクレジットが上がってきます。

え?? え? なに? 何が起きたの?? という感じで、このあまりに唐突な終わり方にもびっくりさせられます。あのメアリーはどこから入ってきたんでしょう? 

うーん、わからん。以前書いた韓国映画の「コクソン」のような、自分で納得できるお話を作りたくなります。


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映画「スターリンの葬送狂騒曲」覚書き

2020.04.02.12:32

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ツタヤで借りた映画ですが、二度観ました。一度めが面白かったからではなく、人物関係がよくわからなかったからです。正直、スターリンとベリヤとフルシチョフ以外、名前も知らない状態で見ましたから。で、二度観てなるほど、面白い、すごく面白い。笑えないギャグ満載の映画です。どこかモンティー・パイソン風の不条理ギャグで、細部はともかく事実に基づいた話であるわけだし、大量連行や組織的殺害の命令と実行も描かれるわけだから、これって笑うところなのか? と。。。

1953年、スターリンが死にます。それによって後継者争いが勃発。中心人物は今ひとつパッとしないフルシチョフ(上の写真では右から二人目)と冷酷なNKVD(のちのKGB)長官ベリヤ(左端)で、そこに気の弱いマレンコフ(右から3人目)や、武闘派の将軍ジューコフ(右端。これがかなり笑えます)、粛清対象だったモロコフ(中央)やスターリンのアホ息子や娘(左から2番目と3番目)などが絡んで、後継者争いが始まります。そのドタバタぶりがどこか不条理な笑いを呼びます。まあ、権力争いなんて不条理なものなんでしょう。

お話は史実通りに進むし、途中のNKVDによる大量虐殺や収容所での状況も史実に基づいているんでしょう。しかし、酷い。ナチス時代のドイツより数倍酷いかもしれません。何しろ殺させたベリヤ自身が、あいつは無実だったなんてうそぶく。少なくともナチス時代の一般市民はナチスに従順でさえあれば、身の危険は感じずにすんだけど、スターリン時代は一般市民もいつNKVDに踏み込まれるか知れず、息をこらして生活していたのでしょうから。この映画でもアパートの寝間着姿の指揮者が覚悟するシーンなどに、それが暗示されます。

以前ここで地球が滅びる時には絶対見たい映画、生涯の最後に見たい映画として書いたことがあるタルコフスキーの「鏡」に、思い出のシーンなのか、それとも夢のシーンなのか、何れにしても、母がスターリン時代に印刷所へ急ぐシーンがありました。このシチュエーションの僕なりの解釈は以前書きました。このシーン、母が印刷所へ急ぎ、周りの職員を無視して何かを確認し、そしてそれが終わるとホッとし、どうしたのとリザベータに聞かれて何かを彼女の耳元で呟き、リザベータがおお、それはよかったと言います。最初に見た時は全く意味がわからなかったけど、後ほど、パンフやいろんな解説によって、当時のスターリン体制下では新聞でスターリンの綴りが間違っていたら、植字工から編集チェックの者までみんな収容所に送られるようなことがあったことを知りました。あのシーンはその暗示だったんでしょう。

以前、ゲルマン監督の「フルスタリョフ、車を」というとんでもない映画をここでも紹介したことがありましたが、映画内での出来事が色々かぶるんですね。この映画でもスターリンが死の床にあるときにベリヤが「フルスタリョフ!」と叫びます。ただしここでは車を呼ぶのではなく、都合の悪い書類を「車へ」入れておけと命令するんですが。

ゲルマン監督の映画の方は、ある日突然収容所に入れられた腕の立つ医者がスターリンのために呼び寄せられますが、スターリンの死後も生き残るようです。しかし、こちらの映画では、スターリンが死んだら、医者も含めてそれを知っている関係者は全員口封じのために殺されます。門番まで。しかしその殺害シーンは深刻なはずなのに、どこかドタバタしててギャグっぽい。

