
関東大震災時の虐殺犯罪事件については、説ブログでも何度も話題にした。
加藤直樹「九月、東京の路上で」覚書き映画「金子文子と朴烈(パク・ヨル)」加藤直樹「トリック」覚書きしかし、なかったと言っている人は、それで何がしたいのだろう? 南京事件でもそうだ。なかったことにすればフツーの人である自分にとって、どんなメリットがあるんだろう? まさか日本人としての誇りが取り戻せるとかいうお題目を本気で考えてるはずはないだろう。
最近よく考えるのは、こうした、歴史を改竄してでも日本国は悪いことをしたことがありませんと主張したがる人たちは、結局、彼らが想定している「サヨク・リベラル」の人たちが悔しがるのを見たいから、逆張りを大声でわめいているんじゃないんだろうか。
だから、彼らが憎む韓国原理主義の統一教会が政権に影響を与えていようが、ちっともかまわない。どう考えたって、自分の生活を圧迫することになる政策が行われようが、最終的に戦争になったところで、それで「サヨク・リベラル」が地団駄踏めば、それで満足できるという、もう、かなり歪んだ、どうしようもない人格破綻を起こしているんじゃないだろうか?
だから僕はもう彼らと話すのは諦めた。蟲に憑かれている連中に効くのは、悪魔祓いの呪文ぐらいだろう。「リン・ビョウ・トウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン」
関東大震災での虐殺犯罪は、犯人が多数逮捕されて有罪になってるし、南京だって証言した当事者がたくさんいるし、残された資料もあるし、なにより有名な「家永教科書裁判」で、司法が南京で虐殺があったと認定している。
いや、権力者がなかったことにしたいのはわかるんだよ。その心理はわかるけど、権力者が蟲に憑かれてるんじゃ、まるで漫画だよね。ただ、権力持てば自分が日本を背負ってるような気になるだろうからね。日本良い国一度はおいで、と言いたがるのはわかるが、一般人がどうしてそこにつきあう?? なにより、そうやって歴史を改竄して、世界からどうみられるか。前に書いたことだけどまた書く。
ポーランドは現在政権を担う極右政党のせいで、ホロコースト法というのができた。それによると、有名な絶滅収容所アウシュヴィッツを、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所と表記したら、ポーランド人だけでなく、外国人であっても罰金ないし禁錮3年だそうだ。
トルコでは19世紀末から20世紀初頭にオスマン帝国内でアルメニア人が100万人以上の規模で大虐殺されたけど、現在のトルコ政府はそれを否定している。トルコ人のノーベル賞作家オルハン・パムクが、政府はそれを認めよ、と言ったら国家侮辱罪で起訴された。
日本もこう言う国になるのが理想なのかな? サヨク・リベラルを中国や北朝鮮と結びつけようとする人がいるけど、いやいや、彼らこそ日本を中国や北朝鮮のような国にしたいと思っているんだよ。
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政治家が嘘をついてもマスコミが全く無反応になってしまったのはいつからだろう? まあ、国会で嘘つき続けた安倍からだという人も多いと思う。でも、小泉が森友のときに安倍を称して、バレてる嘘をぬけぬけと、と言ったけど、いやいや、あんたがそれ言うか? と思った。
イラク派兵した時に、非戦闘地域への派兵だと言いながら、それはどこだと聞かれて、そんなの自分にわかるはずがないと開き直ったわけだ。驚いたことに、これを批判的に扱うマスコミはあまりなかったように記憶している。小泉語録とかいって笑っていた。そして、それが人気に繋がった。
安倍の源流はこのあたりにあると思う。ついでに言うと、不祥事・不始末が人気を高めた点で維新のさきがけともいえるかもしれない。
それから考えれば民主党政権の時に、鳩山は普天間を最低でも県外と言ったのが、官僚の嘘に騙されて実現できなかった時には、いさぎよく(かどうかは知らんが)やめた。だから、ある意味で鳩山は小泉や安倍よりはずっとまともな人間だったと言える。
ところで、三木さんのこのコラムでは「汚染水からトリチウム以外の大半の放射性物質を取り除いた水」とあるけど、これは政府の言っていることで、実際はここには大きな嘘がある。大半の放射性物質を取り除いたのではなく、測定していないのである。
以下、れいわ新選組の声明から引用する。
政府・東電はこれまで「トリチウム以外は基準値以下になるまで取り除いている」から「汚染水」ではないと主張してきた。
さらには「トリチウム水」なる名称まで作って「トリチウム」だけの問題であるかのように宣伝してきた。
「トリチウム以外取り除いたから汚染水ではない」という主張には大きな嘘がある。
最も重大な嘘はトリチウム「以外」ほぼ取り除いた、という主張。 トリチウム以外の放射性物質も完全には取り除けておらず、 そもそもどのくらいの量が含まれているのか
測定していない。
溶け落ちた核燃料に直接触れた「汚染水」は通常原発からのは排水とは全く異なる。
