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拙ブログのモットー

2037.06.17.12:21

社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように、そのようなことのためにあるのではありません。弱い人間のためにこそ社会はあります。私たちは、そうでないときにはそうであるように社会を変えてゆかなければなりません。(八尋 光秀)


あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、 それでもあなたは、それをやらなければならない。 それはあなたが世界を変えるためではなく、 あなた自身が世界によって変えられないように するためです。(ガンジー)


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「俺たちはみんな神さまだった」

2018.04.30.21:32

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今日は本の宣伝です。

ベンヨ・マソというオランダの社会学者が書いた1948年のツール・ド・フランスのドキュメンタリー「俺たちはみんな神さまだった」を翻訳しました。例によって未知谷さんにお世話になっています。

後ろはこんな(ちょっとした誤植はご愛嬌 笑)。

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中はこんな。

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全346ページ、写真約65枚。

アマゾンなどのネットでも注文できるようですが、ここのコメント欄に連絡先を書いて送っていただければ僅かですが割引になります。もちろんコメントは公開しません。

1948年というと、終戦から3年、まだまだ物資は不足しているし、東西冷戦が始まろうとしていて、政治的社会的にも大混乱の時代。そんな中でよくもまあ自転車レースなんか開催する気になったと思います。

レースは戦前にツールで圧勝しているジノ・バルタリと、フランスの若きエース、ルイゾン・ボベの激しい争い。だけどそれ以上にフランスナショナルチームの人間模様がむちゃくちゃ面白いです。

現在のように、システマチックになってしまって、チームの指示に絶対服従(この前のブエルタではアシストしなかったバルギルが帰宅させられてましたね)、役割分担が完全に決められ、レース展開もある程度お約束になっている(序盤逃げた選手がそのまま逃げ切ることはまずない)ようなツールとはまるで違います。監督の言うことなど無視を決め込み、嫌いなエースのためになんか働かず足の引っ張り合い。しかし、それにしてもバルタリの強さが圧倒的です。そして、その勝利が戦後の動乱期、革命騒動のイタリアの政治状況にまで影響を与えることになります。

日本ではバルタリは若くして亡くなったファウスト・コッピの引き立て役のように語られることが多いですが、ものすごい選手だったのは間違いありません。興味があれば、ぜひ手にとっていただけると嬉しく思います。

これは広告なので、しばらくブログのトップに出るようにしておきます。(2017年12月13日21:50記)

いつもコメントを下さる CYPRESS さんが、詳しい紹介をしてくださいました。感謝いたします。(2017年12月30日14:55 記)
https://cypresshushizen.blog.fc2.com/blog-entry-2916.html

momoさんからもコメントでサンスポのコラムで紹介されていることを教えていただきました。感謝いたします。(2018年1月4日 21:19記)
https://cyclist.sanspo.com/377984

2月1日の日経新聞で藤島大さんが「目利きが選ぶ3冊」に、読むべき本として紹介してくださったそうです。また、こんな地味な読者を選ぶ本なのに とりっぽん さんという方が第4回日本翻訳大賞に推薦してくださいました。二次選考であっさり落ちましたが 笑)、想像もしていなかったことでした。この本を訳した者として、お二方に心より感謝いたします。ありがとうございました。(2018年2月8日記)

信濃毎日で紹介されたようです。ありがたいことです。(2018年2月16日記)
信濃毎日 180216



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マルティンのブログから二つ

2018.02.17.22:57

バタバタしてて、チェックしてなかったら、マルティンのブログが2回も更新されてました。

まず2月9日の日付です。

……
トレーニングの時間は終了だ。明日、ついにまた始まる。ムルシア一周と日曜のクラシカ・デ・アルメリアで、水曜から始まるアルガルベ一周できちんと走れるように、レースのリズムを見つけることが大切だ。

ここまでの準備には大変満足している。素晴らしい冬を過ごし、最高のトレーニングを積んで、体調を悪くすることもなかった。調子はとてもいいと感じている。しかしそれはレースを走ってみて初めて、本当にそうだったかがわかるのだ。何れにしてもスタートが待ち遠しい。
……

というわけで準備レース2つはどちらも完走というところでした。続いて、アルガルベが始まってます。

……
本当にハードな始まりだった。ゴールするまで全力を出した。40人がリタイアだ。トイレタイムもなかった。5時間ハンドルの下を持っていた。ムルシア一周では最終的にタイムリミットで走れたのはわずかだった。私は26位だったが、本当にハードだった。日曜のアルメリアではいくらか穏やかなレースだった。私としてはむしろ逆であって欲しかった。つまり、平地のレースで始まって、それからアップダウンのあるレースが良かった。しかし、うまく走れてとても満足しているし、スペインを超えて【ポルトガルの】アルガルベへ向かうコースをとるのを後悔していない。

というわけで、今私はポルトガルにいる。車で7時間走って、ここにも慣れるだろう。それから水曜日には今シーズン最初の本気のテストが始まる。つまり、何よりもTTがセッティングされているのだ。このステージレースではかつて勝ったことがある。だから私としてjはこのレースとこの素晴らしい地域に親近感がある。
……

と気合十分だったマルティンですが、アルガルベの第3ステージの個人TT、ダメでしたね。20キロほどのコースでゲラント・トーマスに遅れること27秒の6位。去年もTTではほとんど勝てなかったし、このところTTの力に陰りが見えてますね。その分、逃げに力を入れて、ソロアタックで逃げ切るようなレースを見せてくれれがいいという気もするんですけどね。



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映画「ハイドリヒを撃て」

2018.02.16.00:22

永山則夫で十分暗くなったところへ、なんでこんな映画を見たかなぁ 苦笑) いやあ、いろんなナチものを見てきたけど、この映画、これまで見てきた中で一番救いがない。

ハイドリヒはナチでナンバー3だった男で、彼の元でユダヤ人抹殺が決定された。そのハイドリヒを、イギリスに亡命していたチェコ人とスロバキア人がパラシュート降下して暗殺するよう命じられる。

これは史実だし、他にも「暁の七人」やフリッツ・ラング監督の「死刑執行人もまた死す」という、ハイドリヒ暗殺の映画があるし、文学作品でもローラン・ビネの「HHhH」という小説を紹介したこともある。だから結末はわかっているし、ハイドリヒ暗殺が成功したことによって、その後リディツェという村がナチスによって消滅させられたこと、プラハのレジスタンス組織が完全に壊滅したこと、関係者たちがむごたらしく殺害されたこともわかっている。映画によればハイドリヒ一人が暗殺されたことで、ナチスは五千人以上のチェコ人を報復のために殺害(そのほとんどはただの市民だ)したそうである。

主人公の暗殺者の一人が、プラハのレジスタンス組織から、殺害の具体的な計画や、逃亡のこと、それによって予想されるナチスによる報復などを問いただされると、彼はこういう、「命令なのだ。」 

これってアイヒマンと同じじゃないのか? ユダヤ人をアウシュヴィッツへ送るGoサインを出したアイヒマン、戦後15年経って南米に逃げていたところをつかまり、イスラエルで裁判にかけられて絞首刑になったナチスの中佐だ。これについても拙ブログでは「アイヒマンを追え」という映画を紹介したことがある。彼は裁判で「自分は上からの命令に従い、なすべきことを『誠実に』なしたのだ」と胸を張って言った、自分はユダヤ人を直接この手で殺したことは一度もない、と。

裁判を傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは「凡庸な悪」という言葉で、自分の行いによってどんな結果が生じるかを考えず、命令されたことを諄々と行う組織の歯車の一員であったアイヒマンを語り、ユダヤ人社会から激しいバッシングを受けることになる。

それはともかく、ハイドリヒを暗殺すればどうなるかはわかりきっていたはずだ。そもそも暗殺せよとチャーチルが命じたのだろうけど、この命令そのものがあまりにずさんだ。どうやって暗殺するかは決まっていない。プラハのレジスタンスと相談せよというわけである。暗殺後の逃走経路だって決まってない。場当たり的な暗殺計画なのである。レジスタンス側はこの計画に反対したし、実際、暗殺計画は失敗した。一週間後にハイドリヒが死んだのはこの時の傷が、たまたま敗血症を発症したからである。

同じように救いがないナチものの映画はたくさんある。例えば「白バラの祈り」なんてのもなんの救いもないし、軍人たちによるヒトラー暗殺失敗を描いた「ワルキューレ」なんかも救いがない。最近の「ヒトラー暗殺、13分の誤算」「ヒトラーへの285枚の葉書」なんかもそうだ。

だけど、このハイドリヒを撃ては、イギリスで現地の状況なんか全く省みることのない最高責任者や参謀達が、ハイドリヒを殺してこい、と命令し、命令された方も、現地のレジスタンスや匿ってくれた人たちの危険など顧みず、結局みんな死んでしまうし、無関係の人たちもたくさん死ぬ。

「白バラの祈り」や「ワルキューレ」、あるいは「ヒトラー暗殺」や「285枚の葉書」は抵抗運動をした「英雄」たちの話で、自分たちは死んでしまうが、他の無実の人間たちを巻き込むことはない(285枚の原作「ベルリンに一人死す」は無実の親類も巻き込まれてしまうが)。だけど、ここでの暗殺者たちは単純に「英雄」と言ってしまっていいのかどうか。例えばこれも前に紹介したデンマーク映画「誰がため」では、反ナチスの暗殺者二人は、直接ドイツ人を殺せば報復として無関係なデンマーク人が何人も殺されることがわかっているから、彼らが狙うのはナチに迎合しているデンマーク人だった。

映画の作りとしては、徹底して暗殺者の側だけを描き、ドイツ側の事情などは全く描かない。例えば同じハイドリヒ暗殺を描いた「暁の七人」では、ハイドリヒ(アントン・ディフリングという俳優がやっていた)がいかに凶々しいかが描かれるシーンがある。また、戦時中に作られた、まさにアップ・トゥ・デイトな「死刑執行人もまた死す」でのハイドリヒも憎々しげな悪党ぶりを見せる。だけどこの映画では劇中ハイドリヒが出てくるのは襲撃シーンだけ。ドイツ側にズームアップされる人物はなく、ナチスの側の冷酷無比度はハンパがない。最近はナチス側の事情にやや甘めの映画が多かったから、この点についてはすがすがしさすら感じる。

と書きながら、もう一度見たいとは、全く思わない。最初に書いたように、なんでこの時期にこんな惨憺たる映画を見ちまったんだろうなぁ、と多少の後悔すら感じている 苦笑)



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堀川恵子の二冊の「永山則夫」本

2018.02.14.22:29

リベラルを謳っているFBグループでも、オウムの裁判がすべて結審した1月終わり頃には、彼らを早く死刑にしてしまえと書き込む人がたくさんいた。死刑囚を留置所で養うのに年間でかかる費用とやらを具体的にあげて、血税の無駄だという人もいた。リベラルなFBグループですらこうなのだからね。

拙ブログでも安倍批判以上に反論が多いのは死刑反対と書くときだ。あるネトウヨ氏などは、僕が死刑に反対だと書いたら、お前の娘が集団暴行された上、無残に殺されてもそんなことが言えるのか、と、まるでそんなことを言うならお前の子供を殺してやる、と言わんばかりの憎しみに満ちたコメントを書いてきた。

なぜなんだろう、自分の家族や知り合いが殺されたわけでもないのに、そこまで加害者を憎み、殺せと叫ぶのは?? 一方で死刑に反対する者を、まるで被害者と遺族の気持ちを想像せず、加害者の肩だけを持つ人間だとでも考えているのだろうか? そもそも、まともに考えれば、そんな奴はいるわけないだろう。

