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1986年ツール・ド・ジャポンと88年鳥海山

2018.06.04.22:03

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実家の納戸をゴソゴソやっていたらダンボール箱からとんでもないものが出てきました。1986年のオリベッティ・ツール・ド・ジャポン千葉ニュータウンステージの参加賞Tシャツと、1988年の鳥海山のヒルクライムレースのTシャツ。

ご覧の通り、よれよれ穴だらけだけど、ウェスにでもしようととっておいたのをそのまま忘れ去ったんだろうなぁ。捨てちゃう前に記録しておきましょう。

千葉ステージの売りはホビーレース初のチャンピオンクラス100キロ。私は一般クラスで55キロでした。完走したけど順位は覚えてません。もう一つの鳥海山は結構乗り込んでいたのに、前日に酒盛りやって飲みすぎてダメ(確か34位とかだったと思います)。

他にも入賞盾やトロフィー、メダルが出てきましたわ。ちょっと自慢しちゃいましょう 笑)
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ご覧のように一般クラスで入賞したのは何度もあったんですが(覚えてるだけでもまだ7位が二回、9位が一回あったはず)、それでチャンピオンクラスに出場することになって、ところがこのクラスになったら一気にレベルが上がって、全く歯が立たなかったですね。一回完走したけど、ほぼ最下位でゴールで、他は全て途中リタイアでした。

ホビーレースには20世紀に都合30〜40レースぐらい出ていると思うんですけど、結局落車なしでした。前にも書いたことがあるけど、西湖では集団落車が右前のところで起きて、波のようにこちらに迫ってきて、誰かのヘルメットが僕の足にコツンとぶつかった、なんていうきわどいこともあったんですけどね。あのワクワクドキドキ感をもう一度味わいたいとは思うけど、もう無理だわ 笑)


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1993年ミラノ〜サンレモペナント

2018.06.03.15:23



こりゃなんじゃ?というようなものですね 笑) これも先の85年世界戦ミルクポットと同様に Arturo さんからの頂き物。アイロンをかけて壁にぶら下げてみました。 ちなみに左のはメルクスのペナント。こちらはオークション 笑)

1993年のミラノ〜サンレモのペナントです。スタート前に市長さんとかが選手の前で手にしているやつですかね?

1993年のミラノ〜サンレモは優勝はマウリツィオ・フォンドリエスト。ポッジオの頂上手前でアタックするとそのまま一気に差を広げて逃げ切り勝ち。まあ、昔はファウスト・コッピが100キロぐらい単独で逃げて優勝したなんてのもあったみたいですけど、このレースの勝利って圧倒的にこのケースが多いですかね。ユーチューブにありました。



レースの展開はこれでわかるでしょうけど、観戦の臨場感という点では、こちらもオススメです。いかにも素人が写してるんだけど、そしてフォンドリエストが通過するまで2分ぐらいあるんだけど、そしてあっという間なんだけど、さらには最後はなんじゃこれ?なんだけど、それでもこの臨場感は、冷静なTVの映像とは比べられないものがあります 笑)



さて、いろいろ本を見てたら大昔のミラノ〜サンレモの写真もありました。このレースって第一次世界大戦中も1916年を除いてすべて開催されてたんですね(ついでながら、第二次大戦中も終戦間近な44年と45年は中止だけど、それ以外はずっとやってますね。そこまで自転車が好きかい、イタリア人!)。

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これは1918年、神話の時代の 笑) コスタンテ・ジラルデンゴが初優勝した時の写真。伴走車が装甲車ですよ。

というわけで、私の部屋の壁もそろそろスペースがなくなってきました 笑)
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この逆側の壁には友川カズキの色紙やバッハの楽譜のファクシミリが 笑)


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1985年世界戦記念ミルクポット

2018.05.27.18:52

なんじゃあ、こりゃあ、というものを常連コメンテーターのArturo さんからたくさんもらいました。まず第一弾としてこんなもの。

1985年のイタリアであった世界選手権の記念ミルクポットですかね?
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1985年の世界選手権というと印象が強い人も多いのではないでしょうか。私もそうです。何しろ優勝者ズーテメルクは38歳でしたからね。当時29歳、ホビーチームに入って、日曜の早朝に皇居の周りで練習をし始めた頃。38歳はものすごい老人に思えたものでした。

当時のビデオで見ると、15人ほどの集団で、スプリントの強いレモンとアルジェンティンの戦いになりそうだったんですが、オランダだけ3人いてそれが功を奏しました。


イタリアがアルジェンティンとコンティの二人以外、他は見事にバラバラで、ラスト2キロ弱でズーテメルクがスルスルと逃げた瞬間は集団の前の方にオランダ人二人がいたため、みんな動けなかったですね。しかもコンティはその直前にアタックしてたみたいだし。

というわけで、このミルクポットどうやって使おう? 私はコレクターではないので、基本使います 笑)

この後も不思議なものが出てきますので、お楽しみに 爆笑)


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バルタリ、イスラエル名誉市民に

2018.05.03.14:51

イスラエルという国に対して、個人的には好感を持っていません。何しろ、この国が平和条約を結ぶためには国民投票と国会の70%の了承が必要なのに対して、戦争宣言は首相と防衛大臣の二人の決定で可能で、国会や政府の了承は不要なんだそうです(by ダニー・ネフセタイさんのFB)

確かにナチスドイツによって酷い目にあわされた民族だけど、それが現在のユダヤ民族の免罪符になるわけではないですからね。ヨーロッパは過去の経緯があって、イスラエルを批判することに及び腰なのだからこそ、日本は本来西欧とは違うアプローチができたはずなんだけどね。安倍とネタニヤフってものすごく相性良さそうだからね。

というわけで、憲法記念日ですが、憲法の話はここではしません 笑) 今日の話題はジノ・バルタリです。すでに彼は、2012年に「諸国民の中の正義の人」の称号を与えられたことは、拙ブログでも書いたことがあります