というわけで、ナチス時代の酷さを描いた映画はたくさんありますが、スターリン時代の酷さもある意味その上を行くものがあったわけで、それを真正面から描いた映画はあまりないような気がします。ニキータ・ミハルコフの「太陽に灼かれて」が、戦前のスターリン時代の大粛清で殺される将軍の話だったけど、映画のポイントはそこではなかったような気がするし。。。

ある意味、スターリン時代を正面から批判するような映画だと、当然現在のプーチン時代の批判にも繋がる面があるんでしょう。以前書いたズビャギンツェフもプーチン批判を暗示したとも見える「裁かれるは善人のみ」を作ったら、次の「ラブレス」はロシア政府から製作資金が拒否されたそうだし。そもそもこの映画自体がロシアでは公開禁止だそうです。


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映画「名もなき生涯」(完全ネタバレ)

2020.02.22.01:02

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まず最初に、拙ブログとしては、記憶に残る映画に出ていた俳優たちが目白押しで嬉しかったです 笑)主役のアウグスト・ディールは「マルクス・エンゲルス」でマルクス役をやり、「9日目 ヒトラーに捧げる祈り」では主役の神父に対するナチのエリートとして出てきた。そもそもこの映画と今回の「名もなき生涯」は似ていると思うけどそれは後ほど。ついでにこの「9日目」の主役神父役のウルリヒ・マッテス(「ヒトラー最後の12日間」でのゲッベルス役)も義理の父として出てくる。

ヒロインのヴァレリー・パハナー(パフナーと表記してあるけど、ブーフマンとシャハマンの違いだね 笑)も拙ブログでも紹介した「エゴン・シーレ 死と乙女」で、ヴァリー役で出てきていた。さらに先日亡くなった重鎮、「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツ総統閣下 笑)も出てるし、村長役の「ヒトラーの偽札」のカール・マルコヴィクスなんかも、気がついた瞬間嬉しかった。

さらにさらに、「ゲーテの恋」「小さな独裁者」、あるいは「顔のないヒトラーたち」で元ナチの犯罪者たちを追う弁護士役だったアレクサンダー・フェーリングや、ハネケ監督の「ハッピーエンド」「未来を乗り換えた男」の悪党ヅラのフランツ・ロゴフスキまで出てきた。みんな特徴的な顔ですぐにわかる。

他にも「Uボート」や「手紙は覚えている」のユルゲン・プロホノフや「フランス組曲」のマティアス・スフナールツ(このベルギー人俳優もスーナールツなんて表記されてるけどね 笑)なんかが出てたようだけど、この二人は、残念、どこに出てきたのかよくわかりませんでした 苦笑)

監督のテレンス・マリックは「ツリー・オブ・ライフ」について書いたことがあったけど、その前の「シン・レッド・ライン」という反戦映画での、自然の美しさと人間の愚かさを対置するような作りに圧倒された。今回もオーストリアのチロル地方の自然の美しさがすごい。ハイジの世界(むろんあちらはスイス)のように坂だらけの地形でたっぷりと美しい山岳や草原の風景を写し、構図も坂の多い風景のせいか、不安定かつ広角レンズを使ったような歪みを使っていて、映画のテーマを暗示しているようです。

例えば処刑を待つ主人公は空を見上げる。その時小鳥の声が非常に印象的に聞こえます。そして処刑されたと思われる後のシーンに故郷の川が流れる。

例によって色々説明がないところが多くて、よくわからないシーンも多いんですが、今回は「ツリー・オブ・ライフ」のような幻想的な、夢のようなシーンはなく、ある意味わかりやすい映画です。というか、かなり明確に現代の社会の批判と言えるでしょう。

映画の内容は一言で言えば、信仰篤い農夫が自分が悪だと信じたヒトラーに忠誠を誓うことを拒否して死刑になるというもの。うん、どっかで見たと思うでしょう。確かに僕もいろんな映画を連想しました。例えば「ヒトラーへの285枚の葉書」ですね。あれも実話でしたが、この映画も実話。