加害者に想いを馳せることが、被害者を侮辱することになるとでも思っているのだろうか? 一つのパイを分捕りあっているわけではないんだよ。加害者の人権と被害者の人権の分捕り合いなんかできっこない。それぞれが一つのパイ(人権)なんだよ。加害者のことを語る事で被害者のパイが小さくなるわけではないし、逆もまた同じことだ。

さて、この堀川恵子という人の本はすごく気になっていた。だけど読めば絶対辛くなるのはわかっていたから二の足を踏んでいた。先月末の友川カズキライブで、友川さんがこの人の書いた「永山則夫・封印された鑑定記録」を紹介し、ライブの打ち上げでも、自分と弟の関係を仮託して読んでしまったと言って、「読んでごらん」と声をかけてもらった。早速近くの図書館にあったので借りて、今日の午前中に読み終えた。持っててもいい本だと思えるので購入しようと思う(最近はまず図書館で読んでから購入を考えるようになった 笑)



「死刑の基準 『永山裁判』が遺したもの」
一般に死刑の基準とされる「永山基準」と呼ばれるものができる裁判の経過について書いたもの。永山則夫の生い立ちから、なんの意味もなく4人を射殺した事件、大荒れの裁判から獄中結婚、一審の死刑判決から無期懲役にした二審の船田裁判、そして最高裁での差し戻しによる死刑確定と、永山則夫事件と裁判を時間を追って描いているが、中心になるのは無期懲役判決を出した船田裁判である。

これに対して最高裁での差し戻し判決に書かれた9つの量刑因子(例えば殺害の方法の残虐性とか殺害されたものの数とか、犯人の年齢、犯行後の情状などなど)が、のちに「永山基準」として、多くの死刑を求刑された裁判で言われることになる。

当初の「永山基準」の理念は「原則は死刑不適用」で、死刑はあくまで例外という考え方だった。ところが「永山基準」が一人歩きし始め、この9つを満たせば死刑にできるという、機械的に基準に当てはめることができるかのような転倒現象が起きてしまったのではないかという。



「永山則夫 封印された鑑定記録」
前書が永山裁判の経過と永山の獄中結婚の成り行きを描いたものだとすると、こちらは永山の精神鑑定を行った石川医師と永山の関係を追ったものである。永山の壮絶な幼少時代、あるいは祖父母の代にまでさかのぼって調べ上げた石川医師の誠実さに心打たれるとともに、永山の幼年時代、少年時代のあまりの悲惨さに声を失う。

永山は母に捨てられ兄たちに暴力を振るわれ、ネグレクトされ、社会に出てからも頼るものはなく、被害妄想に苛まれ、他人の善意すら疑いの目で見てしまうほど精神的に危うい状態にあった。自殺願望もあり忍び込んだホテルの敷地や神社で警備員に見つかり、たまたま米軍基地で盗んで持っていた銃で二人を次々に撃ち殺し、母や兄弟たちに対する仕返しの気持ち、当てつけの気持ちで第三第四の殺人を犯す。

そんな永山が石川医師のカウンセリングとも言えるような鑑定を受け、人間としての心を取り戻していく。最終的に、一度は否定したその鑑定書を死刑になるまで手元に置き、繰り返し読み続ける。そこに書かれた「自身の生い立ちを、母の人生を、独房で繰り返し辿り反芻」する。

そして、それによって彼は「”連続射殺魔”から一人の人間に立ち戻り、最後まで被害者遺族に印税を届け」、「弁護士や支援者に墓参りに行ってくれるよう繰り返し」頼み続けた。「犯してしまった取り返しのつかない罪に、失われた命に捧げられるのは、もはや祈りでしかないことに彼は気付いたのではなかったか。」「彼は独房の中で、一人の人間として残された”命”を生き切ったのではなかったか。」(引用は全て文庫版P.452)


最初の本によると1980年の世論調査では死刑を支持するのは60%強だったそうである。それが2004年には80%強、多分現在もその数値はほぼ変わっていないだろう。

このような傾向は現在の社会の右傾化と連動しているように思われて仕方がない。自己責任という言葉に踊らされて、どんどん薄情で不寛容な社会になってしまった現在の状況と、死刑制度を支持する世間の雰囲気は親和性が高いように思えるのである。

格差社会の中、貧困や家族崩壊、社会からの孤立など、永山を取り巻いた状況はあまり変わってない。当たり前だけど、一人の人間はその人の生きて来ただけのものを背負っている。それは被害者だってそうだし加害者だってそうだ。少年だった永山則夫がなぜ全く落ち度のない人間を4人も殺したのか。そして、彼の生い立ちを自己責任とか努力不足だなどと突っぱねることができるのか。

もちろん彼と同じような境遇にいながら犯罪など起こさない者もいるだろう。しかしその差を、自己責任という酷薄な言葉で片付けられるか、というとそうではない。石川医師も言うように、「もし、あの時。。。だったら」というポイントがいくつもあり、それが全て悪い方向へ向かってしまったという稀有なケースが永山事件なのだろう。

以前に書いたことだけど、僕は光市事件の被害者遺族の男性が、加害者少年の死刑確定時に発した言葉を思い出す。

「どうすれば死刑という残虐で残酷な刑が下されない社会にできるか。それを考える契機にならなければ、わたしの妻と娘、そして被告人も犬死にです」

少年による凶悪犯罪は、彼ら個人の問題である以上に社会の問題であるのだろう。現在の石川医師が語る言葉は、拙ブログでもなんども書いた、人間は99%の普通の人がいて1%の悪人がいるわけではないという言葉につながると思う。「調べれば調べるほど、本当の凶悪犯なんて、そういるもんじゃないんですよ、人間であれば… 」(文庫版「永山則夫」p.454)

辛い話である。永山もかわいそう、そんなかわいそうな永山に殺された全く落ち度のない4人もかわいそう、そしてその遺族もかわいそう、永山と獄中結婚したミミさんもかわいそう、永山に無期懲役の判決を出した船山裁判官もかわいそうだし、永山の精神鑑定を行った石川医師もかわいそう。どうすれば彼らのようなかわいそうな人が出ない社会ができるんだろう? 悪いことをしたやつを排除しただけでは、そういう視点が出てこないだろう。そうでなければ永山も彼に殺された4人も、まるで犬死だ。

(死刑制度についての私の考えは8年近く前に書いたことと変わっていません。「死刑制度について」



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rsn のシリーズ「あなたの初めて」ゲシュケ編

2018.02.13.21:33

このところ拙ブログでは名前がなかなかでてこないゲシュケ。rsn の新シリーズで、「あなたの初めては?」という連載記事に出てきました。内容はこんな感じ。

……
 最初のレースは?
1998年のベルリン・ブランデンブルク・カップというマウンテンバイクのレースだ。でもどこでやったかはもう覚えてないなぁ。

 最初の落車は?
それから少し後、2001年のロードレースで、だったと思う。自分がすぐにまた自転車に乗ったのに、自分でびっくりしたね。

 最初の賞金は?
これも2001年で、ベルリンの周回コースのレースだった。10ユーロの賞金だったね。

 最初の勝利は?
最初に話した1998年の最初のマウンテンのレースだよ。ロードでの初勝利は2001年のベルリンであったクリテリウムだった。その時は単独で逃げて勝ったんだよ。

 最初のスポンサーは?
親父だ。彼は自転車屋をやってて子供だったからもちろんありがたかったよ。自転車競技って金がかかるからね。

 最初のチームは?
ベルリンTSCだ。ぼくのとってはチームの一員だという気持ちを始めてもてた。

 最初のプロレースは?
レジオ・ツールにミルラムの見習い(スタジエール)として出たんだ。ミルラムからは翌年の契約は取れなかったけど、思い出深いね。レジオ・ツールではルームメイトのビェルン・シュレーダーが総合優勝したんだ。彼とは今でも仲良しで、ベルリンでは一緒にトレーニングしているよ。何れにしても、このレースは今住んでいる南バーデン地方のとても素敵なレースだよ。
……

というわけで、ビェルン・シュレーダーは2006年から5年ほどミルラムに所属していた選手です。今も現役だけどコンチネンタルチームみたいですね、

父親のユルゲン・ゲシュケは、拙ブログではすでに書いたことがありますが、1970年代のトラックで大活躍した旧東ドイツの名選手です。1970年前後にタンデムで世界チャンピオンに二回なり、モントリオールオリンピックのスプリントでは銅メダル、1977年の世界戦ではスプリントで世界チャンピオンになっています。
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まあ、若い頃の写真を見ても似てないけど、何しろ髭面だから、比較に無理があるかなぁ。ところで、この1977年って中野浩一がプロスプリントで初優勝した年で、その時のアマチュアスプリントのチャンピオンがゲシュケだったわけです。

それはともかく、ゲシュケの今シーズンの最初のレースは水曜から始まるアルガルベ一周からですね。



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今年も味噌作り

2018.02.12.19:23

以前にも味噌作りについてアップしたことがありました。探してみたら、東日本大震災のひと月前のことでした。あれから世の中は随分変わってしまいました...

さて、毎年作ってるんですが、今年も作りました。生協で頼んだ大豆1キロと乾燥麹1キロ、それに塩430でやってみました。昨晩から水につけておいた大豆をかなり柔らかくなるまで煮て、潰します。潰すのはいつものようにミンサーというやつです。昔は肉の塊を買ってきてこれでひき肉にして、豚腸に詰めてソーセージを作ったりしていたんですが、今ではもう味噌作り以外では使わないですね 笑)
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塩と麹をよく混ぜ合わせておいて、煮汁も入れて粘土ぐらいの感触にしたら、おにぎりを作ります。
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それを容器に投げつけるように詰めていきます。
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全部詰めたら表面を平らにします。
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この上にフタをするように塩を振るというのもあるようですが、今回は焼酎を振りかけて落としぶたをして、容器のフタをしておしまい。
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これであとは冷暗所に置いておいて、梅雨時までほっておきます。その後カビていればその表面を捨てて、天地返しというやつをやります。なあに、ただ下の方からひっくり返すようにかき混ぜるだけです。で、秋頃にはもう立派な味噌になっているというわけです。あ、フタをするときに、美味しい味噌になあれ、という呪文を唱えるのを忘れずに 笑)



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ドバイ・ツール終了後のキッテル

2018.02.12.11:20

まだ新たなカチューシャのマイヨでの初勝利をあげられないキッテルです。カチューシャのスプリントトレインはニルス・ポリット、リック・ツァベル、マルコ・ハラーとみんなドイツ語で、意思の疎通は完璧と思われそうですがねぇ。

ドバイの最終日、なんでキッテルのカタパルト役だったマルコ・ハラーやリック・ツァーベルがキッテルより上位に入ったんだろうと思ってたら、キッテルに気づかなかったようです。すべての原因はその前のコーナーでのブーアンニの落車だったようで、この落車でカヴもフルーネヴェーヘンもデーゲンコルプも止まっちゃったようですね。なので、カタパルト役の二人もキッテルも止まったと思って、自分たちだけでスプリントに参加したということのようです。 rsn に署名記事でキッテルのインタビュー混じりの記事が載っていましたので、軽くご紹介します。

キッテルの話。「もちろん俺たちはがっかりしてるよ。マルコ【ハラー】の2位はすごいことだけど、俺たちは優勝したかったんだからな。【ブーアンニの】落車のあと大混乱になった。マルコとリック【ツァベル】は、俺もストップしたと思ったんだ。そこでチームのために少しでもいい結果を残そうとした。

俺たちはやらかしたミスから学んで、チームとしてさらに成長しなくちゃならねえ。話し合うことはいくつもある。でもな、この何日かでチームは一層強くなったと思うぜ。」

というわけで、第1ステージはメカトラで、絶好のポジションだったのをフイにし、第2ステージは最後の何キロかでカタパルトのハラーから離れてしまい、第3ステージもいいところにいながら、ちょっとスプリントに入るタイミングが遅れて届かず、第4ステージは最後のハッタダムへの登りの前に遅れ、最終ステージも結局カタパルト役を利用できず、結構良い位置にいたと思うんですが失速。

特に最終ステージの、スプリントに入った瞬間に足を止めて腰を下ろしてしまったシーンはまたトラブルかと思ったんですが、そこまでの前段階でハラーとツァベルを追いかけて足を使いすぎ、力が尽きてしまったということなんでしょうかね?