今回、ジロ・デ・イタリアが始まる2日前に、今度はイスラエル名誉市民になったそうです。もっとも本人はすでに2000年に物故しているのですが。

バルタリというと、どうしてもファウスト・コッピとの対比で語られることが多いし、日本ではコッピを持ち上げるためにわざわざ貶めるような言い方をされてきた選手でもあります。しかし、前にも書いたことですが、バルタリは戦時中の1943年に、追放される直前の八百人のユダヤ人のパスポート用写真と偽の証明書を発行させるための書類を、フレームとサドルに隠して、フィレンツェからサン・クエリコまでの380キロをトレーニングと称して運んだそうです。

格好いいのは、これをバルタリは生前にはほとんど自分から語ることはなく、死後になってからよく知られるようになったということですね。でも、バルタリに限らず、戦時中に命をかけてユダヤ人や迫害される人たちを助けた人々は、戦後になって自らそのことを語らず、むしろ迫害に加担した人たちが声高に自分こそ迫害に反対したのだと吹聴する傾向が強かったそうですが。。。

バルタリはカトリックの熱心な信者でしたが、そのカトリック教会のトップの当時の教皇ピウス12世のもとでは、ナチスのユダヤ人迫害に対してだんまりを決め込むという対応で、そういう意味ではバルタリが、カトリック教会にもはびこる反ユダヤ的な感情を持たずユダヤ人を助けたことは、大いに評価されるべきことでしょう(ピウス12世については自転車レースのファンで、バルタリとも懇意の人で、上記のような沈黙に対する批判もあるけど、困難な時代の中でできることをしたのだ、と擁護する意見も多いようです)。

ただ、熱心なカトリックのバルタリがイスラエルの名誉市民になれると聞いて、本人はそれほど嬉しかったかどうか。。。

バルタリについては以前にも書いたことがありますし、何よりマソの「俺たちはみんな神様だった」がバルタリが主役の1948年のツールの話なので、興味がありましたら是非どうぞ




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自転車競技マガジン創刊号発見

2018.02.21.12:15



いや、発見ってのは嘘で、どこにあるかはわかってたんですが、久しぶりに引っ張り出してみたというのが本当のところです 笑)

1978年の10月号です。表紙はツール・ド・フランス初出場初優勝した23歳のベルナール・イノー。当時としては画期的なことだったと思うんですが、この年のツール・ド・フランスを取り上げて、カラー写真が6ページ、白黒写真が8ページにわたり、真ん中には見開きでのグラビアも。本文でも6ページにわたり、ステージごとの詳しい優勝争いの経緯が書かれています。そして最後には、この年のツールを揺るがせたドーピング問題についても、結構きれいごとではなく書いてますね。
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これが真ん中の見開きグラビア。シャンゼリゼの表彰台ですね。四人の選手がわかったらビョーキですね。特に山岳賞の右端の選手の名前を知っている人はいないでしょうねぇ。。。実は私もわかりませんでした。よかったビョーキじゃなくて 笑)

この年の第16ステージラルプデュエズでは、ソロアタックを決めて圧勝し、マイヨ・ジョーヌを奪ったミシェル・ポランティエがレース後のドーピングチェックで不正(これについては「ツール100話」で書いたことがありました)が発覚して失格になったのですが、その謀略説も含めて書かれたりしています。

他にも、日本の自転車競技を盛り上げようという意図がわかる構成です。目次はこんな。
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最後には日本アマチュア自転車競技連盟の広報まで掲載されてて、ヘルメットの規格とかがそのまま載ってたりします 笑)

このベースボールマガジン社って、当時卓球マガジンとか陸上競技マガジンなんていういろんな競技に特化した月刊誌をいくつか出していたんだったと思いますが、この自転車競技マガジンは、なぜか、悲願の日本での世界選手権が開催されることになった1990年に、使命を果たしたとか言って休刊になってしまったのでした。ありゃあ、わけわかんなかったなぁ 笑)



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唐突に1991年ツール・ド・スイス

2018.02.09.16:02

昨日ホーイドンクの写真を探していたらこんなものが出てきました。右端が市川選手ですね。
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この年、市川選手が所属していたブライカーチームは、他の色んなチームの選手を加えてツール・ド・スイスに出場したんですね。だからマイヨの胸の文字がバラバラだし、パンツの横の文字も違ってますね。左から四人目なんてカレラのマークでカレラチームの青いジーンズ仕立てのレーパンです 笑)

こんなことができたんですね。そういえば、1995年のツールではテレコムとZGチームが混合チームという形で出ていました。この時は当初テレコムはツールに呼ばれてなかったんですが、抗議したらイタリアのZGと一つにすることになり、テレコムから6人、ZGから3人出場となりました。ただしマイヨは別々だし、連携もあまりなかったようですけどね。

そんな中でツァベルが2勝して、翌年はエースにビャルネ・リース(95年総合3位)を招聘して総合優勝、プロ2年目のヤン・ウルリヒも2位になり、強豪チームになったのでした。

ところで、ブライカーの写真、その後また別の機会に市川さんにもらった絵葉書ではみんなお揃いのマイヨになってますが、実はよく見ると一人だけ違います。写真が小さくて、ちょっとわからないかもしれませんが、この中では一番有名な選手ベアト・ブロイ(左から4番目)だけ、ホィーラーの黄色い帯が入ってます。
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これはベアト・ブロイの個人スポンサーみたいです。このブロイという選手は82年にツールの山岳で大活躍したんですね。ラルプ・デュエズでの優勝を含み、山岳でステージ2勝、総合6位になっています。この時のハンドルに覆いかぶさるようなダンシングはここで見ることができますね。


1時間以上付き合えないというのであれば、41分ぐらいからどうぞ。

しかしほとんどずっとダンシングです。ブロイが映る場面では8割がたダンシングじゃないでしょうか。信じられんなぁ。それと、この時代のポジション。ハンドルとサドルの高さがそれほど差がないです。80年代前半から中頃にかけてはハンドルステムを目一杯上げて、ハンドルとサドルの高さがあまり変わらないスタイルが流行りました。だからですかね、ブロイのダンシング、腕が長すぎるみたいに肘を大きく曲げて左右に張り出すような走り方ですね。