また、最後の方はキリストの受難を連想しましたが、これについてはパンフにある町山智浩の解説が面白いです。裁判を統括するブルーノ・ガンツの役どころはピラトゥスであり、またフェーリングがやった弁護士は誘惑に来た悪魔だというのはなかなかの視点ではないかと思います。同様に町山が書く「沈黙」との類似性は僕も感じました。要するに、弁護士は主人公にヒトラーに対する忠誠なんか言葉に過ぎない、もうすぐ戦争は終わるし、形だけでいいから忠誠を尽くすという文にサインをすれば死刑にならずに済むんだ、と言うわけです。まさに形だけでも絵踏をすればいいんだ、とロドリゴを諭す井上様と同じで、主人公の信念(信仰)を惑わす悪魔の所業でもあるわけ。

ただ、信仰ということで言えば、僕は「9日目」でも書いたけど、正統的なクリスチャンは死を賭しても転ばないわけで、遠藤周作の異端性と言うのがわかるような気がします。無論転んだ者へ寄り添う遠藤の視点が、逆に正統的なクリスチャンにとっては新鮮だったのかもしれませんが。

主人公はヒトラーへの忠誠を拒否することで家族は村八分になるし、そもそもそんなことをしたって戦争が終わるわけではないし、彼の態度に心打たれる人が出てきて世の中が変わるわけではない。だけど、そこに崇高さを感じるし、彼がなぜ家族や子供を苦しめることになりながら、自らの信念に殉じていくのか、と言えば、拙ブログのモットーのガンジーの言葉を思い出させます。

「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、 それでもあなたは、それをやらなければならない。 それはあなたが世界を変えるためではなく、 あなた自身が世界によって変えられないように するためです。」

これは上記の「ヒトラーへの285枚の葉書」の夫婦にも言えることでしょう。まあ、マリック監督の前の作品「ツリー・オブ・ライフ」の冒頭でもそうですが、何百年、何千年、何万年の時間の中では僕らの生などあまりにちっぽけなもので、そういう視点から見ると、愛だの憎しみだの、喜びだの苦しみだの、悩みだの希望だの、なんかどれもバカバカしくなりますが、そうしたちっぽけな人生を悔いのないように、自分の信じたものを裏切ることなく生きて死んでいった人たちがいたってことです。そして、彼らがその後の社会を少しでもよくするための防波堤になっているのかもしれません。映画の最後はジョージ・エリオットのこんな文言で締めくくられます。

「歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく。名もなき生涯を送り、今は訪れる人もない墓に眠る人々のお陰で、物事がさほど悪くはならないのだ」

最後に、音楽もいいです。多分神の存在を最も感じさせてくれる音楽だろうと個人的に思っているアルヴォ・ペルトが美しい山や森や空や川の風景の中を流れるかと思うと、主人公がいよいよ徴兵され、村を離れるシーンではバッハの「マタイ受難曲」の冒頭の合唱が流れる。この曲は十字架を背負って歩むキリストを描いた曲で、そういう意味ではもろ直球ですね。 

初日の新宿の映画館はほぼ6割ぐらいでした。3時間近いけど全く退屈することなく、何度か目頭が熱くなるシーンもあり、特にラストの妻のセリフがねぇ。。。 このモデルの奥さんは数年前に100歳を超える高齢で亡くなったそうで、旦那に再会できたかなぁ。。。

今回はリンクだらけ 笑)

追記(200223、12:00)
うーん、昨日もそうだったんですが、今日も折に触れて思い出します。しかも内容というより、一瞬の情景が繰り返し思い出されます。こういう映画ってやっぱり優れた映画だということなんでしょう。いや、あくまでも「僕にとって」という意味でですが。おそらく、もう一度見にいくだろうという予感があります。


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カーク・ダグラスのこと

2020.02.07.22:36

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僕が映画、それも洋画に興味を持つようになったのは今年90になる母の影響だ。前にも書いたことがあるけど、母はタイロン・パワーのファンだった。と言っても、タイロン・パワーという名前ですぐに顔が思い浮かぶ人はあまりいないだろうね。多分現在でもまだビデオなどで見るチャンスがあるとすれば、マレーネ・ディートリヒやチャールズ・ロートンと共演した「情婦」ぐらいかな?