次は21日からのアブダビ・ツールだそうですが、そこでも勝利をあげられなかったりすると、結構大変なことになりそう。



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頭が腐れば全て腐る

2018.02.11.21:45

今日の東京新聞の山口二郎の本音のコラム、「権力者の腐敗は、国を蝕む疫病である」というのはその通りだと思う。

前にも書いたことだけど、日本の敗戦時、昭和天皇が何にも責任を取らなかったことが、その後の日本の無責任体質に影響しなかったはずはないと思う。一番トップが何ら責任を取らなかった。上官の命令は天皇の命令だと言われて、命令に従って死んだり戦犯になった者がどれだけいたことだろう。一方で、天皇が責任を取らなかったのだから、俺に責任はないと思った参謀達もたくさんいただろう。

現在でいえば、安倍のデタラメさを見たプチ権力者が俺もデタラメをやって構わんと勘違いするのは当たり前のことだと思う。

山口二郎は23カ国、2500人以上の若者を対象にした実験の話を書いている。つまり、サイコロを振って出た数に応じて賞金がもらえたり、もらえなかったりするゲームをする。しかし結果は完全に自己申告で、嘘をつくことも可能である。

「すると、独裁者が腐敗政治を継続している国の人々の申告値の平均は、西欧諸国の人々のそれよりも高いことが明らかになった」そうである。

「権力者による政治の私物化が当たり前となれば、国民の方もごまかし、インチキを当たり前と思うようになる。(中略)為政者の公私混同は社会を内側から腐らせる大罪である。」



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ドバイ・ツール(5)ヴィヴィアーニ!

2018.02.11.00:00



キッテルはどうしちゃったんでしょうね。最後向かって右側へ進路を変えて、行ったぁ!!と思ったら足止めちゃいましたね。なんだろう、トップに入れたギアが勝手にセカンドになっちゃったみたいな。。。そのあとは腰上げることなくなだれ込みゴールでした。

カチューシャはアシストというかカタパルト役のマルコ・ハラーが2位、リック・ツァベルが5位になってますが、肝心のキッテルが6位。うーん、多分メカトラではないかと思うんですが、アシストがここまで頑張っちゃうというのも、キッテルの調子がイマイチだからというのでもなければ、どうもゲせない話です。

というわけで、ヴィヴィアーニが2勝目で総合も決めました。今年もクイックステップの荒稼ぎが早くも始まっています。



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ドバイ・ツール(4) コルブレッリ!

2018.02.10.21:33

いや、去年はデーゲンコルプがこのステージで優勝しているので今シーズンも、と思ったんですが、まるで姿を見せませんでした。


しかし、一人逃げ続けたブランドン・マクナルティ、まだ19歳だそうで、惜しかったなぁ。あと50メートルぐらいだったですね。

マクナルティの話。「自分の強さを示すことができた。幸せだ。ゴール前50メートルで捕まっちゃったけど、僕の年齢なら恥じることはないよね。今は最終ステージと、次のツアー・オブ・オマーンが楽しみだ。

実際は捕まるだろうと思っていたけど、登りの勾配がこんなだとは思ってなかった。登りを見た瞬間は、Oh Shit ! だった。」

キッテルはこのコースで勝てるはずないと思っていたけど、登りよりだいぶ前にちぎれてましたねぇ。



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唐突に1991年ツール・ド・スイス

2018.02.09.16:02

昨日ホーイドンクの写真を探していたらこんなものが出てきました。右端が市川選手ですね。
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この年、市川選手が所属していたブライカーチームは、他の色んなチームの選手を加えてツール・ド・スイスに出場したんですね。だからマイヨの胸の文字がバラバラだし、パンツの横の文字も違ってますね。左から四人目なんてカレラのマークでカレラチームの青いジーンズ仕立てのレーパンです 笑)

こんなことができたんですね。そういえば、1995年のツールではテレコムとZGチームが混合チームという形で出ていました。この時は当初テレコムはツールに呼ばれてなかったんですが、抗議したらイタリアのZGと一つにすることになり、テレコムから6人、ZGから3人出場となりました。ただしマイヨは別々だし、連携もあまりなかったようですけどね。

そんな中でツァベルが2勝して、翌年はエースにビャルネ・リース(95年総合3位)を招聘して総合優勝、プロ2年目のヤン・ウルリヒも2位になり、強豪チームになったのでした。

ところで、ブライカーの写真、その後また別の機会に市川さんにもらった絵葉書ではみんなお揃いのマイヨになってますが、実はよく見ると一人だけ違います。写真が小さくて、ちょっとわからないかもしれませんが、この中では一番有名な選手ベアト・ブロイ(左から4番目)だけ、ホィーラーの黄色い帯が入ってます。
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これはベアト・ブロイの個人スポンサーみたいです。このブロイという選手は82年にツールの山岳で大活躍したんですね。ラルプ・デュエズでの優勝を含み、山岳でステージ2勝、総合6位になっています。この時のハンドルに覆いかぶさるようなダンシングはここで見ることができますね。


1時間以上付き合えないというのであれば、41分ぐらいからどうぞ。

しかしほとんどずっとダンシングです。ブロイが映る場面では8割がたダンシングじゃないでしょうか。信じられんなぁ。それと、この時代のポジション。ハンドルとサドルの高さがそれほど差がないです。80年代前半から中頃にかけてはハンドルステムを目一杯上げて、ハンドルとサドルの高さがあまり変わらないスタイルが流行りました。だからですかね、ブロイのダンシング、腕が長すぎるみたいに肘を大きく曲げて左右に張り出すような走り方ですね。

というわけで、ブライカーに所属していながら、自分を個人的に応援してくれるスポンサーの名前を入れてしまう。今では考えられないことですが、のどかな時代だったんですね。



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ドバイ・ツール(3) カヴェンディッシュ

2018.02.08.22:35

というわけで第二ステージの結果をアップしたら、すでに第三ステージも終わってました。また見逃したぁ。


カヴェンディッシュがスプリントでブーアンニとキッテルに勝ちました。キッテルが3位。乗り切れないですねぇ。ただ、ビデオで見る限り、埋まっちゃってスプリントに入るのが遅すぎ。まあ、あれでカヴをあそこまで追い込めたんだから、まあ良しとするしかないですかね。

総合ではフルーネヴェーヘンがメカトラで遅れた後、チームカーに引っ張ってもらったのでペナルティ20秒でトップから落ちて、ヴィヴィアーニが4秒差でカヴをリード。でも、僕としては3位につけているナータン・ファン・ホーイドンクという名前に反応します。1990年前後に天才と言われ、ツール・ド・フランドルに2勝したエドヴィヒ・ファン・ホーイドンクの息子らしいです。エドヴィヒは89年に昭和記念公園で行われた二度目のスーパークリテリウムで優勝した選手です。
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ちょっと暗くなってしまいましたが、競技マガジンから。

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こちらも競技マガジンから。スーパークリテで優勝したところです。

当時はあまり大柄の選手っていなかったんですよね。ひときわ目立つ巨漢選手でした。当時のベルギーではプロ入りに年齢の制限があったんですが、彼の場合特例でその制限より年少だったのにプロになったんだったと思います。天才と呼ばれ、メルクスの再来と言われながら、何しろ練習が嫌い。当時の監督のヤン・ラースなんか、あいつは日曜日にしか練習しない、と言ってたぐらい。それに精神的なタフさもあまりなかったんでしょう。練習しなくてもそこそこ走れちゃうわけで(「そこそこ」どころかフランドルで2勝ですからね)、案の定というべきか、30歳になる前にさっさと引退してしまいました。一説にはドーピングに嫌気がさしたという話も聞いたことがありますが、それはなんとも言えませんね。

このエドヴィヒの方については、後日また書くことにして、ナータンの方の写真を探したら、あまり親父に似てないかなぁ。親父ほど騒がれてないみたいだけど、しっかり練習して親父を追い抜いてほしいものです。
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ドバイ・ツール(2) 江戸から長崎

2018.02.08.21:54



ヴィヴィアーニがフルーネヴェーヘンにリベンジしましたね。9レース目で7回目のトップテン入り。しかも29回目の誕生日でした。

ヴィヴィアーニの話。「今年はこれまでで最高のシーズンスタートだ。これで終わりにならないように願っているよ。総合でも2位になったけど、まだ総合争いのことは考えてない。これからどうなるかだね。2010年にプロになってから、僕は、勝つことでよりも負けることでモチヴェーションを高めてきたことは、みんなも知る通りだ。今日もまったくその通りだったね。

ゴール500メートル前で、サバ(ファビオ・サバティーニ)が先頭との隙間を埋めてくれた。それでクリストフの番手が取れ、昨日より早めにスプリントを開始しようと決めたんだ。最後の1キロはカオスだったけど、世界最高峰のスプリンターが勝負しているわけだからね。いつだってカオスだよ。チームは信じられないぐらいだよ。このチームの一員であることは特別な気分だ。このチームで勝てたことが本当に嬉しい。僕の誕生日もことさらに素敵なものになったね。」

というわけで、拙ブログとしては、どうしたキッテル?! と言いたいところですが、昨日はメカトラ、今日はラスト2キロでトレインがばらけてしまいました。

キッテルの話。「フィナーレで幾つかミスをしたぜ。ちょっとナーバスになりすぎたせいだ。俺たちは左側から前へ上がっていくことを決めていた。だけどそれがうまく機能しなかった。コミュニケーションがうまくなかったな。だけどそれもまたいいことだ。ここではテストなんだからミスが生じることもあるって言ってたんだからな。それより、逃げ潰しの追走作業に手を貸してくれたのは1チームだけだった。他のチームは知らんぷりだ。なぜなんだ。スプリントになるのがわかってるんだ、他のチームもやるべきことをやれよ。

まあ、俺たちは全力を出したけど、どうやら十分じゃなかったってことだ。でも明日はまた次のチャンスが来る。その後も、それからその後も、次のチャンスがあるってことだぜ。」

というわけで、自分が出て行ったクイック・ステップ、南米ではガビリアが、そして目の前ではキッテルの後釜に入ってきたヴィヴィアーニが優勝。ちょっと穏やかではないかもしれません。


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ドバイ・ツール(1) フルーネヴェーヘン!