というわけで、ブライカーに所属していながら、自分を個人的に応援してくれるスポンサーの名前を入れてしまう。今では考えられないことですが、のどかな時代だったんですね。



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ロバート・ミラーからフィリッパ・ヨークへ

2018.01.28.15:20

先日の「1985年のブエルタ」のエントリーにコメントを下さった かばきち さんから、ロバート・ミラーの性転換は事実であるというCyclingnews.の記事を教えていただきました。


1984年の秋だったと思うのですが、池袋のデパートのスポーツ用品売り場で、初めてヨーロッパのロードレースの存在を知りました。そこに設置されていた小さなブラウン管に、5分か10分ぐらいのビデオがエンドレスで繰り返し放映されていて、これは前にも書いたことがありますが、ただただ呆然とその前に30分ほど突っ立って動けなくなったのでした。

今でも覚えているシーンは、真っ青な晴天の山岳で一列棒状に走る選手たちの中から一人がアタックすると、後ろから次々にそれを追う選手がスピードを上げ、その美しい風景とスピード感、選手の一人になったかのようなカメラ位置、そして何よりカラフルなマイヨをまとった選手たちの姿に完全に魅了されてしまったのでした。

自転車選手と言われたら、競輪選手のゴツイ体でぶっとい太ももという印象しかなかったから、そこで見た選手たちの華奢な体と細い足にびっくりしました。そんな中に一人の選手が両手を上げてゴールするシーンがあって、その後思い出すと、それがロバート・ミラーだったんじゃないかと思うんです。

ゴール前に横顔がアップになり、長髪をなびかせてて、なんて美しい!と思ったのでした。あの時みたビデオがいつのものだったかは、もう調べようもありませんが、おそらくその直前の84年ツールか、あるいはその前の年のツールの可能性もあったのかもしれません。そして、今調べてみると、83年の10ステージ、ポーからバニエール・ド・ルションでミラーが逃げていたコロンビアの選手(このときはアマチュアで出てたはずです)を千切り、追ってくるデルガドを振り切って優勝してますね。

84年にも、11ステージ、ポーからグゼ・ネージュでミラーがルイス・エレラとデルガドを振り切って優勝しています。僕が見たエンドレスのビデオはそのどちらかのワンシーンだったのでしょう。そうやって考えると、この2年で優勝したローラン・フィニョンが絶対映っていたはずなんですが、それはもう思い出せません。

その後、30年以上ヨーロッパのロードレースに魅了され続けてきたわけですが、ひょっとしたら、きっかけは、ロバート・ミラーの姿だったかも。

というわけで、自転車って普通はメカから入ったり、サイクリングから始まる人が圧倒的多数なのでしょうけど、僕の場合はかなり倒錯していて、ヨーロッパの自転車レースのビデオを見て、それに魅了されて、あんな自転車に乗りたいと、何も知らないまま、このビデオから一月ぐらいで、当時一番安かったビアンキを購入、それから半年も経たないうちに、サンツアーカラーのヴォーグに乗り換え、さらにホビーレースチームに強引に入れてもらい、ホビーレースに参戦し。。。。という具合に、もう後戻りできない状態になったのでした 笑)

というわけで、当時のロバート・ミラーの写真をミロワールなどから拝借。
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そして現在のロバート・ミラーの姿をCyclingnews.comから拝借しましょう。
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10代ぐらいから性的に違和感を感じていたそうで、それをきちんと自覚していれば自転車選手になどならなかったと言ってますね。今は幸せだと。これは実感することは不可能だけど、自分自身の性に対する違和感を抱えながら、男ばかりの社会で勝負にこだわり、それから解放されて、やっと自分自身に対する違和感からも解放されたということでよろしゅうございました。

というわけで、情報コメントを下さった かばきち さんに改めて感謝いたします。どうもありがとうございました。



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1985年のブエルタ

2018.01.22.15:42



本箱からこんなのが出てきました。自転車競技マガジンは1978年末から1990年までベースボール・マガジン社から出ていた月刊誌です。

この写真の3人がわかるとかなりなもんです 笑) 前の二人は割と簡単ですが、マイヨオロの選手はかなりコアかな。

この頃のブエルタは4月終わりから5月初めにかけて行われていたんですね。レース展開を見てみましょう。

最初の方では若いミゲル・インドゥラインが総合トップになりますが、第6ステージのコバドンガの頂上ゴールでペドロ・デルガドが優勝して総合トップになります。しかし次のステージでロバート・ミラーがアタック、デルガドは4分近く遅れて、ペロ・ルイス=カベスタニが総合トップ。2位にミラーが6秒遅れで追う展開。

第10ステージのミラーのアタックで総合トップはミラー。ルイス=カベスタニに30秒近くのリードを取ります。このまま最後から二つ目の第18ステージ。ここまでの総合順位は

1. ロバート・ミラー(プジョー、英)
2. フランシスコ・ロドリゲス(ゾル、コロンビア) 10秒
3. ペロ・ルイス=カベスタニ(MG・オルベア、スペイン)  1分15秒

で、デルガドは6分13秒遅れ。

そして最後から二つ目の第18ステージ。ロバート・ミラーが10秒差を守れるかというところだったんですが、3つある山の2つ目の下りでデルガドがケルメのホセ・レシオと二人でアタックして逃げます。このステージYouTube にありますね。さすがに画像はひどいものですが 笑)



ここからが、この時代のジロやブエルタでよくあったナショナリズムむき出しのレース展開になります 笑) 

トップのミラーは、2位と3位をマークして、6分以上遅れているデルガドを追うことはしません。差はどんどん開いて、残り40キロで3分差。そろそろ追いかけないとやばいというのに、2位のロドリゲスは監督の指示で追走せず、ルイス=カベスタニはデルガドと同じオルベアチームなので追うはずはなく、総合5位のライムント・ディーツェンを要するテカも追走を拒否。

見事なチームを超えたスペイン人連合 笑)の前に、フランスのチームプジョーに属す英国人のミラーはなすすべなく、ここに大逆転がなったのでした。ちなみにロドリゲスのチームゾルも、テカもスペイン国籍のチームです。ミラーとしてはプジョーのアシストが序盤で遅れてしまったのが致命傷になりました。