いつ頃かはわからないけど、母の影響でTVでよく洋画を見るようになった頃、カーク・ダグラスの一番最初の印象的な映画は「ガン・ファイター」という西部劇だった。何しろ印象的な顔で、というか印象的なアゴで 笑)、ギョロっとした目とともに最初に覚えた俳優の一人だったと思う。

この映画は途中はあまり覚えてないけど、最後のロック・ハドソンとの決闘シーンは記憶に鮮明に残っている。ハドソンに撃ち殺されるんだけど、ダグラスの拳銃には弾が入ってなかった、というかわざと弾を入れてなかったんだね。確かハドソンがお尋ね者のダグラスを追っている保安官だったように思うんだけど友人でもあったんじゃなかったかなぁ。ヒロインのキャロル・リンレーというのが、なんともむちゃくちゃな美少女で、カーク・ダグラスを慕うんだけど、実はダグラスの実の娘だというような複雑な設定だったと思う。あー、なんかもう一度見たくなったなぁ 笑)

当時はTVで洋画が頻繁に放映されていて、多分カーク・ダグラスの映画はその後もいくつも見た。記憶にあるだけでも「ガラスの動物園」とか「探偵物語」、「炎の人ゴッホ」や「OK牧場の決闘」は見ているはず。「探偵物語」や「ゴッホ」、「OK牧場」のドク・ホリデーなんかはどれもちょっと狂気を宿したような圧倒的な存在感で、一方「ガラスの動物園」では理知的な好青年の役立ったと思う。

だけど、その後、クリスチーネ・カウフマンというフランス人形みたいな美少女女優と共演した「非情の町」という映画で、カウフマンを集団でレイプしたアメリカ兵たちの弁護士役で出てきて、悪党の無罪判決を勝ち取るというなんとも納得できない役柄で、一気に嫌いになった 笑)多分高校時代だ。でもその後大学生の頃に「スパルタカス」を見て圧倒された。やっぱりすごい俳優だと思った。

まあ、ある意味まだ生きてたんだ、という驚きもあるけど、CSのシネフィルで「スパルタカス」を放送するようなので、また見てみよう。見たことのない人は是非どうぞ。絶対後悔しないから。

合掌

***追記(2/8、10:20)***

FBで教えていただきました。「ガン・ファイター」は来月(2020年3月10日)にNHKのBSで放送されます。すでに決まっていたことで、ダグラスの死去に合わせたわけではないようですが。ツタヤディスカスにもなかったので、なかなか見るチャンスはないだろうな、と思っていました。FBで教えてくださったTさんに感謝いたします。


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映画「ジョジョ・ラビット」(ほぼネタバレ)

2020.01.21.00:01



今日午後、新宿で観てきました。満員でした。1945年のドイツを舞台に、どちらかというといじめられっ子に属する10歳の、ナチスを熱烈に信奉する少年が主人公のシリアスコメディです。夢はヒトラーユーゲントの立派な兵士になること。こういう少年を主役にするという発想はなかなか出ないですね。戦後すぐの映画に「ドイツ零年」というイタリアのロッセリーニ監督の映画がありました。ナチスを信じきっていた少年がドイツの敗北とともに大人たちのずるさに絶望して自殺する映画で、もう身もふたもない暗い映画でしたが、こちらは靴紐が結べなかった少年が結べるようになるという成長の話です。

この子役、どこかで似たような子を見たことがあるな、と思ったんですが、「ブリキの太鼓」の少年に顔立ちがちょっと似ているように思いました。そういえば「ブリキの太鼓」も少年が見たナチス時代のドイツでした。