2018.02.07.11:06

いやはや、安倍の答弁のデタラメさを編集すれば、十分お笑い番組で使えるだろう。都合が悪くなると、聞かれていることとまるで関係ないことをとうとうと述べたてて、質問者からそんなことを聞いてない、と言われても知らん顔で丁寧にご説明させていただいたと胸張ってたもんね。それが一度や二度ではないからね。歴代首相中でこんなデタラメな答弁するのはいなかったし、今後もこれを超えるデタラメな首相は現れないだろう。

というわけで、ドバイ・ツール最初のステージはフルーネヴェーヘンがぐちゃぐちゃのスプリントを見せて優勝でした。狭いところからヴィヴィアーニが抜け出ようとして、微妙な間隔を開けたまま、うまくブロック、同時に前を行くマグヌス・コルト・ニールセンをさしました。チームとしてはヴィヴィアーニのクイックステップとキッテルのカチューシャがうまかったですけどねぇ。キッテルか、と思える展開でしたが。。。



キッテルの話。「これまでのドバイで一番テクニカルなフィナーレだった。チームは本当にうまくやっていたし、常に正しいポジションで、最後にマルコ・ハラーが俺を前へ押し上げてくれた。さあ、スプリントだと思った瞬間にテクニカルプロブレムが起きたんだ。勝つチャンスが十分にあった。いいポジションにいたからな。調子も良かった。だからそれだけがっかりしている。チームとしては上手く機能したぜ。マルコ・マティスが先頭で頑張ってくれた。奴はとっても良いぜ。この調子で次はやれると思うぜ。」

というわけで、技術的な問題と言ってますが、具体的にはなんだったのでしょうね? パンク? ディレイラーが故障? カチューシャの選手がコルト・ニールセンがアタックした直後にハンドルを叩いているシーンがちょこっと映りますが、あれがキッテルだったんですね。

優勝したフルーネヴェーヘンとしては会心のスプリントでしょうか。上手くヴィヴィアーニを止めました。

フルーネヴェーヘンの話。「ここで勝てるなんて素晴らしいよ。何しろ優秀なスプリンターがたくさんいるんだから。最後はとても際どかった。ラスト100メートルで全力を出したよ。今シーズンの最初のステージで、しかもレベルの高いスプリンターぞろいのレースで勝つのは気持ちがいいよ。」

一方のヴィヴィアーニとしては、もう少し早い段階でフルーネヴェーヘンの横に入れれば、あそこまで寄せられなかっただろうけどねぇ。

ヴィヴィアーニの話。「90%俺のミスだ。台無しにしてしまった。横風があったので右側をキープしようとしたんだ。計画通りだったし、俺の調子も良かった。なのに、フルーネヴェーヘンが最初に行った時、ミスを犯した。後ろから行くなら左側へ行けたのに。一瞬の判断だったからしょうがない。がっかりだよ。でも明日もあるからまた頑張るよ。」

毛色の違うコメントはカヴのものでしょうか。

カヴェンディッシュの話。「スプリントを上手く出来なかった。リードアウトはいたし、十分な力を出せたのに、上手くいかなかった。調子は良かったんだ。レンショウもアイゼルも上手くやってくれた。最後はかなりカオス状態だった、いや、大虐殺だった。本気で命の心配をしたよ。誰かの後ろにつこうとするんじゃなくて、集団の中を左へ走っていくやつを避けるのに一生懸命だった。UCIはこの冬に、集団の中を左右にポジションを変えてもいいと発表したから、こうなるだろうと思ってたんだ。集団内であれより後ろにいたらもうだめだね。今日はミスをした。最後の何キロかで後ろにいすぎた。だからスプリントに加われなかったんだ。」

ビデオで見ても、いまひとつグチャグチャ感がわかりませんが、カヴとしてはUCIの決定をちょっと批判気味なんでしょうか?



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ドバイ・ツール、スプリンター勢ぞろい

2018.02.06.16:32

今日から始まるドバイ・ツール、シーズン開始したばかりというところで、ここまでの調整具合がどんなものか、程度に見るべきでしょうけど、それにしても、そうそうたるスプリンターオンパレードです。しかもフラットなステージばかりだし。

ブーアンニ、カヴェンディッシュ、デーゲンコルプ、キッテル、クリストフ、ヴィヴィアーニ、フルーネヴェーヘンと勢ぞろい。

去年、一昨年とキッテルが総合優勝し、通算のステージ勝利数も8と記録を持っていますが、デーゲンコルプはマヨルカで2勝、ヴィヴィアーニも一つ勝っているし、15年はカヴが総合優勝しているし、というわけで、シーズン早々こんなにみんな集まっちゃっていいんでしょうかね 笑) あえて言えば、サガンがいないのが残念かな。



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映画「シェーン」とアラン・ラッド

2018.02.05.18:43

アラン・ラッドと言っても、普通の人は知らないでしょうね。映画「シェーン」の俳優だと言えば思い浮かぶ人も多いかと思う。個人的には映画史上ナンバーワンの美男俳優だと思っているんだけど、これを言っても同意してくれる人はあんまりいない 苦笑)
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「シェーン」は僕が生まれて初めて一人で映画館で見た映画。多分中学1年の時、渋谷のプラネタリウムがあった東急の映画館で見たんじゃないかと思う。高校時代には原作本が出て、それも買って読んだけど、映画の印象が強くて、映画と違うシェーンの黒っぽい服装とか、会話の口調とかにいまひとつな感じがした(上の写真は当時のパンフレットと原作本)。

なんで「シェーン」が見たかったか、と言われてもよくわからない。ただ、母親が熱烈な洋画ファンで、特にタイロン・パワー(この俳優の顔がすぐに思い浮かぶ人はかなりのマニアか70以上かな)が好きで、いろんな話を聞かされた。ちなみに母はグレゴリー・ペックをダイコンと言っていた 笑)ペックはともかく、「シェーン」も、もしかしたら母から聞いたのかもしれない。ただ母が西部劇を見るかなあ、という気もするが。

で「シェーン」だ。この後TVでもなんども放映され、その度に見たから、多分なんども見た。ある時、え〜っ? 「シェーン」ってこんな映画だったんだぁ、とびっくりしたのは、シェーンとジョーとその奥さんのマリアンの三角関係の話だということに気がついた時だ。

子供の時に見た時はそんなことまるで気がつかなかったし、印象は何しろ殺し屋ガンマンのジャック・パランスとシェーンの決闘シーンばかりが強く記憶に残ったんだったと思う。実はこの西部劇はピストルを撃つシーンは3回しかない。シェーンがジョーイ少年にせがまれて、石を撃つシーンと、殺し屋ジャック・パランスがエリッシャ・クック・ジュニアの気弱いくせに無理している開拓者を撃ち殺すシーン。そして最後の決闘シーン。

多分、これは当時TVでよく放映されていた普通の西部劇、バンバン撃ち合いばかりだった西部劇とは随分違っていたのではないかと思う。今見直してみると、クラフトンの雑貨屋のカタログのような細部のこだわりがすごいし、銃声が3回しかない分、その音がTVで見ていた西部劇とは違って、ものすごい迫力だった。子供の頃は善良な開拓民に対して、極悪な牧畜カウボーイたちの戦いだと単純に考えていた。でも、何度か見て、シェーンに撃ち殺される牧畜業者にも言い分があり、それがきちんと描かれていることがわかってきた。単なる水戸黄門みたいな勧善懲悪ドラマではなかった。

この映画の中で唯一、本当の悪党であるジャック・パランスややった黒ずくめの殺し屋は、エリッシャ・クック・Jrを撃ち殺した後も笑みを浮かべている。殺しに慣れているのである。人殺しを楽しんでいるのである。しかし、シェーンも実は同じ穴のむじなであることが最後にわかる。彼はパランスと牧畜業者の親玉を撃ち殺した後、銃をくるくると回転させてホルスターに納めるのである。つまり、彼もまた人殺しに慣れていて、人を殺した後、自分の銃さばきに酔って、「いつものように」慣れた手つきで格好をつけるのである。

そう考えると、最初の方で、ジョーイ少年が持っていたライフルのカチャッという音に反応する様は、実は彼はお尋ね者で賞金稼ぎに追われているのではないか、と思われる節もある。最後にシェーンがジョーイ少年に語る「殺しの烙印」という言葉も、今回の三人を殺しただけでなく、それ以前にかなりたくさんの人間を殺してきたことを暗示しているのだろう。

何れにしても、この最後のシーンのアラン・ラッドの美男ぶりには、男の僕で惚れ惚れする。
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アラン・ラッドは「シェーン」だけで名を残していると言ってもいいだろうけど、調べると結構面白い映画に出ている。その一番手は「拳銃貸します」かな。映画としては突っ込みどころがいっぱいあるけど、アラン・ラッドがやった帽子をかぶった殺し屋。この時ラッドは29歳。子供に優しく、猫を可愛がり、猫を虐待するおばさんをひっぱたき、ターゲットを非情に殺すという役柄だけど、小柄なラッドがシャープな動きでなかなか良い。コートの襟を立てて表情をあまり表さないところは、多分アラン・ドロンが「サムライ」でやった殺し屋がこのラッドのパクリ(オマージュともいう 笑)ではないかと思うんだけど。
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他にも「華麗なるギャッツビー」が原作の「暗黒街の巨頭」も悪くない。レッドフォードがやったのと比べると、ラッド版の方がギャッツビーの嘘つき度合いが高いかな。それとこの映画では惚れた女と再会するところの煩悶の演技がなかなか見せます 笑)ただ、最初と最後が友人の回顧録みたいになっていて、すごいやつだったといい続けられるんだけど、どこがすごいのかが、ひとつよく分からない(もっともこれはレッドフォード版でもそうだと思うけど。ちなみにデカプリオ版もあるけど、これは見てません)。それにレッドフォードよりもアラン・ラッドの方がずっと二枚目だと思うけどどうだろう?
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あと、昔はTVでも放映していた「島の女」(原題は「イルカに乗った少年」で、TV放映の時はこの題名だったんじゃないかなぁ)は、ソフィア・ローレンと共演で、これは体格負けしてたかなぁ。それと、この時ラッドは40代後半で、やや顎のラインもふっくらしてて、若いグラマーなローレンはともかく、ラッドを見たくてというと、ちょっとがっかりします。

他にもツタヤディスカスで検索すると、やはり29歳の時の「ガラスの鍵」とか、33歳の時の「青い戦慄」なんていう、いわゆるフィルム・ノワールや、「別働隊」という37歳の時に主演したサスペンスで、全盛期の二枚目ぶりを見ることができるので、興味ある人はどうぞ。



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マルティンのブログから、オーバーグルクルより

2018.02.02.12:36

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マルティンはマジョルカでのトレーニングを終えて、オーストリア南部のアルプス山地で休養中のようです。

……
マヨルカ島の穏やかな気候の後、今、冬のパラダイス、オーバーグルクルで休養を取っている。休んでいる時も高地効果を生かそうというわけだ。リラックスしながら、身体の方には刺激を与えている。もちろんローラー台も持ってきてはいるが、まずは選手間でよく言う言い方を使えば、何よりいくらかここで空気を送り込みたい。それからシーズンスタートのムルシアヘ乗り込むつもりだ。

これまでのところ、ここは完璧な天候だ。陽が出ているが、温度は0度から5度の間。散歩には理想的だ。もう随分長い間冬山には来てなかったが、素晴らしい。パノラマ風景は最高だ。3000メートル級のたくさんの山に囲まれた地域で、ここでは毎年エッツタールサイクルマラソンが行われる。参加するなら2月1日から申し込める。いつか、引退した後で、私もこの催し物に参加することを夢見ている。きっと楽しいだろう。もっとも、この高度を登れるならば、だが。
……

エッツタールサイクルマラソンは240キロ弱で2000メートル以上の峠を3つ越え、標高差は5500メートル以上という無茶苦茶なサイクルマラソン。去年からは日にちを変えてプロの部も開催されるようになったみたいですが、基本ホビーサイクリストのためのもので、毎年1万人がスタートし、3〜4000人が完走しているようです。YouTube で Ötztaler Radmarathon で検索するといっぱいアップされてますが、8時間以上、定点カメラという映像もあったりして、誰が見るんだ、こんなの?