というわけで、最初の競マガの表紙の3人はデルガドとミラーとルイス=カベスタニでした。デルガドは一昨年来日して、サイン本をゲットしたことは書きました。 ミラーは一時期性転換して女性になったという噂が流れ、ネットには現在のミラーというおばちゃんの写真までアップされたことがありましたが、どうやらガセだったようですね。ただ、現役時代からかなりの変人だったと言われていました。

ルイス=カベスタニはこの時22歳、長身細身の、自転車に乗っている姿が格好いい選手でした。

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この写真は86年のブエルタ(競技マガジンから)のTTです。この写真の感じは、下りのコーナーを走っている時には、よく思い浮かべたものでした 笑) 将来必ずブエルタに勝つと言われたのですが、結局勝てませんでした。



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永遠のライバル

2017.12.20.22:57

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こんなものをヤフオクで落札してしまいました。ジャック・アンクティルとレイモン・プリドールのキーホルダー。別々に出品されていたんですけど、どうしたってこれは二つで1セットで手に入れなくてはなりません 笑)

プリドールはついにアンクティルに勝てず、ツールでは一度もマイヨジョーヌを着ることができませんでした。でも表彰台には8回も登っています。フランス人は日本人以上に判官贔屓の意識が強いようで、ある時期には、フランス人がいちばん好きなフランス人に選ばれたりしたそうです。

アンクティルの方はもちろんツール・ド・フランス5勝を最初に達成した選手です。TTで圧倒的な強さを誇り、山岳ではクライマーたちに食らいついて遅れを最小限にした勝ち方は、のちのインドゥラインがそれをお手本にしたと言われています。

プリドールにとっていちばん惜しかったのは1964年。最終的には55秒アンクティルに届かなかったんですが、ル・ピュイ・ド・ドームという、今ではもうツールのコースになることはないであろう山頂ゴールでのステージでは、プリドールがもう少し自信を持ってアタックしていればツールに勝てたのではないか、と言われています。

我が家にあるツールの伝説の山岳コースの写真集ではかなり詳しくこの時のレース展開が描かれているんですが、アンクティルはちょっとでもスピードが上がったらちぎれていたところを、完全にブラフを仕掛けて、苦しいそぶりを見せず、それを見たプリドールもアタックはまだ早いと躊躇して、結局ゴール前800メートルでアタック。アンクティルは遅れを42秒に抑え、総合ではまだ14秒差でリードを死守するという際どい勝負になったのでした。

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これが一番有名な写真でしょうか。両者相譲らす、肘と肘をぶつけ合いながら並んで登るという、今ではあまり考えられないスタイルの争いでした。ツール100周年の時に史上ナンバーワンはいつのツールかというアンケートでは、この1964年がダントツの一位でした。

すでに以前書いたことがありますが、だいぶ経ったのでもう一度。

1987年11月、アンクティルは末期癌で入院していました。そこにプリドールが見舞いに来ます。かける言葉もなく悄然とするプリドールに向かってアンクティルはこう言います。

「悪いな、レイモン、また君は僕より後だ」

翌日アンクティルは53歳で世を去りました。

さて、このキーホルダー、どこに付けよう??



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1972年のツール、緑のマイヨはきみのだ

2017.07.25.13:00

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1972年のツール・ド・フランスです。写真はパリの表彰台のメルクスですが、彼と握手して顔をマイヨで覆っているのはシリル・ギマール。この名前にピンと来た方は、多分40歳以上でしょう 笑)

シリル・ギマールは70年代後半から80年代前半、ファン・インペ、ベルナール・イノー、ローラン・フィニョンと三人のマイヨ・ジョーヌを生み出す最も成功した監督の一人として有名です。

このギマールが選手として最も輝いたのが1972年のツール。YouTube にこの年のダイジェストがありますね。



ギマールは前半のスプリントでの勝利でボーナスタイムを稼いで、第8ステージまでマイヨ・ジョーヌを着ていました。この年、ゴールスプリントでメルクスを破って4勝、特に第15ステージではゴール前で勝利を確信して手を挙げたメルクスの横で、自転車を投げて写真判定で優勝します。上のYouTubeでは20分前後のところです。

スプリントになるとメルクスを上回る力を証明したのですが、この人、膝に問題を抱えていたんですね。18ステージ、総合2位だったのに膝の痛みに耐えられずリタイアしています。この後も2年ツールに出ますが、どれも途中リタイア。結局29歳で引退しています。

ヴィキペディアの日本語版では選手として大した成績を残せなかったなんて書いてありますが、まあ監督としての名声を引き立てるための露骨な描き方で  苦笑)、なんて言ってもツールでステージ7勝ですよ。他にも71年にはブエルタでステージ4勝を挙げてますし、プロ生活9年で100勝以上あげていますからね。

というわけで、この年、パリにはたどり着かなかったんですが、その表彰台で、背広姿でメルクスに緑のマイヨを授与した彼に、メルクスは一旦それをまとって写真に収まった直後、素早く脱ぐとそれをギマールに渡してこう言います。

「緑のマイヨは君のだ。君にこそふさわしい。記念に取っておけよ。」

ギマールは人目憚らず緑のマイヨで顔を覆って号泣、というわけです。上のYouTubeでは27分40秒ぐらいから28分15秒ぐらいです。 

格好良すぎるだろ、エディ!!