福島第一原発の汚染水には、当初の段階で210種類もの放射性物質が含まれていると想定される。多核種除去設備ALPSで減らすことができるのは62種類の放射性物質。
しかし海洋投棄直前に「基準値未満であること」を確認するため測定するのは30種類だけである。
それ以外の百数十種類の放射性物質は、 「どうせ少ししか含まれていない」との決めつけで、測定しないことになっている。
「トリチウム以外ほとんど取り除いた」は嘘で、「ほとんど測定していない」だけである。(
https://reiwa-shinsengumi.com/comment/18546/ なお、下線と太字はアンコウ)
中国が強硬に反対していると言って不快感を示している日本コクミンもいるようだけど、中国が言っていることに反論できる人はいないだろう。曰く、「もし原発汚染水が安全なら海洋放出の必要はなく、安全でないならなおさら放出すべきでない」
中国だって汚染水を流しているじゃないか、と論点すり替えしかできない人がたくさんいる。でも中国が流しているから日本も流していい、っておかしいだろう? 他の人がゴミを路上に捨ててるから、俺も、っておかしいだろう! 他の国のことではないんだよ。日本の問題なんだよ。
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僕は中国が台湾に攻めてくるなんて可能性はないと思っているけど、もちろん何ら深い情報もない素人の考えだから、この先どうなるのかはわからない。でも、いや、攻めてくると言っている人たちだって素人だろうから、説得力なんかまるでない。
しかし、そもそも外交をやる前に有事を煽るなんて政治家として失格だろう。北朝鮮だって中国だって、話もせずに最初から敵対してたってなにも良い方向に進むはずはない。
こう書くと、中国や北朝鮮と話し合うなんて不可能だという人も湧いて出てくる。話し合いを拒否している連中に話せばわかるなんて言っても無駄と書いてきた人もいた。まあ、そう言っておけば「安心」できるんだろうなぁ。しかし、日本政府が話し合おうとしたことあるのか??
そもそもあんなヤクザな国家と話し合うなんてできないと言う人は、例えば北朝鮮が全世界で160以上の国と国交を樹立していることを知っているんだろうか? 日本人の多くが北朝鮮は鎖国状態にある孤立した国家で世界中から爪弾きにされていると思っているのかもしれないけど、いやいや、孤立しているのは日本人の頭のほうだ。
話は戻るが、そもそも麻生をはじめとして、権力者たちご自身は戦う覚悟があるのか? つまり誰か知らない人を自分の手で殺す覚悟があるのか? あると答えたとしたら、そんな奴は即刻牢屋に入れなければならない。危なくてしょうがない反社会的人間だ。
そもそもこんなことを言った麻生の本心だって、まさか日本が中国と戦争してもいいと思っているとは思えない。何度も言うけど、日本海側にあんなにたくさん原発を抱えて、さらに原発を作ろうなんて言っているんだからね。戦争する気なんかこれっぽっちもないよ。この点は絶対間違いないとおもうよ。要するに軍事費で金儲けを考えているだけだろう。
そうだとしても、自分は手を汚す覚悟もなく、弾丸の飛んでこない後ろの方から国民に向かって「殺せ殺せ」と言っている奴なんて、本当なら拘束しなくちゃダメだ。
数日前の FBの知り合いの投稿が実に秀逸だったのでここで紹介しておく。
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LGBTQ理解増進法、れいわも反対したけど、一方で自民のネトウヨのマドンナたちも反対したのはなんでかな、と思ったら、まあ真逆の理由だったのには笑った。

今日の「時代を読む」で田中優子が書いているように「差別を禁ずる」という文言に「
不当な差別を禁ずる」という言葉を入れて、不当でない差別なら許すとし、あげく「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」って、つまりLGBTQが嫌いな人が差別しても不当ではないということになるんだろうか? 自民党は統一教会の指示を受けて、最大限の努力をしたんだろうね 笑)
そう思いながら読んでいたら「本音のコラム」では前川喜平が、まさに「見るのも嫌だ」とLGBTQ差別発言をして更迭された荒井何某が復権したということについて書いていた。本人は深く反省しているそうだ。しかし本人の口から出た言葉ではない。

*
そういえば、山本太郎のダイブも懲罰見送りになった理由が「本人が反省しているから」だった。だけど、その後の街宣などでも明らかなように、山本太郎は反省などしていない。本人が反省してないと言っている。要するにあれは、下手に懲罰動議にかけて山本太郎にまともな主張をされるのが嫌だっただけだろう。
第三者が反省しているそうだ、なんて間接話法で言われてもね。「あいつ幽霊見たんだってさ」みたいなもので、「嘘だあ」としか言えない。なにしろ、これまでこれだけ嘘をつき続けてきた連中がいうことだからね。信用できるはずない。