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映画「9日目 ヒトラーに捧げる祈り」(ネタバレ)

2018.02.01.01:41

少し前までは拙ブログでも何度か引用したマルティン・ニーメラー牧師の詩がある(長くなるからここに引用はしないので、興味があればリンク先をみてください)。このニーメラー牧師もナチ時代に収容されていたのがダッハウの強制収容所、聖職者ブロックで、この映画での重要な舞台になる。

まあ、この手の映画は題名や副題に必ずヒトラーが入る 笑) ちょっと思い出すだけでも、「スターリングラード大進撃、ヒトラーの蒼き野望」とか、「ヒトラーへの285枚の葉書」とか「ヒトラー最後の代理人」とか、「ヒトラーの忘れもの」とか「ヒトラーの審判、アイヒマン最後の告白」とか、「ヒトラーの追跡」とか「顔のないヒトラーたち」とか、まだまだある。「わが教え子ヒトラー」に「ヒトラーの贋札」「ヒトラー暗殺、13分の誤算」とか「ホロコースト、アドルフ・ヒトラーの洗礼」なんてのもあった。最近も「ヒトラーに屈しなかった国王」なんかがある。まだ見てないけど。

いや、「ヒトラー最後の12日間」とか「帰ってきたヒトラー」とか、トム・シリングが若きヒトラーを演じた(まさしく怪演!!)「我が闘争、若き日のヒトラー」みたいに実際にヒトラーが出てくるならまだしも、上記の「スターリングラード大進撃、ヒトラーの蒼き野望」なんて拾い物のいい映画だったけど、ヒトラーもスターリングラードも大進撃も野望も全くでてこなかったもんね。ヒトラーが主役の「ヒトラー最後の12日間」や「帰ってきたヒトラー」だって原題にはヒトラーのヒの字もない。いわんや、ヒトラーが全く出てこない上に羅列した映画の原題においてをや(だけど、どれもそれぞれ良い映画だったことは強調しておきます)。

というわけで、この映画にも副題に「ヒトラーに捧げる祈り」っていう全く意味不明の副題が付いているけど、ストーリーは、というとこんな感じ。バイエルン州のダッハウ強制収容所にあった聖職者ブロックに、反ナチ的行為によって収監されていたルクセンブルク人神父のクレーマーがなぜか突然釈放されて帰国する。そしてそこでナチス親衛隊の少尉から、ナチスに協力しないルクセンブルク大司教を懐柔して、ナチスとカトリック教会の橋渡しを務めるよう命じられる。ルクセンブルク大司教はバチカンのローマ法王とも親しく、もし彼がルクセンブルクを占領しているナチスを認めれば、バチカンとナチスの関係がより一層深まるわけである。そして、クレーマーが万が一逃げた場合はダッハウの神父たちは皆殺しにされ、逆に大司教の懐柔に成功すれば神父たちは解放される。猶予は9日間。もし失敗すればクレーマーは再びダッハウへ戻らなければならない。

冒頭ではダッハウでの過酷な強制労働の様子やポーランド人神父の虐殺が描かれ、収容所の描写として、その過酷さが上手く描かれていると思う。無論、アウシュヴィッツのユダヤ人たちを描いた「サウルの息子」みたいな圧倒的な臨場感はないけど(「サウル」は別格だから比べたら気の毒か)。

冒頭、重労働に苦しむクレーマーにノルウェー人神父がわずかな水を分け与えるシーンがある。そして、帰国を許されたクレーマーが汽車に揺られていると、向かいの少年が彼にパンを分け与えてくれるシーンがある。さらに、親衛隊少尉からもらったチョコレートを、クレーマーが道で遊ぶ幼い少女に与えるシーンがある。施しの重要性が強調されるが、映画が進んでいくと、クレーマーは最初に水を分けてくれた神父が弱っていた時に、彼を見捨てた過去を抱えていることがわかる。

ところで、聖職者だからみんな強制収容所へ送られたわけではなく、反ナチ的発言や行動によって収容されたわけで、主人公のクレーマーもパリでパルチザンと接触指導していたことがある。まあ、神を信じる宗教者であれば、ナチスの人種思想に反感を持つのは当たり前だろうけど。そんな彼が釈放されたのは、ルクセンブルクの大司教とのつながりがあるのと、彼の家族がルクセンブルク経済界の大物という一族だからである。

ヴィキペディア(ドイツ語)で調べてみると、最初は適当に振り分けられて一般収監者たちと一緒にいた聖職者たちは、1940年末にダッハウに作られた聖職者ブロックに集められたそうで、収容延べ人数は2700人ほどだった。そのうち1000人余りが死亡(死亡率45%強)した。国籍別ではポーランド人が65%強。ポーランドはカトリック国で、そこでの神父の影響力は非常に高かったから、スラブ民族を奴隷化しようとしたナチスにとってはインテリたちと同様、邪魔な存在だったわけである。だから、この映画の中でもポーランド人神父が虐待の末に残虐に処刑される。まあ、それでもドイツ国内の強制収容所は、アウシュヴィッツを始めとするドイツ国外の強制収容所よりはまだマシだったそうだし、そんな中でも聖職者ブロックの収容者たちは、一般の収容者たちに比べればずっとマシだったそうだ(死亡率45%強でも!!)。特にカトリックの場合はバチカン(=ローマ法王)のプレッシャーがあったようで、ミサ用にワインが出たりビールが出たらしい。

さて、この映画のキーワードは「ユダ」だ。慇懃でありながら峻厳という、いかにもナチエリートの雰囲気を持った親衛隊少尉は、もともと神父になろうとしていたのに、それが実現する直前に親衛隊に入隊したという経歴で、論文のテーマもユダだったという設定。しかもルクセンブルク大司教を懐柔できなければ、自分自身が東欧の強制収容所に左遷させられることになっている。だから彼も必死である。というのは、彼は一度すでに強制収容所で働いていた過去があるからである。とは言っても、エリートだから強制収容所で働いていたという過去も、看守とか、そういう下っ端だったわけではなかったのだろう。本人も、そこで自分は何もしなかった(=囚人を虐待・殺害しなかった)と言っている。ただ、何が起きているかは見ていたと言っている。

さて、その少尉は主人公クレーマーにユダになれと言う。もちろん、ユダはイエスを銀貨30枚でローマに売り渡した裏切り者である。だけど、逆説的に考えれば、ユダの裏切りによってイエスはキリストになったとも言えるわけである。このようなユダの役割は、最近のユダ福音書の発見による後付けで(拙ブログでも小嵐九八郎の「天のお父っとなぜに見捨てる」で、こうしたユダの役割について紹介したことがある)、ナチスの時代にこんなことをいう人はいなかったんだろうと思うけど。要するにユダがいなければイエスは殺されなかったし、その後の弟子たちの布教と殉教死もなかったわけで、キリスト教という宗教が成り立ち得なかった。つまりユダはイエスを裏切ることにより(神の意思だ!)、イエスを永遠なものにするとともに、キリスト教を成立させる、という複雑な役割を担ったというわけである。

つまりここには、少尉自身が、神父になる直前に教会を捨ててナチに加わったという意味で、神に対して負い目があり、また他方で、主人公のクレーマー自身が、苦しい時にコップ一杯の水を分けてくれたあのノルウェー人神父が弱っている時に、労働現場で見つけた水(壊れた水道管から垂れる雫に過ぎないのだが)を分け与えなかった、という負い目を抱えている。そして、少尉は、あのまま神父になっていたら何もできなかったが、ナチスに入党することにより世界史に名を残すことが出来ると夢想する。つまりユダが裏切ったことによってキリスト教が成り立ったことと自らを重ねている。

友を見捨てたクレーマーにも、個人的なナチへの反感を捨てて(つまり神父としての良心を捨てて)大司教を説得すれば、彼の家族はもちろん、収容所にいる神父たちも開放すると約束される。さて、クレーマーは自らの意思を裏切るユダとなって、ルクセンブルク大司教を説得するのか、それともダッハウへ戻ることになるのか? って、まあ、戻るに決まってますわなあ。

映画のテーマとしては地味(だから日本では公開されなかったんだろう)だけど、個人的にはかなり面白かった。特に親衛隊役のアウグスト・ディールがはまり役だった。彼もルクセンブルク大司教の懐柔に失敗したので東欧の強制収容所の高官として左遷させられ、戦後は戦犯として処刑される運命が待っているのかもしれない。一方、主役のクレーマーをやったウルリヒ・マッテスは「ヒトラー最後の12日間」で、全く似てないゲッベルス(笑)をやった俳優だけど、何しろ容貌魁偉、ガリガリの頰と金壺まなこは一度見たら忘れられない。収容所に入れられた神父という役はある意味ぴったりだろう。

映像的にも墓地のシーンの色調を抑えた色合いや、帽子をかぶってマントを羽織ったクレーマーのシルエットなど印象的だった。ルクセンブルクで撮影したのだろうと思うけど、谷間の上にある坂の多い町の風景や建物や橋(?)なども記憶に残りそうな美しさ。監督は「ブリキの太鼓」や「魔王」、「シャトーブリアンからの手紙」や「パリよ、永遠に」のフォルカー・シュレンドルフ。



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マヨルカ・チャレンジ、デーゲ2戦2勝

2018.01.30.17:50

先日のインタビューでも好調をアピールしていたデーゲンコルプ、マヨルカチャレンジで出場した2レースに両方とも優勝しました。2018年シーズン最高のスタートですね。

「これ以上良いスタートはないよ。びっくりするぐらい上手くいった。チームメイトが素晴らしい働きをしてくれた。去年は想像したように上手くいかなかったからね。この冬は思いっきりトレーニングして、安定した良いシーズンのまたの土台作りをしてきた。今のところ上手くいってる。」

このマヨルカ・チャレンジって以前にも書きましたが、4日間で4戦あるんですが、別にステージレースではないし、それぞれレースを選んで出るレースで、今年のデーゲンコルプの場合だと第1戦と第4戦に出たようです。





デーゲンコルプの次のレースはドバイ。まあ、すべては春のクラシックのための調整レースなんでしょうけど、勝ち続けられるといいけど。



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ロバート・ミラーからフィリッパ・ヨークへ

2018.01.28.15:20

先日の「1985年のブエルタ」のエントリーにコメントを下さった かばきち さんから、ロバート・ミラーの性転換は事実であるというCyclingnews.の記事を教えていただきました。


1984年の秋だったと思うのですが、池袋のデパートのスポーツ用品売り場で、初めてヨーロッパのロードレースの存在を知りました。そこに設置されていた小さなブラウン管に、5分か10分ぐらいのビデオがエンドレスで繰り返し放映されていて、これは前にも書いたことがありますが、ただただ呆然とその前に30分ほど突っ立って動けなくなったのでした。

今でも覚えているシーンは、真っ青な晴天の山岳で一列棒状に走る選手たちの中から一人がアタックすると、後ろから次々にそれを追う選手がスピードを上げ、その美しい風景とスピード感、選手の一人になったかのようなカメラ位置、そして何よりカラフルなマイヨをまとった選手たちの姿に完全に魅了されてしまったのでした。

自転車選手と言われたら、競輪選手のゴツイ体でぶっとい太ももという印象しかなかったから、そこで見た選手たちの華奢な体と細い足にびっくりしました。そんな中に一人の選手が両手を上げてゴールするシーンがあって、その後思い出すと、それがロバート・ミラーだったんじゃないかと思うんです。

ゴール前に横顔がアップになり、長髪をなびかせてて、なんて美しい!と思ったのでした。あの時みたビデオがいつのものだったかは、もう調べようもありませんが、おそらくその直前の84年ツールか、あるいはその前の年のツールの可能性もあったのかもしれません。そして、今調べてみると、83年の10ステージ、ポーからバニエール・ド・ルションでミラーが逃げていたコロンビアの選手(このときはアマチュアで出てたはずです)を千切り、追ってくるデルガドを振り切って優勝してますね。

84年にも、11ステージ、ポーからグゼ・ネージュでミラーがルイス・エレラとデルガドを振り切って優勝しています。僕が見たエンドレスのビデオはそのどちらかのワンシーンだったのでしょう。そうやって考えると、この2年で優勝したローラン・フィニョンが絶対映っていたはずなんですが、それはもう思い出せません。