しかしメルクス、何でもかんでも勝とうとするので「人食い人種」(カニバール)と呼ばれ、強すぎるので一部のファンはアンチメルクスになったわけですが、こうした俠気には、まあ、もう誰もかないませんなぁ。史上最高の選手といわれるのも当然のことでしょう。

そういうわけで、個人的にはメルクスのツールの記録(ツール総合5勝、ステージ34勝)を、未来永劫 笑)誰も追い抜かないことを願っています。まあ、並ぶのはしょうがないかな 笑)



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30年前のドイツスタートのツール

2017.07.01.00:06

ドイツ発のツールは1987年以来。すでに30年も昔のことなんですね。本当にびっくりですよ。このころ、一番自転車に乗っていたころかもしれません。クラブチームの仲間と毎週日曜の早朝に皇居の半蔵門に集まって、一周5キロを10周。まあ、実際には7、8周で終わりにしちゃうことが多かったんですが、みんなで競い合うから、結構きつい練習になりました。特に竹橋の上り坂の前に、いかに体力を温存するかというのがポイントでしたね。直前に先頭を引いたりしたら、まちがいなくこの登りでちぎれましたね。

というわけで、当時の雑誌はいっぱいあります。左から反時計回りに、ミロワール、ウィニングの特別号、ビチスポルト、サイスポ、自転車競技マガジン。BCも創刊号から持っていたんだけど、引っ越しの時に全て捨ててしまって、今考えればもったいないことをしたなぁ、と後悔してます。
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当時はまだベルリンの壁がありました。当時のNHKでやったビデオが手元にありました。しかし、今見ると、あちこちに怪しげな解説がてんこ盛りの上、明らかに別のステージの映像をつぎはぎして埋め込んだりしてますね 笑) 以下、断りのない写真はこのビデオから。まあ、汚い画面ですが 笑)
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ベルリンの象徴、ブランデンブルク門も壁で通行できません。

そこでのプロローグで優勝したのはイェレ・ネイダム。この選手はロングスプリントの王者で、残り50メートルのスプリントだと勝てなかったと思うのですが、ゴール前でかなり早めにダッシュして後続を引き離して逃げ切るというタイプで、後ろで純粋スプリンターたちが悔しがっている図を何度も見ました。今年のジロでのペストルベルガーの勝利が、なんとなくネイダムを彷彿させるものがありました。

ジロのペストルベルガーが勝った最初のステージのビデオがYouTubeにありました。

そのあとベルリンでチームTTなど2ステージをやって、その時点での総合トップは壁の向こう側、ポーランドから来たレフ・ピアセツキでした。

この年の総合優勝者はスティーヴン・ロッシュ。ピレネーだったかで、デルガドを追いかけてゴール後失神という気迫にあふれた走り方で、最終日前のTTで逆転優勝し、その後の世界選手権も優勝。ツールの前のジロではカレラチーム内の内紛にもかかわらず総合優勝していたので、メルクス以来の3冠王になったのでした。
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失神して酸素吸入を受けるロッシュです。

この時はモン・ヴァントゥーへの登り個人TTなんかがあって、そこでジャン・フランソワ・ベルナールがベソかきながら登って行って優勝、一時期はイノーの後継者としてフランスにマイヨ・ジョーヌをもたらすのは確実、という雰囲気だったんですがね。そのあと、不運があって遅れ、その後は期待されながら、忘れられた頃にインドゥラインのアシストとして大活躍したのでした。
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と書きながら、あまり懐かしいという気持ちがしません。ついこの前のことだったような気がしてならない。まあ、年をとるってこういうことなんでしょうね。さてさて、デュッセルドルフスタートの今年のツール、どんなドラマが待ち受けていることやら、と、あまりに月並み過ぎる言葉で締めましょう 苦笑)



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昔のレース、ミディ・リブル

2017.06.04.11:45

今日からクリテリウム・ドゥ・ドゥフィネが始まります。ボーラはブフマンとケーニヒというステージレーサーが二人出場のようで、どっちをエースにするつもりだろうと、思ったんですが、ケーニヒは本来ジロの予定が、膝の調子が悪く出場できずに、ここで出てきたようです。ということで、一応ブフマンエースの布陣みたい。

さて、このレース、昔はドゥフィネ・リベレという名称だったんですが、その頃、ほぼ同じ時期に同じような規模で、同じようにツールの前哨戦として位置付けられていたレースに、ミディ・リブルというのがありました。始まった時期までドゥフィネが1947年、ミディが49年と2年違い。過去の優勝者も、どちらも甲乙つけがたい感じです。主催もそれぞれの地方新聞社がスポンサーになっていて、地域的にもフランスの南東部のアルプス山脈がコースに入っていて、その点でも甲乙つけがたいレースでした。

ミディ・リブル、最初はワンデーレースで始まり、徐々にステージ数が増えて、最後は6ステージになったみたいです。一方ドゥフィネの方は最初から4ステージで始まり、現在では8ステージですかね?

しかし、このミディ・リブル、2002年を最後になくなってしまいました。まあ、UCIがレースを管轄しやすくし、それとともに、常にトッププロ選手たちが出場できるように、レースを取捨選択したことによるものでしょう。時期的にも、レースの意味合いの面でもバッティングするこの二つのレースは、そうしたレーススケジュールの組織化のあおりを食らって、統合されたと言ってもいいかもしれませんね。

拙ブログの常連コメンテーター Arturo さんがフランス土産に何冊も本を買ってきてくれたんですが、その中の一つに、このミディ・リブル50周年記念本がありました。フランス語なので内容はほとんど分かりませんが 苦笑)写真を見ているだけでも楽しいです。
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ロジェ・パンジェオン逝去

2017.03.20.10:56

うーん、去年の年末にフェルディ・キューブラーが亡くなり、最高齢ツール優勝者となったロジェ・ヴァルコヴィアクもあとを追うように亡くなったと思ったら、今度は1967年優勝者のロジェ・パンジェオンが亡くなりました。76歳。心臓麻痺で突然死だったようです。

アンクティルとメルクスの間に挟まれて地味かもしれません。そもそもアンクティルが最後に勝った64年の後から69年にメルクスが勝つまでの間の4年間の優勝者の名前を言える人はあまりいないでしょうね。むしろ、そんなものがスラスラ言えるようなら、あなたは危ない! 