*
それはともかく、差別発言の荒井何某も、結局骨抜きLGBTQ法案のお墨付きがあるから、今回晴れて復権が可能になったんだろうね。彼のような差別主義者も「国民」だからね、「安心して生活できるよう」彼の差別的感性も守ってやらなければならないってことだね 苦笑)
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沖縄の平和の礎(いしじ)は作られた年(1995年)に行った。連れ合いの父の家族の名前が彫られていたからだ。前年に急死した義父の代わりに6月23日に行った。当時の総理大臣橋本龍太郎が挨拶する姿を遠くに見た記憶があるが、今と比べれば政治なんかたいして興味がなかったし、社会も今ほど変な社会ではなかったから、何を感じたかは覚えてない。たぶん反発も賛同もなかったと思う。
義父は石垣島の人で、父母と妹を沖縄本島に疎開させて石垣島に残ったおかげで、家族は行方不明になり、自分は生き残った。義母はひめゆりの生き残りだった。義理の父母はどちらも、そういう意味では自分だけ生き残ったという負い目を抱えた人生だったんだろうと思う。
平和の礎には国籍、軍人、民間人、関係なく、沖縄戦で亡くなった人の名前が20万人以上刻まれていた。あれから25年以上経って、刻まれた名前も数万人増えているようである。
少し前にNHKで澤地久枝のミッドウェー海戦についてのドキュメンタリーを二週にわたって放映していた。そこで澤地が強調していたのが、無名のまま数字として扱われた死者たちの名前を、日本人もアメリカ人も、掘り起こすことだった。
昔読んだ高橋和巳の「憂鬱なる党派」だったか、主人公は広島の原爆で亡くなった人たちのことを一人一人調べ、書き記しているという設定だった。最後、彼は道端で野垂れ死んで、その原稿用紙が風に舞い、子どもたちがそれを拾って落書きをしているんじゃなかったか?
拙ブログでも昔書いた堀田善衛の「時間」という小説のセリフが思い出される。
「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある」(新潮文庫「時間」p.57)
あるいは、これも昔ここに
紹介したイタリアの監督エルマンノ・オルミの「緑はよみがえる」という映画。そこで上層部の理不尽な命令によって部下たちを死なせた隊長はこう叫ぶ。
「死んだ者の名前をリストアップせよ。死んだ者の数ではないぞ、一人一人の名前を書き出せ」
数ではない、一人一人の人間の人生なんだから、ときどきそこに思いを馳せるのは、残された者たちの義務だと思う。80年近く前に死んだたくさんの人の名前を読み上げることに意味などないと冷笑する人もいるかもしれないが、僕は人として生まれた以上、そういうシニシズム・ニヒリズムには抗いたい。
*
ふと、思った。生と死で、全くレベルの違う話だけど、僕が古い自転車レースで、有名選手や優勝者だけではなく、無名の、優勝とは縁遠かった選手たちのことを知りたいと思うのも、これに似ているのかも 苦笑)
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子供の頃、メンコという遊具があった。60代いじょうかなぁ、わかるのは。丸や四角の厚紙にいろんな絵が描かれていた。その厚紙のカードを地面に置いておいて、自分のメンコを地面に叩きつけ、風で置いてあったメンコが裏返ったら自分のものになった。裏返えらなければ、相手の順番になる。
メンコには色のついたいろんな絵が描かれていた。当時のことだから版権なんてない。下手っクソな哲人28号や鉄腕アトムが描かれていた。そんななかで僕が記憶に残っているのは原爆雲が描かれ「死の灰」という文字が描かれたやつや、骸骨の絵と「死の商人」という文字の書かれたのが、なんか記憶にある。なんとなく陰惨な、惨たらしいものを子供心に感じたんだろう。
僕の世代で、手塚治虫(に限らないけど)の漫画なんかを熱心に読んでいた子供なら、死の商人という言葉を普通の「教養」として、恥ずべきイメージとして、常識として感じていたと思う。どこかの人々を死なせることで自分のふところを潤すことは、恥ずべきことだと、当時の子供達は知っていた。
日本は死の商人の国家になろうとしている。武器開発をして、それを外国に売り金儲けしようとしている。
追記 2023,6/8, 21:50
ある人から言われました。石森章太郎のサイボーグ009は文字通り、悪役ブラックゴーストは死の商人で、サイボーグたちを兵器として開発したのでしたね。
死の商人=悪の権化。日本は、ほんの50年ほど前までなら子供達も大人たちもみんなの共通認識だった悪の権化である死の商人の国になろうとしているってわけです。
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安倍射殺事件まで、毎週土曜の夜中に罵詈雑言を、多い時には10件ぐらいコメント欄に書き捨ててきたネトウヨくん、その時々でハンドルネームが変わるも、書き振りから、たぶん拙ブログの最初の頃からの常連だったのでしょう。事件が起こりパタリと来なくなりました。アクセス・ログ検索をかけても見当たらないようなので、事件で目覚めて、ネトウヨ生活から足を洗ってくれたのだと信じたいところです。