その後、30年以上ヨーロッパのロードレースに魅了され続けてきたわけですが、ひょっとしたら、きっかけは、ロバート・ミラーの姿だったかも。

というわけで、自転車って普通はメカから入ったり、サイクリングから始まる人が圧倒的多数なのでしょうけど、僕の場合はかなり倒錯していて、ヨーロッパの自転車レースのビデオを見て、それに魅了されて、あんな自転車に乗りたいと、何も知らないまま、このビデオから一月ぐらいで、当時一番安かったビアンキを購入、それから半年も経たないうちに、サンツアーカラーのヴォーグに乗り換え、さらにホビーレースチームに強引に入れてもらい、ホビーレースに参戦し。。。。という具合に、もう後戻りできない状態になったのでした 笑)

というわけで、当時のロバート・ミラーの写真をミロワールなどから拝借。
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そして現在のロバート・ミラーの姿をCyclingnews.comから拝借しましょう。
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10代ぐらいから性的に違和感を感じていたそうで、それをきちんと自覚していれば自転車選手になどならなかったと言ってますね。今は幸せだと。これは実感することは不可能だけど、自分自身の性に対する違和感を抱えながら、男ばかりの社会で勝負にこだわり、それから解放されて、やっと自分自身に対する違和感からも解放されたということでよろしゅうございました。

というわけで、情報コメントを下さった かばきち さんに改めて感謝いたします。どうもありがとうございました。



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再び、デーゲンコルプのインタビュー

2018.01.26.21:50

この冬、インスタグラムで定期的にトレーニングの状態をアップしていたデーゲンコルプ、ミラノ〜サンレモとパリ〜ルーベに優勝してから2年、事故もあってパッとしない2年を過ごしましたが、調子が戻ってきたという自覚があるようです。VeloNews でのインタビューです。

「やっと再び完全いリズムに乗れるようになった。プレッシャーもない。去年よりずっといいと思う。2年前の事故から連鎖的に悪循環になってしまった。事故があって、それを克服することに一生懸命になりすぎ、できるだけ早く元に戻ろうと頑張りすぎてしまった。後ろから急き立てられているみたいな焦りがあった。僕は自分にプレッシャーをかけたがるタイプだけど、それは良いこともあるけど悪いこともある。」

今シーズンの目標は例年通り、春のクラシックに全力を挙げる、特にミラノ〜サンレモ、ツール・ド・フランドル、パリ〜ルーベを狙うということですが、ひょっとしたら故郷のレースエシュボルン〜フランクフルトまでの間にアムステルゴールドにも出場するかもしれないとのこと。

しかし、まずはマジョルカ・チャレンジに参加して、それからドバイツールに出場し、3月初めにパリ〜ニースを走るというプログラムのようです。

前の Cycling Magazin のインタビューでも言ってましたが、今年はフランドルのクラシックではヤスペル・スタウフェンとのダブルエース体制ですが、これがうまく作用すればいいんですけどね。



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マルティンのブログから、マヨルカ島にて

2018.01.25.00:39

うーん、アルペツィンのマイヨ、ビミョーに青みがかった肩の下、真っ赤なラインが入って、あとは早稲田カラーみたいな暗い赤の腹から下、という変な色合いです 笑) プロトンの中で見分けやすいかもしれませんが。。。。苦笑)

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……
この写真を見たら、羨ましいと思われるかもしれない。その通りだ。マヨルカ島の天気はこの3週間、私が以前から知っている天気そのものだった。穏やかな気温と太陽。この何年かはマヨルカへ来るのはちょっとリスクがあった。しばしば雨が降ったし、温度もあまり快適ではなかったのだ。しかし、今は改めてこの地に対する愛情が燃え上がっている。

理想的なトレーニングができた。チームと一緒にかなり集中してやった。チームTTのシミュレーションをし、みんなでパルマのバンクでポジションの練習をした。私は僅かな修正を試みたが、これはほとんど説明する必要もない程度のものだ。また、オークレーの新しいヘルメットもテストしてみたが、これにはとても良い印象を持った。

こうして、私の新年のスタートは大いに期待できるものになった。
……



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「非正規という言葉」を一掃するそうです 笑)

2018.01.24.22:41

断固たる口調で心にもないことを言う。安倍の施政方針演説を聞いてそう思った。威勢は良い。しかし具体性がないし、心もこもっていない。例えば、次の文章を読んで、普通の人はどう感じるんだろう?

「長年議論だけが繰り返されてきた「同一労働同一賃金」。いよいよ実現の時がきました。雇用形態による不合理な待遇差を禁止し、「非正規」という言葉を、この国から一掃してまいります。」(東京新聞から引用)

僕は聞きながら、意地悪かもしれないけど、この国から一掃するのは非正規という「言葉」なのね、と思った。きっとそのうち「今後『非正規』という言葉は使わない」と閣議決定するのだろう。

政治家の言葉がこれだけ軽くなったのは小泉からだろうと思う。安倍になってそこに無責任さが付け加わった。軽くなり、無責任になり、それが大手を振ってまかりとおり、さらにそこに嘘まで加わった。嘘など言っても、責任など取らなくていいと思っているのだろう。

そして政治家の発言なんてそんなものだと思っている国民は、どんどん政治離れを加速させ、選挙の投票率はどんどん下がる。一番喜んでいるのが安倍本人だろう。



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1985年のブエルタ

2018.01.22.15:42



本箱からこんなのが出てきました。自転車競技マガジンは1978年末から1990年までベースボール・マガジン社から出ていた月刊誌です。

この写真の3人がわかるとかなりなもんです 笑) 前の二人は割と簡単ですが、マイヨオロの選手はかなりコアかな。

この頃のブエルタは4月終わりから5月初めにかけて行われていたんですね。レース展開を見てみましょう。

最初の方では若いミゲル・インドゥラインが総合トップになりますが、第6ステージのコバドンガの頂上ゴールでペドロ・デルガドが優勝して総合トップになります。しかし次のステージでロバート・ミラーがアタック、デルガドは4分近く遅れて、ペロ・ルイス=カベスタニが総合トップ。2位にミラーが6秒遅れで追う展開。

第10ステージのミラーのアタックで総合トップはミラー。ルイス=カベスタニに30秒近くのリードを取ります。このまま最後から二つ目の第18ステージ。ここまでの総合順位は

1. ロバート・ミラー(プジョー、英)
2. フランシスコ・ロドリゲス(ゾル、コロンビア) 10秒
3. ペロ・ルイス=カベスタニ(MG・オルベア、スペイン)  1分15秒

で、デルガドは6分13秒遅れ。

そして最後から二つ目の第18ステージ。ロバート・ミラーが10秒差を守れるかというところだったんですが、3つある山の2つ目の下りでデルガドがケルメのホセ・レシオと二人でアタックして逃げます。このステージYouTube にありますね。さすがに画像はひどいものですが 笑)



ここからが、この時代のジロやブエルタでよくあったナショナリズムむき出しのレース展開になります 笑) 

トップのミラーは、2位と3位をマークして、6分以上遅れているデルガドを追うことはしません。差はどんどん開いて、残り40キロで3分差。そろそろ追いかけないとやばいというのに、2位のロドリゲスは監督の指示で追走せず、ルイス=カベスタニはデルガドと同じオルベアチームなので追うはずはなく、総合5位のライムント・ディーツェンを要するテカも追走を拒否。

見事なチームを超えたスペイン人連合 笑)の前に、フランスのチームプジョーに属す英国人のミラーはなすすべなく、ここに大逆転がなったのでした。ちなみにロドリゲスのチームゾルも、テカもスペイン国籍のチームです。ミラーとしてはプジョーのアシストが序盤で遅れてしまったのが致命傷になりました。

というわけで、最初の競マガの表紙の3人はデルガドとミラーとルイス=カベスタニでした。デルガドは一昨年来日して、サイン本をゲットしたことは書きました。 ミラーは一時期性転換して女性になったという噂が流れ、ネットには現在のミラーというおばちゃんの写真までアップされたことがありましたが、どうやらガセだったようですね。ただ、現役時代からかなりの変人だったと言われていました。

ルイス=カベスタニはこの時22歳、長身細身の、自転車に乗っている姿が格好いい選手でした。

IMG_1367_convert_20180122153153.jpg

この写真は86年のブエルタ(競技マガジンから)のTTです。この写真の感じは、下りのコーナーを走っている時には、よく思い浮かべたものでした 笑) 将来必ずブエルタに勝つと言われたのですが、結局勝てませんでした。



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UCI会長、スカイに提言

2018.01.20.18:06

フルームのサルブタモル事件、去年発覚した時にはマルティンが猛烈に批判し、反ドーピング団体も出場停止を求めていましたが、その後の情報があまり入ってこないし、どうなってるんだろうと思っていたところ、UCI会長のラパルティアンがチームスカイに、きちんとした説明ができるまでフルームを出場停止にすべきだと言っています。

「自分はこの事件に干渉する立場にないが、もしチームがこの処置を講じれば、みんなが納得するのではないだろうか。」

目下フルームは南アフリカでツールとジロのダブルツールを目指して準備中だそうで、2月のアンダルシア一周かアルガルベ一周でシーズンをスタートする予定だと言われています。

何しろ許容基準値の倍のあたいですからねぇ。やっぱり僕はラパルティアンの言うことが正論だと思います。僕はフルームは好きな選手だから、本人が意図的でなかったと信じたいけど。

ただ、問題は意図的かそうではないかは、この場合関係なく、やっぱり結果が出てしまった以上は、ひとまず出場停止にしないとおかしいでしょう。少なくとも納得いく説明が行われるまでは。

しかし、納得いく説明って、どうやるんだろう?何を言っても後付けの理屈とみられてしまうんじゃないかなぁ。



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映画「手紙は覚えている」 危険! 完全ネタバレ

2018.01.19.01:29

この映画はネタバレしたら面白さは半減ですので、観てない方は絶対に読まないように。そしてもし可能ならこの映画を観てから読んでくださいませ。

いや、驚愕のラストという映画は色々あることでしょうけど、これほど衝撃的な終わりはあまりないです。その点ではどなたにもお勧めできます。鬱エンドがダメという人は除く 笑)

**以下完全ネタバレです**

現在のアメリカ、90歳になる主人公ゼヴは認知症を患っていて、半年前から夫婦で施設に入所していましたが、1週間ほど前に奥さんを亡くしています。この主人公の老人をやってるのがサウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐のクリストファー・プラマー。寝ていて目がさめるたびに、必ず「ルース」と先立ってしまった奥さんの名前を呼びながら起きるんです。これがなんとも辛い。

奥さんのユダヤ教による服喪があける行事で、ゼヴもその息子もユダヤの帽子をかぶっていて、どうやらユダヤ人の一族であることがわかります。そして同じ施設にいる車椅子のマックスから、アウシュヴィッツの看守長で自分たちの家族を殺したルディ・コランダーという男に復讐するという約束を果たせ、と言われます。

ところが認知症のゼヴはその約束をしたことを覚えてない。そこでマックスが全てやるべきことを一部始終手紙に書いてゼヴに渡します。ゼヴは施設の職員のいない隙をついて、マックスが手配したタクシーに乗り込み、計画を実行しようとします。

復讐すべき相手はルディ・コランダーの偽名で元囚人のふりをしてアメリカへ逃げたとされ、その名前の人間はアメリカとカナダに4人いて、ゼヴは途中で拳銃を手に入れて、一人ずつ会いに行くんですが、これが一種のロードムービーみたいで、電車や長距離バスの車内からの風景も美しく、うたた寝して目がさめるたびに「ルース」と亡き妻の名を呼ぶ老人の姿に、なんとも胸がつぶれる思いがします。