ところで、パンジェオンが勝った1967年はトム・シンプソンがヴァントゥで「put me back on my bike!」とうわ言のように言いながら死んだ年でした。この事件で全て飛んじゃいましたから、その意味でも地味なのは致し方ないかもしれません。そして、パンジェオンもシンプソンもプジョーチームの一員で、パンジェオンは亡くなった同僚のために総合優勝したということになるんでしょうね。

だけど、この人はブエルタでも優勝しているし、何より、1969年、メルクスの初登場で、これまた、そのあまりの圧勝ぶり(総合とその他の賞全て独占ですからね)に、他の選手が全て忘れられてしまいましたが、その時二位になったのがパンジェオンでした。写真を見ると、どこかロマン・バルデ系の二枚目です。

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合掌。


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前世紀のホビーレースの話

2017.03.01.13:52

少し前にコメントを書いてきたネトウヨ氏は、何の前振りもなく、突然こんなことを書いてきた。

……
己は汗を流さずどこが自転車レースカテゴリーなの?
レースで称えあった経験もないくせに
レースに出たこともない奴が偉そう抜かすなよ。子供でも分かるぞこれ。
……

まあ、さすがにこれには反論しておきたいと思っていたけど、実家に戻らないと証拠写真もないのでね。というわけで、今日は恥を忍んで前世紀の写真です 笑) かのネトウヨくんが見てくれるといいけど 笑)

1985年頃から15年ぐらいにわたって、ホビーレースは50近くでていると思います。当時の入賞はだいたい10位までだったので、多分10回くらいは入賞、最高は昭和記念公園で5位になったのが一番です。

ただし入賞すると走らされる上のクラス(当時はチャンピオンクラスと言いました。そこで上位に入るとスーパーチャンピオンクラスで、そこでの優勝常連者は、藤野選手とか橋川選手とか、全日本クラスになってましたね。まあ、このクラスは僕より年上の中●仁さんとか大●和平さんとかもいて、もう雲の上でしたが)そのチャンピオンクラスでは完走がやっとでした。今でも覚えてるのは完走者63人の63位ってのがどこかでありましたわ 笑) 一人ちぎれてポツンとハアハア言いながら走っていたら後ろからバイクの審判が近づいてきました。え?僕が最下位ですか?って聞いたら、そう、やめます? と言われました 笑) なあに、リタイアが30人以上いたんだから胸張っていいでしょう 涙)

最後のレースは99年の昭和記念公園でのレースで9位になりましたが、この時は入賞は6位までだったので表彰されませんでしたね。

その後もレースには出たいと未練タラタラだったんですが、還暦を過ぎてしまい、以前にも書いたけど、高血圧の薬も飲むようになって、これは完全に禁止薬物ですのでね 笑)

ただ、先日、昔のチームメイトから、今年あたり耐久みたいなのにでも出ましょうよ、との誘いを受けて、ちょっと気になってます。

表彰式
これは西湖のレースで入賞した時の表彰式。一般の30代後半のクラスです。10位だったと思います。後列右端が私です。この時はチームメイトが4位になったのでした。彼からはスタート前に、ヨーロッパから持ってきたという怪しげなチューブをもらいました。ドーピングではなく、きちんと公認されているとのことで、しかも、ゴール前5キロを過ぎてから飲めと言われて、西湖のコースをご存知の方ならわかると思うけど、ゴール前2キロぐらいのところにある左直角コーナーの登りの直前でチューブの頭を食いちぎってギュッと押して飲んだら、手にかなりくっついて、ベトベトになりました 笑) 

しかし、あれってなんだったんだろう、未だにわからないんだけど。。。内容物は黒砂糖の液体状になったものみたいでした。ゴール後に見たらハンドルやブレーキレバーがベトベトでした 笑)

西湖のレースはある時期毎年必ず出てました。もう一回8位だったかになったことがあったと記憶してますが、15位ぐらいが多かったような気がします。これも以前書いたけど、集団落車があって、右側前方から波のようにバタバタと倒れてきて、僕のペダルに倒れた人のヘルメットがコツンと当たって、あ〜もうだめだ、と思ったら大丈夫で、ホッとして後ろを見たら、僕の後ろは誰もいなかった、なんてこともありました。

だけど、他にも前日、それまで全く面識のなかった方たちと意気投合して深酒。翌日完全な二日酔いでスタートということもありました。だいたい泊りがけだと、酒に意地汚いのでどうもロクなことがなかったですね 笑)三宅島のレースもアシタバの天ぷらがうまく、調子に乗って飲みすぎて、やっぱり二日酔いスタート。蔵王でもあったなぁ、あ、そういえば鳥海山のレースも、あれは第2回目かなぁ、そういうことがありましたっけ。 笑)。

昭和公園
こちらは昭和記念公園のレースかなぁ?日付が入ってないのでわかりませんが、やっぱり90年台の初めだと思います。わかりますかね、右フォークにユーレーのメーターが付いているんですよ。メーターは付けたいけど、クリケリオンのように登りではハンドルの中央部分を持ちたい、というわけで、このメーターはずいぶん長い事使いましたね。画面の部分が柔らかくて、押すと液晶が滲んじゃうというチャッチイものでしたが 笑) ただ、ハンドルにメーターなどをつけないというこだわりは今でも続いています。ブレーキワイヤーは出てますが 笑)

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クリケリオン、登りではこうして左右の親指を触れ合わせるようにハンドルの中央を持っていました。これやってみると、確かにいいような気がしましたが、本当はどうなんでしょうかね?

ゴール
これはどこだろう?ゴール直後の写真だと思いますが、ちょっと太り気味の体型から、ひょっとしたら最後の方で出た99年の大井埠頭のレースかもしれません。この写真のポイントは自転車です。これクリケリオンのスプレンドールを模して作った奴です。今も庭に野ざらしになってます。ただし上の写真のクリケリオンは登りのためか、カーボンかアルミの黒いフレーム(ALANかなぁ?)にスプレンドールシールを貼って乗ってますね。

というわけで、ネトウヨ氏のおかげで、しばし懐かしい昔のレースのことを思い出せました。


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ロジェ・ワルコウィアク死去

2017.02.08.12:30

うーん、これはちょっと個人的にもショックです。私が生まれた1956年のツールの総合優勝者です。年末にツール優勝者として最高齢のフェルディ・キューブラーが亡くなり、最高齢ツール優勝者となっていたのですが。89歳だったそうです。

オークションで手に入れた当時の自転車雑誌にワルコウィアクが優勝した時のものがありました。いうまでもなく右側の人ですよ 笑)