何となくの印象ですが、そういう事件を機に足を洗った(旧)ネトウヨがそこそこいたような気がするのですが、一方で、まるで統一教会のことなどなかったかのように、相変わらずのネトウヨぶりを発揮している猛者もいるようです。
僕のようなパヨクにしても、ネトウヨにしても普段から政治的なことに関心がある人にとっては、韓国原理主義カルトと愛国保守がつるんでいたということに、かなり大きなショックを受けたはずなんですね。
だけど、この記事は衝撃的だったなぁ。。。

選挙に行く人は全体の半数はそこそこ普段から政治に関心があるとして、残りの半数は、大して興味なんかないでしょう。だけど、ようするに、そうした人たちの多くにとっては、関係ないのね。政策のほとんどが自分の生活を圧迫することなのに、そしてその政策は韓国原理主義カルトの差金で決められていた疑いがあるとしても、まるでそんなことに興味はない。安倍政権になってこの10年、日本人は生活が楽になっただろうか?? だけど一般の人たちにとって、自分の生活が楽にならないことと自民党が政権を取っていることとがつながらないのだろうと思う。
いや、自民に対する批判票として維新が躍進しているんだという人がいるが、全く同じでしょう。維新ってなにをしているんだ?? 要するに誰か反撃してこない少数者を嘘を交えながらぶったたいて、溜飲を下げるという「イジメ」の構造を実践しているだけの政党だ。(拙ブログでの維新批判はすでに何度も書いた。たとえば「
維新、反社会団体認定 笑」)
いずれにせよ、日本が崩壊しても、日本の国の在り方が韓国原理主義カルトやその他のカルト団体の思うがままの姿になってしまっても、人々はきっと、「あの時」の自分を後悔することはないんだろう。
子供達には、いざとなったら日本を見捨てることもできるような覚悟を幼いうちから植え付けておいた方がいいのかもしれない。
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軍備を増強したって意味がないことは、ずっと書いてきた。
戦争にならなくても中国からの輸入がストップされれば、日本では餓死者がでるし、戦争になれば日本海側の原発は通常兵器で攻撃されても核兵器以上の放射能汚染で日本は住めなくなる。そもそも山本太郎が街宣でよく言っているように、国連憲章の敵国条項で、日本が軍備増強なんかしたら相手(どこ?)に攻撃する口実を与える。
田中優子が言うように、国家による守ってやるぞ詐欺に引っかからないためには、「本を読んで勉強し、情報を集め、熟慮して投票し、意見は常にはっきり表明する」、つまり拙ブログがずっと言ってきたように「教養」が必要なんだと思う。ただ、「本を読んで勉強」とか、「教養が必要」なんて言うと、反知性主義にどっぷりのネトウヨさんたちは、逆に反感を高めるだけかも知れないけど。
「教養」というとなにか「高尚」な文化活動、古典とか芸術とか学問とか哲学とか、お高くとまっているような印象があるかもしれないけど、そうじゃない。
以前にも書いたけど、生島淳がこういうことを言っている
「小学生がサッカーをプレーすると、ボールの周りにばかり人が集まる(。。。)ボールに近寄らず、自分の持ち場を守るには、教養が必要なのだ。」
こういう意味の教養。あるいは
これも書いたことがあるけど、教養の第一条件は先人が積み上げてきたことに対するリスペクトの気持ちなのだと思う。
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311の後、ドイツは速やかに脱原発に舵を切った。スイスやイタリアは国民投票で脱原発を決めたけど、ドイツの場合はナチスの経験から国民投票ってやらないから、検討委員会みたいなのが召集されて、脱原発が決まったんだったと記憶している。
地震なんてほとんどないところでも、人的ミスという可能性を考えて、そしてもし事故が起きれば取り返しがつかないということも踏まえて決めたわけだ。
ドイツは隣に原発推進国家のフランスがあるから、電力をそこから買えるんだとわけ知り顔でいう人がいるが、こういう穿ち過ぎのデマってどこから流れ出すんだろう?? ドイツはフランスにむしろ電気を売っているのだ。
熊谷徹「ドイツはフランスの原発由来電力を輸入している」は本当かでは日本は? 日本ではいずれ大きな地震が起きるだろう。南海トラフとか首都圏直下とか、東日本大震災の数倍の規模で被害が出ると言われている。そんな地震が起きた時、原発は大丈夫かと言われれば、たぶん推進派の専門家や学者でも、わからないと答えるのではないだろうか? 絶対大丈夫なんて言えるはずはない。
つまり、ギャンブルなのだ。原発が耐えられたか耐えられなかったかは地震が起きた時にわかるというわけだ。それでいいのか? いいわけないだろう!