この少年、辛いことがあると想像上の友人のアドルフ・ヒトラーが出てきて少年を慰めたりアドバイスをくれたりします。このヒトラーがちょっとふざけた気のいい奴として出てくるんだけど、最後、少年がヒトラーの呪縛から解かれるところでは、本物そっくりの演説をします。英語なのにまるでヒトラーそのもの。残念ながら顔は全く似てませんし、腹が出てるのはちょっとナンですが 苦笑)

これまでにもヒトラーをおちょくった映画って「わが教え子、ヒトラー」とか「帰ってきたヒトラー」なんてのがありました。特に後者は結構うまい作りになっていて、最後の方はかなり怖いことになっていきました。この「ジョジョ・ラビット」の方はむしろ逆で、最後に少年の呪縛は解かれます。

しかし母親をああいう風にしちゃうのって、映画全体として観たとき、ちょっと重すぎじゃなかったのかなぁ、そんな気がします。無論この時代ですから、ラストの市街戦などは十分重いんだけど、映画全体は軽快な喜劇の雰囲気があって、笑ってしまうところが多いんだけどねぇ。特にゲシュタポの一群がやってきて、一人一人いちいち「ハイル・ヒトラー」と挨拶し合うシーン(ハイルヒトレリングなんて言ってました)や、ヒトラーユーゲントの太った女性教官なんかワルキューレのパロディーでしょうか、最後の方なんか絶望的かつ悲劇的状況なのに重機関銃を抱えて戦いに向かうところなんかも笑わされました。

冒頭、当時のヒトラーに熱狂する人々、特に若い女性たちの熱狂ぶりを写す写真にかぶせてビートルズの名曲「抱きしめたい」のドイツ語版が流れ、当時のヒトラーは今で言えばロックスターのような熱狂的人気を誇っていたというのを暗示する秀逸な出だしです。

ラスト、ソ連軍に捕まった少年を逃すヒトラーユーゲントの教官も、ただの嫌なナチではなく、深みがあってよかったです。ユダヤ人少女の身分証明書の嘘を見抜いていたのに素知らぬ顔で見逃すのも、最後の突撃の時の閲兵式用軍服の姿も、なかなかに魅せます。個人的にはもっと観ていたかった役柄でした。

最後にどうでもいいイチャモンをつけると、ヒトラーはこめかみを撃って自殺したのではなく、拳銃を口にくわえて自殺(こちらの方が確実。最悪は東条英機のように心臓を狙うという奴。失敗が多いそうです)したと言われています。それから、これはどうやっても見逃せないのが、詩人リルケは母親がユダヤ人だったというセリフ。リルケの言葉は映画の最後にも出てくるので、重要なので明言しておきますが、リルケの母親ってのは有名な困った人 笑)で、ユダヤ系ではありません。

しかし、ナチスもので英語で作られた映画ってのはいいものが多いです。拙ブログでも「善き人」とか、「ヒトラーへの285枚の葉書」とか、「縞模様のパジャマの少年」を紹介したことがありましたが、どれもすばらしい映画でした。でもこれらに共通して気になるのは、手紙やポスターなど書かれているのはドイツ語なんだけど喋っているのは英語で、しかもそこにドイツ語の単語を混ぜ込むというのは、いや、ほとんど聞き取れやしないんだけど、それでもなんか違和感がとてもあります 苦笑)


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映画、ベルイマンの「恥」(ほぼネタバレ)

2019.12.30.22:04

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またまた年末の忙しい時に見る映画か!と言われてしまいそうです 苦笑)

しかし、ベルイマンにこんな反戦映画があったのね。「冬の光」の中で核戦争が怖くて自殺する男が出てきましたが、その役をやったマックス・フォン・シドー、今回は生きるためになんでもやります。政府軍と解放軍の間で翻弄される一般市民の悲劇でしょうけど、作られたのはベトナム戦争の最中の1968年。ベルイマン流の反戦表明だったのでしょう。