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名前からも分かる通りポーランド系ですね。戦前にフランスへ来たポーランドからの移民というのはけっこう多いようで、名の知れた自転車選手では世界チャンピオンにもなったジャン・スタブランスキなんていう選手もポーランド移民の子です。

ワルコウィアクのツール優勝は、以前ここでも書きましたが、ツール史上最大の番狂わせと言われています。何しろ、5回出場したツール・ド・フランスの成績は、57位、47位、リタイア、優勝、75位。ツール以外のレースの成績もブエルタのステージ2勝を除けば、現在はもう行われていない地方の無名レースばかり。

しかも56年のツールの総合優勝も、ステージ優勝はおろかステージ3位以内も一度もなし。きっと強豪選手がいなかったんだ、と思いがちですが、ツールで総合優勝したシャーリー・ガォルやガストーネ・ネンチーニ、フェデリコ・バーモンテスも出ていたし、総合2位に二回なっているスタン・オケルスも出ています。

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これは手前が「山岳の天使」こと、美形選手として有名だったシャーリー・ガォルです。この選手についても、ずいぶん前に書きましたっけ

このワルコウィアクの人生、これも今日では想像もつかないものだったようです。もともと鉄鋼関係の職人だったのが、工場が閉鎖で無職になったのでプロ自転車選手になったと。まあ、この手の話はこの時代の選手には結構ある話ではあります。戦後の貧しい時代ですからね。ツールに優勝した2年後には一度引退しますが、それから4年後に再びカムバックし、レースで落車して頭蓋骨骨折で今度こそ引退。引退後も牧羊をやったかと思うと、カフェのオーナーになったりして、40も後半になって、再び鉄鋼関係の職人仕事に戻ったそうです。

当時、ツールに優勝した程度では老後は安泰というわけにはいかなかったのでしょう。

合掌

……追記2017、2/8、18:53
これで最高齢ツール優勝者は1歳違いのフェデリコ・バーモンテスですね。


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90 ツール・ド・トランプ、優勝はメキシコ人!

2017.02.07.13:47

昔、友人の家で見たオペラ「フィガロの結婚」のレーザーディスク、現代を舞台にアレンジして、舞台はトランプタワーとなっていた。セレブ達を揶揄する造りになっていたんだけど、ちっとも面白くなかった 笑)

さてさて、何かと物言いが狂気を孕んでいる節が見えなくもないアメリカ大統領ですが、なんと、その若かりし日に自転車レースに関与したこともあったのでした。rsn のニュースに出ていた記事を元に、手元にあった資料も交えて、ちょっと昔へタイムスリップしてみましょう。

もともとアメリカにはクアーズ・クラシックというステージレースがあって、大都市のクリテリウムなんかも挟んでアメリカンなレースとして日本でもビデオなんかがずいぶん出回っていました。日本からも参加していたはずです。

それが88年を最後にビール会社のクアーズがスポンサーを下りて、そこに登場したのが今をときめくトランプ閣下。89年5月に10ステージでツール・ド・トランプの名称でレースを開催することにしたのでした。rsn にはこの経緯がかなり詳しく載っているのですが、面倒臭いのでカット。

何しろ大西洋を横断してヨーロッパから選手を呼ぼうというわけで、しかも主催者が桁違いの大富豪トランプですからね。賞金総額を桁外れの額にしたそうです。で、当時の人気選手のエリック・ヴァンデラールデンや88年ツール2位のステフェン・ロークス、ジロの優勝者のアンディ・ハンプステンやまだソ連のアマチュアだったエキモフ、それに何より、猟銃事故からの復活を期すグレッグ・レモンら、バリバリのヨーロッパのプロ選手たちが結構集まりました。

この時優勝したのが、ダグ・オット・ラゥリッツェン。あの宇都宮での最終回、逃げていたのに振り向いたデ・ヴォルフと絡んでコケた選手ですね。市川選手がのちに、あの転倒がなければ優勝していたかもしれないとまで言ってましたが。

古いサイスポの切り抜きを引っ張り出したら捨てずにありました。いろいろ捨ててしまって、後悔しているものもたくさんあるんですがね 笑)これは残ってました。

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こんな写真も。
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続いて89年に第2回ツール・ド・トランプが開催されます。今度はスケールアップして、全13ステージ、トランプが願ったツール・ド・フランスに対抗できるアメリカのレースも、規模の面だけなら実現可能か、と思わせたのでしたが。。。

で、この最後のツール・ド・トランプで優勝したのが、メキシコ人のラウル・アルカラ。レース展開などは下の写真の記事を見ていただくことにして、何しろ今回は前年奇跡の復活でツールに優勝したレモンが出場でしたからね。他の参加選手たちも、前年に引き続きヴァンデラールデンやロークス、ブロェキンク、旧東独から鳴り物入りでプロ入りしたオラフ・ルートヴィヒら、欧州トッププロ選手も多数参加しました。

この頃からトランプにメキシコに対する差別感があったかどうかは知りませんが、結果的にメキシコ人のアルカラ(この選手もツールでは総合争いに絡む強豪選手でしたし、ステージ優勝もしています)が優勝したので嫌気がさしたか 笑)、トランプはこの年でスポンサーを下りてしまい、このレースは以後、96年までツール・ド・デュポンの名称で続くことになります。

まあ、実際にはこの頃からトランプの不動産取引や、週刊誌ネタとして大いに話題になった離婚問題などネガティブなイメージが強まったことなどで、レースのイメージが悪くなったことで、レースの主催者が別のスポンサーを探すことになったらしいんですがね。

こちらもサイスポの切り抜きが残っていました。ただし二回目になると扱いはベタ記事ですが 苦笑) レモンについてが面白いですね。今となってはレモンの言葉通りになったわけで、ある意味でアームストロングが後に続く「ツールに勝てばあとはいいや」という悪しき伝統の始まりですが。

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……追記(2017、2/8、11:20)
何れにしても、今のトランプのメキシコに関する発言を聞く限り、かつてツール・ド・トランプでメキシコ人が優勝したのは痛快であります。