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東京八王子の滝山病院のとんでもない話だった。もう暗澹たる思い。特に加害者をみてて、人間ってこういうものなんだな、と改めて思った。連想は飛んで強制収容所とかさまざまな虐殺事件の加害者のことを考えたりした。
人は誰でも歳をとるし、うつ病や認知症になる可能性だっていくらでもある。病気や事故で寝たきりになる可能性だってある。だからこそ、政府はそういう人たちのことをしっかりと考える必要がある。なのに、行政の方も、まさに棄民政策とでもいうような酷さだった。
今の日本はそういう「弱い」立場の人たちに手を差し伸べようとはしていない。身体的な「弱い」人たちだけではなく、経済的に「弱い」人たちも、自己責任と言いながら、自助と共助だけを強調して、国(政府)からの公助はなるべく減らそうとする。(そのくせ軍事費は。。。)
一方の加害者。隠しカメラに映し出された暴言を吐き入院患者に暴力を振るう看護師たちには、当然のことだけど、強い怒りを感じる。ただ、これもああいう場に置かれたら、ひょっとしたら自分だって同じことをするのかもしれないと不安になる。
ウィシュマさんのビデオでも職員に怒りが湧くが、彼らだって、この看護師たちだって人員不足で忙しくストレスの溜まる職場なのだ。そして入管職員は知らないが滝山病院の看護師たちは8割が非常勤だったそうだ。おそらく高額給与所得者ではなかっただろう。
無論許されるわけではないし、同じ状況でも誠実に働いている看護師たちはたくさんいる。そちらの方が多数派だろう。
ただ、最大の問題だと思うのは朝倉という院長だ。この院長はすでに20年前に朝倉病院事件で問題を起こした人物だった。隠し録音された院長の発言も凄まじい。医者としての自覚があるのか怪しい。こういうおかしいのが「長」になれば、下の連中がつぎつぎと堕落していくのはよくある話だ。それこそ安倍の時代を思い出せば、そんなことみんなわかると思う。
行政もかなりおかしい。こういうのも、やはり国のやり方が自助と共助を強調するだけだから、公助担当の行政が堕落するんだろうと思う。
どうすればいいか、こういう精神医療福祉体制、看護師待遇問題、生活保護システム、いろんな問題が絡んでいて、それぞれ個別に対応しても解決しないんだろう。山本太郎がいうように、こういうところに予算をつけて、現場の人たちの待遇を改善し、同時に自覚を持ってもらう。待遇が良くなれば自覚も高まる。人も集まる。当然、行政も予算がつけば対応は違ってくるはずだと思うのだが。
いずれにしても、こういう番組を作れるNHK、僕は受信料を喜んで払いたい。
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見応えありましたが、それはたとえばヴィニフレート・ヴァーグナー(リヒャルト・ヴァーグナーの義理の娘)がナチ式の挨拶をする映像や、なによりフルトヴェングラーの指揮している姿、マリア・カラスのカルメンや、動いてるショスタコーヴィチやトスカニーニやムラビンスキーの映像の力でした。まあ、たぶん YouTube とかを検索すれば同じ映像は見られるのかもしれませんが。
ただ、構成としては主にフルトヴェングラーとショスタコーヴィチと日野葦平を、独ソ日の独裁国家ファシズム国家に、結果的に協力した形になった芸術家として並べているんだけど、火野葦平をはじめとした日本の芸術家を、面従腹背を貫いたフルトヴェングラーやショスタコと比べるのはちょっと無理があったんじゃないかと思いますね。比べるならナチ党員だったカラヤンとかじゃないかなぁ。
日本の戦争協力芸術家は、これはほとんど反政府的考えなんかなかったでしょう。日本の場合、西欧と違って芸術家のステータスが低いんですよ。だから、芸術家の方でも普段から負い目を感じているから、戦争という国家の一大事のために、お役に立てる時が来たと勇躍はりきって戦争礼賛の詩やら評論やら絵画やら音楽やらを、心から熱烈に作っちゃう。文学者だって画家だって音楽家だって、戦後自らの責任を感じたのなんて、有名なところでは高村光太郎やこの火野葦平ぐらいだったわけです。
例えばコロナの時だって、ドイツではまず最初に困窮する芸術家やアーチストに対する給付金が即座に払われたわけです。芸術というものが社会の中でどういう役割を持っているかを、西欧の人たちは感覚的に理解しているんでしょう。それに対して、日本では芸術って社会の中で遊びの一種とみなされているようなフシがあります。だから橋下なんて文楽なんていらないと言っちゃう。無教養の極みです。
番組に戻りますが、フルトヴェングラーの場合、やっぱり政治的な感覚が足りなかったんでしょうね。ナチスがユダヤ人を迫害し、公職追放を始めた時、才能あるユダヤ人音楽家をベルリンフィルからやめさせないでくれと要求したのは有名な話ですが、これだって逆にいえば、才能ないユダヤ人はどうでもいいっていうことにつながるわけです。むろんフルベンがそんなこと言ったことはないですけど。