ベルイマンらしく夫婦の崩壊の話ともいえます。また他のベルイマンの映画にもよく出てくる骨董の静物のアップのシーンなんかもあります。だけど、政府軍からは解放軍に加担したと責められ、解放軍からは政府側の市長を殺すよう命じられるという直接的なハラハラドキドキの感じは、ベルイマンの他の映画ではあまり見られないもののような気がします。ただし、戦闘シーンは低予算だなと思わせますが 笑)この辺り、テオ・アンゲロプロスの映画なんかを思い出させられました。

だいたいベルイマンの映画って神様はいるのかいないのか、とか家族の崩壊とか、暴君のようなひどい父性とか、極限状況ではなく平穏な生活をバックに深刻な暗い話になるのが多いのですが、今回は戦争という極限状況が舞台ですから、逃げるのに必死で、平穏な時代にはお互いに思いやりを持っていた夫婦の間もどんどん荒んでいきます。

リヴ・ウルマンが語る、「誰かの悪夢に出演させられているみたいな気分だわ、その人が目覚めたら私たちどうなるのかしら」という言葉もいいですねぇ。

ベトナム戦争が念頭にあったのは間違い無いけど、最後の15分は完全に現代の難民の話を連想させます。大金を払ってボートに乗って国を離れた彼らを待っていたのは。。。これはちょっと驚愕のシーンでした。映画史に残るといってもいいんじゃないかなぁ。ここはネタバレしません。

マックス・フォン・シドーが最初は気の弱い、疎開してきた音楽家で、奥さんのリヴ・ウルマンにも呆れられるようなメソメソした男なのに、それが最後の方では人間性をどんどん失っていきます。最後の無感動な顔がなんとも痛ましい。


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映画「道中の点検」の検閲のこと

2019.11.02.19:29



この映画のことは以前にも「神々のたそがれ」「炎628」についての文で、うろ覚え状態で書いたことがあったけど、今回改めて見た。1971年のアレクセイ・ゲルマン監督の最初の長編映画。第二次世界大戦の独ソ戦が舞台で、ドイツ軍の捕虜になり、その後ドイツ軍に加わったものの、再びソ連軍パルチザンに投降する。だけど、パルチザンのメンバーは、一度はドイツに寝返った奴など信じられない、すぐに殺すべきだと言う者もいる。ところがパルチザンのリーダーは彼を試すことにする。

アレクセイ・ゲルマンという監督は上記の「神々のたそがれ」以外でも、拙ブログで何度か紹介した。

再び映画「神々のたそがれ」
映画「フルスタリョフ、車を」

この二作ともに、白黒のワンカットの長い、ストーリーの説明がないわかりづらい映画。どこかボッシュの絵のような禍々しさを感じさせるのも、人々の画面内での動きが独特で、主役の前を多くのエキストラたちが繰り返し横切ったり、変なモノローグのようなブツブツいう声が小さく聞こえたりするせいだろうか。

この「道中の点検」ではそうした特徴がそれほど出てこないけど、それでも冒頭の男の顔を写すところや、雪の中の風景、照準器越しに見えるドイツ軍兵士たちのアップに、ボソボソと言う狙っている男の声とか、何か普通の映画ではないと感じさせるものがある。

それとこの映画はタルコフスキーの映画で出てきたロマン・ブイコフ(「アンドレイ・ルブリョフ」の道化)、アナトリー・ソロニーツィン(「アンドレイ・ルブリョフ」の主役、「ソラリス」のサナトリウス博士、「鏡」の通りすがりの医者、「ストーカー」の作家)、ニコライ・ブルリャーエフ(「僕の村は戦場だった」のイワン、「アンドレイ・ルブリョフ」のラストのエピソードの鐘作りの少年)、それにウラジーミル・ザマンスキー(「ローラーとバイオリン」の作業員)が出ているのも、むちゃくちゃ嬉しかった。