なんとなく最近映画になった(まだ見てない)1936年のベルリンオリンピック、ゲルマン民族の優秀さを見せつけてやると息巻いたヒトラーやゲッベルスの目前でアフリカ系のジェシー・オウエンスが4冠王になったのを連想します。


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フェルディ・キューブラー逝去

2017.01.02.19:57

というわけで、正月早々、このニュースから始まるのも拙ブログらしいかも。正月にふさわしくない?いや、人は正月でも死ぬものです。もっとも12月29日のことだったようですが。

スイス史上最高のスポーツマン、「フェルディ・ナショナル」と呼ばれた、1950年のツールの総合優勝者が97歳で大往生です。ツールの歴代優勝者で最年長だったんですが、これで1956年に優勝したロジェ・ワルコヴィアクが最年長ですかね。ところで、キューブラー、我が家にはこの人の分厚い本が一冊あります。

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そういえば、世界チャンピオンになった当時の雑誌もありました。ゴールと同時にペダルストラップに手を伸ばして緩めてます。昔はみんなこうだったんですよね。

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この選手は、なにしろファイターとして有名で、遮断機が下りているのにそれを超えて行こうとして審判に止められると、それに殴りかかるという映像まで残ってますね。さらには、調子の出ない自分に対しては、自分で自分に罵声を浴びせながら走るし、魔の山ヴァントゥーではコースを逆方向に走ろうとするほどフラフラになったのに、走るのをやめなかったっていう選手です。

同時代にもう一人フーゴー・コーブレットという天才がいて、キューブラーの優勝した翌年にツールでコッピらを破って圧勝するんですが、天才で美男で「すかしや」だったコーブレットに比べて、なにしろ上記のように感情をまんま表に出しちゃうファイターだったので、まるでタイプが違っていて、しかもこの二人、仲が良かったようなんですね。上の本の中にはこんな写真も 笑)

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© ISBN 978-3-909111-25-4

よく知られているように、コッピとバルタリ、同時期に同じイタリア人として戦った二人は、イタリアという国を二分するようなライバルで、コッピファンとバルタリファンはしばしば殴り合いの喧嘩をしたようですが、スイスのキューブラーとコーブレット、両者ともに同じドイツ語圏の選手だったせいか、それともスイスという狭い国のせいか、そうしたファン同士のいざこざは聞いたことがありません。これで一方がフランス語圏のスイス人だったりすれば、少し違っていたのか、それともスイスという不思議な国ですから、それでも同じだったのか、それはわかりませんが、ツールに関して言えば、この二人が一緒に出たのは一回だけ、それもコーブレットの調子が悪く、さっさとリタイアしてしまった54年だけです。ちなみにキューブラーの方はボベに次いで2位になってます。

この時代、ツールはご存知のように国別対抗でしたが、スイスの場合、スイス車連が出場選手の決定権を持っていたようで、ひょっとしたら、競合しないように計っていたのかもしれません。

キュ-ブラーはリエージュ〜バストーニュ〜リエージュに51、52と連勝、ツール・ド・スイスは3勝、スイスナショナルチャンピオンは1948年から4連覇してます。顔も非常に特徴的なワシ鼻で、まるでクチバシみたいなので、出身地をつけて、アドリスヴィルのワシなんていうあだ名も付いていたようです。

合掌



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とんでもないマイヨの群れ!

2016.12.24.00:00

昨夜は某自転車ファン御用達の店、餃子荘ムロにて秘密会議 笑) 日本にはそうないだろうというマイヨがたくさん並びました。

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一つを除いてすべてサイン入り。かなり希少価値のあるものもありました。向かい側はこんな感じ。

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ライオンがマイヨ・ジョーヌ着てないというのがミソだそうで 笑)



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これは何?

2016.11.15.20:12

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このところ、古い自転車雑誌の写真を見たりしています。そうしたら1976年のミロワールの中からハラリとこんなものが出てきました。なんでしょうね? アイロンプリント? メルクスと、前年のツールでメルクスを破ったテヴネ。これってTシャツとかにアイロンでくっつくんでしょうかね? どなたかご存じないでしょうか? 



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オービスク峠

2016.09.04.01:19

いやあ、ヘーシンク強かったですねぇ。ツールでおなじみのオービスク峠でした。1910年、初めてコースに取り入れられた時には、のちに総合優勝するオクターヴ・ラピズがこの峠の頂上で、「人殺し!」と罵声を浴びせた所ですが、現在は道路状況がまるで違うから、みんな猛スピードで登っていきます。

この峠といえば、ツール史上で最も衝撃的な落車転落事故が起きている所です。1951年のこと。ヘーシンクと同じオランダ人のヴィム・ファン・エストが、マイヨ・ジョーヌを着てオービスク峠で転落。運良く出っ張りに引っかかって、九死に一生を得たという話。



うーむ、崖の下へ救援に行った人たちはどうやって降りたのでしょう? 崖の状態を見ると、道路からすぐに垂直に近い角度が続き、かなり下からやや角度がなだらかになって、助けに行った人たちもなんとか歩いて登ってますね。しかし、わかりますかね、ファン・エストを引っ張り上げているのがタイヤをつないだロープだということが? これでオランダチームのタイヤが全て伸びて使えなくなったという伝説も残ってます。

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© http://ocemsemluvi.cz/hrdinove-tour-de-france/
ファン・エストが乗っていた自転車だそうです。どこかで当時の状態を再現して展示されているのでしょうか? しかし、こんな目にあったら、もう怖くて自転車に乗れなくなっちゃうと思うけど、翌年からもずっとツールに参戦してステージ優勝もあげるし、クラシックでも勝つような大選手になっています。オランダにはヴィム・ファン・エスト通りまであるそうです。



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プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、クラシック音楽(特にバッハ)、友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎても困るが)。少し前から草食動物と化そうと「努力」しています。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとして、こちらにも通知されないまま、ゴミ箱に入れられてしまいます。これは管理ページで迷惑メールをチェックすれば見られるのですが、そんなところは滅多にチェックしないので、承認待ちの印が表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す

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