番組では亡命したら残されたベルリンフィルの楽団員たちが徴兵されるかもしれないと言ってましたが、まあ、フルトヴェングラーの場合、子供が三十人いて、それをおいていけなかったという、信ぴょう性の怪しい話もありますが 笑)
いずれにしてもトスカニーニとフルトヴェングラーの言い合いは面白かったです。トスカニーニの第三帝国で芸術活動をする者はすべてナチであるというのに対し、フルトヴェングラーは芸術とは時の政府なんていう俗世のレベルを超越していて、ゲシュタポでも手が出せない領域にあるのだと言い返す。まあ、絶対噛み合わない話でしょうね。ただ、フルトヴェングラーのほうはロマン主義的な、一種芸術至上主義的な、理想主義的な美しさがあるけど、実際にナチスがやったことがとんでもなかったわけだし、戦後ドイツ人はみんなこぞって強制収容所なんか知らなかったとシラを切ったけど、実際はそんなはずはなかったし、フルトヴェングラーだってユダヤ人の迫害は知っていたわけだし、だからこそ個人的な意思表示をするべきだったと思うけど、あのナチの時代に現実に何ができたか、特に終戦間際なんて下手なことを言えば殺されかねなかったわけですからね。
ところで、最後の方で現在ロシアのゲルギエフという親プーチンの指揮者の話が出てきたので、ここでカラヤン登場かと想ったんだけどね。カラヤンの場合はフルベンとは違ってナチ党員だったわけで、そうなると番組としては焦点が拡散しちゃうから、しょうがないのかなぁ。バレンボイムのイスラエルでのヴァーグナーもちょっと無理無理の感じがしました。
と、言いながら、それでも、かなり面白かったです、はい。 NHKは潰しちゃダメですね 笑)
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大江健三郎についで、坂本龍一が死んでしまった。71歳。僕と4歳しか違わなかったのかと、ちょっとびっくりしている。
坂本龍一は僕の世代だとYMOなんだろうけど、実はあんまり印象がない。印象に残っているのは大島渚の「戦場のメリークリスマス」だけど、あの映画もそれほど感動したわけではない。
僕にとっては、坂本龍一は福島の原発爆発以降の発言だった。反原発も憲法問題も、要所要所でしっかりとリベラルな発言をしていたのが頼もしいと思っていたのだが。。。
合掌
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この映画は拙ブログでも書きました。
映画「主戦場」を見た!なにしろ慰安婦問題を否定する、いわゆる右派の連中が、もうこちらが笑い出しそうなぐらい馬脚を表し、うろたえ、目が泳ぎ、差別意識をむき出しにするんだもんね。よくカメラの前でこんなこと言えるな、と呆れたものでした。
その後ケント・ギルバートたちが監督を訴えたニュースが続きましたが、最高裁まで行ってたのね 笑) それが確定したってことです。
訴えた内容は、同意なくインタビュー映像を使われたというものだけど、言ったことはもう映像として残っていて、これをCGだとは、さすがに言えないでしょうから、まあ、ほぼイチャモンだね。言ったことはもう認めているわけだ。
この映画を見た時、慰安婦問題を無かったことにしようとしている連中はみんな「日本会議」のうしろだてと差別意識で、そういう主張をしているのだと思った。だけど、その後、これらの連中は、特にボスの櫻井某は、統一教会とも繋がっていたことがはっきりしたわけだ。
この映画のなかで櫻井は資金の話を口を濁すシーンがあるけど、これってひょっとして統一教会からも流れていたんじゃないだろうか? ま、これは推測に過ぎないけどね。
ただ、統一教会との繋がりを考えれば、慰安婦問題を政治問題化した右派の連中の論理破綻ははっきりしてくるね。だって統一教会は慰安婦をはじめ、戦時中に日本は韓国朝鮮に悪魔のようなことをしたという主張をしているんだから。そしてそれに基づいて、日本人は韓国朝鮮のために貢げ、と詐欺商法で金を巻き上げて韓国へ送らせた。さらに反共を掲げながら北朝鮮とも繋がっていて、ミサイル開発資金は統一教会によって日本で巻き上げられた金が韓国経由で提供されたのではないかと言われている。
櫻井よしこなんか、そんな主張をしていることを知らなかったはずはないのに、統一教会と太いパイプを持っていて、統一教会ヨイショ講演なんかもしているわけ。これって人格が乖離してないとできないでしょう。
あるいはもともと慰安婦問題なんか興味も関心もないけど、なんらかのメリットがあるので主張しているという、ビジネス右翼にすぎないってことか。まあ、ドストエフスキーのゾシマ長老も、人は嘘をつくと自分でついた嘘を信じ始める、なんて言ってた(うろ覚えだから違ったらゴメン)から、今では存在しなかったと信じ切っているのかもしれないけど。