特にブルリャーエフが裏切り者として出てきて、最後のシーンで主人公たちがバレてしまう決定的な役割を演じているのは、「僕の村〜」ではドイツ軍に対する憎しみに燃える少年斥候の役だっただけに楽しい。

この「道中の点検」は冒頭に書いたように71年にできたのに、公開されたのは85年。14年も何があったか? 検閲である。この映画は80年代末に日本で初公開された時に見た。その時は14年も公開禁止になっていて、ゴルバチョフのペレストロイカのおかげで公開が許された映画ということで話題になった。僕も反ソ的な映画を期待して見に行き、見終わって一体どこが反ソ的なんだ? と拍子抜けさせられた。

つまりドイツ軍のために働いたソ連人がいるということが、当時のソ連政権にとっては認められなかったのだ。この映画は検閲を通らなかった時点でフィルムを廃棄するはずだったという。だが、様々な人の善意や偶然によりフィルムは廃棄処分にならずに残された。ということは、ソ連時代には廃棄されてしまったフィルムがたくさんあるということなんだろう。

今から見れば、こんな検閲理由なんて信じられない。悪い冗談だとしか思えない。しかし、旧ソ連はそういう国だったのだろう(ただし、ズビャギンツェフの映画「ラブレス」はその前の「裁かれるは善人のみ」がロシアの政権の逆鱗に触れたせいで、フランスやドイツ、ベルギーから出資してもらったという)。

僕らの住む現在の日本は、当時のソ連のような独裁国家・収容所国家ではない。安倍がやることが独裁的だというのはある程度当たっているとは思うが、少なくとも権力批判をする人間が収容所に入れられることはまだない。そんな国で、政権が気にくわない文化事業が潰されるというのは、ソ連のような上からの検閲ではなく、検閲を支持する一部の国民がいるからだ。

例の愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」、展示を見ることもせずに抗議の電話を嫌がらせのようにかける人々。

ソ連のようなケースなら政権が崩壊すればなんとかなる(もっとも今のロシアも上記のごとし)かもしれないけど、今の日本の状況はもっと深刻かもしれない。


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自転車レースと映画(色々ネタバレ)

2019.10.22.23:44

自転車と映画といっても、パンターニのドキュメンタリーアームストロングの映画のように正面から自転車レースや選手がテーマになっている映画ではありません。本題とは全く無関係に、さりげなく出てきたり、会話に出てくる自転車レースのシーンや話題のことです。そんな映画を4篇ほどご紹介。

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ルイ・マル監督の「鬼火」(1963)
アル中の治療入院からシャバに戻った男が、かつての友人たちが幸せそうなのに嫉妬して、ただ単に彼らに冷や水を浴びせたいだけで、嫌がらせのように拳銃自殺するまでの二日間を描いた映画です 笑) エリック・サティのピアノ曲が、この映画のなんともやりきれない暗い雰囲気を高めます。

この映画、街中でプロの自転車レースがおこなわれているんですね。先導車について集団が走って行くシーンと拡声器での放送が聞こえます。最初に映画館で見たとき、主人公のモーリス・ロネが道を横断しようとして立ち止まると、風のように自転車が二台かすめすぎるシーンがあったと記憶しているんですが、その後TVで2、3回見てるんですが、そのシーンが見当たりませんでした。あれって記憶捏造したのかなぁ。。。それとも版が二つ(以上)ある可能性もあるかなぁ。。。

暗い顔をしたモーリス・ロネの前を全速で風のように過ぎ去る自転車の姿に、何か「刹那」という言葉を連想して、この映画のテーマとも関係するのか、と思ったのですが、どうもそのシーンがその後見つけられずにいます。

「ルシアンの青春」(1974)
この映画では親ナチスの自転車のチャンピオンという登場人物が出てきて、バルタリなんか怖くなかった、むしろベルギー人のシルベール・マースの方が手強かったとかいうシーンがあったことはすでに書いた通り。