一人目のルディ・コランダーはブルーノ・ガンツがやっていて、元国防軍の兵士でロンメルの元で戦ったことがわかります。二人目は寝たきりの老人でアウシュヴィッツにいたと言いますが、看守ではなく同性愛で収容されていたことがわかり、これもハズレ。三人目はすでに3ヶ月前に亡くなっていて、その息子の州警察の警官にもてなされますが、やはりアウシュヴィッツの看守ではなかったことがわかります。で、この息子がハーケンクロイツの旗を壁に貼り、ヒムラーの写真を飾っている、絵に描いたようなネオナチ野郎で、ゼヴはユダヤ人の正体がばれて罵られ、犬をけしかけられて彼を撃ち殺してしまいます。

ついに四人目のルディ・コランダー、本名オットー・ヴァリシュのところへ。これが「Uボート」でヒゲ面の艦長をやったユルゲン・プロホノフ。多分かなり老けメイクをしているのだと思いますが、最初見たときは誰だかまるでわかりませんでした。名前を見てかなりのショックでしたね 笑)

さてこのコランダーがゼヴとの再会を喜んでいるように見えるんですね。このあたりから、あれ? これは何かあるな、と思わせます。いや、それ以前のところでゼヴがピアノでワーグナーを演奏するんですね。いうまでもなくワーグナーはユダヤ人にとっては憎むべき作曲家でしょう。ワーグナー自身は無論19世紀に死んでますから迷惑な話でしょうけど、ヒトラー始めナチが一番もてはやした音楽家ですからね(無論ワーグナー自身も反ユダヤ的なことを言ったり書いたりしています)。

さて、ゼヴはコランダーに、家族の前で自分の正体を正直に言えとピストルで脅し、そこに行方不明の父を探していた息子も到着、クライマックスとなります。

で、ホントのホントに、完全ネタバレです。

ピストルを手にコランダーに迫ったゼヴは、コランダーからゼヴこそがオットー・ヴァリシュであることを告げられます。二人ともにアウシュヴィッツの看守長でたくさんのユダヤ人を殺し、戦後、二人で囚人番号の刺青を彫り合って逃げたということがわかります。ゼヴはコランダーを撃ち殺し、「思い出した」(これがこの映画の原題)と言って自殺します。

施設ではこの事件を報じるニュースを見ながら、マックスが全ては自分が仕組んだ通りに進んだことを知るわけですが、その表情は満足感とは程遠いものです。

話としてはとてもうまくできていて、何しろ主人公のクリストファー・プラマーは目がさめるたびに「ルース」と亡き奥さんの名前を呼ぶので、思いっきり感情移入。なんとかうまくことが運べばいいが、と思うわけです。だから三番目のコランダーの場面ではネオナチ野郎を撃ち殺すシーンも、第三のボスキャラをやっつけた感じで、いよいよ本丸へ、と気持ちは高ぶります。で、最終ボスキャラかと思ったら、探していたのは実は自分だったなんていう正邪逆転の大どんでん返しですからね。

ただ、見てしばらく経ってみると、マックスが全てを操っていたというのが今ひとつ面白くない。おそらく冒頭の約束というのも、実際にはしていなかったのでしょう。だから、マックスがゼヴの認知症につけ込んで、最初から全てを仕組んだ上でのことだったのでしょう。

それから認知症と言っても、自分のナチ時代を丸々すっぽりと忘れるなんてことがあるのかどうか。途中、クリスタルナハトというナチの暴虐事件のことは覚えていたりするわけですから、ちょっと都合良すぎない?って感じもあります。また、息子もユダヤ教徒であることがわかりますが、ゼヴはユダヤ人ではなかったわけで、戦後アメリカへ渡ってユダヤ人のふりをしてたのでしょうけど、変な話、割礼はどうしたんでしょう? 息子の様子から見れば、熱心なユダヤ教徒のようなので割礼しているわけでしょうけど、お父さんは??

確かにドストエフスキーの小説によく出てくるように、嘘をつき続けた人間が自分のついた嘘を真実であると信じてしまうことってあるのかもしれないけど、それでも認知症だからといって、戦前の記憶がフラッシュバックしないはずはないと思うんだけど。と、映画の粗探しっていうのはあまりすべきではないかもしれないんですけどね。

途中ピアノを弾くシーンが2回出てきて、一つは上に書いたようにワーグナーを演奏するんですが、クリストファー・プラマーはもともと音楽家になりたかったそうだからものすごく達者なものです。しかし、その前に、彼がメンデルスゾーンを弾くシーンで、彼のピアノの先生がユダヤ人だったことが暗示されているので、ゼヴことオットー・ヴァリシュ及びその家族はユダヤ人に対して反感を感じてはいなかったということなのでしょう。だけど、たとえそうだとしても、アウシュヴィッツの看守長になれば、たくさんの人を殺さなければならなかった。そしてうまく逃げ、そして忘れた。

ナチに限らず、戦争という「国家」が始めたことに、「個人」が巻き込まれていく時のおぞましさを感じさせられます。文句もいっぱいつけたけど、でも素晴らしい映画でした。



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デーゲンコルプの新春インタビュー(2)

2018.01.15.00:11

CM: 君にとってクラシックの魅力ってどこにあるんだろう?

デ: もちろん昔はレースをTVで見ていた。のちにU23でプロと同じ丘を走ってみて、すごかった。例えばタイエンベルフやエイケンベルフの壁を自分で走ってから、1週間後にプロが同じところをどう走るかを見たんだ。忘れられないよ。
 でもクラシックへの興味は父の影響かな。一緒に毎年サンレモもフランドルとルーベもTVで見ていたからね。E3プレイスについては当時はまだ知らなかったけどね。

CM: これらのレースを知らない人たちに、クラシックの魅力を伝えるとしたらどう話せばいいでしょう?

デ: 最大のポイントは伝統かな。そこで勝てば優勝者リストに載って、100年後にも残っているんだ。これらのレースの雰囲気も一種独特だ。一言で言えば、クレージーだよ。数えきれない人の人垣を走り抜けていくんだ。
 誰も知らないような選手だったのに、一度あそこに出れば、僕のことを知っている人がたくさんいるんだ。それも僕のゼッケンを見て判断するんじゃなくて、顔を見て、「あー、デーゲンコルプが来るぞ」って。信じられないよ。説明は難しいよ、一度体験しなくちゃわからないんだと思う。

CM: あのスタートラインに立つと、みんなが声を合わせて「トム・ボーネン、トム・ボーネン。。。」って叫んでくれるよね。なんで自分はベルギーに生まれなかったんだ、と思ったりしなかった?

デ: (大笑い)そうだったらよかったね。だけどそう簡単なことばかりじゃない。ベルギー人としては、あのレースに参加するだけでも大変だろうからね。

CM: でももうベルギー人もみんな君のことを優勝できる選手とみなしているよ。

デ: うん、少しはね。チームでベルギーへコース試走に行って、夕方に自転車好きの集まるレストランに行ったら、みんな僕のことを知っていてくれた。その雰囲気、壁に飾ってあるマイヨやキャップ、それがベルギーの自転車文化なんだ。それを感じられることだけでもすごいよ。みんな僕らを眼の前で見て、ちょっとでも話をしたいと夢中なんだよ。
 ドイツだとそういう人たちはそんなに多くないよ。フランクフルトのクリスマス市場を歩いていたって、僕だとわかる人は2、3人だね。フレフ・ファン・アフェルマートが故郷のクリスマスマーケットを出歩いたら、全く前へ進めなくなるだろうね。

CM: 君がそういうレースを好んでいて、体質的にも合っているっていうのは幸運だったね。

デ: そうだね。昔のコーチに感謝しなくちゃ。僕はU23時代にはロンデだけ走って、ルーベは走らなかったんだ。チューリンガー一周レースと日程的にバッティングしていたからね。だけど当時のコーチはずっと「ジョン、君は良いクラシックレーサーになれる。ロンデに向いているのは言うまでもない、でももう一つ言っておくよ。君はきっといつかパリ〜ルーベにも勝てるようになる」って言い続けてくれた。この言葉のおかげで今の僕がある。
 そして一度勝ってみたら、もうずっと勝っていたい。12月の気温2度の中何時間も雨に濡れながら走るのが楽しいわけない。でも夢を実現するためにはそうしなくては。夢は無論もう一度石のトロフィーを手に入れることだ。

CM: 二つ目を手に入れるのは難しそうかい?

デ: パリ〜ルーベみたいなレースに2回勝つなんて難しいのは当たり前さ。ラッキーで勝てるようなレースじゃない。

CM: 君たちプロ選手がルーベの競技場に入ってくると、何千人ものファンは鳥肌が立って、競技場は大騒ぎになり、狂ったような雰囲気になる。君たちはレース中にそれはどんな風なんだろう、それを感じ取れるゆとりがあるの?

デ: 勝利を目指して走っている時はトンネルの中にいるようなものだ。競技場では何も感じない。2015年に優勝した時は、もう流れの中で、これは大チャンスだと思ってたから、100%集中していて、ビデオで見ると、僕はもう何度も後ろを確認している。後ろから突然アタックされるのが嫌だったから。きっと1000回ぐらい振り返ってるよ。それだけ集中してると、周りの雰囲気はまるで感じ取れない。

CM: 2015年の勝利では何を思い出す? 今でも最後のところは覚えてるものなの?

デ: 取りこぼしの可能性があったよね。イヴ・ランパールトとフレフ・ファン・アフェルマートがいたから、僕は後ろから行かなければならなかった。あの時追想グループの中からアタックした場所は正確に覚えてる。今でもそこを通ると特別な気持ちになるよ。
 最高のシチュエーションだったから、忘れることはできないね。ルーベでは一番強くなくてはならない。それでも2、3回トラブルがあれば、それでチャンスは消えてしまうんだ。

CM: このレースがもっとも勝つのが難しいレースかな?

デ: うーんんんん。。。。

CM: では、君向きではないレースのことを。リエージュ・バストーニュ・リエージュは君向きじゃないだろう?

デ: (大笑い)間違いない、勝つのは一番難しいね。全てのモニュメントの中で一番勝つのが難しいな。

CM: 幸運、知性、脚力のうち、こういうレースで一番必要なのは?

デ: うーん、少なくとも50%は脚力だね。絶好調でないとダメだ。でも知性は極めて大切だ。自己を信じ、諦めず、慌てず、作戦を信じること。優勝候補の一人であれば、単純ではない。
 新聞を見れば名前の一覧に星付きであげられているわけで、これだって影響力は強い。戦術だって大切だし、チームのサポートも、そして機材はパーフェクトじゃなくちゃダメだ。だからこそ難しいんだよね。

CM: 予想記事を読むときには、ヘト・ニウスブラットやレキップが君に星をいくつつけているかがきになる?

デ: 自然に目には入る。毎日ネットを見てるわけじゃないから、あえて探そうとはしなけど。

CM: さて2018年に向けて、今は100%順調かい?

デ: うん、世界戦の後、完全に体をチェックして回復時間もたっぷりとったからね。全く新しい気持ちで自転車に乗っているよ。

CM: 気管支炎のおかげで早めにシーズンオフに入れて、たっぷり充電できた?

デ: いやあ、健康だった方が良かったよ。世界戦は走りたかった。でも、そういう風にも考えなくちゃね。2年前の事故も同じように良い方向へ考えたいよ。

CM: 新しいシーズンの大きな目標は?

デ: 例年通りだよ。2018年もモニュメントを中心にする。僕に向いているし、僕が好きなレースだからね。

CM: ツールでの緑のマイヨは狙わないの?

デ: うーん、とても難しいね。何よりペテル・サガンがいる限りはね。

CM: サガンができることで、君にもできそうなことがあるんじゃない?