いずれにしても、安倍が殺されたのは残念だけど(生きて罪を償うべきだった)、それによって炙り出された統一教会と右派のつながりは、もう明らかに現在の日本の政治的社会的雰囲気の原因を明らかにしてくれたと思う。直接的、間接的に統一教会によって日本の社会が壊された部分は大きいと思うし、この先もこの点を人々が意識しなければ、さらに壊されるだろうね。
それと、昭和の時代だったら、たぶん夜中のTVで「主戦場」の放映をしただろうけどね。TVをはじめとしたマスコミも、もう少しなんとかしろよ、と思う。
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3月16日の夕刊、最終面の「目利きが選ぶ3冊」にスポーツライターの藤嶋大さんが
「ブッツァーティのジロ帯同記」を取り上げてくださいました。
以前の
「俺たちはみんな神さまだった」の時にも、藤嶋さんが「目利き」欄で紹介してくださったので、2回目です。ちなみに藤嶋さんとは面識はありませんが、古いロードレースを扱った本を2回もこうして取り上げてもらって感謝です。
記事を貼りたいけど、この記事、ネットでは有料で配信されているようなのでここに写真を載せることはしません。
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いや、ものすごい話だと思うんだけど、新聞では、冤罪が晴れて良かった、という論調が多くて、当時の捜査と検察のあからさまな悪意については、あまり触れられていないのが不思議。だって、証拠品を捏造したんだよね?? 明らかな犯罪でしょ? 本来行うべき犯人探しをせずに(おかげで真犯人は藪の中だ)、思いこんだら最後、証拠を捏造までして、人を死刑にしようとしたわけだから、これって殺人未遂事件でしょう?
ネットで俄かに有名になったのに紅林麻雄っていう警察官がいる。ウィキにも乗ってるけど、読むと無茶苦茶不快になるので、お勧めしません 笑)
まあ、この人、僕が子供の頃に亡くなっているので、若い人たちには、大昔の話に聞こえるかもしれないけど、現在だって和歌山カレー事件の死刑囚は本当に犯人なのかわからないようだし、すでに死刑執行されてしまった冤罪の可能性が高い飯塚事件なんていうのもある。
でも、今回の事件で死刑制度反対の人が増えるのかどうか。。。少なくともそういう声があまり出てこないのも不思議。。。
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まあ、親分が安倍だからね。絶対バレたって辞めないとは思っていた。

考えてみれば、政権批判的なことを言ったコメンテーター、が次々とTVに出てこなくなり、露骨な政権ヨイショのXX評論家とか国際XXとかが重用されるようになったのも、こういう政権のお膳立てがあったからなんだね。
しかし、高市だって自分が総務大臣だった時に作られた行政文書の内容が事実ではないって、笑うしかない。安倍以降、政治家の言葉が本当に責任を伴わなくなった。言葉から「意味」が剥落していると思えてしょうがない。
いずれにしても高市はきっと辞めないだろう、安倍が辞めなかったように。ただ、問題は高市が辞める辞めないではなくて、上の社説にあるように、「報道の自由のある世界の国々では、政府批判や政策批判の番組も一般的に放送される。なぜ日本では表現の自由、報道の自由を狭めるような法解釈に変更されたのか」だ。
そして、「官邸が独創し、法をねじ曲げた」のはこれだけではない。
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拙ブログでは前回も書いたけど、今日の東京新聞本音のコラムの斉藤美奈子さんの批判がでたので、ここでももう一度。
要するに相模原障害者虐殺事件の植松死刑囚と同じ発想なんだよね。社会保障、つまり財政面で負担をかけるだけだという理屈。しかも植松はそれを当時の首相安倍に伝えてくれと繰り返した。つまり彼は財政面で負担をかける(と彼が思い込んだ)障害者を殺すことで安倍に褒められると思ったわけ。
今回の成田という経済学者も、社会保障の面から負担を減らすのは老人が集団自殺すればいいというわけ。植松は自ら障害者を殺したけど、この成田はそこまでは踏み込めないので、老人が自殺すればいいと言ったわけ。つまり自分の手は汚さないし、汚したくないわけ。ここってものすごい小狡さがみえるよね。
21世紀に入ってこの国は人間を費用対効果で見る見方がクールなんだという風潮が高まった。でもその人の価値を外部から査定されるのっておかしいだろう。人間は「生きているだけで価値がある」という山本太郎の主張がもっとこの社会に広まらなければ、この国はどんどん生きづらい国になっていくだろう。