監督は「鬼火」と同じルイ・マルで、この監督はおそらく自転車レースが好きだったんですね。1962年のツール・ド・フランスのドキュメンタリー「ツール万歳」なんて短編も撮っています。もう10年前に銀座のエルメスで見たことがあるんですが、まるで記憶に残ってない 笑)

この映画はフランスがナチスに占領されていた時代、たまたまナチス側についてしまった10代?の青年の悲劇で、映画そのものとしてはものすごい映画だったと思います。

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ジャン・ルノアール監督の「大いなる幻影」(1937年)
第二次大戦の始まる2年前に作られ、まさにこの映画に描かれたことが幻影となってしまいました。第一次世界大戦中の話で、捕虜となったフランス人貴族や平民たちとドイツ人貴族の捕虜収容所の所長(エーリヒ・フォン・シュトローハイムという怪優が演じています)の話で、特に仏独の貴族階級の二人の友情が泣かせます。

この映画の最初の方で、主人公の平民労働者のジャン・ギャバンが、ユダヤ人銀行家のマルセル・ダリオと話すシーンで、ツール・ド・フランスが最高だ、ファベール、ラピーズ、ガリグー、トゥルスリエ、みんなものすごいぜ、と、第一次世界大戦前、ツール黎明期、ほとんど神話の世界のような選手たちの名前を列挙するのでした。
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「かくも長き不在」(1961年)
戦争が終わって15年、パリで、廃墟になった教会の前でカフェを経営する女(オーソン・ウェルズの「第三の男」で有名なアリダ・ヴァリ)が街で戦時中ゲシュタポに連れて行かれて行方不明になった夫と思しき浮浪者を見つける。しかしその男は記憶を失っていて、親類を読んで面通ししてもらうけど、近しい親類にも関わらずわからない。むしろ別人ではないかと助言する。茫漠感が残る映画で、同じ年のアラン・レネの「去年マリーエンバートで」みたいな、記憶ってなんなのかという眩暈感を感じさせる映画です。まあ、それよりはずっとメロドラマの色合いが強いですが、最後の夜の街で点在する人影とか、終わり方が謎めいて寄る辺ない感じが、なんとなく「マリーエンバート」を思い出させたのかもしれません。

さて、この映画は最初の方でカフェでみんながラジオに耳を傾け、ネンチーニはどうなってる?と言っているシーンが出てきます。1960年のツール・ド・フランスの優勝者ガストーネ・ネンチーニです。イタリア人。この日はパリ祭という設定なので、1960年のツールの第18ステージということになり、コースはアルプスです。ところがここに、今日のコースはどこだ?と聞く常連客の男性がいて、それに対してツールに関心のない客の女性がトゥルマレでしょ、と答え、それに対して男が、トゥルマレ?じゃあアルプスか?と聞くシーンが続きます。ん? トゥルマレ峠はアルプスではなくピレネーの峠ですねぇ。。。ここはツールにあまり関心のない二人のやりとりが、どちらも違っていて、結果、正解になっているという変なシーンで、知っているフランス人なら笑うシーンなのかなぁ?

それから、よくわからないんだけど、あそこで出てきてネンチーニを気にしている人たちはイタリア系なんでしょうか? それとも、この時ネンチーニが総合トップだったから気にしているのでしょうか? 

以上、ここに挙げた映画はどれも映画史に残る傑作に数えられています。日本語版のウィキペディアでも「ルシアン」以外は乗っているし、ヴェネチア国際映画祭(鬼火と幻影)やカンヌ国際映画祭(不在)で賞を取っているし、「ルシアン」はノーベル賞作家が脚本に参加と錚々たる映画です。特に「大いなる幻影」はオールタイムベスト100で繰り返し上位に入ってます。

ただ、どれもフランス映画ですねぇ。イタリア映画でジロを話題にしているシーンが出てくる映画があっても良さそうな気がするけどねぇ。。。思い当たらないなぁ。


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プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、クラシック音楽(特にバッハ)、友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎても困るが)。少し前から草食動物と化そうと「努力」しています。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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