デ: (笑)彼の自転車コントロールだけでももうすごいよね。彼は違うタイプだよ。僕らはそれぞれ別の特質を持っている。僕だって自転車のコントロールは自信があるよ(笑)、ウィリーしながらの手放し、あれはきっと練習すればできるかもね。
 しかし冗談は別にして、僕は他の選手と自分を比べて、何か利益を得たいというより、自分自身のことに集中したいタイプなんだ。

CM: チーム・トレック・セガフレドではクラシックではキャプテンを一人に固定せず、君はヤスペル・スタウフェンとのダブルエースになるね。君たち二人は互いにどうなの?

デ: 良好な関係だよ。理解し合えているし、ヤスペルは100%信頼できるやつだ。うまくお互いに機能しあえると思っている。

CM: 2018年のクラシックの計画はできてるの?

デ: 僕らは春はクラシックチームとして活動するけど、サンレモを考える時、パリ〜ニースにするかティレノ〜アドリアティコにするかはよく考えなくちゃ。回復までの時間も、それから天候が悪くて危険度が増す可能性も考えなくちゃ。そんなことは話し合ってるよ。

CM: キャプテンになるレースは幾つか決まっているの?

デ: いや。誰が一番調子良いかはその時に見なくちゃならないからね。誰がエースになるかは数週間前まではわからない。その方が僕らにとっても良いよ。強い選手がたくさんいて、レースがフレキシブルになるからね。

CM: レースではどう走るものなの? 車から指示があるの? それともみんなで話し合って、誰が誰のアシストをするか決めるの?

デ: 無論レースではみんなで話し合うよ。レースには明確な計画を持って走るけど、実際には何が起きるかわからないからね。チームにとって最良なのは何かは、レースの中で決めていかなくちゃならない。

CM: サドルポジションを変えた?

デ: ほとんど変えてない。僕は自転車ごとに少しずつポジションが違うんだ。無論しっかり分析して、徹底的にテストしているよ。シーズン前にはサドルの圧力計測もした。とても興味深いことがわかった。今はあまり細かいことにこだわりたくないけど。

CM: ドイツでは何と言ってもツールだ。君はモニュメントに勝ってるけど、ツールのステージがまだだ。ドイツではツールのことばかりなのに、ちょっとイラッとしない?

デ: まあね。ツールでステージ2位になっても注目されないのはちょっと残念だ。僕がツールの前に、僕はツールにステージ優勝を目指していくのではなくて、アルベルト【コンタドール】のために走るんだと言ったのに、多くの人は信じてくれなかった。でも、カタパルト役の選手が決まってない状態で出場して、2位になったというのは、僕としては悪いことじゃない。無論、僕の願っているのはレースに勝つことだ。それはツールでも変わらないよ。

CM: 最後の質問。君にとってはツールでのステージ優勝と二つ目の石のトロフィーとどっちが大切かな?

デ: それは言うまでもなく石の方だよ。



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デーゲンコルプの新春インタビュー(1)

2018.01.14.21:10

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デーゲンコルプクラスになると、見ている方も、上位に入れても勝てないと、ああ、だめだったな、と思っちゃうので、その意味では気の毒ではあります。

今日はいつもの rsn (radsportnews.com)ではなく、Cycling Magazin からのニュースですが、何しろ長いので、2回に分けます。それでも長い 苦笑)


CM: まず最初に目を去年に向けることから始めよう。2017年の最高の瞬間はいつだった?

デ: ああ、それは娘の誕生した瞬間だよ。父親になるっていうことは何か特別なことで、現実の足元を見直させてくれて、人生において本当に大切なのは何かを教えてくれるものだ。

CM: シーズン真っ盛りでも同じように感じたかな?

デ: 絶対に。家族や子供たちとのコンタクトは再びレースに挑むために絶対必要なことだ。回復するために大切なんだ。でも、今娘の誕生を思い出すと、もう少し誕生が遅いほうがよかったかな。ツールの後2週間後だったからね。でもそういうのってどうしようも無いだろ。ツールの間は本当にヒヤヒヤしてたよ。僕がフランスにいる間に生まれちゃったらどうしようって不安だった。

CM: 本当に生まれてたらどうしたかな?

デ: チームとはあらかじめ話し合っていたよ。そうなれば僕は家へ帰るってね。

CM: 子供の誕生には何としてでも立ち会いたかった?

デ: もちろん。僕自身のためだけじゃなく、妻のサポートにだってなるからね。ずっと彼女は僕に尽くしてくれたんだ。僕が家にいるときだって、僕はしばしば家を空けて何時間もトレーニングしなければならなかった。子供が生まれるときにそばについているのはとても大事なことだったんだ。そして本当に感動的だった。涙が出たよ。言いようのない出来事だった。

CM : 僕も子供の誕生には立ち会ったことがあるけど、パリ〜ルーベに買ったことはない。感情的には比べることができるものかな?

デ: うん、似てるね。もちろん全く違うものだけど、頭の中の感情的な爆発は比べることができるかもしれない。

CM: さて、最高の瞬間を聞いたから、今度は最悪の方へ行こうか?

デ: 世界戦の出場を断らなければならなかった時の監督のアンドレアス・クリアへの電話だね。

CM: 辛かった?

デ: 電話がというのではなくてね。だってもうどうしようもなかったからね。世界選手権は走れればいいと思っていたわけではない。このレースにエースとして走ることが願いだったんだ。むろん調子が良くて結果を残せる可能性があるときにね。気管支炎でそれはダメになった。僕にとってその条件を満たしていただけに辛かった。2017年最悪のポイントはそれだったね。

CM: レースをTVで見なければならなかったのは、とても残念だったね?

デ: 最悪だったね。レース展開もコースも僕にぴったりだったもんね。ホームに辿りついたらドアが閉まって、電車が出発するのを見ているような気分だった。

CM: 君は何に勝ちたいか、負けたくないか、をしっかり意識している人だよね。

デ: うん。だけど、それが僕の強みであるとともに弱みでもあり、またその点は変えようがないと思っている。

CM: そして、レースに勝つためには必要なことなのかもしれないね。

デ: うん、世界のトップレベルで競い合いたいなら、そこそこの結果で満足してはダメだよ。もっと上位を目指さなくちゃ。
 いつでもそう考えてきたんだ。すでにU15の時に監督は僕のことを、こいつは二番になるための選手じゃないと思ったんだそうだ。ジュニアの時代にも、その後のU23の時にも。監督は常に僕に言ってた、「デーゲ、君は負けてはならんのだ」って。これは時として逆効果だったこともあるけど、だいたいは励まされる言葉だった。

CM: すでにジュニアのクラスで野心は強かったわけだね。でもそのための才能も明らかにあったわけだ。何よりもクラシックに関して。2009年のロンデ(ツール・ド・フランドル)のU23を覚えているよ。その時君は3位になった。見ていたメディア関係者はみんな、こいつはきっとクラシックスペシャリストになるに違いないって思った。

デ: 当時からこういうレースが僕向きだし、可能性があると思っていた。実際に走る前からああいうレースに魅了されていた。
 初めてロンデを走った時、はっきりわかったね。当時(2008年のU23のロンデ)ガティス・スムクリスがかなり早い段階から逃げて、ものすごい単独ゴール優勝をあげたんだ。僕は追想グループでやっと16位になった。でも僕にはこのレースは向いているし、そこで上位に入れるようになりたいって思った。このレースで若いうちに重要な経験を得られたことは良かったと思う。

CM: プロになってもU23の体験から得るものはあった?

デ: もちろん。何しろ最初は何も知らなかったんだからね。コースを知らなかったら何もできない。2008年に初めてロンデを走る前、大ベテランの先輩シュテファン・シュレックと話をして幾つかのヒントをもらった。石畳のレースに単純にワクワクしてて、何でも知りたいと思った。他のレースではやったことがないのに、レースよりだいぶ前からコース図を印刷しておいた。
 実際にレースでは、それがどれぐらい長く続くかとか、最後のところがどうなっているかを知らなければしょうがなかった。当時すでにコースの丘は全部暗記していたから、それはもちろんプロになっても役に立ったよ。



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森達也他 「A4または麻原・オウムへの新たな視点」

2018.01.12.14:00



「組織の力学」がオウムを暴走させたのではないか、麻原と弟子の間で相乗効果でエスカレートして行ったのではないかという仮説は、前作「A3」で十分納得いくレベルにまで言い尽くされている。その点で新しい視点はない。

この本では元信者の二人と共に、オウムの信者の目から見た麻原はじめとする教団の内部の雰囲気が伝えられる。森達也のドキュメンタリー「A」と「A2」を見た人なら、あるいはその書物化された同名の本を読んだ人なら、出てくる信者たちが、誠実で上にふた文字つけた方がいいぐらい真面目な好青年たちばかりなのに、なぜ彼らがそこまで麻原を絶対的に信頼しているのか納得いかなかったのではないだろうか。

この本でも元信者の二人は麻原がやったことは別にして、宗教者としての麻原に対する強い信頼感は相変わらず持っている。これをマインドコントロールとか洗脳という言葉で片付けるのはおかしいだろう。

ただ、彼らが語る麻原のエネルギー(瞑想している時にもそばにいるだけで感じられたそうだ)という話は、僕には全く理解できないけど。例えば、霊の存在を信じるだけでなく、それが見えることがある、という人がいるけど、それを見ることができないし、そういう現象に出くわしたこともない僕としては全くそれは信じられない(だからと言って完全否定するつもりはないけど)。そんな感じだ。

信者二人は一生懸命、麻原が仮にサリンを散布させたとして、それは麻原のどう言う意図に基づくものなのかを、オウム真理教の教義を説明しながら語るのだけど、一般人には全く通用しない話である。森からも否定的な反応しか出てはこない。

だからこそ、そうした真面目な、宗教的な、言葉を変えれば自らの解脱や人類の平和を本気で考えるような若者たちを魅了した宗教者としての麻原が、なぜ地下鉄サリン事件のようなとんでもない事件を起こしたのかを、はっきりさせなければならないはずなのだ。一審だけで麻原の死刑が決まってしまって、結局オウム事件とはなんだったのかがわからないままなのは、今後のためにも全くならない。麻原に本人の口から、なぜサリンを散布したのか、本当に麻原の意思でそうしたのかの説明をさせなければならなかったはずなのである。

日本人は事件の真相にしっかりと向き合って、そこから何かを学ぶことが苦手なのではないか、そんな気もしてくる。臭いものに蓋、そんな言葉が思い浮かぶ。

麻原は裁判の途中から完全にまともな精神状態ではなくなった。それは各メディアのオウムを追っている記者たちと、森が個人的に話をすれば、みんなが麻原の精神崩壊を認めて、麻原はもうダメでしょう、などと言う。なのに、実際に記事として出てくる言葉は「ニヤニヤ笑う」とか「ブツブツ意味不明のことを言う」と言って、本当の意味での精神錯乱という言葉は絶対に使わない。

森がいうオウム事件の核心が、麻原を「忖度」した弟子たちと、弟子たちの思いを「忖度」した麻原との相互作用によるものだとすれば、このマスコミの態度にも、検察(=民意)に対する「忖度」、「組織の力学」が見られる。

しかし、勘ぐれば、何かもっと表に出てはまずいものがあるので、検察も司法も大慌てで臭いものに蓋をしたのではないか、そんな思いすら湧いてくる。



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**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、クラシック音楽(特にバッハ)、友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎても困るが)。少し前から草食動物と化そうと「努力」しています。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとして、こちらにも通知されないまま、ゴミ箱に入れられてしまいます。これは管理ページで迷惑メールをチェックすれば見られるのですが、そんなところは滅多にチェックしないので、承認待ちの印が表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す

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