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僕も40年前、電車の中で、当時60歳ぐらいだった敬愛する先生が、いや〜昨日TV見てたらオ○マが出ててびっくりしたよ、ああいうのはTVに出すもんじゃないよ、と言った。この先生は文芸評論家で研究者だった。普段から差別的なことを言うような人ではなかったし、立派な人だった。その時僕がどう感じたかはあまり印象にない。ただ、結構声の大きな先生だったので、電車の中で周りの人の目が気になったのは覚えている。たぶん苦笑していたんだろうと思う。
あれから随分経った。その間に北丸さんが言うように、性的少数者の問題は人権の問題、平等の問題なのだということが、多くの人たちに伝わってきたし、世代交代も進み、価値観も変わってきたから、「そんな時代もありましたね」と多くの人はいうと思う。
現在の日本では、日本会議的・統一教会的・自民党的な価値観がおかしいと思う人が大勢を占めているのに、政府高官がまるで人権意識のない差別的なセリフを吐いちゃうのって、どうなってるんだろうね? この国の中枢にいる人たちが、今も相変わらず「そんな時代」に取り残されているんだね。
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うーん、昨日も書いたけど、これって岸田が同性婚を認めたら社会が変わってしまうと言ったことの補足としての話だったんだね。この首相秘書官だけを批判してもダメだということがわかる。自民党の統一教会汚染レベルの問題なんだな。どこまで統一教会に汚染されているかがわかる目安になると思う。

しかし、すごいね。この時代に、こんなことを、たとえオフレコだったとしても、人前で言えるって、周りの人も俺と同じ感覚だと信じて、安心し切って話したってことなんだろう。飲み屋で酔っ払っていたってこのレベルの発言できる人ってかなりの少数派だと思うわ。
しかし、秘書官室も、この人の個人的な付き合いも(当然親も奥さんも子供も親類一同も)、みんなこんな考えなんだね。で、選択的夫婦別姓もそうだけど、同性婚やパートナーシップ制度に憎悪を持って反対しているのが統一教会や日本会議に代表される宗教右派だ(町山智浩によればアメリカの創価学会は同性婚を認めているのに、公明党はのらりくらりとまともに答えようとしない)。つまり、この人の周りはみんな統一教会か日本会議、少なくともそうした感性、価値観の持ち主ばかりだってことか。要するに日本という国の舵取りをしているトップの連中は、統一教会にものすごく汚染されているってことだ。総取っ替えしなければ日本は滅びるな 笑)
しかし、僕がなによりも驚くのは、昨日も書いたけど、同性婚が認められたら日本から出て行く人がたくさん出るっていうセリフ。この人も当然出て行く覚悟があるんだろうね。どうぞ、ロシアでも中国でも北朝鮮でも行ってちょうだい。このセリフって、このブログでも散々投げつけられた文句だわ。そんなに日本が嫌いなら出て行けって、10年ぐらい前のコメント欄にまだ残ってるんじゃないかな 笑)こんなことを僕の方から言うようになるとは思わなんだ 爆)
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LGBTQに対して、首相秘書官が「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「社会にマイナスな影響を与える。秘書官室もみんな反対だ。同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」と言ったそうだ。
うーん、日本を捨ててどこへ行くっていうんだろう? ヨーロッパや南北アメリカ、オーストラリアやニュージーランド、これらの地域では同性婚を合法化している国が多い。これから先もまともな国はどんどん続くだろう。
同性婚が嫌だから日本から出て行くという人は、やっぱりイスラム教の国に行くんだろうなぁ。。。あるいはロシア、中国、北朝鮮へ向かうか 笑)
世界の同性婚へ民主党政権時代に安倍は子供手当によって、子育てを家族から奪い取り、国家化、社会化するのはポルポトやスターリンがやろうとしたことだと言った。
いやぁ、これじゃあ北欧はじめヨーロッパ諸国は共産主義の国々だよ。だけど、こういういい加減な「印象操作」がネトウヨ連中を惹きつけたんだろうね。
でも同性婚反対とか子供手当反対とか、これらはみんな統一教会の主張と寸分違わず一致する。統一教会主催のセミナーってのがあるそうだ。そういうところに入り浸っていると、冒頭のような差別的発言も、何ら良心に痛痒を感じることなく口にできるんだろうね。
これからは、こういう発言はすべて「壺しぐさ」と表記すべきだ。
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